悪戯の神は希望を拾った 作:乾パン中毒者
今もリアルの方が少しゴタゴタしていて今までの様に短期での連続投稿は無理そうです。一応不定期にポツポツと投下するつもりではあるので、どうかご了承を。
オラリオ西メインストリート沿いに建っている一つの飲食店、『森人の故郷亭』と呼ばれるその店は生まれ故郷の森を離れオラリオに集まったエルフにかなりの人気を誇る飲食店であった。
天井や壁、家具や調度品のほぼ全てがエルフの隠れ里から持ってこられた自然由来の素材で作られており、仄かに漂う香炉の優しい香りや、特注品らしき魔石製品の蓄音機からは綺麗な音楽が流れて店内の雰囲気をノスタルジックに演出している。
そんな他の店では滅多に見られない特色からかエルフ以外の種族からもかなりの人気を誇り、あまりに人が殺到して雰囲気が崩れかねないと危惧したが故に近年からは予約制となったほどの大人気店に、私は足を運んでいた。
周囲を見渡せば誰も彼もが高級な燕尾服やらドレスを身に付けており、そのおかげで決してみすぼらしくは無いが高級とは決して呼べない服を着ている自分が酷く浮いているように感じる。
こういう時のためにドレスの一着でも買っておけばよかった……。
「――――アイリス? 顔色が悪いようだが……嫌なら店を変えても構わないぞ?」
「あ、だっ、大丈夫です! 嫌ではないんですけど、ちょっと気まずいというか……」
対面しているリヴェリアさんが心配そうに声をかけてきたのは嬉しい。嬉しいのだが、本音を言うならもう少し俗っぽい店に連れて来て欲しかった。
いや、この時間帯では酒場や飲食店はガラの悪い客で満杯だろうし、そういう輩を嫌う彼女ではこの選択は仕方ないか。うん、大人しく我慢して食事を楽しもう。その方が良い思い出になる。
「その、すまないな。誰かを食事に誘うのは初めての事で、どういった店が良いのかわからなくてな……」
「いえいえ、むしろこんな高級店に連れて来ていただいてありがたいです。でもリヴェリアさん、この店予約制で、一週間先までびっしり埋まっているって噂なんですけど、よく取り付けられましたね」
「ん? 予約制? いや、店長と少し話し合ったら快く席を空けてくれたのだが……」
「えっ」
その言葉を聞いて、私はチラリとカウンター奥に居る店長らしきエルフに視線を向ける。そして一瞬だけ目が合ったと思うと、無言で視線を逸らされた。
……そう言えばこの人
「えーっと……何でも無いです。と、とにかく何か頼みましょうか。私の分も一緒に決めてくださって構いませんので……」
「そうだな。――――すまない、そこの従業員。良ければこの店のお勧めを教えてくれないか?」
「はっ、はいっ!」
リヴェリアさんが軽く手を上げて人を呼べば、近くに居た美人エルフのウェイトレスが飛ぶようにやってきた。その声は明らかに緊張と焦燥感全開であり、彼らがどれだけ今この場所にいる王族に粗相がないように気を張っているかが察することができた。
苦笑いを浮かべつつ、丁寧にも用意されていたメニューを軽く見て――――瞠目する。
(…………嘘ぉ)
一度の食事は五〇ヴァリスもあれば大人でもそこそこ腹は膨れる。だが、メニューに書かれた料理はいずれも平均三〇〇ヴァリス以上。一番高い料理は二〇〇〇ヴァリスを優に超えている。普通の店でこんなぼったくりな値段設定などした日には明日には焼き討ちに遭っていそうな超高額設定だ。
一応財布には一万ヴァリス程入れているので問題は無いが、見たことも無い値段設定に思わず眩暈を覚えてしまった。
「――――では
「へ? あ、ええと、果実の生搾りブレンドジュースでお願いします」
「では、私も同じものを頼む」
「か、畏まりました!」
そうこうしている間にいつの間にかメニューが決まったようで、私は今頼まれたメニューの合計価格をメニュー盤を見ながら軽く計算してみる。
合計価格――――四八〇〇ヴァリス。二人分頼んだので会計はその二倍。
庶民の食費約二ヶ月分の値段が一度の食事で消えた。金銭感覚壊れる。
「……その、すまないな、何時も喧嘩を宥める役を任せてしまって」
「え? ……あー、それは……」
貧乏根性を迸らせていると、リヴェリアさんが唐突にそんな話題で切り込んでくる。
確かに彼ら三人と行動を共にしている中で、リヴェリアさんとガレスさんの口喧嘩を宥めなかった日はない。止めた回数は多分両手の指では数え切れない程だろう。そして勿論心労も多少は感じている。
だが私とて最初から仲良しこよしで行けると思っていたわけでは無い。集団で行動する以上、人間関係での衝突が起こる可能性など想定済みだ。
……まあ、だからと言って現状に不満を感じていないわけでは無いが。
「あの……リヴェリアさんは、ドワーフの事が嫌いなんですか?」
「……そうだな。お前には辛い答えになるだろうが、私はドワーフの事が嫌いだ。憎いわけでは無いが……あの下品な性格は許容できそうにない」
「げ、下品……」
彼女の言いたい事はわからなくも無い。前にも言ったと思うがドワーフは身の清潔をあまり重要視しない。そしてエルフは潔癖症な者が多い。更に言えば若干脳筋気味な者が多く、いかにも知的な感じのするエルフとは根本的に相性が最悪なのだろう。事実、オラリオでその二種族が争い合っているのはそう珍しい光景では無い。
互いに嫌悪しているから、歩み寄ろうとしないから一向に仲が改善しない。当然の帰結だ。
「特にガレス! 奴は何かと私の揚げ足を取ってくる! 奴ほどドワーフという存在の意地汚さを体現している者はいないだろうな! 全く、何なのだ奴は……! 少し休めばやれ軟弱だの惰弱だの……それしか言えんのかあの脳筋めッ!!」
わなわなと身を震えさせながらリヴェリアさんは溜め込んだ不満を爆発させた。
確かに彼女の言い分も一理ある。この三日間、私の目から見てもガレスさんはリヴェリアさんを目の敵にしており、何かと罵倒を繰り返しているように感じた。彼からは憎悪こそ感じられなかったが、そこには確かな”怒り”があった。
どうして彼がリヴェリアさんに対して怒りを抱いているのか不明である以上まだ断定はできないが……恐らく過去に何か知らの確執があったのではないかと私は察した。種族としても、個人としても。
「あの、リヴェリアさん。ガレスさんに対して何か変な事とか言った覚えはありませんか?」
「む? 変な事……いや、特には思いつかないな。罵倒なら毎日のように飛ばしているが」
「ですよねぇ……」
これに就いてはガレスさん本人から聞き出した方が早いと判断し、この話は此処で打ち切った。丁度ドリンクが運ばれてきたのでそれで喉を潤しつつ、しかし料理が出されるまではまだ暇があるので、今度はこちらから話題を切り出す事にする。
あ、このブレンドジュース美味しい。
「ところでリヴェリアさんは、フィンさんについてはどう思っているんですか?」
「分不相応な高望みをしているいけ好かない
「ブッ」
叩き切るように、リヴェリアさんはとんでもない言葉を当然のようにつき出してきた。そんな不意打ち気味の言葉に驚くあまり、私は思わずむせてしまう。
「ごぼっ、げほっ……そ、それは一体どういう……?」
「どうも何も、そのままの意味さ。叶うはずの無い夢を追いかけるために仮面を被って周囲に愛想を振りまいている薄気味悪い輩をどうして好きになれる。お前は騙されているかもしれないが、あれは存外野心深くて打算塗れの男だぞ?」
「えっ、えぇ……?」
下手すればガレスさんより容赦のない、しかし冷静な言葉でリヴェリアさんはフィンさんをこれでもかと扱き下ろした。
私からすれば大きな夢を抱いてダンジョンという危険に挑む勇気ある青年に思えるのだが。野心があるというのはわかるが、打算塗れというのはどういう事だろうか。
「奴は私心を殺して”最良”の選択を行える者だ。決断力がある、取捨選択が巧い、と言えば聞こえは良いがな。それは
フィンさんは私が今まで出会った中で最高の指揮者と言える。状況に応じた対応力が非常に高いのだ。そして何よりも『安全』を重視した戦い方を行う故に、安定性は抜群である。
だからこそ私は指揮に関してはフィンさんに全幅の信頼を置いているし、その人となりも好んでいる。そんな彼が人として落第点だなんて、とても思えない。
「……あ、すまない。子供に話すようなことでは無かった。忘れてくれ」
「い、いえ……大丈夫です。リヴェリアさんに悪気は感じられませんでしたから」
今確かに言えることは、【ロキ・ファミリア】に新しく加入した三人組の関係は最悪と言えるモノだという事だ。早期に改善しなければ内部崩壊もありうる。
しばらくは人間関係の改善に奔走することになりそうだ。
「えっと、では私についてはどう思っているんですか?」
「ん? そうだな、一言で言うならば、とても好ましい子だ。優しくて気配りも利く上に可愛いときた。もし妹ができるならお前の様な――――あ、いや、とにかく嫌いではないという事だ。だから安心してほしい」
「あ、あはは……私もリヴェリアさんの事は好きですよ」
「! そ、そうかそうか! ふふっ、私の事が好きか……」
照れくさそうに、リヴェリアさんは顔を赤らめながら笑った。
こういう反応を見ると、彼女も一人の女性なのだと理解できる。王族なんて大体貴族主義の傲岸不遜な者達だと思って苦手意識を抱いていたが、やはり本で書いてある事を鵜呑みにするのは間違っているという事か。
(……はやく、皆で仲良く冒険できるといいな……)
口の中でフルーティーな味わいを弾けさせているドリンクで舌鼓を打ちながら、私は思う。今すぐには難しくても、いつか皆で笑い合いながら、一緒に迷宮へ――――。
「と、ところで物は相談なんだが」
「? はい、何でしょう……?」
「――――並行詠唱の習得の手助けを、してほしいんだ」
◆◇◆◇◆
魔法というものは超短文詠唱の物でもなければ、基本的に棒立ちで行うのが基本だ。何故なら魔法というのは言葉を発するだけで発動するような代物ではなく、望む形につむぐために詠唱という行為をトリガーとして己の内側で激しく動き出す魔力を制御する必要性が生まれてくるのだ。
失敗すればもれなく自爆、
例外として、魔法名や掲示された詠唱を唱えるだけで発動できる”速攻魔法”ならばその心配も限りなくゼロになるが、そんな魔法を持っている者はオラリオ内でも一握りだろう。故に大多数の後衛魔導士は自爆というリスクを最小限にするために魔法を唱える際には動かないというのが鉄則なのだ。
しかし――――
「【終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に――――はぐぉっ!?」
「あっ」
私の動きに目配りしながら、木刀による攻撃をどうにか回避しようとしたリヴェリアさんは小石に躓き、後頭部から思いっきり地面に転んでしまった。それによって展開されていた
「くっ……ま、まだまだっ……!」
痛む頭を押さえつけながらも心折れずに立ち上がってくるリヴェリアさん。その痛ましい姿を見て顔を引きつらせつつ、私も木刀を構えなおす。
現在地点、ダンジョン第1階層大部屋。正規ルートから大きく外れた人気のない部屋で私とリヴェリアさんは朝早くから並行詠唱――――魔法の詠唱をしながらの行動を可能とする高等技術習得のための修行をしていた。
ちなみにロキ様やフィンさんからは事前に許可を取ってある。むしろここ一週間ダンジョンに連続で挑んでいたから、息抜き期間として数日ほど休みをもらえた。
予定としてはとりあえず、もらった休みは可能な限りリヴェリアさんの修行に宛がうつもりだ。
そして、私たちの行う修行の内容は至って単純。私が攻撃し、リヴェリアさんはそれを避けながら魔法の詠唱を可能な限り続ける、というモノ。
修行を始めた当初は、そこまで難しくはないだろうと思っていた。実際少し早めに動きながらの詠唱はもうできている。――――しかし、戦闘中における回避や迎撃などの突発的に早い行動を行うと途端に注意が散漫になってしまう。
こうして小石に足を引っ掛けて盛大にすっ転んでしまうほどに。
「リヴェリアさん、ちょっと休憩入れましょうか」
「いや、私はまだやれ――――」
「駄目です」
有無を言わせず、私は疲労のあまりフラフラになっているリヴェリアさんを強引に引きずって、部屋の端っこ辺りに座らせた。意地になって無理を続けたところで上がる成果など高が知れている。
「……すまない」
「もう、そんな顔しないでください。同じファミリアの仲間なんです、むしろ頼られて嬉しいんですよ?」
「そ、そうか」
私が笑みを浮かべて思ったことをそのまま伝えると、リヴェリアさんは照れくさそうに顔を赤らめる。そんな、普段は大人びた彼女には似つかわしくない反応に、私は思わずクスリと小さく笑った。
「な、なぜ笑う?」
「あ、いえ……リヴェリアさんって、意外と照れ屋さんなんだなって」
「そ、そんなことはないぞ? ……少なくとも、上辺だけの言葉に心が動くことは無いさ」
「……?」
突如哀愁の雰囲気を纏いだしたリヴェリアさん。……何か地雷を踏んでしまったのだろうか?
「ほら、私は
「でも、それって」
「ああ。……その美辞麗句は全て『
周りから送られてくる賛辞が己では無く、己を飾っている肩書きにしか向けられない。その肩書きが努力して得た物ならばともかく、彼女のソレは完全に先天的な代物だ。
何もしないで得た宝物だけに目を向けられ、言葉を送られる。……それは、何と空しいことだろうか。
「……前に言ったと思うが、私は未知を求めて故郷を飛び出した。しかしそれは故郷を出た理由の半分に過ぎないんだよ、アイリス」
自嘲するように、彼女はいつもとは正反対な弱々しい様子で呟いだ。
「私は自分の価値を示したかった。王族である以外に、私が私である所以を見つけたかった。私が私自身の手で積み上げた何かを得たかった。……王族にしては、少々俗な理由だろう?」
恐らくこれは、彼女の抱える巨大なコンプレックスの一つなのだろう。
「お前が、初めてなんだ」
「……へ?」
「ええと、ヒューマンの同性で……私に嫉妬すること無く、此処まで仲良くしてくれたのは。今まで会ってきた者達は、大体私を見て顔を顰めてしまう」
……まあ、理由はわからなくも無い。リヴェリアさんの美貌は(
私の場合はそう言った感情より尊敬や感心などが表に浮き出ているが、私の様な者は恐らく少数派なのだろう。人間、自分より優れた者を目の当たりにして心に浮かべるのは大体の場合嫉妬なのだから。
「逃げる様に故郷を飛び出した事に後ろめたさを覚えなかった日は無いが――――お前と出会えたこと、その一点だけは、心の底から幸運だと思っている」
「リヴェリアさん……」
今度は私の方が顔を赤らめてしまう。こんな事を正面から言われて照れるなと言われても、その、困る。
「ふふふっ。お前も人の事が言えないみたいだな?」
「リ、リヴェリアさぁん!」
そんなことを言って意地悪そうな笑みを浮かべながらからかってくるリヴェリアさんに、私は涙目で抗議した。だが……悪い気分では無い。
心地よい気分だった。仲間と共に、この様な談笑ができるというのは。
こんなありふれた一幕が、何時までも続けばいいのに――――。
◆◇◆◇◆
空を見れば、もうすっかり夕暮れ模様が空を覆っている。赤くなった空を境に人々も自分たちの家に戻るための準備を進め、昼で最盛を迎えたオラリオの喧騒は少しずつ、眠る様に静かになっていった。
「何故だ……何故いつも途中で……ブツブツ」
「あ、あはは……」
いつもの宿へと向かうメインストリートを進みながら、私はすっかり意気消沈してしまったリヴェリアさんをみて苦笑を浮かべた。
結局、今日の特訓で並行詠唱を習得することはできなかった。まあ一回修行しただけですぐに出来るとは毛ほども思っていなかったが。
リヴェリアさんが凹んでいる理由は、ただ単純に成果が見られないからである。何度やっても足元の注意がおざなりになったり、足元に集中すれば今度は攻撃への回避が鈍くなったり。一進一退するばかりで何も好転しないのだ。
こういうのは地道な積み重ねをして結果を出すものなのだろうが……自分が大の得意な魔法に関する分野での挫折は、相当堪えたらしい。
「うーん……せめて見本になる人が身近に居たらよかったのですが」
「確かにな……」
一応私も戦闘中に詠唱を行うことはできるといえばできる。が、私の場合は魔法の詠唱が超短文だからこそ比較的簡単に可能な芸当であり、基本長文の魔法しか持たないリヴェリアさんとは勝手が大きく違うのだ。
それに、扱う魔力量も莫大な差がある。私の魔法で扱う魔力が1~3だとすると、リヴェリアさんの魔法が扱う魔力は低く見積もっても5以上。仮に私が
故に、私以上に慎重を期する必要が出てくる。最悪練習中に爆死しかねないのだから。
まあ、流石に全
ともかく、何かしらの手段で見本になりそうな魔法剣士を交友関係を得られたら、この停滞を打破する方法もおんぽいつけるだろうが、生憎私は冒険者になってまだ半月も経っていない新米も新米。そんな都合のいい人脈など持っていない。
……最終手段として【ゼウス・ファミリア】や【ヘラ・ファミリア】に頼み込んでみるという手もあるが、それはできれば使いたくない。必死に頼み込めば受けてもらえそうな気もするが、オラリオ最大派閥に借りを作るというのはいささかリスクが高すぎる。
それに、あの二大派閥は数日前から共同で『遠征』を行うため現在主力のほとんどが不在だ。向こう数週間はそんな状態が続くため、今頼んだところで有力な人材を借りられるかと言われると首を傾げざるを得ない。
結論を述べると自力でコツコツ頑張れという事だ。他人の手を借りるのは本当にどうしようもなくなった時だけにしておくべきなのだから。
「とにかく、少しずつ頑張っていきましょうリヴェリアさん。焦ったって、何も良いことは起こりませんから」
「そう、だな。地道に頑張れば、きっと――――ん?」
リヴェリアさんは突然何かに感づいたように、顔を少しだけ険しい物に変えた。私はいきなり彼女の様子が変わったことを不思議に思いながら、その視線を辿って先にあるものを視界に入れる。
彼女――――否、近くに居た者達が見ていたのは、通りの中央。
血の様に赤い光に照らされながら見えたのは――――どす黒く光る黒髪を靡かせる女が、筋肉隆々とした厳つい大男の頭を鷲掴みにしながら
その現実味が消え失せた様子に、誰もが絶句する。
「おい、おい。聞いてんのか、木偶の棒。お前の頭に付いている耳は飾りか?」
「あ、がっ、ぎっ……!?」
「驚いた。オラリオでは人の姿をした家畜が居るのか。それとも私の
嗜虐的な笑みを浮かべながら女は段々とその手に加わる力を強くしていき、その度に男の頭からミシミシと異音が少し離れた所にいるこちらまで聞こえてくる。
まさか、公然の場で――――!?
「……チッ、詰まらん男だ。強そうなのは見た目だけで、中身はまるでドブネズミだ。まぁ、女を抱く覚悟も無く尻を触ろうとするような輩だ。……これ以上お前の様な奴を触っていると反吐が出る」
周囲に居る全員が顔色を蒼白とさせた頃、女は明らかな嫌悪感で顔を塗り潰すと、吊り上げていた男を無造作に放った。しかしそんな軽々とした動作とは裏腹に、放られた男は凄まじい速さで回転しながら飛んでいき、少し離れた壁を凹ませてようやく停止した。
そんな惨劇を起こした女は飄々とした様子で指の骨を鳴らしつつ、自分を見ている者達に舌打ちと鋭い視線を飛ばす。その視線に殺気を感じとったのか、冒険者や住民たちは皆足早にこの場を立ち去った。
厄介事の臭いを感じ取った私たちも早々に立ち去ろうとして――――私は身を凍らすような殺気を感じてしまう。
「っえ―――――」
反射的に振り返れば――――目の前に、蛇の如くぎらついた金色の眼が現れた。
ぞわりと全身を駆け巡る悪寒。生存本能に従って今繰り出せる最速の一撃で目の前を薙ぎ払う、が。
「……あれ?」
瞬き一回の間をおくと、目の前に広がっていたのは何の変哲もない夕焼けに照らされた街並みだけ。
騒ぎを起こしていた女性は、いつの間にか姿を消していた。
「これは、一体……?」
「アイリス? どうかしたのか? ……ああ、騒ぎの当人が消えたのか。これなら引き返す必要もないな」
「そう、ですね……」
先程の怪奇現象は、一体何だったのだろうか?
何度考えても答えは出せず、結局私は腑に落ちない感情を抱えつつも「気のせい」だと片づけて帰路に就くことにした。
(……さっきの女性、どこかで、会ったような……?)
答えは、未だ出ない。
「――――いやはや、まさか反撃貰うとはねぇ~」
小さくなっていく二つの影を建物の上から見下ろしながら、黒髪の女――――リュゼ・レジーナは愉快気に、頬に生じた浅い切り傷から流れ出てくる血を指で取って舐めながら呟いた。
「察知能力はLv.3並み、身体能力はLv.2中堅ってところだけど……アレは奥の手の一つや二つ隠してるね、絶対。……ああ、楽しみだなぁ……早く
リュゼは光悦とした表情で、まるで自分の大好物を目の前にした子供の様な無邪気さで、そんな気味の悪い事を口にし続ける。
今すぐ、自分の心に従ってあの少女を己が悲願のための糧にしたい。
が、リュゼは衝動と共に震える腕を抑えつける。
「いや、まだ。まだその時じゃない……大好物を食べるときは、最高の環境で無いと、ね?」
冷静さを滲ませて、しかし顔に浮かべる狂気を薄めることは無く、リュゼは衝動を誤魔化すようにしきりに己の血を舐め続ける。
そんな彼女の背後に、複数の影が現れた。
全員が彼女と同じ褐色の肌を持つ女。そう、アマゾネスである。露出の激しい独特の民族衣装を身に纏った彼女らはリュゼに声をかけようとして――――しかし直後に彼女からの殺気の混じった睨みによって強引に黙らされた。
しかし彼女のその視線を意に介することも無く前に出てきた者が居た。
鮮血の如く赤い髪、褐色の肌。そして何より特徴的なのは周囲の者と比べる明らかに小さなその躯体と牙を生やした異形の仮面。まだ成人もしてい無さそうな少女はゆっくりとリュゼに近付き、幼さを残しながらも老成した声を発し始めた。
「リュゼ、いつまでこんな所で油を売っておる。多大な苦労をしてようやくオラリオに入れたというのに、この四日間、未だ一度も”狩り”に参加せず傍観ばかり。……これ以上は
「うるせぇよ。
「いやぁ、流石に妾もソコに手を出すのは……下手したらテルスキュラが終わるぞ? 我が儘言わんで言う事を聞け、このじゃじゃ馬め」
「チッ……」
少女が少しだけ怒りを滲ませながら言い放つと、リュゼは不機嫌そうな顔で立ち上がりながら既に消えた二つの影のあった方向を一瞥する。
「……まぁ、
艶めかしい舌なめずりを残しながら、
波乱の予兆を、色濃く残しながら。