最初に耳に飛び込んできたのは赤ん坊の泣き声だった。続いて潮騒が聞こえ、海鳥の鳴き声と思しき音が耳に響く。
そんな不可思議な音を目覚まし代わりに、ゆっくりと目を開いた。
最初に視界に入ってきたのは雲一つない青々と良く晴れた空と太陽の光。同時に微睡んでいた意識がはっきりとしてきた。そのおかげで、自分が仰向けに倒れているのだということが分かった。
まるで自分のものではないように鈍く反応する手足を操って体を起こし、周囲の様子をしっかりと確認したことで、現在の状況が朧気ながら理解できた。
どうやら小舟の上にいて、どこかの浜辺に漂着したらしい。そして傍らには、船旅の同行者と思しき一人の赤ん坊がいた。おくるみの布に包まれて揺りかごの中で、元気いっぱいに泣いている。
揺りかごをよく確認すると、赤ん坊の名前を書いたであろうプレートが目に入った。ただしそれは何が原因か一部分が削り取られており、辛うじて確認できたのは頭文字がアルファベットのDであるということだけだった。
(……ん?)
その事実が記憶の片隅に引っ掛かる。赤ん坊・漂流・Dという頭文字だけが残された名前。断片的なキーワードから導き出された答えは、ダイの大冒険という言葉だった。その物語に登場する主人公ダイがデルムリン島という島に漂着するシーン。今の状況はまさにそれだった。
けれども理性がそれを否定する。
ただ似たようなシチュエーションになっただけで、そんなわけはないだろう。
そう心の中で否定した時だった。
「ピィ」
不意に聞こえてきた声のする方向に目をやれば、そこにはよく知った生物の姿があった。
ゲーム、ドラゴンクエストに登場するスライムである。水滴に可愛らしい目と口を付けたようなその姿は、見間違えようはずもない。
「……すらいむ?」
「ピィ!」
名前を呼ばれたと思ったのだろう、スライムが嬉しそうに鳴きながらピョンピョンと小刻みに飛び跳ねている。
だが、それ以上に驚くべきことがあった。しっかりと「スライム」と口にしたはずが、舌足らずな言葉しか出てこなかったことだ。
記憶が確かならば成人していたはずなのに。そういえば、周囲に見える景色はやけに大きく、自分の手足を確認すれば、記憶のそれと比較しても異なっており、やけに小さい。
「ピィ! ピィ!」
「一体どうしたというんじゃ? そんなに急かすでないわ……やや、小舟じゃと?」
落ち着く暇もなく聞こえてきた声を確認したところで、理性がついに白旗を上げた。
別のスライムに誘導されながら姿を見せたのは、鬼面道士のブラスという名のモンスター。ダイの育ての親だった人だ。
「昨日の嵐で流れ着いたかの? それに赤子の声も……やや、こんなに小さな赤ん坊が。それに、この子よりは成長しておるようじゃが、小さな子供がもう一人とは……」
ブラスは泣き続けるダイを抱き上げながらそう言う。
そして、その言葉を聞いた彼女はついに認めるしかなかった。
ここはダイの大冒険の世界であり、褐色の肌に赤い髪をした小さな子供の姿に転生しているということを。
そして、小さな子供である現在の姿には不釣り合いな――さながら前世の記憶とでもいえばよいだろうか――現代社会に生まれ、そして成人して働いていたはずの、自分の記憶と経験が存在していることを。
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「坊や……いや、お嬢ちゃんかの? ワシの言葉がわかるかい?」
「うん、わかる」
ブラスの言葉に、彼女は頷きながら返す。
ここまで来て、下手にかき回す必要もないだろう。そう考え、わかることは素直に答えようと考えていた。自分は子供なのだから、出来るだけ子供らしく答えておこうとすることも忘れない。
「この子とお嬢ちゃんは難破した船に乗っておったのかい?」
「わからない」
「ふむ……二人は姉弟なのかい?」
「ううん、しらないこ」
「なんと……状況から考えれば、子供たちだけでも助けようとしたのじゃろうか……」
小舟の周囲には船の素材だったと思わしき廃材や荷物が散見されることから、ブラスは自分の推測は間違っていないだろうと結論付けた。偶々乗船していた子供を二人、命だけでも助かってほしいと誰かが小舟に乗せたのだろう。
「えーん! えーん!」
「おお、こりゃいかんの。赤ちゃんや、いい子だから泣き止んでおくれ」
「ピィ! ピィ!」
だがいつまでも思索に没頭することは許されなかった。抱いている赤ん坊の声に悩まされながら、ブラスは慣れぬ手つきで必死で赤ん坊のご機嫌を取ろうとするものの、うまく行かない。
長い年月を生きてそれなりの知識を蓄えていると自負しているブラスであったが、何しろモンスターなのだ。人間の赤ん坊のあやし方など知るはずもない。近くで成り行きを見守っていたスライムも慌てたように声を上げるがどうすることもできない。
「かして」
悪戦苦闘しているブラスを見かねて、彼女は動いた。子供を育てた経験など覚えている限りでは無かったはずだが、それでもモンスターのブラスよりはマシだろうという考えからだ。不安そうになりながらもブラスは赤ん坊を彼女に渡し、彼女もまた赤ん坊をゆっくりと受け取る。
抱きしめた赤ん坊の感触は、温かく、そして重かった。
物理的な重さと温かさも勿論あるのだが、それ以上に命の重さと温かさを感じる。これが人の命なのだということを感じつつ、彼女は見様見真似でありながらゆっくりと赤ん坊をあやしていく。
その甲斐があってか赤ん坊の泣き声は少しずつ小さくなり、そしてついには眠りについた。
「すーっ……すーっ……」
「やれやれ、助かったわい。何しろ赤ん坊のあやし方などワシは知らんからのぅ……おっと、いつまでも赤ん坊と呼ぶのも可哀想じゃな。はて、この子の名前はなんというのじゃろうか……」
「おなまえ? わたし、しってるよ」
「な、なんじゃと!? この子はなんという名前なんじゃ?」
「ほら、そこのかごにかいてあるの」
どれどれ、とばかりにブラスが揺りかごを確認すると、先ほど彼女が確認した頭文字以外が削り取られたプレートを見つける。
なるほど、ここに確かに名前が書いてあったのだろうが、削り取られてしまい読むことはできない。そしてこの少女は、文字が読めなくともそこに名前が書いてあることは判断できたのだから、そんなことを言ったのだろう。ブラスはそう考えた。
「なるほどのぅ……お嬢ちゃんや、確かにここに名前が書いてあったんじゃが、文字が消えていてのう……」
「よめないの?」
「あ、ああ。そういうことじゃよ」
「じゃあ、おなまえつけなきゃ」
「はは、そうじゃのう……」
この子の言うように、名無しのままでは色々と問題になるだろう。保護した子供に勝手に名前を付けるのは少々気が咎めるが、ずっと名無しで通すわけにもいかない。何か名前を付けなければ。
幸いにも頭文字のDだけは残っている。ならばせめてそこだけでも同じ名前にすれば、この赤ん坊の本当の両親も喜ばれることだろう。
「ふむ……D、ディー……ダオ……」
「だい!」
「ん!?」
「だい、だいがいい!」
頭文字のDにちなんだ名前を考え始めたところで、彼女は大声で名前を口にした。
それは、彼女の知る物語で赤ん坊に付けられた名前。その物語に従ってダイという名前を付けるように彼女は赤ん坊の名前を連呼する。
「わかったわい。ダイか、確かに良い名前じゃな。よし、今日からその子の名前はダイじゃ」
「うん。よろしくね、だい」
根負けしたように見えるが、ブラス自身もそれほど悪い名前だとは思っていない。ダイという名前自体は思いついた候補にあったのだし、それにいざ名付けてみると、まるで最初から用意されていたようにしっくりと感じる。尤も、ブラス本人は知る由もないが、元々名付けた名なのだからそれも当然なのだが。
そして彼女もまた、ダイと名付けられたことに安堵していた。
両親に名付けられた本当の名前はディーノだと知識としては知っており、その名前となるように誘導することもできたのだが、それでもやはりダイと呼びたかった。自分のエゴも混ざっているが、本来の物語に則した名前にした方が無難だろうと考えたからだ。
「……忘れるところじゃったが、お嬢ちゃんの名前はなんというのかの?」
「んー?」
ブラスに尋ねられて、彼女は返事に困窮した。
自分の名前と聞かれても、答えることができない。元々の記憶にある名前はこの世界で名乗るには場違いな名前であり、かといってこの体の少女が両親から授かった名前は知らない。
「……しらない」
そのため、彼女は名前を名乗ることができなかった。適当な名前を名乗ってお茶を濁す方法もあったが、そこまで頭は回らなかった。
「し、知らないじゃと?」
「うん、しらない。だから、おじいちゃんがつけて。だいといっしょがいい」
「ワシがか?」
「うん」
代わりに別のことに知恵を回した。ブラスに名付けてもらえばいいのだ。
ダイと一緒にデルムリン島に漂着したのであれば、ダイの近親者として物語に関わってくることは必然――現在の状況から推測すれば、ダイの姉という立場になるのだろう――と考えていた。
であれば、自分でその場しのぎに考えた名前を名乗るよりも、この世界に元々存在するブラスの方がよほど良い名前を付けてくれるに違いない、という打算込みの考えである。
そしてブラスの方は、彼女が名前を知らないことに驚いていた。まだ小さいものの、身近なやり取りでもこれだけ利発な顔を見せる少女が、よもや自分の名前を知らないとは思いもよらなかったのだ。
「ふむ、名前のぅ……ドロ……いや……」
それでも少女の願いを無下に断るわけにもいかず、ブラスは名前を考え始める。本来ならばダイの名前を考えるために悩んだであろう時間を、この世界では少女の名前を考えるために費やす。とはいえ、ダイの時とは違って指標になるものは何もない。
何かないものかとしばらく悩んでいたものの、やがてブラスは得心が行ったとばかりに破顔した。
「よし! お嬢ちゃんの名前は、チルノでどうじゃ?」
「ちるの!?」
候補に挙げられた名前に対して思いきり声を荒げてしまう。
その名前は、なんというか、うまくは言えないのだが、非常に元気な女の子に育ちそうではあるのだが、オツムの方は足し算すら覚束なくなりそうで。
それ以外にも、なんだか面倒なことを色々と引っ張ってきそうで、出来れば遠慮させていただきたかったのだが……
「むぅ、ダメじゃったかのぅ……? 頭文字がDのダイのお姉さんじゃから、頭文字をCとして、それでいて女の子らしい名前をと思って考えたのじゃが……」
「う、ううん! ありがとうおじいちゃん。わたし、ちるの」
ブラスの残念そうな顔を見てしまっては、無下に断ることもできなかった。それに、持って生まれた記憶が警鐘を鳴らしているからその名前は嫌だ、などという理由を言えるはずもない。
頭文字Cの縛りとするのならば、カーラ・キャサリン・セシリー・クレア・シンディなどなど、何でもあっただろうに何故チルノを選んだ!?
内心では色々と葛藤を感じつつも、チルノは精一杯の子供らしい笑顔を浮かべてチルノという名前を歓迎して見せた。
「はっはっは。喜んでもらえて何よりじゃわい。名乗り忘れておったが、ワシはブラスという」
「うん、ぶらすおじいちゃん」
「だー」
「あれ、だいもおきたの?」
「きゃっ、きゃっ」
寝起きであるものの笑顔を見せるダイとチルノを見ていると目尻が下がるものの、けれどもブラスはすぐに態度を取り直す。
「さて、チルノにダイや、少し真面目な話をせにゃならん。まだ小さなお主には理解できんかもしれんが、よぉく聞いておくんじゃ。まず、お主たちが乗っていた船は難破して、お主ら二人だけがこのデルムリン島に流れ着いたんじゃ。ここまではよいかの」
「うん」
「そして、お主らの本当のご両親については、手掛かりもすらない。つまり、ワシの力ではお主らを元のご両親のところに帰してやることはできんのじゃ……」
口にこそ出さなかったものの、ブラスは自身の無力感に悩まされた。魔王は討伐されたとはいえ、未だモンスターは恐怖の対象になったり、討伐されたりすることもある。程度の差こそあれ、どこでもあまり歓迎されることはない。人間とモンスターとの間には深い溝が存在している。それさえなければ、人間とモンスターが仲良く暮らせる世界だったのならば、協力して両親を見つけることもできたのだろう、と。
「じゃからワシは、お主たちを育てようと思うのじゃ。そしていつか、お主たちが世界を旅することができるくらいに成長したならば、この島を出て、自分のご両親を探しに行くことも出来るじゃろう」
「うん! よろしくね、ぶらすおじいちゃん。だい、わたし、おねえちゃんだよ」
「あーう、ねえちゃ、ねえちゃ」
「ははは。よろしくの、ダイ、チルノ。さて、まずは我が家に行こうかの。この島の案内もせにゃならんのぅ……」
ダイを抱きしめたチルノを先導するように、ブラスはデルムリン島の自宅へと向けて歩き出し、チルノはそれに追従するようにゆっくりと歩いて行く。
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「すーっ……すーっ……」
「ふぅ、ダイはようやく寝付いてくれたか。いやはや、人間の子供を育てるというのは、かくも大変なのじゃのう……」
「ブラスおじいちゃん、お洗濯はこれでいい?」
「む? チルノや、少し待っていておくれ」
聞こえた声に返事をしながら、ブラスは自宅の外へと足を運ぶ。
外では洗濯物を干し終えたチルノが今か今かと待っていたところだった。物干し代わりの木には、自分とダイの洗濯物が揺れており、まだ少し水の残るそれは干したばかりであることを物語っていた。
「待たせてすまんの……ふむ、これなら問題もなかろう」
「やったぁ!」
「さて、ダイも寝付いたことじゃし、しばらくは時間も出来るじゃろう。チルノや、遊びに行ってもよいぞ」
「うん。ありがとう、おじいちゃん。それじゃあ行ってきます」
しばし洗濯物を吟味して、洗い残しなどがないことを確認してから、ブラスは合格を出す。そして、慣れぬ家事をしてストレスも溜まっているであろうチルノを遊びに出るように促した。
その言葉を聞くが早いか、チルノは駆け出して行き、その後姿を好々爺然とした表情でブラスは見守る。
チルノとダイがブラスに拾われてから、一年の年月が流れていた。
デルムリン島に流れ着いたときにおよそ一歳だったダイは、島に棲むマッドオックスの乳を飲んでスクスクと育ち、ハイハイや掴まり立ちをするようになったおかげで行動範囲が広がり、ますます大暴れをするようになってブラスとチルノの手を焼かせていた。
そしてチルノはといえば、元々の記憶を活かしつつダイの姉として振る舞いながら、子育てに不慣れなブラスをサポートしていた。赤ん坊が口に入れそうな危ないものを遠ざけたりミルクをあげるのを手伝ったり、炊事洗濯を覚えてからは育児に家事にと貢献している。尤も、チルノがいてこれなのだから原作のブラスがダイの育児にどれだけ手を焼かされたのかは推して知るべしといったところか。
そして、ダイが寝付くことで得られる自由時間を使い、チルノは島をジョギングしたり柔軟や筋トレを行ったりと、将来に起きる大きな戦いに向けて少しずつでも備えていた。
この世界がダイの大冒険であることはもはや疑いようもない。であれば、今からおよそ十年ほど後には大魔王バーンが攻め込んでくるだろう。転生前の記憶に従えば、それがはっきりとわかる。そしてダイの姉としてこの世界で生きている以上は、関わることは避けられない。
仮に知らぬ存ぜぬ関わらぬを貫き通せば、おそらくは本来の歴史の通りに事は運んでいくだろう。
けれどもチルノは、その選択肢を自ら捨てた。せっかくこの世界に関する知識を持って生まれてきたのだ。たとえ神の気まぐれの結果だったとしても、これには何か意味があるのだろう。であれば自分の持つ知識を活かして、この世界の結末を少しでも良いものにしよう。成長していくダイを見ながら、チルノはそう決意していた。
勿論、記憶に残る自分が気にならないわけではない。彼の知る物語の中には、何らかの要因で異世界に生まれ変わるというお話がある。その場合の多くは、元の世界の姿のままで異世界にたどり着く。逆に、今の自分のように別の姿になっているというのであれば、元の世界の自分は何らかの要因で死んでいる場合が多かった。
その法則に当てはめれば、元々の記憶を持っていた人間は、もう死んでいるのだろう。
前の世界に心残りが全くないといえば嘘になるが、現状では確かめる術もなければ、何かが出来るわけでもない。そして昔読んだ作品に関われるという事実に心が躍っていたのも否定はしない。
けれども、選んだのは自分の意志だ。だったらこの世界の住人として生きていこうと思った。
最初のうちこそ、少女に生まれ変わったことで言葉遣いや子供らしい態度を取ることに抵抗があったものの、精神が肉体に引っ張られるのか、それほど労せずに馴染むことができた。
そして今日もまた、日課のトレーニングを行っていたところだ。
まずは怪我などをしないように柔軟体操から。それを終えると、筋力トレーニングを行う。そして最後は、島に生息するモンスターたちを相手に戦闘トレーニングだ。とはいえまだ三歳の域を出ていないチルノにとっては、人から見れば戦闘トレーニングというよりもモンスターとじゃれあっているようにしか見えないのだが。
呪文も覚えたかったのだが、ダイの大冒険の世界では呪文を使うにはまず、使いたい呪文の契約の儀式を行わなければならない。その儀式を終えて初めて、呪文を使う第一歩を踏み出せるのだ。
まだ幼いチルノに、ブラスはそこまでの許可は出さなかった。本来の歴史から考えるに、もう少し大きくなれば呪文の契約も行わせてくれるのだろうが。
「ふぅ……ふぅ……こんなものかしらね? みんな、ありがとう」
トレーニングを行ってから、二、三時間も経過しただろうか。流れ出る汗を拭いながら、付き合ってくれたモンスターたちにお礼を言いながら解散を宣言する。
あまり長時間行うのは成長に影響が出そうだし、まだまだ小さなダイを放ってはおけないという親心から、チルノの訓練時間はそれほど長くはない。その分、密度は濃くなるように色々頭を捻っているつもりではあった。
モンスターたちのお別れの鳴き声を聞きながら、そしてトレーニングの仕上げとばかりに、島の外周をグルっと大きくジョギングする。とはいえ、まだ小さなチルノでは体力も続かないので、島全体を一周するどころか、半周にも満たない程度なのだが。これが彼女が現時点の修行メニューである。
「ほっ、ほっ、ほっ……あれ、何か光った?」
デルムリン島の外周に沿って走り続け、波打ち際を進んでいたときのことだ。視線の先にて太陽光を反射して何かがキラリと光ったのを確認できた。この島にはここまで光を反射するようなものなどほとんど存在しない。そのためチルノの興味をそそり、彼女はジョギングの足を止めて、反射したそれが何かを探し始める。
「たしか、この辺り……あった!」
光ったのは砂浜。それも波打ち際にほど近い場所だったはずだ。記憶を頼りに近づけば、それはあっさりと見つかった。
そこにあったのは一本のボトルだった。コルクでしっかりと封をされ、ガラスの中には何やら文字の書かれた紙が入っているのも確認できる。
「うわぁ、ボトルメールってやつよねこれ……へぇ、この世界にもこんな文化があったのね」
海水に濡れたボトルを持ち上げながら、チルノは感慨深げにつぶやく。ボトルメールとは、読んで字のごとく、瓶に封じて海などに流す手紙のことだ。手紙の内容は、どこかに漂着しているので助けてほしいといった重要性の高いものであったり、潮流を調べるために返送の連絡先を記載してあったりと様々だ。
チルノがこの世界に転生する前の世界では電子機器の発達により、ボトルメールという文化自体がマイナーなものとなっていたが、この世界ではまだ現役なのだろうか?
疑問に答えてくれるものはいないものの、いずれにせよ初めて手にしたボトルメールにワクワクしていたことは確かだった。
コルクを開け、瓶の中にある手紙を取り出して読んでみる。
幸いなことに手紙は、この世界の文字ではなく日本語で書かれており、まだこの世界のことを本格的に学んでいないチルノであっても読むことができた。
(日本語かぁ、ありがたいわね……え? 日本語??)
違和感のないことに違和感を感じて、手紙を読む手を止めた。
そう、手紙は日本語で書かれている。この世界の住人では決して書くことのできない文字だ。
得体の知れなさに恐怖しながらも手紙をゆっくりと読み進めていく。回りくどい表現が多かったものの、手紙に書かれていた内容は、要約すれば以下のようなものだった。
『この手紙を読んでいるということは、無事に転生できたようですね。おめでとうございます。
当初の約束通り、貴方はその世界に存在する魔法や能力を。その世界に連なった他の世界に存在する分も含めて、全て覚えられるようになっています。
覚えられるだけであり、使いこなせるようになるには、ご自身の修練が必要不可欠ですが。
また、いきなりそう言われても実感がわかないでしょうから、その世界の一番初級の魔法を1つだけ使えるようにしておきました。
その世界での生活に幸あらんことを願っております。
追伸
この手紙は、読み終えると自動的に抹消されます』
「わっ!」
手紙を全て読み終えた途端、手紙に火がついたかと思えばあっという間に燃え尽きてしまった。
「び、びっくりしたぁ……それにしても、あの手紙。アレに書いてあったことを信じるのなら、私はこの世界に転生することを願ったってこと?」
異世界転生のオーソドックスな流れとしては、神様・天使・上位存在……まあ、呼び方は色々あるだろうが、人間にはありえない不思議な力を持った存在と出会い、転生する先の世界と転生時に持っていく何かを交渉する。というものである。
ただ、チルノが記憶を幾らひっくり返しても、この世界に来ることを望んだ記憶など存在していなかった。出会っているが記憶処理をされて忘れている。という可能性もあるだろうが、そうであればわざわざ手紙でコンタクトを取ってきた理由がわからない。
しばらく頭を捻るものの、妙案はまるで浮かばなかった。
「はぁ、もういいわ……気を取り直して。確か、一番初級の魔法を使えるようにしておいた、って書いてあったよね。よし、だったら……」
目を閉じて精神を集中させ、見様見真似に呪文を使うように身振り手振りを見せる。集中力が最大に高まったと思ったところで目を開き、声高に呪文を口にした。
「メラ!」
しかし、なにもおこらなかった!
「えー……じゃ、じゃあ……ヒャド! ギラ! イオ! バギ! ホイミ! キアリー! トラマナ! レムオル! ルーラ! ライデイン!!」
とにかく思いつく限りの初級呪文を叫ぶが、そのどれもがメラの時と同じく何の反応も見せない。焦って興奮したまま口早にまくし立てたせいで、ついには息も切れる。
「はぁ……はぁ……だめ、何にも起きない……どういうことよ……初級の魔法って書いてあったわよね? 確認しようにも手紙は火がついて【ファイア】しちゃったし……えっ!?」
やけくそ気味な表現で吐き捨てた途端、小さな炎が発生したかと思えば、砂浜を焦がし始めた。とはいえ、可燃物もなければ、そもそも発生した場所が海辺だ。あっという間に波に飲まれてしまい炎は影も形も見えなくなってしまった。
それども、炎が発生したという事実はチルノを驚愕させていた。あれが手紙に書いてあった初級魔法なのだろう。であれば自分は何をした。何がきっかけで炎は起こったのか。
少し前の出来事を反芻してから、チルノは意を決したように再度口を開く。
「……【ファイア】」
その言葉に従い、再び炎が生み出された。明確な意思を持って生み出された炎は、しっかりと力強く燃え上がり、砂浜に高温を刻み付けていく。
「ああああああっ!! もうっ!!」
大声を上げながら頭を抱える。それは予想通りの光景が目の前で展開されたからこその行動。
もしもチルノが神へ向けて苦情を言えたのであれば、真っ先にこう言っていただろう。
これは隣の世界の魔法です!!
主人公の名前でオチ。そして世界違いの転生特典とそれに絡んだタイトルでオチ。
この時点で私的には既に九分九厘オチているので、以降の話は搾りカスみたいなものです。
蛇足ですよ、蛇足。