隣のほうから来ました   作:にせラビア

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思いついたネタを考えなしに書けば、こうも遅れよう……



LEVEL:29 魔剣士の涙

満月が、二人の男を照らし出す。

一人はかつてのこのホルキア大陸に居を構え、地上を征服せんと覇を唱えた男――魔軍司令ハドラー。そしてもう一人は、つい先日に不死騎団を率いてこの大陸に存在していたパプニカ王家を壊滅させた男――魔剣士ヒュンケルである。

青白い月の光はかつての魔王をより禍々しく見せ、そして魔剣士はその整った容姿と相まって怪しく映し出す。

そんな二人の対峙する姿を、エイミ率いるパプニカ兵たちは固唾をのんで見守っていた。

 

ヒュンケルの言葉により、敵がかつての魔王ハドラーだと知ったエイミたちは、その敵の強大さを恐れ、攻めあぐねていた。だが彼女たちが動かないにもかかわらず、不思議なことにハドラーたちも動くことはない。ハドラーも、彼の下にて率いられているアークデーモンやガーゴイルといったモンスターたちもだ。

 

ヒュンケルとハドラー。まるで二人の再会を誰にも邪魔させまいとしているかのように、エイミには見えた。

 

「驚いたぞヒュンケル。貴様がまさか生きていたとは……マグマに飲み込まれて死んだとばかり思っていたからな」

 

そう口では驚いたように表現するものの、ハドラーの瞳はヒュンケルが生きていることを疑ってはいないと語るように鋭いものであった。

 

「その後、フレイザードからダイたちが生きているとは聞いていたが、お前のことは聞かなかった。だが、ダイが生きている以上は貴様も生きていると思っていたぞ」

 

そのときのことを思い出しながら、ハドラーは感慨深げに呟く。元々ハドラーはヒュンケルのことを信頼などしていない。大魔王バーンの命令が無ければ、軍団長として重用などするつもりもない。汚点を見つければ、それを理由に追い落とす気でいた。

そのため、気にくわない部下に直接手を下すことの出来る今の状況は彼には楽しくて仕方が無かった。

 

「フレイザード……ダイが倒したと聞いていたが、復活させたのはお前の仕業か……」

「ああ、その通りよ。今のヤツは、勝利のみに全てを捧げている。如何にダイとて、勝機はあるまい」

 

ヒュンケルの言葉を素直に肯定する。フレイザードを蘇らせたのは、ハドラーにとっても賭けだった。だが、その勝利への執念はハドラーの予測すら覆し、恐るべき存在となって復活を遂げた。命すら、存在すら捨てて勝利を追い求める姿は、生みの親たるハドラーとて恐怖を感じるほどだ。名誉と栄光を欲していたかつてのフレイザードからすれば、とてもではないが考えられない姿だった。

 

そして、ハドラーからそれを聞いたヒュンケルは決意する。今の自分に出来ることは、一刻も早くハドラーを倒し、ダイの加勢に行くことだと。

だが、ヒュンケルが行動を起こすよりも早く、ハドラーはさらに口を開いた。

 

「そしてもう一つ驚いたのは、お前がそうしてオレの前に立ち塞がっていることだ」

「……なに?」

 

意外な言葉に、ヒュンケルの動きが止まる。

 

「以前、地底魔城で相まみえた時には、このオレを切り刻まんばかりの殺気に満ちあふれていた。オレはあれを、溢れんばかりの意気込みだと感じていた。だが、どうやらそれも勘違い――偽りの姿でしかなかったようだな」

 

ヒュンケルの認識では、彼が魔王軍から離反したことは既に全軍に知れ渡っていると考えていた。当然ハドラーも同じ認識をしていると考えていた。だからこそ、このような物言いは不思議に思える。

 

「偽りなどではない。あの時に貴様が感じた殺気は確かに本物――ただし、その理由は真実を知ったが故のものだ」

「ほう……真実だと?」

 

そして、皮肉で言っているのだろう。と彼は結論を出した。あのハドラーがそのような物言いをするはずがなかろうと。

 

「ああ、そうだ……我が父バルトスの死の真相を知り、騙され続けてきた愚かな過去の自分の姿に何よりも怒っていたのだ! あの場で貴様を切り刻んでやろうという感情を抑えるのには苦労したぞ」

 

ダイたちとの決着を付けるためにもあの場面では必死で我慢出来たが、それが無ければすぐにでも襲いかかっていたかも知れない。だが結局、何の因果か巡り巡って再び直接対決の場が設けられたのだ。あのときのヒュンケルの行動は決して誤りではなかったのだろう。

 

「なるほどバルトスのことか……貴様はあの場にはいなかったはずなのに一体どうやって知ったのやら……」

 

ここに来てハドラーは、ヒュンケルの怒りの理由をようやく理解できた。過去を思い返すように低く笑いながら言葉をつなげる。

 

「とはいえ……貴様らは親子揃ってつくづく使えんな。このオレに楯突くとはまったく、失敗作の子はやはり失敗作ということか」

 

ハドラーの言葉を聞き、ヒュンケルは奥歯を強く噛み締め相手を睨みつけた。

 

 

 

「な、なあ……あの二人の会話、なんだかおかしくないか……?」

「おかしいって、何がだ?」

 

発端は、とあるパプニカ兵が隣の同僚へと話しかけた、そんな些細な一言だった。これから戦闘を――殺し合いを始めるというのに、悠長に会話を繰り広げるそれ自体がそもそもおかしいのだが、この際それには目を瞑ろう。

それを差し引いたとしても、二人の会話内容は首を傾げてしまう。

片方はあの勇者アバンの教え子であるアバンの使徒。そしてもう片方は、かつて勇者アバンの手によって倒されたはずの魔王。

勇者アバンが倒れたことは兵士たちも聞き及んでおり、ならば教え子と魔王の間には当人たちだけしか知り得ない因縁があるのだろうと、最初はそう思っていた。

 

だが魔王の話す内容は異質だった。

なぜかつての居城である地底魔城の話が出てくるのだろうか。なぜ魔王を相手に殺気を浴びせながら戦わなかったのだろうか。なぜ彼の父親の話が出てくるのだろうか。

因縁の相手である以上、話をする可能性もあるだろう。だがその雰囲気は、互いに憎み合っている以上に、なにか因縁めいたものを感じられてしまう。

 

「いわれて、みれば……」

 

そのことを口にすると、

それだけではない。その小さな疑問は伝播し波及していき、兵士たちの口々に上り始める。気がつけば、一触即発であったはずの戦場には彼らの会話声が響き始めた。

噂が噂を、憶測が憶測を喚び、ヒュンケルという人物がどういうものなのかが今ひとつ理解されていないということもあって、内容はじわじわとエスカレートしていく。

 

「貴方たち! 馬鹿なことを言っていないで!!」

 

そんな部下たちの様子を見かね、エイミは大声で叱責する。恐るべき魔にを対峙しているというのに、緊張感のない部下たちの姿を見かねての行動だ。

だがその行動には、決して他意が無かったわけではない。

エイミ自身もヒュンケルには上手く言い表せない何かを感じていたのだ。勇者ダイたちの仲間でありアバンの使徒であるのだから、と信じていたが、その感じていた何かがまるで小さな棘のように彼女に突き刺さり、不安にさせる。

先の言葉も、兵士たちへの戒めもあったが、無理矢理にでも自身を納得させようという意味合いもあった。

 

「おや、人間共が騒いでいるようだな。しかもどうやら……ククク、ヒュンケル。随分と人気者ではないか?」

 

兵士たちのザワ付きを耳にして、耳聡くハドラーが口にする。いや、ヒュンケルも嫌でもこのざわめきは耳に入ってくる。ましてや話題の中心となっているのは自分たちなのだ。聞こえないはずもない。

それはハドラーも分かっているのだろう。回りくどい言い方をしているのが何よりの証拠だった。

 

「なるほど、奴らの話を聞いて納得できたわ。貴様は自分の過去を話していないのか……ならば受け入れられるのも当然だな」

「…………」

 

その言葉に何も反論できなかった。時期を見計らい、全員の前で罪を告白したい。その想いがあったからこそ、ヒュンケルはこれまでの二日間は何も語っていなかった。理由はどうあれ、過去を話していないのは事実だ。

不穏な物言いに、一度は静まったはずの兵士たちが再びざわめき出す。

そして、押し黙ったのを痛いところを突かれたと思ったのだろう。ハドラーはこれを好機と捉えて弁舌に語り出した。

 

「ならば聞け! 愚かな人間どもよ!! その男が、この大陸で何をしたのかを!!」

 

ハドラーはパプニカ兵たちに向けて叫ぶ。ヒュンケルの正体を。

 

「その男――ヒュンケルは、ほんの数日前まで、この大陸に死と破壊を撒き散らし続けたのだ!」

 

さすがは元魔王として、この地上に君臨しようとしただけのことはある。手慣れたその姿はさながら王の演説のように自信に満ちあふれていた。そして正体をわざと回りくどく表現することで聴衆の興味を煽るように仕向ける。

そこまでしなくとも、彼らに取ってみればその言い方だけでおおよその予測は付いていた。なにしろその相手から逃げてバルジの塔に潜んでいた者たち――もっと言えば、実際に戦いその恐怖を味わった者たちなのだ。

 

「魔王軍不死騎団長ヒュンケル! それこそが、この男の正体よ!!」

「……っ!?」

 

ハドラーの手によって、今まで伏せられていた正体が白日の下に曝された。その言葉にエイミをはじめとした、パプニカの人間たちは息を飲む。

その反応を見て確信したように、魔軍司令はさらに言葉を続ける。

 

「貴様らも戦ったことがあるのではないか? 不死騎団の団長と。貴様らも殺されたのではないか? 此奴が操る不死者の群れに仲間を、家族を、友を」

 

言われるまでもない事実だった。だが、その記憶を思い起こさせるように言葉で刺激され、兵士たちは屈辱の日々をゆっくりと想起させられていく。

 

「それを行ったのは全てこの男よ。そうしておきながら、のうのうと貴様らの仲間に加わっている……ククク、まったく人間というのは恥を知らん生き物だな!」

「……ッ」

 

その言葉がとどめだった。パプニカ兵たちの疑念は大きく唸り、一気に波及していく。もはや止められるものではない。

一方、言われたヒュンケルも良い気分ではなかった。

本来の予定ならば、自分の口から伝えるはずであった事実。だがそれは、無残にも第三者の手によって無遠慮に暴かれる。それは、当人たちが思っている以上に無粋なものだ。

自分の口から直接伝えることと、他者の手で語られるのでは、受ける印象はまるで違う。

有り体に言ってしまえば、罪人が自首をするか捕まえられるかで評価が異なるように。

 

「そんな……まさか……」

 

ハドラーの言葉を聞き、それでもまだエイミは半信半疑の状態をなんとか保っていた。だがかつての魔王の言葉は想像以上に信頼性を持っていた。

先の二人の会話内容も、ヒュンケルがかつて敵であったというのならば腑に落ちる箇所がある。同時にエイミは、ヒュンケルがレオナに対して「大事な話がある。それも全員が揃ったときの方が良い」という発言をしたことを知っている。

ならば、その大事な話というのがまさに今ハドラーが言った内容ではないかと結びつけるのも至極簡単なことだった。

 

「ヒュンケル……本当なの……? 本当に、貴方が……」

 

それでも一縷の望みに賭けるように、エイミは言葉を絞り出す。この少ない言葉を口にするだけでも、エイミにはとてつもない徒労感を感じる。

違っていて欲しいと願い続けるが、残念なことに現実は彼女の期待を裏切った。

 

「――ああ、事実だ」

 

たったそれだけの言葉を耳にしただけで、エイミの感情が揺さぶられる。だが現実はそれだけにとどまらない。ヒュンケルは続けて剣を鞘ごと引き抜き、胸の前で祈りを捧げるように構える。

そして、小さく呟いた。

 

「……鎧化(アムド)

 

そのキーワードに従い、鎧の魔剣は生き物のように広がってヒュンケルの身体を包んでいく。その金属音はまるで持ち主の心情を代弁するかのように冷たく静かに鳴り響く。

 

やがて、僅かな時を経て白銀の全身鎧に身を包んだ魔剣士が姿を現した。

 

「こ、こいつは!!」

「そうだ、間違いない!!」

「ああ、オレも見たことがあるぞ! コイツがオレの仲間を……」

 

鎧を纏ったヒュンケルの姿を見た途端、兵士たちは口々に叫び出す。だがその声音には怒りと恐れが混じっていた。

それも当然だろう。彼らに取ってみれば、仇であることに違いはないが、同時に故郷を滅ぼした恐るべき相手なのだ。勇敢な兵の中には手にした剣をヒュンケルへと向ける者もいたが、その切っ先は僅かに震えている。未だ恐怖は拭い切れていないようだ。

 

ヒュンケルがなぜ鎧を纏ったのか。それは彼の過去に関係している。

不死騎団長としてパプニカ王家を攻める際、ヒュンケルは常に鎧を纏った状態であった。それは、戦場であるからこそ当たり前だが、同時に彼の心の奥底に存在していた、人間への気持ちが影響していた。同胞を裏切ることへの後ろめたさを、復讐という大義名分にて押し殺していたが、それでも自分の心に嘘はつき続けられない。

鎧を纏い、顔を隠し続けることで心の平静を保っていたのだ。自分は人間ではない。不死者を操り人間を殺す血も涙もない怪物なのだと無意識に言い聞かせながら。

 

そのため、ヒュンケルの素顔を知るものは皆無であり、パプニカの人間たちは疑うことなく仲間として迎え入れていた。だが、その秘密を彼は自らの手で証明した。お前たちの仲間であった剣士は、かつてお前たちを根絶やしにしようとした恐るべき敵なのだと。

 

「あ、ああ……ああああ……」

 

その事実をエイミは必死で受け止めようとする。だが、到底受け止めきれるものではなかった。初めてヒュンケルと出会ったとき、彼女はどこか影を常に纏っている不思議な雰囲気を持った人物だと思っていた。

理由は不明だが、目が離せずに困惑させられていた。

だが、その理由は彼女もようやく理解できた。ヒュンケルから漂う戦場の雰囲気と死の匂いが、無意識のうちに本能で恐怖させていたのだ。

 

「ああああああああっっ!!」

 

心が限界を迎え、エイミは誰にかまわず慟哭した。

 

 

 

「ハドラー様、よろしいのですか?」

「今ならば人間共を楽に攻められますが?」

 

親衛隊であるアークデーモンたちが、何も手を出さずに事の成り行きを見物し続けるハドラーへ向けて尋ねる。

 

「ああ、しばらくは好きにやらせておけ。手を出すのならば、もう少し後だ」

 

当のハドラーは、ヒュンケルとパプニカ兵たちの様子を見ながら口の端にニヤリと邪悪な笑顔を浮かべる。

 

「かつて人間を裏切り、我々についたヒュンケル。その男が今、再び人間の側につこうとしている。それも、人間に対する手酷い裏切りを働いた後だ。果たして人間共は、それを受け入れると思うか?」

「おお……た、確かに……」

 

その言葉に側近のモンスターたちは感心したように唸る。そして彼らは当然のように、ヒュンケルを受け入れなかった人間が次に何をするかを想像する。それは、モンスターに取ってみれば滅多に見ることの出来ない娯楽に近く、自然と下品な笑顔となっていた。

 

「せっかくの機会だ。自分たちの手で汚点を始末させてやるよう、このオレが力を貸してやるとするか」

 

ハドラーもまた、配下に負けず劣らずだったようだ。むしろ彼らの想像する未来がヒュンケルへと訪れるのを手助けするかのように、さらに知恵を巡らせる。

 

 

 

「いやあああああっっ!!」

 

既にエイミは正常な判断が出来なくなっていた。彼女はヒュンケルのことを気に掛けていた。その感情は、彼に対する淡い恋心ではないのかと思った事もあったほどだ。

だがその生まれて日の浅い小さな感情は、絶望によって瞬く間に押しつぶされていた。なまじ時間があったことが災いしていたようだ。愛憎の渦巻く自身の感情を処理しきれず、爆発した心の赴くままに行動させられていた。

 

「いや、いやあああっ!!」

「……っ!」

 

彼女の中では憎しみが勝ったようだ。彼女は狂乱したように叫びながら、その手に大きな火球を生み出すと、勢いに任せてそのままヒュンケルへと放つ。まるで、信じられない事実と信じたくない現実を呪文で全て焼き払わんとするかのようだった。

本来、こういった冷静さを著しく欠いた状態では、呪文が成功することはまずない。魔法力による干渉が上手くいかず、何も起こらなければまだマシな方。下手をすれば暴発の危険性すらある。

だが、エイミも三賢者に名を連ねる者である。暴走したように放った呪文とはいえ、基本は忘れていなかった。本来のそれよりも大分衰えているものの、その威力はメラミに劣る程度のものを持っていた。

普通の人間ならば大怪我を、大型の魔物であっても仕留めかねないほどの規模だ。

 

「そ……そんな……」

 

だがヒュンケルの纏う鎧は、その程度の呪文など等しく無効化してしまう。エイミの放った一撃は彼の鎧によって邪魔されて、一瞬だけ炎に包まれるものの、すぐに掻き消えて行く。その後には、まるで影響がなかったかのように焦げ跡すら見えぬヒュンケルの姿が見える。

 

感情に任せて放った一撃とはいえ、まるで効果が無かった事実は彼女に冷や水を浴びせ、恐怖と驚愕によって冷静さを取り戻させていた。

そして同時に彼女は思い出す。かつてまだパプニカで戦っていた時も、不死騎団長は一切の呪文をはね返して剣によって人々を倒していたことを。

再び襲いかかってきた恐怖にエイミは震え、言葉を失っていた。

 

「……本来ならば、オレはこの場で自分の過去の罪を全て告白するつもりだった。言い訳するつもりもない。そして、その後にどのような罰であろうとも全て受け入れるつもりだった。死刑を命じられようが、お前たちになぶり殺しにされようとも、一切の文句はない」

 

そんなエイミの姿を見ながら、ヒュンケルは本来レオナに向けて言う予定であった言葉を口にする。だが彼女の様子は少しも良くならない。

これもまた罰の一つなのだろう。自分の行ったことに対する報い、その一例をまざまざと見せつけられているようでありヒュンケルの心は沈む。

 

「だが今は……ハドラーを退けるために少しだけ猶予が欲しい。その後ならば、オレを殺しても構わない。どうか、頼む!」

 

それでも彼は初心を果たすべく、そして――自身の背負った罪と比べれば足しにもならないだろうが――せめてもの贖罪として、ハドラーの討伐を願い出る。

ダイはフレイザードの相手をしており、他の仲間たちもそれぞれ散っている。ならばこの場は自分が奮戦せねばらないことは理解していた。そうしなければきっと、ここにいるパプニカの民は全滅していただろう。

 

「エイミ様、お下がりください!」

「くそっ、化け物め!!」

 

だがそんなヒュンケルの言葉も、恐怖と復讐という言葉に目が眩んだ彼らには届かなかった。エイミの様子に気付いたように兵士たちは近寄ると、彼女を遠ざける。

 

「死ねええええぇっ!!」

「仲間の仇だ!!」

 

そして開いた穴を埋めるかのように、兵士達はヒュンケルへと剣を振り下ろす。彼らは皆、口々に不死騎団長への憎しみを、恨み言を口にしながら襲いかかってくる。

対するヒュンケルは、躱すことも反撃を試みることもなく、ただ突っ立っているだけ。甘んじて受けるだけだ。

だがそれら兵士たちの攻撃は、彼が纏う鎧によって全て弾かれていた。魔界の名工が作り上げた鎧は、彼ら程度の武器や腕前では傷一つつかない。

その不気味さに兵士達は一度距離を取った。

 

「あの炎でも剣でも無傷だなんて、ヤツは本当に人間か!?」

「……いや、あの兜だ! 目の部分を狙えばおそらく!」

 

――ダメ、か……いや、そもそもオレのような者が、そう願うこと自体がおこがましいのかもしれんな……

 

言葉が届くことなく、闘志を燃やし続ける兵士達の様子に、ヒュンケルの心が下を向く。そしてその様子は、ハドラーの心を滾らせるには十分すぎる行動だった。

 

「フハハハハハ! 一度負けた相手になお挑むか、存外に勇敢ではないか人間共よ!」

 

ここまでは大凡、彼の望んだ通りの展開である。ヒュンケルの訴えも虚しく、人間達は彼の敵となって攻撃を仕掛ける。だが再び人間の側へつこうとするヒュンケルにその攻撃はどうすることも出来ない。

邪魔をするのであれば皆殺しにしてしまえばよいものを、と思いながらも、ヒュンケルをさらなる地獄へと突き落とすべくハドラーは弁を振るう。

 

「どうだ、貴様らの手でその男を殺してみせろ。そうすればこの場は退いてやろう」

「なっ!?」

「ハドラー、貴様!!」

 

敵であるはずの魔王軍からの突然の提案に、兵士達は狼狽する。ヒュンケルなど、その非道な提案に怒りを隠すことなく見せていた。

だがハドラーは止まることなどない。

 

「本当だとも。オレもかつては魔王と名乗っていた男、約束は守ろう。裏切り者を一人殺すだけでお前達の命は保証されるのだぞ? さあ、どうする!?」

 

まさに魔王の面目躍如と言ったところだろう。言葉巧みに兵士達を操り、ヒュンケルを殺すようにと仕向ける。裏切り者を始末するということで罪悪感は軽減させられ、かつてパプニカを滅ぼした大罪人なのだから殺されても仕方ないという大義名分がある。

彼らからしてみれば、仲間の仇を討てた上に迫り来るはずの魔王が退くのであれば、一石二鳥。その頭の中には、その提案を断る理由など微塵も存在しなかった。

 

「そ、そうだ……」

「動くなよ、殺してやる……」

「お前が死ねば……お前さえ死ねば皆が……」

 

兵士達は瞳孔を開き、魅入られたような表情でヒュンケルへと再び襲いかかろうとしていた。うわごとのように呟きながらじりじりとにじり寄っていくその姿は、彼にかつての不死騎団の亡者を連想させる。

もっとも、かの死霊兵共もここまで醜悪ではなかったが。

 

――これが、人間……こんな奴らのためにオレは……!

 

その様子を見かね、ヒュンケルの心の中に暗い感情がゆっくりと鎌首をもたげ始めた。だが彼は、慌ててその気持ちを押し殺す。

 

――いや、何を馬鹿なことを。オレも同じではないか。むしろオレには、ふさわしい幕切れだな……

 

自身の過去を顧みて、責める資格などありはしないと思い直した。そして、覚悟を決めたようにゆっくりと瞳を伏せ、動きを止める。

ダイたちは自分の過ちを教えてくれた。そして、オレに人として生きることを教えてくれたの。それだけでも、もう思い残すことなどないのだ。と、そう考えながら。

動かなくなったことで観念したのだと思い、兵士は大胆に近づいて行く。

 

「あ……だ、め……やめてええええぇぇっ!!」

 

やがて、兵士の一人がヒュンケルの目の前で剣を構えたところで、エイミは我知らず叫んでいた。なぜ叫び、兵の動きを止めさせたのかは自分でも分からない。だが彼女は、止めなければという想いだけに捕らわれていた。

 

「エイミ様!?」

「いったい、なぜ止めるのですか!!」

 

兵士達も彼女の言葉に動きを止めていた。ヒュンケルも閉じた眼を再び開き、彼女を見つめている。

だが、こうして叫んだことで多少なりとも冷静になれたらしい。注目を浴びたことで、逆に冷静に考えるだけの余裕が出来たようだ。エイミはまるで自分に言い聞かせるようにその理由を一つずつ述べていく。

 

「相手は魔王ハドラーなのよ? 例えその言葉に従っても、本当に約束を守ると思える?」

 

その言葉に兵士達は押し黙る。改めて指摘されればその通り、なぜ今まで誰も気付かなかったのだろうかと彼らは己を恥じる。元を正せば魔王の策略であるが、その甘言に乗ったのは紛れもなく彼ら自身だ。

 

「今は退くかもしれない。魔王と取引をして私たちだけは見逃してもらえるかもしれない。でもそれを、私たちは胸を張って誇れるの!? 姫様も仰っていたじゃない! 私たちは人間よ。人間として生きましょう!」

 

かつてバルジの塔にてレオナが言った言葉である。自分たちの欲のために他人を傷つけるくらいならば、人間としての誇りを持って死を迎えるべきだと、少ない食料を奪い合う兵士達に向けて、彼女はそう発言していた。

王女として、臣下たちよりも我慢をしているはずのレオナの言葉は皆の心に深く刻まれていた。エイミもまたそのことを引き合いにだして、彼らを説得しようとする。

 

「彼は罪を認めて、その命を賭してでも贖おうとしているのよ。私たちに命を狙われているのに、抵抗の素振りすら見せないのは、それが彼の受けるべき罰だと思っているからだと思うの……それなのに私たちは、また同じ愚を犯すの?」

「そ、それも演技かもしれません! 我々を油断させて一気に……」

 

頭では認めつつあっても、感情がヒュンケルを受け入れることを納得できないのだろう。兵士の一人がそう叫ぶが、それはただの苦し紛れとしか思えなかった。そんな言葉にも、エイミは整然と反論していく。

 

「そうだとしても、魔王はいずれ戦わなければならない相手よ。それと、もしも本当に魔王軍と内通していたのなら、今なお魔王と敵対しているのはなぜ?」

 

気がつけば兵士達は手にした剣を下ろし、黙ってエイミの言葉を聞いていた。

 

「それに、ダイ君たちは彼を仲間だと言ったわ。魔王の話が本当ならば、ダイ君たちは彼と戦ったはず」

 

レオナだけで足りなければ、今度はダイを引き合いに出す。彼女の頭の中ではもはや手段を選ぶだけの余裕はなかった。使えるものは何でも使うつもりだ。

 

「何があったのかは、わからないわ……でも、彼が仲間になるだけの何かがあったはずよ! 正直に言えば、私はまだ彼の事は信じられない! でも、彼を信じるダイ君たちを信じる姫様を信じます!」

 

信じるのはヒュンケルではない。自分たちの仕える王女と、その王女が信じる救国の英雄である勇者を信じるのだと。少しだけ矛先をずらすようにして、兵士たちの心にヒュンケルを信じさせるだけの理由を作る。

 

「ですが、コイツはパプニカ王家を! 我々を殺しかけた張本人ですよ!!」

「そうね……私だって辛いわ。彼に攻撃をしてしまった私には、こんなことを言う資格なんてないのかもしれない……でも、彼を殺しても何にもならないの。何の解決にもならなければ、失ったものはもう戻っては来ない……」

 

やはり最後まで残るのは、怨恨という名の感情だった。その感情はエイミにもわかる。だがその恨みを認めながらも、乗り越えていかなければならないのだ。そうしなければ、いつまで経っても進歩は無いのだから。

 

「ほう、それでいいのだな人間共よ。その男はやがて、貴様らに不幸をもたらすやもしれんぞ?」

「黙りなさい、魔王!」

 

この展開は面白くない。見物に徹していたハドラーが苛立ちを隠しながら再び人間を煽り、火種を燃やそうとする。だがその言葉をエイミは毅然とした態度で切り捨てる。

 

「私は彼を信じると決めました。もはや貴方の言葉に心を左右されることなど、決してありません!」

「グ……ッ!」

 

そう宣言する姿は、まるでレオナのように気高い気品に満ちていた。彼女の言葉に従うかのように、兵士達も殺気を無くしている。つまるところ、エイミの説得は成功したのだ。

一度は自らの望み通りの展開となりかけたというのに、土壇場で見たくもない人間同士の心を見せられ、ハドラーの怒りが募る。

 

「ヒュンケル、ごめんなさい……私は、私たちは、もう少しで取り返しのつかない過ちを犯すところでした……」

「いや、構わない。皆が言うように、オレの事を信じられなくて当然だ。この場で殺されることすら覚悟していた」

 

エイミはヒュンケルへと向き直ると、深々と頭を下げる。許してもらえるものではないが、それでも謝罪せずにはいられなかったのだ。だがそれはヒュンケルも同じ――いや、彼の方が何倍も重い。

兵士達の罵声と殺気に、一度は再び刃を向けることすら考えかけた自身と比べれば、この程度のことなど許容範囲と受け止められた。

 

「一度は見限りながらも、再び立ち上がり、信じること……それがどれだけ大変かは、オレもよく知っているつもりだ」

 

そこまで言うとヒュンケルはエイミに背を向ける。

 

「ありがたいものだな。人から信じてもらえるというのは……」

「え……っ……!?」

 

小難しい理屈を積み重ねたが、つまるところはたった一つの理由でしかなかった。

ヒュンケルの、自己の命すら省みない雰囲気にエイミが惚れた。惚れた相手の命を救いたかった。ただそれだけのことだ。

愛という名のワガママの結果に過ぎない。

だがそれでも、ヒュンケルにとってはエイミに救われたことに違いは無かった。人に信じられるという暖かい気持ちに、偽りはなかったのだ。

 

彼の兜の下で、一筋の涙が誰にも見られることなく静かに流れ落ちた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「チィッ、あのまま殺し合いをしていればよかったものを……虫唾が走るわ!」

「ハ、ハドラー様!?」

 

ハドラーの苛立ちは頂点に近かった。

自身の思惑通りに事が運ぶように見えておきながら、土壇場でその期待は裏切られたのだ。それも彼の嫌いな人間の心によって。そんなものが面白いはずもない。

不機嫌さを隠そうともせず、その身体からは殺気と高められた魔力を放出する。その雰囲気だけで、側近のモンスターが怯えた声を上げるほどだった。

 

「よかろう、人間共よ。そんなに死が好みならば、望み通りくれてやる!」

 

吐き捨てるようにそう言うと、ハドラーは両手を広げ、その両拳に魔力を込める。瞬く間に高熱のエネルギーが集中していき、炎がアーチを描いた。その高熱を圧縮し、両腕を揃えて相手に伸ばす。

 

「ひぃぃ、それはまさか!?」

極大閃熱呪文(ベギラゴン)!!」

 

そこから放たれたのは、超高熱の閃光。全てのものを飲み込み、そして打ち砕かんばかりのとてつもないエネルギー波である。部下達が慌てて避難していくのも構わず、ハドラーは呪文を唱える。

放たれたベギラゴンは、閃熱系最強の名にふさわしい威力を見せながら、エイミたちへと襲いかかった。

 

「こ、これは!?」

「ベギラゴン!? そんな……!!」

 

対するパプニカ勢は、ヒュンケルと兵士達への説得に気を取られすぎていた。エイミの言葉に意識を向けすぎたところへ、ハドラーの不意打ち染みた一撃である。

避けることはおろか、そもそも反応するのが遅すぎた。襲いかかる破壊の光に彼らは目を閉じて神に祈ることしかできない。

 

「あ、あれ……?」

「うそ? 私たち、確かに……」

 

だが、襲いかかってくるはずの熱も痛みも、一向に感じることはなかった。不思議に思い、彼女たちは閉じていた瞳を恐る恐る開けて辺りを確認する。

 

「大丈夫か?」

 

そこにいたのはヒュンケルであった。

鎧を身に纏ったまま彼女たちの前にて、両手を広げて仁王立ちのように立ち塞がっている。ベギラゴンのエネルギーによって大地がえぐれているが、彼の立っている場所からはそれがないことから、ヒュンケルが無効化したのは誰の目にも明らかだった。

 

「た、たすかった……」

 

兵士の一人が気の抜けたように呟く。

皮肉にも、ヒュンケルを誅するべく兵士達が一カ所に集まっていたのが幸いしていた。それでなければベギラゴンの効果範囲は広く、幾らヒュンケルが庇ったとしても取りこぼした犠牲者が出ていたのは間違いないだろう。

 

「ありがとう……ヒュンケル……」

 

ほんのりと顔を赤らめながら小声で呟く。

その身を投げ出すように両手を広げて、少しでも広く彼女たちを守ろうとするその姿は。彼の身に纏う鎧の色と相まって、まるで神の十字架のようにエイミには見えた。

 

「この鎧に呪文は無意味だ。オレのことをあれだけ大々的に紹介してくれたというのに、もう忘れたか?」

「ぬ……ぐぐぐ……貴様……ッ!!」

 

当然のことだとクールに見えていても、やはり腹に据えかねるものがあったらしい。ヒュンケルの挑発する物言いを聞きながら、ハドラーはさらに怒りを燃やす。

 

「貴様らッ! やれいッ!! 裏切り者を殺すのだ!!」

 

ベギラゴンはハドラーの会得した新呪文であり、この世界では最強の一角にすら位置する呪文である。その破壊力はイオナズンすら上回る。バーンから新たな力を授けられ、ベギラゴンを取得したハドラーであったが、あっさりと無力化されたことは彼のプライドを傷つけたらしい。

呪文の余波の影響も静まり、舞い戻ってきた部下達を気遣う様子すら見せず、ハドラーは(けしか)ける。

 

「ひいいぃぃ!」

「か、かしこまりましたっ!!」

 

ハドラーの剣幕にアークデーモンたちは、一息つくまもなく戦いに投入させることとなった。己の武器である巨大な三つ叉の槍を手にすると、ヒュンケルへと襲いかかる。

乱暴な扱いに嘆きつつも、アークデーモンはモンスターの中でも上位クラス。魔軍司令の親衛隊を任命される程度には実力を持っている。巨体でありながらも鈍重さを感じさせぬ鋭い動きにて、ヒュンケルへと攻撃を仕掛けた。

 

「……フン」

 

だがそれも、相手が悪すぎた。ヒュンケルは剣を手にすると、先頭のアークデーモンの攻撃に剣を軽く当てて逸らせ、その勢いを殺さぬまま一刀にて切り捨てる。続く二匹目は、一匹目がやられて怯んだ隙を狙うと高速の剣技にて仕留める。

 

「お、おのれっ!」

 

仲間がやられた事で冷静さを欠いたらしく、三匹目は怒りの表情で槍を大きく横に振るった。なぎ払うような軌跡を描いた攻撃であったが所詮は破れかぶれに近い。ヒュンケルには通用しなかった。

彼は身を低くしてその攻撃を一旦やり過ごすと、低い姿勢のまま一気に肉薄する。そして至近距離から一気に剣を相手の腹部へと突き刺した。

 

「ぐふっ……!」

 

血泡と共に吐き出された最後の台詞を耳にしながら、ヒュンケルは一瞬たりとも気を抜くことはなかった。突き刺した剣を素早く抜くと、正眼に構え直す。

 

「甘いわ!! そこだ!!」

 

アークデーモンたちの攻撃の影に隠れてハドラーは接近しており、不意打ちのようにして襲い掛かる。敵を倒したことで生まれる一瞬の油断という隙を突くのが最初からの狙いだったらしい。両の拳からは接近戦用の武器である地獄の爪(ヘルズクロー)を既に生み出しており、拳の一撃を全力で放ってきた。

 

「それはこちらの台詞だ」

 

だがその狙いは、ヒュンケルによって既に看破されていた。不意打ちのタイミングを完璧に読んでいたかのように反応すると、ハドラーの拳に剣の一撃を重ね合わせる。

 

「があああっ!!」

 

抵抗は、ほんの一瞬だった。

ヒュンケルの剣はハドラーの片腕を易々と切り裂き、その腕を肘から切断する。痛みに苦痛の声を上げるが、ヒュンケルの攻撃はそれだけでは終わらなかった。

腕を切り飛ばしたはずの剣は目にもとまらぬ速度で引き戻され、今度はハドラーの喉元へと寸分狂わず突き当てられる。剣先は紙一重だけの隙間を開けた位置にあり、剣を通じた気配が恐ろしいほどに伝わってくる。

僅かでも下手な動きをした途端、この剣は一切の躊躇無くハドラーの喉を貫くだろうことは明白だ。あまりの闘気に痛みの声も忘れてハドラーは動きを止める。

 

――バカな! これほど強いなど、ありえん!!

 

ハドラーの知る――不死騎団時代のヒュンケルはここまでの強さではなかった。確かに、各々が得意とする分野においてはハドラーを上回る能力を持ってはいるが、ここまで一方的にやられるはずはなかった。

その理由は、アバンの手記である。チルノによって齎されたアバンの言葉にて、彼は修行を重ねた。数日の修行でしか無いものの、空の技の修行によって闘気と心眼の扱いを会得していたためだ。

闘気を武具へ通すことによって単純な攻撃力・防御力の上昇に加えて、ハドラーの奇襲すら見抜く程に気配を察知することが出来るようになっていた。

だが、ハドラーはそれを知るよしもない。

目を離した数日の間に何があったのか、検討もつかない理由を彼は必死で探り、逆転の好機を模索する。

 

「これで終わりだな。ダイたちには悪いが、アバンの仇はオレが討つことになりそうだ……」

「ぐぐぐ……」

 

だが好機の芽が見つかることはなかった。剣を持つ手に力が込められたことを気配で感じとり、うめき声を上げる。だがハドラーが出来るのはその程度だ。今のヒュンケルの実力の前には、下手な抵抗などする前に剣の餌食となる。

 

「だがその前に、貴様には一つだけ聞いておきたいことがある」

 

死すら覚悟したハドラーであったが、ヒュンケルの意外なその言葉に目を開いた。ここが好機を得る最後の機会だと直感的に感じながら。

 

「我が父、バルトスのことだ。答えてもらうぞ」

「ほう、あの出来損ないの……はたして、何を答えればいいのかな?」

 

追い詰められているにもかかわらず、そんなことなど関係ないとばかりにハドラーは不敵に笑い、ヒュンケルを挑発するように言う。その目論見通り、本人も気付かないうちに剣を握る手に僅かに力が入る。

 

「なぜ貴様は我が父を殺した? 既にアバンに敗れ、力を蓄えるために眠りにつくはずだった貴様が、どうして父を殺す必要があった?」

「なにかと思えば……そんなことを聞きたかったのか、くだらんな……」

「そんなこと、だと……!?」

 

剣を握る手にさらに力が入る。切っ先が微かに動き、ハドラーの喉元に浅く突き刺さる。突き刺される痛みは感じるものの、出血するほどではない。その様子を文字通り肌で感じながら、ハドラーはさらに言う。

 

「考えても見ろ? ヤツは地獄門を通すという大失態を犯したのだ……いや、それだけならばいい。口惜しいが、オレもあのときはアバンのヤツに負けたのだからな」

 

地底魔城の魔王の玉座へと通じる唯一のルートこそが地獄門。その門を守護していたのが、旧魔王軍最強の戦士であったバルトスである。勇者アバンの地底魔城襲来の折り、バルトスはアバンに敗れ、そしてハドラーもまたアバンに敗れていた。

 

「だがヤツはアバンに何をした!? 命尽きるまで戦うこともせず、自らアバンを門の先へと通したのだ! 飼い犬に手を噛まれるとは、まさにこのこと……そのような失敗作を、どうして生かしておく必要があるのだ?」

 

だがアバンはバルトスと戦いの際、彼の首にかけられた勲章――幼きヒュンケルが、父親のためにと手作りたものである――を見て、剣を納めた。決着はついていたが、命を奪うことまではしなかったのだ。バルトスにはヒュンケルがいる、という理由で。

 

「貴様が地底魔城でヤツに育てられたのも、ヤツが旧魔王軍最強の存在であったがため。それゆえ数々の特権を与えたのだ。それだけの実力を持っていたのだからな。だが、その特権も強さあってこそ! 力で負け、心でも負けたなどとほざくようなクズはいらん!」

 

人間を抹殺して、地上を征服することを目標としていた旧魔王軍にとってみれば、ヒュンケルの存在は異端であった。もしも彼を拾ったのがバルトスで無ければ、ハドラーの命によってたちどころに殺されていただろう。

しかし、そんなワガママを貫き通すだけの力がバルトスにはあった。だがそれも力が大前提である。その力で負けたのであれば、それはハドラーに取ってみれば手痛い裏切り行為以外の何者でもなかった。

 

「あのまま放置していても、いずれ魔法力の供給が途絶えて物言わぬ骸になっていただろうな。だが、それではオレの気が済まぬ。いわば奴はオレの汚点とでも言うべき存在よ。ならば、恥は雪がねばなるまい? ヤツを殺したのは、至極当然の理由よ」

 

ヒュンケルは黙ってハドラーの言葉を聞き続ける。最初に父の事を口にした時こそ、怒りによって無駄な力が込められていたが、話を聞く内に次第に冷静になっていた。

ハドラーの言動を耳にして、哀れみにも似た感情が芽生えていく。かつての自分であれば絶対にこのような心にはならなかっただろうと感じながら。

だがそんなヒュンケルの心など知らぬハドラーは、さらに興奮したように口を開く。

 

「その点、フレイザードは良いぞ。一度敗れようとも、命を賭けてダイを倒すと言ってきた。ヤツは素晴らしい。不可能を可能としおった。それでこそ、このハドラーの部下たる資格があるというもの! ヤツのような部下がいれば、十五年前の戦いでもアバンに遅れは取らなかっただろうなぁ!!」

 

ハドラーの狙いはヒュンケルを怒らせることにあった。そうして冷静な判断力を失わせ、力を削ぐのが目的だ。怒りに鈍った剣など、今のハドラーであっても届くことはない。そしてもう一つの奥の手と合わせて、目の前の裏切り者を確実に始末する算段である。

 

「そうか……それが理由か……」

 

だがその狙いが成就することはなかった。ハドラーの話を聞き終えたヒュンケルは、どこかすっきりとしたような雰囲気すら漂わせてそう呟いた。

 

「残念だよ、ハドラー。バーンの使い魔に成り下がったお前ならば、父の気持ちも少しは分かると思ったのだがな……」

「なっ、なにぃ!!」

 

大魔王の使い魔――それは奇しくも、アバンがハドラーに対して言ったのと同じ表現であった。師と弟子の奇妙な一致を垣間見たようであり、ハドラーの額に青筋が浮かび上がる。先ほどまで相手を怒らせようとしていたというのに、随分と沸点が低いようだ。

 

「そして、一つ教えてやろう。貴様も知っての通り、父はアバンに心でも負けた。この意味がわかるか?」

 

今にも飛びかかりそうになるのを必死で堪えながら、ヒュンケルの言葉を聞く。だがその言葉の真意はまるで理解できていなかったが。

 

「つまり我が父は、貴様とアバンを比較して、アバンの方が上と見たのだ。貴様がもしも、真に仕えるべき存在であったならば、我が父はどれだけ劣勢になろうとも死力を尽くして戦い、死してなお門番の役目を全うしただろうよ」

 

そんなハドラーに向けて、ヒュンケルは言葉を続ける。アバンと己の器を指摘し、その差があったからこそバルトスは剣を納めたのだと。配下であるバルトスが役に立たなかったのではなく、主に問題があったのだと。

 

「貴様の魔軍司令という地位は、かつての父と同じようなものだろう? ならば問う。貴様は、バーンのために命を捨てることができるのか? 父を笑う資格があるのか?」

 

そして今の立場はハドラーも同じようなもの。であれば、同じ立場に立ったときに命を賭けることができるのかとその覚悟を問いただす。

それを聞きながらハドラーの額には無数の青筋が浮かび、全身を怒りで震えさせていた。

 

「ぬぐぐ……言わせておけばふざけたことを!!」

 

当初考えていたはずの挑発は、いつの間にか完全に逆転していた。冷静に問いかけるヒュンケルを怒りに燃える瞳で睨みながら、ハドラーは怒りに身を任せて襲いかかっていた。

もはや喉に剣が刺さろうとも構うことはない。そんな心配が彼方に飛んでいたこともあったが、それ以上にヒュンケルの顔を苦痛に歪ませなければ気が晴れようはずもない。それ以外は些細なことだと認識していた。

 

それ故に気付くのが遅れていた。ハドラーが襲いかかった瞬間に併せてヒュンケルもまた剣を引き、全身の筋肉を絞り上げて今まさに必殺の一撃を放とうとしていたことに。

 

「ブラッディースクライド!!」

「がああああっっ!! ……お、おのれ……」

 

放たれた一撃はハドラーが動いたことにより喉元を逸れ、彼の左胸に直撃していた。高速の螺旋を描いて直進する剣圧が、ハドラーの肉体を貫き貫通する。

その凄まじい勢いに吹き飛ばされ、かつての魔王は怨嗟の声と共に胸に開けられた風穴から血を撒き散らしながら地面へと倒れた。

 

「こんなこと、少し前のオレでは微塵も思うことはなかっただろう……」

 

――やはりあいつらは、オレには勿体ないくらい良い仲間だ。

 

ダイたちがいなければ、自分は気付くことなくどこまで堕ちていたのだろうかと想像して、小さく身震いをする。

ヒュンケルはハドラーから謝罪の言葉を期待していたわけではない。言葉通り、ただ真実が知りたかっただけだ。父の仇を討ちたかったわけではない、といえば嘘になるだろう。だがそれ以上に、ハドラーに対する憐憫の情すらあった。

(バルトス)には自分(ヒュンケル)がおり、そしてアバンに出会うことが出来た。今際の際、本当に残り僅かな命を振り絞って自分(ヒュンケル)に感謝の言葉を伝えてくれた。魂の貝殻に魂の声(メッセージ)を封じ込めたとしても、他に言うべきことはあっただろうにだ。

自分(ヒュンケル)は同じアバンの使徒の仲間に出会うことが出来た。過ちをただし、冥府魔道から引き戻してくれた心強い仲間達が。

だがハドラーには、誰がいるのだろうか。

そんなことを考えながらハドラーから意識を逸らしたときだった。

 

「きゃあああ!!」

 

背後から女性の悲鳴が突然聞こえてきた。慌てて振り向くヒュンケルはそこで信じられない光景を目撃する。

 

「なんだと!?」

 

予想外の出来事に思わず声を上げてしまう。

彼が見たものは、エイミが襲われている光景だった。それもハドラーに――より正確に言うのならば、彼が切り飛ばしたはずのハドラーの片腕が、まるで意思を持っているかのように動いてエイミの白く細い首筋に手を掛けている。

その豪腕と比較すれば彼女の首などまるで細木のようであり、今にもポッキリと折れてしまいそうだ。

周囲のパプニカ兵たちも突然の出来事にパニックになりながらも腕をどうにかしようと試みるが、下手に手を出せばエイミを傷つけてしまうことは明白であり、動くに動けなくなっていた。

 

「これは……」

 

泥で作られた人の手の形を模したマドハンドなどのモンスターがいるが、ハドラーの腕はそれよりもずっと俊敏かつ繊細に動いている。

伏兵として新たなモンスターが来たかと思ったが、ヒュンケルはその考えを即座に捨てる。なぜならば緩めたはずの心眼が、すぐさま彼の中で凄まじいまでの警笛を鳴らしていたからだ。

 

「貴様の仕業か! ハドラー!!」

「ククク……もう少し騙されておればよいものを……」

 

慌てて再度振り向けば、そこにはつい先ほど心臓を撃ち貫いたはずのハドラーが立っていた。急所を貫かれたにも関わらず動くその姿は、かつてのゾンビ系モンスターもかくやと思わせる。

 

「まあ、よい! これで十分よ!」

「あうぅ……」

 

蚊の鳴くような小さな悲鳴がエイミから上がる。ハドラーの腕はさらに力を込めてエイミを捻り上げ、強引に動かしてその場所を移動させる。

 

かつてデルムリン島でダイと戦い、両腕を切断された。その苦い経験からハドラーは、魔法力を駆使して物体を操るという、さながら念動力のような呪文を覚えていた。

熟達者ともなれば、この呪文を使って無数の剣を同時に操り、その剣筋は達人のそれと変わらないとまで伝えられているほどだ。

だがハドラーはまだそれほどの力は無い。今のように精々が自身の一部を動かす程度――それも本来の力よりも弱い――が関の山であるが、完全に切り落とした腕が敵として襲いかかってくるという意表を突くことは出来る。

文字通り、奥の手であった。

 

「さあ、形勢逆転だな」

「く……」

 

無理矢理歩かされたエイミは、ハドラーの傍らへと立たされる。途中、止める事は出来ただろうが、その気配を見せた途端に首を掴む腕は力を込め、彼女の頸椎を容易く折るか、はたまた喉を握りつぶしていただろう。

隣に立ち並ぶエイミへ、いつでも刺し殺せるとばかりに地獄の爪を向ける。

 

「この女の命が惜しければ、剣を捨てろ」

 

ハドラーは勝ち誇ったように告げる。先ほどパプニカ兵士達を説得したのは他でもないエイミの功績である。であればヒュンケルは多少なりとも恩義と感じ、十分交渉の材料になるだろうと判断していた。

だが、余裕の様相を呈していながらも、内実はあまり大きな余裕はない。左胸に風穴を開けられたハドラーであったが、その体内には左右一つずつ心臓を宿している。片方が潰れただけでは仕留めるには到らず、今のように隙を見て反撃を可能としていた。

だが、如何に死なないといえども内臓を失っているのだ。そのダメージは決して小さくはない。失った片腕と併せて、確実に追い詰められている。

 

「だめ……わたし……は、いいから……」

「よせ、喋るな!!」

 

もはや呼吸すら苦しいだろうに、エイミは自分を気にすることなくハドラーを倒すように訴える。その小さく悲痛な声はヒュンケルを苛ませる。

彼は父バルトスから騎士道精神とでも言うべきものを学んでいる。今のような状況は彼としても望むものではなく、ましてや今のような訴えを耳にしてしまえば、取るべき行動は一つであった。

 

「さあ、これでいいか?」

 

ヒュンケルは躊躇うことなく剣を投げ捨てた。金属がぶつかり甲高い音を立てながら、彼から離れた場所に落ちる。

 

「ほう……随分と素直だな……」

 

目の前の男の行動に驚きながらもハドラーは行動を予測する。仮にヒュンケルが剣を拾いに行こうとも、すぐには届かない程の距離がある。それだけの時間があれば素手となったヒュンケルを相手にすることも、解放した人質を再び捕まえることも出来るだろう。

自分が優位に立ったことを確信して、ハドラーは口の端をニヤリとつり上げる。

 

「オレは剣を捨てた。ならば貴様もその腕を放せ」

「よかろう。もはや貴様さえ殺せれば、このような小娘などどうでもよいわ」

 

そう言うと呪文の魔力を止める。それまで力強く首元を握っていたはずの腕が嘘のように力を失い、地面へと落下する。先ほどまでは別の生き物のように蠢いていたはずの腕が唐突に微動だにしなくなったそれはなんとも不気味な光景だった。

ようやく解放されたエイミは、不調を訴えるように何度も咳き込む。

 

「次はどうすればいい? 鎧でも脱げばいいのか?」

「フン。そんな手間は不要だ。そもそもオレの地獄の爪の前では、貴様の鎧といえども紙切れに等しい」

 

その言葉にヒュンケルは何かを察し、精神を集中させる。

 

「次は人質だ」

 

だがハドラーはそれに気付かない。絶対的優位を確信して、足下が見えなくなっているようだ。確かにヒュンケルは剣を持たせればハドラーよりも強いだろう。そして素手での格闘戦も出来ないわけではないが、それは剣と比べれば遙かに劣る。今のハドラーであっても御せるレベルだ。

既に彼の脳裏には、ヒュンケルに己が爪を鎧を貫通して突き刺す光景が映し出されている。鎧を脱がさなかったのも、ダメ押しのように火炎呪文を爪から流し込む事によって蒸し焼きにするために他ならない。呪文を通さない鎧に内側から呪文を流し込めば、さぞかし愉快なことになるだろうと思ったからだ。

 

「そら、受け取るがよい!!」

 

未だ喉の痛みによって小さな咳を繰り返しているエイミの背中を蹴りつけて、ヒュンケルへと押しつける。それに僅かに遅れてハドラー自身も襲い掛かり、エイミに当たるように腕を突き出した。

だがそれをヒュンケルは良しとせず、その身を庇うようにハドラーへと自身を差し出し、同時にエイミを少しでも遠ざけようと突き飛ばす。その行動は、この戦いの場においては致命的だった。

 

「思った通り、隙だらけよ!!」

「ぐおおッ!」

 

それを見た途端、待っていたとばかりにハドラーはヒュンケルへと爪を突き刺す。彼の弁の通り、地獄の爪はヒュンケルの鎧すら貫通して彼の肉体にまで穴を穿つ。

 

「まだだ!! このオレの地獄の炎で焼け死ねッ!!」

 

地獄の爪から伝わってきた肉を刺し貫く感触を味わいながら、油断なく呪文を唱えた。メラゾーマという声が響き、それを見ていた者たちは次に予想される惨劇に思わず身を竦める。

 

「……は?」

 

だが、メラゾーマの炎は放たれなかった。ハドラーでさえ爪を突き刺した姿勢のまま、何が起きたのか分からずに間の抜けた声を上げる。メラゾーマはハドラーにとっても使い慣れた呪文である。発動は完璧だったはずだ。なのになぜ呪文が使えなかったのか。

困惑の空気が漂う中、静寂を打ち破るように一人の男が動いた。

 

「むん!!」

「がああああっ!!」

 

胸部に爪が突き刺さっているのも気にせず、ヒュンケルは膝と肘でハドラーの腕を挟み込むようにして全力で叩きつける。

金属鎧の重さと固さが加わった強烈な衝撃が上下から襲い掛かり、さしものハドラーといえども腕の骨が砕かれた。予期せぬ痛みに思わず腕を引き、さらには距離を取るべく退いてしまった。

 

「先ほどの攻撃、流石に死を覚悟したぞ……だが、おかげで良いヒントを貰えた……」

「馬鹿なッ! 貴様、その傷でなぜそこまで動けるのだ!!」

 

もはや使いものにならない両腕に煩わしさを感じていた。だが目の前のヒュンケルはそれ以上のダメージを受けているはずだ。確かに強いが、ただの人間でしかない。ハドラーのように魔族であるわけでもなければ、心臓が二つあるわけでもない。

それなのにどうして……圧倒的優位を誇っていたはずが、瞬く間に危機に陥っている事実に加え、メラゾーマの呪文が発動しなかったことまでが影響を及ぼし、もはや冷静な思考が出来なくなっていた。

 

「貴様の不死身のカラクリが何かは知らんが、全身を消し飛ばせば蘇る心配もなかろう」

 

もしもこのまま接近戦を挑むのであれば、ヒュンケルも格闘戦で応じるつもりだった。だが相手は距離を取った。ならば、遠慮することはない。両腕を十字に交差させ、最大奥義を惜しみなく叩きつけるだけだ。

 

「グランドクルス!!」

 

少し前から集中させていた闘気を一気に解放し、ハドラー目掛けて放つ。放たれた十字の光線は、目を開けていられないほどに力強い。かつてヒュンケルがダイとの戦いの際に放ったものよりも遙かに強力であった。

 

ハドラーの狙いを察知できたおかげで、事前にじっくりと闘気を集約させるだけの時間があった。それも確かに理由の一つである。

だがそれよりも地獄の爪の一撃をその身に受けた事が何よりも大きかった。

ハドラーの攻撃を受けた瞬間、ヒュンケルは確かに死を覚悟した。強く死を実感するほど、肉体は生き延びる術を本能的に模索する。その結果、偶発的に身につけた、絶妙という表現すら生温く聞こえるほどの精緻な闘気のコントロール。生半可な訓練では到達することが出来ない境地の一つである。

そこから繰り出されたグランドクルスの破壊力は、ヒュンケルの想像を凌駕していた。

 

「がああああああああっっ!!」

 

その凄まじい光の本流の中に、ハドラーは消えていった。グランドクルスの轟音はハドラーの断末魔をかき消し、その全てを光の中へと埋没させる。

やがて、光が治まった後には、そこには何も残っていなかった。

 

 

 

「たおした、の……? 魔王ハドラーを……?」

 

静けさから戦いが終わった事を悟り、エイミが呆然とした声を上げる。

ヒュンケルによって庇われ、突き飛ばすように距離を取らされたおかげで、彼女は多少なりとも離れた安全な場所から二人の戦いを見守っていた。

 

「そうだわ、傷! あなた、確かハドラーの攻撃を受けて……」

「いや、問題はない。それほど痛むものでもないようだ」

 

余りに衝撃的な幕切れ故に忘れかけていたが、思い出したように言う。だがヒュンケルはその申し出を拒否する。彼の言葉通り痛みは少なく、そしてエイミに気を遣われたくないという心があったからだ。

 

「だったら……!」

 

だがそれで納得できるエイミではない。

 

「だったら私は、あなたに命を助けて貰ったわ。そのせめてものお礼に、傷の手当てをさせて欲しいの。お願い!」

 

秘められた微かな想いと、先の戦いを見ていたからこそ芽生えた想い。それを僅かでも自覚した彼女は、そう簡単に止まるものでは無かった。先の礼という断りにくい理由を武器として使って食い下がる。

 

「……わかった」

 

押しの強さに根負けしたように小さく頷くと、ヒュンケルは鎧化(アムド)を解除した。全身に纏っていた金属鎧は装着時とは逆のプロセスで剥離すると、一つの場所に集まっていく。そして、瞬く間に鞘の形へと戻った。

後に残ったのは、傷を負ったせいで胸元が赤く染まっているヒュンケルだけだ。

 

「回復呪文を使うから、服を脱いで貰ってもいいかしら?」

 

血を見たことで確かに傷を負っていると確信できた。あの光景は見間違えなどでは決して無かった。なのになぜ、こんなにも平然としているのだろうか。痛みに顔を歪ませることもない様子に疑問に抱く。

 

「これは!?」

「なるほど、そういうことか……」

 

だがその疑問は、ヒュンケルが上着を脱いだことで解決した。彼の胸元には、アバンの使徒であることを示す卒業の証がある。

そしてもう一つ、四つの穴が開けられて罅が入り、今にも崩れそうな貝殻が揺れていた。

 

「これは、魂の貝殻……? こんなものをどこで……」

「父の形見だ」

 

知名度はあるが、珍しいアイテムである。どこで手に入れたのかと独白すると、ヒュンケルが律儀にも答えた。

故人の遺品という言葉に、貝殻へ触れようとしていたエイミの手が止まる。下手に触れれば、それだけで粉々になってしまいそうだったからだ。

 

「まさか……ううん、でもそうとしか考えられない……」

 

地獄の爪の数と同じ、四つの穴が開いた貝殻。その貝殻の穴と同じ位置には、ハドラーの爪によって付けられた傷跡がある。

そこまで見れば、どれだけ察しの悪い者でも気付く。

 

「これが、ハドラーの一撃を食い止めてくれたのね。魂の貝殻は呪法処理を施されたアイテムだから、普通の貝殻とは比べものにならないほどの強度があるの」

 

地獄の爪は鎧を貫き、さらに魂の貝殻を貫いた。予想以上に多くの物にぶつかったために貫通力を失い、威力を激減させていた。それでもヒュンケルの肉体にまで届き、彼の身体に穴を開けることには成功する。

だがそれも胸筋の途中で止まり、内蔵などの重要器官に傷を付けることは叶わなかった。その程度の負傷であれば、百戦錬磨のヒュンケルには慣れたもの。我慢できないものではなかった。

 

鎧の下に隠れた貝殻は、ハドラーからは見る事が出来ない。もしも、ハドラーが優位な状況であっても冷静さを残していたならば、地獄の爪を刺した際の違和感に気づけただろう。

肉体を貫いたにしてはいやにあっけない感触に。

 

「それに、メラゾーマが発動しなかったのもおそらくはこれが原因よ。これに掛けられた呪法とハドラーの呪文が干渉しあって不発に終わったんだと思うわ」

 

死にゆく者の魂を封じ込める能力を持つがため、それに掛けられた呪法もまた複雑かつ強力である。呪法を魔法力が邪魔をしあったとしても不思議ではないため、エイミはそう推測した。

 

「そうか……幸運だったのだな……」

「ええ……きっと、お父様が守ってくれたのね……」

 

賢者でもあるエイミの推測だ。おそらくは先ほど述べた理由で間違いないのだろう。だがヒュンケルが感じたのは、彼女が言った最後の一言と同じだった。

魂の貝殻に込められたバルトス()の想いが、ヒュンケル(息子)を守ったのだと。その方がよほど腑に落ちた。

それもハドラーを相手にしてである。かつての主への決別の証のように感じられ、ヒュンケルの心の中に熱い感情が生まれていた。

 

 

 

「あー、その……ヒュンケルさん……」

 

やがて、エイミの回復呪文を受けていたところ、一人のパプニカ兵士が遠慮がちに声を掛けてきた。いや、一人だけではない。その後ろにはさらにこの場にいた全員のパプニカ兵が、遠巻きながらも彼の事を見ていた。

 

「これ、忘れものだ」

 

そう言いながら、両手を差し出す。そこには、彼がエイミと引き換えに投げ捨てた魔剣があった。ハドラーと戦いの後、すぐに治療が始まったために未だ回収出来ていなかったのだが、どうやらこの男が持ってきてくれたようだ。

ヒュンケルはその剣を受け取ると、近くにあった鞘へと納めた。

見惚れるほどに様になっている納刀の所作を見届けると、再び兵士が口を開いた。

 

「正直に言って、アンタのことはまだ許せない……けど、エイミ殿のために躊躇うことなく剣を捨てたアンタだ……だから、少しだけ信じてみることにするよ……」

 

決して本心から納得したわけではない。だがそれでも、ヒュンケルの戦いぶりを見て自然と心に浮かんでくる感情があった。それも一人だけではない。彼の事を見ていた全員が、自然とそう思っていたらしい。

彼らは、誰が言うでもなく剣を回収し、ヒュンケルへと敬意を払うようになっていた。

 

「ああ、ありがとう……」

 

彼らの心を感じ、受け入れられたことに耐えきれなくなり一筋の涙を流す。その涙は、まるで無垢な子供のように純真なものに見えた。

 

 




この程度の苦難も彼には軽いですかね? 生身の状態で腹を刺させるくらいはした方が良かったかな?

あと原作ではエイミが突然ヒュンケルに惚れている様にしか見えず「お前イケメンだったら仇でも無罪か!」と思いまして。ですので「ここまでやっておけばちょっとは惚れるでしょ」程度にはなりました、かねぇ……?

魂の貝殻さん久々の出番です。退場するための出番です。
原作では知らぬ間にフェードアウトしていた(闘技場に転がったままマグマに飲み込まれた?)のですが、こっちの世界では事前に渡されてヒュンケルが心を整理する時間的な余裕もありました。
父の形見のようなものですので、肌身離さず持っていても何ら不思議ではありません。
(23話にてバダックの隠れ家へ向かう前のシーンで、チラッとだけ匂わせたつもり。父との思い出が過去を、アバンの使徒同士の絆が現在を、それぞれ表現したかった……)

そして。
何かおかしいと思って原作を見直したところ、この場面ではアークデーモン以外にガーゴイルも親衛隊にいたのを忘れていた事に気付く私……やけに敵が少ないと思ったんだ。
ごめんねガーゴイル。

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