次回も二年後に……は流石にしたくないけど、前回もそう考えてた気がする。
正直一話が長いせいで執筆止まるケースが殆どだから、そこをどうにかしたい部分はあるんだけど、区切るタイミングがわからん……。
思考を加速させ、状況を整理する。
まず、この黒人の男は邂逅一番に「まさか」と言った。という事は、俺がここにいるという情報を教えた何者かが居るということになる。
そしておそらく、この男は俺が英語を聞き取れる能力があると気付いていない。つまり、まさかに隠された意味を紐解いているとは認識していない。
「あー……、アイムジャパニーズ、ノットスピークイングリッシュ、オーケー?」
故に、まず一芝居打つ。
表情も外向け用の柔和なものへと作り替えながら、ゆっくりと男の正面に立つ。
人畜無害な青年の振りをし、相手の反応を見る。一人で生きていく以上、軋轢となり得る要因を排除する為の手段は幾つも用意している。
「おっと悪いねぇ。つい母国語で喋っちまった。日本語にはまだ慣れてなくってよ」
おどけた様子で瞬時に日本語に切り替える。
慣れていない、と言ったが日本語は数ある言語の中でも難易度が高いものとして有名だ。
グローバル化が進み、他国の言語を履修するのが当然となっている時代ではあるが、習熟度に関してはどうしても個人差が出る。
俺ぐらいの年齢ならば他言語に疎くてもそこまで違和感はないが、男の外観年齢を鑑みるに、倍近い年齢差があると見ていい。
それを踏まえた上で、あの流暢な言語切替は慣れていないの一言では済ませられない。
謙遜の可能性もあるが、謙遜は日本人特有の文化だ。
英語圏の人間は日本人から見てノリが良く、時には軽薄にさえ映る。しかしそのような認識は、文化の差異から来る情緒でしかない。
それを理解した上でそのような態度を取るならば、慣れていないという発言は嘘と判断するに充分な証拠になる。
「……それで、どうしてこんな辺鄙な場所で一人で居るんだい?大の男とは言え不用心だろう?」
「仕事ですよ。それに、立場としては関してはお互い様では?」
「おっと、確かにその通りだ。んじゃあ折角だし、独り身同士仲良くしようじゃないか」
飄々とした態度に物怖じせずパーソナルスペースに侵入しようとする遠慮のなさ。どれを取っても俺が苦手とする手合いだ。
この手の輩は純粋に人柄が良いか、笑顔を隠れ蓑に腹に一物抱えているかのどちらかに該当する。
現状では判断に困るが、予想ではこの黒人は後者だ。そうでなければ、先程英語で呟いた内容が荒唐無稽なものとなってしまう。
俺個人を狙い撃ちにしてか、単純に人が居るという事実のみを知っての台詞かは判然としないが、あの口ぶりから察するに第三者の情報提供者がいるのは間違いない。
そうだとして、その情報をどこで聞きつけた?
知ること自体は簡単だ。あの時の会話は個室で行われていたとはいえ、防音なんて贅沢な設備がある訳でもなく、聞き耳を立てれば盗聴は幾らでも出来る。
しかし、こんな目立つ見た目をしている奴がそんなことを堂々としていればバレない訳がない。だからこそ第三者の協力関係が濃厚になる。
次に、それをどう伝えるか。
このご時世、通信端末なんてものは貴重品を超えてガラクタでしかない。
何せ、通信網を中継する電波塔は終焉災害によって軒並み破壊し尽くされており、軍人が外で活動する際に情報共有を行うために用意される移動式の電波発生装置ぐらいしかまず残されていない。
それも指向性を定めた上での限定的な送受信のため範囲は狭い上、運良くそれに乗っかれたとしても、そんな限定状況を踏まえた上で後出しで聞かされた俺個人の移動先からここまで徒歩で辿り着くなど、果たしてどれだけの奇跡を重ねれば実現できるか。
そもそも、この周辺一帯に軍人が派遣されているという情報はしばらく聞いていない。
つまり、電波を使用した通信というのは可能性としてはゼロに等しい。
しかしそうなると、やはりこの男の発言に疑問が残る。それどころか何も解決さえしていない上に疑問が増えてさえいる。
気味の悪い存在を前にして仮面が剝がれそうになるも、どうにか押し留めて友好的に接するべく気持ちを切り替える。
「そうですね、偶然とはいえこうして会ったのも何かの縁です。折角でしたら、情報交換でもしませんか?」
「おう、いいぜ。その前に、俺はアダム。アダム・へリックだ」
「……皇凱虎です」
互いに名乗り、握手を交わす。
一瞬偽名を名乗るべきか悩んだが、幾ら情報通信網が機能不全とはいえ、行動範囲の広い俺の身元など調べようと思えば充分に調べることは可能だと判断し、素直に答えることにした。
相手を知るうえで名前の交換は最も単純かつ合理的な手法だ。
名前は個人を特定するタグである。情報社会においては名前ひとつ特定するだけで性別や今までの経歴といった、ありとあらゆる個人情報が理論上は知ることができるぐらいには重要かつ普遍的な特定手段である。文明が崩壊し時代が逆行したところで、そこに込められた価値が揺らぐことはない。
名前の交換はコミュニケーションの基本であり、それは日常の交流に始まり、そこからビジネス等のより厳粛さが求められる環境になればなるほどに重要になってくる。
例えば織田信長。天下統一を前に明智光秀に謀反を起こされて本能寺にて逝去、ぐらいは調べようとせずとも知る機会がある程度には有名な戦国大名だが、いざ織田信長を深く調べようとすると途端に膨大な情報量を前に眩暈を起こすことになるだろう。
彼の波乱万丈な人生の歴史に始まり、彼が人生で関わってきた人物との繋がりが相関図となり、芋蔓式に彼以外の人物の情報も開示されることとなる。
これはほんの一例でしかないが、織田信長という個人にはそれほどの情報が込められていることは理解できるだろう。
しかし、情報量が多いのは彼が偉人だからではなく、あくまでも歴史書に名を残すほどの存在だった故に回顧録としてその生涯を刻まれているだけであり、彼と同年齢の人物であり同じ数の人間と交流をしていたならば、内容の密度に違いはあれども量だけで言えば充分比肩するレベルになり得るのである。
今や個人情報は生誕の際に与えられ管理されるひとつの特別なアカウントによって統括されており、それ以外の第二第三のアカウントを所有することは違法とされている。
かつては複数アカウントによる匿名性を利用したネットワーク上の悪事の一切が許されなくなり、何をするにおいても個人情報の紐付けが必須になった代わりに、今まで無法地帯だったネットワーク内の健全化が一気に促進された。
やれ管理だ監視社会だと揶揄する者も一定数存在したが、小説等で挙げられがちなディストピア社会などとは比べ物にならないぐらい人権に配慮された健全な統制が為されており、ネットワーク犯罪なども9割消失したことで肯定派がほとんどである。
個人情報保護法の観点から一般人には開示されないが、政府クラスならば名前ひとつ調べれば市民の情報なんて簡単に調べることが出来る。
だが、今や文明は崩壊し、同時に秩序もかつてと比べるまでもないほどに混沌としつつある。
個人情報もどこから漏れたところで不思議ではないし、ネットワーク社会に依存しすぎていたせいで、それありきとなっていた管理体制と犯罪抑止力は大いに弱体化。今や悪行を取り締まれる力は政府に強く期待できない。
人の口には戸が立てられない。アナログな交流が主体となったことで情報の扱いも無秩序となり、そうなれば俺が運び屋として色んな人間と交流してきたことが裏目となり、簡単に足が付くなんてことは前提とすべき考えだ。
「まず俺からいこうか。とはいえこっちに来たのはつい最近で、こっちの事情は何も知らねぇんだ」
「では不躾ですが、こちらへと来た理由をお伺いしても?」
「大した理由じゃねぇよ。妻子に先立たれたから、独身貴族を満喫中ついでに旅でもしようってな」
本当に大した理由ではなかった。
今の時代、老若男女問わず明日を拝めない人間なんて腐るほどいる。
病気、飢餓、暴力――かつて平和で安寧を極めた世界は、一転して地獄へと変質した。
故に、彼の境遇も本当に大した理由ではない。明日は我が身、同情したところで慰めにさえならない。
「正直二人がこの世に存在しないと理解してからは、潔く俺も後を追おうと考えた。俺にとっての世界は二人で、なら生きていても無意味だと割り切ってな」
「でも、貴方は生きている」
「‥‥そうだな。生きなくてはいけない理由が出来た。俺の世界はまだ失われていなかったんだと知ってからは、せめて二人が生きて成し遂げられなかったことを受け継ぐことが弔いになると思った。それだけよ」
アダムは懐からおもむろに煙草を取り出し、噛み締めるように吸う。
煙草は嗜好品の中では基本的に価値が低い。食料のような生存に必要なものではない上に、品質さえ考慮しない前提ではあるが、作り方と素材の調達さえ出来れば意外と簡単に作れるからである。
当然法律で禁止されてはいるが、そんなものを遵守する者もいなければ、取り締まる基盤もありはしない。
それどころか、生死に関わる案件であろうとも基本的には自己責任。余程の大規模な被害が出ない限りは政府も動くことはないだろう。
大事の前の小事、人も資源も不足している以上、最大限に効果を発揮するタイミングに投資しないと共倒れにしかならない。
それよりも気になった点としては、そんな煙草の外観が手作りとは思えないほど綺麗だった部分にある。
確かに煙草は自作が出来る点から価値は低いとされているが、機械による量産品に関しては別である。
自作出来る程度の煙草の品質など程度が知れる。
世間一般的に機械による量産品と聞けば数を優先した結果からの安価で淡白なイメージが強いが、寸分違わず品質を保証する技術と、その品質に裏打ちされた物資の潤沢さを鑑みれば、そこに至るまでに掛けたコストが途方もないことぐらいは馬鹿でも理解できる筈。
価値が低いとは言ったが、あくまでも一般的にはであって、価値の解釈は人それぞれ。
過去にも壺や絵やらに巨万の価値を見出す好事家みたいな物好きが居たように、こんな時代であってもこだわりを持つ狂人が勝手に付加価値を付ける。
そして、そんな狂人に売りつければわらしべ長者よろしくより高いグレードの物資を得ることも不可能ではない。
アダムが煙草を味わって吸っているのは確かだが、封を切る行動に一切の躊躇がなかった。
堂に入った姿勢から見て吸い慣れているように思えるが、ならば量産煙草の価値は多少なり理解がある筈。
しかし、アダムは躊躇うことなくビニールで封をされていた新品を開封し、その中の一本を口にした。
今や機械で作られた量産の消耗品とて、そのようなものを作ることが難しくなった今では、骨董品としての価値さえ生まれてくる。
人によっては、アダムがした行為は億万の価値のある骨董品にベタベタと手垢を付けるに等しい悪徳でさえある。それが理解できないほど彼は若くもなければ老けてもいない。
酸いも甘いも噛み締めた人生経験豊富な雰囲気を纏う偉丈夫が、その思考に至らないとは考えにくい。
――ならば、彼にとってあの煙草はそうしても問題ない程度には入手が容易なのかもしれない。
それはすなわち、東京への伝手がある可能性への足掛かり。
終焉災害以降、選ばれた者しか訪れることが許されなくなった、唯一無二の生き残った都市。
閉じた楽園と化したそこから、我々はお零れを預かることで糊口を凌いでいる。
誰もが享受していた恩恵は、今や誰もが夢見る理想郷への変遷している。
それは皇凱虎にとっても例外ではない。
だがしかし、それは自ら楽園に入りたいという欲からくるものではなく、運び屋として流通ルートを確保できれば色々と捗るというだけのものに過ぎない。
仮に想定が外れたとしても、そこで終わる。あくまでも仕事が楽になるというだけで、無いなら無いでどうとでもなる程度のものでしかない。
もしもの話、俺が楽園に永住することが出来てしまえば、間違いなく俺は死ぬ。
正確には廃人になる、だ。
生きる原動力が失われれば、たとえ肉体が安寧であろうとも精神が崩壊する。それは、死んでいるのと何ら変わらない。
生きることに労する必要がなくなれば、人は確実に堕落する。
堕落の先に執着する何かを見いだせればともかく、俺にそんな高尚なものは無いし欲しいとも思わない。
全く労働が無いとは言わないにしろ、現状を思えば圧倒的に幸福な環境であることに異論を挟む余地はない。
家族を失い、運び屋なんて無駄に過酷な環境に身を置く必要もなくなるとくれば、最早俺の人生を縛るものはない。
故に、望まない。果たして無意識か理性によるものかは本人でさえも判然としていないが、何にせよ理性を失うほど執着する理由はないため、あくまでも可能性として胸の裡に留めておく。
――ふと、脳裏に一人の女性と少女の姿が過ぎった気がした。
しかし、間髪入れずに差し込まれたアダムの言葉と共にそれは霧散する。
「悪い、湿っぽくなったな。まぁ、昔は落ち込んでたけど今は元気だから気にするな」
別に気にしてなどいなかったが、アダムからはそう見えたのだろう。ならばいちいち訂正する理由もないと、無言で首を振って答える。
それにしても、先の会話は初対面の相手にする話題とは思えない。
幾ら日常的に不幸がありふれているとはいえ、それを冗談めかして語れるほど人心が荒んでいる訳ではない。
誰も彼もが絶望に染まり切っているのではなく、それでもとかつての栄華を取り戻そうと虎視眈々と機を伺っている者達も、運び屋の業務の過程でたくさん見てきた。
希望と絶望が鬩ぎ合っている状況下でそんな発言をしようものならば、それだけで非難轟々の嵐が吹き荒れることも有り得る。
仮に彼が何かしらの悪意を持って絶望を後押しせんとこんな話題を振ったとして、それにしては内容がお粗末だし、何よりも扇動したいのならばこんな荒野に一人だけの相手にするのは効率が悪すぎる。
確かに扇動の主犯として目立ち難いのと、俺が運び屋として各地を移動している事実を知ったうえで広範囲での拡散を狙ったのだとしても、やはり非効率的かつお粗末としか言いようがない。
「それでカイトは仕事って言ってたが、軍人って訳でもなさそうだし、一般人が何の用でこんな場所に来たんだ?」
教える義理はない、が頑なに説明を拒む理由もない。
しかし、感情論としては許容し難い選択でもある。
はっきり言って見ず知らずの相手に身の上話などしたくもないどころか、会話に限らず関係を持つことすら億劫だ。
色々と都合が良いから運び屋なんてものをやっているだけで、他者と関わらない自己完結した生き方が出来るならそれが理想であり、そんなジレンマの中日々を過ごすのはストレスでしかない。
とは言え、下手に誤魔化すと要らぬ猜疑心を植え付けることになりかねないし、合理性を鑑みれば素直に話すのが得策なのは間違いない。
「‥‥運び屋、という奴ですよ。要求された物を探して、その対価を得る。ただそれだけの利害の一致の延長で、特別なことは何も」
「手に職を着けているだけ立派だと思うがね。今の時代、配給や自給自足といった形で食い繋ぐのが当たり前。最低限の周囲への配慮さえあれば生きることぐらいは出来る。逆に言えばそれ以外に関しては度外視で、文字通り生きているだけの奴らばかりが量産されちまっている。お前さんは、きっとそんな奴らの希望たり得ることをしている。卑下することはないさ」
美辞麗句をつらつらと並べるアダムに、よくもまぁ口が回ると冷めた感情で眺める。
他者にとっての希望だのなんだの言われても、そんなの所詮は受け取る方の理屈でしかない。
善悪なんてものは所詮表裏一体で、誰かの幸福は誰かの不幸へと繋がることが常である。
ましてやそれが、過去の遺物と化した限られた資源が関わっているならば尚更。
目に見えないだけで、社会に属する限り人間は生きているだけで他者の不幸を土台にして生きるしかない。
完全自給自足であったとしても、資源そのものが瞬間的にも消費されているからには、それを欲する者にとっては貴重な資源を独占する悪者となる。
常識的に考えれば、そんなものただのクレーマーどころか当たり屋に等しい言い掛かりなのだが、常識が通用するかどうかは常識を語れる程度の相手と状況が揃って初めて成立する。
それは知識という意味だけではなく、常識を語れる程の余裕があり、かつ法律が正しく機能する健全な環境かどうかという点だ。
倉廩満ちて礼節を知るという言葉があるように、常識を語らせたいならば相手側の環境が精神が健全であるかが肝要となる。
加えて、その最低限のラインは個人によって大きく左右される。
ましてや、数年前までは保証されていた安寧な人生が奪われてしまったのだ。一度知った甘い蜜の味が忘れられないならば、常に飢餓感に喘ぎ苦しむことしか出来ない。
飢餓感が理性で抑えられなくなった瞬間、人はどこまでも残酷になれる。足らぬ足らぬと食い散らかす餓鬼となり、悪意を振り撒くことになる。
俺の行いはそれを助長するものであり、言わば他者の不幸を糧にしているに過ぎない。
別にそれが気になるなんてナイーブな考えは持ち合わせてなどいない。顔どころか存在すら知らない相手がのたれ死んでたとして、それが俺のマイナスにならないならば記憶に留まることなどないし、そもそも認識すら出来ないのがほとんどだろう。
ただ事実としてそうであるという自覚があるだけで、だからこそ出会って間もない奴の慰めのような言葉なぞ耳に届かないというだけの話だ。
「そう、ですか」
とは言え、それを当然の理屈と言葉にするような浅慮ではない。
俺の考え方が一般常識とズレているのは分かりきったことだし、だからと言って己を曲げてまで周囲に迎合したいとも思わない。
故に、沈黙を以て事実を証明させないようにする。
上辺を取り繕い、最低限差し障りないコミュニティを形成し、細々と生きる。人生なぞ、そのくらいで丁度良い。別に本心を吐露したい相手もいない。
そもそも共感されたいというのは、周囲の目を気にするが故の防衛本能であり、気にしないのであれば何の障害足りえない。
「……そろそろ移動しないとマズいな。流石にここらで野宿は御免だしな」
以降会話は弾むことなく、悪戯に時間だけが経過していった。
アダムはおもむろに立ち上がると、宣言通り移動支度を始める。
「お前さんはどうするんだ?折角なら一緒に行動したほうが互いに安全だと思うんだが」
「いえ、お構いなく。こちらは野宿も視野に入れて行動しているので、装備は潤沢にあります」
アダムは一考した後、そうかいと残念そうに肩を竦める。
安全などと宣っていたが、初対面の男に背中を預けるという選択肢にまるで危険などないと言わんばかりの、その何の根拠もない軽挙妄動な言い草が逆に癇に障る。
それとも、俺が何かしようとも対応できる自信あっての発言か。何にせよ不愉快ではある。
「じゃあな、またどっか安全な場所で会えたときは何か食いながら駄弁ろうぜ」
背中越しに手を振り、確かな足取りでアダムは立ち去った。
そこから時間を十分に取り、ようやくと言った様子でフェネクスを念話で戻ってくるよう伝える。
『もう、動かないでいるのって疲れるんだよ?まったく無駄に用心深いったら』
「無駄かどうかは俺が決める。それとも、その検証のために負債を背負う覚悟を持てと?」
『そういうことじゃなくて、もっと他人を信用する努力ぐらいしたらどうなのさ』
「信用とは積み重ねだ。一足飛びの信用など容易く崩れる砂上の楼閣でしかない。感情論で語りたいなら、その土台に立つ価値ありと判断できる相応の実利を提供してみろ」
『……バーカバーカ!シスコン!むっつり!』
論破されて幼稚な罵倒を飛ばすしかなくなった燃える鳥を無視し、バックパックの整理とともに更に時間を潰す。
アダムがどれだけ距離を離したかは正確に判断できない以上、バイク移動という目立つ行動を取るのは下策。
徒歩と比べて速度は圧倒的であるならば、多少のタイムロスはいくらでも補填できる。
「それより、あの男は客観的に見て不審な行動を取っていたか?お前の視点からの意見も共有したい」
「……何もなかったよ。だから信用していいって言ったんだよ。それとも僕のことを不審な相手をそうとも知らせずにお近づきにさせようだなんてさせる、そんな薄情な奴とでも思ったの?」
「無いならいい」
『せめて聞かれてることぐらい返しなよ!』
「勝手に質問したのはそっちだろう。それとも俺のことを打てば響く木魚のような無機質で機械的な奴とでも思ったか?」
『少なくとも、嫌味や皮肉で何倍にもなって返すような木魚があってたまるかとは思ったね』
「当たり前だ。そもそも木魚は喋らん」
『前提を!覆すんじゃ!ない!!』
人間の肉体があれば地団駄を踏んでいたであろう、そんな光景を想起させるように上下に乱暴に飛び回るフェネクス。
打てば響く木魚は、むしろコイツにこそ相応しい称号だろう。
そもそも、コイツにそんな無駄なことをする理由がない。
発言こそ幼稚な要素が散見されるが、決して馬鹿ではない。むしろ知能という点では凡百の人間とは比べるべくもないスペックを有している。
人間とは異なる高次の存在ならば当然とも言えるのかもしれないが、生憎とそんな理由で忖度する気はない。
奴なりの理屈で語り、果たしてそれは正しいのかもしれない。
――知ったことか。正論が人を救うというならば、この地獄と化した世界をどうにかしてみせればいい。
俺は俺が信じた理屈と理論に従って生きる。
それをエゴと嗤うならば、その認識を押し付けることもまたエゴでしかない。
その選択の果てが破滅であろうとも、己の選択した結果ならば納得するしかない。
しかし、それが他者の意思に比重が寄った結果の選択だったとすれば、間違いなくあらゆる後悔の念で支配される。
言葉では形容できない程に千々に乱れた感情を抱えて生きるのも、そんな感情を冥土の土産とするのも真っ平御免だ。
それはそれとして、フェネクスの反応は多少愉快であり、その反応を見たくてワザと雑に扱っている自覚はある。
別にフェネクスのことを嫌っている訳ではない。まるで母親のように口喧しくはあるが、本気で踏み込まれたくない領域には決して触れない機微はあるようで、その点において奴と共に過ごすことに不快感はない。
これでも奴との対話では、たまに妥協点を探っても良いと思えるぐらいには心を許している自覚はあり、だからこそ自分の中の線引はしっかりしようと徹底している。
親しき仲にも礼儀あり。どのような立場であろうとも相応の関係性を見極めて行動しなければ、ある日突然関係性の破綻に繋がってしまう。
今のフェネクスとのやり取りも、傍から見れば喧嘩のように見えても実際はじゃれ合いでしかない。それが分かる程度には良い関係を築いている自覚はある。
「また出逢うことがあれば、少しは気に留めておいてやる」
あの男への疑念が晴れた訳ではないが、2度目となれば傾向と対策も取ることは出来る。
過剰に警戒した結果、相手に疑心を持たせるのは避けたい。
積極的に関わるつもりはないが、出逢ってしまったとして脇目も振らず撤退するほどではない。
ならば、この辺りが良い落とし所だろう。
『……まぁ、カイトにしては上等かな』
「言ってろ」
そんな他愛のないやり取りを繰り返しながら、世界が黄昏に染まり切った時間まで待機した。
「そろそろ問題ないだろうが、一応サーチエリアで確認するぞ」
「はいはいっ、と……。うん、それらしい反応はないね」
「ならいい」
するや否や、バイクを隠した場所まで歩き出す。
当然ではあるが、荒らされた形跡もなく五体満足で鎮座しており、念のための確認をした後は直ぐ様跨りエンジンを唸らせる。
化石燃料を使用していない分静音性は高いが、まったくの無音とまではいかない。
あまり目立った行動は控えたい故に出来るだけ音を鳴らさない方向で行くとなると、速度はどうしても落ちてしまう。
街との距離はそこそこあり、徒歩よりは速くても速度を維持するならば帰れるのは夜も更けた頃になるだろう。
必然的にライトを点ける必要も出てくるが、夜はまともな明かりが無いのが当たり前であり、そんな夜目に慣れた状態ならば例え視界に入ろうともこちらの正体が露見するほど目が機能するとも思えないし、そこは大して気にしていない。
それはそれとして、視界が確保できない環境で荒野を疾走するのは、例え魔法のサポートがあるとしても些か無謀が過ぎた。
あまりにもアダムとかいう不審者を警戒するあまりに過剰に時間を取ってしまったことは反省すべき課題だが、今はそれに費やす時間も惜しい。
予想していた通り視界は徐々に闇に支配されていき、安全運転のため自然と速度が落ちていく。
自身の怪我もそうだが、今やこのバイクこそ自分の肉体以上に替えの効かない一点ものであり、幾ら魔法で補修出来るとはいえそんな貴重品を乱暴に扱うのは、真っ当な感性の持ち主ならば自然と精神がブレーキを掛ける所業だ。
――それこそ、そのブレーキを踏み抜くほどの事態に直面でもしない限りは。
『――ッ、カイト!!』
「ああ」
瞬間、荒々しい魔力反応が観測される。
これまで幾度と感じた、イマジナリ反応。
目視においては一切の変化は感じられないが、それはこの反応は脅威が現実に侵食しようとしている前段階であり、それを観測できるのは魔法の力を持つ我々だけだった。
――そう、だったのだ。
『嘘……結界反応!?』
『
虚数空間でイマジナリを討伐すれば、表層化する筈だった魔力は内部で霧散する。これが表に出れば、自然災害として人々を無差別に襲う現象へと変換されてしまう。
故に、その役目は唯一の魔法少女である俺が担っていた。
統計を取った訳ではないので絶対数こそ不明だが、フェネクス曰く「魔法少女の資質は希少であり、資質以上に自分のような魔法少女へと昇華させる存在は72体しか居ない」らしく、残りの精霊の所在こそ不明だが日本以外にも当然存在するため、世界規模で分散しているとなるとそれらが邂逅することは非常に稀である。
その筈なのに、なんだこの奇跡のような偶然は。
『……どうするの?』
フェネクスの問いはつまり、こういうことだろう。
接触するか、しないか。
「接触する」
ならば、躊躇う理由などない。
相手は子供だ。俺のようなイレギュラーが何人も存在するとは思えないし、敵対する理由もない以上、接触するメリットの方が圧倒的に上だ。
そもそも、非接触を選択したとして中に居る魔法少女が敗北した後に侵入し、時間切れになるなど笑い話にもならない。
加えて、俺は決して子供が死地に赴いて見てみぬ振りを当たり前に出来るほどの鬼畜外道ではない。余程の理由が無い限り、手を差し伸べるぐらいの良識は持ち合わせている。
優先順位を履き違えてはならない。別の魔法少女の接触が予定外であろうとも、やること自体は何ら変わらない。
結界反応のある力場周辺まで近づき、バイクを降りると共に魔法少女の――妹の姿へと変身する。
反応のある地域は、依頼主である幸節家族が住む場所と近く、自宅との距離もそこまで離れていないとなれば尚更見過ごすことなど出来ない。
一呼吸置き、飛翔とともに結界へと侵入する。
思えば、外から結界に侵入するなんてことは初めての経験であり、安直に突っ込んだのは下策だった。
結果的にすり抜けるように入ることが出来たが、激突して落下などという無様を晒すことも有り得たのだから。
予想外の連続もあり、冷静であれと努めているつもりが実際はそうでもなかったのだと自らを省み、反省を促す。
気持ちを新たに結界の中心部まで移動し、遂に目標を補足した。
「――――な、に?」
それを見て、言葉を失った。
イマジナリを見てではない。
見間違える筈もない。そこに居た魔法少女の姿が、今日の朝出逢ったばかりの少女。
幸節結花の娘である、幸節蘭が震える身体でイマジナリと対峙している光景を目の当たりにしたからだった。