如何に一般人であろうと、そんな物を眺めて尋常で居るはずがないから。
死んだ時のことは、アレからというもの夢によく見る。夢を人形は見ないと聞いたが、俺は殺し合っていた時からずっとの事だ。
最初に俺はマンションの階段を上がっていく。覚えてる、昏くて時々踏み外しそうになる場所だ。俺は高い所から景色を眺めるのが好きだからそんな所を選んだが、安っぽいから電灯がついたり消えたりする。
屋上にたどり着くと、小さく風が吹き込んでくる。急に携帯を取り出しそうになって、思わずそこに置く。次手に持ったら、俺は電話越しに助けでも求めてしまう確信が有ったから。
柵を超えて、青い空を見ながら小さく頭をよぎるは若山牧水のあの短歌。肯定的な孤独の歌なのだが、俺はいつもそれを羨ましく感じていた。知り合いには「アレは孤独な歌というか、自由な歌だろ」とも言われたが、俺は孤独だと思う。そこで敗北しているのだろう。
空に傾く瞬間に気づくのだ。
「何だ、死ぬほどの事じゃないか」
人が何を言おうと、俺は死を目前にしても現実から逃げようと思えた。じゃあ俺は死ぬほどの事を経験していたのだ、それが我儘であれ、些細な事であれ、俺には生死の境目の一大事だったのだ。
満足しながら落ちていく、身体は重力に逆らえないで真っ逆さまで、そして地面にぶつかる直前。
此処がおかしい。何故か、ソイツがいる。
【死に損なったな、負け組よ】
そう言ってその少女は引き金を引く、よりによって俺の額に向けられた銃の其れを。
その少女というのは、もうお察しのことかもしれないが――――――――
「あなたの部隊が帰ってきましたよ、ウロボロス」
きゅいいい、と自動ドアの滑る音に目を見開いて飛び起きた。
急ぎ調子でドアに目を光らせると其処には顔だけ覗かせた代理人がジロリと金の瞳を光らせていらっしゃる、早めに返事しないといきなりサブアームが出てきて肉ミンチ――――なんて展開があり得る。割とマジで。
「年頃のAIなのですからノックはしてくださりませぬか」
「わたくしはあなたが急いで呼べ、と言うに違いないからなりふり構わず呼んだのだけど。二言はないのね?」
な、何だその含みの有りげな言い方は。そう言われてしまうと急に自信がなくなってくる。
俺は恐らくあからさまにバツの悪そうな顔をしたんだろう、代理人の圧が段々と強くなってくる。くぅ、何というか言い切られたらもしかしてそういう内容なんじゃないかと感じる。
――降参。素直についていくとしよう。
「あなたがそう言うなら」
「そうですか。文句は後にどうぞ」
まあそうだな、後でも文句は言える。
「それで、話とは何でしょうか」
銃の組み直しは慣れないが、居ないよりはマシだ。部隊は何ともボロボロで四肢欠損も珍しくはなかったからな、手伝いながら代理人に尋ねた。
話がある、と道中で聞かされたから戦々恐々とスクラップ送りなど想起していたものだが、蓋を開けてみれば部隊に会わされただけ。今は俺の個人的な同情で整備を手伝っているが、何故代理人までやっているのだろう。
後ろに振り向くと、代理人が見もせずにとんでもないことを言い始める。
「仕事よ。実戦に出なさい」
「は? いきなり? 冗談でしょう」
普通に固まってしまう。代理人はまるで晩食のおかずでも前置くみたいなテンションで続ける。
「データを撒いてグリフィンのハイエンドモデルを釣り上げます。纏めて鏖殺なさい」
「おやおやぁ~? 代理人殿はた!だ!の!鉄屑に過度な期待をなさっているようで~――――イタッ!? 鼻を捻らないで!? 痛い、痛い!?」
もげる、この完璧なパーツ配置が永久に失われてしまう!?
「いえ分かっていますよ、貴方のそのお喋りな口に罪があるだけなのですよね? 頭ごと取り替えて差し上げます、心配は不要ですよ代わりは幾らでも居るので」
「いや!? イデ!? あの申し訳ございません!?」
やっと勘弁してもらった。クソ、腰も入ってない右手の何処からこんなえげつない怪力が出ていると言うんだ。
クスクスと聞こえてくる周りの笑い声に思わず舌打ちしそうになる。コイツラ、一応部下なんだが俺を基本舐め腐ってる。一体どんな教育受けてんだ。
「おい、あまり笑うと蜂の巣にするぞ」
「部下を粗末に扱うなんて三流以下ね、鉄屑はリサイクルできるだけ貴方よりマシよ」
「今部下にパワハラ(物理)を働いていた御方の有り難いお言葉痛みいアダァ!? ごめんなさい!? ごめんなさい!?」
パワハラ反対! 俺は断固ホワイトな職場を要求する!
漸く離してもらった鼻を擦る――――折れたな。労基に訴えてやるんだからな。
「しかし代理人殿…………いきなり実戦とはどういう風の吹き回しですかな? わたしも使い潰されるならそれなりの策を持って赴きたいのですが」
代理人の仏頂面は何も返事をしない。瞳には思考らしきものはいつも感じられるが、それがどういうものなのかを追うには至らない。この人はいつも苛烈で、そして人間への殺意以外の全てが不明瞭な人なのだ。
少し痛々しいばかりの重苦しい沈黙の後、何だか呆れたように目が細められる。
「捨て駒には高すぎるわ。単純に手早く実戦経験を積ませたいだけよ、余計なことは考えないで頂戴」
「それだけですか」
「そうよ」
「それなら良いんですよ、それなら」
かつて彼女は、組んでいたAIに『君はこの長い夜を生きるには真っ当過ぎる』と言われたことが有る。
言うに戦場とは狂気が渦巻く事こそ日常で、真っ直ぐであるばかりの精神を備えた者には毒そのものの空間であるのだと――――地獄を渡り歩いた死人の顔付きであの女は語った。今はもう、彼女の中で死に絶えたつまらないAIの戯言である。
しかし成る程、狂気。狂気渦巻くというのは、確かに事実と言えるかもしれなかった。
「さて――――――袋の鼠だな。呆気ないものよな」
彼女は口角を吊り上げる。吐いた吐息が銀景色に溶けると、彼女に続く鉄血兵の足音を掻き消して、油臭い兵器の駆動音が鳴り響く。四足歩行の戦車系統、マンティコアである。
白く細いウロボロスの足が雪に沈むと、それを警笛代わりに軍勢が一歩と遅れて歩く。その整った姿は舞台と言うには、もう一個の軍と呼ぶ方が相応しい。百鬼夜行に似た畏れは、もう寒気すら帯びている。
白い世界に彼女達だけが漆黒に染まず歩く。廃墟と化した基地を目指すその行進は、ただ上官の命令の遂行の為。一朝一夕で組織されたと言うには重苦しい空気が雪を掻き分けていく。
「全く…………実戦経験? わたしはお遣いに来たようなものじゃないか」
静まり返った廃墟を鼻で笑う。
しかし、ウロボロスはこの作戦に覚えが有った。前世というにはあまりに虚ろなあの記憶、辿るにはゲーム上で「第零戦役」と呼称された前日譚によく似ている。
――が、知らんな。
一蹴する。何が起こるかを知っていた所で何が「居るのか」を理解は出来ないと彼女は知っている。数千を超えるAI殺しは、彼女に「伝え聞くこと」の何と無意味であるかを身体に生傷すら作って叩き込んでいた。
同様に、自分が居るというイレギュラーも彼女にとって何ら意義がないことだ。
「しかし、奴らも阿呆極まれりというものです。何故見え透いた罠に引っかかるのでしょう」
横を歩いていたイェーガーの溜息すら漏れそうな一言、彼女はクスッと指で口元を隠す。
「秘密は甘いものだからさ。それが無防備であるほどに、それが謎めいているほどに、たかる羽虫は節操を失う」
――何より、俺達人間はどいつもこいつも頭が悪くてな。
零れ出そうな本音を噛み殺す。
「だからこそ、恐ろしい死というものを刻み込んでやる必要がある。愚かな好奇が今までどれ程の人類を不幸にし、我らに呪いとなり、そして何より意味がないことであったかを忘れないようにな」
つまり。
「分かるな? 加減は不要だ、あの下らぬ廃墟を潰すつもりで打ち込む事だ――――――――」
だが、と彼女が手で制すると、徐にヘッドセットをつける。大した所作ではないはずだが、彼女が軍勢を止めて始めるとなると少しばかり大仰だ。
プツリ、という音と共にまたニヤリと口が吊り上がる。
「――――――始めまして、グリフィンの鉄屑諸君? いいや、AR小隊」
「わたしはウロボロス、鉄血の上級AIだ」
AR小隊の居る司令室のモニターに繋がっているらしい。
とどめ。ウロボロスは大きく手を上げた。
「簡潔に言おう。今からおぬし達を壊滅させ、データを頂戴させてもらおう――――――――足掻く事だ」
「足掻かぬものに希望はない、気に食わぬのなら運命すら踏破しろ」
煤けた廊下を歩く。聞こえるのは遠い銃声と、大砲のような轟音の不協和音。広がっていた火の手も何故か避けるように道が出来ていて、彼女は気にも止めること無く悠々と闊歩する。
その様はまるで火が彼女を畏れているようでもあり、もしくは火が彼女を忌むようにも映る。
――懐かしい感覚だ。
彼女が踏み締める歪なブーツは弾んでいた。
かつて彼女が踏破したという生存競争においては、恐らく処理を怠ったのだろう。血は何日経とうと消えず、広がる火の手は衰えを知らず、日を増す毎に言葉通りの地獄の様相を見せた。
血生臭く、硝煙で目が霞み、誰も彼もが血塗れで平然と殺し合う。その光景こそ彼女の今生における原風景。
「気持ち悪い。代役なんぞ受けなければ良かった」
反面顔は歪む。少しばかり、彼女は妙な期待があった。
彼女は人生のドラマ性を肯定しない。人生とは己が足を踏み出さねばつまらないものになるはずであるし、向こうから幸不幸ばかりが一方的に贈られるものでもないと考えているからだ。
ならば、今回は少しばかり妙だ。彼女は思い出す限り、この「ウロボロス」という素体のストーリーを汲んでみても、少しばかりドラマ性に過ぎる道を歩いてきた。
その意味が何なのか、それについて深く考える気はない。しかし彼女は以前からずっと、主人公というものを一方的に肯定できない性格だった。
それは殺戮者の別名であり、死の代名詞であり、「悪を滅ぼす」当然の定理の具現化それそのもの。
――即ち、
要する所、彼女は主人公に殺されるためにバックボーンを背負わされただけの舞台装置なのでは。そう思い耽る日が有った。
自分は神様の用意した、都合のいい踏み台なのではないか。もしくは掌で踊らされているだけではないか。
だとするならば。
「彼女達は、オレを殺してくれるのか?」
正確には、彼の見たように美しく。生命の散り際というものを飾ってくれる側なのだろうか。
彼は簡潔に言うと死にたかった。それはあの血塗れの月夜に見た、数多くの死に様のせい。何度見ても、彼は何かの集大成というのは美しいという結論ばかりが強くなっていた。
美しく死にたい。美しく殺してくれる者に殺されたい。
眩いほどに歪な願望。それが二度目の人生という空想じみたレッテルのせいかは知らないが、彼は死に取り憑かれていた。
「――――――嗚呼。もう終わりか」
夢遊病のような惚け気味の思考が終わる前に、目的の扉には辿り着いてしまっていた。
オレはな、人生にドラマが有るなんて言葉は信じていない。逆転劇はなく、小説は事実より奇であるし、偉業を成すものもそれ相応の何かを当然行っただけに過ぎない。
だから気色悪い。何というか、レールが出来すぎだ。
神様というやつが偽り無く居るとするなら、きっとオレの人生はソイツの遊び半分で仕組まれたものに違いないからだ。
善悪賢愚の問題ではなく、オレは誰の道筋も他物に脅かされるべきだとは思わないものでな。