「――――残念だったな」
あの真っ黒な空間を映す部屋の中で。
主任が、グラスを片手にそう呟いた。
「……次こそは、必ず奴を仕留めてみせます」
その言葉の当て先であるエルヴントは、彼に向けてそう決意を露わにする。
あの戦いから早一週間。相変わらず人類は劣勢で、今もなおアンセクタの領域が拡大しつつあった。
機竜は大破。スティミュレーターに敗北し、緊急脱出ポットでエルヴントを退避させた後、自爆。人類側としては最高峰の兵器だったために、その知らせは大きな波紋を呼んだ。
エルヴントを罵る声もあった。技術者の力量不足を嘆く声もあった。スティミュレーターに対する畏怖の声もあった。
そしてその当事者であるエルヴントは――――。
「もう一度、もう一度チャンスをください。今度こそ奴を壊しましょう。奴の手は把握した。もう負けません」
「まぁ、待て。チャンスと言われてもな、あの性能の機竜は一機しかない。資源なぞ、ここには雀の涙ほどしかないのだから」
「…………」
「悪いが、すぐにあれと同等のものは造れない。正直、我々としても予想外だった。奴があそこまで強いだなんて。いや、奴の開発を主導していたのは私なのだから、複雑な気分ではあるな」
「……もう、遅れは取りません」
「そう固執するな。名誉を挽回したい気持ちも、妹を探したい気持ちも分かるが」
主任にそう諭されて、エルヴントは肩を落とす。スーツ越しの肩が、微かに震えていた。
「スティミュレーターに勝つことに囚われ過ぎるな。あくまでも、我々の目的はこの戦争に勝つこと。生存競争に勝つことだ」
「…………」
「その点、君は良いデータを取ってきてくれた。君の働きは、間違いなく我々にとってプラスだよ」
「……主任は、僕を責めないのですか」
「何を言う。君のおかげで奴らをどう対処すべきか、その決心がついたんだ。君は英雄並の働きをしたと私は思うよ」
「…………」
散々罵声と陰口を浴び、その顔に影を帯びさせていたエルヴント。そんな彼の肩に優しく手を置く主任。青年は、返す言葉が湧いてこないままに歯を食いしばった。
「……人類側の技術では、正面衝突しても勝つことが難しい。それがよく分かった」
「……え?」
「機竜の計画は、見送ることにする。そして、新しい計画を始動することにするよ」
「……何を」
「まぁ、見てもらった方が早いかな。これを」
主任は薄く笑いながら、壁の装置に手を伸ばす。それが彼の指紋を認識し、静かに唸り始めた。
直後、映されていた真っ黒な空間が消える。ガラス張りのように見えて、その実はただの壁であった。ハッチに包まれた、暗い色をした壁であった。
そのハッチが開く。人間の大きさを悠に越えるそれが開き、その奥の水槽を露わにする。
いや、水槽だろうか。人によっては、ホルマリン漬けの瓶を彷彿とさせる、異様なものだったが――――。
それは確かに、水槽だった。培養水に満たされた容器だった。
中に、チューブに繋がれた少女が全裸で沈んでいる。ただ、右目だけに黒い布を巻いた少女が、眠るように眠っていた。
「……主任、これは……」
「冬虫夏草」
「……は?」
「『冬虫夏草計画』。これこそが、人類を救う最後の一手だ」
そう言って、主任はレバーを引いた。武骨なレバーが壁の扉を抉じ開けて、奥に広がる空間を解放させる。
そこに並んでいるのは、無数の水槽。
そのどれもに、同じ姿をした少女が沈んでいる。
全く同じ顔の少女たちが、みな死んだように眠りながら、水槽の中を漂っている。
「……彼女たちは、一体」
「エルヴント、ダメだよ」
「え?」
「『彼女』、じゃない。『これ』、だ」
「……これ、とは?」
「これらはクローンさ。全てクローンだ。冬虫夏草計画のために起用した。つまりこれらは兵器なんだよ」
最初に姿を現したハッチの少女が母体。そして他は全てクローン。思わず目を疑うような光景が、そこに広がっている。
「……そん、な。クローンだなんて。こんなこと……!」
「今我々は窮地に立たされている。やり方を吟味している余裕などない。それに、こちらの方が経費もリスクもかなり少ない。とても合理的な方法だと私は思うが」
「…………っ」
「といっても、抵抗がなかった訳ではないよ。元々世界的に非難を浴びた某国のマニュアルだ。出来ることなら、頼りたくなかった」
「……彼女たちには、何を?」
「……はぁ。君は全く……まぁ、いい。これは、意識をインターネットの海に放出する装置だ」
「え……?」
「思念そのものを抽出し、ネットワークの海へとダイブさせる。その回線を通じて、これらにはアンセクタの中へと入ってもらう」
「……どういう、ことですか」
「要は強制的にインストールするウイルスだよ。外部からの破壊が困難ならば、内部から破壊すればいい。スティミュレーターほどのアンセクタともなれば、人間相当の思念が必要になる。そして敵は、スティミュレーター一機ではない」
何て合理的な手段なんだ、と彼はそう締め括った。その表情は、まるでおもちゃを前にした子どものように無邪気でもあった。
エルヴントは、戦慄する。とうとう、人類は越えてはならない一線を越えてしまったのではないかと。少しばかりの冷や汗を、その白い肌になぞらせるのであった。
水槽の中の少女は、うっすらとその目を開く。液体に満たされ、まともに景色を映さない瞳で、二人の人間の姿を見た。
しかし魘されるように、再びその目を閉じる。耳には、主任の粘着質な声が淡く残っていた。
◆ ◆ ◆
砲台が、唸る。
四本にもなる太い脚を展開し、その上に恐ろしく長い砲塔を乗せて。それが轟音を打ち鳴らし、遠く遠くの都市に煙を吹かせる。今日も今日とて、俺は人類に向けて火を吹かせていた。スティミュレーターは、今日も命令に従い続けるのだ。
遠距離砲の形態を取って、遠くの都市を狙撃して。そんなことを繰り返していた頃だった。不意に、俺の中で甲高い音が響いたのだ。ハ長調ラ音の、回路を駆け巡るような音が。
「……?」
聞き慣れないそれに、何とも奇妙な違和感を覚える。
そのまま遠距離砲のパーツをパージさせ、普段の黒い鎧を露わにした。それだというのに、違和感は一向に消え去らない。ならばとサナギを起動して、人間を模した姿にもなってみるのだが――――それでも奇妙な感覚が、俺の四肢を這い回っていく。
一体、何が起きたのだろう。そう考えるものの、答えは何も得られない。
ならば、いつものアシストに分析してもらおうか。普段は鬱陶しいまでに
「……あれ? 応答がない……?」
いくら呼び掛けても、音声のアシストは応答しない。
何も返事はなく、ただ空風がガラクタを通り抜ける音だけが響く。
あんなに、煩わしいと思っていたのに。こんな時に限って何も言わないだなんて。
「…………」
音は聞こえない。
人類を探知する声も、状況説明の声も、まるで訪れなかった。
代わりに、何か視線のようなものを感じる。
はっと振り返った。しかしそこには、ただ荒涼とした景色が広がっているだけで。人間の視線のようなものを、確かに感じたのだけれど――――しかしここには、俺以外誰もいない。人間なんて、いるはずがない。
「……センサーの故障、かな」
先日の奇妙な人間と戦った時に、俺の体に何か不具合が起きてしまったのだろうか。やはりバリアに突っ込んだのはマズかったのだろうか。
そんなことを、考えていた時だった。
『――――あなたが、スティミュ……レーター……?』
鈴の鳴るような声が響く。
かと思えば、視界に少女が現れた。ふわりと宙を舞う、明らかに人間ではない少女が。
「…………」
『…………』
「……何だ、これ」
透き通るような白い髪。
透明な雰囲気を持つ独特の衣装。
黒い眼帯と、同時に輝く星空みたいに綺麗な瞳。
一見すれば、可愛らしい少女だった。けれども、その独特の波長が、彼女に実体が無いことを告げていた。
『……無事、インストール……できた……の?』
「はぁ?」
『……あ……っ……ぅ……』
何やら不可解な言葉を、彼女は口にする。
一体どういうことだと思いながら声を上げると、彼女はあからさまに顔を歪ませた。
やりにくいな。
やりにくいけど、この変な状況から出るには彼女から話を聞くしかない訳で。
仕方なく、俺は彼女に言葉を繋げる。なるべく、声色を柔らかくしながら。
「えーっと……君は何だ?」
『……ボク、は……あなたに、その、あの、あなたを――――』
話すことに不慣れなのか。彼女は、しどろもどろな様子で話そうとはするものの、その言葉は形になることはない。ただ、その仕草は妙に人間臭かった。
「……もしかして、新しいナビゲーションシステム?」
『えっ……?』
「そうだよな、そうでしょ? いつまでもあんな無機質なの、嫌だもんね。丁度あのアシストも聞こえなくなったし、つまりは君にアップデートされた訳だ? 大体把握したよ」
『え、ちがっ、えっと……』
「いやー、あのシステムが実装されて八ヶ月と六日に二千六百九十ニ秒。とうとう変わったんだねぇ。しかも、あんな無機質な感じじゃないし。ちょっと嬉しいかも」
『……う、嬉しい……?』
思いもよらなかった。そう言いたげに、彼女はぱっと顔を上げる。子どもが目を輝かせるような、そんな表情に見えた。
「話し相手になってほしいな。寂しかったんだ」
そう言いながら、俺は彼女に右手を差し伸べるものの――――。
「……あれ? 右手が……」
サナギを解除させた覚えはないのに、俺の右手は機械が剥き出しになっていた。人の手の形にしていたはずなのに、あの黒い装甲が太陽光を反射している。
そして、何よりその色だ。黒の中を走るオレンジ色のラインが特徴的だったはずなのに。今の俺の腕は、そうではない。あの少女のような、どこか水色に近い色の光が走っている。
「……変だな。ま、いいか」
掌を開閉させるものの、動作に不具合は特にない。また後ほど点検しようと思いつつ、改めて手を差し出した。どこか上目遣い気味に、俺の顔色を窺っている彼女に向けて。
「スティミュレーターだ。……って言っても、機体名だけど。良かったら、俺のことはウィンタスって呼んでくれ。俺自身の名前なんだ」
『ウィン……タス……』
彼女は、噛み締めるように俺の名を呼ぶ。
不思議な少女だ。どこか不思議なものを見るような眼差しを向けてくる。
そんなに、俺が珍しいのだろうか。俺のようなアンセクタには、会ったことがないのだろうか。
見た感じ、実装されたばかりのような雰囲気でもある。その可能性は、あるかもしれないな。
「君の名前は?」
『……え?』
「君にも何か、名前はあるでしょ? 教えてよ」
『…………』
おずおずと、彼女は口籠る。
どうしよう。そう言いたげな表情だった。
「……名前、ないの?」
『…………リ』
「え?」
『……リ、リエッタ……です』
「リエッタ……」
リエッタ。
目の前の少女らしい、可愛らしい名前だなって思った。
リエッタ。リエッタか――――。
「よしリエッタ。よろしくね」
そう言って俺はなるべくの笑顔を浮かべて。同時に、ずいっと右手を差し出すけれど――――。
不意に、スパークが舞う。突然、俺の意志に関わらず、機械が剥き出しになった右腕が光った。
「えっ……!?」
腕は腕でも、肘の先あたりから奇妙な物体が生えていた。俺が望んだ訳でも、変形しようとも思った訳ではないのに。
薄い機械のようなそれには、小さなスピーカーがついている。同時にディスプレイにも光が灯り、何やら文字のようなものが浮かんだ。
そう、それはどう見ても音楽プレイヤー。どこかで粒子に変換していたそれが、俺の腕に現れている。
――――隣にい…… が……う
恋に 落……がし…… ……――――
「……は?」
旧時代の楽曲のワンフレーズ。ノイズ混じりのそれがスピーカーから飛び出して、そのまま途絶える。
困惑したままに少女を見れば、彼女は顔を赤らめて両手を頬に当てていた。あからさまに、照れているような顔をしていた。
突然の変形。
俺の意志とは無関係の、唐突で不自然な変形。
一体、一体何なんだこれは。
彼女と一緒に、バグでもインストールしてしまったのではないか。
なんて、もし俺が人間だったら冷や汗を垂らしそうになるけれど。
そんな、俺の悪い予感が的中するのは――――――――もう少し後の話である。
これにてstimulator編は終わりです。
ウィンタスの誕生~スティミュレーターとしての戦闘~リエッタとの出会いまで。
リエッタちゃんは兵器としてずっと生きてきたので、名前を呼ばれた経験がありません。彼女の名前を呼んでくれたのは、皮肉にも人類の怨敵ウィンタスくんだった……ていう話。
私が作るお話、いつもヒロインが薄幸だな???
とりあえず以上です。閲覧感謝!感想評価いただけたらもっと感謝!!