しばらくの間があったが、……落ち着きを取り戻した加賀は冷泉にしがみついた両手を名残惜しそうに離す。
「ごめんなさい……」
一歩下がると、少しだけ恥ずかしそうな顔を見せて笑った。
「うんうん、大丈夫だよ……」
冷泉はポケットからハンカチを取り出すと、涙で濡れたままの艦娘の頬を拭いてあげた。
「……せっかくの美人が涙で台無しじゃないか、ベイビ~」
「!……馬鹿。こんな時に何を言ってるの」
冷たい口調で加賀が非難をする。しかし、普段とは違いその言葉には棘が無い。
「そんなふざけてばかりいるから、こんな事になってしまったのに。提督には本気で反省して貰わないと」
「うむ、もちろん反省しているさ。だけど、またまた心配させてしまうことになりそうだけど……ね」
冷泉はこれから控える自身の運命を思い、少しだけ辛くなってしまった。自分の力でどうこうできるものでは無いことは仕方ないけれど、こんなに心配してくれている艦娘達に何一つ報いることができないことが一番辛い。だから努めて明るくしようとする。
無理矢理に笑顔を作るんだ。
加賀はそんな冷泉を見て何かを言いたげだったが、それ以上は何も言わなかった。言わなくても冷泉には彼女が言いたいことは分かってしまったけれど。だから、冷泉もそれ以上、加賀には語りかけなかった。
冷泉は加賀の精神状態が落ち着いたのを再度確認した後、少し離れて立つ長門と神通の方へと歩く。
彼女たちも冷泉の事を心から心配してくれて待ってくれていたのだ。彼女たちにも声をかけておかないといけない。はっきりと感謝を告げておかないといけない。それは、それは今しておくべき事であるとこれまでの体験から冷泉は学んでいる。
このような戦時下である。また明日にすればいい、と先送りなんてできない。してはならない。明日はどちらかが、もしくはどちらもがいなくなることだって当たり前のようにあるのだ。
現にこれまでも冷泉と艦娘達は何度も引き離されてしまったではないか。今、ここで再開できたのは運命の悪戯、単なる偶然でしかない。こんな幸運が次も続くなんて思ってはいけない。だから。今しなければならないこと、今できることはしておくべきなのだ。少しばかり恥ずかったとしても、のちのちになって後悔しないようにしないといけない。
もう同じ過ちを、これ以上繰り返してはいけないのだから。
まずは長門の前に立った。そして、大きく深呼吸をする。
彼女を見つめると一瞬驚いたように瞳を見開いたが、普段とは違う雰囲気を感じ取ったのか、恥ずかしそうに瞳をそらす。
「長門……」
「なんだ、提督」
ぎこちない口調だ。
「うん……お前が無事で良かった。そして俺を信じていてくれて、こんな状況でも俺の側にいてくれてありがとう」
「な、急に何を言ってるんだ? 私をからかっているのか? 」
「からかってなんていないよ。すでに鎮守府司令官の任を解かれた俺に対して、お前は何の義理もないはずだ。わざわざ危険を犯してまで大湊の司令官の命令に背く必要なんてなかったんだ。そもそも、俺が戻ってくる可能性なんて無かったんだからね。無駄に自身を危険にさらすことなんてなかったんだから。けれど、お前は俺が戻ってくると信じて待ってくれていた。……そして、そのお陰で、俺はここにいることができる」
「ふん、何を今更……。当然のことだろう、提督。私のことをあなたは命がけで助けてくれた。全てを賭して私に手を差し伸べてくれたのだ。そして、私を暗闇から救い出してくれたのだ。暖かい日の光の下へと連れ出してくれたんだ。……あの時から我が身、我が魂は提督のものであると誓ったのだ。ゆえに、いかなる困難や外圧があろうとも、私の心を動かすことなど絶対にできない」
ドンと胸を叩いて彼女は宣言する。
冷泉はそっと彼女に近づくと、唐突に強く彼女を抱きしめた。
「なああああああ!」
悲鳴ともなんとも言えない声を長門は上げるが、関係なく冷泉は抱きしめ続ける。少しだけ抵抗をしていた長門は、すぐに諦めたかのようになされるままになっている。
「ありがとう。……お前がいてくれて本当に嬉しいよ」
そう言いながら長門の長い髪を撫でる。
しばらくその状態を維持し、そっと彼女を解放する。拘束を解かれた長門は慌てて冷泉から離れる。
「きゅ、急にこんなことされたらびっくりする! 心の準備ができてないだろ」
顔を赤らめながら、恥ずかしそうにこちらを見る。
「ごめんな。でも今すぐお前を抱きしめたかったから、だから抱きしめたんだよ。言いたいことはあるだろうけど……苦情は後にしてくれ」
「提督、私にそんなに優しくすると箍が外れて大変なことになっても知らないぞ。ふふん。……ま、まあ今は緊急事態だからな……。ひとまずはそれも含めて保留しておくけれどね」
と、訳の分からない回答を長門がした。
「さてと……」
と、冷泉は驚いた表情を貼り付けたままの神通を見る。
「ひっ!!」
冷泉と目が合った瞬間、悲鳴のような声を上げる神通。次は自分の番だということに気づいたようだ。
お構いなしに冷泉は彼女に歩み寄る。驚いた神通は、どういうわけか震えながら後ずさる。冷泉は更に歩み寄る。再び神通は後ずさる。
そして、彼女は壁際まで追い込まれ、逃げられなくなった。
「神通、この怪我はなんだ? どうしたんだ?」
顔を近づけながら、冷泉が詰問する。じっと神通の瞳を見つめる。
「お前、どうして、頭に包帯なんて巻いてるんだ? 誰かに殴られたりしたのか?」
「な、……なんでもありません。転んだだけです」
怯えたような表情を浮かべながら、冷泉と目を合わさないように顔をそらせ、身をよじらせて逃れようとする神通。しかし、冷泉は逃がさない。理由を聞くまでは逃がすものか。
「神通は他の艦娘と同じように、もともと舞鶴鎮守府にいた艦娘だ。だから、葛生提督の発動した絶対命令権に支配されたんだけど、彼女は壁に頭をガンガンぶつけて、その拘束から脱出することができたんだよ。……頭が割れて血まみれになりながら、冷泉提督、冷泉提督って呻いてたんだよ」
横で見ている長門が楽しそうに解説してくれた。
「本当か、神通。……お前、そんな無茶をしたのか?」
長門の暴露に驚いた表情を見せたが、神通は黙秘を続ける。頭にきた冷泉は顔をぐいと近づけて問いかける。息がかかるくらいの距離まで近づけてやった。神通の鼓動まで聞こえそうなくらいの距離まで近づくと、観念したのか彼女が答える。
「あ、頭の中に変な声が聞こえてきて、何かよく分からないものが入り込んでくるのが分かって、気持ち悪くて、そして怖くて……でも逆らえなかったんです。でも、それは冷泉提督との思い出を消そうとしたから、私の一番大切なものを奪おうとしたから、許せなくて。そいつを追い出そうと思って、どうしたらできるか分からなかったけれど、分からなかったから頭を壁にたたき付けてたんです」
「わははは! しかもコンクリートの壁にだぞ」
と長門が補足説明をした。
「おいなんて無茶をしたんだよ。大丈夫なのか」
冷泉は驚く。顔を彼女から話すと、恐る恐る包帯を巻かれた頭に手を当ててみる。包帯越しにも皮下血腫、すなわちたんこぶができているのがわかった。
「こんなたんこぶ作っちゃって。何考えてるんだよ。お前、女の子なんだぞ!」
「私の心を……冷泉提督との思い出が奪われるくらいなら、生きている意味なんて無いです。それなら死んだ方がましです」
冷泉の目をまっすぐに見ながら神通が宣言する。
頭をぶつけた程度で、艦娘への絶対拘束力を持つ絶対命令権を逃れることができるなんてにわかに信じがたいけれど、ここにその証拠がいるのだから信じざるをえない。
「でもなあ無茶をしすぎだぞ、神通。そんなことで顔に傷が残ってしまったら、せっかくの美人さんが台無しになってしまうじゃないか」
「!……私なんか、美人じゃありません。それに」
と否定する神通を、言葉途中に冷泉はいきなり強く抱きしめた。神通は驚いたように小さく悲鳴を上げたが、冷泉は無視した。神通は冷泉の拘束をほどこうとしてもがいたが、すぐに諦めたようになされるままになった。
「お前はすごく綺麗だ、誰が見たって美人だよ。俺もそう思ってるぞ。それから、忘れて欲しくないんだけどお前は俺にとって大切な存在なんだよ。そんなお前に無理をさせてしまった俺を許してくれ。俺がふがいないばかりに、お前をこんな目に遭わせてしまって……本当にすまない」
そんなことありません……冷泉の腕の中で神通は何度も呟いていた。
冷泉は三人の艦娘に対して、伝えるべき事は伝えることだできたと思う。都度都度、自分の思いを伝えないと必ず後悔する。それがこちらの世界に来てからの冷泉の一番の反省点だったのだ。今更遅いかも知れないけれど、必要だと思ったんだ。
不知火がずっと冷泉の行動を氷のような瞳で見ていたが、それについてはあえて気づかないフリをした。
「さて……と。俺が言いたいことはみんなに伝えたと思う。時間があまりないということで、現状確認をしたいけれど、良いかな?」
急に話を変えたので、艦娘達がついて来られるか疑問だったが、どうやら特に問題は無かったようだ。誰からも意見は出なかった。
そして、現在の状況については、加賀が答えてくれた。どういうわけか少し機嫌の悪そうだったけれど。
不知火との交信の中では、冷泉達が大湊に近付き次第、迎えの者を寄越す予定だったようだが、解放された加賀達が幽閉されていた部屋から出ると、どこにも警備兵の姿が無かったことなど、鎮守府内の様子が普段と比べて明らかにおかしかったそうだ。そこで冷泉の安否が気になって、三人でやって来たとのことだった。
三人が幽閉されていた部屋は、実際に普段から隔離等が行われている部屋であり、警備兵もそれなりにいたはずなのに、誰もいなくなっていたとのこと。
大湊警備府に何らかの異変が起こっていることはわかった。それがどういった類いのものかは本来であれば調べる必要があるが、今はそんな時間も無い。冷泉達は、なすべき事を成すしかなく、そして今が最大の好機である。
そして、冷泉は、これからの行動について語ることにした。今しばらくは加賀達と行動を共にし、司令部へと到達した後はすべてを冷泉自身で行うことを告げた。
これから先に成すことには、艦娘達は一切関わらせない。……冷泉はそれを宣言したのだった。
「そんなの認められない! 」
と加賀が声を上げる。
「さすがに司令部の中には、当然ながら警備の兵がいるはずよ。提督一人では危険すぎる。私たちもついて行くわ」
「その通りだ。提督みたいな人が一人で行ったところで、警備兵を制圧できるわけがないだろう」
長門が冷静に分析結果を伝えてくる。
「ここまで同行した不知火だから分かる。冷泉提督では町のチンピラ一人倒せない。逆にボコボコにされる。そんなヘナチョコに任務を任せられない。任務達成が不知火に与えられた使命。だから提督が拒否したとしても、同行せざるをえない」
ひどい批評を交えながら、不知火までもが引かない。
ここで言い合ったところで、彼女達が納得するとは思えない。
「わかったわかった。そこはお前たちの要望を聞くよ。司令部の中までの同行も認めるから」
そこまでの妥協はやむなし。司令部内には葛生提督以外にも幹部職員がいるのは当たり前。葛生提督と懇意にしている周防という大物政治家もいるに違いない。すると彼の護衛やら更には私兵もいるかもしれない。そんな人数を一人で無力化はできない。せめて彼らの注意を引きつけるものが必要であることは、否定できない。
「そんなの当然のことだわ。それからさっき、葛生提督を撃つっていったけど、そんなこと出来ないでしょうし、させないわ」
と加賀が宣言する。
「あなたに人殺しなんてさせない。そんなことをあなたにさせるくらいなら、私がやるわ」
「無茶苦茶なことを言うなよ。そんな事できるわけないだろう? それに仮にできたとしても俺は認めないよ」
「そんなことわからないわ」
「艦娘の禁忌事項なんてお前が知らないわけないだろう? 艦娘が人間に対して危害を加えること、況んや殺すことなんて絶対にできない。そして、それが可能だとするならば、司令官による絶対命令権発動による命令しかない。そして、お前の司令官は一応、葛生提督だ。故に、そんな命令が発動されることはない。よってお前たちに葛生提督を討つことは不可能だってことは分かるよな」
冷静に否定をする。
「加賀達は葛生提督の絶対命令権の影響下には無いって冷泉提督は言った。確かにそれは事実。故に加賀達に人を殺せと命令できる存在は皆無」
不知火が解説をする。
「でも、冷泉提督が命令すれば、出来るに違いないわ」
加賀が不知火の発言を否定し、可能性を指摘した。
「……そんなことはあり得ない。確かに、冷泉提督とあなたたち……加賀と長門のことになるけれど、の間には深い深い信頼関係があるように見えるわ。でも、それは単なる口頭による信頼関係のみで成り立った上司部下の関係でしかない。システム上は何の関係も無い状況だから、絶対命令権のような強いものではない。またそれから神通さんについても言えることがある。システム上の関係は確かに構築されているけれど、神通さんは現在は葛生提督の命令権の下にあるから、権限の付与されていない冷泉提督にはそういった命令をすることはできない。……もっとも、神通さんはその支配から強制的に離脱している状況にあるから、誰の命令権下にもない。よって神通さんに誰も命令ができない。そもそもの話にもなるけど、冷泉提督が命令できる艦娘はいないんだから、艦娘に葛生提督を殺害させることはできない。もちろん、ここにはいないけど榛名にもこれは適用される。当然ながら不知火にもね」
冷徹に加賀の期待を不知火が打ち砕く。
「だったら、葛生提督を殺害しなくても、捕らえるとかそういったことができるんじゃないの。私たちの力をもってすれば制圧することだって……」
「冷静になったらどうかしら。加賀達は現在、艦とのリンクを切られている状態でしょう。艦を動かせない艦娘では、基地の制圧は不可能なのは火を見るより明らか。それすなわち、基地を制圧できる軍事力がない現状の冷泉提督の戦力では打つ手は何も無いということ。おわかり? 」
淡々と解説する不知火に加賀達は反論できなくなってしまう。
「みんな落ち着いてくれ」
冷泉は淡々とした口調で話し出す。
「不知火の言っていることに間違いない。それから、仮にお前達が艦の力を使える状況になり基地を制圧することができるとしても、とても忌々しいことになるんだけど、三笠がそれを認めてくれないだろう。俺に対する彼女からの指示は。今回の危機的状況を【俺の力】のみで切り抜けることとされているんだ。それ以外の方法は認めてくれない……しないそうだ。彼女の望みは、俺の手により反乱者である葛生提督を殺害することなんだ。彼女にとってのゲームの駒にすぎないから、その命令に逆らうことはできないんだよ。……だから、俺にはそれを成すしか無いんだ」
冷泉のなすべき事は、大湊警備府の司令官たる葛生提督の殺害。
……取り得る選択肢は、それだけだ。否、それしかない。
鎮守府司令官の死亡により、発動された絶対命令権が停止されることになる。それは、あらゆる艦娘に対する命令が停止されることを意味する。
そうなれば、大湊警備府艦隊と横須賀鎮守府艦隊との全面決戦も避けられることとなる。
多くの血を流さなくて良いこととなるのだ。
ただ一人の人間の殺害で、この絶望的かつ危機的状況が避けられるのである。それは、冷泉が考えてたとしても、もっとも効率的な作戦といえる。
通常であれば、司令官の警備は最重要事項であるが、まさか冷泉が殺害のために来るとは想定すらしていないだろう。更には、たとえ警備ができていたとしても、冷泉が艦娘の三笠の協力を得ているとは誰も想定もしていないため、どのような警備もほぼ無意味となるのである。
冷泉にのみ任務達成の特権的待遇が与えられているのだ。……三笠の協力が得られれば誰にでも可能となる。けれど三笠は冷泉にのみ、それをさせたかったのだ。
そこにどういった思惑があるのかは想像すらつかない。ただ、冷泉に対する悪意だけは感じ取れる。
「反論の余地はないよな、みんな」
冷泉は、艦娘達を一人ずつ見る。
みんな何かを言いたげだが、言葉にはできないようだ。いろいろと思うことはあるだろうけれど、状況を打破できる答えを持ち合わせていないようだ。
「他に方法なんて無いし、これが考え得る最良の方法なんだよ。これしかないし、そして、これしか認められない。俺がこれをやることで最悪の局面を避けられるんだよ。だったらやるしかないだろう? 得られるものと失うものを比較すれば明らか。現状、これが最良の選択肢なんだ。これですべてが丸く収まるんだから」
冷泉は艦娘達に語る。それは自分にも言い聞かせるものだった。
「……いつも自分一人だけが傷つく道を選ぶのね」
悲しそうに加賀が呟く。
「私にも貴方の宿命を背負わせて欲しいのに、……それは決して認めてくれないのね」
冷泉はその言葉に対して返す言葉が出てこなかった。
そして、
「俺は行かなければならない。話はここでおしまいだ」
と言うしかなかった。
余計な会話は、迷いしか生まない。迷いは失敗へと直結する。それでは、すべてが無に帰してしまうことを意味するのだから。