「ん……ここは……?」
チルノはゆっくりと目を開いた。彼女がまず感じたのは、身体を包み込むような柔らかな感覚。続いて視界に飛び込んできたのは、どこか見たことのある天井だった。
「姉ちゃん!!」
「ピイイィィッ!!」
次に耳に飛び込んできたのは、嬉しそうなダイとスラリンの声である。
「よかった……目が覚めたんだね……」
「え、と……ダイ?」
歓喜の涙を目に浮かべているダイの姿を見て、チルノは自分がベッドに寝ていることをようやく理解した。上体を起こそうとすると、慌ててダイが手を貸してきた。その手を握りながらどうにかチルノは身体を起こす。
すると彼女の胸元めがけてスラリンが飛び込んでくる。開いていた方の手でスラリンを受け止めながら、チルノは自身の現状をゆっくりと理解していく。
「ここって、テランのお城?」
「ええ、そうよ。あの後、大変だったんだから」
つぶやいたチルノの言葉に返事をしたのはレオナだった。見れば、チルノが寝ていたベッドから少し離れた位置にレオナがおり、彼女の近くにはメルルもいた。どちらも眠ったまま目を覚まさないチルノを心配そうにしていたのだろう。彼女たちの顔には、疲労の色が感じられた。
そして、その二人からもう少し離れた場所にはヒュンケルと――
「ラーハルト……?」
予想だにしない相手がいたことにチルノは驚かされる。何しろ彼が仲間になったのはチルノが意識を失っている間の出来事だ。経過を知らないため、どのような経緯で仲間になったのかを含めて彼女は一切知らないのだから。
「ああ。色々とあったのだが、ラーハルトはオレたちの仲間になった」
「仲間に……?」
本来の歴史でも、ラーハルトは確かにダイたちの仲間として加わる。だがそれは今よりももっと未来での出来事。戦い続けて傷つき倒れたヒュンケルに代わり、大魔王との戦いに向けて参戦することになるのだ。
だというのに、それよりも遙かに早い加入にチルノは戸惑いを隠せなかった。
「驚きはごもっとも、そして疑われるのも当然かと思います。ですが、オレはバラン様から託されました。ディーノ様を守ることを。そして、人の心を学ぶことを」
チルノの態度を見て、ラーハルトは自分が信用できないと思われていると判断したのだろう。彼はチルノの前に移動すると、彼女へ向けて膝をつき、臣下の礼を弁えたような態度と口調でそう言い始めた。
「お願いです、どうか行動を共にさせていただけませんでしょうか!? チルノ様!!」
「チルノ、様……!?」
その呼称は、ある意味ではチルノの意識を最も覚醒させた一言だった。バランとダイへの忠誠心の厚いラーハルトから様付けで呼ばれるなど、予想だにしていなかったことだ。
「なんで私を様付けで……?」
だが驚くチルノに向けて、ラーハルトは当然のこととばかりに続ける。
「チルノ様はディーノ様の姉にして、人の心を教え、これまで導いてこられたお方です。そして、いざというときには全てを投げ出してでもディーノ様をお救いできる。まさに、ディーノ様の相手に相応しいお方です。そのような方を、どうして呼び捨てになどできましょうか?」
「あ、はは……」
ラーハルトの重すぎる忠誠心に、チルノは苦笑いすることしかできなかった。とあれ、ラーハルトの立場から考えればその結論に至ったのもわからなくはない。
「わかりました。それに、ラーハルトほどの実力者なら、こっちからお願いしたいくらいです」
「では……!!」
チルノの言葉に了承を得られたとばかりに、ラーハルトの顔が晴れる。
「ただ、ダイのことはダイって呼んであげてもらえるかな? ダイにとってその名前は、まだ色々と受け止めきれないだろうから……」
チルノのお願いの言葉に、ラーハルトは自身の思慮が足りなかったことを痛感する。なるほど確かに、親子同士で壮絶な死闘を繰り広げたばかりなのだ。そしてダイにとっても馴染みの薄いディーノという名前では、むしろ嫌なことの方が多いだろう。
「かしこまりました。では、ダイ様と呼ばせていただきます」
「だそうよ、ダイ?」
「うん……」
どこかくすぐったいような、居心地の悪いような、そんな態度を見せながらもダイは様付けで呼ばれることを受け入れる。
「そういえば、私の格好のことなんだけど。誰かが着替えさせてくれたの?」
少し動いて身体のだるさを解消しようとしたところ、周りから「まだ寝ていろ」と止められて、チルノはしぶしぶベッドへと戻った。そのときに、自分が"魔道士のローブ"ではなく簡素な服を着ていたことに気づいた。そして何の気になしに、そのことを尋ねる。
「あ……それは私です」
メルルが遠慮がちに声を上げる。
「チルノさんの着ていたのは、ボロボロでしたので。勝手ですが、処分させていただきました。今は、王様に手配していただいた物に着替えさせていただきました」
直撃ではないとはいえ、バランのギガデインを受けたのだ。魔道士のローブはあちこちが焦げ付き、穴が開いて、防具としての機能を失っていた。チルノにこのままこんなボロ布のようなものを着せるのは心苦しく思い、着替えさせていた。
チルノが着ているのは、分類すれただの"布の服"でしかない。それも意識のないチルノへとメルルが着替えさせたのだ。
「そう、ありがとうねメルル。気を遣わせちゃったみたいで」
「いっ、いえ! そんなことは!!」
にっこりと笑ってお礼の言葉を述べるチルノに対して、メルルは若干赤らがかった顔で答える。
「あ、一応言っておくけれど。男どもには覗かせていないわよ。あたしが部屋の前で見張ってたからね」
後に続けとばかりに、レオナが口を挟む。着替えの最中、部屋の中にいたのはメルルとチルノだけという念入りっぷりを彼女は発揮していたのだ。
「それで、服のこともそうだったんだけれど……私がいない間に何があったの?」
若干砕けた空気になったことを察しながら、チルノは本題を切り出した。
彼女が知りたかったのは、自身が意識を失っている間に何があったかだ。ラーハルトが仲間となった時点で、何か大きな変節があったことは間違いないだろう。
そして、彼女が意識を取り戻したのはバランが竜の血を与えた直後。その間に何があったのか、再び意識を失って先ほど目覚めるまでに何があったのか。
「それもそうね。じゃあ、チルノがダイ君にメガザルの呪文を使ったところから――」
メガザル? とレオナの言葉に一瞬何を言っているのか分からず首をひねったが、続く説明に何が起こったのかをチルノもようやく知ることができた。
そのままレオナは言葉を続け、ダイが記憶を取り戻してからバランが去るまでの間、何が起こったのかをとくとくと語り続ける。
「――それで、意識を失ったチルノをこの部屋まで運んできたの。テラン王の好意で部屋を貸してもらえたのよ」
長かった話も、ようやく終わる。ダイの記憶喪失の時も含めて、テラン王には少なくない借りを作ってしまったようである。
「後はあなたも知っての通り、目覚めるまでの間、ダイ君はずっとあなたの隣を動かなかったわ。ダイ君だって疲れているはずなのに、一睡もしないままね」
「そう……そんなことがあったのね」
一言一句聞き逃すまいと説明に集中していたが、それが終わったことでチルノもまた少しだけ息を吐いた。その説明を聞いて何より驚かされたのは、ダイが自分の記憶と力を使っていたことだった。
「言われてみれば、ダイと一緒に戦っていたことを朧気に覚えているような……?」
すでに眠気が限界に近いのか、とろんとした半目になっているダイの頭を少しだけ撫でながら、チルノはあのときの感覚を思い出そうとする。とはいえ、本人の主観でははっきりとした記憶など何もない。ただ、ダイの願いのままに行動していたような感覚の残滓が、彼女の意識の中に残っているだけだ。
「そうなの?」
「うん。でも、言われればそうだったかも、くらいの感覚でしかないわね」
「あのときのダイは、鬼気迫る物があった。それに姉と共に戦っていると自信満々に言っていたからな。間違いではないのだろう」
ヒュンケルの言葉を聞きながら、それでもチルノにはやはり自覚は薄いままだった。それは、自覚していない以上に、懸念点があったからだ。
チルノの懸念点は、なぜ彼女の力が戻ったかである。
あくまで一時的に貸し与えていたものだから。ダイが不要と願ったから。戦闘が終わったのだから自動的に効果を失った。など、いくつか理由は考えられる。
だが、思いつく限り最悪の可能性は……
そう考えながら、チルノは横目でチラリとゴメちゃんを盗み見る。ダイの隣で笑顔を振りまいているゴメちゃんを――正確には、記憶にあるゴメちゃんと今のゴメちゃんとのサイズ差を比べていた。
――変わってない……かなぁ?
しっかりと定規で計ったでもない。あくまで感覚だけの結論でしかないのだが、それでもゴメちゃんの大きさに差は見られないように思えた。ということは、ゴメちゃんの力――神の涙の力――を使っていないということだろうか。
チルノがこっそりと自分の中で確認した限りでは、使える力も記憶のどちらもゆうごうの魔法を使う前と違いがないように思えた。
そう考えていた辺りで、ついにはダイの眠気に限界が来たらしい。チルノの膝元に頭を乗せた体勢のまま、眠りについていた。
そんな弟の様子を微笑ましく思いながら、チルノはもう一つの疑問を口にする。
「そういえば、ポップとクロコダインは?」
「あの二人ならば、外の見張りに出ている。バランとの激戦が終わった後だからな、魔王軍が追撃してくるかもしれん」
この場にいない二人の名前を出すと、ヒュンケルが答えた。
「ダイはお前の傍を離れようとはしないし、そもそも本来ならば寝ていなければおかしいほど疲弊していたのだ。本当ならばオレも立つつもりだったのだが……」
そこまで言うとヒュンケルは一旦言葉を切り、ラーハルトに鋭い視線を飛ばす。
「その男が何かしでかさんかと、心配でな」
ヒュンケルの口ぶりは、あくまでラーハルトのことを信じ切っていないようだった。だが、その本心は違う。同じような立場でダイたちに受け入れられたヒュンケルは、似たような経緯で仲間になったラーハルトのことを心配していたのだ。
それは、少しだけ先輩だった者の意地とでも言うべきか。不慣れなことがあればフォロー程度はしてやろうという意思がそこにはあった。
「フッ、それこそいらん心配だ。それにチルノ様にも認められた以上、お前がオレを見張る必要もあるまい?」
ラーハルトもヒュンケルの気持ちが少しは分かっているのだろう。ヒュンケルの言葉を挑発するような態度で無用と言い切り、心配せずとも仲間の加勢に行ってはどうだと遠回しに忠告する。
チルノはその二人のやりとりを聞きながら、本来の歴史を思い出していた。彼女の記憶では、この場の見張りはポップ一人が立つはずだった。そこに襲いかかるのは、ハドラーとザボエラの二人である。油断していたポップはザボエラの姦計にはまり、危機に陥る。
今回の場合はクロコダインもいるのだから、本来の歴史よりは安全であるはずだ。だが決して油断はできない。
「でも、ポップたちだって疲れているんだろうし……交代で見張りに行った方が……」
「呼んだかい?」
どうにかポップたちを助けに行こうと口に仕掛けたところで、部屋の扉が突然開くとポップが顔を出した。その背後には、クロコダインの巨体も見え隠れしている。
「お、チルノじゃねえか! ようやく目が覚めたんだな!」
「ポップ君!? どうしてここに!?」
「見張りはどうした!?」
チルノが目を覚ましたことを喜ぶが、レオナとヒュンケルがポップを口々に責め立てる。何しろ今まさに、見張りに出ていたという話題になったばかりである。その当人がこうして顔を出しているのだ。何がどうなったかと問いただしたくなるのも当然である。突然の騒がしさにダイが目を覚ましたほどの騒がしさだ。
「いや、そう慌てるなって。まずは紹介したい人がいるんだよ」
「紹介したい人?」
その言葉を合図にしたように、ポップの後ろからのっそりと姿を現す。
「よぅ、おめぇら」
「マトリフさん!?」
そこには、かの大魔道士の姿があった。
■□■□■□■□■□■□■
マトリフの襲来を、チルノは驚きの目で見ていた。いや、マトリフ自身が来るのは彼女も知っていた事実である。
そのため、ここに来たことには驚かない。
彼女が驚いていたのは、マトリフが普通に現れたことだ。
本来の歴史でも、危機に陥ったポップを助けにマトリフが現れる。ハドラーのベギラマを自身のベギラマで相殺しつつポップにキアリーの呪文を使い、ハドラーが
その戦闘の一切がないまま、姿を見せたのだ。驚くなという方が無理である。
「ん? 誰だコイツは?」
そんなチルノの驚きを知ってか知らずか、マトリフはラーハルトに鋭い視線を向ける。
「名はラーハルト。ダイ様たちと共に行動することになった」
「ふーん……ま、お前らが信用したんだ。裏切られても文句は言うなよ」
ラーハルトは、その肌の色から魔族の血を引いていることは一目瞭然である。ついでに言えばマトリフはチルノから本来の歴史について聞かされているため、ラーハルトのことは知っている。
だが立場上知らないフリをした上で、裏切ることのないようにと釘を刺していた。
「大丈夫、ラーハルトはもう私たちの仲間ですから」
「へぇへぇ、甘いこって」
「チルノ様……」
チルノはラーハルトを信頼する言葉を口にすると、マトリフは軽く流しながらも注意するよう遠回しに訴え、ラーハルトは自分が受け入れられたことに感動していた。
「それよりよぉ、師匠! ダイが
「ああ」
ポップが我慢できなかったとばかりに口を挟んでくる。
「それならそうと早く教えてくれりゃよかったんだよ。それにダイが記憶喪失になった時もどっかに消えちまってたしさ! 全く、どこに行ってたんだよ!! 師匠がいりゃ、チルノがあんな目に遭わずに済んだかもしれねぇってのに!!」
最も大変な時期にいなかったマトリフに対する不満をありありと口にする。ポップからみれば、肝心な時に不在のままだったのだ。頼るべき相手がいないことに、不機嫌さを隠そうともしない。
だがマトリフはそんなポップの言葉をひと睨みで封殺すると、ため息交じりに口を開いた。
「
その言葉は、チルノが命を懸けたことを諫めていた。チクチクと針のむしろのような痛みを心で受けながら、チルノは誤魔化すように苦笑いを浮かべる。
「それに、オレが下手に手助けするよりも、もっといい物があったからな」
それを見て、とりあえずの警告は済んだとばかりにマトリフは懐から一冊の本を取り出してみせる。
「これを探してきたんだ」
「なんだい? この汚ねぇ本……」
マトリフから本を受け取ったポップは、まずその本の古めかしさに顔をしかめる。だがそれも一瞬のこと、表紙を見た途端に表情が一変する。
「こっ、このマーク! それに表紙の文字……まさかっ!?」
「あっ! そうだよ、これ!!」
「そう……これが有名な"アバンの書"だ」
ポップたちがまず気づいたのはマークだった。このマークはアバンが自身の物と証明する印である。続いて確信したのは文字だ。ダイたちの修行不足を補わせるために書いた"アバンの手記"を彼らは穴が開くほど読み返している。その文字を見れば、嫌でも気づいた。
「世界を救った勇者アバンが、その武芸・呪文・精神の全てを後生のために記した、この世に一冊しかない手書きの本さ……」
「そんな本があったなんて……ちっとも知らなかったぜ」
「じゃあ、マトリフさんはそれを探しに……?」
レオナの言葉に、マトリフは頷く。
「やつの母国・カールの図書館にあったよ。幸い宝箱に入っていたから、燃えずに済んでいた。カール王国の所有物だが……」
そこまで言うとマトリフは、どこか歯切れが悪そうに一瞬だけ言葉に詰まった。その謎の行動にポップたちは首を傾げるが、すぐにマトリフは二の句を継いだ。
「まあ、今はお前らが持っていた方がいいだろう」
「……?」
なぜそんな言い方をしたのか、チルノですら分からずに頭を捻る。だがマトリフはその疑問については何も言わぬまま、ダイにアバンの書を渡す。
「ダイ、空の章……192ページを開けてみな」
「うん」
「地の章は武芸、海の章は闘気の技や呪文について書かれている。そして空の章は……心の章だ」
本を受け取ったダイはペラペラとページをめくり、目当てのページを探す。そしてようやくたどりつくと、一字一字を確認するように読み始めた。
「えーと、傷つき迷える者たちへ……」
本来の歴史では難しい字が多くて読めず、レオナに代わってもらったダイであったが、この世界ではチルノらによって鍛えられている。確かに難解な文章ではあったが、今のダイならば読むことは可能だった。
「読んでいる間、ちょっと借りてくぜ」
「え、ちょっとマトリフさん……?」
ダイが読み始めたのを確認したところで、マトリフはチルノの腕を掴むと強引にベッドから立ち上がらせる。その様子にダイたちはマトリフを止めようとするが、彼もまた譲らない。
「聞いた話じゃあ、コイツはちょっととんでもねぇ無茶をやらかしたそうじゃねぇか。このオレ手ずから、変なところがねぇか見てやろうと思ってな」
そう言われれば、強く反論できなかった。何しろ世界最高の魔法使いであり、世界屈指の知識人でもある。少なくともこの場の全員と比較しても、知識面は比べものにならない。
「なぁに、取って食うわけじゃねぇ。安心しろ。健康診断だよ、健康診断」
「大丈夫だから、ちょっと行ってきます」
ややしまりのない顔を見せたマトリフの様子に一抹の不安を抱えながらも、チルノの言葉を信じてダイたちは見送る。そして部屋には、アバンの書を読むダイの声が再び響いた。
……え、50話!?
おかしい……予想ではとっくに終盤のはずなのに……
今回は(読み飛ばしても問題のない)現状の確認会でした。
(しかしバランがカール王国で"勇者行為"をしてなくて本当によかった)
あれ、ハドラーはなんで出てこなかったの?? みたいなのは次で。
多分そろそろ不定期更新になります。
(時期的な意味でも、展開的な意味でも)
(なので今回短くてごめんなさい)