篝火から離れたことで、光源は月明かりがメインとなっていた。だが幸いなことに今宵は満月。雲一つ無い夜空は煌々と輝く月と星々が神秘的に彩っている。
これで思い人とでも夜を明かすことが出来たらば、さぞかしロマンチックだろう――とはいえ、相手のアテなどはまるで無いのだが。
チルノは頭に一瞬浮かんだ、そんな愚にも付かない考えを振り払い、再度周囲を見回す。
周囲には妖魔師団に所属する魔道士系のモンスターが数多く存在していた。そして、それらよりも後方にて、モンスターたちに守られるようにザボエラが姿を見せている。
対してこちらの陣容はといえば、戦力と数えられるのは三賢者のアポロくらいのものである。他にもパプニカの兵たちもいるのだが、あまり戦力として期待できない。
これは兵士一人一人の練度の問題ではなく、彼らの戦い方が原因だった。元々兵士とは数をもって戦う者である。多人数で挑み有利な状況を作ったところで、各人と連携して戦う戦法が一般的である。
勿論彼らとて個人個人でも戦えるだろうが、不得意な戦法であることは否めない。その上、数も少ないとなれば、果たしてどこまで戦えるものか。ましてや相手が悪すぎる。
現状を再確認しながら、チルノは気が気でなかった。
「相手は妖魔師団……見て分かるとは思いますけれど、呪文に長けたモンスターたちで構成されています。相手の呪文は絶対に避けるようにしてください」
そうパプニカの兵たちに警告を飛ばしながら、彼女はいつでも魔法を放てるように精神を集中させていく。
「なんの、チルノ殿だけに任せるわけにはいきません! 我々パプニカ兵も微力ながらお手伝いさせていただきますよ」
「そうですとも。せっかく取り戻した故郷です。私もこの身果てるまで戦います!」
だがチルノの言葉に反発するように、兵士やアポロがやる気を見せる。せっかく王家を取り戻したというのに、それが水泡に帰すかの瀬戸際なのだ。逸る気持ちは彼女にもよく分かる。そして、そのためならば命だって賭けられるという気持ちも。
だからこそチルノは彼らに苦言を呈す。
「すごくありがたいです。でも、皆さんはこの戦いを切り抜けたら、荒廃したパプニカを復興させるっていうお仕事が待っているんです。それはきっと、無数のモンスターを倒すよりも、もっとずっと立派で尊い行いです」
国を立て直す主役は貴方たち一人一人だ。そしてその原動力は故郷を守りたいという想いからなのだ。だから貴方たちには無理をして欲しくない。その力は破壊ではなく創造のために使うべきだと訴える。
「だから、戦いなんて私たちにどんどん任せちゃってください。どうせ英雄なんて、戦いが終われば邪魔になるんですから。今のうちに使っておけ程度の気持ちでいいんですよ」
「チルノ殿……」
無理に戦わせれば、怪我人の手当で手が回らなくなりかねない。ならば自分で面倒を見られる範囲の方がまだマシだ。そういった下心もあって言った言葉だったが、事態は彼女の願いとは裏腹な方向へと流れていく。
「パプニカの国民でもないチルノ殿がああ言っておられるのだ! 諸君! ここで無様な真似を見せてはパプニカ兵の名折れと知れ!!」
「オオオーッ!!」
チルノの言葉を自己の犠牲すら顧みない深い気遣いによるものと受け取り、アポロを筆頭に兵士たちに火がつく。
「え……」
「チルノ殿! 我々、感服いたしました! さすがは姫のご友人です!」
無理をして欲しくないから言った言葉でしかないのに、予想外の結果に流石のチルノも困惑するしかなかった。仕方なし、士気が高まったのだから良かったと思うことにしよう考えることで自分を騙す。
「黙って聞いておれば、随分と威勢が良いのぉ。それほど賑やかならば死出の旅路も寂しくはあるまい?」
それまで沈黙を保っていたザボエラがようやく口を開く。その言葉を聞き、配下の魔術師系モンスターたちも不敵に笑う。
「……あなたが前線まで出張ってくるなんてね。ロモスの失点を上司に責められでもしたのかしら?」
「フン、ぬかせ小娘……と言いたいが、全くその通りじゃ」
それは挑発のつもりだったのだが、意外なことにザボエラはあっさりと頷いた。まるで、この戦いにさしたる興味など持ち合わせていないと言わんばかりである。
「今回の主役はフレイザードよ。ワシらはちょいと点数稼ぎで、雑魚共を安全に狩りに来ただけじゃ。安心せい、痛みを感じる前にとっとと殺してやるわい」
「……それはご親切にどうも」
その口ぶりからチルノは相手の狙いが分かったような気がした。なるほどまさにザボエラは大きな興味を持っていないのだ。自分で言ったように、やることはタダの安全な点数稼ぎ。作業のように淡々とこなせば良い、としか考えていないのだと、そう思っていた。
ただ、ある一点だけは除いて。
「じゃが小娘。貴様には我が軍団でも数少ないサタンパピー共を潰されておるからのぉ……ちょいとばかり痛い目を見て貰うぞ? キィ~ヒッヒッヒ!!」
「言ってなさい! こっちだって、おじいちゃんを人質に取られた恨みはまだ忘れてないんだから!」
まるで豹変したかのように騒ぎ立てる。この戦いにて、ザボエラはチルノへの憎悪だけは別だった。先のロモス戦での敗北はザボエラにとっては予想外の痛手らしい。
泣き叫ぶ姿を見なければ腹の虫が治まらないと言いたげな様子に、だがチルノも激高したように叫ぶ。彼女の中ではブラスを連れて行った怒りはまだ治まっていない。
「鬼面道士の一匹や二匹で口喧しい小娘が! 貴様ら、やれい!!」
「ギラ!」
「メラミ!」
ザボエラが合図を上げると、待ってましたと言わんばかりに周囲のモンスターたちが攻撃呪文を放つ。妖魔師団に所属するモンスターたちは、いずれも呪文の扱いに長ける。ましてや周囲を囲まれた状態で、逃げ場のないように攻撃呪文を放たれたのだ。雲霞のごとく襲いかかる呪文を前にして、だがアポロは落ち着いて呪文を発動させた。
「フバーハ!」
高熱や冷気を遮断する光のバリアを生み出す呪文である。腐っても三賢者。さながら先のフレイザード戦にて、フバーハを破られた意趣返しとでも言わんばかりである。
張り巡らされた光の結界は、襲いかかる無数の呪文たちを瞬く間に無力化していく。
「【ファイラ】!」
アポロの意外な活躍に感心しながら、チルノはお返しとばかりに火炎魔法を放つ。敵の攻撃が途切れた隙間を狙って打ち込まれたそれは、燃え盛る炎によって敵陣の一角を焼き尽くしていく。
「おおっ!」
「アポロ様とチルノ殿。二人の賢者がいれば、勝てるぞ!」
あまりにも鮮やかな防御。そして反撃へと転じる姿に、それを見ていた兵士たちから歓声が上がった。何しろ敵は遠距離から攻撃を仕掛けてくるのだ。近接戦闘を得意とする兵士たちでは分が悪い。だが今のように、二人の援護があればこの不利な状況であっても勝利は決して夢ではないと、そう信じるには十分すぎた。
ただ、一人だけ賢者扱いに辟易している少女がいるのだが、これは置いておこう。
「ほほう、どうやら人間にしては多少は知恵が回るようじゃな。それによくやりおるわ」
配下のモンスターたちに損害が出たにも関わらず、ザボエラは涼しい顔のままだ。
「じゃがその程度は計算済みよ。言ったはずじゃぞ、雑魚共を安全に狩りに来たとな」
その程度の被害など想定済み。むしろこの程度は頑張って貰わなければ困る。幾ら雑魚狩りによる点数稼ぎとはいえ、あまりに弱い相手では加点にはならないのだ。適度に抵抗して貰わなければ困る。
むしろここまでは前座。本命はこれからだ。妖魔司教は、これからの惨劇を夢想してニヤリと下品な笑みを浮かべる。
「さあ、出てこい!」
声高に叫ぶと、その声に応じるかのようにザボエラの背後から巨大な影が姿を現した。大きさは隣に並ぶザボエラと比較すればまるで大人と子供。少し距離があるためシルエット程度でしか見えないものの、がっしりとした体格をしていることは容易に想像がつく。
「なっ、なんだあれは……」
「巨人……か?」
妖魔師団は魔術師系のモンスターで構成されているというチルノの言葉からは想像も出来ないような相手が出てきたのだ。兵士たちは困惑する。
ただ、チルノだけは違った。彼女はその相手を知っている。
「うそ、でしょ……」
未だはっきりとは見えないが、そのシルエットには見覚えがある。本来の歴史では頼もしい仲間として、数多の強敵を前にしても一歩も退くことなく常に最前線で戦い続けた男。
だがこの世界では、敵として未だ敵として戦っただけの関係でしかない。
「クロコダイン!」
予想もしない相手の出現に思わず叫び声を上げる。
月明かりの下、かつて敵として戦った獣王がチルノの前に再び姿を現した。
――どうしてクロコダインが!?
敵として現れた獣王を見ながらチルノは困惑していた。そもそもこのフレイザードの戦いすら本来の歴史には存在しない出来事であり、クロコダインは味方として窮地を救ってくれるはずと思っていた。
だが現実は違う。今この瞬間に、ザボエラの呼びかけに応じて姿を現した。それはすなわち、再び敵同士となったことに他ならない。
「チルノ殿、あのリザードマンを知っているのですか?」
「……ロモスを侵攻していた百獣魔団の団長です。ダイが倒したはずなんですが……」
アポロの問いかけにチルノは答える。百獣魔団の団長と言う言葉に、パプニカ兵たちが息を飲む声が聞こえてきた。確かに彼らからしてみれば、軍団長を二人同時に相手にしろと言われているのだ。
幾ら士気が上がっていても、その言葉から受ける衝撃は並ではなかったらしい。再び動揺の色が見え隠れし始めた。
「確かにクロコダインは一度死んだ。だが蘇生させたのよ。そして今ではこの通り、我が妖魔師団のために忠実に働く
チルノの言葉を後押しするように、ザボエラが自信満々に叫んだ。これが余裕の理由かと気付き、思わず彼女は歯噛みする。
本来の歴史では、クロコダインは一度ダイに敗れて確かに命を落とす。だが蘇生液と呼ばれる特殊な液体に浸けることで息を吹き返し、ダイたちの助けとなってその身を張り続ける。
ザボエラの口ぶりから、蘇生液までは同じ流れだったと推察できるが、それ以降は不明となっている。一体、獣王に何があったのか。
「さあ、やれぃクロコダイン!」
しかし、悠長に考えている時間は無かった。
ザボエラの命令に従い、クロコダインは自らの獲物である真空の斧を手にしてパプニカ軍へと襲いかかってきた。
兵士たちの持つ長剣とは比較にならない、彼らとて両手で抱えなければ持てないほどの巨大な斧を片手で易々と持つほどの怪力と巨体。威圧的な風貌と相まって、胆力の無い者が見れば畏怖して動きすら固まらせるだろう。
だが、その程度ではパプニカ兵たちは士気を崩壊させることはなかったらしい。勇敢な何人かがクロコダインを迎え撃つべく剣を構えて前へ出る。
「いけない、下がって!!」
それを見たチルノは、彼らに向けて思わず叫んでいた。だが彼女の言葉を兵たちは聞き入れない。
「何をおっしゃいます! 我々パプニカ兵におまかせを!!」
「敵が呪文を使わないのであれば!!」
確かに兵たちの言葉は正しい。斧を手にして前に出てきているのだから、呪文を使わないというのも推測できる。であれば、自分たちでも戦えると思うだろう。
士気が上がっていたこともあって、彼らは怯むことなく立ち向かう。確かに勇猛果敢な良い兵だ。チルノだけに任せておけないという強い責任感も兼ね備えている。
だが、それは無理なのだ。獣王を正面から相手に出来るのは、この場にいる仲間ではダイかヒュンケルくらいだろう。チルノとて、少しの間だけだがクロコダインと刃を交えたことがある。だから分かってしまう。
「【プロテス】!」
せめて出来ることをしようと思い、防御力を向上させる魔法を勇敢な兵士たちに唱えた。光の膜のような結界が彼らに薄く掛かり、彼らが受けるダメージを減少させる。
だがそれもどこまで有効か。クロコダインの攻撃力の前には完全に防ぐことは出来ないのは身をもって知っている。それでもせめて、少しでも衝撃を緩和出来ればと考えてだ。
「……フン」
「ぐわわああっ!」
自身へと襲いかかってきた兵士たちを、獣王は瞳を細めて一瞥すると斧を持った手を軽く振るう。それだけで、兵士たちはまるで風に舞う木の葉のように簡単に吹き飛んでいた。
「お前たち!!」
「だ、大丈夫、です。なんとか!」
吹き飛んだ部下たちの様子を見て、アポロが声を上げる。だがチルノのプロテスが功を奏したのか、吹き飛んだ先の彼らは痛みに顔を顰めつつも生きていた。返事をする余裕もあることから随分と軽症なのではないかとすら思える。
――これは、私のせい……!? どこで、何を間違ったの……?
考えを巡らせながら、チルノは仲間であるパプニカ兵たちの様子を一瞬だけ窺う。
兵士たちは仲間が吹き飛んだ様を見て、少しだけ気勢を殺がれたようだ。吹き飛ばされた兵士たちは回復に向かいたいところだが、目の前の獣王がそれを易々と許してくれるとは思えない。
用心のため鞘からパプニカのナイフを引き抜くと、前へと歩み出てクロコダインと相対する。それだけで緊張から胸の鼓動が早鐘を打ち鳴らし始めた。
今までのチルノは、言ってみれば予定調和の戦いでしかなかった。多少のアクシデントこそあれ、本来の歴史という知識の範囲内から大きく逸脱したものではない。だからある程度覚悟することも、それを逆手に取った準備もできていた。
だがこれは彼女も知らない戦いだ。こちらの都合を考えない、理不尽な戦い。本来は戦いとはそうした不平等なものであり、事前に特定の対策など取れるはずもないものだ。だがこれまでその知識に頼ってきた彼女は、無理だと知りつつも願ってしまう。
――もっと安全な方法とか、準備もできれば……待って!!
自嘲するように胸中で呟きかけて気づいた。ザボエラの策がクロコダインに戦わせるだけなんて生温いだけのはずがないのだと。前衛がいれば、後衛は呪文で援護する程度のことは誰でも思いつく。
そして、敵は安全に狩りをすると言っていた。となれば、単純に呪文を唱えるだけではないはず。もっと別の何かを……
「これだけではないぞ。さて、始めろお主たち」
気付いたときには手遅れだった。ザボエラの合図に、配下の魔術師系モンスターたちは一斉に呪文を唱え始めた。
「マヌーサ!」
「マヌーサ!」
相手を幻惑の霧に包み込む呪文である。この霧の影響を受けた相手は、術者の幻影を無数に見ることとなる。熟練した術者であれば都合の良い幻を見せることも出来る。対象を誤認させる呪文だ。
妖魔師団モンスターたちは一斉にそれを使うことで、戦場はまるで濃霧に包まれたかのようだ。
「これは……」
「マヌーサによる援護?」
――いえ、あのザボエラがそんな単純な手段を使うとは考えにくい。だったら、何が狙い……?
自分の言葉をチルノは自身で否定する。こちらにマヌーサの幻影を見せるくらいならば、もっと効率的な方法がある。だが考えている暇はなかった。
「そしてこれで、完成じゃ!」
仕上げとばかりにザボエラが何やら呪文を唱える。その途端、まるで霧は意思を持っているかのように動き始めた。
「な、なんなのだこれは!?」
「見えない!? 何も見えないぞ!?」
「アポロ様!? チルノ殿!? 一体どちらへ!?」
兵士たちの困惑した声が聞こえる。だが声だけだ。姿はまるで見えない。つい先ほどまで見えていたはずのパプニカ兵たちの姿は皆、霧の幕によって閉ざされていた。
「少し先も見えない? マヌーサの結界みたいなものかしら?」
兵士たちの悲鳴から察するに、濃い霧によって視界が極端に制限されているらしい。すぐ近くにいた相手すら見えていないようだ。だが声だけは聞こえる。これだけならば、多少厄介ではあっても恐れるほどではない。
そう判断した途端、猛烈に嫌な予感を感じ取りナイフを構えて攻撃に備える。
「ああっ!」
突然クロコダインが姿を現し、斧を振り下ろしてきた。だが予め備えていたおかげで、その攻撃はギリギリ受け流しに間に合った。
多少なりともダイの特訓に付き合ったおかげで、少しは剣の腕前も上がったのだろう。以前にロモスで戦った時よりも早く反応できて、受け流しの時にも余裕を持って成功させることができた。
「くっ!」
しかし、多少成長していようともクロコダインと正面からやり合うのは危険すぎた。そう判断してチルノは一度距離を取るべく後ろに下がる。
下がったはずだ。
「えっ!?」
突然背中に衝撃が走り、彼女は後ろを振り向く。兵士の誰かにでもぶつかったのだろうと思っていたが、なんとそこにいたのはクロコダインだった。
先ほど彼女が下がった時と変わらぬ姿のまま、背中からぶつかってきたチルノを隻眼で見下ろしている。
一体何があったのか。混乱しつつもチルノは再度距離を取ろうとする。なにしろ彼女は敵に背中を向けているのだ。そのままバッサリとやられてもおかしくはない。
だが、再度距離を取るべく動いた先でまたもや背中に衝撃が走る。再び後ろを見て、チルノは叫んでいた。
「なっ、なんで!? どうして!?」
そこにいたのは、またしてもクロコダインであった。先ほどのように、動くことなくチルノを見つめているだけだ。
今度こそ、とクロコダインに注意を払いながら、チルノは三度距離を取る。どうやら今度は背中にぶつかることはなかったようだ。その事実に少しだけ安堵しながら彼女は原因を考える。
ぶつかったことから、幻影ではない。かといって自分を上回る速度で動いているのであればその音すら聞こえないのはあり得ない。この霧が影響しているのは間違いないはずだが。
かといって悠長に考えていられるわけでもない。チルノの表情に焦燥感が浮かぶ。
「キィ~ヒッヒッヒ!! 驚いておるのぉ、小娘。そら、焦れ焦れ。もっと焦るがよい」
まるでそれを待ち構えていたかのような絶妙なタイミングで、ザボエラの歓喜の声が響き渡った。
「見えているの……?」
「当然じゃよ。ワシらからはお主らのマヌケ面がよく見えるわい」
誰に向けたわけでもないチルノの呟きだったが、ザボエラはそれを聞き取ると勝ち誇ったように言う。
「知りたいか? 知りたいじゃろうなぁ? この呪文が何なのかを?」
持って回ったような実にいやらしい喋り方だ。圧倒的な優位を確信しており、その優位が覆らないと思っている。だから話したくて仕方が無いのだろう。仕組みを話すことで強者としての優越感を味わいたいのだろう。
「これはマヌーサを応用した呪法じゃよ。この霧に捕らわれた者は、視界を制限されるだけでなく、方向感覚も狂う」
「方向感覚……まさか!!」
それだけでチルノには思い当たることがあった。というよりも先ほど身をもって体験したばかりだ。気付かないはずがない。
「察したか? その通りじゃ! お主の背後にクロコダインが回り込んだわけではない。自分で背中を向けてぶつかっていただけじゃよ!! あの姿は実にマヌケじゃったぞ!!」
その言葉に配下のモンスターたちもクスクスと笑い出す。その反応から、ザボエラだけでなくモンスターたちも――もっと言えば、霧に包まれている者以外であれば見えるのだろうと推測できた。
「名付けて、眩惑の霧。まさか、こんなところで使えるとは思わんかったわい」
眩惑の霧。ザボエラの言葉通り、マヌーサ系統に属する呪法である。
複数人の術者がマヌーサを使って霧を生み出し、統制者となる一人の術者が全体の呪法を統括することで効力を発揮する。
この霧の中では、対象の方向感覚や距離感を狂わせる。この霧の中では、敵とどれだけ距離を取ったのかも、自分がどの方向を向いているのかも全てを疑う必要がある。本人は真っ直ぐに移動したつもりでも、実際にはどこにいるのか分かった物ではない。
チルノがクロコダインに背後を取られ続けていたと錯覚したのも、このためだ。
欠点と言えば、術者の数によって霧の範囲が決まることと、各々がこの呪文へ集中する必要があるため、他の行動が取りにくくなると言ったことだ。
「そこの雑兵共も、お主の声を聞いてなんとかせんと足掻いておったわ。じゃが、その場でグルグル回っておるだけ……まるで犬じゃったわい」
だが、距離感と方向感覚は狂わされても音は聞こえる。そのため、見えない敵を相手に仲間を助けようと必死で足掻く。決して辿り着かないはずの場所へ、必ず辿り着くと信じて動き続ける。
霧の外の術者たちを楽しませるために、その姿をさらし続ける。
「じゃがこの呪法は解けんぞ? ワシらからはお主らの姿はよく見えておるからな。そんな素振りを見せた瞬間にクロコダインが襲いかかるわ」
「く……」
それでもチルノは必死で打開策を考える。この場にいたのがヒュンケルであれば、鎧の効果で影響は及ぼさないかもしれない。この場にいたのがダイであれば、気配を感じ取ることでクロコダインを倒すことも、霧の外にいるザボエラを狙い撃つことも出来るかも知れない。
だが今のチルノにはどうすることも出来ない。今彼女が聞いているこの声すらも、果たして聞こえている通りの位置からなのか、判別出来ない。
無差別に魔法を放てば当たるかも知れないが、ラッキーパンチが期待できるほど都合の良い相手でもない。
「それじゃ! その顔が見たかったのじゃよ!! だからこうして、わざわざ前線まで出向いてきてやったんじゃ! キィ~ヒッヒッヒ!!」
焦り顔を浮かべるチルノを見て、ザボエラはさらに高らかに笑う。耳に付くその声が、さらに彼女を苛立たせる。
「さあ、クロコダインよ! まずはその小娘からじゃ! やれぃ!!」
その命令に従い、霧を押しのけて獣王が姿を見せた。斧は手にしたまま、だが構えることはなくチルノを見ている。それを見たチルノは短剣を構え直し、必死で頭の中で戦い方を考える。もはや焦ってなどいられない。決意を新たにクロコダインを睨む。
距離を取れば見失う以上、接近戦で叩くしかない。魔法剣を使ってまずは食い下がる――そこまで考えた時だった。
「く……くくくく……ワッハッハッハッハ!!」
「へ……?」
それまで沈黙を守っていたはずのクロコダインがいきなり笑い出した。一瞬前まで、真剣な表情をしていたはずのチルノは毒気を抜かれたように呆けた表情となり、ザボエラもまたその様子にあり得ないと言ったように驚愕した顔を見せている。
「ワハハハ!! すまんなチルノよ、少し脅かせすぎたか?」
「え……? え……?」
その言葉を聞いてもなおチルノは混乱から抜け出すことは出来なかった。いや、むしろ余計に混乱したとさえいえる。それまで戦おうと決意していた分だけ肩すかしを食らったことになり、どうして良いのか分からない状態だった。
「バ、バカなっ!! ワシの作った毒が効いておらんのか!? いや、そもそも貴様、生きておったのか!?」
「いいや、確かに効いていた。なにしろ、意識を取り戻したのは少し前だ」
一方のザボエラは、クロコダインの様子に明らかに狼狽えていた。このようなことが起こるはずがないと必死で否定するが、現実は変わらぬままだ。ザボエラの言葉をクロコダインは否定する。とはいえ、これで伝わるのは当人同士のみだろう。
ロモスにてダイに敗れたクロコダインは、確かに命を失った。だがその遺体は回収され、鬼岩城へと運ばれて蘇生処置を受けることとなった。
蘇生液と呼ばれる特殊な液体にその身体を浸すことで、復活させようとしたのだ。その目論見の甲斐あって、クロコダインは再びこの世に蘇ったものの、少しだけ問題があった。
ダイから受けた傷は、本来の歴史でのそれよりも深く、蘇生にも時間が掛かった。そして、より深いダメージの影響からか、復活したクロコダインは肉体のみで精神は復活していなかった。
これに目を付けたのが、蘇生を管理していたザボエラだ。
彼からしてみれば、自意識を持たない屈強な肉体が手に入ったようなもの。すぐさま毒薬を調合し、クロコダインへと投与。その毒薬は、意識のない相手を操り人形へと変質させるものだった。
だがクロコダインの意識は失われたわけではない。時間を掛けることでゆっくりと回復していき、そしてついには毒薬に打ち勝ち、覚醒する。
だがその頃には少々時間が経ちすぎていた。
ヒュンケルとの戦いは終わり、フレイザードの報告によればダイたちはマグマの海に沈んだとのこと。しかしそれを信じられなかったクロコダインは、未だザボエラの毒の影響下にあるように演技をしながら独自に行動を開始。
――そして、今に到るというわけである。
「だが、貴様には蘇生処置を受けた義理がある。武人としての、せめてものケジメよ。その義理を果たすまでは付き合ってやった」
利用されているとは分かっていたが、それでも命という恩義には最低限の礼儀として応じたいという不器用さである。
「だがそれも先ほどまでよ! ザボエラ、オレはたった今からダイたちへとつく!! よって貴様らはオレの敵だ!!」
その雄々しい宣言は、チルノを安堵させる。自分のやっていたことが間違いではなかったのだと、クロコダインという武人の心を動かすだけのことができたのだと。
だがチルノが安心するということは、ザボエラは苦境に立たされるということである。苛立ちに顔を歪ませながら口を開いた。
「義理じゃと!? ならば命を助けてやったでかい恩があるじゃろうが!!」
「ああ、オレに毒を投与したり、妙な実験に付き合わさなければ、もう少し付き合っていただろうがな……」
「うぅ……!!」
確かに命の恩人と言えなくもないが、如何に恩義があろうともそれを盾に卑劣な行いをされれば話は別である。クロコダインの鋭い視線に睨まれて、さらには痛いところを突かれたことでザボエラは言いよどむ。
「な、ならばっ!! 貴様のその鎧と斧! 直してやったのは誰だと思っておる!!」
「ああ、それは先ほどの攻撃でもう返しただろう? 足りなければ、手切れ金代わりというやつだ。貰っておくぞ」
なるほど言われてみれば確かに、ロモスで大幅に壊れていたはずの斧も鎧も、既に新品同様、すっかり直っている。これも妖魔師団の技術によって普通よりも高品質の代物に変わっているのだが。
そして先ほどの攻撃というのは、パプニカ兵たちを吹き飛ばした一撃とチルノが受け流した一撃のことである。どちらもザボエラを信用させつつ疑われない程度に手加減された攻撃となっており、見た目は派手だがダメージはかなり控えられている。
「き、貴様……ッ!! 騙しておったのか!! このワシを!!」
自分のことを棚に上げて、クロコダインの余りに身勝手な言い分を聞いて、ザボエラは怒りに打ち震える。そもそもこの状況で手切れ金という表現を使うのであれば、クロコダインからザボエラに支払うのがスジである。
だがそんなことを言っていられる状況ではないのだ。
圧倒的有利と思われた状況は、一人の離反によってひっくり返った。策の根幹を成していたはずの、完全に手駒としていたはずの相手。ただの踏み台でしかないと思っていた相手によって。
「ザボエラ、貴様から学ばせて貰ったのよ。それに、貴様の流儀で言うのならば……」
自分がどう思われているかなど、クロコダインにはお見通しである。なにしろ演技を続けてきた数日間、ザボエラの取り繕わぬ物言いを散々聞いてきたのだ。その鬱憤を晴らすかのように重々しく口を開く。
「騙される方がマヌケなのだろう?」
獣王はそう言うと、ニヒルに笑った。
■□■□■□■□■□■□■
「あ、う……お……」
クロコダインの言葉に、今度こそザボエラは言葉を失っていた。そんなザボエラとは対照的に、チルノはクロコダインへと声を掛ける。
「クロコダイン……」
「ああ、チルノ。勝手なことを言ってすまない。かつてお前たちと敵対したオレだ。今更こんな虫の良い話が通るとは思っていない。だが、武人の誇りを思い出させてくれたお前たちのために、せめて今だけでも戦わせてはもらえんだろうか……?」
獣王が真摯な態度で頭を下げる。そんな体験に驚きつつも、チルノの答えは決まっていた。
「うん、信じるわ。あなたは武人だもの。むしろこっちからお願いしたいくらい。よろしくね、クロコダイン」
「ああ……かたじけない……」
その言葉にクロコダインは一筋の涙を流した。ダイたちと戦い、人の強さと優しさを知ったクロコダインであったが、それであっても実際に受け入れられるというものはやはり、どうしようもなく嬉しいものだ。
「でも、驚いたわ。あんな演技ができるなんて……」
「オレもだ。だがやはり性に合わん。オレはやはり、愚直な武人でしかないということだ」
「そんなことないわよ。案外、策士でも活躍できるんじゃないの?」
「ふふ、世辞として受け取っておこう」
本心ではない言葉と受け取ったクロコダインであったが、チルノにしてみればかなり本気であった。そもそも獣相手とはいえ軍団長として束ねる地位にいたこともあり、今のように心理的なダメージを大きく与えるタイミングを狙う機転も持っている。
ならばきちんと軍学を学べば本当に伸びるのではないかと。だがそれは今議論するべきことではない。
「さて、まずはこの霧をどうにかせんとな……」
そう言うと手にした斧を高く掲げる。それを見て何をするのか理解したチルノは慌てて魔力を高めて魔法を発動させた。
「唸れ! 真空の斧よ!!」
「【ディスペル】!」
斧に仕込まれた魔宝玉が主の命令に従い、風を操る。吹き荒れる風は周囲に立ちこめていた霧をひとまとめにすると、そのまま文字通り雲散霧消させる。
だが腐っても魔法の霧である。バギの力業だけではその場しのぎにしかならず、すぐに元の形を取り始め、周囲へと集まっていく。
それを防いだのはチルノの魔法だ。ディスペルの魔法は、解呪の効果を持つ。これを使うことで呪法の効力そのものを無効化させようとしていた。
ただ、ディスペルの魔法は高等技術である。そのためしっかりと魔力を練るだけの時間が欲しかったのだが、クロコダインの行動に慌てて合わせる形となって発動させた。幸いなことに、あらかじめ真空の斧によって分散させられたことで密度が低くなり、彼女の魔力でもなんとか打ち消すことが出来た。
これが、霧の塊のままであったならば解呪には苦労させられたことだろう。
「おお、霧が……」
「あれは敵の! チルノ殿!?」
「いや待て、先ほどこちらにつくと言っていたような……」
霧が晴れた途端、現状を正しく認識していなかったパプニカ兵たちがにわかに騒ぎ出す。そして、騒ぎ出すのは妖魔師団も同じであった。
「こ、こんな方法で呪法を破ったじゃと!?」
「ひいいっっ!!」
頼みの綱であったはずの眩惑の霧も打ち消され、魔王軍は慌てふためいていた。彼らから見れば、クロコダインの真空の斧によって強引に霧を解除されたように見えていた。インパクトのある獣王の横ではチルノの姿はあまり目立っていなかったらしい。
「そこにいたのか、貴様ら!」
もはや迷わされることはない。敵に狙いを定めたクロコダインは、恐ろしげな表情で敵陣に切り込んでいく。
「そうだ、今のうちに……」
敵がクロコダインに気を取られている隙にとばかり、チルノはこっそりと移動した。目的は先ほどクロコダインの演技の犠牲になって吹き飛ばされた兵士たちの回復だ。幾ら策略の一つだったとはいえ、実際に事前の打ち合わせもなく攻撃をしているのだ。ならばせめてしっかりと治療しなければ遺恨も残るだろうと考えてのことだ。
「大丈夫ですか? 今、治療を……」
そう言うとケアルの魔法を唱えて、兵士たちの傷を癒やしていく。治療をして分かったことだが、怪我は思った以上に軽いものだ。これはクロコダインの手加減によるものだということを理解して、不器用だと自称する男の案外小器用な面を垣間見たようでチルノは少しだけ微笑んだ。
「チルノ殿……ああ、ありがとうございます」
一方の兵士は、柔らかな笑みを浮かべて治療魔法を唱えるチルノの姿を見ながら顔を赤くしていた。彼らもやはり、男である。無骨な軍社会に組み込まれており、その上で隠れていたため我慢を強いられていた。そこに、見目麗しい少女から献身的に治療をしてもらえれば、そうもなろう。
パプニカ王国にて訓練をしていたときも、時折通りかかった三賢者が気まぐれに治療を受けられる場合もあったのだが、そのときはマリンとエイミの姉妹の時にはこっそりと大喜びされていたものであった。アポロの場合? お察しください。
そういうわけで、怪我は思ったよりも軽傷であり、新人のかわいい女の子に治療してもらえたので、兵士はむしろ怪我してラッキーだったとすら思っていた。単純なものである。
さて、クロコダインへと視点を戻す。
迫ってきた獣王を迎え撃つべく、妖魔師団のモンスターたちは呪文を唱え放つ。だがその程度の攻撃ではクロコダインが止まるはずもない。その動きに反応すると、右腕に闘気を集中させる。
「こざかしいわっ!!」
そのまま闘気によって膨れ上がった右腕を向けると、一気に解き放った。竜巻のような闘気流は放たれた呪文をそのままかき消し、数体の魔術師モンスターを巻き込んで荒れ狂う。
「さすが、獣王会心撃……」
それを見ていたチルノが思わず呟いた。クロコダインの代名詞と呼べる技の威力は、いつ見てもとてつもないものである。威力も範囲も貫通力も、どれをとっても生半可なものではない。
「ほう、会心撃……なるほど、良い名だ。いっそ改名するか」
少女の言葉を聞いていたらしく、クロコダインはチルノの呟きに感心する。必殺技の名を変えることで心機一転させようという少女の心遣いだと受け取っていた。真実はうっかり口を滑らせただけなのだが、どうやら良い方に取ってくれたらしい。
それを聞いた本人は少しだけ引きつった表情を浮かべていたが。
「だがなチルノよ、今のオレはこれだけではないぞ」
そう叫ぶと斧を大上段に構え、力を込める。少々隙が大きく見えるが、だがチルノには初めて見るはずのその構えをどこか知っているように感じた。
「ぬおおおおぉぉっ!!」
気合いの雄叫びと共に敵に接近すると、そのまま一気に振り下ろす。それだけならばただの斧の攻撃と同じだろう。しかし、その一撃は威力が桁違いだった。闘気すら込められた攻撃は勢いそのままに大地へと打ち込まれ、そこにまるでイオナズンでも打ち込まれたかのような衝撃を引き起こした。
「今のは、まさか……」
「ああ、ダイの技を少し真似させて貰った。あのくらいならオレにもできそうだったのでな」
やっぱり、と心の中で呟く。その一撃は大地斬――正確には、大地斬の術理を真似て斧で再現したもの――であった。ならば彼女が知っているのも当然だ。元々パワーを主体とする技の大地斬が、クロコダインの怪力と斧という破壊力を重視した武器に組み合わさって放たれる。その威力は見ての通りだった。
大地斬は、尤も単純な技とも言える。そのため、ある程度の技術を持った武人であれば真似することも決して不可能ではないのだが、敵として攻撃を受けただけでこれほど見事に使いこなすのは、やはりクロコダインは非凡な才能を持った戦士であるということだ。
獣王会心撃に加えて、さらにとてつもない破壊力を秘めた斧の一撃。妖魔師団は今にも逃げ出しそうなほど、士気は崩壊しかかっている。何しろ長であるザボエラ本人が率先して撤退のチャンスを窺っているのだから。
だが、その威力を見せつけながらもクロコダイン本人は浮かない顔だった。
「しかし、かつて敵だったオレがダイの技を使っても良いのだろうか……? 聞けば元は、師であるアバン殿の技だったと。技が穢されるように思えるかもしれん……やはり封印した方が良いのだろうか?」
なるほど。どうやら気にしていたのは、真似た技とはいえ自分が勝手に使うことに対する忌避感があったらしい。自分には、使う資格がないのではないかという葛藤からの行動だったようだ。
これほどの破壊力を見せる技を使いこなしながら、そういったことに悩むのは実に武人らしい不器用な問題だった。
「大丈夫、平和のために使うのなら許してくれるわ。ダイだって、アバン先生だってきっと、ね?」
「……そうか。ならば、この技を使うに恥じないよう精進しなければな。いつか
チルノの言葉にクロコダインは決心したように言う。アバンに教えを受けた彼女の言葉は、彼にとっても受け入れやすいものであった。その技を使うにふさわしいだけの心を持つことを決意しながら。
「おお、そういえば勇敢なるパプニカの兵士殿! さきほどは申し訳なかった! 演技とはいえ、あのくらいはしなければ信頼されんと思ってな。遅ればせながら、謝罪させていただこう」
「あ、ああ……問題ありませんよ!」
「いや、大丈夫です! こうして傷も治していただきましたので!!」
その言葉に兵士たちは弾かれたように返答する。クロコダインの見た目に少々萎縮しており、謝られれば素直に謝罪を受け入れてしまう。それに、少々の下心ありで治療まで受けているのだから、文句などつけられようはずもなかった。
「ありがたい。さて、続きと行こうか?」
兵士たちの言葉を素直に受け入れると、再びクロコダインは戦場へと戻る。その間隙を待っていたかのように、アポロたちがチルノのところへとやってきた。
「チルノ殿、彼は信用してよいのでしょうか……?」
少女へと投げかけられた質問はこれであった。
やりとりは確かに聞こえていた。クロコダインが魔王軍を抜け、こちらの味方についたのだということも知っている。だが話に聞いていただけであり、確証はない。つまり、信用できるだけの確固たる材料が欲しいのだろう。その不安からの行動だ。
その気持ちは分かる。どう説得するべきか一瞬だけ考え、チルノは口を開いた。
「問題ありませんよ。彼は――」
ごめんね、ダイ。と心の中で全力で謝ってから、続きを口にした。
「彼は――クロコダインは、勇者ダイと戦って正義の心を、人の心を知りました! 私たちと共に戦う仲間、勇者の起こした奇跡です!」
「お……おおおっ!!」
その言葉の効力は絶大だったらしい。勇者の奇跡、と言う言葉に下がりかけていた士気は一気に天井知らずに上がり続ける。パプニカ奪還は彼らに取ってみればまさに勇者の奇跡である。その姉の言葉となれば、どうして疑えようかと。
彼らは雄叫びを上げながら次々に戦線へと加わっていく。
「クロコダイン殿! 我々もお助けしますぞ!」
「実に頼もしいですな! ですが、負けませんよ!」
口々にクロコダインへと声を掛ける兵士たち。単純というなかれ、こういった戦意高揚の激励も必要なことである。クロコダインもまた、兵士たちの言葉に笑って応えると斧を持つ手にさらに力を込める。
「アポロさんも、皆さんの援護に向かってください。私は、とっておきを使いますから……」
「とっておき、ですか? チルノ殿、一体何を……?」
この勢いを利用しない手はない。そう考えたチルノは、自身の魔力が枯渇することも恐れず、消費の大きな魔法を使うことにした。十分に魔力を練り、仲間たちへ向けて解き放つ。
「【マイティガード】!」
クロコダインへ、アポロへ、パプニカの兵たちへ、そして自分へ。この場にいる全ての味方に向けて、防御の結界が張られた。
これはプロテスの物理攻撃に対する防御とシェルの魔法攻撃に対する防御。その二つを同時に全体に対して張る魔法である。勿論、大勢に対して一度に防御結界を張るのだから、消費魔力も膨大である。
だがそれを差し引いても、この勢いに乗る価値はあると判断したための選択だ。
「それは、攻撃や呪文に対する防御結界です。それがあれば、敵の呪文も防げますよ!」
一気に魔法力を消費しすぎたため、少々フラつきながらもチルノは叫んだ。効果が分かれば、全員がより大胆に攻めに集中できるからだ。そして彼女の狙い通り、兵たちは怒濤の勢いで妖魔師団に切り込んでいく。
「たしかに痛くないぞ!」
「こいつは頼もしい! チルノ、ここはもう十分だ。オレに任せて別のところに加勢しにいってやったらどうだ?」
魔法の援護と兵士たちの加勢。その二つの援護を受けたクロコダインがそう言うが、チルノは首を横に振った。
「気持ちはありがたいんだけど、どうしてもこの手で倒したい相手がいるの。せめて十発くらいは殴らないと気が済まないわ」
「ヒィッ!?」
それまでとは一転、まさしく親の仇を見る目にて遠くにいるザボエラを睨む。その射貫くような視線に気付いたザボエラは、とうとう堪えきれずに戦場へ背中を向けて逃げ出した。
「逃がさない!!」
追いかけるべく駆け出すチルノ。
妖魔師団の惨劇が本格的に幕を開けた。
既に戦闘というよりも、雑魚掃討に近かった。奇しくも戦闘前にザボエラが言っていたようにだ。とはいえ、その内容は彼が思い描いていたのとは真逆。妖魔師団が一方的にやられている。
「ヒャダイン!」
アポロが冷気呪文にて、妖術師たちを纏めて倒していく。その横では、兵士たちの剣によって魔術師がやられていく。勿論モンスターたちもただやられるわけではなく、散発的に呪文を繰り出して反撃をするが、シェルの防御膜によってダメージは激減している。
そもそもが敵に接近されているためまともな反撃になっていない。その上、指揮を取るはずの上位者――ザボエラのこと――が逃げているため、組織だった動きも出来ていない。逃げるのも応戦するのも、どちらにも意識が向いている非常に中途半端な状態になっている。これではまともな戦闘になるはずもなかった。
「そこかっ! ザボエラ!!」
「ひぃっ! ひいいっ!!」
やがて先頭で戦っていたクロコダインが逃げていたはずのザボエラを見つける。その言葉に反応して、アポロや他の兵士たちも寄ってきた。
クロコダインだけでも恐ろしいのに、さらに援軍まで来ているのだ。もはや反撃する余裕さえないのか必死で逃げていく。
「まっ、待ってくれ! ワシは……」
その騒ぎは当然、チルノの目にもとまる。脱兎のごとく逃げるザボエラの姿には、思い当たる節があった。それに気付くと足を止めて空を見渡していく。
――いた。
空中に、
部下に
だが、本来の歴史よりも不利な状態であるはずなのに、逃げることなくこうして暢気に空で成り行きを見物している。どうやら、偽物を仕留めたところでタネをバラして嘲笑ってやろうという魂胆――クロコダインに騙されたことに対する、意趣返しを狙っているのだろう。
「ギラ!」
アポロが逃げるザボエラの足下を狙い、呪文を放つ。ギラの熱閃は狙い違わずにザボエラの足を焼き、その動きを強制的に止めた。
「待ってくれ! ワシは!!」
「くらえっ!!」
必死で訴える身代わりザボエラを無視して、クロコダインは追いつくとすぐさま斧をたたき込んだ。小柄なザボエラに、その身体と同程度の大きさを誇る戦斧が食い込む。
その様子を見て、空に浮かぶザボエラがニヤリと笑った。頃合いだろう。
「……【はりせんぼん】」
油断しきっているザボエラ目掛けて、チルノは魔法を叩き込んだ。魔力によって生み出された無数の小さな針が、顔と言わず腕と言わず身体と言わず、場所を選ばず一斉に突き刺さっていく。
「ギャアアアアアアァァッ!!」
無数に突き刺さる針の痛みに耐えられず、ザボエラは大声で悲鳴を上げる。はりせんぼんという青魔法は、その名の通り千本の針で相手を攻撃するものだ。一本一本はごく小さなダメージに過ぎないが、小さなダメージが千倍にまとまって襲いかかってくるのだ。加えて、小さな針が無数に刺さることでやたらと痛い。
それまで余裕だったザボエラにしてみれば、突然全身を襲った痛みに何が起こったのか分からないだろう。
そしてその悲鳴は、地上にいたクロコダインたちの注意も引くことになる。彼らからしてみれば、仕留めたはずのザボエラが空中にいるのだ。慌てて地上にいた方を見れば、致死ダメージによってモシャスの呪文が解けており、そこには身代わりとされた哀れな配下の魔術師の姿があった。
「お、おのれ小娘がぁっ!! 覚えておれよ!!」
一方本物のザボエラも、痛みでそれどころではない。本当ならば騙されたことを馬鹿にして頭のできが違う、と言った言葉でも言い返してやりたかったのだが、そんな余裕はとっくに消えていた。精一杯の捨て台詞を言うが早いか、すぐさまルーラの呪文を使いザボエラは瞬く間に逃げて行った。
「もう! 逃げられた!!」
油断していたところを横合いから思い切り殴りつける。そのタイミングを狙えたのは良かったが、続く攻撃までは彼女も魔力が続かなかった。無理してディスペルを使ったことと、マイティガードの消費は案外馬鹿にならなかったらしい。
「まあ、千回も痛めつけてやったからとりあえずは満足しておきましょう」
――でも、許す気はないけどね。
心の中でそう付け足す。そして、せめてもう一回くらいは攻撃しておくんだったと、悔しがる。
「くっ、逃げたか。ならばあちらが本体か……」
「ええ。こちらは部下にモシャスをかけて作った身代わり、といったところでしょうか?」
アポロとクロコダインは、残された悲惨な部下を見て正しく推測する。その結論を聞いて、パプニカ兵たちは憤っていた。
「なんて奴だ! 自分の部下を!!」
「あそこで逃がさなければ!!」
敵とはいえ、あまりに非道な扱いを見かねて、同情する兵士すら出るほどだ。そんな兵たちをかき分けるようにして、チルノがクロコダインたちへ合流する。
「ごめんなさい。私がもう少し攻撃できたら……」
「いやいや、チルノ殿の責任ではありません」
「ああ、悔しいがオレたちは奴が偽物だということすら気付かなかった」
三人とも落ち込むが、かといって逃がしてしまった以上はどうすることも出来ない。全員は気持ちを切り替える。
「ともあれ、これでこちらは殆ど片付きました。チルノ殿、残敵の掃討は我々にお任せを」
アポロの言葉通り、既に大勢は決している。これ以上は過剰戦力というものだろう。
「そうね……お願いしても大丈夫ですか? 私は、あっちの援護に向かいますから」
そう言って、チルノはとある方向を指さす。そちらでは、まだ戦いの気配が燻っていた。
まず第一戦目。
敵との因縁ありチームでした。ワニさんようやく出番です。
意外に演技派なワニさん。反面教師にしてちょっと学んだようです。
(カッコイイ登場の仕方を考えていたら、こんな風になっただけなんて言えない)
そして書いている途中でバダックさんを出すのを忘れていたため、チルノに無理矢理言わせて会心撃に改名させました。
そしてワニさんに大地斬を使わせたはいいんですが、名前を決めてないことに気付いて絶望。
斧の技の名前……地震撃とか地峡撃とかそんな感じかなぁ……?
気がついたらマヌーサを使った謎の呪文が出ていました。が、気にしないでください。
実戦では使えない、処刑などで使って愉悦するだけの呪文という位置づけです。
まあ、こういった理由(安全に倒せて自分も楽しめる呪文)がないとザボエラは前線に出てこないはずなので。