「マッチはいかが、マッチを買ってください」
雪がちらちらと降り、石畳を白く染めている。道行く人たちは早足で歩き、寒さをしのぐために暖の取れる屋内に入ろうと急いでいる。寒さに凍えながらも、人はみんな幸せそうだ。
男の腕に自分の腕を絡めて歩く恋人たち。暖かそうな毛皮のコートを着て、大きなプレゼントの包みを大事そうに抱える男性。両親と手を繋いで、元気そうに飛び跳ねている子ども。屋根のあるパン屋の入り口で、雪をしのぎながら恋人を待つ女の子。そこに駆け寄っていく男の子。
そんな様子を、少女は羨ましく思いながらも、マッチを売ろうとしていた。けれどもいくら声を掛けたところで、少女からマッチを買ってくれる人はなかなかいない。今日の売り上げは銅貨五枚だ。これでは一日の生活どころか、一食分にもならないだろう。
一人きりでマッチを売ってる自分を見て、時折酒に酔った人や、ガラの悪そうな男の人たちが声を掛けてくる。
「お嬢ちゃん、こんなところでマッチなんか売るより、もっと別なものを売るほうが儲かるぜ?」
この日も、そう言って少女に声を掛けてきた男がいた。少女は男をチラリとも見ずに、返事を返す。
「やらないわよ。母が男に溺れたせいで今私はここにいるんだから」
男は面食らったような顔をして少女を見て、頭をかくと深くため息をついた。その間も少女は男に目を向けることなく、行きかう人達を見ていた。
「ちっ、しらけちまった」
そう吐き捨てて、男はその場を去っていった。少女はそのことを気にする素振りさえ見せない。いつものことだと流して、再びマッチを売り込む。
結局、その日はさらに一本マッチが売れただけだった。少女はそのお金で半分に切られたパンを買い、家に帰る途中にすべて胃袋に収めた。家について金や食料を持っていれば、たちまち母親かその愛人に巻き上げられてしまう。
人通りの少ない小さな町。そこに立っているぼろ家の一つが、少女の家である。ドアを開けて中に入った途端、顔に向けて水が勢いよくかけられた。畳みかけるように、酔っ払い特有の呂律の回らない大声が響いた。
「こんな時間までどこをほっつき歩いてた! 暇なら金でも稼いできやがれ、俺がお前たちのためにどんだけ金を使っているか、分かってんのか!」
少女は顔や髪の先から水を滴らせながら、まっすぐに男を見ている。男は何も言わない少女の様子にいら立ち、座っていた椅子から勢いよく立ち上がると、少女に近づく。少女はチラリと、ずっとこちらを覗き見ている母親を見た。にやにやと笑い、暴力を振るわれるであろう実の娘を助けることもなく見ているだけ。いつもの事だ。
無造作に少女の砂色の髪を掴み、上を向かせる。痛みに顔をしかめながらも、少女は助けを求めることも、泣き叫ぶこともしない。男はさらにいら立ちを募らせて少女のシャツに手を掛け、無理矢理に引き裂く。シャツからボタンが弾け、床の上を転がっていった。開かれたシャツの間からのぞく肌は白く滑らかだが、あちらこちらに青痣が浮き出ている。白い下着に包まれたお椀のような形と大きさの乳房や、スカートを穿く腰にまで痣があった。そして長いスカートに隠れてはいるが、少女の太腿やふくらはぎにまで痣が作られている。いつもの事だ。
酒に酔った母親の愛人が、少女を殴ることはいつもの事だった。母親は男に酒を買って貢くせして、実の娘である少女には一銭もくれたことはない。そして男が酔いつぶれれば、自分に暴力が振るわれる前に部屋に隠れ、少女が帰ってきて男に殴られる様子を覗き見るのだ。何年か前、マッチ工場の工場長に頼み込んで、マッチを売らせてもらうようになった。その時に、母親が少女に話しかけてきたことがあった。
「最近金が稼げているそうじゃないか、少し寄越しなよ」
見下すように笑う母親の後ろには、何人か前の愛人がいた。最初こそ少女は嫌がった。自分が稼いだ金だ、父の事を忘れ、男に呆けているだけの母親には渡したくなどなかったのだ。当然の結果だっただろう。金を渡すことを拒否した少女は、母親の後ろに控えていた男に滅多打ちにされ、ぼろ雑巾のように床に転がされた。痛みでロクに動くこともできず、意識も朦朧としていた少女は、なすすべもなく金を巻き上げられた。それ以来金はなるべく家に持ち込まずに食料にして、家に着く前に食べるようにしているが、金が無いとわかっていても男は暴力を振るってくる。酒に酔っていたり、何かしらの溜まった鬱憤をはらすはけ口となっていたのだった。
そうやってこの日も少女は殴られる。腹部に一撃を喰らい、反射的に呼吸が出来なくなり、息苦しさと痛みが少女を襲う。容赦のない男の顔を見れば、赤く染まっていて、近づいたことで男の酒臭さが際立つ。
バシン! ひときわ大きな音がして、頭が揺さぶられる。頬、つまりは顔を平手で打たれたのだと少女が理解したのは、自分が床に倒れ込んでからだった。
「ん……ゔ……」
うめき声をあげることもままならず、少女は自分でも無様だと思えるほどに立ち上がれないでいた。痛みには慣れたつもりでいるが、体が言うことを聞かない。抵抗するな。受け入れていろとでも言うように、体に力が入らない。それでも、いつもの事だ。
一文無しで、いつも体のどこかが痛みを訴えて、マッチはなかなか売れなくて、家に帰れば飲んだくれの知らない男に殴られる。そして、抗う術を持たない自分がいる。いつもの事だ。
少女が解放された頃には、腹部と顔に痣がくっきりと残っていた。この日の救いは足を攻撃されなかったことくらいだろう。ひどい時には歩くことさえやめたくなるのだから。
どうやら酔いが覚めたらしい男が椅子の上に座り込み、顔を青ざめさせている。それでも、少女に謝ってきた者はこの男のように一人としていない。動けなくなった少女に手を出したり、今の男のように罪悪感を消すため、再び酒を煽るかのどちらかしかいなかった。
酒を飲み直したとはいえ、だいぶ覚めてしまった様子の男の元に、母親がするすると近づいていく。後ろから男の頭を優しく抱き、頬にキスをする。座ったまま、お互いの舌を絡め合う深いキスをし始め、抱き合い、愛し合う。酒と肉欲に溺れた者たちの狂態がそこにはあった。そんな様を見続けていたくはない少女は、あちこち痛む身体でゆっくりとその場を後にした。
パタンと薄い作りのドアを閉め、タンスとベッドくらいしかない自分の部屋へと入った少女は、力つきるかのようにベッドに倒れ込む。緩やかにベッドのシーツを握りしめ、出来たシワの上に涙が落ちた。
「いつもの……事よ。そう、いつもの……」
何度心の中で唱えたかもわからない言葉を、口に出す。それが日常だと思い込み、嫌なことから少しでも逃れようとしても、苦しみから少女が解放されたことはない。
逃げ出したかった。
一切合切を投げ出して、自由の身になりたかった。けれどそれを許さない理性的な思いがあった。
この家を出ていって、どこに住むというのか。今少女が住む街には、夜になると通り魔が現れるという。そんな状況で野宿など気安くできるはずもない。通り魔がいなくとも、女が野宿をすれば無法者の餌食になることは目に見えていた。シーツを握り締める手に力がこもる。
少女は許せなかった。抗う力を持たない自分自身が、この上なくみっともなかった。男から受ける暴力に対抗できるだけの腕っ節の無さ、陵辱されればはしたなく嬌声を上げてしまう自分が許せないでいた。
無力だった。父の遺品を売り払う母を止められず、家に侵入する男を止められず、あらゆる暴力を止められずにいた。
少女は、クローヴィス・キャナスティは、自分の無力さを嘆いた。
さわりを書いてみたというだけです。
予想外に好評なら書きますが、未だに別の主作品が完成していませんので、当分続きは書かない予定です。ええ、はい。
『Muscle is All』
ある日、マッチ売りの少女は自分に足りないものを見つける。
「そうだわ、私に足りないのは筋肉なのよ!」
今明かされる衝撃のエピソード。
誰にも知られることなく、少女は生き残っていた!!
人の入らない森でひたすら、孤独に筋肉を鍛え、少女は成長する。
森の動物たちと己を高め合う中、ついに少女は筋肉で熊と語らう。ときに笑い、泣き、怒りに燃え上がる!
自身を追い落とした全てに復讐するため、マッチ売りの少女はその身を筋肉に委ねる。
マッチ売りの少女・真説
「筋肉こそが、全てなのよ!」
Muscle is All