舞鶴鎮守府より東に80キロほど離れた駿河港に、軽巡洋艦夕張と駆逐艦島風は停泊している。
ここ港は軍の施設ではなく、民間用の港として使われている。このため、この港に軍艦が訪れるとするのであれば、民間の船を警護する目的のみでしかなかっただろう。そして、仮にやって来たとしても、ここに停泊することは無い。それは、ここに住む人たちの感情に配慮してのことだと言われている。
それは、この地域の成り立ちの関係上、どうしても反戦・反体制に偏りがちだったためだ。
もともとこの地は舞鶴鎮守府に近い事もあり、軍関係者が訪れて賑わっていた町だった。軍関係者によって生活のかなりの部分を依存していた関係上、軍に対しては理解ある地域といえた。
しかし、ある事件を境に変化していくことになる。
あの災禍たる近畿圏の三大都市の崩壊という事案が発生したからだ。
災禍から生き延びた被災者の多くが、国の施策により、この周辺に造られた仮設住宅に住むことになった。
深海棲鑑との戦闘のために成年男子のほとんどが徴兵され、移転して来た者の多くは高齢者であった……。大崩壊により経済基盤を失った彼らに新しい生活をやり直そうなどという気力など無く、そのままなし崩し的に居着くことになり、コミュニティを形成していった。もちろん、移転者の全てが高齢者だったわけ出はない。当初は夫を失った母子も同じコミュニティに暮らしていたが、その老人ばかりで停滞するしかない町の雰囲気に耐えきれなくなり、町を捨てて新しい土地へと移動していったようだ。それから、両親を失った戦災孤児については、官民共同で運営する児童保護施設のある町へと連れて行かれた。
残された老人達と、旧来からの住民と移転してきた住民との融和はうまくは進まず、町は色分けされた状態のまま現在に至っている。
戦争という社会状況がそうさせたのかもしれないし、強引に施設を建設されたことで地元感情が良くなかったことも大きいだろう。もともと否かは排他的なところに、強引に造った施設に移ってきた全てを失い投げやりなって落ち延びてきた人々。水と油の関係のままだ。いろいろと改善しようとした住民もいたようだったが、結局徒労に終わったようだ。以後は改善の兆しすらなく、現在に至っている。
さて、そんな地域の裏事情はともかく、この地に派遣された二人の鑑娘は、軍の広報担当として市民との交流を地道に続けていたのだった。
活動を舞鶴鎮守府でやらないのは、あそこには反戦団体がしょっちゅうデモに現れている状況下、一般市民との交流には支障を来すと冷泉が判断したからだ。
ちょっとでも目立つ活動をすると、すぐに税金の無駄遣いと騒ぎ立て、挙げ句の果てに暴動になることもある。それが日常茶飯事。さすがに刃傷沙汰になれば、市民団体の幹部クラスが逮捕されるが、どういうわけか様々な理由ですぐに釈放されてしまう。どこかで政府もしくは軍部と繋がっているということなのだろう。冷泉が諦め気味にぼやいていたのを鑑娘達は覚えている。
「軍部が政治の中枢に食い込んでいるこんなご時世でも、そういった反政府的な政治活動の自由は保障されているのだから、ある意味、大したものだと自慢してもいいのかもしれないけれどね」
活動を初めて以外だったのは市民団体の妨害がほぼ無かったことだ。さすがに軍事基地ではない駿河港で、反戦活動をするつもりはないのだろうか。何らかのメリットがなければ動かないという事なのかもしれない。しかし、問題ごとが起きなければ、それがベストなのだから。
そんなわけで、支障なく市民との交流が行われている。交流といっても、彼女たちが港を訪れる市民とたわいのない会話をする程度でしかない。それでも、世間では殺人兵器と思われている軍艦のイメージアップにはなっているようだ。
普段は、遠くからしか見ることのできない軍艦を間近に見ることができること。そして、鑑娘と直接触れ合う場を持つことができるということで、最初はおっかなびっくりだった住民達も次第に彼女たちとの距離を縮めてくるようになっていた。さすがに移住してきた人々は遠巻きに見つめるくらいしかできていないようだけれど……。
しかし、そんな微妙な空気感など無視するかのように、島風は彼らの中に走っていき、無理矢理引っ張って来たりする。天性の明るさを持つ彼女の性格のおかげかもしれないが、彼らとの距離もごくごくゆっくりではあるものの、縮まっているように思える。住民と鑑娘が話す内容など、実にたわいもないものばかり。けれど、何も知らなかった住民にとって軍艦、そしてそれを操る鑑娘というものはとても遠い存在であり、また得体の知れない恐ろしい存在でもあったのだ。それがとても可愛い女の子でしかないことを知った。誤解が解ければ、相互理解も早い。また、彼女たちを介することで、古くから住む住民と新しくやってきた住民達の間の理解も少しずつではあるものの、進んで行っていたのである。
そういった状況を受けてか、それとも広報活動をより進めようとした軍部からの影響力かは分からないけれど、戦争孤児達を預かる児童養護施設の子ども達も駿河港に訪れるようになった。戦争で両親や兄弟を失った子供達であることから、なかなか難しいと思われた鑑娘との邂逅も、どうやらうまくいっているようだ。それは派遣された鑑娘が夕張と島風であったこと……彼女たちの性格によるところも大きかったかもしれない。
施設を運営する団体は、反戦活動をする市民グループとの繋がりも噂されている団体であったことから、彼らはそんな交流なんてしたくなかったかもしれない。けれども、共同運営するのは国の機関である。当然、軍の息が組織である。戦争孤児達と鑑娘の交流という宣伝にはちょうどいい題材。彼らの政治的思想など、そう簡単には許してくれなかったようだ。ゆえに、子ども達を連れてくる大人達の表情は、いつも冴えないように見受けられる。
そんな大人達のくだらない思惑は別に、子ども達は鑑娘に懐くようになり、定期的に訪れる子ども達が増えている。子どもが集まれば他の子ども達も集まる。引き寄せるようにもともと住んでいた住民達の子どもたちも集まるようになっていく。そうなれば子ども達の親もやってくる。連鎖的に二隻の軍艦の周りには人が集まるようになり、鑑娘を通しての地域交流までが行われるようになっていったのだった。
そして、その輪はゆっくりとではあるが広がりを見せ、自分達の世界に閉じこもって出てこなかった老人達の心をも少しずつではあるものの、溶かしていくことになる。
これを冷泉が意図していたかどうかは分からない。恐らくは、そこまでになるとは考えていなかっただろう。ただ、結果としてその地域の鑑娘に対する印象は大きく変わっていったのだった。
得体の知れない恐ろしいものから、信頼できる存在へと……。。
こういった事情は、島風と夕張の考え方にも影響を与えていた。
普段、彼女たちと接する人間は軍関係者しかおらず、どちらかといえば世間をあまり知らないままでいた鑑娘が、外の世界の住民達と直接ふれ合うことで、自分達が守っていた存在をよりしっかりと認識することができたのだ。それにより、自分達の使命の重さを痛感したのだった。もちろん、人間達の優しさに触れたせいで、よりいっそう決意を高めることになったのであるが。
最初は、冷泉提督の役に立たない存在として捨て置かれた……そんな想いすらあった彼女たちだけれど、今ではその使命を果たすため、冷泉提督の期待に応えようと一生懸命がんばろうと思っていたのだった。
そんなある日―――。
舞鶴鎮守府に突然の緊急の通信が入る。当然ながら、駿河港にいる島風たちもその通信を受信していた。……その切迫した通信を。そして、小差kが分かるにつれて、あまりにも危機感のない身勝手な行動が判明していくのだ。
場所は、舳倉島の西方、約20キロの位置。
どうやら、近くを航行中の小型船で火災が発生した模様。船は小学生十数人を乗せた、ある団体のチャーター船との事。彼らは能登半島より船を出し、団体(児童養護を目的とするNGO)の保養施設のある島へと、向かったらしい。そして、あろう事か船の護衛については申請がなされていないとのことだった。
この団体、反戦団体と繋がりのある人物が運営する戦災孤児を預かる団体のため、軍に協力を求めるのを嫌がったのだろうか? ならば行かなきゃいいのに……と罵る人の声が聞こえる。
確かに、領域からはだいぶ離れた場所とはいえ、深海棲鑑がどこにいるか分からないのだ。潜水艦型の深海棲鑑だっている。大湊警備府の鑑娘がパトロールしているとはいえ、日本海側を守る鑑娘の数が減っている現状、手薄にならざるをえない。護衛なしで航行するなんて、自殺行為といっても間違いじゃない。
「遭難船からだと私たちが近いわ。……私と島風で救助に向かいます」
夕張が通信を返す。
事は一刻を争う状況。火災発生ということは、子ども達は海に避難するしかない。海水温はまだまだ冷たい。そんな中に長時間いるには体力が持たないだろう。それに可能性は低いとはいえ、いつ深海棲鑑がやってくるかもしれないのだ。油断などできない。
「待ちなさい、夕張。勝手な行動は認めません」
しかし、すぐに通信が入ってきた。
その声に夕張達は緊張してしまう。声は……新しい彼女たちの司令官たる葛木提督だったのだ。冷泉提督よりも遙かに厳しい人だ。一緒にいられないせいか、未だになじむことができずにいる。直感的に苦手だと二人とも思っていた。
とはいえ、現在の上司である人からの指示だ。従わざるをえない。
「しかし、早急に救助に向かわなければ」
と、夕張がなんとか食い下がる。
「もちろん救助に行くなとは行っていません。大湊から鑑娘を派遣していては、時間がかかりすぎます。あなたたちにお願いするしかないのは分かっています」
「でしたら、私と島風で」
「それは認められません。あなたたち二人がそこを空けてしまったら、舞鶴の守りは誰がやるのですか。全くの空白地帯を作ることは絶対に認められません」
冷静な口調で否定されてしまう。
「ここは足の速い島風が向かいなさい。夕張、あなたは舞鶴鎮守府へ移動し、警戒態勢を維持しなさい。万一、この機を狙って敵が襲来した場合、あなたは救援が到着するまで、舞鶴を死守するのです。いいですね。わかりましたか。これは命令です。島風も分かっていますね」
司令官に言われてしまえば、それ以上、どうすることもできない。
二人は従うしか無い。
夕張は舞鶴鎮守府の防衛のため、島風は子ども達を救助するためにそれぞれ発進する。
「島風、……絶対に無理をしちゃ駄目よ。これだけは守るのよ」
と、心配そうに夕張が念を押す。
「分かってるって。無理はしないし、無茶もしないよ」
そう言いうと、笑顔で島風は出動していった。
現場がどのような状況下分からないのが一番の不安。
急がなければならないのは分かっているけれど、島風は船体に異常を来したままの状態である。限界まで速力を上げることはできない。動力を騙し騙し、無理をしない速度を保つ。しかし、子ども達の事が心配で、どうしてもその速力は上がって行ってしまう。
やがて、前方に黒煙が見えてくる。
そうなると、もう速度をセーブするなんてことはできない。無理は承知で速力上げて向かっていく。
ギシギシと嫌な音が船体のあちこちから響いてくる。船体に相当な負荷がかかっていて、危険な状況であることは疑いようのない事実。けれど、今はそんなことに構っている暇なんてないんだから。
現地が近づいてくるにつれ、状況が判明してくる。
子供達が乗った船からは、黒々とした煙が立ち上っている。さらには時折爆発も起こっているようで、危機的状況だ。乗員達は、炎から逃れるために海に飛び込んでいるようだ。 救命ボートに乗り込む暇さえなかったのか、海上にそれらしき姿はない。この距離からでは、救命胴衣を装着しているかは分からない。ただ、波間に小さな子ども達が漂っている姿が確認できるだけだ。
遭難者達に近づくにつれ、速度を落とさざるをえなくなる。船から発生させる波で子供達をおぼれさせては大変だからだ。
ゆっくりと近づいた島風は、早速、子ども達の救助にあたる。浮き輪を投げてロープで拾い上げる。その作業と平行し、救命艇を下ろして、海に避難していた大人達にも子供の救助を手伝わせる。
「さ、つかまって」
甲板へと引き上げる時、子ども達の衣服はたっぷりと海水を吸い取っていたのだろうか。その体の大きさに比して。いやに重く感じた。引き上げるぶという体勢の悪さも手伝って、重く感じたのだろう。
違和感ともいえる疑問をしまい込み、子ども達を船上に引き上げる。今はそちらを優先。それに精一杯だった。
途中、子ども達が乗っていた船が爆発し、大きく傾きながら沈んでいった時には、救助した子ども達が悲鳴を上げて泣き出した。
大人たちは、救命艇を駆使して海に浮かんだ子供達の救助にあたってくれた。そのおかげで、海上に浮かんだ子ども達は、全員救助することができた。ただ、断片的に聞こえる話の中では、逃げ遅れた子もいたようで、火災に巻き込まれたり、逃げ遅れたまま船から脱出できず、船と共に海底に没した子たちもいたようだ。そして、呆然と船が沈んだ海上を見ている子どもの姿が痛々しかった。
子ども達は疲れ切ったように、甲板に座り込んでしまう。そして、幽かに震えているのが分かった。それは、ただの寒さなのか、恐怖におびえてなのかは分からなかった。
「みんな! ここは危険だ! 早く船の中に入るんだ」
突然、大人の一人が子ども達に向けて叫んだ。
「さあ、あんた、子ども達を船の中に入れてやってくれ。 こんな場所じゃあ惨すぎるだろう。扉を開けて、子供達を船の中で休ませてやってくれ 」
「え? 」
突然の要請に島風は、言葉を詰まらせてしまう。
軍艦の内部は軍事機密だらけだ。それもただの軍艦ではない。艦娘なのだ。人類が知らない、知ってはならないテクノロジーが満載されているのだ。
「……規則で許可無く管内に人間を入れることは、禁じられてる」
そう言うのが精一杯だった。
確かに、ずぶ濡れの子ども達を冷たい風が吹き抜ける甲板にいさせるなんて可哀想すぎる。……あまりの寒さに、震えが止まらない子供達もいるのだから。
けれど、鑑娘が操る鑑は、超機密施設。たとえ軍関係者であっても許可無く出入りは制限されている。一般市民であればなおさらだ。これは軍が、日本国決めたことではない。それより上位の、鑑娘達の属する団体が決定したことなのである。そこに例外など存在しない。たとえ人道的な理由があろうとも……だ。
人命が優先……もちろん、それは理解できる。けれど、決められた事を破ることは、鑑娘にはできない。できるようにできていない。規律を破らせることが可能であるのは、鑑娘を統べる鎮守府司令官のみ。司令官であれば、超法規的措置を自らの責任により艦娘に行わせることができる。しかし、今、冷泉提督はいないのだ。そ代わりの葛木提督に許しを請う必要がある。
人間たちの責めるような視線が痛い。子供達も怯えたような目でこちらを見る。
そんなの、分かってるよ!
島風だって子供達の気持ちくらい分かる。甲板の上でほったらかしにするのが可哀想なことくらい。
大湊警備府に連絡を取る。しかし、葛木提督は不在との冷たい回答が返ってきた。事情を話しても、それについては、提督権限である。他の人間では決定できないとのこと。では、提督はどこにいるのか? と問いかけると、最重要人物との面会中とのことだった。そして、事務的に通信は切断された。
どうなっているの?
思わず叫びそうになるが、なんとか飲み込んだ。それを言ったところで、彼らにだってどうすることもできないのだから。
判断は、自分でしなければならないということなのか。