隣のほうから来ました   作:にせラビア

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脳内に浮かんだことを色々書いていたら文字量が増えたので前後編です。



LEVEL:25 王女の帰還 前編

バルジの塔を出発した気球船は、今ゆっくりとパプニカの大地に降り立った。その釣り籠には、レオナたちパプニカの民とダイたち勇者の一行が乗っている。

ダイたちにしてみれば、つい先ほど通った道を再び戻ることとなりいささか退屈であったが、レオナにしてみれば違う。狭い塔の中で続けていた禁欲生活をようやく終えることができたのだ。道中にて見る景色はその全てを新鮮に感じていた。

 

「うーん……! ようやく帰ってきたって感じがするわね」

 

釣り籠を飛び降りると、レオナは大きく伸びをする。

気球の降りた場所は、これまた先ほどと同じく大神殿の跡地だった。積み重なった瓦礫もまだまだ残っており、廃墟のような状態はそのままに――いや、レオナの記憶にあった時よりも破壊されている。どうやら逃げた後でもモンスターたちに壊されていたらしい。

 

「そうね。おかえりなさいレオナ」

「ええ、ただいま。チルノ」

 

そんな大神殿の様子に心を痛めつつも、それでもレオナの中には喜ばしい気持ちがあった。

住み慣れた場所に戻って来ることができるのは、それだけでも嬉しいものである。ダイたちの活躍によって国を取り戻すことができた。魔王を倒すのが勇者の役目ならば、国民を導くのは王族の役目である。

ここに再びパプニカ王家を復興させて、臣民たちが安心して生活できるようにしなければならない。その壮大な仕事に、重責を感じないと言えば嘘になるだろう。

だが、頼りになる仲間も親友もいるのだ。ならばきっと、この困難だって乗り越えていけるだろう。チルノの気遣った言葉に返事をしながら、レオナはそう確信していた。

 

「しっかし、大神殿もボロボロね。瓦礫を撤去して立て直して……」

「その前に寝る場所と食べ物からね」

「え?」

 

大神殿の再建や城の修繕などについて頭を巡らせようとしていたところで、チルノが口を挟んできた。

 

「復興にも人手が必要だから、まずは仮設でも良いから安心してぐっすり眠れる場所を用意してあげないと。それと食べ物の安定供給もね。その二つがあれば、多少の苦労があっても乗り越えられるわよ」

「そうなの……?」

「ええ。だって、王家の復興っていう大仕事をするんだもの。熱意は伝播するし、一体感は間違いなく生まれるはずよ。でも精神論だけじゃ乗り越えられない、食べ物は絶対に必要になるの」

 

気がつけば、レオナだけでなく一緒に気球に乗っていたパプニカ兵ですらも作業の手を止めてチルノのことを見ていた。だが彼女はそれに気づくことなく言う。

 

「逃げたパプニカの人たちだって王族が復古の宣言をすれば戻ってくるだろうし、それでも人手が足りないのなら他国に応援を求めても良いと思う――ただ、その場合は借りを作ることになるから後が大変だろうけれど。いずれにせよ、人が増えるってことは不特定多数の人間が出入りすることになるから、見回りや治安維持はしっかりしないとね」

「え、ええ……そうね……」

「こんな状況だもの、王様も国民も隔てなく助け合わないと。そうすればきっと、パプニカの人たちはもっと固い絆で結ばれると思うの」

 

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。そのくらいの言葉は、チルノとて知っている。後々騒動の種になりそうではあるが、それでも言わずにはいられなかった。

チルノの発言を聞いてレオナは肯定するように頷くと、ダイの方を向く。

 

「ねえ、ダイ君ちょっと……」

 

ちょいちょいと、小さく手招きの動作をすると、ダイはレオナの傍へ寄って行く。そのまま二人で少し離れた場所に向かうと、小声で話し始めた。

 

「チルノって、本当にデルムリン島で育ったのよね?」

「え……? うん、そうだよ。おれと一緒に育ったんだ」

「じゃあ、なんであんなこと知ってるの!? 食べ物と寝る場所だとか治安維持とか! ダイ君は知ってた?」

「ううん……おれ、知らないや……じいちゃんに聞いたんじゃないかな?」

 

チルノがそういった事柄を知っているのは、当然ながら前世の知識の影響である。

災害キャンプの話や人伝の体験談などから得た、あくまで断片的なものであったが、それでも効果は十分高い。なにしろかつての魔王ハドラーが倒れてから十五年。それだけあれば、喉元過ぎれば熱さを忘れるではないが、苦労した経験も薄れていく。

ましてやまだ若いレオナでは知らなくて当然だろう。だが知らなくて当然のはずのことをチルノが知っている。心強くはあるのだが、同時にその知識の源泉を知りたいと思うのも無理はない。

何しろ彼女はチルノを認めているが、同時に対等に隣に立ちたいと思っているのだから。

 

「ブラスさん? 可能性はあると思うけれど、でも知ってるのかしら?」

 

確かに、チルノが知っているとなれば情報源はそこが一番可能性は高いだろう。だが――失礼ながら――モンスターのブラスがそういったことについて詳しく知っているとは考えにくかった。

いつか絶対に問い詰めて聞き出してやろうとレオナが思っていると、大神殿の跡地に一人の青年が姿を現した。

 

「戻ってきたか」

「あ、ヒュンケル!」

 

仲間である剣士の登場にダイは笑顔で出迎える。対してヒュンケルは、冷静な態度を崩さない。

 

「どこに行ってたの?」

「辺りの警戒を少し、な……気球が降りてきたタイミングで敵に襲われたら、たまったものではないだろう?」

 

バルジ島から帰還する気球は遠くからでも見ることができた。ヒュンケルはそれを確認したタイミングで、周囲の見回りへと向かっていた。彼の言葉通り、気球は着陸の際は無防備になる。呪文や飛び道具で応戦するにしても限界があるし、移動も回避もまともにできない。

それを防ぐため、警戒に出ていた。

とはいえ敵のモンスターなどは見当たらず、結果だけで言えば取り越し苦労でしか無かったが。

 

「あなたがヒュンケルね? ダイ君から聞いているわ。アバンの使徒なんですって?」

「そうだ」

 

容姿は二枚目ではあり、クールな雰囲気を漂わせている。もしも彼が街を歩けば、道行く女性の大半は視線が釘付けとなるだろう。そこまでは理解できる。だがレオナは、目の前の青年から寒々しい何かを感じていた。

既視感とでも言うのだろうか。理由は分からないが、見ていると背筋が凍り付くような何かがまとわりついてくる。

 

「……ごめんなさい。どこかで会ったかしら? どうもあなたとは初対面ではないような……」

「そうだな。初対面ではない。もっとも、あのときは互いに名乗ることも無かったが」

 

互いにそう言った瞬間、ダイたちの表情が一斉に変わる。何しろその正体は亡国の姫と、その国を滅ぼした張本人なのだ。

パプニカ侵攻の際、ヒュンケルは鎧の魔剣を身に纏った姿で指揮を取っていた。人間は滅ぼすという信念により、パプニカの騎士や将軍を相手にしても名乗ることすら無かった。

対するレオナは王族であるため最前線からは離れていたこともあり、ヒュンケルの姿は遠目で見たのが関の山である。

それでもレオナは、ヒュンケルの纏う空気を敏感に感じ取っていた。感じ取った空気が正体に結び付くことはなかったものの、それでも大したものである。

 

「すまないがレオナ姫。あの気球に乗っていたので、パプニカの人間は全員か?」

「え? いいえ、まだ塔に残っている人がいるわ。それらを運ぶためにも、気球で何往復かするはずよ。バルジ島から船で大回りして来る兵士たちもいるはずだけど」

 

チルノと出会ったことでレオナの意識がより良い方に向いたことや、キラーマシンの装甲を利用するといった発展を見せたことで、パプニカは――結果的には敗れたとはいえ――不死騎団を相手に予想以上に奮戦していた。そのため、バルジ島には本来の歴史よりも多くの人間が集まっていた。そのため気球によるピストン輸送も一度や二度では追いつかず、別途で海路を利用して戻る人間も出たほどだった。

 

「では、全員が揃うのはいつ頃になる?」

「おそらく今日の夜――下手をしたら明日になるかもしれないと思うけれど……それがどうかしたのかしら?」

「わかった……では明日の夜。パプニカの人たちを集めてもらえるだろうか? 彼らに話をしたいことがある」

 

そこまで言うとヒュンケルは踵を返し、再びどこかに去ろうとしていた。問題の先送りでしか無いことは分かっているが、それでもヒュンケルが自身についてこの場で唐突に言い出さなかったことに、ダイたちは少しだけ安堵する。

 

「それは急ぎの要件かしら? だったら、あたしだけでも聞くわよ」

「いや、もう一日くらいならば待とう。できる限り大勢の人間に対して聞いてもらいたい……そもそもこれは、オレの我が儘だからな……」

 

その背中に投げかけられた言葉に対して、ヒュンケルは半身だけ振り返ってそう言うと、再び歩き出した。

ともすれば根暗ともぶっきらぼうともとれる態度であり、レオナはその顔に少しだけ怒りの感情を見せるが、ダイが必死で取りなす。

 

「ごめん、レオナ。詳しくは言えないんだ。ただ、ヒュンケルは必ず自分で言うから……だから、それまで待っててくれるかな?」

「うーん……なんだかよく分からないけれど、わかったわ。彼の話を聞けば良いのね?」

「うん、頼むよ。大事な話なんだ……」

 

とても言いにくそうに言葉を濁すダイの様子に、レオナも何かのっぴきならない事情があるのだろうと推測する。

その事情を聞くことで重大な決断を迫らなければならないことを、彼女はまだ知らない。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

――翌日。

レオナの予想通り、夜半過ぎまでかけて塔に避難していた人たちは帰郷を完了させていた。先に戻った人たちは食料や寝床を準備したりと、今できることを着々と進める。

王族であるレオナが先頭に立って指揮を取り、三賢者がそれぞれ細かな調整を行っていく。ダイもその一団に混じって、主に力仕事を率先して行っていた。

 

そしてチルノはというと――

 

「お願いチルノ! 私に稽古をつけて!!」

 

太陽の位置から察するに、今はお昼よりも前といったところだろうか。彼女もまた、レオナの力となるべく復興作業の手伝いをしていたところ、不意にやってきたマァムが開口一番に発したのがこの台詞であった。

辺りには同じく作業中のパプニカ兵やアポロがおり、それどころかレオナだっている。マァムの大きな声で否が応にも目立ってしまい、一同の注目を集めていた。

 

「ええと……マァム? とりあえず落ち着いて。一体、何があったの……?」

 

チルノの知るマァムは、活動的な面もあるがどちらかといえば落ち着いた印象である。それがどうしてこんなことを。

見た目からの判断でしかないが、マァムは思い詰めたような真剣な表情をしている。何か悩みがあるのだということは自明の理だった。その結果がこれなのだろう。

彼女らしからぬ行動に困惑しつつも、チルノは何があったか尋ねる。

 

「え、あ!? ご、ごめんなさい……でも、どうしても私……」

 

チルノの言葉を聞いたことで自分がどんな状況にいるのかをようやく理解したのか、マァムは表情を少し崩して周囲に迷惑を掛けたことを謝罪するように頭を下げる。だが、肝心の原因については言いにくそうに言葉を濁したままだ。

何かがあった。そして、自分を頼ってきてくれたのだ。ならば、できる限り力になってあげよう。

そう考え、チルノは周囲の作業者たちに向けて言った。

 

「レオナ、それに皆さんも。すみませんが、ちょっと抜けます」

 

ここでは話しにくい内容かもしれない。できれば二人きりの方が良いだろうと判断しての発言だ。

 

「大丈夫よチルノ。心配しないで」

「チルノ殿は国を救ってくれた英雄の一人ですよ。お気になさらないでください」

 

それを聞いたレオナたちは笑顔で問題ないと口々に言ってくれた。こちらの都合で抜けるというのに気遣ってくれる皆の気持ちに感謝しつつ、チルノは頭を垂れた。

 

「ありがとうございます。ほら、マァム。ちょっと場所を変えましょう? 何があったかは、そこでちゃんと聞くから」

「うん……」

 

マァムらしからぬ弱々しい返事。これは自分の都合でチルノに迷惑を掛けたことを申し訳なく思っているからだろう。

俯き加減のマァムを連れて作業場所を離れ、誰もいない開けた場所まで歩く。

 

「ここならいいかしら?」

 

周囲に人影がいないことを確認してから、マァムに確認するように言う。彼女が頷いたのを確認すると、チルノは手近にあった大きめの岩に腰掛ける。マァムもそれに続き、さながら長椅子に二人で座っているような状態だ。

 

「それじゃあ、改めて聞くわね。何があったの?」

「実は……」

 

マァムはゆっくりと口を開いた。

 

 

 

「……本当にこんなところに人が住んでるのかよ?」

 

岸壁から下を見回しながら、ポップがうんざりしたように呟く。ここはパプニカの沿岸部分。それもバルジ島に近い海岸沿いである。少し目を凝らせば、天気が良いこともあって昨日訪れたばかりのバルジの塔がうっすらと見える。

 

「でも、先生の手記にはこの辺りって書いてあるわ。諦めずに探しましょう」

 

目に見えてやる気の失せてきているポップを、マァムは励ます。とはいえ、彼女も若干ではあるが不安を感じてきているのも事実である。

さて、ここで二人が何をしているのかというと――

 

「ところで、そのマトリフって人は本当に頼りになるのかよ? マァムは知ってるんだろ?」

「ええ、それは勿論。何しろアバン先生のパーティにいた人なんだから」

「へぇ……なにいいぃぃっ!?」

 

マァムが何気なく言った一言であったが、それは事情を知らぬポップにしてみれば驚愕の内容であった。

 

「知らなかったの? 先生のパーティは私の父の戦士ロカと母の僧侶レイラ。そして、魔法使いマトリフの合計四人なのよ」

「い、いや……全然知らなかったぜ……」

 

アバンと行動を共にしていた割には、かつての勇者の伝説についてあまり知らぬポップであった。

 

「昔はよく私の家に遊びに来てたんだけどね……まさか、こんなところに住んでたなんて知らなかったわ……」

「隠遁生活ってやつか? でも先生の仲間だったってんなら前言撤回、頼りになりそうだな。とんでもなく強力な呪文をバンバン教えてくれそうだ」

 

二人の会話通り、彼らはマトリフという魔法使いを探していた。アバンの手記にて、ポップへ向けて遺された言葉の中には『マトリフに会って修行をつけてもらえ』というものがあった。そして同時にマトリフの現在の居場所――ホルキア大陸沿岸部の洞窟。バルジ島の見える辺りという多少大雑把ではあるが――についても書かれており、それを頼りに朝から捜索を続けていたのである。

マァムがついてきたのは、彼女がマトリフを知っているからであり、共通の知り合いがいた方が話がスムーズに進むであろうという配慮からである。

とはいえ実際に現地近くまで行ってみたところ、場所は分かりにくく、加えて似たような洞窟も点在している。何度目かの空振りを体験してついにポップが泣き言を言い始めたところだったのだ。

しかしそれも、アバンの仲間という肩書を聞いた途端、それまでの態度が嘘のように活き活きとし始めた。アバン・レイラという伝説の英雄二人と出会っているためか、彼の頭の中に浮かんだマトリフ像は一言で言えばナイスミドル――格好良さと思慮深さを兼ね備えた男であった。

加えて、このような場所で世捨て人のように生活しているところから、呪文の研究に余念のない天才魔法使いという側面まで付与されていたのだ。

 

……まあ、決して間違いではないのだが。

 

ポップの様子から察するに、マトリフに対して過度の期待を寄せているのは明確だ。マァムの知るマトリフは、確かに強いのだろうが性格に少々難がある。傷の浅いうちに素直に教えてやるべきか、それともこのやる気を殺さないためにも黙っているべきか。マァムは判断に悩む。

 

「おっ、またしても洞窟発見! あれが本命か!?」

 

判断に窮している間に新たな洞窟を発見し、ポップが喜び勇んで駆け出していく。仕方なくマァムもそれに続いて行った。

 

 

 

「この洞窟が当たりだと良いんだけどな」

 

発見した洞窟に入れば、陽光が届かないため当然ながら内部は薄暗い。悪くなった視界のため、辺りを警戒するように自然とゆっくりとした足取りになる。そして当然、ポップは周辺の気配に対しても敏感になっていたはずである。

 

「誰だ、てめえ?」

 

だがそれは突然現れた。先頭を進むポップの目の前に突然だ。彼は多少浮かれてはいたが、目の前に誰かがいれば気づく程度には警戒していたはずである。ましてや一本道の洞窟で前から来る相手に気づかないなど、普通ならばあり得ない。

だが、結果は違う。

ポップの前には老人――彼の主観で言うところヘンな顔をしたジジイ――が不意に現れ、顔面にその老人が持つ杖を突きつけられている。発せられる殺気は、戦場の気配に鈍い魔法使いという職のポップであっても、下手をすれば一瞬で殺されかねないほどだと理解できるほどだ。思わず背中を冷たい汗が流れ落ちる。

 

「……マトリフ、おじさん!?」

 

だがポップが相手の顔を確認できるということは、マァムも見ることが出来るということだ。見知った顔に思わず叫んでいた。

 

「おおっ! おまえ、マァムか!!」

 

マトリフはその言葉を聞くと、ポップに向けていた殺気に満ちた表情から一変して下品な笑顔となり、手にしていた杖を放り出さん勢いで彼女へと駆け寄った。

 

「おお……大きくなったなぁ~……」

 

台詞だけを聞けば、久しぶりに会った親戚との会話と言ったところだろうか。ただし、マトリフの行動がなければ、だが。

彼はマァムの豊満な胸を正面から両手で鷲掴みにしていたのだ。その発育具合と柔らかさを確かめるように、数回ほど揉みしだく。大きくなったという彼の言葉通り、彼女の胸はその両手から零れ落ちそうなほどである。

 

「なっ……!! なにすんのよっ!!」

 

不意に胸を揉まれたことで少しだけ反応が遅れたが、マァムは拳を思い切りたたきつける。だがマトリフはまるで残像のように掻き消えて、その一撃は見事に空振りとなった。

 

「ダハハッ、まぁそう怒るなよ」

 

そしていつの間に動いたのやら、マァムの背後へと姿を現す。

 

「オレはな、お前のオムツだって替えたことがあるんだぞ」

 

そう言いながら今度は彼女のお尻の張り具合を確かめるように軽く叩く。

 

「全然変わってないわ、このおっさん……」

 

かつて知ったる相手と変わらないその様子に嘆きつつ、今度はマトリフの脳天に拳を落とす。その様子を見ながら、ポップは絶望的な表情を浮かべながら言った。

 

「な、なぁマァム……おれの耳が変になってなければ、さっきそのおっさんのことを……」

「ええ、そうよ。この人がマトリフ。私たちが探してた人よ」

「こ、こんなヘンなスケベじじいが!? 先生の仲間ぁっ!?」

 

描いていた理想がガラガラと音を立てて崩れていく。そんな感覚にポップは襲われていた。

何しろ見た目だけでも相当な高齢――彼の知る中で言えばバダックやネイル村の長老、シナナ国王よりも年は上だろう。魔導士のローブを身に纏っているが、大きく広がった特徴的すぎるフードが目立つ。

そして何よりも、先ほど見せたマァムへのセクハラ行為が威厳を台無しにしていた。

 

「まぁ、いつもならなるべく会いたくない人だけれど、今日はこっちから会いに来たんだし……」

「そ、そうだったな……こんなのでも先生の仲間……こんなのでも先生の仲間……」

 

自己暗示をするように小声でぶつぶつと呟くポップ。そうやって何度目かを口にしたことで、ようやく決心が固まったようである。

 

「マトリフさん、お願いだ! おれに稽古をつけてくれ」

「……やだ」

 

頭を下げながら叫ぶポップであったが、返ってきたのはマトリフの短い否定の言葉だった。

 

「……なっ!? ええっ!!」

「聞こえなかったのか? 嫌だって言ったんだよ。なんで見ず知らずの野郎に稽古をつけなきゃならねぇんだ?」

 

そう言いながらへそを曲げたようにそっぽを向いた。

 

「そ、そりゃねぇぜ! あんた、アバン先生の仲間だったんだろ!? おれは先生の言葉に従ってここに来たんだよ!」

「あん? アバンの……?」

「そうだぜ! ほら、これ見てくれよ!!」

 

そう言うとアバンの手記を取り出し、ポップは自分について書かれている項目を開いて差し出した。マトリフはそれをひったくるように受け取る。

 

「どれどれ……?」

 

そう言いながら目を通し始める。視線の動きから、二度三度と読み返しているのがわかる。だがそれも時間にして一分程度。読み終えた手帳を閉じる。

 

「なるほどな、事情は分かった」

「……じゃあ!」

「その前に教えろ。何があった?」

 

手記を読んだことですんなりと教えてもらえると思ったのだろう。ポップが喜色を浮かべるが、返ってきたのはマトリフの突き放すような冷たい言葉だった。

 

「え? 何がって……何をだよ?」

「アバンがオレを頼ったのは分かる。だったら、なんで本人が来ねぇんだ? どうしてこんな手帳に書き残す必要があったんだって聞いてんだよ」

「そ、それは……分かったよ、話すよ」

 

睨みつけるような半眼でポップを見る。その圧力に負けたように、ポップはアバンに何があったのかを語り始めた。

 

自分はアバンの弟子として師事していたこと。パプニカ王家の要請を受けて、デルムリン島に向かったこと。そこで出会ったダイとチルノに稽古をつけたこと。

そして、ハドラーが現れて死闘の末にアバンが負けたこと。

その一部始終を語った。

 

ポップが話している間、マトリフは椅子に座り腕を組み、目を閉じて黙って聞いていた。そして、話が全て終わったことを悟ると、ため息と共に口を開いた。

 

「ハァ……なるほどなぁ……あの三流魔王にやられたか……」

 

そして閉じていた目を開くと、当時の事を思い出したかのように消沈しているポップをジロリと睨む。

 

「……で。お前は何をやっていたんだ?」

「な、なにって……」

「一年近く弟子としてアバンにくっ付いておきながら、ハドラー相手に援護の一つもしねぇ。それどころか完全な足手まといじゃねぇか。まだ話に出ていた姉弟の方が活躍してるぜ? その意味が分かってんのかって聞いてんだよ」

 

そう言われて言葉に詰まる。

マトリフの指摘はポップの心を確実に抉っていた。今の話だけを聞けば、とてもではないが胸を張れることではない。師の危機に何もできず、自分よりも遅く師事したダイたちに完全に水をあけられているのだ。

 

「その挙句が、遺言に従ってオレに師事したいだと? 甘えてんじゃねぇよ。なら何で、その一年の間にもっと強くならなかったんだ? ここに来るまでの間に、少しは鍛えたのか?」

「そっ、それは……」

「てめぇみたいな腰抜け魔法使いは初めて――」

 

そこまで言いかけて、かつてマトリフが師匠についていた頃にいた一人の弟弟子を思い出す。彼もまた、勇気がなくて踏ん張ることが出来ず自分から努力をしないような男であった。

 

「――もとい、そうそう見ねぇ。そんな奴がオレに教わったところで時間の無駄だ。わかったらとっとと帰んな」

「ちょっと! そこまで言うことはないでしょ!!」

 

マトリフのあまりに傍若無人な言い方に怒り、マァムが口を挟もうとする。だがそんな彼女の行動を、ポップは肩を掴んで止めた。

 

「いいんだ、マァム。いいんだよ、その通りだ……」

「ポップ! あなた……」

「わかってんだよ! そんなことは、おれが一番わかってんだよ!!」

 

そして、堰を切ったように話し出した。

 

「ダイはクロコダインにヒュンケルにフレイザードと三人の軍団長を倒してきた上に、アバンストラッシュを完成させて、ライデインまで使えるようになった。チルノはちょっと離れていた間にサタンパピー三匹を一人で倒した上に、底が知れねぇくらい色んなことが出来る」

 

この旅が始まってからというのも、ダイは驚くべき速度で成長している。ポップはそれを隣でずっと見ていたのだ。男として、同じアバンの使徒として、誰に言われるでもなく自分と比較してしまう。表面からでは見えず本人も気づいていなかったが、その比較の結果で生まれた劣等感は確実に彼の心の中に降り積もっていた。

そしてそれは、マトリフの歯に衣着せぬ言葉によって引きずり出されていた。

 

「対しておれがやったことはなんだ? ラナリオンを使ってダイをちょっと手助けした程度じゃねぇか! おれは自分一人の力では何にも成長できてねぇんだ!!」

「ポップ……」

 

人の使った手段を真似て、自分なりにアレンジすることで危機を乗り越えたことはあった。だがそれだけではダイを前には霞んでしまう。彼とて最低限の矜持はある。彼の心はもっと大きな成長を欲していた。そんなちっぽけな成長ではなく、もっと確実な手ごたえを短絡的に求めていた。

 

そして、自分一人では何も成長していない。その言葉は、他でもない自分だけに向けられた言葉のはずだった。だがそれを聞いていたマァムにも突き刺さる。ポップとはまた違うが、彼女もまた苦悩は同じだったのだが、自分の事で精一杯のポップがそれに気づくことはなかった。

 

「あんたに指摘されるまでもねぇ!! でも、おれは足手まといのままでいたくねぇんだ!! 頼む! この通りだ!!」

 

マトリフの足元に座り込み、土下座のように頭を下げる。例えこのままマトリフに顔面を蹴り飛ばされたとしても、ポップは決して文句を言わないだろう。

 

「……まあ、そんだけ吠えられりゃギリギリ合格か?」

「へ……?」

 

下げた頭の上から聞こえてきた、先ほどまでの厳しい声音とは違う言葉に思わずポップは間の抜けた声と共に顔を上げる。

 

「これが『アバンの遺言に従って来ました。修行を付けてください』って理由だけだったら、それこそぶっ飛ばしていたところだぜ。だが今のお前には、人に言われて来たんじゃねぇ、自分で決めた覚悟があるんだ。なら、まだマシってもんだ」

 

マトリフが知りたかったのは、ポップの覚悟だった。

彼の言葉通り、最初に会った時のポップは何の覚悟もない、ただアバンの言葉に従って来ただけの目的も主体性もない人間にしか見えなかった。勇者と同じパーティにいた伝説の魔法使いに習えば強くなれるという浅慮な考えしか持っていないように思えた。

そのため、意地の悪い言い方をしてポップを追い詰めた。ポップの本音を引き出すために。

元々アバンの手記を読んだ時点で、彼を弟子として鍛えるつもりでいたのだ。なにしろポップは、これから先も魔王軍と戦い、果てには魔界の神と恐れられる相手と死闘を繰り広げようというのだ。そんな奴がこの程度でやり込められてしまうようならば、どのみち未来はない。

ならばと試してみただけである。結果は、辛うじて及第点と言ったところだったが。

 

「とはいえ、この土壇場まで碌な努力もしてこねぇんだ。見込みは薄いだろうがな。それでもアバンの頼みだ。半人前以下の魔法使いを、せめて半人前くらいにはしてやらぁ」

 

そう言いながら椅子から立ち上がり、傍らに立てかけていた杖を掴む。そしてポップへ向けて鋭い視線を向ける。

 

「言っとくがな、アバンの弟子だったからって手心は期待するなよ? テメェで頭下げてオレに弟子入りしたんだ。文句は言わせねぇぞ」

 

その底冷えするような声と態度。その裏に見え隠れするサディスティックな空気を感じて、一瞬にしてポップは後悔の念が押し寄せてきた。

 

「い、いや! おれやっぱりチルノに習うから……」

「なぁに遠慮すんな。このオレが直々に教えてやるんだ。嫌でも世界最強の魔法使いにしてやるよ……生きてればな」

「ちょ、待て待て!! 今なんて言った!? 生きてればって言ったよな!? 何する気だ!!」

 

文句を言うポップであったがマトリフはまるで聞く耳を持たず、ポップの首根っこを掴むと老人とは思えないほどの力の強さで強引に引っ張っていく。

 

「オラオラ、文句を聞いてる暇はねぇんだよ。一分一秒が惜しいんだ。とっとと始めるぞ」

 

言いながら洞窟の外まで出ようとして、マァムの前で立ち止まる。

 

「オレはこれからコイツを鍛える。お前はどうするんだ?」

「私、は……」

「まあいい、じっくり考えな。しばらくは戻ってこねぇからよ」

 

そう言うマトリフの姿は、今まで彼女が良く知る、スケベな姿ではない。知性と思慮深さに溢れた姿であった。そしてその様子からは、マァムを心配しつつも自分は手伝えないことへの慚愧を感じられた。

ポップを引き連れて再び歩き出すマトリフの背中を見ながら、マァムはそんなことを考える。

やがて、洞窟の外からマトリフの『ルーラ!』という声が聞こえてきたのを最後に、辺りは静寂に包まれた。

 

 




ヒュンケルがまだ罪を口にしないのは、ちょっとご都合主義っぽいですかね……?

以前ちらっとアバンに言わせましたが、マトリフ師匠はアバン先生によってネタバレ済みです。
(洞窟で修行する前にマトリフの所へ寄って、お話をして、それから修行へ。という感じ)
師匠ならばこのくらいは言うかなぁ? と思って気が付いたら言わせてました。
原作のようにフレイザードという直近の危機がないし、許容範囲内ですよね?

ポップは苦悩してこそです。

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