アテンダント   作:雄良 景

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 月は、彼らにとって特別なものだった。
 その名を頂くことの、なんと恐れ多いことか。





2話

 

 

 

 ―――――ブルマは今までの人生で、これほど命の危機を感じたことはないだろうと思った。

 

 

 組み敷かれた体。背中に当たる地面がごつごつとしていて痛い。

 首筋に冷たさを感じる―――――刃物だろうか。そこから血の気がどんどん引いていくように体が冷える。

 目の前には、自分を組み敷いている男がいる。男が女を組み敷いている構図だというのに、そこにいやらしさは感じられない。あるのはただ、底冷えするような殺気―――――

 

 

「女……きさま、己が何をしたか、分らぬなどと……ほざくわけではあるまいな……」

 

 

 しわがれた声が恐怖心をあおる。

 

 

 

 

 ―――――なぜこんなことになったのか。

 事の始まりは、ブルマの運転する車が悟空を轢いてしまったことだ。悟空は怪我一つないが、見たこともない『車』という機械を『怪物』とし、目的を自分の持っている魚の横取りだと判断した。

 

 

「これはミツキがとってくれたオラたちのメシだぞっ!!」

 

 

 ゆえに反撃に転じる。車を持ち上げ―――――放った! 悟空からしてみればこれは当然のこと。しかし、ブルマからしてみれば納得がいかない。

 

 確かに人を轢いた自分に罪はあるだろう。しかし、急に怪物呼ばわりされ投げ飛ばされたとあれば―――――どう考えたって向こうが悪いに決まっている!!

 

 破天荒とはいえお嬢様育ちのブルマは、ここまで乱雑な対応をされたことがない。初体験のフラストレーションは我慢するまでもなく爆発した。

 

 

 ―――――だいたい、車に轢かれて怪我一つもないどころか身一つで車を投げ飛ばすなんて、どっちが怪物だってのよ!!

 

 

 感情はそのまま護身用のハンドガンに指をかけさせ―――――発砲。

 

 

 ―――――甲高く響いたその銃声は、数km離れたところにいた『殺意』を呼び出すこととなる。

 

 

 もちろん悟空の体には銃弾は効かない。現状ブルマの最有力攻撃手段であった銃撃でも死なない悟空に、自分の不利を悟ったブルマは必死に弁明を試みることにした。とりあえず、妖怪と呼ばれたので自分が人間であるということを。

疑り深い目はなかなか信じてはくれなかったが、自分が女であると言えばコロリと態度を軟化さる。祖父に女には優しくしろと言われたのだと身を引く悟空に、ブルマは事がうまく転んだことを悟ったのだ。

順風満帆じゃない、と自分の機転の良さに上機嫌になったブルマは、薄く笑みを浮かべる。

 

 

 ―――――しかしここで、『殺意』が運命に追いついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如反転した視界。打ち付けた頭の痛みを叫ぼうとして―――――気づく。

 

 頭の上で拘束された両手。体には誰かが馬乗りになっていた。そして、目の前には男の顔―――――

 

 

「んなぁっ!?」

「黙れ」

 

 

 思わず出た声は鋭く切り捨てられた。そのしわがれた声に思わずゾッとして、黙る。

 

 ブルマはとりあえず必死に現状を理解しようとした。―――――組み敷いてきた男は、不思議な格好をしていた。顔は口元を隠しておりよく見えないが、その目元は涼やかで、長いまつげが見て取れる。かなりの美形だろう。顔にかかる前髪は黒く艶があり、しかし垂れてくる顔サイドの髪や一本に結ってあるは紫で、こんな山奥に随分センスのいい男がいると、現状を忘れて思わず呆けた。

 

 

 ―――――そして冒頭の会話である。

 

 

 何だろう、何をしたんだろう。自分の命の危険に、ブルマは必死にその天才的な頭脳を回転させた。

 

 この男と会うのは初めてのはずだ。では逆恨みだろうか。もしくは間接的に何かしてしまったんだろうか。

 

 

 

 そういえば。あの子供を轢いたときに、「『ミツキ』がとってくれた」だのと言っていなかっただろうか。

 

 

 

 ―――――思考のピースが埋まっていく。

 

 つまり、あの子供は『ミツキ』という動物か人間と同居・共存していると捉えられるはずだ。そして、おそらくきっとこの男が『ミツキ』だろう。

 そこまで当てはめて、なら『何をしたか』とは何か。―――――私はあの子に、発砲している。

 

 

 最悪だ、と声もなく呟く。つまりこの男は、聞こえてきた銃声で自分が悟空に発砲したということを認識している。身内が銃で撃たれたとなれば怒りも湧こう!

 

 だって、結局銃は効いてないじゃないのよ!! ブルマはそれが理不尽と分かっていても怒鳴りたくなった。しかしそれをしないのは、単純に目の前のミツキが怖いからだ。

 

 

 ―――――どうしようどうしようどうしよう! 私こんなところで殺されちゃうのーーーっ!?

 

 

 もはや絶望しかない。

 

 

「おいミツキ、やめろよっ!」

 

 

 ―――――しかし、ブルマと言う少女は恐ろしいほどのラッキーガールである。その幸運は後の未来でたびたび発揮されるのだが、今この瞬間にも遺憾なく発揮されることとなる。

 

 

「悟空さま、しかし」

「やめろって、そいつ女だぞ! じいちゃんに女には優しくしろって言われたじょねぇか」

 

 

 ブルマを殺さんとばかりに睨み付けていたミツキを止めたのは、悟空だった。

 

 ―――――例えば、ミツキが悟空のもとに駆け付けたのが、悟空がブルマを『人間の女』だと認識する前だったとしよう。きっと悟空はミツキを止めなかった。……『怪物』を操っていた『妖怪』をミツキが仕留めたのだと、気にもしなかったかもしれない。

 

 けれど、悟空はブルマが『人間の女』であると知っている。そして、悟空にとって孫 悟飯の教えは『守るべきもの』である。

 ゆえに、ミツキの行動を咎め、制止する。

 

 それは間違いなく、ブルマが生き残るにあたって現状の最善手だった。

 

 

 ミツキは悟空の言い様に、躊躇いを見せた。初っ端から『女』と呼んでいることから分かるように、ミツキは別にブルマを『妖怪』などと思ってはいない。『人間の女』が自分の至上に害をなした判断したからこその行動だったのだが―――――悟空は完全に誤解している。

 

 そしてブルマは悟空と違いそのミツキの躊躇いに気付いた。伴う感情はわからないが、この二人のヒエラルキーを瞬時に理解のである。そういう抜け目ないところがブルマをラッキーガールたらしめる所以でもあった。

 

 

「ご、ごめんなさいっ! わたしびっくりしちゃって……も、もうしないから許して~っ!」

 

 

 できる限り悲壮感のある声を出す。悟空のミツキに対する目つきが少し鋭くなった。

 悟空は別に、ミツキを非難しているわけではない。ただ、祖父の言いつけを破ろうとしている(ように見える)ミツキを咎めているつもりなのだ。

 ミツキもそれはよく分かっている。

 孫 悟飯の言いつけか、悟空の安全か―――――

 

 数秒の間があく。―――――結局、折れるのはミツキだ。

 

 

「女」

「ひゃいっ」

「目的を聞こう。―――――次は、ない」

 

 

 ―――――ブルマは思わず渾身のガッツポーズを決めた。ミツキに睨まれたためすぐに解いたが。

 とりあえず命の保証がされたブルマは、喜びのまま悟空に飛びついてキスでもしてやろうと思ったが、ブルマと悟空の間にはしっかりミツキが体を潜り込ませているので不発に終わる。

 ミツキの視線、その態度にはいまだ警戒は解かれていないことが、あからさまに主張されており、ブルマの興奮は一気に冷めた。

 

 

「あーっああああの、わたし、ドッドラゴンボールを探してて!」

「ドラゴンボール…?」

「こ、こーゆーの! 知らない!?」

「! あっ、じいちゃん! じいちゃんだ、なんでおめぇじいちゃん持ってんだ!?」

 

 

 ブルマがあせあせと取り出したオレンジのボールふたつ―――――それを見た瞬間、悟空が飛びついた。

 

 それは祖父の形見と瓜二つだった。一瞬、悟空はブルマが形見を盗んだのかと思い―――――けれど、ふたつあるそれに首を傾げた。

 よく分からない。だから、ミツキを仰ぎ見る。悟空にとってミツキは自分よりうんと頭がよくて物知りな男だ。悟空の知らないことはだいたいミツキが知っている、ということを悟空は知っている。

 

 その視線を受けながら、ミツキも思考する。ミツキから見てもブルマの手にあるものが、住処においてある形見に瓜二つにみえたからだ。

 

 

 ―――――女はあれを『ドラゴンボール』と呼んだ。つまり、悟飯氏の形見もまたそれに連なるもの、ということだろう。複数作のか連作の宝玉の類だったのか? しかし……

 

 

 ミツキはもう一度ブルマをまじまじと見た。悟空の急な「それはじいちゃん」発言に困惑していたブルマは、ミツキの視線を受けて思わず顔を赤らめる。

 殺されかけたが、ブルマから見てミツキは十分いい男なのだ。そんな男からまじまじと見つめられれば『もしかして私に気があるのかしら』となる。普通はならないが、ブルマはなる。

ミツキのすらっとした長身に、涼やかな目元や艶のある長髪は大変魅力的だ。しいて減点するなら声だろうか。せっかくの美形があんなしわがれた声というのは何とももったいない。あの声で愛をささやかれてもときめけないだろう。

やはり天は二物を与えないというのだろうか。それに比べて自分は顔も声もスタイルも頭も性格も満点で、まったく罪な女だわ、とブルマは最終的に自己陶酔に入った。自分を殺しかけた男に対する判定としては何とも図太いものである。

 

―――――脅威にはなり得まい。

ミツキは目の前でくねくねし始めたブルマを見、静かに思う。万が一抵抗されようと、悟空にばれないように始末するのはたやすい。そう判断した。

 

 

「―――――いかにも、貴殿の手にある、その宝玉と、同じものを……形見とし、所有している」

「…っは! え、ええ! それを譲ってほしいの!」

「いいっ! ダメダメ、ダメだよ! じいちゃんの形見だぞ、いくら女でもダメだ!」

「悟空さま、しばしお待ちを………そも、ドラゴンボールとは、なんでしょう」

「え? えっと、」

 

 

 悟空の急な猛反発にムッとしたブルマだが、ミツキの問いを優先することにした。両手にドラゴンボールを掲げ、ひとつひとつ説明する。

 

 始まりは自分の家の倉にあったドラゴンボール。誰に聞いても正体がわからない。―――――そこでただのガラス玉だと思わないところがブルマの抜け目ないところである。

 ブルマはあっちこっちの文献をひっくり返し、とうとうその正体にたどり着いたのだ。

 

 

「ボールは全部で7つあって、入ってる星の数で呼び方が違うの。家にあったのは二星球。星ふたつのやつよ。で、こっちの星が5つの五星球が10日くらい前に北の谷で見つけたやつ」

「じいちゃんの形見は星が4つあったぞ」

「そうなの? じゃあ四星球ね」

 

 

 ブルマは話を続ける。

 

 

「ドラゴンボールの神髄はこっからよ。なんと、7つ全てを集め呪文を唱えると竜の神『神龍』が現れて、どんな願いもひとつだけ叶えてくれるの!」

「ほぇーっ!」

 

 

 ブルマの興奮した声に感化されたように悟空も感嘆の声を上げる。『今はバラバラになって世界中に散らばっちゃってるらしいのよね~』と続けたブルマに、ミツキは静かに口を開く。

 

 

「いきさつは、理解しました。しかし……なぜひとつが、ここにあると…分かったので?」

「あっ! それはね、んっと、ジャジャーーッン!!」

 

 

 ―――――その声はあまりに静かだった。まるですべての感情をそぎ落としたかのような声だった。

 悟空は感じた違和感に、少し首をかしげミツキを見る。しかし、ミツキは応えなかった。

 ミツキの違和感など何も気づいていないブルマは、興奮そのままに丸い機械を取り出す。

 

……最早先ほど殺されかけたことなど忘れたらしい。あまりの図太さにミツキは内心引く。

 

 そんなミツキに気付かず、ブルマは高揚した顔で機械を見せびらかし、胸を張った。

 

 

「調べてるうちにドラゴンボールからは微弱な電波が出てるって気づいたのよね! それをもとに、その電波をだけを拾い上げるレーダーを作ったの! ドラゴンレーダーよ!」

 

 

 掲げられたそれに、ミツキは少し目を見開く。ミツキは機械に詳しいわけではない。しかし、目の前の女が言った技術は非常に高度な技術なのではないか、と驚く。

 なるほど、才あるゆえの傲慢か、などとだいぶ失礼な感想を抱くが、もちろんおくびにも出さない。

 

 

「して、貴殿。その神に、何を願うという」

 

 

 ミツキから見てブルマは確かに卓越した才能を持っているが、本人の戦闘力は下の下の下だ。ひとひねりで殺せる小娘。しかし、この女がドラゴンボールによこしまな願いを託し、それが叶えられたとしたら。それが、悟空に害をなすのなら―――――

 

 

「決まってるじゃない! 『ステキな恋人』! これに限るわっ」

 

 

 ―――――ミツキは『この女は脅威にはなり得ん』と理解した。

 食べきれないイチゴも捨てがたいけど、などとぼやくブルマを放置し、ミツキは片膝をついて悟空と視線を合わせる。

 女の願いはどうでもいいが、形見の所有権は悟空のものだ。なら、判断は悟空がすべきであるのだから。

 

 

「悟空さま。ご判断を……」

「ええ~…でもよう、いくら女でも、じいちゃんの形見はやりたくねえな」

 

「じゃあ貸して! 終わったら返す、それでいいでしょ? てゆーか、アンタも一緒に来たら? こんな山奥なんて何にもないじゃない。一緒にドラゴンボール探しに行きましょ! アンタ強いみたいだし、ボディーガードになってよ!」

 

 

 ―――――思わず、ミツキは体を固くする。『悟空がここを出ていく』……それは、ミツキの懸念していたことだった。口に出さない不安が渦巻く。もし、もし、もし………

 

 

「オラも一緒に?」

「そう! ね、貴方もどうかしら、えーっと、ミツキさん?」

 

「………悟空さま、ご判断を」

 

 

 ―――――しかし、これは運命なのではないだろうか。

 きっと、いずれはこうなるのではなかったのだろうか。

 

 なにより、世界に出れば悟空は様々な経験を積むことができる。そして、それは悟空を必ず成長させるだろう。

 ドラゴンボールとやらが本物であろうとまがい物であろうと、『世界を見た』という経験が期待できるのなら、それは非常に魅力的な選択肢だ。

 ならば、これは望ましいことではないだろうか。

 ……けれど、それでも。

 

 ―――――ミツキは恐ろしいのだ。悟空は、生まれも育ちも性質も能力も、おおよそ一般的とは言い難い。一般人と比べれば異常と言ってもいい。

 それは悟空の尻から生える尻尾ひとつとっても、大衆のもとでは浮いてしまうだろう。

 

 人は自分と違うものを排除したがる。多数決で勝ったものが強いのだ。―――――もし、心無い者の言葉や態度が悟空を攻撃したら……

 

 ミツキは、ずっとそれが怖かった。

 

 攻撃をされること自体が恐ろしいのではない。その攻撃を受けた悟空のリアクションが恐ろしかったのだ。

 多くの人から後ろ指を指され『お前は異物だ』とのけ者にされれば、悟空がどう思うのか。

 傷つくことなく流すかもしれない。そういう意味では自分本位な人間性だから。

 けれど、彼は自分が無知である自覚がある。ゆえに人々にそう言われれば、『自分は異物である』と思い込んでしまわないだろうか。結果として、周囲から一歩引いてしまわないだろうか。

 

 悟空は確かに異質な子供だ。―――――しかし、ミツキは只の子供として育ってほしかった。

 好きなことを好きなだけやってほしいという思いがある。のびのび育てば十分だ。ゆえに、そうやって悟空が自ら身を引いてしまうようなことになりえないか………それは、ミツキが悩み続けた根本だった。

 

 数刻前に見ないふりをしたはずの選択肢が、今度は確実な選択を迫ってくる。

 

 ミツキは決めることができなかった。ゆえに、悟空にすべての選択を託す。―――――それを卑怯だと分かっていながらも。

 

 ―――――悟空は目の前のミツキをじっと見た。なんだか様子が変だなぁ、と思った。しかし悟空ではなんで変なのかまでは分からない。

分からないから、とりあえず考えることを止めた。そしてブルマの言っていたことを少し考えてみる。ボディーガードというのは何なのか。世界中を旅すると、強い奴がいっぱいいるのだろうか。じいちゃんもたくさん修行しろって言ってたし、いろんな奴と戦えればもっと強くなれるだろうか。

 けれど、じいちゃんの墓がある山から出るのは―――――

 

 

「―――――ま、いっか」

 

 

 要するに、帰ってくればいいのだ。じいちゃんがいるこの山に。旅をして、強くなって、じいちゃんに報告する。―――――それはすごく良いことのように思えた。

 

 

「ミツキも一緒なら、オラは行ってもいいぞ」

「ほんと? ねねね、じゃあミツキさんは?」

 

「―――――悟空さまが、そうおっしゃるのでしたら」

 

 

 ああ、やはり。―――――ミツキは小さく息を吐いた。

 やはり、この時が来たのかと。

 

 

 

 ―――――これより、運命が始まる。

 

 

 






 しかし彼らは笑っておっしゃる。
 お前によく似合う。そう笑っておっしゃる。

 しからば私は、決してこの名を裏切りません。
 決してこの名を穢しません。


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