Fate/Day light   作:ラビット晴晞

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第一章 そして理想は芽吹く Limited/zero over
プロローグ 理想/確認


己が願いに 火を灯す

 

心を焼いた 火を灯す

 

焦げた心を 携えて

 

数多の祈りの担い手は

 

剣の丘に ただ独り

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

──それは、五年前の冬の日。

 

 

 それは、俺が理想を継いだ日。

 “衛宮士郎”の生き方が決まってしまった日。

 

 

 その日は、月の綺麗な夜だった。

 自分はなにもするでもなく、父である衛宮切嗣と月を眺めていた。

 冬だというのに、気温はそう低くはなかった。

 取り敢えず縁側は少し肌寒い程度で、月見をするにはいい夜だった。

 この頃、切嗣は外出が少なくなった。

 旅行に行くことが多く、家に居ることのほうが少ないくらいだった前の年までとはうってかわって、ほとんどの時間を家のなかでのんびり過ごすようになっていた。

 

「……子供の頃、僕は正義の味方に憧れた」

 

 ふと。

 父は、なにかを懐かしむように呟いた。

 初めは少し驚いた。自分をあの地獄から救い出してくれた父が、自分にとっては正義の味方そのものだった父自身が、それを真っ向から否定してしまったのだから。

 

「なんだよそれ。憧れたって、諦めたのかよ」

 

 むっとして言い返す。

 憧れる親にその憧憬を否定されて、そうなんだなんて頷く子どもはいない。

 そんな自分の言葉の意図を察してか、切嗣はすまなそうに笑って、遠い月を仰ぐ。

 

「うん、残念ながらね。ヒーローは期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなるんだ。そんなコト、もっと早くに気が付けば良かった」

 

 言われて納得した。

 なんでそうなのかはまったく分からなかったが、切嗣の言うことだから間違いないと思ったのだ。

 

「そっか。それじゃしょうがないな」

「そうだね。本当に、しょうがない」

 

 困ったように相づちをうつ切嗣。

 切嗣の言うことに間違いはない。切嗣自身が言うのだから、切嗣は正義の味方にはもうなれないみたいだ。

 なればこそ、俺の言うべき台詞なんて決まっていた。

 

「うん。しょうがないから、俺が代わりになってやるよ」

 

 子どもながらの無邪気な返答。

 それを聞いた切嗣は驚いたように自分を見る。その先にある切嗣の次なる言葉は分かりきっていたので、切嗣がそれを言う前に続けて言う。

 

「爺さんは大人だからもう無理だけど、俺なら大丈夫だろ。任せろって、爺さんの夢は──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“─────俺が、ちゃんと形にしてやるから”

 

 そこまで言い切る前に、父は微笑んだ。

 続きなんて聞くまでもないっていう顔だった。

 切嗣はそうか、と長く息を吸って、

 

 

「あぁ──────安心した」

 

 眠るように目蓋を閉じて、その生涯を終えていた。

 

 その誓いからずっと、借り物の理想を鍛え続けている。

 この日の誓いを頼りに進み続けている。

 その理想を否定されることもあったし、これからだって否定され続けるだろう。

 けれど、例え偽物であったとしても、誰かを救いたいという願いが間違いなどではないと信じて、俺は何度でもこの答えを張り続けよう。

 

───俺は、正義の味方になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん」

 

 障子に遮られ、丁度よい感じに優しくなった光が差し込み、意識が覚醒した。

 重たい瞼を持ち上げると、いつも通りの自分の部屋の天井が目に入る。

 上半身を起こして、寝ぼけて硬直した身体を背伸びで解す。続いて頬を二回叩いて身体に残った眠気を吹き飛ばす。

 

「……夢、か。また随分と懐かしいものを選んだな」

 

 本音を言うと、もう少し寝ていたい気もするけれど、そんな呑気なことも言ってられない。

 只今、時刻は6時。

 早く朝食の準備をしなくては、あの半居候が来てしまう。

 

「……よし」

 

 意を決して立ち上がる。

 タンスから着替えを取り出し、寝巻き姿から普段着へと着替えた。

 そして、障子を開けて外へと飛び出す。

 

「うわっ……寒っ」

 

 予想外の寒さに身体を震わせる。

 3月27日。土曜日。

 昨日終業式を終えて、春休み2日目である今日は、もう春の足音が聞こえてきているというのに、それに勝る冬の足跡を感じさせる残寒であった。

 さっきまで毛布にくるまっていた寝起きの身にはこの寒さは堪える。

 空自体はこれ以上ないくらいの青空なので、これから暖まっていくことを祈ろう。でないと、本当に春になったのかいまいち不安になってくるし。

 やはり起き抜けの身体にこの寒さは負担が大きいので、少し駆け足で居間に向かう。

 

「さてと、さっさと作っちまおう」

 

 そんなわけで、居間のなかにある台所に到着した俺はエプロンを着け、袖を捲り上げる。

 

「……鰆は使いたいな」

 

 先日。

 雷河さんが海で釣り上げてきた鰆を六匹程お裾分けしてもらった。

 鰆は今が丁度旬の時期である。

 それと同時に痛みやすい魚でもあるので、できれば今日明日中に使いきってしまいたい。

 ……昨日のうちに下拵えをしておけば良かった。昨日は遠坂との魔術鍛練が遅くなり、その疲れと眠気に負けて寝てしまった。

 なので、手の込んだ調理は時間的に厳しい。

 手っ取り早くできるのは塩焼きだな。あとは味噌汁とあぶら菜のおひたしで無難に和食にするべきだろう。

 献立の組み立てを終えたなら、早速調理開始。野菜を洗って一口大に切る。おひたしに使うあぶら菜も切って、鰆は雷河さんが血抜きと神経締めをやってくれているので少し洗えば臭みは抜ける。

 あとは、煮て焼いて茹でるのみ。

 もう少しで米も炊けるので、もうすぐ朝食の完成だ。

 

「おはよう、士郎」

 

 凛とした、それでいて俺のすべてを包み込むような優しい一声。

 たったそれだけで、一気に気が引き締まる。

 声が聞こえた方向を向くと、既に朝の準備を終えた、遠坂凛が微笑みを浮かべて俺を見ていた。

 

「おはよう、遠坂。今日は早いんだな」

 

「まぁね。今日は少し用事があるのよ」

 

 軽く呟きながら、冷蔵庫から牛乳を取り出す。

 そんな当たり前の動作にも、優雅さと気品を感じさせる遠坂に素直に息を呑む。

 

 遠坂が正式にここに住むことになってから一ヶ月。未だに遠坂と俺が付き合っているという事実に現実味を持てないでいるのだ。

 実際、あんなことがなければ、俺と遠坂は顔を合わせて話す機会さえなかったと思うし。

 

──あの戦いがあったから……

 

 聖杯戦争。

 七騎のサーヴァントと七人のマスターによる壮絶な戦い。

 己が願いを賭けて、最後の一組になるまで争う究極の闘争。

 

 そんな殺し合いから生き延びて、やっと取り戻した日常がここにある。

 あの戦いで俺は色々なものを失った。けれど、得たものだって確かにあった。遠坂が最たる例だろう。

 

 そして、これからは得たものをどう積み重ねていくか、なんだけど、それがなんなのかはまだわからない───

 

 そんな俺の感慨をよそに、遠坂は食器棚からコップを取り出す。

 そんな遠坂に温めるか質問する。

 

「ホットミルクにするか?」

 

「今日はいいわ。それより、桜は?」

 

「慎二の見舞い。もうすぐ退院だから、身支度を済ませたいんだって」

 

 こないだ、慎二の見舞いに行ったら、慎二は桜の看病に文句を言いつつも素直に従っていた。

 物腰も前と同じか、それ以上に穏やかになっている。

 皮肉屋なところは相変わらずだが、少なくとも人を値踏みするような態度はいまのところ鳴りを潜めている。

 本人的には魔術師への未練が消えたからじゃないか、っていうのが理由らしい。憑き物が落ちたっていうことなんだろうか。

 これを機に、桜との関係が昔のような普通の兄妹のように戻ってくれることを祈る。

 

 ふーん、桜も殊勝なことね、なんて興味なさげに呟く。

 ……遠坂や、自分から聞いておいてそれはないんじゃないかい?

 そんな素っ気ない反応では答えがいがない、という俺の視線による声にならない抗議を受け流しながら、遠坂は台所を覗き込む。

 

「いい匂い……魚?」

 

「あぁ、この前雷河さんに貰った鰆を焼いてる。鰆はいまが旬だしな」

 

「へぇ、期待してるわ。衛宮くん」

 

「む。善処する、って言ってももうすぐ出来るんだけどな」

 

 遠坂の期待に応えられるだろうか。

 なにせ間に合わせの一品だ。

 手抜きとまではいかずとも、急拵えであることに変わりはない。

 ここまで来れば、そんな急拵えの調理でも美味いと言わせられるほどのポテンシャルを旬の鰆が持っていると信じるしかない。

 そんなプレッシャーを俺に与え、牛乳とコップを持って、台所を居間の机に向かっていく遠坂。

 あぁ、そういえば────

 

「遠坂。その用事ってなんなんだ?」

 

 さっき遠坂は今日は用事があるから早めに起きてきたと言った。

 遠坂の用事となると大体予想がつく。

 

「へ?なに、衛宮くん。気になるの」

 

「遠坂の用事っていうと、おおかた魔術関連だろ。そりゃ気になるさ。それとも、俺が聞いちゃマズイことなのか?」

 

 俺がそう言うと、遠坂は再び微笑んで答える。

 

「ううん、むしろ都合がいいわ」

 

「……どういうことだよ」

 

 訝しげに呟く。

 すると、遠坂は微笑みを崩すことなく続けて言う。

 

「衛宮くん。朝食が終わったら、私の部屋に来て」

 

「あ、あぁ、それは別にいいけど……」

 

 部屋に行く分には全然構わないが、まだ肝心なことを聞けていない。

 

「で、その用事っていうのは

「ヤッホーーーッ!おっはようございまーーす!!」

 

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

 

 場を支配する静寂。

 なんだろう、この吹雪に打たれているような感覚。

 

「……はぁ」

 

「なによー士郎。いきなりため息はないんじゃない。まずは挨拶でしょ、挨拶」

 

 心から溢れたため息。

 これ以上ないバッドタイミングで現れた虎により生み出された空白の時間を終わらせたのは、意外にも俺だった。

 それに対し、不機嫌そうに抗議する藤ねえ。

 

「あー、いや、まぁ、おはよう藤ねえ。早速で悪いんだが、朝飯運んで貰えるか?」

 

「おぉー、朝ごはん。この匂いは魚かな?」

 

 俺の経験則からして、この野獣に普通のセオリーは通用しない。

 抗議をはね除けようが、受け入れて謝罪しようが静まることはないので、やんわりと受け流し、それとなく話題を切り換えるという選択が、こういうときの正解だ。

 このときの切り換える話題が食事であると尚良し。

 そうすれば、移り気気質のある藤ねえはそっちに乗っかってくれる。

 やはり野生動物、特に森林を一匹で縦横無尽に駆け回る虎には、同じ場所や話題に留まるのは好ましくないのだろうか。

 

「藤ねえがこの前持ってきた鰆を使ったんだ」

 

「おぉ、士郎も分かっとりますなぁ~」

 

 おかずを手早く盛り付けて藤ねえに渡す。

 料理を並び終えると、俺の隣が定位置になった遠坂に、桜が居なくなったことをいいことに、藤ねえが俺達の反対側を真ん中にどっしりと構える。

 定位置に座った俺達は、全員がそれぞれ違う口調で、しかししっかり声をそろえて食事を始めるための挨拶を口にする。

 

『いただきまーす』

 

 そして、全員が最初に口に運んだのは朝食の主役、鰆の塩焼きだった。

 

「うわっ、すごいわね。身が柔らかい」

 

「ほんとねぇ~、いまが旬の魚恐るべし」

 

「やっぱり旬の威力はすごいな。味の深さが段違いだ」

 

 各々が旬の魚の力に舌鼓を打つ。

 繊細で淡白な味だが、しっかりと自分の旨味を主張してくる。

 これならば、もう少し副菜の主張を強めても、主菜としての役割を容易く担ってくれる筈だ。

 

「関東の方じゃ、冬が旬って言われてるよな」

 

「ふーん、そうなの?」

 

「そうなのって、興味ないなら相槌とかうつなよ」

 

「いいじゃない。こんな美味しいんだから」

 

 確か関東では油が乗ってる冬の12月~2月辺りが旬といわれているそうだ。

 鮭でいうトキシラズのような扱いだろうか。

 まぁ、こういう方面は語り始めると止まらなくなりそうなので、ここで打ち切ることにしよう。

 

「うんうん。やっぱり士郎に渡して正解だったわね」

 

 鰆をもう一度口に運んだ藤ねえが嬉しそうに頷きながら言う。

 

「渡して正解って、まさか藤ねえ。お裾分けじゃなくて、雷河さんからくすねてきたんじゃないだろうな」

 

「いや、ちゃんと頼んだわよ。ちょうだいって、そしたらくれた」

 

「いい大人がそれでいいのかよ……」

 

「それでいいのかとはなんだね、失礼な」

 

 未だに祖父からお小遣いを受け取る25歳教師。

 そんながめつさを仮にも生徒の前で見せつけるべきではないと思います、ハイ。

 だがしかし、こっちが頼んだら素直に引き受けてくれるので、そういう意味ではまだマシかもしれない。

 これで自分で朝飯を作ってくれるようになれば、一人分の負担が減るんだが。そこら辺は期待するだけ無駄だろう。今更そうなられたって困る。

 

「ねぇ、鰆はまだ残ってるんでしょ?」

 

「あぁ、夕飯にも使うつもりだけど……」

 

「いいわねぇ。夜はなににしてくれるのかな~、こりゃ楽しみだ」

 

 藤ねえも藤ねえで、重いプレッシャーを俺に押し付ける。

 それに、同じ鰆を使う以上、遠坂の期待もさらに重くなるだろう。塩焼きという簡素な料理を選択したのがせめてもの救いか。

 遠坂たちの期待に応えるには、やっぱり夕飯はそれなりに工夫を凝らさなくては……

 真っ先に思い付くのは天ぷらだ。

 白身魚の味の繊細さと天ぷらの軽い食感は相性がいい。

 ただ、それだと揚げるという特性上、工夫が出しづらい。

 天ぷらだとタレに漬け込む等も出来ないし、それでは鰆の繊細な味わいを損ねてしまうかもしれない。

 どちらかというと味噌焼きとか南蛮漬け、そっち方面に逸れてみたほうが、アレンジを効かせやすい。

 いっそ鮭みたいにムニエルとかにしてみてもいいかもしれない。

 

「あっ」

 

「ん。どしたの、士郎」

 

「いや、なんでもない。ちょっとしたことを思い出しただけだ」

 

 鰆といえば、白子も貰っていたことを忘れていた。

 まぁ、朝食に使うような食材でもないし、あまり量もないし、白子は夕食のあとの藤ねえの晩酌用のおつまみにでもするか。

 

 そして、夕飯の献立について思案している間にも藤ねえは物凄いスピードで完食していた。

 

「ごちそうさまでした。二人とも、春休みの宿題はちゃんとするのよ」

 

 手を合わせた藤ねえは、食器を下げながら教師としての注意喚起はきっちりしていく。

 そのまま居間を後にして、ヒョコッ、と襖から顔だけ出して言った。

 

「じゃあ、いってきまーす」

 

「いってらっしゃい。気を付けろよな」

 

 はいはーい、と気の抜けた返事を返しながら、藤ねえは電光石火のスピードで家から出掛けていった。

 いってきます、ってここは藤ねえの家ではないんだけれどな。

 毎度のことではあるが、風の如く吹き抜けていった。

 それからは、別段取り上げるような会話はなく、俺より少し先に朝食を食べ終えた遠坂が手を合わせて立ち上がる。

 

「ごちそうさま。美味しかったわ、士郎」

 

「期待に応えられて光栄だよ」

 

「夕飯も楽しみにしてる」

 

「……頑張る」

 

 藤ねえと似たような言葉で夕飯のハードルを上げていくあかいあくま。

 やはり遠坂は俺にプレッシャーを与えるのが好きなようだ。

 しかし、鰆の調理をあまりやったことがない俺には、定番処しか思い付かないな。

 仕方ない。

 やはり知識と理解が足りないので、買い物に行くときに本屋に寄ってレシピを探してみよう。

 

「あぁ、そうそう」

 

「どうした、遠坂?」

 

 食器を台所に下げて、自分の部屋に戻ろうと遠坂は襖の前に立つと、なにかを思い出したようにこちらに振り返った。

 

「衛宮くん。さっきも言ったけど、朝食が終わったら私の部屋に来て。事情はそこで説明するから」

 

 遠坂はさっき伝えた必要事項を再び確認する。

 

「あぁ、分かった」

 

 言葉とともに首を下に振って頷く。

 それを確認すると、遠坂はさっさと居間を出て自分の部屋へと戻っていってしまった。

 さて、遠坂にも言われたし、俺もさっさと朝食を食べてしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

 それから少し経ち、朝食を終え、食器を洗って一段落した俺は遠坂の言葉通りに遠坂の部屋へと向かっていた。

 それにしても、遠坂のいう用事とはなんなのだろう?。

 わざわざ俺を呼び出す以上、俺にも少なからず関係のあることなんだろうが、そうなるとあまり思い当たるところはない。

 まぁ、ここで俺が頭を抱えて、思考を巡らせたところでなにか分かるわけではないのだが。

 それに、答えはもう少し先に行けば分かるのだし、ここで悩む必要はないか。

 そんな結論に至った俺は、何気なく辺りを見渡す。

 

「にしても、この家は広すぎるんだよなぁ」

 

 口に出して、しみじみ思う。

 一応注釈しておくが、自慢ではない。

 元々、廃れた廃墟同然のこの武家屋敷を切嗣と俺と手伝ってくれた藤原組のみんなで修復する形でつくられたこの家は、使っていない部屋が数え切れないくらいある。

 使っている部屋は、まず居間や台所、俺の部屋、洗面所に風呂、いま起こしに向かっている遠坂の部屋、土蔵と道場とあと藤ねえ以外に明かしていない部屋が一つ。

 それでもまだ部屋が余っている。

 明らかに持て余している。

 いくら広くてスペースがあるといっても、そのスペースを扱いきれなければ宝の持ち腐れだ。

 むしろ、年末の大掃除なんか、普段というか、一年間使っていなかった部屋まで掃除しなくてはいけないのは骨が折れるし、少し不便だと思う。

 しかしながら、今年は桜に加え、遠坂という心強い戦力を得たので、去年よりは随分と楽になるだろう……多分、遠坂の家の大掃除のギブアンドテイクになるだろうけど。

 ……待てよ。もしかして、負担がより増えているように感じるが──気のせいってことにしておこう。

 閑話休題。こんな考えるほど憂鬱になるような話は頭の隅に置いておこう。

 そろそろ本筋へと戻るべきだ。

 だってもう、遠坂の部屋に着いてしまったのだから。

 

「……ふぅ」

 

 一旦落ち着いて、深呼吸して扉の前に立つ。

 

 遠坂への恐怖をこの一ヶ月で体の芯まで刻み込まれた俺は、

この部屋の前でいつも身構えてしまう。

 スー、ハー、もう一度深呼吸して……よし。

 コンコンコン。覚悟を決めて、三回ノックする。

 

「遠坂、入るぞ」

 

 沈黙を了承と受け取り、部屋の扉を開ける。

 

「待ってたわ、衛宮くん。適当なところに座って」

 

 遠坂は想定していたように対応する。

 俺を出迎えるその表情には、少し前までの日常の色は一切なく、ただひたすらに冷徹な魔術師のものになっていた。

 適当なところに座れと言いつつ、きちんと俺が座る用の椅子をどこからか用意してくれていた。

 こういう丁寧さは、遠坂らしいといえば遠坂らしくはあるが……。

 遠坂の応対に何処か違和感を覚えつつ、用意された椅子に座る。すると、遠坂が紅茶を淹れて俺に手渡してくる。

 

「緑茶のほうがよかった?」

 

 俺が紅茶を受け取ると、遠坂がそんなことを聞いてきた。

 

「いや、これでいいよ」

 

「そう。なら良かった」

 

 答えた俺が紅茶を一口啜ると、遠坂は俺の向かいに置かれたもうひとつの椅子に座る。

 俺はティーカップを机の上に置いて、改めて遠坂を見る。

 遠坂はそれで、準備が終わったと判断したらしく、口を開いた。

 

「急に呼び出してごめんなさい。今日は魔術講座じゃないからそんなに構えないで」

 

「でも、魔術絡みではあるんだろ?」

 

「そうね。その通りよ。しかも今回は……」

 

 俺の問いに遠坂は肯首しながら答える。

 

「今回は……なんだよ?」

 

 そこで会話が途切れたので、遠坂の言葉の尾を繰り返しながら聞いてみる。

 俺の質問に、遠坂の表情が曇る。

 ただ、それも一瞬で、すぐに直前までの魔術師の顔を取り戻して俺の質問に回答する。

 

「今回は……少し厄介なのよ」

 

「厄介って、そんな深刻なことなのか?」

 

 遠坂の話で次々に疑問が湧いてくる。

 いつも遠坂ならこんなに濁した言い方はしないのに……

 俺の新たな問い掛けに、遠坂はいいえ、と前置きをしてから答える。

 

「色々と事情が複雑になってるみたいなの……だから、下手を打ったら深刻な事態になりかねないのは事実よ」

 

 言った後に、紅茶を啜る。

 すると、あかいあくまは悪い微笑を浮かべる。 

 ……ええい、遠坂。お前は真面目な話の隙間になどんなとんでもないことを言うつもりだ……。

 遠坂がなにかを企んでいることを感じ取った俺が身構えると、遠坂がティーカップを俺の目の前に持っていく。

 

「士郎は料理は美味しいけど、紅茶の淹れ方はまだまだよね」

 

「───え?」

 

 続けて腹の中に抱えているべき一物を包み隠さずに言葉にした。

 あまりの突拍子のなさに俺が呆けた声を出す。

 俺の反応に、遠坂はププ、少し吹き出したあとにしてやったりみたいな笑みでガッツポーズをとる。

 

「し、仕方ないだろ!?遠坂が来るまで紅茶なんて出してたとしてもほとんどティーバッグだったんだからな。大体、誰と比べてるんだ誰とっ!」

 

「さーて、誰でしょうねぇ。おほほほほほ!」

 

 恥ずかしくなって口から反射的に出てきた俺の抗議を、するりと受け流していく遠坂。

 

──その高笑いは勝利宣言と受け取っていいのかな。

 

 止めよう。いま俺がなにを抗議しても、今みたいに受け流されて終わりだ。勝ち逃げみたいになるのは尺だが、ここは大人しく撤退したほうが懸命だろう。

 くそ、なにも言い返せない自分が情けない。

 この借りはいつか絶対に返してやる……。

 叶いそうもない遠い難題を勝手に己に課している時点でやっぱり目の前のあかいあくまの手玉で取られているのだろうが……。

 

「ってか、なんで急にこんな話になったんだ?」

 

「いや、これから少し真面目な話になるから、少しでも緊張を取っておこうかなと思って……」

 

 成る程。先程までのやり取りは俺を気遣ってのことだったということか。

 その割には随分と楽しそうだったね……君。

 

「……」

 

 本題に入ろうとしたのか、遠坂は深呼吸する。

 遠坂の顔から、一切の迷いが消えた。

 それから、さらに数秒の間の置いて、ようやく遠坂は口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

「────士郎、学園都市って知ってる?」

 

 

 

 

 

 

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