彼の右腕は肘から上が吹き飛び、左腕は手首付近で圧し折られている。
義足を装着した左脚は完膚なきまでに破壊され、仕組まれた配線がショートしているのか時折火花が飛び散り、煙を上げている。
そんな状態になっても、草加は気を失うことなく金剛を糾弾する声を上げ続けている。あの怪我の状況なら、相当な痛みがあるはずなのに、どうしてああまでできるのだろうか?
冷泉は仮に自分があの状況に置かれたら……と考える。とてもじゃないが、まともに意識を保つことなんてできないと思う。
それだけでいうと、草加という男は相当な奴なのかもしれない。もっとも、普通とは異なるベクトルで相当、……相当にぶっ飛んだ奴なんだろうけれど。こんな怪我をしていても、まだ意識を保っていられる精神力だけは称賛に値するのかもしれない。
そう思って改めて草加を見る。やはり、半端ない痛みがありそれに耐えているのだろうか。冷や汗というか脂汗というのかは分からないが、顔から噴き出すように出ている。いわゆる滝のような汗といっていい状況になっているのに、彼は汗をぬぐおうともしない。
「こ、こんごう、てめえ、てめへ」
唸るように声を上げ、艦娘を睨みつけるその瞳は少し濁ったようになっていれ、しかし随分と大きく見える黒目がランランと輝いているように思えた。
「おにゃへ、裸にひん剥いて、無理やり後ろから犯してやろうかぇ、ぐふっ。あふ、ぶっ飛ばすぞ」
飛沫をまき散らして喚く。
あれだけの暴行を受けたのだ。冷静さを失ってもやむを得ないか。しかし、それは理解できるが、やはりなんだか変だ。否、異常だ。
これまでに見てきた草加からは想像もできないほどに。どう考えても様子がおかしいとしか思えない。涎が垂れているのに、全く気にもしていない。
「おい、一体どうしたんだ? 」
彼の怪我も心配だが、それ以上に普通じゃない彼の様子のほうが心配だ。
「うるせえぞ、フニャチン野郎。カスは黙ってろぅい。おれはそこの……乳デカ雌牛に言ってるんだ。もうすぐ憲兵が来るぞ。そしたら、そのメス乳は人殺シで捕まんだ。シャシャサシャ~ね」
本当に様子がおかしい。草加はまるで酔っ払っているかのような状況だ。呂律も回っていない。
アルコールは接種しているはずもないのだが……。
大怪我をしているというのに、まるで痛みも感じていないようだ。はて、さっきまでは痛みで悲鳴を上げていたはずなのに、今は全く気にもしていない。それどころか折れた左手を使って起き上がろうとさえしている。
この男、怪我をしたこと自体、忘れてしまったのだろうか。
否……明らかに何らかの要因が彼に働いているのだ。痛みを完全に消し去るほどの効果を与える何かを。
酩酊状態にさえ見える状況になってしまうという副作用を込みで。
アルコール程度であの怪我の痛みを消す事なんてできない。……薬物? を草加は最初から使用していた?
それは考えにくい。確かに普段から言動はおかしな部分はあったけれど、それは年相応の幼さから来るものだし、普段と大きな違いは無かった。明らかにおかしくなったのは金剛の暴行を受けて負傷してからだ。
そもそも、そんな強力な薬物はそうそう手に入れられるものではない。まだまだ下っ端の草加ではさらにだ。裏ルートにコネでもないかぎり無理だ。ちなみに、冷泉の立場であっても無理だろう。
そもそも負傷してから草加に薬物を注入するような余裕も時間も無かったのは冷泉が見てあきらかだ。
まるで痛みを消すために、防御反応的に強力な鎮痛作用と酩酊作用をもたらす薬物を注入されたように。本当に、なにかの力が働いたとしか思えない。
そして、急に腑に落ちた。
また、三笠の悪戯か……と。
自分の楽しみのためだけに様々な嫌がらせをしてくる……。これもまさに三笠の嫌がらせに違いない。あらゆるものをおもちゃのように扱う、彼女の性根の悪さが見えてくる。
恐らく草加にはサイボーグ化させて圧倒的な力を与え、彼の自尊心を高めてやったんだろう。けれど、それは彼のことを思ってではない。草加というまだ子供の性格の邪悪さをさらに高めてやったら、きっと何か面白いことをやらかすだろうということを期待してのことでしかない。
そこに善意など欠片ほどもなく、ただの悪意だけしかない。
今回も、仮に怪我をしても痛みを瞬時に消すギミックを入れていたら、何か面白いことになるかも。ただその程度のことで、為したことでしかない。
……何を考えてるんだ! と怒ったところで意味は無い。いくら冷泉が怒り狂ったところで、三笠が面白がるだけだ。
「酷い怪我をしているんだ。怒鳴り散らしている場合じゃない。今、人を呼ぶからおとなしくしていろ」
冷泉はそう言って人を呼ぼうとする。
「痛くも痒くもねーわ、ばーか。俺はそんな暇ねーわ。……憲兵! 憲兵! 呼んで、この乳牛を告発しちゃるんだわ。俺様みたいな立派な特級の人間様に怪我を、こんな大けがさせた艦娘はとっ捕まえて解体だ、解体だ、こんにゃろう」
唾を飛ばしながら、瞳孔の開いた眼で金剛を睨みながら喚く。
「冷泉、アンタも見てたんだから、証人になれよ、な。重大な犯罪行為を、見逃すなんてこと、軍人ならできねーよな、冷泉」
階級差も頭にないのか、草加は冷泉を呼び捨てにしているし、言葉遣いも目上の者に対するものではなく、どう考えても最低だ。
「……」
「おい、聞こえてんのかよ、フニャチン野郎があ。お前もちゃんと証言しろよ、カス。腐っても人間様なんだから、な。いくらエロくても乳牛の味方なんてするなよ、ぼけ」
黙り込む冷泉にさらに怒りが湧いたのか、より汚い言葉で罵ってくる。
「……断る」
「は? 何言ってんの、冷泉よう。お前、やっぱりバカなの? 落ち目の男は冷静なシンキングも、できなくなるんですかね。HAHAHAHAHA」
もはや酩酊した人間を相手にしているのと同じだ。何を言っても意味がない。まともな思考をできなくなっているのは草加の方だ。
「お前、俺の事を笑ったな? 落ち目の冷泉のくせに、ナマイキだぞ! 天誅を加えてやろうか、こんにゃろう」
「いい加減にしろ、草加。今のお前はどう考えても普通ではない。医師を呼ぶから大人しくしていろ」
これ以上の会話も対応も無意味だ。そして冷泉には時間がないのだ。こんな奴の相手はしていられない。
そしてこいつはこの大怪我だ。冷泉の道程についてくることができなくなった。ならば、自分一人で動く口実ができたというわけだ。今のチャンスを逃がすわけにはいかない。
「そんなのどうでもいいんだよ、冷泉、今はお前のつまらん話に付き合っている暇ねえよ。そこの金剛を告発するんだからな」
「どういうことだ」
あえて繰り返し尋ねる。
「ハン、バカか。この艦娘は人間様の俺に暴行を加えた。それは重大な禁忌違反だってことは、フニャチンでもわかるだろう? それを俺は告発するんだよ。そして、お前はその証人だ。これで乳デカ艦娘の命運は尽きた。はっはっは。ざまみろだ、俺様をこんな目に合わせた報いだ。解体でもなんでもされて死んでしまうがいい」
勝ち誇ったような表情で草加が叫ぶ。らりったような口調かと思えばまともにしゃべったりする。どういう薬物が使用されたのかそれが気になった。
「軍人たるものは虚偽の発言なんてできないよな? だからあんたも事実のみを告げる必要があるんだよな。元の部下だって庇ったら、おめえも処分されんだからな」
草加の言うことはとんでもなく頓珍漢な発言ではあるが、たとえ人間側に問題があったとしても、艦娘が自身の意思で人を襲ったのであれば艦娘と人間との間の協定に違反することとなる。処罰は避けることはできないだろう。
そんなことが無いように、艦娘たちは鎮守府司令官の旗下に入り、その庇護下に入る必要があるのだ。たとえ何かあったとしても、司令官が暴発を未然に防ぐし、万一何かがあっても鎮守府司令官という立場で守るために。
しかし、今の金剛の傍に彼女の司令官はいない。近くにもいないのだろう。
これは彼女にとってはとてつもなく不味い状況であることに違いない。