隣のほうから来ました   作:にせラビア

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LEVEL:77 ごめんなさいがいいたくて

大礼拝堂の上階へと消えていくチルノと各国代表たち。彼らの後ろ姿を見送り、やがてその姿が完全に見えなくなり、さらにしばしの時が流れる。

 

「ねえ……ちゃん……」

 

腹の奥底から声を絞り出したような、だがそれでもなおか細い声でダイが呟く。彼の視線は、もう既に影も形も見えなくなっているというのに未だにチルノのことを追っているように見える。

 

「あの、ダイさん……」

「……なに?」

 

そんなダイの背中を見かねたかのように、メルルが声を掛けた。ダイはメルルの方を向くと、どこか力の無い瞳で彼女を見つめる。

 

「その……あまり気を落とさないでください」

 

その瞳を見ながら、メルルは気を遣うように言う。ダイの落胆している理由は、メルルにも容易に推測できる。直前まで聞いていたチルノの話が原因だろう。その話の最中、ダイは殆ど口を開くことがなかったのだ。

その事実に気付いており、そしてダイがどういう気持ちになっているのか。メルルはなんとなく察していた。

 

「私も占い師ですから、お客さんに自分の将来を占ってくれ、みたいなことを言われる時はたくさんありました……でも占いの結果は、常に良いとは限りません。良い時もあれば、悪い時もあります」

 

そしてダイを元気づけようと、彼女は必死で言葉を紡ぐ。自分の過去の経験と照らし合わせながら。

故国テランを出立してからベンガーナでダイたちと出会うまで、彼女は祖母ナバラと共にあちこちを転々としながら占い師として生計を立ててきた。その殆どはナバラが占いを担当していたが、彼女自身が占いを行うときもあった。

 

「私はこんな性格ですから、悪い結果を伝えるのにも少し勇気が必要で……それに、悪い結果の場合は殆どの方が、怒ってそれ以上聞く耳を持たないか、信じないままで終わってしまうんです」

 

だが人間、都合の悪いことは聞きたくないものだ。

だから頭ごなしに否定するか、そうでなければ逃げてしまいそれ以上の言葉を自分から遮ってしまう。

 

「だから、その……」

「メルルや、その辺にしておき」

 

必死で伝えようとする孫娘の姿を見かねるように、ナバラが口を開いた。

 

「おばあさま! でも、私は……!」

 

だがメルルも素直に引き下がろうとはしない。ここでダイに言い聞かせることが自分の使命なのではないか。そう思わせるほどの必死さであった。

遠慮がちだった孫娘の成長した姿を目にして、ナバラは驚かされる。だが、全てを任せられるほどの域にはまだ達していないとも、彼女の目には見えていた。この大役を全うするほどの技量はないだろう。

 

「あんたが言いたいこと、伝わらないわけじゃないだろうけどね。けれどまあ、こういう話は年寄りに任せておきな。何しろ、今まで口八丁で生きてきたようなもんだからねぇ」

 

それに嫌われるのも慣れたもんさ。とまで口にすると、ナバラはヒッヒッヒッとどこか妖怪染みた自虐の笑い声を上げる。その口ぶりはつまり、ダイに不快な思いをさせることも厭わず話をするということを意味していた。

その事実に気付き、メルルは沈黙したままゆっくりと祖母へ場所を譲る。

 

「さて、と……」

 

そこへ入れ替わるようにナバラが入った。気を取り直したようなその言葉は、ダイに僅かな緊張感を与える。

 

「チルノのお嬢ちゃんが言ったことが信じられないんだろう?」

「……はい」

 

突然、遠慮無しに核心を突いてきたその言葉であったが、だがどこか気を遣われるよりもスッとダイの胸中へと入ってくる。気付けばダイは素直に返事をしていた。

 

「まあ、確かにそうだろうさ。未来だなんだって言われても、そう簡単に信じられるもんじゃない」

 

人の運勢や未来を見る占い師らしからぬ言葉だった。

けれども少し考えれば、それは決して不自然な言葉でもない。むしろそういった不確かなことに関わり続け、商売道具として扱ってきた占い師だからこそ、その言葉は重いとすら言える。

 

「それにあたしらだって、予知で見た未来の全部を全部、そのまま伝えているわけじゃないさ」

 

その言葉にダイ――だけでなく、近くで耳をそばだてているポップらも驚いた表情になる。まあ、人の集まった場所で声を潜めるわけでもなく話をしていたのだ。聞いていたとしても当然だろう。ましてや話の中心にダイがいるとなれば。

 

「例えばそうさね、火山が噴火して街が一つ全滅する。そんな未来を予知したとして、それを街中で声高に叫ぶような真似はしないよ。そんなことをすりゃ、たちまちパニックになっちまう。下手すりゃ、災いを呼び込もうとする魔女扱いで街を追われちまう」

 

呪文も占いも存在する世界ではあるが、それだけに偏見や迷信も色濃く根付いている。追い出される程度ならまだ優しいだろう。

 

「だからそういう未来が分かった時には、方法の一つとして……街の権力者に訴える。そこで権力者の口から穏便に避難する方法を用意してもらうのさ。そうすりゃ混乱も少ないだろう?」

 

占い師に出来ることはただ未来を占うことだけ。その結果を左右することはできない。だから間にワンクッション挟むことで話の信頼度も高くなり、無用な刺激を与えることなく穏便に人々に伝える事だって出来るようになるはずだ。

 

とはそれは理想論でしかない。

実際には、流れ者の占い師が街の権力者にそう簡単に会うことなんてできるものではない。運良く会えたとしても、そんな話を丸々信じてもらえるはずもないのだが、だがその事実まではナバラは語らなかった。

これもまた、全部を伝えるわけではない占い師の知恵という物だろう。

 

「そういう意味じゃ、あのお嬢ちゃんは落第だね。大勢の人間に伝えなくても良いことまで伝えすぎている。これが占いだったら、すぐに街中が大混乱して収集が付かなくなっちまうだろうよ」

 

ヒヒヒと商売を失敗した同業者を嘲笑うような声を上げる。だがそれは、大いなる自虐を含んだ笑みであった。

ナバラの表情はすぐに消沈したようなものに変わる。

 

「でも伝えているだけマシかもしれないね。あたしみたいに黙って街を逃げるよりはさ……あたしらが各国を渡り歩いている時は、難が来ることが分かったらすぐにでも街を移り歩くことにしていたんだ。誰にも伝えず、自分たちだけは助かるようにね」

 

そこまで口にして、彼女は慌てて二の句を継いだ。

 

「ああ、でも勘違いしないでおくれよ。メルルは違う。この()はただ、あたしの言葉に従って付いてきているだけだった」

 

それは孫娘を庇うための道化のような行動だった。いや、孫娘だけでない。メルルが信じるチルノをも案じたがための言動なのだ。自分一人で罪を被るような言い回しをして、怒りの矛先を全て自分へと向けようとしている。

 

「……じゃあ、姉ちゃんもおれたちの事を思って?」

「さて、ね……あたしはあの嬢ちゃんじゃないから、その真意まではわからないよ。けどまあ、そういった部分もひっくるめて一通りを伝えようとしたんだ。そこはあんたらを信頼しているってことじゃないのかい?」

 

ナバラは首を捻り、曖昧に答えるだけだ。

 

「内容が突拍子もなさ過ぎて、けれどもお嬢ちゃんのことは信頼している。それはあたしらで言うなら、客が悪い占いの結果を信じたい気持ちと否定したい気持ちが揺れ動いているようなもんだろう? そんなときは少し冷静になって考えりゃ、尋ねたいことはボロボロ出てくるもんさ」

 

実際そうだった。そう笑いながら口にする。

 

「あんたらは姉弟なんだろう? だったら納得できるまでトコトン聞きゃあいい。どこを悩んでいるのかは知らないが、口を動かすのはタダなんだ。納得するまで問い詰めてやりゃいいさ。あれだけ一方的なことを言ったんだ、そのくらいの事をしてもまだまだ許されるだろうよ」

 

そこまで口にすると、ちらりと天井へと視線を伸ばす。

 

「幸いにも、考える時間はたっぷりあるようだしね」

 

上階では会議が始まっているのだろう様子を想像し、ナバラはそう呟いた。何しろチルノの言葉を聞いてしまっては会議はやり直しだろう。新たな情報から戦略なども変わるはず。そしてそれら情報を最も熟知している少女がそう簡単に解放されるはずもない。

 

「……はい!」

 

ナバラの言葉で多少なりとも迷いは晴れたのだろう。ダイはそれまでよりも幾分精気の戻った顔で力強く頷いてみせる。

 

「あの、ダイさん」

 

その様子にメルルは遠慮がちに再び声を掛けた。

 

「その、これを……」

 

そして彼女は両手をダイの眼前へと差し出す。そこには一匹のよく知ったスライムと、彼が持っている物と非常に酷似したデザインの短剣があった。

 

「ピィ」

「あ、スラリン。それにこれ、姉ちゃんが持ってたパプニカのナイフ……」

 

ダイはその二つを丁寧に受け取ると、まじまじと見つめる。確かに記憶の中にあるそれと寸分違わないが、どうしてこれらをメルルが持っているのだろうか。疑問を口にするよりも早く、彼女が口を開いた。

 

「会議の前に、チルノさんから預かったんです」

「え? 姉ちゃんから??」

「はい……その時はただ、私を一番に信頼してくれたんだと思ったんですが、チルノさんは未来を知っていたから、だから私の予知の力も頼ってくれたんじゃないかって。そんな風にも思えます」

 

そこまで口にして、メルルは誤解の無いように慌てて続ける。

 

「あ、勿論それが嫌というわけではありません。あの場には私よりも強い方もいたのに私にスラリンちゃんとこのナイフを渡してくれたのも、ちゃんと意味があるんだろうって。その、上手くは言えないのですが、力を分けて貰えた気分なんです」

 

どこか誇らしげな様子でそう語る。

 

「本当なら、受け取った私から返すのが当然なんでしょうけれど、ダイさんにお願いしちゃいます」

「なんで……? そこまで分かっているのなら……?」

 

ダイの疑問の言葉に、メルルはその顔を赤らめた。

そこには勿体ないような相手のことを思うような、複雑な感情が入り交じっているのだが、だが生憎とダイはそこまで気付くことはなかった。

 

「それは、その……」

 

敵に塩を送るではないが、本来ならばここまでする義理はないのかもしれない。だがそれに目をつぶることが出来ないのもまた、メルルという少女の生き方なのだろう。

 

「何か切っ掛けがあった方が、声も掛けやすいでしょう?」

「あ……」

 

メルルの心遣いに、ダイは無言で頭を下げるだけだった。

 

 

 

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「ん……っ」

 

長時間座り続けていたため凝り固まった筋肉をほぐすように、チルノは一つ大きく伸びをした。身体のスジが引っ張られ、少女の口から欠伸にも似た声が一つあがる。あまり行儀が良いとは言えないが、それも仕方ないだろう。

なにしろ今までの間ずっと諸王たちとの世界会議(サミット)に参加していたのだ。彼女の持つ知識を元に、どのように魔王軍に立ち向かうべきか。その論議の一員として参加していた。

会議を始めた時にはまだ天高く輝いていたはずの太陽が、今ではすっかり地平線の向こうに隠れていることから、どれだけ長時間だったのかが分かる。

 

とはいえそれもようやく終了し、彼女だけは諸王よりも一足早く退室していた。残る王たち――体調などの関係からテラン王はチルノよりも一足早く退出したため除くが――は未だ残って、細部を詰めるべく奮闘しているのだから、頭が下がる。

 

「あ、チルノ殿。お待ちしていました」

「はい?」

 

さてどうしたものかと思案しながら大礼拝堂の廊下を歩いていると、警護役のパプニカ兵の一人が声を掛けてきた。

 

「ダイ殿がお待ちかねです」

「ダイが?」

 

どういうことかと尋ねてみれば、一言で言えば「チルノに話があるため、ダイが待っている」ということだった。

事の起こりは会議中、ダイがチルノに話があるから部屋の前で待っても良いだろうかと尋ねたところからだ。とはいえ会議の終了時刻がわからず、加えてそもそもが個人的な話であることから、それならば大礼拝堂内の一室で待った方が良いだろうと兵士が提案。ダイはその提案に従った。ということである。

 

「わかりました、ありがとうございます」

 

ダイが待っているという部屋の場所を聞き、兵士に礼を言うと彼女は小走りにその部屋へと急ぐ。広い建物でもないため、そこまではあっと言う間に辿り着いた。

 

「ダイ、いるの?」

 

コンコンコンとノックをしながら声を掛けると、内側から扉が開いた。

 

「あ……姉ちゃん」

「ごめんね、待たせちゃった?」

「ううん、大丈夫」

 

実際には結構な時間を待っていたはずなのだが、それを感じさせぬようにダイは答える。

 

「入っていい?」

「うん」

 

そう言うとダイは扉を大きく開けてチルノを招き入れる。室内は小さな部屋であり、シンプルなテーブルに椅子が一脚だけ。それと仮眠用だろうかベッドが一つあった。簡素な待機部屋か何かといった様相である。

 

「それで、話があるって聞いたけれど……?」

 

長くなるかもしれないと考えて、チルノはベッドに腰掛けた。よく見れば彼女が座る前からベッドは少しだけシワが刻まれており、おそらくチルノが部屋を尋ねる直前までダイが腰掛けていたのだろう。

 

「えーと、その……これ……」

 

言葉に迷いながらもダイはチルノの正面に立ち、パプニカのナイフを差し出す。

 

「あ、それ!」

「それとスラリンも返すね」

 

続いてスライムを差し出す。こちらはダイの肩の上――普段ゴメちゃんが乗っているのとは反対側――に乗っており、常に視界に入っていた。

 

「ピィ」

「おかえりなさい、スラリン」

 

両方を受け取ると、ナイフは近くのナイトテーブルに置き、スラリンを自身の膝の上に乗せる。よく知った位置に戻ったことで若干スラリンの表情が緩み、反対にダイの表情はもう少しだけ引き締まった。

 

「ありがとう。でもどうしてダイが? スラリンは確か――」

「そのメルルに頼まれたんだ……」

「そっか……それで、話ってこれのことなの?」

 

それだけではないのだろうと心のどこかで思いつつも、チルノは意を決した様にダイへと尋ねる。そしてダイも、その問いかけに真剣に尋ねることを覚悟する。せっかくのメルルの気遣いを無駄にするわけにもいかない。

 

「あのさ、姉ちゃん……昼間の話って、あれ、本当なの……?」

「昼間のあれって……? 私が話したアレのこと?」

 

該当する物は一つしかないのだ。姉の言葉に弟はゆっくりと頷くことで返事する。

 

「……うん、そうだよ。幾つかは推測も混じっているけれど、本当のこと」

「じゃあ……じゃあさ……」

 

すがるような目でチルノを見つめる。二人の上背はチルノの方が少しだけ高いのだが、今は片方は座っており、もう片方は立ったままだ。そのため二人の目線は逆転しているはずなのだが、ダイの目はまるで怯えた子犬のようにチルノを見上げている。

少なくともチルノにはそう見えた。

 

「……おれも物語の登場人物の一人でしかないの……?」

「ダイ……?」

 

姉に向けて弟の口から発せられたのは、とても弱々しい声だった。とても口すら出したくない事を必死で言葉にしているようなものだ。

 

「全部神様が決めたことだから……姉ちゃんは、おれの姉ちゃんになってくれたの?」

「それは……」

 

ダイの言葉にチルノも何か言おうとするが、それよりも早くダイは次々に言葉を発する。

 

「おれが(ドラゴン)の騎士だって知ってたから! だからおれのことをずっと助けてくれたの!?」

 

感情が昂ぶっていったのだろう。何時の間にか弱々しかった筈の語気はどこかに消え去り、問い詰めるような強いそれへと変じている。

それは言葉だけでなく行動にも現れていた。最初こそダイは両手で拳を強く握りしめて、まるで何かを懸命に我慢しているような姿をしていたが、今やその両手はチルノの両肩へと移動していた。姉の両肩をしっかりと掴み、真剣な眼差しで見つめている。

その剣幕に押されたのだろう、スラリンはチルノの膝の上から素早く退いていた。

 

「もしもおれが(ドラゴン)の騎士でも……アバン先生の生徒でもなかったら……姉ちゃんは……おれを、助けて、くれなかったの……?」

 

一転して、再び弱々しい言葉となる。

というよりも、今の質問を投げかけるためにその直前の語気を強くしていたのだろう。その勢いの助力がなければ、とても口に出せていたとは思えない。

なにしろ、ダイ本人のチルノへの依存は考えているよりもずっと大きい。だが姉が助けてくれたその理由が、自分が特別な存在だから。特別な存在だと最初からわかっていたのだから手を貸した。そんな理由を素直に受け入れられるほど、ダイは大人ではない。

 

「おれ……デルムリン島にいたときは、姉ちゃんとずっと一緒にいるんだと思ってた……ずっと一緒にいたいって思ってた。いつか、大人になって島を出る時が来ても、ずっと姉ちゃんと一緒なんだって……それが当然なんだって……!!」

 

チルノはダイに待ち受ける運命を知っていた。魔王軍が襲ってくることも、生き別れた父親と再会することも。

だがダイはそんなことは知らない。ダイにしてみれば、ずっとデルムリン島での暮らしが続くと信じていた。ブラスが話していたこともあり、やがて年齢が満ちれば姉と一緒に島を出て、そして人間社会で暮らしていくのだろうと漠然と考えていた。

 

「でも、この関係も! おれの気持ちも!! 神様が作った物でしかないの!?」

 

そこまで言うのが限界だったのだろう。ダイの両手から――いや、全身から力が抜けた。糸の切れた人形のような頼りなさに驚いてゴメちゃんが肩から飛び上がる。そしてチルノは慌てながらも倒れそうなダイの身体をなんとか抱き寄せて支える。

 

「おれ、やだよ……そんなの、知りたくない……考えたくもない……でも、聞かなきゃもっと怖いんだ……」

 

抱きしめられた胸の中に頭を埋めながら、どうにか声を絞り出す。だがその声はくぐもっていた。単純に顔を埋めているからだけでなく、それともう一つ。感情が耐えきれなくなり、嗚咽の声が混じっているためだ。

 

「だから、姉ちゃん……お願いだよ……教えて……」

 

涙がじんわりとチルノの胸元を濡らし、染みを作っていく。

 

「ダイ……ごめんね……」

 

赤子のように泣きじゃくる弟を、姉はそっと抱きしめた。

何かを言ったところで理解できるとは到底思えないし、そもそも今のダイに何か声を掛けるだけ無駄だろう。そう判断し、チルノはダイの頭を優しく包み込み、心を落ち着かせるようにゆっくりと撫で続けていた。

 

 

 

 

 

「落ち着いた?」

「…………」

 

やがて幾ばくかの時が経過し、ダイの泣き声も聞こえなくなった頃を見計らい、チルノは声を掛けた。立ったままは辛いだろうと思い、途中から体勢を変えている。彼女はベッドへ腰掛けており、ダイは依然としてチルノに抱きついたままの格好だ。

 

「そうだよね、ダイ……ごめんなさい。急にあんなことを言ったら、誰だって驚くよね……私の考えが足りなかったみたい……本当に、ごめんなさい……」

 

返事はなかったが、その代わりにダイの頭が少しだけ頷くように動いた。それを見てからチルノは口を開く。

 

「それとダイの質問の答えを言うね……」

 

ビクリとダイの全身が震え、全身が強ばる。抱きしめた感触からそれが伝わり、チルノもまたつられるように緊張で身体を強ばらせた。

 

「私はダイが(ドラゴン)の騎士だって知っていたから、だから助けたのは本当よ……でもね、それは理由の一つでしかないの」

 

ダイからの反応はない。

だが何しろこれは事実なのだ。ダイが(ドラゴン)の騎士であるということは予め知っていたのは動かしようがない。

 

「デルムリン島で暮らしていたときに、一度でもダイが(ドラゴン)の騎士だって私は言ったことあった?」

 

相変わらず反応は皆無のままだ。

だがチルノはそれに躊躇することなく話を続ける。

 

「ダイが(ドラゴン)の騎士でないから助けない。そう考えていたら、子供の頃に本当に(ドラゴン)の騎士かどうかを少しくらいは調べるものでしょう?」

「じゃあ、どうして……?」

 

ほんの少しだけ、上目遣いな目線が覗く程度に顔が上がった。

 

「ダイはずっと傍にいた大切な家族なんだもの、そんなの関係なしに助けるに決まっているじゃない」

 

その言葉にダイは、グッと顔を上げる。

 

「それに、島にいたときも、外に出たときも、(ドラゴン)の騎士とかは関係ないことでダイはいっぱい悩んできたでしょう?」

「……うん」

「私の知っている物語とは違うことで、ダイは悩んでいた。ロモスでも、パプニカでも、ベンガーナでもね。私はできるだけ、その悩みを聞いてきたつもりだよ」

 

本当に台本通りならば、そのような悩みが生まれるわけもない。新たな出来事に直面し、共に悩んでいく。そのやりとりこそが、ダイのことを考えているのだと言う。

 

「なによりも今、私の話を聞いて自分の在り方について真剣に悩んでいる……そうやって悩んで答えを求めているのは、人間の証だと思うの。ダイは神様の操り人形なんかじゃないし、決められた筋書き通りに動いているわけでもない証拠よ」

「ほんとう、に……? 信じていいの……?」

「勿論!」

 

まだどこかで恐れを見せるダイの心を後押しするように、力強く言い切ってみせた。

それを聞いてようやく安心したのだろうか、ダイはチルノからどこか名残惜しそうに離れ、彼女の隣に腰掛けた。

 

「あとね、ダイ。自分の言ったこと、ちゃんと理解してる?」

「え……? 何が……??」

 

少しだけ赤ら顔で自身の発言を思い出そうとする。その様子は惚けているだけなのか本当に思い当たらないのか判断が難しく、チルノは直接質問することにした。

 

「ほら、私とずっと一緒にいたいって言ってたでしょ? その言葉の意味をちゃんと理解しているかしら?」

「バ、バカにすんなよ! それくらい知ってるってば!!」

 

そう聞かれるとムキになったようにチルノに詰め寄り、薄く赤かったはずの顔をさらに真っ赤にする。

 

「お、おれは……姉ちゃんとケッコンしたい!」

「…………」

 

チルノは思わず目を見開いた。瞬間的に頭が真っ白になり、何も考えられなくなっていたほどだ。

 

「はぁ……結婚ねぇ……」

「だめだった……?」

 

だがどうにか言葉を絞り出す。すると間髪入れずにダイが尋ねてくる。どうやら絶対大丈夫だという自信があったわけではないのだろう。不安そうな表情を見せていた。

 

「そうじゃなくて! まさか好きとか恋人同士とか、そういう段階を一気に飛ばした言葉を聞かされるとは思ってなかったから……」

 

否定するように軽く手を振りながら、突拍子もない言葉を聞いて驚いていたのだということを伝える。

 

「私の知っている未来の知識だと、ダイはレオナと結ばれる筈だったんだけどね……」

 

そして、自らの知る知識を思い返しながら、チルノは小声で呟いた。小声とはいえすぐ隣にはダイがいる。聞こえないはずもなく、しっかりと彼の耳にも届いている。そう理解した上で、ダイの真剣な態度に対して失礼なことと思いつつも悪戯っぽい言い方で尋ねる。

 

「今ならまだ、取り消せるわよ? お姫様と結ばれる?」

「ううん、姉ちゃんじゃなきゃいやだ!!」

 

だが返事は彼女が思ったよりも早く、そして何よりも力強かった。それだけでもダイの中の凄まじいほどの決意が感じられる。

心がグラつくのを感じながら、もう一つだけ断っておく必要があると考え、チルノは更に口を開く。

 

「実はあの時は言わなかったけれど」

「なに?」

「私は、天界が関係しているかもしれない――って言ったでしょ?」

 

その言葉はダイも覚えている。とはいえ、姉の言葉にショックを受けて話半分程度で聞いていたためきちんと聞いていたとは言い難かったが。

 

「もしもよ、もしも。もしもバーンを倒したら、自分はもう用済みなんじゃないかなって思って」

「え……っ!!」

「神々ですら凌駕する力を持ったバーン……それを倒したということは、バーン以上の驚異が生まれたって言ってもいい。もしもそうなった時に、天界の精霊が自分を消すかもしれない……それでも、いいの?」

 

心の中は申し訳なさでいっぱいだった。だがそれでも、言っておかずにはいられなかった。

元々根拠もないただの妄想だと言い切ってしまえばそれまでかもしれない。けれども完全に否定する材料がないこともあり、伝えておく必要があった。

 

「だったら、おれが守る!!」

 

先ほどに負けず劣らぬ早さで、ダイが再び口を開いた。

 

「バーンだろうと天界だろうと神様だろうと、絶対に姉ちゃんを守り抜いてみせるから!! だから!!」

 

以前にも増して力強い決意の言葉。

そこまでがチルノの限界だった。

もうダイの言葉をまともに聞いていられない。なんの飾りも変哲もない、根拠のない言葉がチルノの心に入り込み、不必要な意地をスーッと消し去っていく。

 

「……こんな得体の知れない女を選ぶなんてね……」

 

身体中が紅潮していくのを自覚しながら、不器用な肯定の言葉を絞り出す。

 

「言っておくけれど、もう取り消せないからね」

 

そう言うと、今までのお返しとばかりにダイへと抱きつくとその胸へと顔を埋めた。ダイもそれを受け止め、先ほどまで自分が受けていたことをそのまま返すように抱きしめる。

それは、チルノが原作という物の存在を初めて、自分の手ではっきりと叩き壊した瞬間でもあった。

 

「皆にも、謝らなきゃね。気持ちを考えずに一方的なことを言ってしまって、ごめんなさいって」

 

やがて、思い出したようにチルノはそう呟く。

ダイが受けた衝撃だけでもこれだけの大騒ぎだったというのに、それがまだ複数人分襲ってくる可能性もある。唐突にそのことに気付き、どうしたものかと埋めていた顔を上げる。

 

「大丈夫だよ。きっと、みんな許してくれるはずだから……姉ちゃんは真剣に考えてたんだって、理解してくれるはずだからさ」

 

するとダイの顔がチルノの視界に飛び込んできた。

見慣れていたはずのその表情が、たった一言伝えただけで世界一の物へと早変わりしたように見えて、思いがけず頬を赤く染める。

だが、本当に赤くするのはこれからだった。

 

「それと……もしも怖かったら、おれも一緒に謝ってあげるよ」

 

不意にチルノの心臓が早鐘を打ち鳴らし始めた。

たったそれだけの言葉で無敵の軍勢を得たような高揚感に包まれ、だが突然のことにチルノは少しだけ冷静にもなった。

 

「ありがと……でも、急にどうしたの?」

「だ、だって! そういうのは男の役目だろ!? ……おれたち、ケッコンしたんだからさ……」

 

理由を尋ねれば、ダイも顔を真っ赤にして照れくさそうだ。そこまで言った途端、視線を大きくチルノから外し、明後日の方向を見つめている。

まるで子供が背伸びをするように、必死になって自身に訪れた新たな役職を全うしようとしているのだということに気付き、チルノは少しだけ吹き出した。

 

「じゃあまずは、私のことをお姉ちゃんじゃなくて名前で呼べるようになるところからかな?」

「え……それって……」

「頼りにしてるわよ……旦那様……」

 

別れていた筈の二つの影が、再び一つへと重なり合った。静寂の訪れた室内には絹ずれの音が微かに鳴り響く。

 

「ピィ……」

「ピ~ッ……」

 

スラリンとゴメちゃん。

それぞれの相棒たるスライムだけが、少し離れたところからそれを見ていた。だがやがて、耐えきれなくなったかのようにゴメちゃんが羽を使い、自身とスラリンの両方の視界を塞いでしまう。

二匹は、スライムベスと見違えるほど真っ赤に染まっていた。

 

 




前話でメルルたちを出し忘れたので、冒頭に急遽突っ込む。
難しいですね、ネタバラシのシーン。

とっくにご存じかも知れませんが。
ダイ大では基本的に一人称は子供がひらがな。青年以上がカタカナとなっています。
例えば、ダイやポップは「おれ」・ヒュンケルやラーハルトは「オレ」です。
ロモス王などは「ワシ」ですね(「私」とか「余」を使う人もいますが)
(ノヴァのみ例外で、自分で一人前だと思い込んでいるので子供だけど「ボク」とカタカナを使用しているとのこと)(※誤植は除く)

でもこの一人称、肉体的だったり精神的だったりな成長を遂げても「おれ」から「オレ」に変わりそうですよね。
なんていうかこう"大人になった"みたいな経験をしたら……

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