隣のほうから来ました   作:にせラビア

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ちょっとリアル時間がね……ごめんなさい……



LEVEL:24 バルジ島の戦い

「あれは……パプニカの気球船じゃっ!!」

 

空の彼方からゆっくりと姿を現した気球を、持っていた望遠鏡で確認するとバダックは叫んだ。今はまだ肉眼では指先程度の大きさにしか見えないが、望遠鏡を覗く彼の目には気球に刻まれたパプニカの紋章がしっかりと見て取れる。

バダックの声にダイたちが驚くのを耳にしながら、チルノは手にした剣の最終確認をしていた。細かい傷や歪みなどは可能な限り直したことを確認すると、ほっと息を吐く。

次に戦うであろう相手は、もしも彼女の知る歴史通りに事が進んだ場合は少々面倒なことになるだろう。そのため出来る限りその展開は避けておきたいというのが彼女の考えである。剣一本でそれが可能になるのなら安いものだ。

 

「ダイ、終わったわよ」

「ありがとう、姉ちゃん」

 

簡易的にだが強化を行った鋼鉄の剣(はがねのけん)を返すと、ダイは剣を手に持ちその具合を確認するように軽く振るう。重心配分などが変わっていないかを見極めているようだ。

 

「あれが、気球船……」

 

一方チルノは先ほどまで剣の強化に掛かり切りだったためにようやく気球を見ることが出来た。なかなかどうして、騒ぐだけのことはあった。空の向こうから段々と近づいてくる気球の姿には心躍るものがある。

ましてや複数の人間を載せて空を飛ぶ乗り物だ。この時代では果たしてどれだけ貴重かつ有用な物であろうか。その価値は計り知れないだろう。

 

「ヒュンケルは、気球のことは知っていた?」

「ああ。話くらいはな」

 

一緒になって騒ぐような真似はしていないが、ヒュンケルは気球の事を冷静に見つめていた。魔王軍にいたはずのヒュンケルであっても話くらいは聞いたことがあるようだ。となれば気球は珍しくとも知名度がある程度はあるらしい。

 

「みんなも、気球の事を知っていたの?」

「実物は見たことがないけれど、噂話くらいはね」

「おれは先生についていた時に一度見たことがあるぜ」

「へぇ……二人とも博識なのね……」

 

ポップやマァムが知っている可能性は低いように思っていたのだが、存外に知られているようである。ということは完全に知らないのはダイだけのようだ。もっともその本人は、新しい剣に夢中であった。

 

そうしている間にも気球はどんどんと高度を下げていき、ついには目視で乗っている人間が見えるほどまで近づいた。そして、一行から少しだけ離れた場所にゆっくりと着陸する。大きな揺れもなく着地したところから、巧みな操縦技術が垣間見える。

着陸後に、吊り篭から一人の女性がひらりと降りてきた。

 

「おおっ!!」

 

思わずポップが声を上げるが、それも無理もないだろう。現れた女性は、かなりの美貌の持ち主である。長めに伸ばした黒髪と額にはサークレットが輝いており、青を基調とした薄手の法衣にマントを纏っている。ただし、胸元が大きく開いたデザインに加えてノースリーブで肩を出している。足も大きく露出しているのだ。ポップがスケベな目線で嬉々として見ているが、それも無理もないだろう。彼が健全な少年の証拠である。

だが、マァムとチルノという二人の女性が見ていることを思い出してか、すぐにスケベ心を隠して真面目な表情を取り繕う。

 

「エ、エイミ殿ではないか……!」

「あの信号弾は、バダックさんだったのね」

 

エイミと呼ばれた女性はバダックと言葉を交わす。その様子を見てポップが少し驚いたように口を挟んだ。

 

「なんだい、この別嬪さんはじいさんの知り合いか?」

「当然じゃよ。このお方こそ、パプニカ三賢者の一人、エイミ殿じゃ!」

「ええっ!? こ、こんな若い子がぁっ!?」

 

いい意味で期待を裏切られた形となり、ポップは開いた口が塞がらないような状態になっていた。何しろ彼の考えていた三賢者のイメージは、全員年季の入った偏屈爺さんといったものである。それが蓋を開けてみれば、年の頃は自分たちよりも少し上でしかない、こんな美女が出てきたのだから、驚きぶりはどれほどか。

 

「赤い信号弾を確認したから調べに来たの。姫様はアポロとマリン姉さんに任せて、ね」

「おおっ! やはり姫様は無事じゃったか!!」

 

自身が若い女性であるためにポップのような反応は慣れているのだろう。特に驚くこともなく、彼女はここに来た理由を述べる。それを聞いて姉弟が声を上げた。

 

「よかった、無事なのね」

「レオナはどこにいるんですか?」

「……あなたたちは?」

 

エイミが訝しげに言うとバダックがすぐに後に続いた。

 

「おおっと、すまなんだ。紹介が遅れたの。この子たちが姫様がいつも話しとったダイ君とチルノさんじゃよ」

「あ、あなたたちが……!?」

 

思いもよらない名前を聞き、エイミは大きく目を見開いた。ダイとチルノの話は彼女たちも聞き及んでいる。だがまさかここで聞くなどとは予想もしていなかった。彼女と共に気球に乗っていたパプニカ兵も名前を知っていたらしく、同じように驚愕している。

 

「すでにこの大陸を襲っとった不死騎団はこの子たちによって滅ぼされておる! 赤い信号弾を上げたのもそれを知らせるためじゃ!!」

 

不死騎団を滅ぼした、という言葉を聞いて驚きの色がさらに増す。我勝てりの意味を持つ赤い信号弾を見たために何らかの勝利を得たのだろうということは予測していたが、それが不死騎団を滅ぼしたとは流石に夢にも思わなかったらしい。

もっとも、驚き続けるパプニカの人間とは裏腹に、ダイたちは不死騎団という言葉が出るたびに微かに顔を顰めていたが、幸いにもその反応に気づく者はいなかった。

 

「あなたが勇者ダイに、賢者チルノ……」

 

エイミは目を丸くしたまま、二人を見つめる。

 

「はい、そうです!」

「あはは……一応……これが証拠です」

 

勇者と呼ばれたことにダイは胸を張って、チルノはその呼称に未だ慣れずにいるため苦笑いを浮かべながら肯定した。そしてパプニカのナイフをエイミへと渡す。

 

「これは、紛れもなくパプニカ王家の……太陽のナイフ。姫様が差し上げたという……」

 

ナイフの宝玉を確認して、エイミがそう口にする。真っ先に宝玉の紋章を確認するあたり、どうやら彼女もこの短剣のことについては知っているようだ。

 

「わしもナイフの真贋はこの目で確認したわい。そして短い期間じゃが、皆と寝食を共にした。その上で断言させてもらおう。ダイ君たちは信用に足る人物じゃよ」

 

バダックの言葉を聞きながら、エイミはナイフとダイとチルノを見つめながら考える。頭の中で繰り広げられるのは、彼らをレオナ姫の元へと連れて行っても危険はないかという判断である。この場で一番の責任者でもある彼女の判断如何によっては、レオナが危険に晒されるかもしれないのだ。慎重にもなろう。

やがて、しばしの逡巡の後に口を開いた。

 

「……わかったわ、皆さんをお連れしましょう。姫の待つ、バルジ島へ……!」

「バルジ島じゃと……!? あんなところに!!」

「それって、どんなところなんですか?」

「そうね、口で説明するよりも、実際に見た方が早いわ。さあ、皆さん乗って。出発するわ!」

 

マァムの疑問に対して期待感をくすぐるように返すと、再び吊り篭へとひらりと軽い身のこなしで飛び乗る。一旦降りていた兵士たちも後に続き乗っていくと、すぐに気球を飛び立たせる準備を始める。

 

「おれたちも乗っていいの?」

「勿論よ。歓迎するわ」

 

一言断りを入れると、ダイたちも列を作り行儀よく順番に乗っていく。だが、その動きを見ても動かずにいる者が一人だけいた。

 

「あら、彼はいいの?」

「え?」

 

エイミの言葉に全員が後ろを振り返る。そこにいたのはヒュンケルだった。彼だけは一人、気球に乗る素振りすら見せず、廃墟の瓦礫に腰かけている。

 

「すまないが、オレは遠慮しておこう」

「ヒュンケル?」

 

まだ乗っていなかったマァムが心配そうに近寄ると、ヒュンケルは口を開いた。

 

「どうしたの? 一緒に行きましょうよ」

「いや、パプニカが奪還されたのであれば、姫が身を隠している理由もないだろう? お前たちが会いに行けば、ここへは直に戻ってくるはずだ。オレはそれを待たせてもらう」

 

そして続く言葉には若干の覚悟を込めながら、後半は声のトーンを落として――気球に乗ったエイミたちには聞こえないように言う。

 

「その気球には人数制限もありそうだしな……それに、信号弾と気球を見て、万が一にもフレイザードが来るかもしれん。せっかく取り戻した国を再び襲われるのも忍びなかろう」

「……っ!」

 

それはヒュンケルが懸念したことである。闘技場に姿を現した以上、フレイザードがそのままパプニカ侵攻――正確には残党狩りとレオナ抹殺の任務と魔王軍は思っているだろう――を引き継ぐ可能性は高い。ヒュンケルとチルノが危惧したように、信号弾と気球を目印と取られて攻撃を受ける可能性もある。

取り戻した自国に戻ってみれば再び襲われていたなど笑い話にもならないだろう。それを防ぐためにも、殿(しんがり)の役目として一人残ると言っているのだ。

 

「そんなこと言って、本当は空を飛ぶのが怖いんじゃねぇの?」

「そう思いたいのなら、そうすればいい」

 

ポップの茶化すような言葉にもヒュンケルは動じない。マァムが心配するその姿と相まって、魔法使いの少年は面白くなさそうな顔をする。

 

「わかったわ。ごめんなさい、面倒な役目を押し付けちゃって……」

「気にするな。すぐに戻ってくるのだろう?」

「ええ、それは勿論。ちょっとだけ待っていて。すぐに戻ってくるから!」

 

ヒュンケルを心配させまいと、待たせているパプニカ兵たちに不審な想いをさせまいと、彼女は明るい声色でそう言い気球へと戻っていく。

 

「……ねえ、あそこの戦士の彼、何て名前なの?」

「え? ヒュンケルですよ」

「そう……」

 

一方、そのやり取りを見ていたエイミが小声で近くにいたチルノに尋ねる。チルノが名を教えると、エイミは少しだけ険しい表情になる。

 

――勘づいたのかな? それとも……

 

それを見るチルノの脳裏に浮かぶのは二つの可能性。一つはヒュンケルが不死騎団の団長であると気づいた可能性。もう一つは、彼女が一目惚れをした可能性である。

チルノが知る歴史では、何時の間にやらエイミはヒュンケルへ恋心を抱いていた。それと同じように、一目見ただけで意識してしまったのだろうか? であれば、マァムの行動を見て多少なりともヤキモキさせられているだろう。

また、不死騎団長だと気づいた場合だが――どちらかと言えばこれは、気づいたというよりも疑っている程度だろう。本当に気づいたのであればすぐにでも騒ぎ立てているだろうし、声や背格好などから共通点を見出しているが、結びつかずにいる。というのが正解だろうかと考える。

 

だが、いずれにせよヒュンケルの素性は明らかにしなければならない。レオナが戻ってくれば、ほどなくして彼は自らの口でその正体を明かすだろう。その時には果たして、ヒュンケルの運命はどう転ぶのだろうか?

 

様々な想いを乗せて、気球はゆっくりと空へと浮かび上がっていった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「うわぁーっ!! すっげーっ!!」

「本当に、すごい乗り物ね」

 

グングンと遠ざかっていく地面と、それと反比例するように遠くまで見えるようになる景色に、姉弟は感嘆の声を上げる。

チルノの記憶が正しければ、これはパプニカには一つしか存在しない乗り物である。一国でも一台しか所有していないものとなれば、世界全体を見渡してもどれだけ数が存在するのか。だがこれは人間同士の戦争には役立つだろうが、魔族との戦いではそれほど役に立たないのではないかとも考える。モンスターの中には空中を自在に飛び回る種族もいる。事実、彼女と弟はキメラとバピラスに乗って空を飛んだことがあるし、ガーゴイルのように剣を持つ相手もいる。

いずれはこの気球船も改良され、戦争の道具に使われ多くの命を奪うのだろうと思い、チルノは少しだけ顔を曇らせた。平和のためだけに使わせてやりたいが、そう上手くは行かないだろう。

 

「なぁなぁダイにチルノ、お姫様ってどんな人なんだ?」

「どうしたのポップ?」

「いやぁ……そういや、二人の知り合いだとか美人だとか部分的に話は聞いているけどよ、実際にこういう人間だって話は聞いたことがないってことに気付いてな」

 

ポップのその言葉に、今まである程度は話をしているが確かにレオナがどういう人物なのかを詳細に伝えていないことに二人は気付く。

 

「ああ、なるほど。お姫様って言えば男の子なら一度は憧れるものよね」

「そうそう! わかってるじゃねえかチルノ!!」

 

チルノの言葉に我が意を得たりとばかりに、まだ真実を知らぬ少年魔法使いは胸をときめかせる。

 

「エイミさんを見たときにゃ、これはまさか! と思ったもんだよ」

「まぁ、お上手ね。でも、姫様は私なんか比べ物にならないくらいお美しい方よ」

「おおーっ!!」

 

彼の目から見れば、エイミであっても美人である。その彼女からお墨付きが出るのだ。純真な少年は期待にさらに胸を高鳴らせる。

 

「まったく、ポップってば……」

「うるせぇな、別にいいだろ!」

 

マァムが呆れた表情を見せるが、ポップは挫けない。それを見ながら、まだ傷口は小さいほうが痛みは少ないだろうとチルノは口を開く。

 

「ポップ、その……深窓の令嬢、みたいな控え目でお淑やかだけど、尽くしてくれるタイプ。なんて考えているなら、その想像はすぐに捨てた方がいいわよ……私に言えるのは、このくらい……」

「え……!?」

「うん。その、可愛いけれど言いたいことは遠慮せずにガンガン言うタイプ、かな」

 

姉弟の言葉にポップがこの世の終わりのように顔を歪ませる。一応チルノは精一杯の婉曲的な表現で、ダイもある程度常識を弁えるようになったおかげか、マァムと比較するような表現をすることもなく、レオナのことを告げていた。ダイの傍にいるゴメちゃんも、二人の表現を聞きながら何も言わずに頷いていた。

 

「それ本当かよ……」

「……そこでどうして私を見るのかしら?」

「いや、マァムがすげぇイイ女に見えてきて……」

「それはどういう意味かしら?」

「いやいやいや!! 勿論いい意味でだよ!!」

 

比較するようにマァムを見てしまい、その口ほどに語っている視線に気付いたマァムが静かに言う。慌てて否定するも、マァムは良い笑顔を浮かべたままだ。

そんな二人の夫婦漫才を、エイミたちパプニカの人間は微笑ましい表情で見ていた。

 

 

 

「島が見えたぞっ!!」

 

あれからさらに気球を飛ばし続け、やがて先頭で見張っていたパプニカ兵が声を上げる。その声を聞いてダイたちも自然と視線を前に向ける。

 

「あれが、バルジ島……!!」

「なるほどね。エイミさんが見た方が早いって言ったのがよくわかるわ……」

 

その光景を確認すると、誰もが納得したように唸る。

バルジ島は海に浮かぶ小さな島の一つ。だが、その小島のすぐ隣には巨大な渦が発生している。その勢いはすさまじく、小舟などでは巻き込まれればすぐにでも沈没するだろう。大型船と言えども油断できそうに見えない。

 

「あれはバルジの大渦と呼んでいるの。あの渦のせいで島はめったに人の寄らない場所になっているのよ。もしも島に行くのなら、すごく遠回りをして渦を避けて行かなきゃならないしね」

「おまけに島にあるのは塔だけじゃからな。まさかあそこにおったとは、盲点じゃった……」

 

エイミが島について説明をすると、バダックがそれに続いて口を挟む。彼であっても――というよりもパプニカの地理を知っている者であれば、バルジ島に潜むというのは常識外の発想だったらしい。

 

「ええ、普通なら考えにくい。すべてはこの気球船があったおかげよ。これを連絡船として、塔を拠点に反撃の機会をうかがっていたの」

「あの島の真ん中にある塔がそうね」

「あそこにレオナがいるのか……」

 

バルジ塔を見てダイが表情を引き締める。それはチルノも同じだった。いや、むしろ本来の歴史を知る彼女は誰よりもこの先の事を心配しているのだ。彼女の知る同じタイミング通りに強襲を掛けられるとは限らないが、急いでおくに越したことはないだろう。

自分でもかなり不自然であることは自覚した上で、意を決してチルノは切り出す。

 

「あの、この気球はもっと急げますか?」

「え?」

 

その言葉にエイミは真意を図りかねていた。このままの速度で進むだけでも十分であり、急ぐ理由が分からないのだ。

 

「ごめんなさい、それはちょっと難しいわね。風の機嫌に左右されるから……」

「だったら、移動に呪文は効果ありますか?」

「呪文を? 風を操れれば可能性はあるけれど……ちょっと!?」

「【エアロラ】!」

 

基本的に気球というのは人の手で操作するのは上昇と下降の垂直移動のみである。水平移動は風の流れる方向へ、風の速さで移動する。つまり、行きたい方角に向かって吹く風に上手く乗ることが出来るのが、気球を操る者の腕の見せ所ということになる。

だがそれだけではチルノの思う速度には到底到達していなかった。そのため彼女が取った方法は、風を魔法で操って無理矢理加速させることである。

エアロラの魔法を調整することで追い風として、バルジ島へ向けて一気に加速させる。だがそれは当然、自然のものではない。人為的に巻き起こした強風だ。

 

「おおおおっ!?」

 

突然の突風に晒されて、気球が揺れる。その影響は吊り篭の中のダイたちにも広がっている。急激に吹き晒されて姿勢が不安定になり、思わず悲鳴を上げながら籠にしがみつく。

 

「姉ちゃん!?」

「チルノ!?」

「急にどうしたの!?」

 

そしてこれも当然、仲間たちからは彼女の突飛な行動について問いただされる。

 

「ごめんなさい!! 文句はあとで幾らでも聞くわ!! 今だけは許して!!」

 

しかしそれを説明している時間すら惜しいとばかりに、再びチルノは魔法で風を操る。二発目ということもあって、今度は初回よりも上手く放つことが出来た。揺れも少なく、気球がどんどん加速していく。既にバルジの塔は目と鼻の先と言っても良い位置まで見えていた。

 

「あとで、って……」

「ああっ!! 塔が!! 塔に異変が!!」

 

前方見張りの兵が叫ぶ。彼の言葉通り、バルジの塔の最上階からは俄かに黒煙が立ち上り始めていた。

 

――五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)……やっぱり……

 

その煙を見てチルノは確信する。

五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)はメラゾーマを同時に五発放つというフレイザードならではの必殺技である。あの煙はその強烈な炎によって引き起こされたものだ。ならば炎の主も当然あそこにいるだろう。

 

「まさか、姫の身に何か!?」

「こっ、これを見越して急がせたっていうの!?」

 

塔の様子がおかしいことはここからでも分かる。そのため空の上は俄かに蜂の巣をつついたような騒ぎになった。チルノが急がせた理由も後付けのように証明され、全員に緊張が走る。

 

「あの塔に! 急いで!!」

「わかったわ!! 難しいかもしれないけれど、屋上へ降ろして!!」

 

エイミが気球の操縦者にそう指示する。塔の屋上は狭く、とてもではないか離着陸させるのに適した場所ではない。だが今は非常事態だと判断したため、無理を承知でそう言っているのだ。操縦士もそれを理解しているため、緊張の面持ちで頷く。

 

「エイミさん! 風の指示をお願いします!」

「あ……そうね、お願い!!」

 

チルノの申し出をエイミは素直に受けることにした。先ほどの加速させた手練れは、乱暴だったとはいえ見事である。そして加速が出来るのであれば減速にも応用できるだろう。そう考えたが故の許可である。

 

「姉ちゃん! おれも……」

「ダメッ!!」

 

隣に並んで呪文を唱えようとした弟を、姉は慌てて止める。ダイが使おうとしていたのはバギの呪文である。一見すればこの場面では協力できそうに思えるが、バギ系の呪文は真空の渦を作り出してかまいたちを生み出す呪文なのだ。下手に使えば気球のバルーンに傷を与えかねない。威力や効果範囲を調整すれば使えないこともないが、そうなるとバギ系呪文の本質から離れ、碌に効果が発揮されない。

この場は風そのものを操るエアロ系の魔法を使えるチルノだけが、気球の加減速を行えるといえよう。だがそれを細かく説明している暇はない。焦燥感も相まって、大声で注意してしまった。

 

「ダイは力を温存しておいて! 塔に近寄ったら飛び降りてレオナを助けに行って!!」

「わ、わかった!!」

 

流石に説明が少なすぎたと思い直し、すぐにダイへ先陣を切ることを期待していることを伝える。ダイもそれを聞くと、塔の屋上を睨みつけるように集中していた。

そしてエイミの指示によって幾度か風の魔法を操り、ついには塔の上でうまい具合に減速することが出来た。

 

「もういいよね!? おれ、行くよ!」

「お、おい! ダイ!!」

 

高さにして、三階建ての建物くらいだろうか。その程度の高さまで来たところで、待ちきれなくなったダイが籠から飛び降りる。慌ててポップが声を掛けるがダイは既に空中へと身を躍らせていた。そのまま着地すると同時に転がるようにして衝撃を逃がす。

 

「ダイ!! 敵がいたら遠慮せずに倒しちゃいなさい!!」

 

チルノが弟の背中にそう投げかけるが、果たしてその言葉は届いたであろうか。ダイは塔の内部へと続く穴に飛び込んで行った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「きゃああああっ……!!」

「ケケケッ!!」

 

バルジの塔の最上階では、今まさにフレイザードがマリン――エイミの姉であり、パプニカ三賢者の一人――の顔面を炎の左手で掴み、そのまま晒し者にするかのように持ち上げていた。

炎を纏う左半身は常に高熱を発しており、その岩石の肉体と相まってマリンの顔を強く焼く。さながら焼けた石を顔面に押し当てられているようなものだ。焦げ付くような肉の焼ける臭いと髪の焼けるツンと癖のある臭いが辺りに漂う。

 

「そらよっ!」

 

だがフレイザードはさして興味もなさそうに、炎で苦しむマリンを無造作に投げ捨てた。塔の外周に建てられている柱の一本に激突し、その痛みでついに我慢の限界を超えたのか気を失った。

 

「……き、貴様……女の顔になんということを……!!」

 

残る三賢者の一人、アポロが激痛に呻きながらも叫ぶ。この直前、彼はフバーハの呪文によってフレイザードの攻撃を防いでいた。光の防御幕を生成することで大抵の炎や氷を弾き返す高等な呪文ではあったが、対してフレイザードは五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)を打ち込んでいた。そのあまりの威力はフバーハですら防ぎきることは叶わず、最前列にいたアポロは特に大きなダメージを負っていた。

 

「女だぁ……? 笑わせるなッ!!」

「ぐっ!」

「ここは戦場だ! 殺し合いをするところだぜ! 男も女も関係ねェ!! 強い奴が生きて、弱い奴は死ぬんだよ!! 傷つくのが嫌なら戦場にでてくるんじゃねぇ!!」

 

アポロの腹を右足で踏みつけながら、フレイザードはそう言い放つ。

だが、フレイザードのこの言葉は本人にとって詭弁でしかない。もしもフレイザードが女であり、勝利のために女を武器にすることが必要な場面に遭遇した場合、彼は躊躇うことなく女という武器を使うだろう。

彼が求めているのは常に勝利――それも完璧な勝利である。先の行動も、女の顔を焼くことで注意をひきつけ、生かしたまま放置することで足手まといを作り、レオナたちが逃げにくくする布石としているのだ。あの発言も、怒りを煽ることが目的でしかない。

 

ある意味では正鵠を得ていた言葉。戦場にいる以上、戦う覚悟を決めた以上は傷つくことも死ぬことも誰にでも平等にあり得るのだ。

そう、誰にでも。

 

「アバン流刀殺法! 海波斬!!」

「ウオオッ!?」

 

突如として飛んできた剣圧が、フレイザードの右足を襲う。アポロを踏み潰さんと乗せていたその足は、海波斬による高速の一撃によって綺麗に切断されていた。予期せず片足を失ったことでバランスを崩し、呆気なく転倒する。

 

「誰だっ!!」

 

攻撃の飛んできた方向を見て、そしてフレイザードは絶句する。そこは剣を構えるダイの姿があった。闘技場で溶岩に巻き込んで殺したはずの相手がどうして、何故生きているのか。信じられない事実に驚愕していた。

 

「てっ……てめえッ! 生きてやがったのか……!?」

「おれが相手だ! フレイザード!!」

 

氷炎将軍へ挑発するように指を突きつけて、ダイは声高に叫ぶ。その姿は、まさに勇者を体現したかのような風貌を漂わせていた。

 

「……ダイ君! 来てくれたのね!!」

 

五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)の余波でダメージを受け、床に倒れたままだったレオナであったが、ダイの姿を見ただけでまるで回復呪文を受けたように楽になり、歓喜の表情を見せる。

 

「ぐぐぐッ……舐めたことを抜かしてんじゃねぇぞ!! このガキッ!!」

 

片足を失いバランスを崩した格好のままであったが、血走った瞳でダイを睨みつける。一方のダイも、フレイザードの闘気を感じて油断なく剣を構え直し、相手がどんな行動を取ろうともすぐに対応できるように、隙があれば自分から攻め込めるように姿勢を整える。

 

「凍え死ねッ!! シャアアァァァッ!!」

 

動いたのはフレイザードの方が早かった。失った片足を再生するだけの時間を稼ぐためにも、自分から攻め込むことを是としたようだ。口から吹雪のブレスを吹き付けてダイへ攻撃を行う。だがその程度の攻撃はダイにとって想定内だった。

 

「海波斬!!」

 

海の技が再び煌めき、その剣技が吹雪を切り裂く。圧倒的なスピードによる斬撃が可能とする攻防一体の技だ。吹雪を切り裂いてもその勢いは止まらず、フレイザードへと襲い掛かる。

 

「グオオオッ!!」

 

その剣閃を辛うじて右手で防ぐが、キラーメタルでコーティングされた鋼鉄の剣(はがねのけん)は切れ味が増している。その剣から放たれた海波斬は、フレイザードの氷の右手を肩口から一気に切断していた。

 

「くそがっ……!! ちくしょうめ!! だったらコイツだ!!」

 

フレイザードは禁呪法によって生み出された魔法生命体であるため、腕が切断されようとも生命活動に支障はなく、痛みも感じない。だが、人型をしているため、足が切られれば立ち上がれなくなる。腕を切られれば殴ることもできなくなる。なにより、こうも一方的にやられては面白いはずがない。

一方的に攻撃される苛立ちとダメージを受け続ける屈辱がフレイザードから慎重さを奪い取り、攻撃を短絡的にさせていく。

 

「メ…ラ…ゾー…マ……」

 

左腕の指を一本一本順番に立て、そこに炎を灯していく。何も知らなければ、それはメラにも満たない小さな火にしか見えないだろう。だが実際は、五本の指それぞれにメラゾーマを発生させているのだ。

 

「あれは!! ダイ君よけて!!」

「遅ぇッ!! 五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)!!」

 

技を一度見ているレオナがダイへと叫ぶが、遅かった。フレイザードは五つのメラゾーマを完成させるとダイへ向けて放つ。

先ほどフバーハを破ったときには個々のメラゾーマを分散させて放っていたが今回は違う。ダイただ一人へ目がけて五つの業火が襲い掛かって来るのだ。

 

「バギ!!」

 

離れた位置からでも火傷を負いそうなほどの熱量を放つ火球の群れ。それを見たダイは瞬時に剣へバギの呪文を纏わせると業火へ正面から突進する。

 

「バカが!! 焼け死ねぇッ!!」

 

ダイの行動を見てトチ狂ったと思ったのか、フレイザードが勝利を確信したように声を上げる。実際、それも仕方のないことだろう。ダイの勝利を願っていたレオナとて、この行動の真意は読めなかった。

 

「真空海波斬!」

 

突進しながらバギを纏わせた魔法剣で海波斬を放ち、ダイ本人はメラゾーマの下を潜り抜けるように滑った。

バギの魔力が上乗せされた海波斬が五つのメラゾーマと激突した。海波斬の斬撃によって切り裂かれたメラゾーマの炎は、バギの魔力によって生み出された真空の渦に飲み込まれる。そして竜巻のように吹き荒れる風によって炎は煽られて上に吐き出された。

バギによって真空状態となったことで熱を遮断し、生き残っている炎は竜巻によって天井へと向かう。そのため下を進むダイへの影響は極小。ほぼ無傷で五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)をやり過ごすことが出来た。

 

かつて、ダイは流れ弾で村人を危険な目に会わせたことがあり、そのことを悔やんでいた。彼の姉の言葉で立ち直ることが出来たが、同じ轍は二度と踏まないようにその方法を模索していたのだ。真空海波斬はようやく完成したその手段の一つ。海波斬によって敵の攻撃を防ぎ、バギの効果によってより完璧な無力化を狙った技である。

――もっとも、ダイは知らないだろうが、これをチルノが見ていれば気付いただろう。これはかつて獣王クロコダインが真空の斧を使い炎の攻撃を防いだのと同じ方法だ、と。同じ戦士であるためか、どうやら考えることは案外似通ってくるものらしい。

 

「な……なんだとおぉッ!?」

 

あり得ないものを見るような目で、フレイザードは自身の眼前に立つダイを見つめていた。五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)は彼の必殺技の一つである。魔力を多大に消費する――下手をすれば寿命すら削りかねないものの、賢者のフバーハすら貫いた強力無比な攻撃のはずだ。

だがそれは一人の少年によって軽々と突破されていた。

 

――バカな!! あり得ねぇ!! こんなバケモノみたいな強さの奴とヒュンケルの野郎が互角に戦っていたってのか!?

 

気に食わない相手だったはずのヒュンケルがダイと戦っていたことを思い出し、目の前で見せつけられたダイの戦闘力と比較してしまいフレイザードは混乱する。(ダイ)の事を過小評価していたのか、それとも、認めたくはないが自分自身(フレイザード)を過大評価していたのか。

混乱する頭でダイを見上げ、そして彼は気づいた。

ダイはフレイザードを見ているが、その視線の先はどこか不自然だ。戦場である以上、視線は相手の目を見るか、はたまた手足などの攻撃の起こりを見極めようとするか。だが、ダイは違う。全く別の場所を見ている。

 

「終わりだ、フレイザード!!」

「ま、まさか……!! 待てッ……!!」

 

その視線の意味を、ダイの言葉を聞いてフレイザードはようやく理解した。ダイが見つめる先にあるのは、フレイザードの(コア)がある位置だ。呪法生命体は体内のいずこかにある(コア)を破壊されるまで生き続ける。

だがその(コア)の位置は人間の急所と違い、目には見えず位置も不確定だ。しかし、空の修行を修めたダイにとっては、見えざる敵の急所すら手に取るように理解できる。

 

「アバン流刀殺法! 空裂斬!!」

 

心眼によって見抜いた敵の(コア)を目がけて、光の闘気を打ち込む。闇のエネルギーによって動いていたフレイザードにとってみれば、この攻撃は天敵である。強烈に撃ち出された闘気はフレイザードを吹き飛ばし、そして彼の体内に隠されていた(コア)を正確に分断した。

 

「ウ……グッ……ウギャアアアアアアアッ!!」

 

空裂斬の衝撃を受けて吹き飛ばされながら、(コア)が切断されるのを感じた。フレイザードはその(コア)の魔力によって灼熱の身体と極寒の身体を繋ぎ止めていたのだ。それを失ったことで、身体の維持が出来なくなっていた。

炎と氷という相反する属性同士が反発し合い、対消滅しそうになる。だが、フレイザードがそれを心配する必要はなかった。

 

「が、ああああああああぁぁっ!!」

 

吹き飛ばされた先は塔の外だった。それに気づいて必死で外壁を掴もうとしたが、遅すぎた。フレイザードの体は空中へと放り出され、そのまま落下する。受け身を取ろうにも身体は今にも消滅しそうであり、どうすることも出来ない。

フレイザードに出来たのは断末魔の叫び声を上げながら落ちて行くことだけだ。

 

「…………っ!!」

 

ダイは油断なく剣を持ったまま、外壁へと身を乗り出して塔の外の地面を確認する。だがそこに見えたのは、ほんの僅かな残り火と、粉々になった石の破片だけだった。

 

 

 

「おーっ、流石だねぇ」

 

不意に聞こえてきた声にダイは振り返る。何時の間に来たのか、そこにはポップとマァムが立っていた。よく見れば二人の後ろには、天井から垂らされた縄梯子が見える。そこから屋上に繋がっており、彼らはそれを伝ってやってきたのであろう。今また一人のパプニカ兵が梯子を下りていた。

 

「助けに来たつもりだったんだけど、いらなかったみたいね」

「ううん、二人がそう思ってくれただけで十分だよ」

 

戦いに間に合いはしなかったが、こうして駆けつけてくれただけで嬉しく思いながら、ダイは剣を鞘へ収める。キラーメタルでコーティングされた刀身が勝利を祝うようにキラリと光った。

 

「けど、あのフレイザードのメラゾーマはとんでもなかったな。よく避けられたもんだ」

「ポップ……いつから見てたんだよ……?」

 

しみじみ思い返すように呟くポップの言葉に、ダイがジト目で睨む。言葉だけを聞けば、戦いに参加せずに見物をしていただけのようにも思えるだろう。そんなダイを安心させるようにマァムが笑いながら言う。

 

「ふふふ、安心して。私たちが見たのはダイがメラゾーマを斬ったところからだから。ポップは別に黙って見ていたわけじゃないわ」

「ちょっ、おいマァム!! 言うに事欠いてそりゃねえだろ!!」

 

まるでポップだけを非難するような言い回しに文句を言うが、本心ではないことは誰しもが分かっている。慣れ親しんだようなやり取りに、少し前まで戦っていたことを忘れてしまいそうだ。

 

 

 

――なんてすごいのだろう。

 

レオナの心はその言葉で満たされていた。

危機に瀕したと思えば颯爽と現れて、瞬く間に敵の軍団長を倒してしまう。そんなダイの姿は、彼女から見ても惚れ惚れする。

だがいつまでも呆けているわけにもいかない。何しろ自分はパプニカ王家の生き残りなのだ。そう自分に言い聞かせて、まずは兵士たちへ怪我人救護の指示を出す。エイミと共に戻ってきた兵士たちは彼女の言葉に従い、近くで倒れている同胞の兵士たちに手を貸す。

それを確認してから、レオナは改めてダイの方を見る。

 

「ダイ君!!」

 

まだフレイザードから受けたダメージによって多少ふらついてはいるものの、彼女は思ったよりもしっかりとした足取りで動くことができた。

 

「あ、レオナ」

 

対してダイはレオナの姿に気付くと、申し訳なさそうな顔をして頭を下げる。

 

「ごめん! 本当はもっと早く来られれば良かったんだけど……怪我はなかった?」

「ええ、大丈夫よ。ダイ君が来てくれなかったら、きっとあたしたちは全滅していたと思う。本当に助かったわ」

 

ダイのその姿に、レオナは柔らかい微笑みを浮かべながら言う。確かに被害は出たが、ダイは助けに来てくれて、そしてフレイザードを単騎で倒してしまった。数ヵ月前に初めて出会ったときは、まだまだ頼りなさそうな少年だったというのに。

これでどうして文句を言えようか。

 

「ダイ君、来てくれてありがとう。信じて待っていたのは間違いじゃなかった」

 

瞳に涙を浮かべながらレオナはダイへ向けて最大限に礼を述べる。そこにはパプニカ王家の生き残りである姫としてのカリスマが込められていた。

その様子にダイも満足そうに笑顔を浮かべる。

 

「ところで、この二人はダイ君の仲間かしら?」

「ああ、そうさ。魔法使いのポップと、僧侶のマァム。二人ともアバン先生の弟子なんだ」

 

レオナの言葉にダイが頷き簡単に紹介すると、二人とも会釈するように頭を下げる。

 

「あと一人、ヒュンケルって名前の仲間がいるんだ。同じく先生の弟子なんだけど、今はパプニカで待っている。おれたちの留守中に魔王軍が攻め込んできたときの為に備えてって……」

「そう……アバンの使徒が四人も……」

 

ダイ、ポップ、マァム、ヒュンケル。それぞれがアバンの弟子だという心強い言葉にレオナは期待に胸を膨らませる。かつて彼女の父がアバンへ勇者の家庭教師を願ったことは決して誤りではなかった。こんなにも大きく成長して、仲間を連れて助けに来てくれたのだから。

改めてダイたちの事を見て、そしてレオナは気づく。

 

「……ねえ、チルノは?」

 

姿を見せている人々の中に、ダイの姉の姿がない。かつてデルムリン島にて知り合い、歳が近いということもあってレオナはチルノのことを気にしていた。何よりレオナから見ればチルノは裏切り者たちの策略を逆手に取った恩人の一人でもある。気にならないはずがない。

 

「ああ、姉ちゃんなら……」

「呼んだかしら?」

 

ダイが言いかけたところで、チルノが上から降ってきた。縄梯子などまどろっこしいとばかりに屋上とつながる穴から直接飛び降りたのだ。そこそこの高さがあったはずだが、高さも勢いも感じさせないほど軽やかに着地する。その姿はまるで猫のようだ。

 

「チルノ!」

「ごめんね、気球の固定に手間取っちゃって。レオナ、久しぶり」

 

天から降ってきた親友。それはまるで神からの贈り物のようであり、レオナが歓喜の声を上げる。チルノもまた数ヵ月ぶりに再会したレオナへ喜びを隠さずに笑顔を浮かべた。

 

「髪、伸びた? ずいぶんと大人っぽくなっちゃって、ズルい……」

「そういうあなただって、島の時とは雲泥の差ね。何よりその服、良く似合っているわよ」

 

何しろ出会ったのは数ヵ月も前。しかも成長期の少女なのだ。それだけ時間が経てば受ける印象は大きく異なる。

以前出会った時のチルノは間に合わせのような地味で古臭い布の服を着ていた。それが今は知的な印象を受ける服に着替えている。外見も、苦労を乗り越えてきたおかげもあり、あの頃よりも大人びたと言って良いだろう。

だが、それもレオナの前では霞んでしまう。

賢者としての洗礼を受けて、王女としての重責を自覚したためだろうか。幼さが抜けており、以前出会った頃とは別人のように美人となっている。身に纏っている衣服も荘厳な物となり、貴金属を身に着けていることもあってぐっと大人っぽい見た目である。

 

短いやり取りを交わしただけであったが、互いの姿形と感じ取れる雰囲気から今日までどんな苦労をしてきたのか、二人は何となく理解出来た。

 

「そのスライムは?」

「ああ、そういえば前に島に来たときには紹介できなかったわね。スラリンって言うんだけど、ついて来ちゃって……」

 

スラリンはいつものようにチルノの肩に陣取ったまま、元気よく鳴いてレオナに挨拶をする。困ったものだと言わんばかりの表情を見せるチルノの様子に、レオナはクスクスと小さく笑う。スライムの愛らしい様子には、どうやら一国の姫と言えども抗いきれなかったようである。

 

「そういえば、ダイは役に立った?」

「それは勿論! 勇者アバンに助けられた時のフローラ姫はきっとこんな感じだったのね」

 

このまま近況報告という名の会話を何時までも続けたかった。何しろ話をしたいことはたくさんあるのだ。だが今はまだのんびりとしているわけにもいかない。レオナの大満足したような言葉を聞くと、チルノはそこで一度話を切るように頷く。

 

「それは良かった。それじゃあ、次は私の番ね」

「え?」

 

そして精神を集中させ、魔法を発動させる。

 

「【ホワイトウィンド】」

 

彼女の使った青魔法によって、塔の内部に柔らかな風が吹いていく。若干霞がかったミルク色をした風は、ダイたちは勿論のこと、倒れている兵士一人一人にまで優しくそよいでいく。

「こ、これは……?」

「うう……な、なんだ一体……?」

 

そしてその風を身に受けた者たちは、皆が意識を取り戻して起き上がっていく。フレイザードにやられた兵士たちも、五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)を受けたアポロですらも、傷が癒えているではないか。

 

「こ、これって……!?」

「ちょっと乱暴かもだけど、治療をさせてもらったわ」

 

それはその場にいる全員を癒やすという便利な青魔法である。回復量は術者の体力に左右されるため、常に安定した回復が望める訳ではないが、一度に多くの人間を癒やせる。今のような状況では打って付けだった。

その魔法の影響はレオナにも勿論及ぶ。彼女は未だ痛みを堪えていたのだが、それがスゥーッと楽になっていく。臣下たちに庇われており比較的攻撃を受けなかった自分でこれならば、他の者たちはどれほど楽になっているだろうかは想像に難くない。

 

「相変わらず、規格外ね……」

 

ベホマラーという複数の対象を一気に回復させる呪文があることはレオナも知っているが、これはまさにそれだろうかと錯覚してしまう。もっとも、チルノの事情を知る彼女はホワイトウィンドの効果をベホマラーによく似た特殊な力だということは理解している。

それを知った上でも、規格外としか言いようがなかった。

 

「アポロ! 大丈夫!?」

「エイミ……この治療は君が……? いや、私よりもマリンを……!」

 

レオナが感心しているその横では、エイミがアポロを助け起こしていた。

 

「え……?」

 

気を失っていたアポロはエイミが自分に回復呪文を使ったと判断したようである。だが自分が助けられたことよりも彼は、フレイザードにやられたマリンの容態を心配していた。

アポロの言葉にエイミは辺りを見回し、そして気づく。塔の外側付近に倒れている姉の姿があるではないか。

 

「姉さん!!」

 

慌てて駆け寄り、無事を確かめようとするエイミであったが、マリンの様子を見た途端に一瞬だけ足が止まるものの、だがすぐに動きを再開させた。

 

「なんて……酷い……」

「すまない……本来ならば私が身を挺してでも彼女を守るべきだった……」

 

フレイザードの高熱の半身によって焼かれたマリンの顔には酷い火傷が刻まれたままであった。彼女もまたチルノのホワイトウィンドの効果によって多少なりとも回復しているのだが、傷は深いようであり完治にはほど遠いようである。

その傷を凝視しながらエイミは姉を優しく抱き上げる。受けたダメージよりも精神的なショックの方が大きいのか、彼女は気絶したまま目を覚まさずにいた。

 

「大丈夫よ、安心しなさい」

「姫!」

 

突然後ろから掛けられた声に驚き、振り向けばレオナがそこにいた。彼女はエイミに安心させるように笑いかけると、跪いてマリンの顔――その火傷の傷跡を慈しむように手を添える。

 

「ベホマ」

 

ダイは素晴らしい強さを見せてくれた。チルノは多くの臣下たちを瞬く間に癒やすほどの異能を見せた。デルムリン島で出会ったときの実力であってもかなりのものだった二人が、さらに強くなっている。ならば自分もこのくらいは見せなければ、隣に並び立つ資格が無いように思えた。

勿論ダイもチルノもそんな差別するような態度は見せないことは彼女とて分かっている。どちらかと言えばこれは彼女のプライドの問題だ。自分もこの数ヶ月の間を遊んで過ごしていた訳ではない。しっかりと修行を行っていたのだということを二人に見せたかったのだ。

 

ベホマは、回復呪文の中でも最上級のものである。重傷ですら快癒させるこの呪文はその効果を遺憾なく発揮して、醜く焼け爛れたマリンの顔をすっかりと元に戻していく。

その様子をパプニカの者たちは勿論、ダイたちも目を丸くして見ていた。これほど見事な回復呪文などそうそうお目にかかれるものではないだろうし、マリンもまたエイミの姉だけあって美人である。美人の傷が消えるのであれば反対する男などいないだろう。

 

「あれが……ベホマ……」

 

輪になってマリンを見守っている一団から一歩離れた場所で、その様子を見ていたマァムが思い詰めたように呟く。その声は誰にも届かなかった。

 

「ふぅ……っ……」

「ありがとうございます姫。姉のために……」

 

未だ目を覚まさないマリンに代わり、エイミが深々と頭を下げる。だがレオナは気にした様子を見せない。

 

「何言ってるのよ。顔は女の命でしょ? いつも綺麗にしとかなきゃ。それに、まだ気絶したままなのはもしかしたら好都合よ。マリンには夢と思わせておきましょう」

 

自分の顔が焼け爛れるところなど、誰も想像したくないだろう。マリンを気遣ってのその言葉にエイミは再び深々と頭を下げた。

 

「さて、これで全員動けるようになったわね? ダイ君たちも助けに来てくれた以上、もはやここに留まる理由もないわ。パプニカに戻って国の復興と、魔王軍への反撃体制を整えるわよ」

「はっ!!」

 

全員の怪我も癒えたのであれば、もはや身を隠す理由もない。姫としてカリスマ性を発揮させ、彼女は全員へ命令を下した。

兵士たちはその命に従い、帰還の準備を始めていく。見事な統率力であった。

 

「お疲れ様。あれがベホマね? 初めて見たわ」

「それはそうでしょうね。僧侶だってそう簡単に使える呪文じゃないもの。覚えるのには苦労したわ」

 

最上位の回復呪文の使い手などそうゴロゴロいるものではない。チルノの言葉にレオナは暗に大変な修行の結果会得したのだと少しだけ苦労を匂わせる。

 

「でもそのおかげで、あの時よりももっと強くなっているから。攻撃呪文の方も期待してくれていいわよ」

 

その言葉にチルノは驚くが、考えてみればこれは自然な結果と言ってもよかった。

それはチルノが存在するためである。同い年の少女が未来の賢者と呼ばれており、その活躍ぶりを間近で見ているのだ。良い意味で影響を受け、触発されていた。

 

「ふふ、すごい自信ね。これなら、もう数日は救助に来るのを遅らせても大丈夫だったかな?」

「ちょっと! 冗談でもやめて。かなりギリギリだったんだから」

 

そんな他愛もないお喋りであったが、レオナにとっては心休まる時間だった。だがそれもやがて終わる。

 

「姫! 気球に最低限の荷物を積み込みました。先にお戻りください」

「そう、わかったわ。ダイ君、チルノ。みんなも行きましょう」

 

パプニカ兵の言葉によって、レオナはダイたちと共に屋上へと上がり気球へと乗り込む。

やがて塔の頂上から気球船が飛び立ち、バルジ島を後にしていった。

 

 




バルジ島、終わっちゃいました。まさかの結果です。

本来はダイが空裂斬を取得するイベントなのですが、既に使える場合は意味がないので。
誰かを凍らせる? レオナ? エイミ? マリン?(アポロは論外。男に需要は無い)
そんなの原作を知っているチルノさんが許すわけがない。氷炎結界を張る前に即・殲・滅です。
(そもそも氷漬けは結界内から逃がさないための手段なので、事前に人質という展開は不自然)
チルノさんを氷漬けにできれば一番楽なのですが、同じ理由で却下。
(「その名前でお前が凍るのかよ!」という身体を張ったボケにはなりますね)

以上の協議の結果、今回のようになりました。

このままだと(修羅場を経験しないので)仲間がイマイチ強くなれないぞ。どうする?
ていうかピンクのワニさんは何時出てくるんだ!?!?

……頑張れ未来の私!! 超頑張れ!!

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