エンジンは辛うじて稼働するものの、出力は2割も出ているのだろうか? 自らの体と同じく、よろよろと動く程度だ。
負傷した箇所は鑑本体に重大な損傷を受けたため、エネルギー補充が受けることができず回復は遅々として進まない。出血は、未だ止まらないまま。これまで感じたことのない、負傷による痛みに精神まで蝕まれそうだ。これまでならどんな怪我をしたとしてもすぐに回復し、痛みを感じても一瞬だけだった。それがずっと続くということの不安がこれほどのものだとは。
問題は、もっと根深い。
体の再生が行われないということは、すなわち鑑自体に深刻なダメージを受けていることである。鑑と体は、リンクしているのに、それが途切れているということだからだ。艦にとってその指揮部となる艦娘は最重要部位となっている。ゆえに、常に双方のエネルギーの転送機能が停止するということはそれを維持できないほどの損傷を受けているということなのだ。もはや致命的な状況であることは間違いない。
ずっとずっと延々に続くと思えるほどの痛みが、絶え間なく襲ってくる。痛みには強いと思っていたけれど、それは再生能力によるものだと思い知らさせる。耐えられなくなって泣き出してしまう。鑑のダメージは深刻であり、すぐにでもドック入りしないと駄目な状況だ。
子ども達は機関部を集中的に狙ったようで、その損傷は深刻だ。システムが停止する前に消火を完了した事だけが僥倖だった。
しかし、もはや反重力リアクターは使えないらしい。よって、それに依存するシステムはすべて機能を停止している。
とにかく、なんとかしてこの海域から撤退して鎮守府まで帰還し、鑑の修理を受けなければならない。これほどの損傷状況では鎮守府の設備では修復できないかもしれないけれど……。第二帝都までいかなければならないかもしれない。
あそこは……嫌だけれど、仕方ないのかな。だって、そんなことを考えている場合じゃないもの。
痛みをこらえながら、椅子に腰掛ける。背もたれに体を委ね。心を落ち着かせようとする。
そして、艦橋から見える光景をみ、全身から力が抜けていくような絶望的な感覚を感じた。
先程まで穏やかだった空がほんのわずかな時間の内に変貌を遂げ、禍々しいまでに赤い空がすぐそばまで迫ってきていたのだ。
全てを染め尽くす、赤い空。
……それは、領域だ。
遙か彼方にあったはずの領域が、いつも間にか、そしてどういうわけか動いていたのだ。まるで獲物を捕食するかのように。……そして、その獲物は、島風であった。
じわじわと接近してきているのが分かる。このままでは飲み込まれてしまうだろう。
「はやく船を動かさないと」
まだ使える蒸気タービンの出力を上げ、反転を試みる。
無事だったとはいえ、やはり動力系統には攻撃による何らかの影響を受けているのだろう。その反応は思った以上に悪い。
「お願い、動いて」
自らを励ますように声を上げる。
のろのろと、駆逐艦島風が動き始める。ゆっくりと艦首も方向を変えていく。
しかし―――。
天高く絶壁のように領域と通常海域とを遮る赤黒い壁が、唐突に、……崩れ落ちるるかのように、あたかも雪崩のように崩れ落ちてきたのだ。
それは、一瞬にして領域が駆逐艦島風を取り込んでいく。
あたかも台風の中に飛び込んだような暴風が吹き荒れ、駆逐艦島風は高波に翻弄される。艦は上下左右に激しく揺さぶられ、島風は椅子から吹き飛ばされて床にたたき付けられてしまう。
意識が飛んだのはどれくらいだったのだろうか? 一瞬だったかもしれないし、数分、数十分かもしれない。頭部に痛みを感じ触れた手を見ると、べったりと血が付着していた。どうやら頭を強く打ったようだ。よろめきながら立ち上がるが、傷口から血が垂れ落ち、額を伝って眼に入りそうになる。それを慌てて袖で拭う。
艦の被害状況把握を急ぐ。―――被害状況は、それほど変わりないようだ。エンジンは停止したが再起動した。まだ動くことはできそうだ。搭載兵器類も一部を除き健在のようだ。どれほどの制度で攻撃できるかは不明なものの、なんとかなりそうだ。どちらにしても半重力リアクターを破壊されたことで、旧式装備旧式システムしか使えないことに変わりはない。状況は最悪だけれど、それより悪いことはないらしい。
あたりは気を失う前と相当に変貌している。それは、深海棲艦との主戦場である領域内に酷似している。実際、艦に対する影響は、領域内にいるのにかなり近い。仮に損傷ゼロであったとしても、システム障害が発生すし、機能停止のリスクを警戒しながら戦わねばならないだろう。
「とはいっても、戦う気なんてないけどね」
そう、今はここから一刻も早く脱出することが最優先なのだから。
艦はのろのろと動き出す。
通信機器をチェックする。通信障害が発生するものの、領域のように外界との通信ができないわけではないようだ。旧式の通信機の電波は阻害されないようだ。
すぐさま音声通信が入ってきた。
「島風、大丈夫? 」
すぐにその声の主が分かった。―――加賀だった。こんな時に一番会いたくない艦娘が通信を入れてくるとは。どうも彼女とはうまくコミュニケーションがとれない。そして、その後のいろいろなことで状況は悪くなる一方なのだ。
「……大丈夫だよ」
と、とりあえず返す。一瞬の間のあと、大きい安堵のため息が聞こえた。
「よかった……。本当によかった、よかった」
それは感極まったかのような声に聞こえた。普段、感情をほとんど見せない彼女から、こんな言葉が出るなんて。
「今そちらに向かっているところよ。あなたの状況を教えてもらえるかしら? 」
しかし、すぐに感情の制御を完了したのか、いつも通りの声色で事務的な言葉を伝えてくる。島風は促されるように、これまでの経緯と現在の状況を説明する。加賀の問いかけに答える形でそれを行ったため、普段の島風ではできっこないほど理路整然と短時間に状況説明ができたと思う。
「事態は深刻ね。もう少し踏ん張って頂戴。……すぐに迎えに行くから」
言葉に感情は乗っていないけれど、加賀の気持ちは島風には十分伝わって来た。だから、自然と言葉が出てくる。
「うん、待ってる……信じてるから」
加賀の話によると、救援に向かっている艦娘は加賀と高雄、神通の三人だ。舞鶴鎮守府の仲間だ。他の二人からも励ましの通信が入る。
その言葉を聞いて、元気が出た。なんとか生き延びようという気力が。
しかし、彼女達の会話に覆いかぶさるように通信が入ってきた。
「あなた達、何をしようとしているの! 」
その声は普段とは異なる激高したものだった。幽かにその声は震えている。そのことから必死に感情を抑えようとし、しかし、押さえ切れないように感じ取れる。
葛木提督のものだった。
今まで何度も何度も指示を仰いだのに応えてくれなかったのに、こんなときにはすぐに反応した提督の声だった。
「て、提督」
怯えたように高雄の声が聞こえた。
「あなた達、なぜ勝手な行動をしているのですか? 誰が出撃を許可しましたか? 何を考えているのですか? 」
「許可は得ていません。しかし、島風がテロリストの攻撃に遭い損傷を追いました。現状、航行に支障をきたしている状況。救助に向かうのは当然かと」
淡々とした口調で加賀が答える。
「ば、馬鹿なの。軍艦たるあなた達が誰の指示も受けずに行動を起こすなんて、許されると思っているの? これが上に知れたら大変なことになるのよ。世間に漏洩なんてことになったらどうなるのか! 」
「現状、領域が急激に拡大し、島風もその影響下に入りつつあります。この現象がどういった意味を持つかは現状不明。しかし、駆逐艦島風の安全に重大な危機が迫っていると判断しても問題ないと思われます。無論、私も上官である提督に判断を仰ぎましたが、重大な案件に対応中のため連絡を不可との回答でした。状況は切迫。よって、自らの判断により行動を起こさざるをえないと判断しました」
淡々とした口調で加賀が答える。
「そんなの分かってるわ! 私が言っているのはそんなことじゃない。軍規を無視して、何をやっているというのと聞いているのよ」
苛立ちを隠そうともせず、葛木はヒステリックに叫ぶ。
「独断行動に対する責めは、帰還してからいくらでも受けましょう。けれど、今は、島風を……大切な仲間を助けることが何よりも優先されると判断しました。ですから、私は作戦行動を続けます。提督も事後で申し訳ありませんが、承認をお願いします」
「駄目よ、駄目駄目。駄目なものは駄目。領域に島風を取り込まれたというのなら、深海棲艦が現れる危険が高いのでしょう? そんな中に何の作戦も持たずに艦隊を派遣することは許されません。加賀、高雄、神通……今すぐ帰還しなさい。これは命令です」
正式な命令が発出された。つまり、葛木提督は島風を見捨てろと命じたのだ。
「お断りします」
静かに、そして淡々とした声色で加賀が答える。
「提督のご命令には従えません。これよりの行動は、私の独断で行ったものとして記録していただいて結構です」
「ば……バカなの? 高雄、神通! あなたたちは帰ってきなさい。帰ってこないと、重大な違反行為としての罰が処せられます。今ならまだ間に合います。命令に従いなさい」
「提督、申し訳ありません。私たちも加賀さんと同じなんです。……たとえ命令であっても、仲間を見捨てることなんてできないです」
と高雄が答えた。
「あなた狂ってしまったの? どんな危険があるかもわからないのよ。リスクが大きすぎるわ。戦力になんてなりもしない駆逐艦一人のために、何でそこまでするの? 」
そう言ってしまってから、葛木が言葉を呑む気配が伝わってきた。言い過ぎたと判断したのだろうか。
「……確かに愚かな行為かもしれません。無謀かもしれません。けれど……そうせずにはいられないのです。冷泉提督ならきっとそうするでしょうから、私たちもそうするだけなのです。……やはり、葛木提督の仰るとおり、本当に馬鹿ですね。けれど、私たちはそうしたいのです」
加賀はそう告げると、それ以上の通信を遮断するのだった。