迎撃艦隊の出撃までには、若干の時間を要することとなった―――。
その一番の原因となったのは、冷泉の体が首より上と右腕以外全く動かないという状態であったからである。奇跡的に死地から戻ることができたとはいえ、普通の人間ならば満身創痍といった言葉が相応しい状態。それが冷泉の状態だったのだ。本来ならば、すぐにでも安静にし、休養を取らなせなければいけない。そんな状態の人間を戦闘に参加させるなんてあり得ない、との医師などの反対意見もあったが、時は一刻を争う緊急事態であることを理由に、冷泉が強引に説き伏せるまで結構な時間を費やしたのだ。
やりとりについては本当にいろいろとあったけれど、なんとか軽巡洋艦夕張の艦長席に座ることができている状態だ。
そして、右隣にはセーラー服姿の夕張が立っている。
「さて。夕張、敵艦隊の状況はどうなっているかな? 」
時間の遅れを取り戻すべく、状況確認をする。既に金剛以下三隻は、先行して出撃している。冷泉を搭乗させるのに時間がかかったために、旗艦夕張だけが出遅れたのだ。
「え、はい。敵艦隊は、輪形陣でこちらに接近中だけどが、こちらの様子を伺っているのか、速度を落としてるわね。どうやら、今のところはこちらの射程内に近づくつもりがないのかも」
少し緊張しているのか、夕張の声はうわずっている。
「ん? 夕張、何か心配事でもあるのか? 」
「いえ、何でもないわ。でも、……私なんかが艦隊旗艦の大役を務められるのかって思ったら、何だか緊張してきて……。艦隊旗艦は、秘書艦が努めることになっているのに……いいのかしら」
「お前なら大丈夫だよ、……心配はいらない。ここは、領域内では無いからね。電子機器に異常が発生する危険の無い通常海域なら、お前の力がもっとも生かせる場だろう? だからこそ、俺はお前を選んだんだ。お前には、その特化した戦闘指揮能力があるんだから大丈夫。それに、そのために訓練をしてきたんじゃないか。その成果を見せてくれ。……それに俺がついている。だから安心しろ」
夕張は、戦闘による損傷により艦本体に致命的なダメージを負ったため、様々な負荷が艦にかかる領域での戦闘には耐えられなくなっている。
戦えない軍艦……通常ならそんな艦など廃棄処分となるのが通例であろう。けれど、冷泉の前任の提督がどんな意図があったかは不明なのだけれど、それを頑として承諾しなかったのだ。それどころか、鎮守府の予備兵力として絶対に必要ということで存置となり、鎮守府で待機させられていたのだった。しかし、そんな理由だけでは一時的に廃棄を逃れられるだけであって、何時どういった状況変化で覆されるか分からない。軍隊において、特に深海棲艦と戦っている現状において、無駄な兵力を置いておく余裕などないのだから。
そこで冷泉は、予備戦力として残されたままという不安定な身分の夕張を護るために、軍の機関のあちこちに働きかけたわけである。彼女を武器開発艦および鎮守府防衛用としての最新の機器を搭載させた能力特化艦とするという理由をでっち上げ、様々な根回しや交渉を重ね、宥め賺してそれを上層部に承諾させたのだ。鎮守府防衛戦なんて、そうそう発生するわけではないけれど、それでも通常海域での深海棲艦との小競り合いは頻発しているため、必要性が皆無というわけでは無かった。そんな訳で否定する材料も少なかった事が有利に働いたようだ。前任の提督がどういう意図で夕張を残したかは分からないけれど、彼の意志はなんとか継げたと考えている。もちろん、彼女はそんな事があった何で知らない。冷泉としても言うつもりなど無いけれど。
夕張が見せる弱気な態度は、彼女が全ての艦娘からのデータ及び地上基地からのデータを収集分析し、指示を決定する指揮艦となるよう現在訓練中であることが原因であり、まだあまりに訓練経験が少ない中での実戦であるため、自信が無いから緊張しているだけなのだ。
「もちろん、て、提督を信じてないわけでは、ないわ」
何故か慌てて否定する。その顔がどういうわけか赤くなっているのは、緊張のせいだろうか。
「そっか、……まあ訓練通りやれば、どうにかなるさ。それに、お前が指揮する艦娘達は優秀だからな。安心していいぞ」
そう言って、冷泉は彼女の頭を撫でようとするが、手が届かず背中を撫でる形となった。当然ながらセーラー服から露出した腰の当たりを意図せずに撫でる格好となる。
「にゃー! 」
妙な声を出し、飛び上がる夕張。
「なっ、何をするんですか! 」
「あ、ごめん。頭を撫でようと思ったんだけど、手が届かなかった」
自分の体が右腕と首より上しか動かないということを忘れていた。いつもの感覚ではダメなのだと再認識させられる。
「な……。もう、こんな時にエッチなことはやめてください。何を考えてるの」
ますます顔を上気させ、夕張は睨むような目でこちらを見ている。そんなつもりは無かったけれど、わざと触ったように思われても仕方ない状況はあった。けれど、夕張はそれ以上何も言わなかった。
どうやら、彼女は冷泉にされたことについては、あまり怒ってはいないようだ。それに、エッチも何もわざとじゃないんだから。誤解を覚悟であえて言うならば、そもそもスカートをローライズさせて、白いお腹を露出させている夕張にも問題がある。……そんな自分勝手な言い訳を心の中でつぶやくが、口には出さない。
「すまんすまん、許してくれよ。でも、これで少しは緊張が解けたかな? 」
「ぐぐぐ……はい、一応は。びっくりしたから、緊張はどっかに吹っ飛んだのかもしれないけど。……それを狙って提督がやられたというのだったらすごいと思うんだけど……どうせ、違うんでしょうけど」
「ははは。わりと信頼されてないんだな……。けど、まあ、お前の緊張を解くためにわざとやった……そういうことにしておいてくれ。その方がお互いにプラスだろうし。まあ、それはともかく。では気分を入れ替えて港を出るぞ」
そう言って彼女のおしりを軽く叩く。これまた意図せずに、お尻を撫でる形になってしまう。
冗談話はさておき、外海に出るのだ。これからは警戒モードに切り替えないといけない。……と、冷泉は戦闘モードへと切り替えていく。
巡洋艦夕張は、港に設置されたゲートをくぐり出撃する。
「も、もう!。……了解です。速力を上げるわね」
まだ完全に緊張は解けていないらしく、少し強ばった表情で夕張が答えた。
お尻を触ったぐらいでは、どうやら彼女は怒らないようだ。
「よし、今、把握できている情報すべてを出してくれ」
冷泉の指示により、艦橋内のモニタに様々な情報が映し出される。それにより確認出来る情報は、現在、移動中の金剛以下の艦よりもたらされた情報、及び鎮守府からの情報、日本各地に設置されたレーダーなどの観測設備からの情報を夕張が整理して表示させているものだ。衛星や航空機からのデータも反映できればより精度が高い戦術データリンクシステムとなるのだが、深海棲艦が制空権を握っている現状ではそれも難しい。航空兵力に艦娘のような超未来兵器は存在しないのだから仕方が無い。贅沢は言えないというわけだ。それでも構築されたシステムは、圧倒的な能力を発揮する。
冷泉の艦隊は、夕張を最後尾としたV字型の陣形を多い取っている。先頭は金剛と扶桑の戦艦を配置し、夕張との中間位置に高雄と羽黒がいる。敵艦隊は、まだ二百数十キロ彼方の北方、領域との境界域に沿うようにゆっくりと十字陣形を取りながら移動している。当然ながら艦砲の射程外であり、かつ、いつでも領域内に逃げ込める状況を保っているようだ。
「敵の策にわざわざ乗ることになるけど、仕方ないな。全艦、現在の陣形を維持しながら前進する。とにかく街から距離を取らないといけないからな。敵の射程ギリギリまで接近するしかないかな」
「提督、それはどういうことなの? 」
「ああ……あまり陸に近い場所で交戦状態になると、流れ弾で街に被害が及ぶ恐れがあるだろう? 当然だけど、一般市民を戦闘に巻き込むわけにはいかないからなあ。そんな事があったら一大事だ。けど、そういった当たり前の話だけじゃいかな事情もあるんだよね、実際には。戦いが終わった後、即、大喜びでやって来る国会議員なんかからの苦情対応に追われることになるからね。敵との戦闘で苦労する上に、議員対応なんてやってられないだろう? 不思議なことに敵も気を遣ってか、待っていてくれるようだし。それに応えてやらないとな」
冗談めかして応えるけれど、本当は、それだけではない。
軍が力を握っている現在の日本国といえども、やはり、民主主義国家である。国会議員や官僚たちの日本軍への影響力はまだまだ大きく、無視出来るようなものではない。すばらしいことに、文民統制は未だ健在だということだ。マスメディアだって、まだまだその影響力を国民に対して十二分に発揮でき、世論を誘導できる環境・権限を維持しているのだから。
圧倒的な力を持つ外敵と戦っているというのに、国民一丸となってその敵と戦おうというような運動は、どういう訳か活発ではないのが日本国の現状だ。それは、この世界に来て一番冷泉が不思議だったことだ。想像するに、これは敗戦により外的内的に植え付けられたある意味の理性が、このような状況であろうとも国民を冷静な立場におき、軍国主義一辺倒にならずにさせているのかもしれない。
もちろん、それはそれで素晴らしい事であると冷泉は思っている。けれども、対応する側に置かれ、国会議員やマスコミ対応という非生産的な活動に、時間と労力を裂かねばならないとなると、それはとてつもなく無駄なことであり、ただただ苦痛であり、どんなに努力しても報われず、そして何も生み出さず、ただ権力者を満足させるだけでしかないと思わざるを得なくなる。……実際、うんざりしているし。さらに、この国家状況が影響しているのか、野党が相当な勢力を持っていることも更なる頭痛の種となる。与党議員なら、ある程度事情も分かっているから、引きどころを心得ている。けれど、彼らはダメだ。とにかく文句を言い、困らせたら勝ちだという考えがあるようで、本当に酷い。議論にすらならない。それでも、まだそいつらはましな方だ。彼らの支持母体の一部には、平和主義かぶれの団体がいて、彼らはあろうことか深海棲艦との話し合いを求めているのだ。……まあ、それくらいなら構わない。頭がおかしい連中と言うことで、なんとか納得できる。けれど彼らの中には、艦娘そのものを敵視し、排除しようと暗躍する勢力までいるのだ。そんな連中を見たら、本気でぶん殴ってやりたくなる。自分たちは絶対敵に安全な場所にいて、やれ平和だ、戦争反対だ、武器を捨てろ、深海棲艦と平和交渉をやれと好き勝手な事を言い、人間のために命がけで戦ってくれている彼女たちをまるで敵のように罵る。そんな奴らを護るために戦うなんて不毛すぎる。けれど、そういった連中が国政の場においてある程度の支持を得、それなりの力を持っているのが現実なのだ。
意図的なのかは不明だけれど、軍事拠点である各鎮守府の付近の街においては、そういった勢力が最近多くなっている気がする。毎日毎日、飽きもせずにプラカードを持って塀越しに騒いでいるのを見かけるし、いろいろな手段を使って嫌がらせをしたりしているようだ。ギリギリ法に触れない行為をしているので、取り締まり対象にもならないらしいし。……けれど、あいつらが何の為に、ああいった行動をしているのかは、未だに謎だ。さらには関係の無い一般市民に対しても嘘だらけの啓蒙活動をマスコミとグルになって行っているようだし。冷泉としては、無駄な事に貴重な時間と労力を裂かずに、少しは世の中の役に立つために働けよと思うが、彼らにとっては、そうすることが社会貢献だと思っているのだから手に負えない。
軍隊が街に常駐していることで深海棲艦の攻撃対象となる可能性があり、危険なのは間違いない。冷泉もそれは否定はしない。けれど、軍隊がいなければ深海棲艦がいつでも自由に動き回れるというマイナス面のことも認識してほしいものだ。もちろん、文句を言うのは言論の自由が保障されているのだから、好きにすればいい。けれど、最前線に住むことも無く、安全な内地から大挙して遠征して来て、好き勝手な無責任な事を言い放題するだけなのは、本当にいい加減にしてほしい。
―――こんな話、冷泉がいた世界でも言われていたな。あの時は、遠くの島の話だからあまり実感が沸かなかった。遠い世界の話だとしか思えず、日常に埋没していってた。
「どちらにしても、国民の生命・財産を最優先で護るのが俺たちの仕事だからね」
半分諦めたような口調で冷泉は言う。夕張も冷泉の言わんとすることを理解したのか、そうですねと苦笑いをする。
「まあ、そんなことは今はどうでもいいか。……遠征中の第二艦隊の位置は、分かるか? 」
「えっと、ちょっと待ってね」
すぐに全体図を写したモニタに神通を旗艦とした第二艦隊の位置が表示される。
現在、遠征任務を終え帰投中の艦隊は、舞鶴鎮守府より北東へ300キロ程度離れた場所にある。数時間あれば鎮守府に帰投する位置にあり、仮に最大速度で急げば、一時間程度あれば攻撃可能エリアに入ることになるだろう。
「神通たちに援軍を求めれば、兵力は、ほぼ同数となるわね」
冷泉は胸ポケットからフラッシュメモリを取り出して、夕張に渡す。
「これは何かしら? 」
「この中に入っているデータを、神通に送信してくれ」
「データ? いいけれど」
そう言って夕張はフラッシュメモリを冷泉から受け取ると、端末に差し込みキー操作を行う。
「本文は、何か入れておくの? 」
「そうだな。中身を見れば何が入ってるかは分かるだろうから……。そうだな、『お前を信頼している。』それだけ打ち込んでくれ」
「了解しました。……送信しました。でも、直接伝えた方が早いんじゃないのかしら? 提督が直接伝えた方が、神通だって喜ぶでしょうし。あの子、強がってるけど、提督の事をすごく心配してるはずだし。声を聞いたら本当に喜ぶのに」
不思議そうに夕張が聞いてくる。
「複雑な作戦指示が入ってるんだよ。だから、言葉では伝えにくい。データを艦のシステムに入れれば、それで俺の作戦がすべて伝えられるからな。セキュリティ上も安心だ。……まあ、そんなところだよ。それと、音声通信で第二艦隊のみんなにも俺の無事を伝えたいけど、通信は傍受されることを前提で行動しないといけないからな。さっきのデータだけなら、傍受しても解析に時間がかかるからね。それに解析しても、後から見たんじゃあまり意味のないものだし。けれど音声通信は通話内容はもとより、双方の存在を知らせてしまう事になってしまうからな」
夕張が言いたかったことについては、適当にはぐらかす冷泉。あまり納得していないようだが、それ以上話すのはあまり意味がない。
そして、そうこうしているうちに艦橋前方の大型スクリーンに4つの艦影が見えて来る。
先行していた第一艦隊だ。
「よし、各艦とのリンク状況を確認してくれ」
小型のモニタがポップアップし、それぞれの艦娘たちの姿が映し出される。
冷泉と通信が繋がった事に気づくと、金剛は、こちらを見てニッコリと微笑み、ウィンクをしながら投げキッスをしている。
「……接続、問題無しです」
と、あえて夕張は無表情に応える。
「よし。それと金剛、馬鹿なことしなくていい。夕張……全艦の攻撃権限をこちらに回すように、連絡してくれ。それから、俺の手の届く場所で射撃管制の操作をできるようにしてくれ」
「了解です。こちら夕張です。第一艦隊各艦に提督より通達。これより全艦の攻撃権限をこちらが掌握します。権限の委譲許可をお願いします」
「……了解」
「了解しました! 」
「ふふふ、金剛ったら……。扶桑、了解です」
「テートク、酷いよぅ」
それぞれが応える。