半日ほどの時間をかけて、ダイとチルノの二人はロモスの城下町までたどり着いていた。キメラとバピラスに海を越えてもらい、さらに魔の森まで突っ切った強行軍のおかげである。
ダイにとっては初めて見る町にたくさんの人間にと、興味津々、興奮の種は尽きずにいた。チルノにとっても、この世界に来てから町を見たのは初めてである。ダイ程とは言わないまでも、多少は興奮していた。
「ダイ、目立つからあんまりキョロキョロしないの」
「だって姉ちゃん。おれ、見るもの全部が初めてで……」
「気持ちはわかるけど、今はそれよりも優先すべきことがあるでしょ。我慢しなきゃ」
ダイを見ることで浮足立ちそうになる心を落ち着けながら、まずは情報収集からだと考えて通りを進む。そして、話を比較的聞きやすいだろうとアタリを付けて、井戸端会議をしていたおばさんたちに声をかける。
「すみません、ちょっとよろしいでしょうか?」
「あら、かわいいお嬢さんだねぇ。こんなおばさんたちに何かようかい?」
「こちらに勇者様のご一行がいらしていると聞きまして、一目会いたいと思って遠路遥々ロモスまで来たのです。何かご存知でしょうか?」
「まあ礼儀正しい子だねぇ。どこかのお嬢様かねぇ。ああ、ごめんなさいね。勇者様のことだったかい?」
「ああ、それなら知ってるわよ。勇者でろりん様のことだろう? ついこの間も魔の島の魔物退治に出かけたとか」
「なんだい、でろりん様のことかい。それだったら今朝にも帰ってきて王様のところへ行ったって話だよ」
「そういや、お城でパーティがあるとかなんとか言ってたねぇ。ってことは、でろりん様が何かやったんだろうねぇ」
「そ、そうですか……ありがとうございました。失礼します!」
世界が違っても、お話し好きのおばさんパワーというのは変わらないものらしく、またそのネットワークも侮れないようであった。数人のおばさんたちの断片的な情報から全体像が見えたところを見計らい、チルノは頭を下げると足早にその場から離れていった。
「ふぅ……」
「おつかれ、姉ちゃん。ところで、アレ……」
「え?」
ダイの待つ路地まで戻ると、休む間もなくダイがとある方向を見るように促してきた。何があるのかと思いつつそちらを見やると、そこには昨日に見たばかりの僧侶服を着た女の姿があった。
「あれって、偽勇者たちの!?」
「うん。姉ちゃんが離れて少ししてから、気が付いたらあそこにいたんだ」
隠れて様子を見ていると、ウキウキとした軽やかな足取りで町の一軒の服屋へと入っていった。
「そういえば、お城でパーティがあるとか……よし。ダイ、お化けきのこの入った筒ってあるかしら? あと、空の筒もあるといいんだけど」
「うん、待ってて。えーっと、これだよ。空の筒は……そうだ! デルパ! はい、これ」
「ありがと。じゃあ、ちょっと行ってくるから」
空の筒など持っていなかったため、スライムの入っていた筒の一本からモンスターを解放してから渡す。小さなスライムならどこかに隠すのも楽だろうということからの人選(モンスター選?)である。
ダイから二本の魔法の筒を受け取り、チルノもずるぼんを追って服屋に入っていった。
「これとこれ! あーっと、これももらうわ!!」
「お客さん、こんなに買いこんでもいいんですかい!?」
「なによ文句あるの!? 金ならいくらでもあるんだからね!」
チルノが服屋に入ると、ちょうどずるぼんが手当たり次第に服を手にとっては、会計に持ってきていたところだった。あまりに豪快な買いっぷりに店の主人が不安そうな声を上げ、それを聞いたずるぼんが『金はある!』とばかりに大声で言い返す。
「(なるほど、これが原作通りってやつなのね……)……デルパ」
そういえばこんなシーンだったなぁ。と思い出しながら、店員たちの死角に上手く隠れて魔法の筒からお化けきのこを解放する。
「いきなりで悪いんだけど、これを被って、あいつのところまで行って店中に甘い息を充満させられる?」
手渡された帽子をかぶりながら、お化けきのこはチルノの言葉に頷き、店内をゆっくりと歩いていく。なるほど、遠目に見れば小柄な女性に見えないこともない。
そのままお化けきのこはずるぼんまで近寄ると、彼女が選ぼうとしていた服を横から手に取る。
「あっ!? なにすんのよ! それはあたしが……! ああっ……!?」
自分が取ろうとしていた服を横取りされると思い、ずるぼんが反応するもう遅かった。彼女が相手を確認した時には、おばけきのこは既に甘い息を吐きだしており、至近距離からまともにそれを浴びたずるぼんは抵抗する間もなく眠りに落ちていく。
そしてそれは店員も同様だった。碌に鍛えてすらいない一般人が甘い息に抗えるはずもなく、まとめてぐっすりと眠ってしまう。
「よし、いい子ね。よくやってくれたわ」
「♪」
鼻と口を手で押さえて甘い息の効果を受けないようにしながら、様子を伺っていた棚の影から姿を見せて、チルノはお化けきのこの頭――きのこの笠の部分――を撫でながらそう言った。
そして改めてずるぼんを確認する。完全に眠っており、これならそう簡単には目を覚ますこともないだろう。
「イルイル」
一本はお化けきのこに、そしてもう一本の魔法の筒をずるぼんに向けて、封じ込めのキーワードを唱えた。筒はその呪文に従い、それぞれの対象を中に封じ込めた。
魔法の筒は封印の対象が強ければ抵抗することも可能だという話だったが、はてさて彼女の思った通り、対象がここまで深く寝ていれば抵抗など出来ようはずもなかった。いや、原作ではでろりんが割と簡単にイルイルの呪文で封印されていたのだから、もしかしたら眠らせなくとも成功していた可能性もあったかもしれない。
「まあ、作戦成功ってことで。ごめんね服屋さん。後で謝りにくるから」
今考えることではないと思い直し、チルノは眠ったままの店主たちに謝罪の言葉を投げかけると店から出て行った。
「ん……ハッ!」
「ピィ!」
「あら、お目覚め?」
「やっとつかまえたぞ。この悪党めっ!」
「お、お前たちは……!?」
ずるぼんが目を覚ますと、デルムリン島で見かけた子供二人の姿が目に飛び込んできた。あたりの様子を見ると、どこかの小屋か何かだろう。身動きできないように縄でしっかりと縛られており、その上、見張り員のようにスライムが数匹彼女を囲んでいる。
何故こうなったのかと言えば、イルイルの呪文でずるぼんを捕獲したチルノは、そのままダイと合流して、この小屋まで移動。デルパで解放後に縛り上げ、そして今に至る。というわけである。
ずるぼんは知る由もないだろうが。
「まさか、こんなに早く見つかるなんて……」
「へっへーんだ。そうそうおまえらの思いどおりにいくもんか!」
「予想はしていたけれど、やっぱりゴメちゃんを献上したら、あとはさっさと逃げるつもりだったみたいね」
手持ち無沙汰なのか魔法の筒を片手でもてあそびながら、チルノはずるぼんに向けて言う。
「仮に私たちが取り戻しに追いかけても、貴方たちはもう逃げた後。足取りも見つからない。それどころか、報復に来たモンスターの相手はロモスの兵たちがするから、自分たちは怪我もしない。魂胆はこんなところかしら?」
「う……」
「黙って見過ごすわけには、いかないわね」
「さあ、ゴメちゃんの居場所を言えっ!! 王宮のどこだ!!」
「ケッ、だれがいうもんか」
チルノの言葉に一瞬顔色を変えるものの、あくまで強気の姿勢は崩さないようである。ダイの言葉にも耳を貸さずにどこ吹く風だ。
「ああ、大丈夫よダイ。尋問するまでもないから」
「はぁ? 何を言ってるんだい?」
今にも飛び掛かりそうなほどエキサイトしつつあるダイを片手で制しつつ、チルノはずるぼんの瞳を正面から覗き込む。
「な、なにしてるのさ……? まさか目を見ればわかる、なんて言うんじゃ……」
「なるほど。ゴメちゃんは王宮の中、小さな檻に閉じ込められて王様のそばにいる。デルムリン島のモンスターと戦い、世にも珍しいモンスターを王様に献上したというその功績を称えられて、今日の夜に王宮の庭でパーティを行う、か。だったら、その時に取り返すのがよさそうね」
「なっ! なんでそのことを!?」
原作知識によるカンニングと奥様ネットワークによる裏付けの結果なのだが、それを教えてやる義理はチルノにはなかった。
「それじゃ次は、仲間のことを――」
「言うわけないに決まっているだろう……」
「まぞっほは不思議な踊りに弱い。へろへろは金目の物に弱い。なるほどねぇ、これは使えそう」
「……っ!!」
「でろりんは……うーん、これじゃあ使えないわね。でも、小さくまとまっていて、弱点もない代わりに目立った強みもないみたいだから、正攻法でもいけそうね」
「な、なんで……名前まで……」
重ねて言うが、これは原作知識によるカンニングを利用したハッタリである。だが、ずるぼんからしてみればチルノの言葉は脅威以外の何物でもなかった。デルムリン島でも捕まってからも、仲間の名前を口にしたことはなかったはずだ。にも拘わらず、名前をぴたりと言い当てたばかりか、弱点までも正確に言い当てたのだ。恐れずにいられようか。
「だってさ、ダイ」
「え……姉ちゃん、なんでわかったのさ??」
「実はねぇ、私は人の目を見れば考えていることがわかるのよ。特にずるぼんは単純だったから、手に取るようにわかったわ」
「ええっ! そうだったの!?」
「そろそろ夕暮れだし、こうなると夜の闇に紛れてお城に潜入かしら。遅れないうちに向かいましょうか? それじゃあスラリン、見張りはよろしくね」
「ピィ!」
手にしていた魔法の筒を腰に差すと、チルノは小屋の外に向かう。ダイもその後を追って小屋から出ていった。
「あ、ダイ。さっきの嘘だから」
小屋から少し離れ、少なくとも話し声は絶対に聞こえないであろう距離まで進んでから、チルノは唐突に口を開いた。
「さっきのって?」
「目を見れば考えがわかるってやつ」
「ええ、そうだったの!?」
「当り前でしょう。そんな力あるわけないじゃない」
「え、でもだって……」
チルノの言葉を聞いたずるぼんの表情は、なぜわかったと言わんばかりだった。人生経験の少ないダイであっても読み取れるくらいにわかりやすい程である。それがどうして。
「知ってる知識を小出しにしながら、相手の反応を見てハッタリをかましていただけよ。弱点だって、魔法使いが不思議な踊りに弱いのは当たり前だし、あの戦士みたいなタイプはお金か女に弱いって相場が決まってるの」
「じゃ、じゃあ最後のは?」
「冷静になって思い返すと、あのイオラってそこまでの力量じゃなかったのよね。未熟なのを無理矢理使っている、みたいな? それに武器は戦士の方が、魔法は魔法使いの方が強いのは定説だから。一般的に当てはまることしか言ってないのよ」
「ええーっ! なにそれ!?」
「予想の答え合わせみたいなものだけど、結構有効なのよ」
ロモス城に向かいながら語る姉の姿に、そんな知識をどこで身に着けたのだろう、とダイは少しだけ疑問に思った。
辺りは夜の帳に包まれていた。中天には満月が輝き、星の明かりと合わせてロモス城を優しく照らす。いつもは静かな夜も、だが、今夜だけは様相が違っていた。
城の中庭では篝火が幾つも焚かれ、夜の世界を赤々と映しだす。集まった人々は談笑を行い、静寂の世界に喧騒を招き寄せている。並べられたテーブルには豪華な食べ物や高級な酒が所狭しと置かれており、人々は今宵のパーティの主役の話題で持ち切りだった。
主賓・来賓はもちろん、一般兵士に至るまでがパーティを心待ちにしており、注意力が散漫になっていたのだろう。だからこそ、城壁の上から中庭を見つめる二人分の小さな影には誰も気づかなかった。
「うわ、すごい人数……どうする、姉ちゃん?」
「まずはゴメちゃんの居場所の確認ね。多分、王様のそばにいると思うけど、それが本当に正しいかどうか。これはダイにやってもらいたいんだけど、出来る? 王宮に忍び込むことになるんだけれど」
「大丈夫だよ。あのくらいなら、なんとかなると思う」
「じゃあ、私は陽動担当ね。ダイがゴメちゃんを見つけたら、筒に入っているみんなを呼び出して暴れるから、その隙に回収すること。その時には、最初の混乱しているうちに奪うのよ? 冷静になると王様の護衛ってことで兵士の数が増えて手が出せなくなるから」
「最初だね……わかった!」
忍び込むというのであれば、運動能力のより高いダイが担当するのは当然のことだった。だがそれは、陽動役というより危険度の高い役割を姉が担当することになるのだ。そのくらいはダイもわかるため、ゴメちゃんを回収したらすぐに合流しようと決意する。
「たしか、ドラキーの入った筒があったでしょ? それとキメラの筒以外は全部私が持つわ」
「え、ドラキーをどうするの?」
「ゴメちゃんを見つけたら、ドラキーを解放して合図代わりにするの。それを見て、こっちでも陽動作戦を開始するわ。ドラキーなら暗くても動けるし、適任でしょ?」
「ああ、そっか」
なるほど。とダイは感心した。いつものことながら、頭を使ったら姉には到底かないそうもない。持っていた筒を、ドラキーとキメラの入っていた二本を除いてすべて渡す。
「キメラは言うまでもないけれど、最悪の場合の脱出用ね。落ち合うのはスラリンたちを待たせているあの小屋で。それじゃ、作戦開始ね。健闘を祈るわよ」
「うん、行ってくる」
ダイが足音を控えめにして走り去っていったのを確認すると、身をかがめながらも中庭に目をやって、おかしな様子がないか確認する。一度失敗すれば、警備が厳重になってしまい、二度目の難易度は格段に増すだろう。だからこそ、チルノはここで何としてでも勝負を決めたかった。
そして、ダイが単独行動をしてから二十分もしただろうか――チルノとしては二時間くらい経っていたように感じられたが――王宮の上空へフラフラと飛び出す一匹のドラキーが姿を見せる。待っていた瞬間を確認した途端、チルノは反射的に身体を上げていた。
「……来たッ!! みんな、頼むわよ。デルパッ!!」
持てるだけの魔法の筒を手にすると、中庭に向けて投擲していく。そして魔法の筒はデルパの呪文に従い、中に封じていたモンスターを解放した。マンドリルが、あばれザルが、ギガンテスが、サーベルウルフが、だいおうイカが、ゴールドマンが、この時のために連れてきていた、戦闘力が高く暴れて目立つモンスターたちが次々に姿に出現する。
「げえええっ!?」
「うわぁあ!!」
「みんな、出来るだけ怪我はさせないように注意して! 難しいとは思うけど、出来る限りお願い!!」
平穏なパーティ会場は、阿鼻叫喚に包まれた。突然現れた魔物の群れに、パーティ参加者たちは悲鳴を上げながら逃げ惑う。先にいる人間を押しのけるように我先に駆け出して行き、人にぶつかろうが物にぶつかろうがお構いなしだ。テーブルの上に並んでいた料理が皿ごと落ちて割れ、酒瓶が砕け散って辺りにアルコールの匂いを漂わせる。
モンスターたちはそんな人間たちの恐怖を煽るように追いかけまわし、時には威嚇するように攻撃して存在を誇示する。
何人かの兵士は混乱にも負けずにモンスターの相手をしようと試みるが、人波に押されてほとんど成果が上がらず、運よくモンスターの前まで辿り着いた兵士もいたものの、ほぼ一方的に蹂躙されていた。兵士は集団で連携するからこそ強いのであって、個人が突出した強さは持っていなかった。彼らからしてみれば、不幸中の幸いは、まだ死人も戦闘不能者も出ていないことだろう。
というのも、モンスターたちはチルノの言葉に従い、多少の怪我人は出してもそれ以上の被害は出さないように気を付けているからだ。
「なっ……! なにごとじゃあこれはっ!!」
「モンスターの襲撃だあーーっ!!」
騒ぎを聞きつけたロモス王が驚愕の声を上げる。そんな様子を見て、チルノは作戦が順調に行っているであろう手応えを感じた。
「よし、私も……【レビテト】」
程よく混乱してきたことを確認してから、チルノは空中浮遊を行う魔法を唱えて城壁の上から中庭に向けて飛び降りる。だが、レビテトの魔法の効果を受けて勢いのほとんどは殺され、危なげなく着地することができた。
「ごめんなさい。【ホールド】!」
「うわっ!」
「な、なんだ!?」
続いて、必死でモンスターの相手をしている兵士たちに向けて、相手を麻痺させる魔法を使う。無警戒のところに魔法を叩き込まれ、抵抗する暇さえ与えられずに兵士たちは身動きが取れなくなり無力化されていった。
「おのれぇ!」
だがいつまでもそんな混乱に囚われない存在がいた。でろりん達だ。彼らは最初こそ驚いていたものの、多少は場数を踏んでいたおかげか、すぐに冷静さを取り戻して武器を手に取り、人並みをかき分けてモンスターたちに向かっていく。
「出てきたわね。こいつらの相手は私の役目、っと……みんな!! その調子よ!!」
モンスターの陰に隠れて今までその姿を衆目に晒さないようにしていたが、でろりん達相手にはさすがにそうするわけにもいかない。目立つ場所に移動すると、わざと大声を出して偽勇者たちの注意を引き付けるようにした。
「あいつ、あの島の小娘だっ!!」
「なんだとぉっ!!」
「まさか、この騒ぎはあいつの仕業か!?」
まず、まぞっほがチルノに気付き、続いてへろへろが大声で叫ぶ。でろりんはモンスターの相手をしつつ苛立ちの声を上げた。
「へっ、とっ捕まえてやる!!」
「へろへろ待て!」
でろりんの静止の声も聴かず、へろへろはチルノへ向けて駆け出して行く。
「一人だけか、まあ仕方ないわね……デルパ!」
へろへろが駆け寄ってくるのを横目で確認すると、対へろへろ用の魔法の筒を使う。中から現れたのはおどる宝石。その姿は名前の通り、袋に大量の宝石で飾り付けられたようなモンスターだ。
「!! ああ、宝石だぁ~~」
そしておどる宝石を見た瞬間に、チルノのことなどそっちのけでへろへろはおどる宝石を追いかけていった。
原作通りに金目の物に弱いその姿を見て、チルノは少しだけ安堵した。デルムリン島でチルノを見ていた目つきから、女の方がもっと弱い可能性もあるかと思っていたのだが、杞憂に終わりホッとしたのだ。
へろへろは必死で追い回すものの、おどる宝石は素早く、加えて事前にチルノからどう動くかの打ち合わせも済んでいるのだ。鬼さんこちら、手のなる方へ。と言わんばかりに、へろへろを翻弄しながら、とある方向へと誘導していった。
やがてわざと動きを遅くして、疲れているので今なら捕まえられるぞ。と相手に思わせるように動いた。そしてその誘惑に、へろへろは耐えることなく一気に飛びついた。そして、気が付けば何か硬いものに顔から突っ込んでいた。
「へ?」
痛みに正気を取り戻した時にはすでに遅かった。ぶつかったのはゴールドマンの足であり、ゴールドマンは今まさにへろへろに向けて拳を振り下ろしたところだった。避けることも防御することも出来ず、憐れへろへろはキツい一撃の餌食となった。
それを見てチルノはまず一人、と心の中で呟く。
「へろへろ!」
「小娘、ずいぶんと小賢しい真似をしてくれるじゃないか」
へろへろの相手が完了したと思いきや、続いてモンスターを突破してきたでろりんとまぞっほが同時に現れた。その後ろには、剣や魔法で傷ついたと思しきモンスターたちが倒れているのが見える。どうやら粗方のモンスターは片づけてきたようだ。
「あらら、二対一なんて……デルパ!!」
焦る姿を見せつつも、まぞっほがいるためセオリー通りに、魔法の筒からパペットマンを呼び出した。
「げえっ!」
不思議な踊りという、相手のMPを奪う特殊能力を使うパペットマンは、魔法使いにとっては天敵ともいえる相手だ。まぞっほもその例に漏れず、見た瞬間に反射的に身を竦ませてしまう。確かに、まぞっほにパペットマンを使うというのは間違ってはいないだろう。
「はああぁっ!!」
だが、原作とは違い、現在はでろりんが一緒にいるのだ。彼は魔法を使うが、同時に剣術もそれなりに使いこなす。不思議な踊りを踊っている最中のパペットマンたちに向けて、でろりんは真一文字に剣を振るって切り倒していく。
「確かに厄介だが、それだけで勝てると思ったのか?」
不思議な踊りを踊られるよりも早く――たとえ踊られてもMPが尽きる前に――倒してしまえばいい。とばかりに速攻で片づけられた。これにはチルノも誤算だった。パペットマンの戦闘能力はそれほど高くないことを逆手に取られた形だ。原作では上手く行ったことと、直前にへろへろが同じ手口で倒せたことから攻め手が短絡的になりすぎていたのがそもそもの原因である。
「す、すまん。助かったわい」
「う……」
そして脱落しかけていたまぞっほも復帰して戦列に加わる。形勢は変わらず二対一のまま。不利な状況にチルノは無意識のうちに後ろに下がっていた。
「今度はこっちから行くぞ!」
剣を手にしたでろりんがチルノに向けて切りかかってくる。対するチルノは素手だ。攻撃を防ぐことも受け流すことも出来ないため、でろりんの斬撃を必死でかわす。ダイとの稽古がなければとっくに切られていただろう。
「そら、油断していていいのかな?」
「メラ!」
でろりんがそう言うと、不意にチルノから距離を取った。そしてそれに合わせるようにして、まぞっほがメラをチルノへ向けて打ち込む。一瞬の間隙を突いた連携攻撃である。一緒に組んでいるだけのことはあり、この程度の連携はやってのけるようだ。
「ブ、【ブリザド】!」
自分に向かって突き進む火球に、チルノは寸でのところで冷気の魔法を発動させてぶつける。炎と冷気が互いに打ち消しあって相殺され、間一髪直撃を避けられたものの、威力はメラの方が高かったらしく、熱気が辺りに漂う。
「はぁ……はぁ……」
「避けたか。だったらこのままなます切りにしてやるよ、怪物娘」
誰が怪物娘よ! と抗議の声を上げる間もなく、再びでろりんが切りかかってきた。太刀筋は見切れる。まだ対応は可能なはず。そう判断するものの、チルノの体は思う様に動かない。修羅場慣れしていない少女ではそれも仕方ないことだった。
「うっ……!」
ついに剣を避け損ね、左腕に浅い裂傷が走った。だがそれを気にする暇もなく、再び斬撃が襲い掛かってくる。辛うじて直撃は避けたものの、刃が髪を掠めて、赤い毛髪が数本はらりと宙を舞う。
「終わりだ」
「まてっ!!」
「小僧!! 貴様もいたのか!!」
気が付けば、いつの間にかダイがチルノの隣まで来ていた。片手には――兵士の誰かが落としたものを拾ったのか――剣を持ち、もう片方の手には鉄製の小さな檻を抱えている。チルノを庇う様に立つその姿は、彼女の目には弟がいっぱしの剣士のように見えた。
「ダイ!? 一人でも逃げればよかったのに……」
「姉ちゃんを置いていけるわけないだろ!」
「……そうね。逆の立場なら私もそうしてた。ごめん。それで、ゴメちゃんは!?」
「ここにいるよ」
そう言いながらダイはゴメちゃんが閉じ込められている小さな檻を見せた。それを見た途端にまぞっほが反応する。
「そのスライムを渡すんじゃ! このクソガキどもが!!」
「うるさい! おれの友達をさらった悪党め!! お前らは許すもんか!!」
ゴメちゃんの入った檻をチルノに渡すと、手にした剣ででろりんへと切りかかっていく。
「フン、勇者の力を見くびるなよ!!」
「お前みたいなのが、勇者なもんか!!」
「なっ……くっ……!」
ダイの攻撃を余裕を持って受け止めようとして、でろりんの剣は軽く弾かれた。自分よりも年下のガキの剣だというのに、予想よりもずっと鋭く重い一撃だったのだ。慌てて構えなおし、ダイの打ち込みを必死で受け止める。金属同士のぶつかり合う音が鈍く響き、じわじわとでろりんは押されていく。
「これはいかんな。ちっと手伝いを」
「させない!」
ダイ達の戦いを見て加勢に行こうとしたまぞっほを、チルノが回り込んで遮った。
「小娘が! 邪魔をするな、メ……」
「【サイレス】!!」
「……!! ……っ!?……っ!?」
チルノの行動にまぞっほは苛立ちを隠そうともせず、呪文を放とうとした。だがそれに先んじてチルノの魔法が発動し、まぞっほの呪文を封じる。いや、封じたのは呪文だけではない。言葉そのものだ。対象を沈黙状態にする魔法を使い、まぞっほの呪文を阻止したのだ。
「それじゃあね、【スリプル】」
続いて使われたのは相手を睡眠状態にする魔法。わずかに抵抗するものの結局は抗いきれずにまぞっほの意識は闇へと沈み、それを確認したチルノはようやく安堵の吐息した。そしてダイの方へと視線を向ける。
「ば、ばかな……」
「でやあああぁぁっ!!」
チルノが見たのは、まさに決着のつく直前といったところだった。ダイの攻撃をでろりんは受け止めきれず、ついには完全に弾き飛ばされた。それでも剣だけは手放さなかったものの、この瞬間を好機と見たダイは大上段に振りかぶる。
「雷刃!!」
「ひいっ!!」
ダイの秘剣を受け止めようとして、逆にでろりんの剣はその威力によって粉々に砕け散った。それだけでは飽き足らず、振り下ろされた剣は勢い余って地面を大きく切り裂く。
「あ、あわわわ……」
剣の勢いを受け止めきれず、でろりんは尻餅をつき、さらには完全に泡を食った表情で自身の砕けた剣とえぐれた地面、そしてダイを見比べる。もしももう少しダイの近くにいたのなら、きっと砕けていたのは自分だっただろう。えぐれていたのは自分だっただろう。それが容易に想像できてしまい、闘志が見る見るうちに萎えていく。
もはや趨勢は決したと思ったその時だった。
「待ちなっ!! そこまでだよ!」
そこには小屋で縛り上げられているはずのずるぼんがあった。しかも、見張り役として残していたはずのスライムたちを網でひとまとめにして、短剣を突き付けている。まごうことなき人質――モンスター質?――である。
「!? み、みんな!」
「スラリン!? あなたがいて何やってるのよ……」
額を押さえて、あちゃーという表情を見せるチルノ。とはいうものの、どこかでそうなるのではないかという考えもあった。彼女のおぼろげな記憶の中にもスライムたちが捕まっているのがあったのだ。だったらばこうなってもしかたない、歴史の強制力というやつ――いや、単にスライムたちがスケベなだけかもしれないが。
とはいえ、人質に取られているのには違いない。
「さあ、ぼうや。さっさとその剣を捨てな!」
「は、ははっ、でかしたぞずるぼん」
まだ抜けた腰が戻らないため、地面に座ったままという情けない恰好ではあるものの、状況が変化したことで再びでろりんが調子づいていく。ずるぼんはこんな重い物は持っていられないとスライムたちを捕まえた網を地面に降ろす。だが、短剣は向けたままだ。いつでも攻撃できるといわんばかりに、チルノとダイから視線は外さない。
「ち、ちきしょう……」
ダイが悔しそうな表情を見せるが、反対にチルノは呆れた表情でずるぼんに尋ねる。
「ねえ、貴方たちは仮にも勇者の一行を名乗っているんでしょ? そんなことして恥ずかしくないの?」
「ふん。なんとでもいいな」
「そう? じゃあ、二つ言わせてもらうわね」
チルノは指を一本立てて、ずるぼんに向ける。
「まず、一つ。人質に取るのなら、自分よりも弱い相手にしないと意味がないわよ?」
「はあ!? こんなスライムごときが、あたしよりも強いってのかい?」
「二つ。スラリン、許可するわ。やっちゃいなさい」
「ホホホ! 何を言っているのやら」
二本目の指を立てながら、スライムたちへ向けて許可の合図を出す。
その合図を受けて、スライムたちが集まり、一つになっていく。合体の影響により一気に体積が増え、内側から弾け飛ばんとする勢いで膨らむスライムたちの圧力がかかり、網はミシミシと悲鳴を上げる。
「ずるぼん、お前、後ろ、後ろ!!」
「後ろがどうかし……ぎょええええーーっ!!」
でろりんに指摘されてようやく、彼女はスライムたちがどうなっているのかに気付いた。そこにいたのはキングスライム――スライムたちが合体したモンスター――である。見た目としてはただスライムが大きくなっただけと言ってもいいだろう。問題はその量だ。合体したことで体積も重量も合体前の合計よりも遥かに巨大になり、どこから用意したのか立派な王冠まで被っている。
これこそチルノがスラリンたちを集めて、長らく特訓することでようやく出来るようになった奥の手の合体である。実際に試してみたところ、スライムたちが集まったとは思えないほどの圧倒的なパワーを発揮したため、よほどのことがない限りはチルノの許可なしで合体しないように厳命していた。
尤も彼女自身、合体の必要があることは覚えていたものの、今回はその必要はなくなるように多少なりとも注意したはずなのだが、こうして役に立ってしまった。不本意な結果ではあるが、結果オーライというやつである。
「ひ!!」
キングスライムは巨体を膨らませて、ずるぼんへ圧し掛かる。至近距離の上にこの巨体が相手であっては、咄嗟に回避するには時間もなければ素早さも足りなかった。ぷちっ、という音が聞こえそうなほど、見事に潰されて撃沈する。
「……【スリプル】」
「あああ……ぐーぐー」
頼りにしていた仲間がやられて呆然としたでろりんへ、チルノは睡眠魔法を叩き込んだ。すでに心の折れていた彼ではまともな抵抗すらすることなく、すぐさま眠りに落ちていた。
「これで、全員ね……?」
「まだだよ姉ちゃん。ゴメちゃんを出してやらないと……てぃっ!!」
ダイはゴメちゃんの檻の横で剣を振るうと、鉄の檻が見事に切断された。今のダイの威力ならば可能だとは思っていたが、その切れ味は見ていたチルノが思わず感嘆の声を上げるほどだ。
「ピー!!」
久方ぶりの自由を得たゴメちゃんは嬉しそうに飛び出し、ダイとチルノの周りをぐるぐると旋回している。そして怪我をしていたはずのモンスターたちも、いつの間にか傷をおしてダイたちのそばまで集まっていた。
「みんな、ありがとうね。そんなになるまで戦ってくれて……」
チルノはモンスターたちの頑張りに報いるために、癒しの魔法を発動させる。
だが、そんなモンスターたちを、今度はロモス兵たちが取り囲んだ。
「…………」
現ロモス国王シナナは、途中からではあるが、この騒動の中心部で何が起こったのかを見ていた。具体的には、でろりん達とチルノが戦い、そしてダイが加勢に来て、決着がつくまでである。
モンスターたちに見事な指示を出し、時には魔法を操るチルノの姿を。大人相手にも臆さず剣を振るい、そして軽々と倒してしまうダイの姿を。そして、自身が勇者と認めたでろりんたちの醜態をもだ。
今も彼の目の前では、助けてくれたことを感謝するように飛び回るゴールデンメタルスライムの姿と、駆け寄ってきたモンスターたちの姿がある。それは彼の目には、友を助けるために死力を尽くした仲間たちのように見えた。
今も、チルノは仲間たちを慈しむような表情を浮かべながら魔法を使い、傷を回復させていく。大勢のモンスターたちを一度に回復させているということは……まさかあれは、ベホマラーか!? ラリホーにマホトーン、ヒャドと思しき呪文を使っていたのは見ていたが、まさかそこまでの高位呪文を使えるとは、ひょっとしてあの少女は賢者なのだろうか。そう思ったところで、ダイたちの周りをロモス兵たちが取り囲んだ。
「待て!」
だが、取り囲んだ兵たちに停止命令を出すと、彼はダイたちの前までゆっくりと歩いていく。だがそれを見たチルノは、すぐさま地に伏して頭を下げた。いわゆる土下座して額を付けている姿勢である。
「姉ちゃん?」
「ロモス国王陛下でいらっしゃいますか?」
「うむ。そうじゃが……」
「お初にお目にかかります。私は、デルムリン島――皆さんが魔の島と呼ぶ南海の孤島に住んでおります。名前をチルノと言います」
初めて見る姉の姿にダイは狼狽するが、チルノは構わず続けた。
「恐れながら、申し上げます。お城に忍び込み、宴を台無しにして、兵士の皆さんを傷つけたことは誠に申し訳ございません。ですが、でろりんに連れ去られたゴールデンメタルスライムは、ゴメちゃんは、私たちの家族なんです。この子を取り戻すためには、必要なことだったんです」
「……チルノ、と言ったね?」
「はい」
「まずは頭を上げなさい」
「……ですが」
「いいから上げなさい。これは命令だ」
その言葉に、正座は崩さずに顔だけを上げた。自然、チルノとシナナの視線がぶつかる。神妙なその様子に、ダイもモンスターも兵士たちも、みな固唾を飲んで二人の行動を見守っていた。
「どうして、こんなことをしたのかね?」
「それは……失礼ながら、私たちが、ゴメちゃんは連れ去られただけ。悪いのはでろりん達だ。と訴えたところで、聞き入れられるとは到底思えなかったからです。城下で調べましたが、でろりん達は英雄扱いです。私たちがいくら訴えたところで、子供の戯言とばかりに一笑に付されたことでしょう」
「そう思ったから、こんな乱暴な手段に訴えたということかな」
「はい。ですが、考えたのは私一人です。ダイも、モンスターのみんなも、私の命令に従っただけです。悪いのは、私一人だけです。処罰するのなら、どうか私だけでお願いします」
「姉ちゃん!? 何馬鹿なことを言ってるんだよ!!」
チルノが口にした言葉に、ダイは勿論、モンスターたちも憤慨した様子を見せた。鳴き声を上げて、異論を訴える。だが、チルノは聞き入れなかった。
「いいから貴方たちは黙っていなさい!! 王様、悪いのは私です」
「違う! 姉ちゃんが悪いなら、俺だって同じだ!! みんなだって同じことを言ってるよ」
互いに仲間を庇いあい、罪を被ろうとするその姿は、強い絆を結んだ仲間のようにシナナには見えた。少なくとも、でろりん達からは感じ取れなかったほどに強い信頼感である。
しばし逡巡したのち、やがてシナナはゆっくりと息を吐いた。
「……どうやら、わしの目が曇っておったようじゃ。いかに強く外見が立派でも、子供を殺そうとしたり、人質をとったりする男が勇者であるはずがない。それが見抜けなかった自分が恥ずかしいわい」
周囲で話を聞いていた人たちもまた、シナナの言葉に同意するように頷いた。
「それに引き換え、お主たちはまだ幼いながらも類まれなる知恵と勇気を持ち、互いに支えあっておる。いや、でろりんを圧倒した剣の腕前を見るに、強さも併せ持っておるな」
そして、側近が持っていた覇者の冠を手に取ると、ダイの前に進み出る。
「ダイくん、と言ったね?」
「は、はい! おれの名前はダイです!」
「ダイくん、いや、未来の勇者ダイよ。この覇者の冠を被るのは、そなたのような勇敢な少年こそがふさわしい」
緊張しているダイへ向けて、シナナは手にしていた覇者の冠を被せた。一瞬、何が起こったのか分からなかったが、自身の身に起きたことを認識するとダイは途端にうろたえる。
「えっ、ええええっ!?」
「良かったじゃない。似合ってるわよ、未来の勇者さま」
「からかわないでよ!!」
照れを隠すように叫ぶダイの姿に、シナナもモンスターも、兵士たちも皆が笑った。そして、ひとしきり笑いが収まると、シナナは続いてチルノへと向き直った。
「さて、チルノや」
「はい」
「此度の一件は、わしがでろりんのことを見抜けなかったが故の出来事。よって、そなたたちへのお咎めはなしじゃ」
「あ、ありがとうございます!」
その言葉を聞き、チルノは心底ホッとした。原作では無罪放免だと知ってはいたが、同じ流れになる保証はどこにもない。でろりん達の化けの皮が剥がれ、それを上手く王様が知ってくれたからこそのこの結果だ。そう考えていたのだ。全ての罪が自分にあると言った言葉に嘘はないが、それでも王様直々の罪に問わないとの言葉は彼女にはありがたかった。
もちろん、それも一助にはなったが、何よりもチルノが全ての原因は自分にあると言い、率先して罪を被ろうとした姿勢。仲間のためならば全てを投げ出そうとしたその気持ちを、シナナは何よりも評価していたのだが、これはチルノ本人も預かり知らぬことである。
「未来の賢者チルノよ。覇者の冠はダイへと授けてしまったが、そなたにもわしから何かを授けたいと思う。遠慮はいらん、何でも申してみよ」
「……え、未来の賢者?」
「うむ。そなたは様々な呪文を使いこなし、今回の計画も考えたと聞く。それらはすべて、賢者の名を冠するにふさわしい」
「あ……あの……その……」
私の名前で知将ポジションを与えるとか、どう考えても失敗フラグにしか思えないので、褒賞はその称号を辞退させてください! と反射的に叫びたかったのだが、それだけは必死で堪えた。
常識的な部分がその行動にブレーキをかける。そもそも、この連想はチルノ以外にはどう頑張っても伝わらないのだ。この騒ぎを無罪にしてもらっただけでもありがたいのに、その称号は突っぱねます。などとは流石に言えなかった。
「ありがとう、ございます……」
「へへっ、すげーや姉ちゃん! よっ、未来の賢者さま!」
「ああ、ありがとうね、ダイ」
必死で笑顔を浮かべて王様にそう返すのが精いっぱいだった。ダイがここぞとばかりにやり返すものの、チルノは覇気のない言葉を口にするだけだ。
なるほど、純粋な弟に比べて、姉の方は大人びており礼儀も弁えている。過大な評価に緊張しているのだろうと、周りの大人たちは判断した。実際はツッコミを入れるのを必死で我慢しているだけだとは想像できようはずもない。
「それと、褒賞のことなのですが……」
「うむ」
「実はここに来る前に、城下の服屋でお化けきのこの甘い息を店中に蔓延させてしまいました。その謝罪をしたいのです」
だが何時までも惚けているわけにもいかない。褒賞、つまりは今なら恩赦でうやむやに出来る、とばかりに犠牲になってもらった服屋のことを持ち出した。一方のシナナは、予想だにしなかった返答に目を丸くするも、すぐに笑顔を浮かべる。
「ははは、なるほど。あいわかった、明日にでもその服屋には、わしの名で謝罪といくらかの賠償をしておこう」
「ありがとうございます。それと、厚かましいのですが、服屋のついででもう一つだけ……」
「なにかな?」
「私もダイも、もう服がボロボロでして。デルムリン島には服屋などないので、ダイの分と合わせて布の服を十着ほどいただけるでしょうか?」
もう一つ、というからにはこちらが本命かと思ったものの、出てきたのは何とも慎ましい望みだった。なるほど、小さな罪でもしっかりと悔いており、そして服を希望した時にも自分だけでなくダイの分も願う。本当に、よくできた立派な子だ。とシナナはますますチルノへ好感を持った。
「服だけって、姉ちゃんは欲がないなぁ」
「じゃあ、ダイは何をお願いするの?」
「えっ、そりゃ、美味しい食べ物をお腹いっぱいとか?」
その言葉が引き金だった。純粋すぎる二人の様子に、シナナは大きく噴き出す。
「わっはっは、なるほど。姉弟揃って欲がないのう。よかろう、今宵は宴の予定だったのじゃ。まだ料理は残っておるじゃろう? 未来の勇者と賢者の誕生を祝う宴に変更じゃ。そのくらいはさせてもらおう」
「そんな、申し訳ないです」
「よいよい。歓待を受けぬのは逆に失礼というものじゃぞ、覚えておきたまえ。もちろん、モンスターたちも一緒じゃ」
王のその言葉に、モンスターたちも喜びの声を上げた。
「じゃあ、せめて傷ついた兵士さんたちの治療をさせてください。そのくらいはさせてもらわないと、私の気が済みません」
ダイやモンスターたちを尻目に、チルノは怪我をした兵士たちに回復呪文を一通りかけてから、宴へと参加した。皆は、未来の英雄候補の誕生に喜び、宴の空気も相まって大いに騒ぐ。それは中心であるはずのチルノとダイが気後れするほどの、大層な賑わいだった。
■□■□■□■□■□■□■
「じいちゃん! おれの覇者の冠どこにやったんだ!?」
ロモスから戻って数日後。デルムリン島に戻ったダイたちは、真新しい服に身を包み、平和な日常を過ごしていた。でろりん達の襲撃の傷跡もすっかりと癒えたある日のこと。覇者の冠がないことに気付いたダイが大騒ぎを始めた。
ちなみに覇者の冠は、普段は人の頭部を模した木製の台座に乗せて、家の棚に大事に飾ってある。なお、この台座はチルノのお手製だ。日々の掃除も欠かさずに行っており、埃一つなく奇麗に磨かれている……やっているのはダイではなくチルノだが。それが無くなっているのだ。
「あ~ん? 知らんなあ~」
「なになに、何の騒ぎ?」
ダイの騒ぎに気付いたチルノが顔を出す。
「姉ちゃんは知らない? 覇者の冠がどっかに行っちゃったんだよぉ!!」
「さっき部屋の掃除してた時にはあったはずよ。その後は知らないけれど」
「じゃあやっぱりじいちゃんだろ! あれは王様がくれた、おれの宝物なんだぜ!!」
「バッカモ~~ン! 宝物なら自分でしっかりと管理せんかい!!」
ブラスは手にした杖でダイの頭を一発叩くと、ふと名案を思い付いたように目を細める。
「そういえば、このところのゴタゴタですっかり忘れておったが、ダイや。お主はメラを使えるようになっておったのう」
「へ、うん……」
「であれば、久しぶりにワシが稽古をつけてやろう。呪文はワシの得意技じゃ。チルノに取られていた分も含めて、た~~っぷりと、のう?」
ニヤリ、と笑ったブラスの顔に、ダイは言い知れぬ恐怖を感じた。いや、それはダイでなくても感じ取れる。これまで教師役はチルノに持っていかれてばっかりだったのだ。それが久しぶりに活躍できそうな機会に恵まれた。そして冠を無くしたという今の状況と合わされば修行内容がどうなるか、それは想像に難くない。
「えーっと……おれ、姉ちゃんに教わるから……」
「あら、呪文ならおじいちゃんでしょ? 私は教えられないわよ」
「じゃ、じゃあ姉ちゃんも一緒に!」
「何一つ契約できなかった私に何を習えっていうの? うう、悲しいけれど、呪文については私が入る余地は何一つないのね……」
よよよ、とばかりに泣き真似までして見せる。
「そういうことじゃ。さてダイよ、遠慮することはないぞ。しばらくはみっちり特訓してやろう」
「え、い……いやだああぁぁっ!!」
ダイの絶叫がデルムリン島に響き渡る。
そんな声を、覇者の冠を被ったゴールデンメタルスライムと一匹のキングスライムが笑顔で聞いていた。
原作のこのお話は色々と描写不足なので、その辺は独自設定となっています。移動時間とかも。なお、おばちゃん井戸端会議ネットワークは最強です。異論は認めない。
スライムたちですが、原作でキングスライムになったのはなんででしょうね? あれ、明確な説明はなかったはず。元々合体スライムだったのかな? でもDQ4のモンスターは魔界に住んでるって設定だし……
でも合体はさせたかったので、ダイ&ゴメちゃんよろしく、スラリンをチルノのコンビにさせて、大体一緒にいるので合体の特訓もしている。という理由づけに使いました。うん、強引。きっともう出番はない。
原作追ってるだけですね。