悪戯の神は希望を拾った 作:乾パン中毒者
5~7階層。
これが何を意味するかはダンジョンに挑む者は嫌でも知っている。これは即ちダンジョン初心者にとっての山場であり、一種の洗礼とも言える境界だ。少なくとも1~4階層で物足りない、なんて思い上がった冒険者の大半は此処で己を屍に変える羽目になる。
十分な下地がなければ碌に生き残ることすら叶わない。それが5階層から下に対する危険度だ。油断した者は此処で脱落していくのはオラリオでは日常茶飯事ですらあった。
5階層から出現する初の中距離攻撃持ちであるフロッグ・シューター。
6階層から出現する新米ではまず敵わないウォーシャドウ。
7階層から出現する鎧の様に硬い甲殻を持ち攻撃力もゴブリンなどとは比べ物にならない『新米殺し』のキラーアント、飛び回りながら遅効性の毒鱗粉をまき散らすパープルモス、鋭い角と跳躍力で見た目とは裏腹に油断すれば死にかねないニードルラビット。
いずれも新米にとっては知識と経験が不足していれば殺されてもやむなしの強力なモンスターたちだった。
そんなモンスターたちだが――――
「はぁッ!!」
『ギシャァ!?』
たった一人の少女――――私の手によって十数匹のモンスターの群れは一方的に蹂躙されていた。
鋼以上に鋭く重い剣《アグノス・ソード》を振るえばキラーアントの装甲が紙の様に真っ二つになり、他のモンスターを巻き込んで斬り裂いてしまう。勿論モンスターたちも反撃をしようとするが、その全てが回避され、挙句最寄りに居たパープルモスがカウンターの斬り上げでその体を左右に分けた。
そしてなお、私は無傷。《小人族のアーマードレス》の端々に血液が付着していているものの、それは私の血では無くモンスターの血だ。
未だ止まらぬ蹂躙劇。新米の冒険者ならば為す術もなくなぶり殺しにされるだろう危険なモンスターの群れは、遭遇から一分立たずにその数を半数まで減らしてしまっている。
(凄い、この剣……馴染む!)
重いはずなのに、振るえば羽のように軽やかに動いて圧倒的な切断力と破壊力を以てモンスターを打ち砕く様はさながら鉄の強風。武器が変わるだけでここまで差が出るのかと私は感心する。
少なくとも前の安物の剣と比べれば圧倒的に差がある。魔法を使わなくてもモンスターの群れを一方的かつ短時間で殲滅できるようになる程には。
そして一分後、私は全てのモンスターを倒し終えた。残存しているモンスターが居ないかしっかりと確認すると、私は剣を左右に振って付着している血液を振り払い、軽く布で拭いてから背中の鞘に《アグノス・ソード》を納剣した。
「ふぅ……ロキ様に感謝しないと」
尊敬する主神のおかげで5階層にまで潜る許可を頂けた上に、戦闘がここまで楽になった。何せ7階層突入からもう数時間経っているのに、まだ私の中では余裕があった。
魔法を使わずに此処までできるのだ。それは即ち更に深くに潜っても大丈夫という事であり、下で待ち受ける未知の冒険に思わずスキップしたくなる程浮かれそうだ。
「……いや、ダメダメ。今日は7階層までって決めたんだから」
そもそもロキ様に対して夜になる前に帰ると約束したばかりなのだから、それが果たせるか怪しくなる行動は慎むべきである。
浮かれている自分に何度目かの戒めを掛けつつ、私はモンスターの死骸から魔石と幾つかのドロップアイテムを回収した後に、再度探索を開始する。しかし数分間歩き続けて、私は何処かからか多数の足音がこちらに迫ってきているのを聞きとった。
随分急いでいる様だが、一体何が――――。
「クソッ、何でキラーアントを仲間呼ばれるまで放置していたんだよ!」
「仕方ねぇだろっ! 陰に隠れてて見えなかったんだよ!」
「いいから走れ! 折角”希少種”まで見つけたってのに――――おい、あそこに同業者が居るぞ! 押し付けろ!」
こちらに向かってくる者達が何なのかを考えていると、その集団は瞬く間に私の横を通り過ぎていった。
そして、奥からは両手の指では数え切れない程のキラーアントの群れが悍ましくも這い出てきた。それを見てようやく私は自分が何をされたのかを理解する。
自分の手に負えなくなったモンスターの群れを他の冒険者に押し付ける行為の総称。パーティ全滅を避けるための緊急処置ではあるのだが、一般的にはその行為はマナー違反と呼ばれるものだ。生き残るためにはこの方法しか取れないかも知れないが、
私は舌打ちをしながら背中から《アグノス・ソード》を抜き放つ。
流石にこの数は面倒だ。――――魔法で片を付ける!
「【
詠唱を終えた瞬間に全身に纏わりつく劫火の渦。突然現れた炎に虫系モンスターの性なのかキラーアントたちは反射的にその行進を止めてしまう。そしてそれは、私にとっては大きすぎる隙であった。
その時間を使って私は炎を剣に強く纏わせる。自分が眩しいと思える程の火力が《アグノス・ソード》を包み込み、やがて私の想像した通りに巨大な炎の剣が形作られる。
『ギギッ……!?』
「はぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ――――っ!!!」
炎の剣を大上段に構えて、そのまま全力で振り下ろす。
するとどうだろうか。
「……あっ」
想像以上の威力に驚きつつも、私は落ちていたドロップアイテムを拾ってみる。それは――――希少種、ブルー・パピリオからしか落ちないアイテム、『ブルー・パピリオの翅』だった。青く透き通った綺麗な翅は私の瞳を容赦なく引き付ける。
大量のモンスターを押し付けられたりしたが、決して不運という訳でもない様だ。
「お、おい、何だよさっきの音……?」
「キラーアントの姿が見えねぇ……まさかあの数をこんな短時間で片付けたのか?」
「どうせ魔剣でも持ってたんだろ」
「ん……?」
無言で残ったキラーアントの死骸から小さなナイフで魔石を取り出していると、先程私に
文句の一つでも言ってやろうかと彼らに相対して――――途端に彼らの目の色が変わるのを感じた。
「お、おい。それって『ブルー・パピリオの翅』じゃねぇか! 希少種のドロップアイテムなんて……」
「……なあお嬢ちゃん、その翅を俺らに”提供”してくれないか? なに、渡してくれれば何もしないぜ」
「は?」
彼らは私にモンスターを押し付けたことを一言も謝りもせず、まず口に出したのは「ドロップアイテムを寄越せ」だった。その図太さに思わず眩暈を覚える。彼らには恥もプライドも存在しないのか。
冒険者というのは荒くれが多いとは聞いていたし、それなりに覚悟もしていた。しかし予想以上のアレさに、私の堪忍袋の緒もそろそろ切れそうだ。
「……これは私が倒して手に入れた物です。あなた方に渡す義理も理由もありません」
「じゃあ、仕方ねぇなっ!!」
先頭の男がいきなり腰の短剣を抜いて私に攻撃をしてきた。しかしそうなることはもう予想済みであり、私はバックステップでその攻撃を躱しながら《アグノス・ソード》を抜き放ち、下段に構える。
初めての対人戦。剣を人に向けることには少しだけ抵抗はある。だが――――
(――――抗うって、決めたんだ……!!)
足を踏みしめて、突きの姿勢のまま固まっている男の腕に向かって私は――――一切の躊躇の無い斬り上げを繰り出し、男の腕を前腕から斬り飛ばした。肉は骨ごと豆腐の様に斬り断たれ、切断一瞬後に動脈から噴水の様な血液が噴き出し始める。
「……あ? え――――ギャァァァァアアァアァアアアアアッ!?!?」
まさか自分の方がやられるとは思わなかったのだろう。腕を切り飛ばされた男は数秒だけ呆けて、腕から迸る痛みによってやっと自分の腕が無くなったのを知ったらしい。傷口を抑えながら獣のように喚く姿は滑稽さすら覚える。
「グソがッ!! テメェこのガキィッ……!! お前たちィッ! 殺せッ、こいつを殺せェェェェッ!!」
「っ、この小娘がぁ!!」
「死ねっ!!」
残りの男たちも武器を抜いて私に襲い掛かってくるが、妙に身動きが遅い。いや、私の動体視力が高いだけなのか。ともかく男二人の攻撃は欠伸をしていても容易く避けられるような代物で、私は冷淡な表情のままカウンターで二人の武器を弾き飛ばして《アグノス・ソード》と剥ぎ取り用のナイフの切っ先を男たちの喉へと突きつけた。
そして可能な限りの重圧を声に籠めつつ、告げる。
「消えろ。二度と私の前に現れるな」
ピクリと肩を震わせる男たち。彼らはそれっきり何も言わず、大人しく腕を斬り飛ばされた男を抱えて何処かへと去っていった。
残された私は一度大きく深呼吸をして、血に濡れた己の手を眺める。
初めて、人を斬った。
殺したわけでは無いが――――あまり、良い気分にはなれそうにない。
《アグノス・ソード》に付着した血液を拭って鞘に収めつつ、私はそろそろ帰路に就くことにする。もう切り上げないとロキ様にドヤされそうだ。
地面に転がる魔石を回収しながら、私は初めて自分に降りかかった火の粉を払えたことに喜びを感じつつ、三日目のダンジョン探索を終了した。……今夜は、ぐっすり眠れるといいな。
◆◇◆◇◆
受付嬢――――その名をアイナ・チュールと言い、エルフの里から外界に飛び出してきた頭が固く鋼の貞操観念を持つ種族にしては珍しく自由奔放な女性だった。
そんな彼女は気に入った者でなければ肌の接触すら拒むような、最早
が、残念ながら彼女の子供はオラリオには居らず、別の場所で夫と共に暮らしている。これは別に不仲という訳でもなんでもなく、ただ単純にアイナの退職準備が整っていないせいだった。
一年ほどの産休が終わった後、そろそろギルド業も退職してのどかな場所で親子仲良く過ごそうとした矢先、ギルドの事実上のトップであるクソデブエルフ、一族の恥さらしとまで言われるロイマン・マルディールがそれに待ったをかけたのだ。
アイナはギルドでもかなりの腕利きであり、所属してまだ数年だというのに冒険者やギルド職員たちからの信頼は分厚い。そんな彼女が突然抜けることで訪れる影響を恐れた彼は己の権限で彼女に半強制的な形で仕事を強いることにしたのだ。
その事を告げられたアイナはLv.5の第一級冒険者すら震えあがるような怒気を纏っていたらしい。
しかしその言い分にも一理あるとアイナは振り上げそうになった拳を収めて、およそ一年間の業務と後片付けを以てウラノス――――ギルドにおける主神と直々に退職契約を結びつけた。その際の彼女は神相手でも一歩も譲らなかったらしい。まさに母は強し。
そんなこんなでギルド業務も残り半年ほどに差し掛かっていた彼女は……対談ボックスの中で、目の前の少女に対して頭を抱えていた。
「……7階層?」
「あ、はい」
「……ふっ、ふふふふふふ……!」
自分でも訳も分からず笑いが込み上げてくるアイナ。目の前の少女、アイリスは突然の奇行に対して心配そうにするが、原因は自分だということをわかっているのか。いや、きっとわかっていない。
「ア・ナ・タ・はっ!! 私の言った事全っ然っわかってないじゃない!? 確かに装備が整ったら5階層まで潜っていいとは言いました! ええ許可を出しましたとも! だけど7階層まで潜っていいとは一言もっ! ひ・と・こ・と・もっ! 私は言わなかったんだけどっ!?」
「だっ、だって5階層がいいなら6階層も7階層も別にいいかなって……」
「全く! 良くない!」
バンッ! とアイナは両手で机を叩きつけた。彼女の睨む目はさながら蛇のように鋭くなっており、そんな視線を向けられているアイリスは小動物の様にビクビクと震えている。
「あなたには危機感が足りない! 全く足りてない! 暫くダンジョンに潜るの禁止! 明日から徹底的にその危機感の足りない精神を叩き直しますからね!!」
「でっ、でもちゃんと余裕はあるんですよ? ウォーシャドウもキラーアントももうズバズバ斬れるようになりましたし……」
「そんな訳ないでしょう。あなたまだ冒険者になって三日目なのよ? 基本アビリティだってまだHにも届いてない筈のに、装備が良いからってだけでウォーシャドウやキラーアントを相手取れる訳――――」
「あの、これ【ステイタス】が書かれた紙なんですけど……」
ぶっ、とアイナは思わず噴き出した。
【ステイタス】というのは冒険者にとって命綱に他ならない。その者がどれほどの強さで、どんなスキルや魔法を持っているのかを示すソレは自身の所属するファミリア以外の団員に知られれば圧倒的に不利な状況に追い込まれかねない。自分の得手不得手を割り出されてしまえば待っている末路は碌な物では無いからだ。
アイナは管理不足で【ステイタス】の情報が流出し、ものの見事に袋叩きに遭った冒険者を何人も見ている。故に【ステイタス】は冒険者に取って最優先で秘匿しなければいけない個人情報なのである。
それが易々と目の前に出された瞬間、アイナは目の前の少女がとんでもない常識知らずとようやく理解した。
同時に――――その紙に書かれた異様な数字も、見えてしまった。
アイリス・アルギュロス
Lv.1
力:F311
耐久:H195
器用:F301
敏捷:F370
魔力:H144
「……え?」
基本アビリティの大半が既にFに突入しており、低い物でももうHを越えている。
これが冒険者になって一ヶ月くらいの者ならばアイナも「良く伸びる人だな」と思って終わりだった。だが、目の前の少女は、アイリスはまだ冒険者になってたったの三日。そしてこれは恐らく
すぐさまアイナは目の前の少女が嘘を吐いているのではないかと思い至ったが、様子を見る限りその可能性はとても低かった。自己顕示心の大きい下品な輩ならともかく、こんな純粋そうな少女が見栄を張るために虚偽申告をするとは思えない。
だとすれば主神の嘘? いいや、たった一人の眷属相手にそれは無い。下手にこんな嘘を吐けば眷属に待っているのはダンジョン内での惨めな死である。
と、いうことは、目の前のコレは、事実ということになってしまう。
(……嘘でしょ)
アイナは静かに喉を鳴らした。今まで培ってきた自分の常識がガラガラと崩れ去るのを感じ、薄ら寒い物が背筋を走るのを感じる。何年もギルド業をしているからこそ、アイナは目の前に居る少女の異常性に対して酷く戦慄を覚えてしまう。
度が過ぎているなんてレベルでは無い。
完全に理解を越えた現象に再度頭を抱えながら、アイナは無言で【ステイタス】の書かれた紙を折りたたんで少女に返却する。
「すぅー、はぁー……わかったわ。本当に、本っ当に不本意だけど……無理のない範囲でダンジョン探索するのを許可します。ただし、私への詳細報告は忘れない事。それと【ステイタス】の書かれた紙は一度読んだら直ぐに人目が届かない様に処分する。わかった?」
「は、はい!」
今確かに言えることは、アイリスは現状上層の探索をする程度ならばほぼ問題ないという事である。
お金をどこから持ってきたのかは知らないが、アドバイス通り武器と防具もしっかりとした物に新調したのならばそうそう力尽きることは無いだろうとアイナは判断した。
無論、こんな幼い子を危険な場所に送るのは非常に非常に不本意なことではあったが、下手に強く抑制して不意に爆発でもしたら目も当てられない惨状になる可能性が高いのだ。多少は寛容に行くべきであろう。
「えっと、ありがとうございました! また明日お願いします!」
「うん。ちゃんと気を付けて帰るのよ~……はぁ」
その後アイナはギルド本部を立ち去る少女の背中を見届けて、ため息を吐きながら椅子の背もたれに倒れる。
もしかしたら自分は、とんでもない子のアドバイサーになってしまったのかもしれない、と。
「……そういえば、あの子に私の名前、言って無かったな……」
今度会ったらちゃんと自己紹介しようと、アイナは決心した。
◆◇◆◇◆
それから三十分後の宿。ロキは無事帰還したアイリスを笑顔で迎えて、恒例の【ステイタス】更新を行っていた。
更新された内容は、以下の通りである。
アイリス・アルギュロス
Lv.1
力:F311→E482
耐久:H195→G257
器用:F301→E428
敏捷:F370→D512
魔力:H144→G254
《魔法》
【■■■■■】
・現在使用不可
【フィシ・ストイケイオン】
・
・速攻魔法
・地、水、火、風属性から選択可能
・■■■■■■
・詠唱式【
【】
《スキル》
【■■■■■■】
・生きている限り試練が訪れ続ける
・窮地時に全能力の超高域強化
・獲得
・諦観しない限り効果持続
・自分と周囲が希望を抱くほど効果向上
【■■■■】
・解読不能
【■■■■】
・解読不能
「…………はぁ」
全アビリティ熟練度上昇値トータル600オーバー。昨晩よりはマシになったが、相変わらずの常識外れの成長速度に、もう自分の方がおかしいのではと思い始めるロキ。
そして彼女の眷属であるアイリスはそんなロキの心情を知ってか知らずか、いつも通り一部魔法とスキルを記していない【ステイタス】の書かれた紙を見て一喜一憂している。この訳のわからない伸び方で何処に不満があるのか。
「やっぱりスキルって、そう簡単には発現しないんですね……」
(しとるからっ! 前代未聞の最初からレアスキル三つ持ちやからっ!)
事実を知っている身としてはロキはそんな馬鹿なことを言う眷属に叫びたくなった。
因みに、今日の稼ぎは二〇〇〇〇ヴァリス。初日の稼ぎが塵のように見える額だった。やはり希少種からドロップしたレアアイテムを売却したのが大きな要因か。ロキとしても希少なアイテムを見つけて沢山稼いだと喜ぶ眷属の顔は、とても良きものだと思っている。そして稼ぎも十二分。
色々と問題は立ちはだかったものの、順調な走りだ。眷属集めは未だ努力が実を結んでいないが、それでもいつかは――――と思い耽っていると、ロキの耳に部屋の扉が三回ノックされる音が届く。
「あ?」
ルームサービスは特に頼んだ覚えはないし、そもそもこの安宿でそんな物は行っていない。では来客ということになるのだが、下界に降り立ってから凡そ一ヶ月前後、他の神々とは特に交流を行っていないロキにとって誰が自分を訪ねてきたのかは全然予想ができなかった。
いや――――そもそも、自分がこの宿で暮らしているとは、誰にも言っていない。
じゃあアイリス宛てか? と怪訝そうな顔を浮かべながら、ロキはアイリスを部屋の奥に引っ込ませながら扉を開く。そこに居たのは、
「……誰やアンタ」
「ああ、どうも神ロキ。こんな夜分遅くに失礼する。とりあえず、自己紹介をしようか」
扉の前に立っていたのは、真っ黒な布で身を包んだ、縮れた黒い長髪の女だった。外に出されている両腕はガリガリにやせ細っており、顔も何処か不健康そうな色だ。そして浮かべているのは薄気味悪い笑みときた。
直感的にロキは目の前に居るのが悪神の類だと確信する。
「我が名はアパテー。【アパテー・ファミリア】の主神だ。今回は少々用事があって貴方を訪ねた。どうやって貴方の所在を知ったかは……まあ、優秀な子供たちの成果、とだけ言って置こう」
「アパテー……
「ククククッ、ああわかるとも。私とてタナトスやエリスのような神物を自身の家に招きたいとは思わないさ。だが神ロキよ、それは不義理だ。私はお前に抗議をする資格がある」
「はぁ?」
意味が分からないとロキはこめかみを指で押さえながら自身の過去を思い返す。
だがいくら考えどもアパテーなんて神と諍いを起こした記憶なんてない。数々の神々の恨みを買う所業をしては来たが、こんなマイナーな神なんぞに関わった記憶はないとロキは断ずる。
ならばどんな理由で此処に来たのか――――ほぼ直感で、ロキはその理由を察した。
「そちらの子供が私の眷属の腕を撥ね飛ばしてくれたのでね。まあ、その賠償の請求に来たのだよ」
「……それについてはもう聞いとる。うちの子曰く、ドロップアイテムを横取りしようとした馬鹿が攻撃してきたからやり返したんやと。それについて賠償請求するやと? お前、うちの事舐めとんのか?」
「おや、おかしなことだ。私は『ドロップアイテムを横取りされて、いきなり襲い掛かられた』と聞いたのだがね?」
「じゃあそいつ連れてこいや。
「残念ながらその者は今病院でね。面会もしないようにしている。まさかドロップアイテム一つを巡って腕を切断されるとは。そちらの眷属は中々に凶暴だな? 神ロキ」
「……………」
神に嘘は通じない。だがそれはあくまで下界の存在の言葉に限る。
神は神に対して嘘を吐くことはできるのだ。そしてその嘘も、場合によっては真実へと歪ませられる。目の前に居る神が「やり手」だと気づいて、ロキは思わず舌打ちをする。
「さて、私のファミリアは多少とも被害を被った訳だが……弁償してくれる意思は?」
「幾らや」
「一千万ヴァリス、なんてどうかな?」
「殺すぞクソガキ」
「ほう! では返す意思はないと受け取ってもよろしいかな? ならば――――
神威を放ちながら、女神アパテーはニタリと不気味な笑いの闇を深めて、ロキにそう宣言した。
争い合うファミリア同士の力量に差があり過ぎる場合、出来レースと化すその勝負は弱小ファミリアにとっては最も選んではならない手法でもある。
「断る。なんでうちがそんな下らん争いに乗らなあかんのや」
「ふむ……では明日から色々と”不幸な事”が訪れるやもしれんが……まあ、私には関係のないことだな。ククッ」
「お前……!!」
これは殆ど強迫に近い、いや、完全に強迫と言っても差し支えないだろう。
アパテーの言う”不幸な事”。ほぼ間違いなくこちらの妨害を行うつもりだと察せないほどロキは馬鹿では無かった。だからこそ今、自分らに残された逃げ道が完全に潰されていることも理解する。
受ければ
だが拒否すれば、何をされるかわからない。少なくとも碌なことが起きないのは確かだ。最悪ダンジョン内、いや街中での襲撃もありうる。
どちらが最も良い選択か、ロキは考える。考えて、考えて、考えて――――
「…………ええわ、その勝負受けたる」
「クッ、ハハハハハ! 成程、そちらを選んだか。よろしい、貴方の気が変わらないうちに色々と準備をしておこう。因みに次の
苦虫を噛み潰したような顔で、ロキは唸るようにそう告げた。そんなロキの様子が愉快だったのか、聞く者に不快感を感じさせる薄気味悪い笑い声を残しながらアパテーは足早に部屋の前から立ち去る。
残されたのは不安の渦巻く渦中にいるアイリスと、全開になりそうな神威を抑えつけるので精いっぱいのロキ。
今にも泣きそうな声で、アイリスは言葉を漏らす。
「ロキ、様……私っ……!」
「大丈夫。大丈夫や……うちが何とかしたる……何とかせなあかん…………」
最初の試練が、ようやく訪れた。
試練「オッスお願いしまーす!」
アイナさんがギルド職員だったというのは本小説での完全な独自設定です。でもあのエイナさんの母親だし、こういう役にしっくり来そうなキャラだと妄想したものでね……。