冷泉は執務室の豪奢な椅子に腰掛けたまま、大きく伸びをした。
机の上には、書類が30センチくらい積み上げられている。鎮守府提督の仕事とは、戦場で指揮を執り戦うばかりではない。舞鶴鎮守府という組織の全ての業務の総括となっているのだ。
弾薬や燃料から職員の使用する鉛筆にいたるまでの物品の購入、職員の給与福利厚生関係、総合的な予算要求、関係機関との協議連絡文書の確認および承認、鎮守府基地内での許可関係の処理、艦船からトイレの掃除に至るまでの様々な役務契約承認……。その他にも艦娘の苦情処理、むろん兵士たちの苦情の最終的な相談などと、やり出したらきりがないほどの業務が提督の元へと回ってくるのだ。
これらは従来から続いている事務の流れのようで、もっと簡素化できるように思うが、この非効率的な事務はなかなか変えられないみたいだ。会社でもそうだけれど、一度やり出した事はそう簡単には止められない。始めるよりも終わらせる方が圧倒的に労力が必要なのは、いつの世もどこの世界も同じなのだろう。
冷泉の事務処理能力を高めに評価したとしても、とても一人でやりきれるような半端な業務量ではない。民間企業であり、公務員なんかと比べたら決して楽な仕事をしていた訳では無いが、こんな業務量をこなすなんて公務員様凄いです。公務員なんて絶対やりたくないと思わざるをえないレベルだ。
しかし、秘書艦がいることでその不可能さも回避されている。彼女たちの事務処理能力は相当に高く、彼女たちのチェックを受けた完璧な書類が冷泉のところに回ってきているため、かなり楽だ。
もっとも、舞鶴鎮守府の職員も結構優秀なようで、秘書艦となった艦娘が見てもほぼ問題無いレベルに仕上がっているので、手直しもほとんど無く提督にお渡しできるんですよとのことだけれど。
割り切ってしまえば、鎮守府司令官の事務仕事は、判子を押すだけでおしまいの簡単なお仕事になってしまっていると言えなくもない。
膨大な時間が掛かってしまっているのは、冷泉がそれでも全書類に目を通している為なのであった。なぜそんな事をするかと言うと、冷泉はこちらの世界に来てまだ日も浅く、全く未経験、未知の鎮守府の事務の流れというものを把握するためにやっているだけなのだ。だから、ある程度慣れたら、みんなを信じて処理するようにするつもりにしている。
冷泉の左側の少し離れた場所に、こちら向きの位置で事務机があり、そこには現在の秘書艦である高雄が腰掛けて、ノートパソコンを駆使して執務中だ。ちなみに金剛は、あの後すぐに帰って行った。
「次の作戦開始までは私の時より時間が掛かりそうですネー。提督とずっと一緒にいられる高雄がうらやましいヨー! 」とか騒ぎながら出て行ったけれど……。
確かに、神通、扶桑がドック入り中。さらに大井、羽黒、村雨がドック待ちの状況になっている。そういうわけで現在、第一艦隊で編成できる艦娘は金剛、祥鳳、高雄の三人だけであり、ドック入りしている、及び待機中の艦娘の治療及び修理が完了しない限り、あの海域へ進撃することはほぼ不可能というか、できない。現状でやれることは、第二艦隊による遠征のみである。これについては現在編成を検討しているところだ。
舞鶴鎮守府の艦娘の数は第二艦隊まで編成してもまだ余裕があるのだけれど、これは基地警備要員として確保しておく必要もあるので、その兵力も残しておく必要があるからなのである。深海棲艦は時折鎮守府等の軍事基地を攻撃してくることがあるので、それに対応する兵力は必須なのであった……。とはいえ、大規模な進撃をしてくることは近年無いと言うことなので、どの鎮守府でも最低限の兵力をおいているだけなのだけれど。
「ふう……」
いろいろ考えると本気で疲れる。ため息も大きくなってしまった。
「提督、お疲れですね。……私も肩がこっちゃいました。お茶にしますか?」
キーボードを打つのをやめて、高雄が微笑んでくる。
「うーん、そうだね。お互いちょっと根を詰めすぎたのかな」
再度両腕を上に伸ばしてストレッチをしながら高雄の方を見る。彼女の顔を見ながらも、どうしても胸の方に視線が言ってしまう。
「えーと、でもさあ。高雄の肩こりって他に要因があるんじゃないかなあ……なんてね」
「ふふふ。提督、それは大丈夫ですよ。お仕事中は、極力、これは机の上に載せるようにしてますからね。でも、それでもこってしまうんですよね」
普通に受け答えをし、セクハラ発言を軽々とスルー。
「そ、そうですか」
二人っきりになってから、高雄は黙々と作業を進めていたから、ほとんど会話らしい会話ができていない。金剛はぐいぐいと積極的に話しかけてくるタイプだから、会話がとぎれる事が無かったんだけれど、高雄はそこまでおしゃべりじゃない。だから沈黙が結構あって、気まずいときがあったりする。なんとかお話をしたくてきっかけを探していた冷泉が、チャンスとばかりと思って切り出した言葉がセクハラ発言……。おまけに何の反応も引き出せずにスルーされ、ショックで打ちひしがれそうになっていた。
さすがに「こっていますか……へへへ、じゃあ、揉みほぐしちゃおうかなあ」などとは司令官という立場上、言う訳にもいかず。さすがにそれは変態の領域に行ってしまうから。
なんとか会話を続けないと、気まずい。かと言って、彼女がどんな趣味だとか性格かをいまいち把握していなかったので、何を話して良いか、困惑してしまい、言葉が出てこない。
真面目で、胸が大きいしか予備知識無かったです。
「ところで……」
仕方ない。仕事の話しをしつつ、会話の糸口を探るしかない。
「はい、なんでしょうか、提督」
「うちの艦隊の編成について、いろいろ考えているんだけれど、どうしても駒不足としか言いようがない現状なんだよな。それだけじゃなくて、ドックの数が少なすぎるんだよな。今回のように負傷した艦娘が出てしまうと、入渠待ちとなってしまうし、第一艦隊を編成することができなくなってしまう。これは大きなロスにつながるよな」
「はい、そうですね。領域解放するについては、一概に戦艦と空母編成で押し切れない場合もありますが、通常はそういった編成を組続けられるようにできた方が有利に戦いを進められますね。確かに、現状の舞鶴鎮守府艦隊については、余力がありませんから」
「ちなみになんだけど、ドックを開放するにはどれくらいの予算が必要なんだろうか? 」
ゲームでは課金しないと増やせないくらいだから、やはり相当の費用がかかるんだろうね。普通に建設してもかなりの費用がかかるのだけれど。
「お待ちください」
そう言うと、高雄がパソコンに何かを打ち込む。
「費用については工事費だけでなく設備費もかかってきます。さらに、戦艦、巡洋艦、駆逐艦のどのクラスまでの艦船を収容できるか、どういった事までできるようにするかに左右されるようなので、一概にいくらとは言えないみたいですね。少なくとも海軍省の許可が必要案件となっています。これについては、海軍省の方で優先順位と言うものがあるみたいですから、現状では申請されたとしても、不可能とお考えになられた方が良いようです」
「なるほど。つまり、うちの要望は優先順位が低いということなのかな」
「あ、すみません。そんなつもりで言ったわけではありません。すみません」
びっくりしたような顔で立ち上がると、ぺこぺこと頭を下げ出す高雄。
どうやら、冷泉を批判してしまったように受け止めたようだ。
「あ、いや、そんなに慌てなくていいよ。俺もそんなつもりで言った訳じゃないから」
「でも、提督を批判するような感じになってしまって。そんなことちっとも思っていないのに、私、私」
なんだか泣きそうな顔をしている高雄の顔がすごく可愛くて、いとおしくて、なんだか尾てい骨の辺りが痺れるのを感じた。
そもそも、冷泉は最近来たばかりなので、舞鶴鎮守府の戦とか評価や海軍における序列などは、ほとんど知らない。だから何を言われても全く気にならないのだけど、高雄はそのことについて意図せずに触れてしまったことを反省しているようだ。
うちの鎮守府においては周知の事実であるが、タブー視されている事なのだろうか。
「高雄、そんなに自分を責めなくていいよ。事実は事実なのだから。それをいかに変えていくのかがこれからの課題だからな。……でも、お前たちもこの件について愁いていたんだな。すまなかった」
一応、それっぽい言葉も加えておく。そうでないと、疑われたりするかもしれないから。
「もったいないお言葉です。本当は私たちが不甲斐ないだけだというのに、提督だけが責められて。私たちにもっと力があれば……」
「まあ、俺は司令官だからね。俺は権限を与えられた人間だから、その全ての責任を負うのは当然だよ。高雄たちが気に病むことじゃない。とにかく、ドックの件については了解だ。無いものを求めても仕方ないな。じゃあ、次の案件だけど」
「はい、なんでしょうか」
「となると、増員を求めるしか無いんだよな」
「そうですね。新たな艦娘が増えれば増えるだけ編成の幅も広がりますし、ローテーションを組んで回せば、途切れなく出撃を行う事ができます。万一、損傷したとしても交対できる艦娘がいると判れば安心して休むことができます。……確かに、現状では少し無理をしている艦娘もいますからね」
「それは誰なんだい? 」
ある程度、予想はできるが聞いてみる。
「第一艦隊と第二艦隊を兼務しているような子がかなり無理をしています。……羽黒、神通、大井は、作戦によってどちらの艦隊にも編入されます。ですから、休養不足の問題もありますし、少々の損傷があっても無理して出撃することがあったようです。もちろん提督も注意していたでしょうけれど、彼女たちはその事を隠してたでしょうからね」
確かに、軽巡洋艦は遠征にも使われるし、状況によっては主力艦隊に編入されることもあった。掛け持ちをするようだと、艦娘が多ければ休んだりできるが、少なければ休み無く働き続けることもありえただろう。おまけにドックがふさがっていたら少々の怪我では休むことなく無理して出撃していったこともあったかもしれない。目に見える損傷なら流石に見逃さないだろうが、そうじゃない損傷もあり得るだろうし、疲労なんてものはさらに判らない。
大井はともかくとして、羽黒と神通は大人しいし、責任感も強そうなタイプだから、我慢に我慢を重ねて無理してるんだろうな。
「無理をさせている場面もあったかもしれない。そういった問題を解決するためにも、艦娘の増員は必須だろう」
「増員の事務手続きについては、私はあまり詳しくありません。提督、艦娘を増やすことは簡単なのでしょうか」
「うん、基本的にはそんなに簡単にはいかないね。横須賀、呉、佐世保、舞鶴の四鎮守府、そして大湊警備府があるわけなんだけれど、それぞれに艦娘がいるわけだ。……もっとも、存在する艦娘すべてが各鎮守府に配置されている訳じゃない。けれど、高雄が指摘したように、その鎮守府毎の事情や優先度に応じて艦娘の定員枠が決まっているんだよ。提督達はその枠内で艦娘を配置することになるし、鎮守府間で融通しあうことになっている。それでも足りなければ増員の要求をすることになる。ただ、増員については、相応の理由が必要となるわけだけれど」
資料で見た話しをそのまま話しているわけであるが……。
「現在の舞鶴鎮守府は、定員枠一杯なのでしょうか? だとしたら時間がかかりますね」
「いや、実はこれがまだ空きがあるんだよ。だから、要求すれば優先的に艦娘を回してもらえるはずなんだよな」
「そうなんですか! どうして定員枠を残しているのかは判りませんが、戦力強化ができそうですね! 」
素直に喜ぶ高雄。
この資料を見たときにに同じ疑問を冷泉も感じていた。それ以前に鎮守府の状況を見た時から感じていた謎ではあるけれど、前の司令官は意図的に艦娘を減らしていたようにさえ思えるのだ。
それがどういう理由での事なのかは分からない。また調べられる範囲で調べる必要があるのだろうけれど。
「では提督、どういった艦娘を要求していくのですか」
「そうだなあ。まず行うのは第一艦隊の強化となるから、戦艦と正規空母が必要となるな。あとは第二艦隊の掛け持ちも可能な巡洋艦。そして駆逐艦も必要だ。……それからできれば潜水艦も欲しいな」
我ながら欲張りな要求だと思うが、現在の倍、これくらいの数を集めないと戦いは厳しいままだ。
「戦艦……ですか。圧倒的火力と堅牢な防御力。領域攻略にとってもっとも必要となる艦娘ですね。うちには金剛さんと扶桑さんだけですから、補強としては重要と私も思います。提督としては誰が希望なんでしょうか? 」
いきなり恋人探しみたいな事を聞いてくるんだな。
「うむ。俺として、第一希望は長門かな。そして、できれば榛名も手に入れたい」
「でも提督、長門さんは横須賀鎮守府の旗艦ですよ。あと榛名さんは、呉鎮守府に配属されていますね。どちらも主力艦として働いていますから、向こうの提督が了承しないと難しいのではないでしょうか? ……でも提督の好みがなんとなくわかります。なるほどなるほど。私も髪を伸ばしたほうがいいのでしょうか? 」
「そうか。そうだろうなあ。当たり前か。でもまあ、希望だけは出してみるか。未配属の戦艦を求めるという手もあるんだろうけれど。これは、少し考える」
高雄の最後の一言は、ぼそりと言ったため聞き取りにくかったので、あえて聞こえなかったこととする。
「空母だとどうなんです? 」
「そうだなあ。うちの艦隊は祥鳳だけだからね。航空戦力は領域解放戦において、今後、最優先すべきと俺は考えているから、ここは妥協できない。たとえ資材を大量に消費するとはいえども、最優先で入手したいところね。……やはり基本は正規空母を二人は欲しい。そして、誰かと言われれば、最優先は加賀だ。そして蒼龍かな」
加賀については能力的なものと、個人的な好みが含まれる。蒼龍はセクハラしても怒らないイメージだから選んだ。
「こちらも残念なお知らせです。加賀さん、蒼龍さん共に横須賀鎮守府に配属されています。お二人とも第一艦隊の主力艦娘ですね。……空母についての提督の好みは分かりました。こちらは私が勝っているかもです」
「正規空母で未配備な子っているんだろうか? それ以前に横須賀鎮守府ってどんだけ強力な布陣なんだよ」
横須賀鎮守府恐るべし。主力艦のほとんどがあそこに配置されているのか。そして高雄の後半の台詞はまた聞こえなかったこととする。
「横須賀は我が国最強最精鋭ですからね。その分、敵も手強いところを任されているのです。こればかりは仕方ないですね。……未配備の艦娘ですか。そうですね、正規空母ではありませんが、大鳳が未配備となっています」
「よし、大鳳も追加だ。それと軽空母も欲しいので龍鳳と瑞鳳も入れておこう」
「もう、どっちが好みなんでしょうか。大きい子ですか、小さい子ですか? さて……巡洋艦だとどうなのですか。巡洋艦クラスなら、戦艦や空母よりは融通が利くと思いますが」
「巡洋艦については、重雷装巡洋艦すべてと軽巡洋艦なら矢矧かな。あと筑摩とかもできれば。ちなみに潜水艦なら伊58かな」
開幕早々の艦載機による攻撃からの遠距離隠密魚雷により敵が反撃する前に敵艦隊のHPのほとんどを削り取り、戦艦の砲撃により殲滅という戦法を考えている。これなら被害も少なく押さえられる。
「だいたいの提督の好みは分かりました。のんびりしていられません。私も他の艦娘に負けないように精進します」
いつの間にか女の子の好みのような解釈をしているようだけれど、まあ似たようなものだから否定しないでおく。
「駆逐艦についても、要求は上げる必要があるので精査しないとな。とにかく少し検討してみてから、要求を上げてみるよ」
「うまくいくといいですね。新しい仲間が増えたら、寮もにぎやかになって楽しいですから」
ちなみに艦娘たちは全員、寮生活をしている。基本的には寮で寝起きしているが、気分によって自らの艦の中で休むこともあるらしい。
ちなみに寮には提督の部屋は無いようだけれども。
「艦隊の戦力強化ができるように、資料を作ってとりあえず上に申請してみるさ。がんばって折衝にあたるよ」
「お願いします。良い結果が出ればいいですね」
そういうと高雄はペコリと頭を下げた。
そして再び二人は退屈な内業へと戻るのだった。