本当は、気づいていた。
けれど、知らぬふりをしていたかった。
「(ぜぇえっっっっったい、無理だろォーーー!!!)」
ウーロンは変化で生えた蝙蝠の羽をはためかせ、必死にスピードを上げる。少し先では黄金の光を背負った雄々しい竜が天からこちらを見下ろしていた。
悟空があけた小さな穴から変化で飛び出したウーロンとプーアルは、ピラフ一味が願いを叶えることを何とか阻止するためにも必死に飛んでいる。しかしすでに神龍は呼び出され、願いを言われるまで秒読みといったこの現状―――――詰みでしかない。
唯一の救いが目の前の神龍に圧倒されピラフがなかなか願いを言えていないことだが、それも誤差の範疇だろう。現状は絶望的。このままでは世界はあの青いチビのものになってしまう……。
ウーロンは正義の味方ではない。むしろ小悪党な面を持つ筋斗雲に乗れないタイプの豚だ。けれど、さすがのウーロンとて、ピラフのような間の抜けたチンピラに世界がいいようにされるのは癪に障るのだ。
「くそくそーーーっ!」
「間に合えーーーっ!」
ウーロンが叫ぶ。プーアルも叫ぶ。必死にスピードを上げ、追い付かんとする。
しかしふと、ウーロンは気づいた。追い付いたとして、どうすれば願いを叶えるのを阻止できるのか。
気づいてしまったウーロンは愕然とした。悪党三人を相手に勝てるわけがないからだ。銃やナイフなどの武器を持っているかもしれない。恐ろしい化け物に変身できても、実際の戦闘力まで変えることのできないウーロンではどうしようもない。
例えば捨て身でピラフを止めたとして、周りにいる二人が願いを言ってしまえばどうしようもない。相手は三人。対してこちらは変化だけが取り柄の豚と猫。絶望的だ。
―――――どーすんだよどーすんだよどーすんだよォ!! 願いを言われちまったら、あんな奴の言いなりにならなきゃいけないのかよ!? それより、世界の王様になったあいつらに反逆者として殺されちまうかもしれない!! チクショ~こんな旅ついてくるんじゃなかったぜ、最悪だ!! 何とか、何とか願いを言われるのを阻止しなくっちゃ……!!
願いを、
願いを、
願いを……!!
「ん…?」
奇跡が起こった。ウーロンの小さな脳ミソで、超新星爆発のような『ひらめき』が起こったのだ。
神龍はどんな願いも『ひとつ』だけ叶えてくれる龍だ。そして、いま必要なのは『ピラフの願いを叶えさせないこと』―――――なら、ピラフより先に別の願いを叶えてもらえば、それは為せるのではないか?
戦闘力ではなく、スピードの勝負なら…!!
「そうだ、そうだ! っこれなら…!」
神龍は目前。ピラフはまだ願いを言っていない。最後の賭けだ。これで神龍が呼び出した人間の願いしか聞いてくれないのならどうしようもないが、まだ希望はある。―――――逆に、これしか希望はない。
願いを言えばいい!―――――何を?
「(えーっとえーっと、ブルマの奴は『ステキな恋人』とか頭の沸いたこと言ってたよな。冗談じゃない! こんな頑張ってんのにそんなことで願いを使えるかっての! 俺の願い、俺の願いは~~~『好きにできるピチピチギャル』! いや、『ギャルのパンティー』でも……!)」
―――――なあ、ウーロン
ふいに、旅の途中での悟空との会話を思い出す。下卑た思考が停止し、脳があの時の記憶を思い返す。そう、あれは、神龍が『どんな願いもかなえてくれる』ということについて話していた時だったはずだ。
―――どんな願いもかなえてくれんならさ、『ミツキの喉を治してくれ』って言ったら治してくれんのかな
―――喉? そういやあいつ、しわくちゃの爺さんみたいな声だよな
―――なんかさぁ、喉がやけどしてんだって。ミツキはオラが気付いてんの知らねぇだろうけどさ、たぶん、ちょっと喋っただけでも喉がすっげぇ痛ェんだ。
そういう悟空は、ちょっと寂しそうだった。少なくとも、ウーロンにはそう見えた。
―――ふーん。それにしてはあいつ、結構喋るよな。
―――ん……ちゃんといっぱい『会話』しないと、自分の気持ちを伝えられないヤツになっちまうからって、オラんために、いろんなこと教えてくれんだ
―――へえ、仲いいんだなお前ら
―――そりゃ、オラとミツキは『カゾク』だかんな!
泣いた烏がもう笑ったと言わんばかり。満面の笑みで嬉しそうにウーロンに語る悟空の姿。その、自分はまぎれもなく『幸せだ』と胸を張って伝える様が、あまりにも強くウーロンの脳裏に焼き付いた。
―――――だから言えなかったのだ。
―――なあ、ミツキと悟空は一緒に暮らしてたんだろ? じゃあミツキは悟空の兄貴なのか? なんか家族にしては、悟空に丁寧すぎるよなぁ、お前。
―――否、恐れ多い……私は、ただの影が故。…私のようなものが、家人に名を、連ねるなど……
一歩引いた場所で目を伏せるミツキのことを、言えなかった。
極限の状態では、意識が研ぎ澄まされることによってすべてがスローモーションに見えることがあるという。そんな世界で、ウーロンは走馬燈を見た。満面の笑みの悟空と、静かに目を伏せるミツキ。二人の姿が何度も何度も、頭の中でグルグルと回る。
「(俺の願いは…!)―――――『す』、!!」
ウーロンが変化を解く。プーアルが驚いた顔でウーロンを見た。
「(俺の、願いは…!!)―――――『ギャ』っ…!!」
長時間の変化で消耗した体力のことなど関係ないとばかりに、疲労でもつれる足を叱咤し、全速力で駆ける。
「(俺のォっ、願いはァっ!!)―――――『ミ』!!!!!!」
そして―――――跳躍。
「私を世界のプギャァ!!」
「 ――――― 『 ミ ツキ゛ の 喉を 』 ォ゛ オオッ ッ ! !! 」
より近くに。
よりそばに。
声が届くように、願いを叶えてもらえるように。
豚足の跳躍力などたかが知れている。しかし、だからどうした。
火事場の馬鹿力。飛べない豚はただの豚―――――この瞬間、ウーロンは神話になった。
跳躍の先、願いを唱えかけたピラフを踏み潰すことで妨害し、そのままピラフの頭を踏み台にもう一度―――――跳ぶ!!
「――――― 『 治゛っ 、 し て、 っく れ゛』、 ェ エ゛エ ッ ッ!!!! 」
―――――ウーロンの声が響く。獣の咆哮を思わせるほどの声量だった。
あらん限りの声で吠えたそれは、ウーロンの頭の中にあった彼の願いではない。それはある意味、無価値な願いだった。―――――なぜならこの願いが叶ったところで、ウーロンに恩恵があると言われれば、否であるのだから。せいぜい連中に恩を売れる程度だろう。
それは、短い間共に過ごした友人の願いだった。おとぎ話のような冒険を共に潜り抜けた仲間の願いだった。
ウーロンは小悪党である。
幼稚園では先生のパンツを盗んで追い出された。
変化を悪用し、無辜の民から金銭や若い娘を巻き上げた。
ピンチになったら悟空たちを置いて逃走するし、セクハラするし、ヤムチャに襲われた際には長い物には巻かれろとばかりに裏切ろうとした。
ウーロンは小悪党である。
―――――悪党にはなれない豚である。
先生のパンツは盗んでも、結局狙ったのはパンツだけだった。
金銭を巻き上げても、人々の生活が困窮しない程度しか奪わない。たくさんの金が欲しければ、奪う相手を増やした。連れ帰った娘たちだって、ウーロンの正体を知って横暴な態度をとっても逆上して傷つけられることはなかった。それどころか、望むままにずいぶんと裕福な暮らしをさせてやっていた。
逃げても結局気まずそうに戻ってくるし、セクハラはしても女の子のトラウマになるようなことはしないし、ヤムチャが再襲してきたときは、睡眠薬で爆睡する悟空とブルマを捨てて逃げるのではなく、ミツキが不在の中銃を持って不寝番をした。
ヘタレといえばそこまでかもしれない。それでもけしからん奴だというのならその通りだ。
ウーロンは小悪党である。
―――――だからウーロンは、悪党にはなれない豚である。
少なくとも、
少なくとも、
ウーロンはあの時の悟空の笑顔が、願いが、尊いものだと知っていた。
少なくとも、
少なくとも、
ウーロンはあの時のミツキの言葉が、表情が、寂しいものだと感じていた。
―――――ウーロンは自分がかわいい。自分の命が大事だ。正義の味方にはなれないような、小悪党である。
けれど、
少なくとも、
少なくとも、
友の願いが叶えばいいな、と思った。
そうして、友が喜ぶのはいいな、と思った。
あのひんやりとした顔の男が、もしかしたら喜ぶのかな、と思った。
そうしたら、そうしたら―――――
少なくともこの時、ウーロンは自分の命のことは全く頭になかった。損得勘定なんて欠片も考えていなかった。ただ必至で、ただ、我が身を焼き焦がすような激情があった。
「(俺、チャーシューになっちまうかもな…)」
頭の片隅で馬鹿なことを思う。呆然とした顔のピラフ一味など視界に入らなかった。圧倒的な存在感と身震いするような威圧感を持つ神龍と目が合った。―――――けれどウーロンは、恐怖を感じない。
―――――願いをかなえてくれ。それだけが頭にあった。叶わない願いなのか? そんな神龍への不信感もあった。こんな願いもかなえられないのか! 挑発のような憤りを抱いていた。
だって、友達の願いなんだ。家族を大事に思う気持ちなのだ。あんな青いハゲチビの、世界征服なんて馬鹿みたいが願いが叶えられて、こんな真っ直ぐな願いが却下されてたまるか。
後悔が無かった。迷いは忘れてしまった。体が動いていた。
ウーロンは小悪党である。正義の味方に何ぞ到底なれないような豚である。―――――だからこの豚は、悪党になんぞ到底なれやしないのだ。
いまだ地面は遠い。豚足の跳躍にしては滞空時間が長く感じた。どうやら世界は今だスローリィなようで、だからウーロンには神龍の様子もよくわかる。
『いいだろう』
―――――だから神龍の声も、よく聞こえる。
ウーロンは無様に地面に落っこちた。着地ができなかったからだ。着地なんてしている場合ではなかったからだ。
ウーロンが呆けている間に神龍が消えた。『いいだろう』と言って、『願いは叶えた』と言って、『さらばだ』と言って消えた。―――――つまりウーロンの願いは聞き入れられたということだ。
ピラフやその部下がめちゃくちゃに喚いている。プーアルが必死に呼びかけてくるが、よく聞こえない。しかし分かるのは―――――あいつらが、願いを叶えられなかったということだ。
呆けていたウーロンはいとも簡単に捕まり、プーアルと共にまた檻に入れられた。
ピラフが怒りを携えた声で懇切丁寧に説明をしてくる。天井がガラス張り? 陽が昇ると焼け死ぬ? さっきの場所が可愛く見えるような、地獄のような部屋だ。
「ちーくしょー!! こんなところで死ぬのはごめんだぜ! やっぱりギャルのパンティー頼んでおくんだった!!」
ウーロンが吠える。ブルマやヤムチャが、呆れたような顔をした。「とんでもないやつだな…」「なーによ! ちょっと見直したかと思えばこれだもの!」
そんな二人に、プーアルが首を振った。「ウーロンがいいことをするなんて、やっぱりおかしかったんですよ。きっと緊迫した場面だったから、頭がこんがらがってたんだ!」
「うるせー! ちぇっ、なんだよなんだよ!」
命を懸けたウーロンに対してひどい言い草である。―――――それでよかった。
ウーロンは小悪党である。馬鹿なことばかりして、怒鳴られるばかりの人生だった。だから、檻に戻された時の、あの英雄を見るような、『実は良い奴だったのか!』みたいな視線が居心地が悪くて仕方なかった。
だからこれでいいのだ。
少なくとも、口に出すほど不満は感じてなかった。死ぬのはごめんだしギャルのパンティーは惜しかったけど、びっくりするほど後悔はない。
「ウーロン!」
友達が呼ぶ。直接友達と言ったことはないけど、とんでもない目にも合わされたけど、仲間になった友達だと思っている奴が、心底嬉しそうにウーロンを呼ぶ。―――――それがとんでもなく素敵なことだというくらい、ウーロンは知っていた。
クサいことを言うなら、これこそが命を懸けた褒賞かもしれない。
―――――自分で考えて、ウーロンはちょっと鳥肌が立った。
ウーロンは小悪党である。自分のことばかり考えて生きてきた。だから、こんな気持ちになる相手は初めてだった。少なくとも、少なくとも。ウーロンにとって悟空は初めての友人だった。
飛びつくように駆け寄ってきた友達を見る。その背後に、優しく横たえられた男も見える。
男の話では、浴びせられた毒はもう少しで解毒できるということだった。ならばもう少しで、あの涼しげな男の声が聞けるということだろう。しわがれた老人の声ではなく、男が本来持つ声を。それこそ、何も痛い思いをすることなんてないまま。
ウーロンは根っからのスケベなので、女にしか興味が無い。男の声なんて聞いていたって楽しくない。それでも、命を懸けて取り戻したのなら、冥途の土産として聞いておくのもいいかもしれない。
―――――そういやあいつ、女に成れんるんだったよな。なら死ぬ前にちょこっとパフパフさせてもらうくらい、許されるんじゃないかな。
ハッと気づいた。それは本人からしてみれば、ピラフの邪魔をする方法をひらめいた時より素晴らしい気付きだった。なにせウーロンは根っからのスケベなので。
死ぬのは嫌だ―! と叫んでみた。こんな旅ついてくるんじゃなかったー! と喚いてみた。両手で顔を覆って泣くふりまでしてみた。全部本心である。涙だってちょっと出てる。
それでもウーロンの中には、達成感があった。
ウーロンは小悪党である。それでも、『誰かのための誰かの願い』を叶えたことに、後悔はなかった。なにせ相手は友達なので。
泣き声にほんの少し笑い声が混じってしまったかもしれない。幸運にも誰にも気づかれなかった。
友達が空腹を堪えてる。昔の知り合いも叫んでる。いけ好かない男は暴れてる。友達の家族はぐったりしてる。性格の悪い女も喚いてる。
地獄絵図だ。こんなやかましいところで死ぬのか。…ちょっと悪くないかもしれない、と思った。死にたくないけど、全然、死にたくないけど、まあ、一人で死ぬよりは。
はやくあいつも起きねえかな、とウーロンは泣きまねをしながら考えた。もちろん本心からの涙だ。ちゃんと涙も出てる。それでもやっぱり、少しだけ笑いそうだった。
ウーロンは小悪党である。だから悪党にはなれなかった豚である。ウーロンの中には達成感があった。―――――それは、たとえ地獄に落ちても失われないものだろう。少なくとも、少なくとも。
明るい夜だ。
―――――今日は月が満ちている。