ナバラ達の発した
幸いな事にというべきか、ベンガーナとテランは隣国同士である。大人の足ならば徒歩でも三日と掛からない程度の距離しか離れていない。ましてやダイたちはベンガーナへと向かう際に馬車を用意していたのだ。これならば飛ばせば一日で辿り着くのも決して夢物語ではない。
だが、それが叶うことは無かった。なぜならば――
「すまないな。オレがいなければ、馬車でもっと早く移動できただろうに」
「いや、おっさんは悪くねぇよ」
申し訳なさそうに口にするクロコダインに、並んで歩くポップがそう言う。
一頭立ての馬車ではクロコダインを乗せて引っ張り駆け続けるほどの馬力はなかった。ついでに言うならば、荷台にクロコダインを乗せるだけの余裕も無かった。
クロコダインだけガルーダで先行して移動し、一行は馬車で移動する。という案も出たのだが、合流に手間取る可能性や、分断したところを襲われたら問題だろうといった案もあり、結局全員で移動することになった。
仮にクロコダインがいなかったとしても、合計六名を乗せて走り続けるのは馬には少々酷だったので、それほど移動時間に違いはないのだが。
「ごめんなさい。私がキメラの翼を用意してくるのを忘れたから……」
二人の話を耳にして、馬車の荷台よりチルノがさらに口にする。
自分でそう言うように、彼女は今回に限ってキメラの翼を忘れてきていた。出発がわりと急だったことに加えて、今回は不要だろうとタカを括っていたがための落ち度である。
必要になったのだからデパートで買えば良いのでは? と思うかもしれないが、さにあらず。平和という名のぬるま湯に浸かっていたベンガーナの人々は、超竜軍団の襲来にそうとう肝を冷やされたらしい。
手軽に逃げられるようにと我先に道具を求め、とても購入できるような状況では無かった。
仕方なし、一行はキメラの翼の購入を諦めて出発することになった。全員が馬車に乗れないということもあって、男性は馬車を降りて徒歩で。女性は馬車に乗って移動を。ということになった。
「いや、それこそチルノのせいじゃねぇって……しかし……」
再びポップが口を開き、そしてチルノへと視線を移す。
「よく馬車の上で作業できるな……揺れて手元が狂わねぇのか?」
「大丈夫……いい加減、慣れたからね……」
そう言われた彼女は、下を向いたまま顔を上げることなく返事する。
手には、"
これらは全て、ベンガーナを襲った
それらの素材を使って、チルノは現在ダイの装備の改良の真っ最中であった。
まず鱗はなめして、爪や牙は利用しやすいように加工し直す。それが終われば"騎士の鎧"に鱗を付与して防御力の向上に加えて、熱などの特殊攻撃にも耐えられるようにする――要するに"ドラゴンメイル"を作っているのと同じだ――基となっているのがダイの体格に合わせて装備箇所を絞った"騎士の鎧"のため、本物と比べれば些か装備面積や防御力は劣るが。
武器の方は"
彼らが知る"ドラゴンキラー"は手甲に刃を足した形状のものに対して、現在作っているのは剣に竜の素材を足しているものだ。
まあ、名前の是非はともかくとして、どちらも完成すれば現在のダイにとって心強い装備となるのは間違いなかった。
「でも、この光景を見ているとつくづく思うわよね……やっぱりドラゴンキラーは必要だったって……」
「姫さん、まだそんなこと言ってるのかよ……」
「だってそうでしょ? ベンガーナを襲ってきたのは
ズバリと言い切ってから、レオナは少しだけ悲しそうに顔を伏せる。
「……それに、チルノがこんなに苦労する必要もなかったでしょ?」
生産技能による装備作成は、多少なりとも魔法力を消費する。たとえ魔法力を消費しなくとも休み無く作業し続ければ、誰だろうと疲弊する。
道中の移動時間はおろか、休憩時間までをも加工に費やす友の姿は、レオナでも見ていられないものがあった。そこで"ドラゴンキラー"があれば、少しでも手助けになるだろうという考えからだった。
「心配してくれて、ありがとう。でも、大丈夫よレオナ」
ポップの声に返事をしたときとは違い、顔を上げてチルノは言う。そこには友人の気遣いを耳にしたた、これ以上の心配はさせまいと笑顔を浮かべている。
「作業はもう終わるし……それに、ダイの短剣を作っている時に比べたら、よっぽど楽だったから」
キラーマシンの装甲を加工したダイの短剣は、彼女の自信作だ。とはいえ、生産技能にもまだまだ慣れていない頃に、素材から削り出して短剣を作ったのだ。三ヶ月近く時間が掛かっていた。それに比べれば作業にも慣れ、工程そのものは少なくなっている。彼女の言うように、それと比べれば楽だった。
「……ええっ!? もうできたの!?」
「本当!? 姉ちゃん!!」
「もちろん! ダイ、装備してみて?」
そう言いながら、剣と鎧を手渡していく。まずダイは剣を手に取ると、その具合を確認するように軽く素振りする。多少重くなったように感じるが、扱いにくいということもなく、手にしっかりと馴染む感触に満足したように頷く。
そして鎧を一つ一つ装備していく。見違えるように加工されたそれら武具を目にしながら、ナバラ達が驚いているのを横目で見ながら、ようやく作業が終わったことでチルノは固まった筋肉をほぐすように一つ大きく伸びをした。
「なあ、チルノよ……その、素材はまだ残っているのか……?」
「え……? う、うん……まだ残っているけれど」
――それがどうしたの?
その言葉をチルノは口にすることが出来なかった。なぜならば、次にクロコダインが言うであろう台詞がなんとなく予想出来てしまったからだ。
「疲れているところ、言い難いのだが……オレの装備にも頼めるだろうか? いや、無理にとは言わんのだが……」
とても申し訳なさそうな顔をしながら、クロコダインはそう言う。チルノは予想通りの言葉を耳にして、一度は輝かせた表情を暗くしてから、片付けようとしていた素材へ再び手を伸ばした。
再び始まる加工作業――
二度目ということもあってか作業は比較的スムーズに進んだ。ダイの装備を加工する経験を応用すれば良いので楽だったということもあった。
だが、作業がスムーズに進んだ一番の理由は、チルノの謎のテンションの高さだろう。何故か奇妙なほどのハイテンション――例えるならば徹夜明けの謎の高揚感――でめまぐるしい速度で加工作業を片付けていった。
少女が作業を行うその影で、一人の獣王がとある王女の説教を受けていたのだが……まあ、割愛しておこう。
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――テラン。
ギルドメイン大陸に存在する四大王国の一つであり、そこは神秘の国とも呼ばれている。竜の神を信仰し、森と湖に隣接した静かな国――といえば聞こえが良いかもしれないが、その実態は小国。それもこの世界に存在する各国と比べても国力が最低といっても過言では無い。
その理由はこの国の持つ、自然主義や平和主義にある。
自然を愛して神を敬う国王フォルケンは、いずれ必ず人に災いをもたらすという理由で武器や道具の開発を禁じた。だがそれは同時に国力の衰退を促した。多くの人間は豊かな生活や刺激を求めるものだ。
ましてやすぐ近くにベンガーナという対照的な国があるのだ。すでに国の人口は五十人程度にまで減少しており、緩慢な滅びの道を歩んでいると言って良いだろう。
だがその国は、ナバラとメルルの故郷であり、同時に
「おお~っ!」
竜の神を信仰する国、その国で聖域と呼ばれている湖がある。ナバラとメルルの案内でダイたちはその湖の畔までやってきていた。そして、改めて湖を見るなり、その雄大さにダイたちは思わず声を上げていた。
民家や建物が少なく、自然がそのまま残っている光景は、直前のベンガーナでみた人工的な景観とは真逆だった。湖の青色と木々や草の緑色のコントラストが何とも言えぬ光景を美しさを彩っていた。
「ほら、チルノ。起きて、着いたわよ」
「……ふにゃ?」
荷台で眠っていた少女へ声を掛けながら揺り起こす。
加工作業を完了させた途端、疲労が限界を突破したらしく、チルノはそのまま糸が切れた人形のように眠ってしまった。起こすのも忍びなく、目的地へ到着するまで時間に少しでも休ませてあげようということで彼女は今までゆっくりと眠っていた。
レオナの目覚ましでようやく起きたチルノは、何とも間の抜けた声を上げながらのっそりと顔を上げて辺りを見回す。
「……ここ、どこ? ……ええっ!? なにこれ!!??」
「この綺麗な景色は、目覚ましには十分だったみたいね」
起き抜けのぼーっとした頭に飛び込んできたその景観は、彼女の意識を覚醒させるには十分だったらしい。なんとも可愛らしいその反応にレオナは思わずくすくすと笑ってしまう。
「ああ、そっか……テランについたのね……」
実際に見たのは初めてであるのに、頭の中のどこかでは一度見たことがあるその景色をチルノは噛み締めるように眺め、続いて次に来る相手のことを思い出して気を引き締め直す。
完璧とは呼べないかもしれないが、それでも全力を出せるように場を整えてきたつもりである。
そして――
「…………」
「しかし、なんか寂しいねぇ……王国っていうより村だぜ、こりゃ」
不安そうな目つきで湖を見つめ続けているダイと、周囲の様子を見て感想を漏らしているポップを見ながらチルノは決意する。
彼らを犠牲にするような真似は絶対に起こさせない、と。
本来の歴史では、ダイはこの後の戦いの後に記憶を失う。そしてポップは、
今の二人の状況では、それが再現されるとは思えなかった。
まずポップだが、魔法使いとしての
本来の歴史では未熟だったためにメガンテは不発に終わり、命こそ失うが肉体の欠損などは起こらなかった。その結果に落ち着いたのは幸運以外の何物でも無いだろう。"ヘタをすればバラバラに吹き飛んでカケラも残らねぇ"と言ったのは他ならぬポップ自身である。
もしも、術者の肉体が耐えきれないほどの威力を発揮して、しかもメガンテの呪文が成功してしまったら……
それ以上は考えたくない未来を思い浮かべてしまい、チルノは慌てて思考をダイへと切り替える。
こちらはどちらかと言えば安全材料に近い。本来の歴史よりもレベルが上がり、強くなっているダイであれば、記憶を失わずに済むかも知れない。
理想は、この後のバランとの戦いでそのまま押し切って勝利してしまうことだった。そうすれば危険性はグッと減る。バラン相手にも有利に事を進める可能性だって十分にあるはずだった。
「ナバラさん! この国のどこに、おれの正体を知る手がかりがあるんですか!?」
ダイの声が響き、チルノは思考を中断する。そこには、不安げな目でナバラを見ている弟の姿があった。
「教えてください、お願いします」
どこか焦りを含んではいるが、冷静――少なくともチルノが知る本来の歴史よりも冷静な姿勢が見られた。ベンガーナで人々からの畏怖の視線を浴びていないことがその原因だろう。
だが同時に、急に訪れた自分の正体を知る機会に、焦りと不安が混じっているようだ。ゆっくりとナバラに頭を下げた弟の様子を見て、チルノはそう判断する。
「ついといで……」
ダイの様子を感じ取ったのだろう。ナバラは言葉少なくそう言うと、湖の畔を歩き出した。
やがて辿り着いたのは、湖の中央に位置する祭壇だった。浮島に道を作ったような場所に存在するそこは、大理石で作られたであろう簡素な神殿と、その中には台座に座する
そしてその台座には、見覚えのある紋章が刻まれていた。
「こっ、この紋章は……!?」
「ああ……間違いない」
「やっぱり見覚えがあるみたいだね。これが、
見た途端、ポップとクロコダインが揃って声を上げた。その反応から、ナバラは確信したように口にする。
「これが、おれの額に浮き出る紋章……?」
「ええ。そうよ」
「へぇ……ダイ君って、こんなのが浮き出るのね……」
ダイの確認するような言葉にチルノは頷き、そしてレオナは初めて見たその紋章の形を興味深そうに眺めていた。
「テランは竜の神をたたえる国……そしてこの紋章は、竜の神の力のあらわれとして敬われ、この紋章を額に抱く者こそ……!」
「
ポップの絞り出す様な声に、ナバラはゆっくりと頷いた。
「……
「…………」
「……人かどうかは、わかりません」
「!!!」
レオナの疑問の言葉にナバラは言いにくいのだろう無言のままおり、やがてメルルが後を継ぐようにゆっくりと口を開いた。だがその言葉はダイに大きな衝撃を与える。
「私たちは"神の使い"として受け取っています。伝説によれば
「
二人の言葉を耳にして、ダイは俯いたように表情を曇らせた。そしてポップ達は何とも言えない視線をダイへと向ける。
無理もないだろう。急に"お前は人では無い伝説の存在だ"などと言われ、それがましてやまだ二十歳に満たない子供では。受け止めることも折り合いを付けることも、出来るはずが無い。
押し黙ってしまった全員を見て、チルノはゆっくりと歩み出た。
「……ダイ、怖い?」
意気消沈する弟の頭へそっと手を当て、優しく撫でながらそう問いかける。
「姉ちゃん……うん。だって、急に
その言葉にダイは素直に自身の内に溜まった感情を語り始めた。それでも幾らかは遠慮しているのだろう、言い淀みがちなそれが何よりの証拠だ。
「……いい、ダイ。落ち着いて、よく聞いて……」
だったら自分が何をすべきか。そんなことはもはや考えるまでも無い。
「ポップもレオナも、クロコダインもヒュンケルも、パプニカの人たちはもちろん、私だって、今更ダイの正体が何であろうと気にしないわ」
「姉ちゃん、でも……!」
反論しかけたところで、ダイの口に人差し指を押しつけて強引に黙らせると、チルノはさらに言葉を続ける。
「言っておくけど、私の方がよっぽど得体の知れない存在なんだからね」
「え?」
弟へ向けて、珍しく勝ち誇ったような笑顔を見せる姉の様子に、ダイの思考が止まる。
「ダイは、デルムリン島でブラスおじいちゃんに育てられた子供で、
ダイへ指を突き付けながらそう言うが、何が言いたいのか分からずぽかんとした表情を見せたままだった。その隙を逃さないように、続いて自分へ指を向けながら言う。
「私は、デルムリン島でブラスおじいちゃんに育てられた子供で、メラもホイミも呪文の一切が契約できなかったくせに、わけのわからない呪文みたいなものが使える」
そこまで言うと一拍だけ間を開け、さらに言葉を続ける。
「それだけじゃないわよ。ダイの持ってる短剣を作ったのだって、その剣や鎧を加工したのも私。マァムには武術の基礎を教えたし、ヒュンケルには"魂の貝殻"を渡して来た。ダイと同じ勉強をおじいちゃんから習っているのに、私だけ賢者とか呼ばれているのよ。なのに自分の正体なんて何にも分かってない!」
この頃にはダイも周りの仲間たちも、チルノが何を言いたいのか朧気ながら分かってきたようだった。
「……つまり、私の勝ち。お姉ちゃんに勝とうなんて、十年早い」
「いや、勝ち負けの問題じゃねーだろ……」
「あ、あはは……ものすごい理屈ね……」
「クッ、ハハハハッ!」
ポップは力なくツッコミを入れ、レオナは乾いた笑いを漏らす。そしてクロコダインは漂い始めた微妙な空気を吹き飛ばすように豪快に笑った。その笑いにつられるように、ダイの顔色もゆっくりと良くなっていく。
「……これだけ得体の知れない姉が身内にいるんだから、弟がちょっとくらい変わっていても、些細な事よ。天と地と海を味方に変える? 私だって、雷を落とせば風だって操れる。津波だって起こせるし、地震だって起こしてみせる! ダイが
そこまで強気に言ってから一転、チルノは優しく微笑んだ。
「自分よりももっと正体不明の存在がいるんだもの、どっしりと構えてなさい……それともダイは、変な力を持っている私は化け物だから切り捨てる?」
「そんなことないよ! 姉ちゃんは……あっ!!」
慌てて反論しかけて、ダイはようやく気がついた。自分が姉の事を大切に思うように、姉もまた自分のことを思ってくれていた。それだけではない、仲間達だってそうだ。
考えてみれば、
「あはは……でも、そうだね……ねえ、姉ちゃん」
「ん?」
「俺が倒れそうになったらさ、支えてくれる?」
ダイに取ってみれば、その言葉は彼なりに勇気を振り絞ったつもりの言葉だった。
「……今だけは、ね。次からはレオナに頼みなさい」
「え、姉ちゃん!」
「チルノ!?」
思わせぶりな視線と共にそう言う。それだけで何を言いたいのかをなんとなく察した二人は、慌てて声を荒げた。
「それに、ポップももっと頼ってあげなさい。私じゃあどうしても家族の視線になっちゃうから……男同士、言いたいことも簡単に言えるでしょ?」
「ああ、そうだぜダイ……頼りねぇかもしれないけどよ、おれだってお前の力になりてぇんだ!」
「そうだぞ。オレなど人間ですらないが、ダイの力になりたいと思っている。オレにそう思わせてくれたお前ならば、きっと大丈夫だ」
その言葉を後押しするように、ポップもまた力強くそう言う。クロコダインもまた同じように、ダイの背中を後押しする。その顔を見ているだけで、ついさっきまでダイの胸中にあったモヤモヤとした気持ちがどんどん霧消していくのが自分でもよく分かった。
「……なるほど、
「ええ、そうですね。おばあさま……」
ダイたちのやり取りを黙って聞いていたナバラ達は、いたずらに不安を煽ってしまったように思え、お互いに言葉少なく声を掛け合い自省する。
「ぼうや、もう少しだけいいかい?」
「ナバラさん?」
「……この湖の底には、誰も近寄る事を許されない神殿があるんだよ。竜の神の魂が眠る場所として、テランの聖域と化したところがね。もしも
そこまで口にして、ナバラはダイの表情を見る。そして、自分がその話をしたことが間違いで無かったと確信を得た。
「……さっきまで、この話は言うべきかどうか迷っていたんだけどねぇ……その様子なら大丈夫そうだね」
「ああ、大丈夫! おれ、もう大丈夫です!」
吹っ切れた表情でそう言うと、神殿へと向かうべくダイは湖へと近寄っていく。
「じゃあ、行ってくるよ」
「なあ、一人で大丈夫か? おれたちも行った方が……」
「そもそも神殿には、
「へ? そうなのか? いや、でもせめて、神殿の前までくらいは……」
「大丈夫だよ、ポップ!」
食い下がろうとするポップへ向けて、ダイは言う。
「みんなの事を信頼しているから、おれ、一人で行きたいんだ。だから、みんなはここで……おれが帰ってくるまで待ってて。自分の正体がなんだろうと、必ず戻ってくるからさ」
恥ずかしかったのだろう。ダイはそこまで言うと、顔を赤らめながら逃げるようにして湖へと飛び込んで行った。
ポップが慌てて近寄った頃には飛び込みの水しぶきも収まり、湖底へと潜るダイの姿はもう影も見えなくなっていた。
「ダイーーッ!! お前の帰る場所は、おれたちが守っていてやる! だから、お前の正体がなんだろうと……必ず帰ってこいよ!!」
湖面へ向けてポップは大声を投げかける。
その姿を仲間達は暖かく見守っていた。
■□■□■□■□■□■□■
「でも、驚いたぜ」
「……何が?」
無言で湖面を眺めていたチルノへ、ポップがそう声を掛ける。既に先ほどの興奮も幾ばくか沈静化する程度には時間が経過しており、それぞれの頭は冷静になっていた。
果たして何を言われるのか、そう思いながらチルノは声の方を向く。
「さっきのダイへの説得だよ。いや、なんつーか、チルノはもっとおっとりしているっていうか、優しく諭す印象があってさ。そこに来てあの無茶苦茶な言葉だろ?」
「ああ! それはあたしも思ったわ。チルノってダイ君には甘いのよね」
「やめて……結構恥ずかしかったんだから……」
二人の言葉にチルノは顔を赤らめて小声で反論する。
思い返してみれば、自分で口にした言葉でありながら、なんとも恥知らずな言葉だった。相手が反論する間を与えず、自分がどれだけのことが出来るかを並べた上で、勢いで強引に押し切っただけなのだ。彼女にしてみれば、痛みをより大きな痛みで消すような無理矢理な真似に過ぎないため、褒められる様なことには思えなかった。
「なんだよ~、照れるこたぁねぇだろ?」
「そうだな。あの場面で誰よりも先に動き、ダイを立ち直らせたのだ。誇っても良いことだ」
そう言う二人の言葉に、だがチルノは首を横に振る。
「それは、私が家族だからって理由も少なからずあると思うの」
「え?」
「さっきダイにも言ったけれど、私たちは家族だったから、無条件に味方になってくれるって甘えをどこかで思っている気がするの。家族だから伝わる言葉があれば、逆に他人だからこそ言える言葉もあると思う」
そしてレオナとポップの二人へ向けて、深々と頭を下げる。
「レオナ、貴方はダイが初めて接した人間で、異性の友達なの。そしてポップは初めての、それも同性の友達。だから、ダイのことはお願いね」
「当たり前だろ! 今更何を言ってんだよ!!」
「そうそう。むしろ、わざわざチルノからお願いされた事の方が心外よ。あたしたちのことを、そんな風に思っていたの?」
だがチルノの言葉を聞いた二人は憤慨していた。わざわざ言葉にしなくても、二人ともダイへの気持ちは同じだった。それを聞いたチルノは、当たり前のことを言ったことを少しだけ謝罪する。
「ううん、そういうわけじゃなくて……ただ、もしものことがあるかもしれないから……」
「はいはい! この話はもう、おしまい。別の話題にしましょう」
湿っぽくなった空気を吹き飛ばすような明るい声でそう言うと、レオナは真剣な口調で尋ねる。
「クロコダイン、バランってどんな相手なの?」
「……オレも多くは知らんぞ」
「構わないわ。あたしたちはそれ以上に情報が無いんだから」
次に来ると言っていたバランの情報。テランへの道中は
その言葉にクロコダインは、少しの前置きを挟んでから口に出す。
「おそらく、軍団長の中でも最強だ。剣も呪文も、な。かつてオレは、各々が得意とする分野では軍団長は魔軍司令――ハドラーを上回ると言ったな?」
「あ、ああ……」
かつてネイル村でクロコダインと初めて対峙したときのことを思い出しながら、ポップは頷く。そのときのクロコダインは、確かにハドラーをも上回るほどの恐ろしい怪力を発揮して見せた。
「だがそれも、ヤツには当てはまらんだろう……おそらくだが、バランの地力はハドラーを上回っている。まともに戦えば、ハドラーは万に一つも勝てんだろう」
「そりゃ一体、どうして……?」
「それは……ムッ!?」
クロコダインが口を開こうとしたときだった。不意に湖に変化が訪れた。突如として湖面が暴れ出し、瞬く間に巨大な渦が湖に発生する。つい先ほどまでは波紋一つ起こっておらず、常に穏やかさを見せていた湖からは考えられないほどの変化である。
「な、なんだこりゃ……!?」
「なにが起きたの!?」
「ウ……ウムムムムッ! こ、これは……」
その急激過ぎる変化を目の当たりにして、ナバラとメルルの二人は身を震わせていた。占い師である二人は、邪悪な気配を察知する能力を持っている。それが彼女たちに警告を発しているのだ。
「……いる……! すさまじい力を持った何かが……この下に!!」
その警告に導かれるまま、常識では考えられない程の力を持った者の存在をメルルは口にする。その言葉が合図となったように、湖底から一筋の光柱が凄まじい勢いで立ち上った。
■□■□■□■□■□■□■
突然生み出された光の柱へその場の全員が目を向ける。そんな中、レオナが目聡く光の中の人影を見つけた。
「あ、あれを見て! 今、ダイ君が!!」
「えっ!?」
レオナの言葉にその場に全員がそちらを向く。そこには確かに、光の中を吹き飛ばされていくダイの姿があった。
「ダイッ!!」
「任せろ!」
一行の中で一番外側に位置取っていたクロコダインがそう叫ぶと、素早くダイの影を追う。その時にはダイは光の中から弾かれたように湖の畔へと吹き飛んでいた。鈍足のように思われるかもしれないが、クロコダインの足はそこまで遅く無い。
ダイへ手を伸ばすと、そのまま衝撃を殺すように上手く受け止めた。
「ナイスキャッチ!」
「むっ、これは……!?」
「どうした、おっさん! ……って、おいダイ! 一体何があったんだ!?」
腕の中のダイを一瞥するなり、クロコダインが怪訝な声を上げる。それに反応したポップが駆け寄り、そして叫んだ。
ダイは大きなダメージを負っていた。所々に見える傷が痛々しく、意識を失っているのか目を閉じたままだ。見た目からだけでも不調なことがよく分かる。
だがポップの声に目覚めたらしく、意識を取り戻すやいなや、湖の方へと鋭い視線を向ける。ダイの視線に促されるようにして、ポップ達もそちらを見て、そして気付いた。
未だ煌々と立ち上っている光の柱を背負いながら、一人の男が空中からダイたちのことを見下ろしていた。
黒目黒髪に加えて、立派な口ひげを蓄えている。簡素だが立派そうな鎧を身に纏い、背中には長剣を携えていた。左目にはどこか竜の横顔を連想させるデザインの片眼鏡――それは
そして、その男の額には、
「あの紋章は、ダイと同じ!! そっ、それじゃあ……!!」
「あの男も……
「……バラン!!」
「ええっ!?」
苦々しく口を開いたクロコダインの言葉に、レオナとポップが揃って驚きの声を上げた。
対するバランは、久しぶりに再会したであろう元同僚の言葉を耳にしながらも、それらに何の感慨も浮かべることは無く、冷ややかな視線を維持したままだ。
「バランって、超竜軍団の……!?」
「じゃあ、魔王軍にも
「そんなはずは……伝説によると、
メルルも加わり驚きの声を上げる中、チルノだけはダイへそっと近づくと回復魔法を唱えた。バランを刺激することのないよう効果の弱い魔法であったが、それでもダイの額から険が取れて穏やかなそれへと変わっていく。
しかしそれもダイの全快まで持つことはなかった。
バランは地に降り立ち、巨大な壁のように一行の前へと立ち塞がる。
「そう、この私こそこの時代ただ一人の……真の
バランが立ち塞がったことで、ダイもまたクロコダインから降りると剣を握り直す。
「だが、本来この世に一人しか産まれぬはずの
「……ッ!」
「今こそ、
「そんなの、絶対に嫌だ! 何度も言わせるな!!」
チルノの治療を継続して受け続けながらも、闘志変わらぬ瞳でバランを睨みつける。
既に一度、湖底の竜の神殿でバランとダイは同じ問答をしている。そのときも今回も、どちらもダイの答えは"いいえ"である。痛い目にあったにも拘わらず、意見を少したりとも曲げることがないダイの姿に、バランは嘆息する。
「何故そこまで人間に肩入れする?」
「……っ!?」
その質問の意図が分からず、ダイは言葉に詰まる。その反応を心当たり有りとみたのか、バランはさらに言葉を続けた。
「今はまだ良い。子供の頃の
「そんなことはない! 確かに人間の中には酷い人だっている! でも、ちゃんと話せば理解してくれる人だって、勇気を振り絞って正しいことをする人だって間違いなくいるんだ!! おれはそんな未来を信じない! そんな未来は変えてみせる!!」
そう言うダイの脳裏に浮かぶのは、彼が今まで経験してきた過去の出来事だった。ベンガーナでは恩師アバンの名を利用した詐欺にあい、
だがそれでも、お礼を言ってくれた幼い少女のことを忘れたわけでは無い。ヒュンケルに対する恨みを抱えながら、それでも不器用にも折り合いを付けて共に歩んでいこうとしたパプニカ兵達の姿を忘れることなどできない。
レオナを、ポップを、アバンを。そして、常に彼の隣にいて、味方でいてくれた姉のことを思えば、どんな困難だって克服できるとそう思えた。
「ああっ! そうだぜダイ!! お前はおれたちの仲間だ!! たとえ正体がなんだろうと迫害なんざするもんか!!」
「そうよ!! 人間を滅ぼすための手伝いなんて絶対させたりするものですか!!」
「ポップ、レオナ……!」
仲間のその言葉に、ダイは万の味方を得たように思えた。何よりも心強いその言葉に、ダイの表情が自然と明るくなる。だが同時に、仲間をこの戦いに巻き込む事に対する忌避感も覚えていた。
ほんの少し戦っただけだが、それでもバランの力は圧倒的だ。それはダイが骨身に染みてよく分かっている。
そしてポップは、そんな実力の差を理解した上で挑んでいるのか、それとも感じ取れないのか"輝きの杖"をバランへと突きつけて、いつでも攻撃呪文を放てるようにしている。
「待って、ポップ! 私にも、少しだけ言わせて!」
今にも飛びかかりそうなポップへ向けて片手で機先を制しながら、チルノが一歩前へと進み出る。立場を考えれば、バランの言い分に一番我慢がならないのは間違いなく彼女だろう。それを理解しているポップは、チルノへと前を譲った。
「何だ、貴様は?」
「私の事なんてどうだって良いでしょう? それよりもバラン、さっきの言葉……人間が
「……ッ!! 貴様には、関係の無いことだ……」
――やっぱり、か。
一瞬だけ見せた苦々しい反応をチルノは見つめる。
本来の歴史を知るチルノは、バランが人間から傷を受けたことを知っている。その経験を未だ克服出来ていないのかどうかを確認したかったのが目的の一つ。
そしてもう一つの目的は、バランは並大抵の呪文を無効化することを知っている。ならばポップに無理に大呪文を撃たせる必要もないので、少しだけ話を進めるためだ。このまま口出しをしなければ、ポップはベタンの呪文を使っていただろう。そんな大呪文を無駄撃ちさせる訳にはいかない。
「そう……じゃあ、もう一つだけ聞かせて。ダイを連れて行こうとしているけれど、あなたにそんな権利があるの? ダイの意思を無視して連れて行く資格を持っているの?」
「そうよ! ダイ君は渡さないわ!!」
「そうだぜ! 同族だからって自由にする権利はねぇはずだ!!」
チルノの言葉に乗るように、口々に叫ぶ。だがバランは瞳を閉じて、その言葉が止むのを待ってから、口を開いた。
「権利なら、ある……! 親が子供をどう扱おうと勝手のはず……!」
「…………ッ!?」
「……は?」
「……なんて……? いま、なんて言ったの……!?」
それは、聞こえなかったと言うよりも、頭が言葉の意味を理解することを拒否していたのだろう。ダイもポップもレオナも、クロコダインもナバラもメルルもが、その言葉の意味を再確認するようにバランを見つめる。
無数の視線が集まるのを肌で感じながら、バランは再び口を開く。
「この子は私の息子だと言ったのだ。本当の名は……」
――その名前を、チルノだけは知っている。彼女だけは、別の意味を込めた視線を向ける。
「ディーノ!!」
水落ちは生存フラグ、なんて言います。
ならば説明は――
次回、育ての親のターン。