薄れそうになる意識の中で、必死になって冷泉は自分を保とうとする。
戦艦扶桑の砲口が自分と冷泉に向けられた状況下では為す術がない。
何とかしようと加賀も考えていたのだろうけれど、結論はすぐに出ているはずだ。恐る恐るといった感じで冷泉を見つめてきた。
「ごめんなさい、提督。偉そうに言ったけれど、どうやらあなたを守ることはできそうにありません」
「……いいんだよ、加賀。すべては俺の作戦指揮の失敗なんだから。むしろ、ボンクラ提督の作戦にお前まで巻き込んでしまうなんて。……許してくれ」
そう言って冷泉は起き上がろうとするが、よろけてしまう。慌てて加賀が冷泉を支える。冷泉は、彼女の介助を受けて、艦長席に腰掛けることができた。
「こんなところでお前を死なせてしまうなんて……な。お前を守るとか言ったのに、逆に俺のせいでお前まで道連れに……」
言葉の途中で隣に立った加賀が冷泉を抱きしめてくる。驚きで言葉を止めてしまう冷泉。
「どんな運命であろうとも、提督とご一緒できるなら、それは私にとっての幸せです。一度は諦めた人生を、たとえ僅かな時間だとしても、あなたのおかげで喜びと希望に溢れるものとすることができました。それだけで、私は幸せなのです」
すぐ側に顔を近づけて、恥ずかしそうに答える。
「……提督、私はあなたのことを愛しています。誰より大好きです。ずっとずっと、あなたのお側にいたいと思っていました。……こんな事、こんな状況だからこそ、言えました。普通なら恥ずかしくて言えない事です。けれど、最後に自分の気持ちをあなたにだけは知っていて欲しかったから」
「ありがとう……加賀。お前と出会うことができたことが一番嬉しかったよ」
こんな状況だからこそ、普段なら口に出せない言葉を言える。そして、加賀の体を引き寄せを抱きしめる。彼女は全く抵抗することなく身をゆだねて来た。
「……私もです。あなたと一緒なら、どんな未来であろうと何も怖くありません」
まもなく砲撃が始まり、そして、冷泉の第二の人生が終焉を迎える。それは、短かったけれど密度は濃かったと思う。自分の力が及ばなかったことは悔しいけれど、これが冷泉の限界だったのだから仕方ない。救いたい……救わなければならない命を救うことなく去らねばならないことは、辛い。
しかし、理想通りに進ませる力の無い自分が、それを望むのは無謀だというものなのだろう。心の底から願えば、きっと願いは叶う……。ありえない事だと分かっていても、それを願った自分。
冷泉は、加賀を強く抱きしめた。現世での残された加賀との僅かな時間を忘れないよう……噛みしめるように。
突如―――。
視界を黒い影が駆け抜けたように思えた刹那、凄まじい衝突音とそれとほぼ同時に衝撃が襲ってきた。
金属と金属が激しくぶつかり擦れ合い、引き千切れるような音が続く。それとほとんど同時に船艦扶桑の砲撃音が響き、閃光と黒煙が視界を覆い尽くす。
冷泉達を襲った衝撃は、戦艦扶桑が突撃して来た時とは違い、船体の前後へ体が振られる。空母加賀は押されるようにして後方へ円を描くように動き、めり込むようにして船腹へ船首を食い込ませていた戦艦扶桑と僅かであるが離れる事ができたようだ。
「な……」
何が起こったか分からずに声を上げる冷泉。
衝突音そのものは大きかったが、空母加賀への衝撃は少なかった。冷泉は椅子から振り落とされることもなく、かつ、加賀をしっかりと抱きしめていたために加賀も転倒を免れた……程度の衝撃しか起こらなかった。
「加賀、大丈夫か? 」
と、しっかりと抱きしめ、すぐそばの加賀に問いかける。
「だ、大丈夫です」
慌てて答えると、彼女は冷泉から飛び退くようにして離れる。少し頬を赤らめているのは照れ隠しか。
加賀の無事を確認すると、冷泉は思考を開始する。
今、分かることは扶桑の砲撃の少し前に、何かが突っ込んできて扶桑に横から衝突したこと。
扶桑のゼロメートル射撃が外れた事。
とりあえず、直近の死の未来からは逃れたと認識するが、それでも安堵できる状況ではない。
加賀はいつの間にか場所を移動しており、状況を把握しようとしている。先程までの全ての運命を受け入れたような表情は消えてしまっている。今は、なんとしてでもこの状況から離脱しようとする、強い意志を感じる。
砲撃と何かの衝突による黒煙と粉塵が落ち着き、視界がクリアになっていく……。
そして、前方に見える異様な光景に驚愕する。
「なんだこれは! 」
あろうことか船首をこちらに向けた船艦扶桑の艦首部分に一隻の船が船体の3分の1を乗り上げるような形で止まっていたのだ。
それは、船体の大きさから、駆逐艦にしか見えなかった。そして、その形状から導き出される艦は1隻しかいなかった。
―――駆逐艦不知火であった。
余程の速度で扶桑とぶつかったのだろう。不知火の船底は、扶桑に乗り上げる際に船艦の頑丈な船体との接触で抉られてぐちゃぐちゃになっている。頑強な戦艦と相対したら、薄い装甲の駆逐艦では無事で済むはずが無い。
衝撃の大きさの影響は、他の場所にも現れていて、艦全体が不自然に歪んでいるようにも見える。衝突のダメージで、艦のあちこちから火災が発生している。
「いつの間にここまで来たんだ? 」
確かに冷泉達の艦隊を牽制するためか、不知火がゆっくりと接近してきたのは認識していた。扶桑が領域から現れてからは、一気に速度を上げ突入してきたのだろうか。
「一体、何のために? 」
と、冷泉が呟く。
「……それは、簡単なことだわ」
加賀が答える。
「あなたを守るために、不知火は来たのよ」
確かに、彼女は扶桑の砲撃を止めるために扶桑に体当たりをして、射線から逸らしたのだろう。そして、今も砲撃をできないようにしている。
恐らくは扶桑達の作戦を聞いていたに違い無い。扶桑が現れた瞬間、加賀を攻撃をするつもりと判断して、それを止めるために突っ込んできたのだろう。
二人の艦に動きは無い。しかし、二人の間で何らかの会話を為しているのは間違い無い。しかし、全機能が停止している状況では知るよしもない。
加賀は、何やら動きをし始める。恐らく、停止した動力を復旧できるか確かめているのだろう。現状は停止しているものの、いつ、攻撃が始まるか分からないからだ。速やかに離脱することができれば、動力切替を完了した高雄達が助けてくれるだろう。そこまで時間と距離を稼がないといけない。そのためにできることをやろうとしているのだ。
「不知火……」
冷泉は呻くように呟く。加賀を手伝うべきなのだろうけれど、目の前の状況を見、思考が停止せざるをえない。
なんて無茶をしたんだよ……、馬鹿野郎。
なんとかして、彼女を助けないと。今なら手の届くところにまで彼女が来ているのだ。できることなら、みんなを助けたい。誰も死なせたくなんてない。
そして、突然、凄まじい砲撃が始まった。
戦艦扶桑の主砲は、不知火の体当たりによって破壊若しくは使用不可能になっているはず。攻撃は機関銃等の火器を使って行われた。銃撃音が激しく聞こえ、金属を撃ち抜く音、炸裂する音が冷泉達にまで聞こえてきた。そして、僅かな時間で砲撃は駆逐艦の薄い装甲を貫き、発火させていく。
「止めろ、止めるんだ」
必死に叫ぶが聞こえるはずもなく、みるみるうちに不知火の艦橋は銃弾に撃ち抜かれ蜂の巣状態になるとともに、火の海と化していく。
「不知火、不知火! 扶桑、止めろ止めるんだ。なんでそんなことをするんだ」
届くはずの無い想いを必死に声にする。手を伸ばしても届くはずもないのに、それでも手を伸ばす。火だるまになっていく艦娘を見る瞳からは、涙があふれ出して止まらなくなる。
「止めろ、止めてくれ。なんでお前達がこんな目に遭わなきゃいけないんだよお」
それでも攻撃は止まない。
ついには艦橋そのものが持ちこたえられなくなり、崩れ落ちていく。
「提督、駆逐艦不知火内部から高火力反応が急速に高まっています」
あえて冷静な口調で加賀が告げる。
「な、なんだって」
前段の索敵で、不知火艦内には大量の爆薬が搭載されていることは確認済みだ。恐らく、この攻撃により内部に設置された爆薬に引火し、爆発が起こる危険が急速に高まっているんだろう。
「戦艦扶桑、急速後退始めます」
左右に船体を揺さぶりながら後退を始める。乗り上げた不知火を振り払おうとしているのだ。恐らく、彼女も間もなく不知火が爆発することを検知し、離脱を試みているのだ。
「熱源反応増加、爆発します」
加賀の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、閃光とほぼ同時に耳をつんざくような轟音を伴い大爆発が起こる。
しかし、爆発に伴う衝撃波、熱風はまったく来なかった。
眼前では凄まじい炎のうねりが発生しているが、加賀の数十メートル先で見えない壁に遮られたかのように、垂直に上昇していくのが見える。
「何が起こったんだ? 」
「防御障壁よ」
と加賀が教えてくれる。
「しかし、お前は動力停止しているんじゃ」
「私じゃありません、高雄です。高雄が防御障壁の対象エリアを限界まで拡大して、私を守ってくれたのです」
視線を左側に向けると、そこには重巡洋艦高雄が加賀に寄り添うような形で停船していた。扶桑の出現、不知火の乱入……そして爆発までの間に、一気にその距離を詰めてきていたのだ。
空母加賀を包む形で展開された防御障壁。いわゆるエネルギースクリーン、バリアといった類いのものだが、その防御力は凄い。爆発による衝撃だけでなく、熱さえを完全に遮断してしまっているのだ。その向こうで発生した爆発のすぐ側にいたわけだから高雄が守ってくれなかったら、空母である加賀でさえ爆沈していたのは間違い無い。それほど凄まじい爆発だったのだ。
旧式の爆薬でもこれほどの威力……。
その威力に驚嘆し、そして驚愕することになる。
それほどの爆発物を艦内に仕込まれていたのが不知火であることに。扶桑による砲撃で艦橋は吹き飛んでしまったが、まだ彼女が無事である僅かな可能性に期待していた。けれど、あの爆発ならば、しかも艦内部での爆発なら、もはや彼女が無事である可能性などあり得ないことに。
吹き飛ばされたかつて何だったか不明なものが上空から落下して、水柱をあげている。
周囲を覆い尽くした黒煙がゆっくりと晴れていく。
冷泉は言葉にならない声を上げながら、身を乗り出して視界の中に彼女の姿を探す。
駆逐艦不知火の姿を。
「……不知火」
そして、絶望する。
視界のどこにもその姿が無かった。まさに影も形も無くなっていたのだ。前方には天まで立ち上る、どす黒くまがまがしい領域の雲しか無かった。
「提督! あそこに」
と、加賀が前方を指さしながら叫ぶ。
そこには、不知火の爆発の影響だろう、ボロボロになりながらも後退していく艦の姿があった
「扶桑……」
その声は呻きにしか聞こえなかったかもしれない。
舞鶴鎮守府を裏切り、多くの冷泉の部下を引き連れていった艦娘。何度も冷泉の命を狙い、舞鶴鎮守府の艦娘を危険にさらした。それどころか今、不知火の命を奪ったのだ。無理矢理に不知火を鎮守府より連れ出したうえに、自らの手で彼女を殺した艦娘。
許してはいけない存在。それだけは、疑いようの無い事実。
そうだというのに、冷泉は、彼女に対する憎しみを抱けずにいた。
ただただ、……悲しさのみが心を埋めつくしていく。
戦艦扶桑は、戦闘によって体のあちこちを損傷し、各所より黒煙を上げている状態だ。動力部分にもダメージを受けているのか、動きが鈍い。今、攻撃をかければ、沈めることができるかもしれない。……いや、簡単に沈められる。
彼女の動きから、今の状況から離脱するために、再度領域に逃げ込もうとしているようだ。ここで舞鶴艦隊と対峙するよりも、領域に逃げ込んだ方が逃げおおせる確率が高いと判断したのだろう。冷静さだけはまだ失っていないようだ。
「扶桑を止めろ。今すぐ彼女を捕らえるんだ」
咄嗟に冷泉は叫んだ。
「無理です」
しかし、すぐに加賀に否定される。
「何でだ? 」
「通信機器が使えなくなっているのです。故障の原因は不明……恐らく不知火の爆発によるものかと思われます。復旧の目処たたず。なので、今の状況では、提督の指示を伝える事ができません」
淡々とした口調で彼女が答える。
「だったら、高雄に直接俺が指示をする」
そうだ。重巡洋艦高雄なら、すぐ側に停船しているのだ。無線が使えなくても、直接出向いて口頭で指示すればいいだけだ。
「それも無理です」
再び、秘書艦が回答する。
「防御障壁を通常の数倍まで拡大することは、通常ありえない行為です。消費エネルギーは、概算で通常の10倍を越えるほどの量となります。それだけではありません。そんな膨大なエネルギーを一度に放出したら、経路となる艦が保たないのです。……今、高雄はオーバーヒート状態で、全機能が停止しています。そして、おそらく、高雄本人も意識を失っていると思います」
「何だって! そんな無茶をしたのか。なんでそんな事を……」
予想を上回る負荷がかかる行動を高雄が行ったことを知らされ、冷泉は驚きを隠せない。
「彼女だって提督を助けたかったのです。それさえできれば、後の事などどうでも良かったはずです」
と当然の事のように加賀が答える。
そんな会話をしている間に、戦艦扶桑は移動していき、領域の中へと消えていく。それに合わせるように、大井達も艦隊を牽制するのを止め、撤退していくのが分かった。
彼女達が去っていくのを確認して、榛名たちも加賀の元へと移動してくる様子が見えた。
大井達によって、榛名は身動きを取れない状況になっていたのだ。
「……すまない、みんな」
冷泉はみんなに謝るしかなかった。
自身の無能さによって、こんなことになってしまった。加賀、金剛に損傷を与えてしまった。神通、高雄に無理をさせてしまった。
そして、不知火を死なせてしまった
それだけじゃない。
扶桑達を救い出すことさえできず、それどころか、もはや修復不能なほどの溝をかつての舞鶴鎮守府の、かつて仲間だった者達の間に作ってしまったのだ……。
冷泉は知らず知らず、瞳から涙がこぼれ落ちているのを感じた。
そして、それに気づくと抑えていたタガが外れたように、声を上げて泣き出していた。
何もできなかった自分が一番辛かった。いや、できたのに何もやらなかった自分の優柔不断さ、無能さに怒りがこみ上げていたのだ。
そして、駆逐艦不知火。
彼女は、もういない。どこにもいないのだ。
「……救ってやれなくて、ごめんな。許してくれ……不知火」
冷泉は眼前の領域の雲の中に消えていく戦艦扶桑を呆然と見つめる。
「扶桑、何でなんだよ。なんでこんなことになってしまったんだよ」
駆逐艦不知火の爆発の影響からなんとか立ち直った扶桑は、周囲の確認、そして自艦の状況確認を開始した。
知りたくは無いけれど、現状の確認作業を開始する。そして、艦の損傷が、彼女の予想以上に酷かった事が判明する。
艦の前半分の武器は、ほぼ損壊しているし、レーダー等は使用不可能だ。船首のダメージも大きく浸水が起こっている。放置しても沈む事はないが、無理はできない。
「なんとかまだ動けるわ。ここからなんとかして逃げ切らないといけない」
すぐさまこの場から立ち去る決断をした扶桑は、急ぎ作業を始める。
しかし、すでに至近に重巡洋艦高雄が来ていることが最大の懸念だ。不知火の爆発に加賀を巻き込み、沈めることができたと思ったのに、未だに加賀は生存している。
恐らくは高雄が展開した防御障壁に阻まれて爆発の影響から逃れたのだろう。なんというしつこい連中なのだろう。苛立ちを感じるが、今はそんなことを考えている場合ではない。
冷泉を守る事ができた高雄たちの次の行動は、扶桑への攻撃なのだから。
不知火を沈め、冷泉提督さえも殺そうとしてしまった手前、彼女が自分を無事に済ませてくれるなんてありえないだろう。
決戦は、不可避。
かといって、こちらは戦えるほどの武器もない。しかも向こうは反重力リアクターを起動した完全覚醒状態。火力防御力がまるで違う状態。まともにやりあったら、瞬時に融かされてしまう。
幸い、大井達は冷泉艦隊を牽制しつつ、脱出可能距離まで移動を完了している。扶桑にとっては彼女達の囮としての任務だけは、果たすことができている。冷泉の艦隊も高雄以外は大井達の牽制のためにここからは離れた距離にいて、双方に注意を払わなければならない状態で身動きが取れない。
戦う術も無い現状では、今が潮時だろう。速やかに撤退する。幸い、高雄に動きが無い。もしかすると、あの常識はずれの防御障壁の拡大展開が艦になんらかのトラブルを発生させたのかもしれない。罠かもしれないけれど、今はそれにかけるしかない。
そして、活路は一つしかない。再び領域に逃げるのだ。仮に冷泉達が扶桑を追うにしても、再度の動力切替が必要だから時間は稼げる。深海棲艦はすでに殲滅しているから、再び沸いてくるにしてもまだ余裕があるだろう。
ならば、考える時間などない。行動するしかない。
猛スピードで後退を開始する。全速力だ。
ここで砲撃して、加賀の艦橋を吹き飛ばせればいいのだけれど、前方へ攻撃できる砲塔は全て使用不可だ。
砲撃するためには方向転換が必要であり、それには時間がかかってしまう。停船している高雄以外にも無事な艦艇は存在するのだ。いつ彼女達がこちらに注意を向けるかもわからない。時間の余裕はない。
今ここで、自分の命を賭けてまで勝負に出ることはない。
戦艦扶桑は、領域へと消えていく。刹那、冷泉の声が聞こえたような気がしたが、それを扶桑は必死に振り払ったのだった。
※ご指摘により、修正しました(2017.9.9)