GOD EATER2 ~Nam Oratorium~ 作:〆渡
極東の文化に馴染んだ動きで、会釈をしてから立ち去るデイト。
その背からは、いつもの自律しようとする雰囲気ではなく、どこかぼんやりと弛緩したものが感じられた。
先ほどはああ言っていたけれど、やはりどこか本調子ではないのだろう。
「……あいつの事見てくれてた"先生"って人、いつ戻ってくるんだろうな」
「さあな。だが、本部辺りに行ってるとしても、そろそろ戻ってくるだろ」
極東から本部まで、他の支部を中継してヘリで数日。仮に地上を行くとなると更に延びてしまうから一概に何時、とは言えなくなる。
「早く戻ってくるといいなあ」
デイトに対して複雑な感情が無いわけではない。けれど、それと彼を心配する事は別だった。
仲間や《家族》は、出来るだけ笑っていた方がいい。
そんなロミオを見て小さく笑うギルバート。
「……なんだよ」
「いいや。……俺たちも行くぞ」
「あっ、待てよ!」
答えずに踵を変えずギルバート。その後ろを慌てて追いかけるロミオが、一度だけ通路の先を振り返った。
*****
久しぶりだと感じるフライアの通路。けれど、さすがに懐かしいと感じる程じゃない。
やっぱり極東と比べると格段に静かだ。
職員さん達に挨拶しながらラケル博士の研究室が在る高層フロアで降りようとした時。
「あら?」
「え?」
エレベーターから出る直前、何か柔らかいものにぶつかった。
とっさに手を伸ばしてバランスを崩した相手を支える。
その拍子に、赤い長髪が広がった。
レア博士だ。
「あなた……そういえば、ラケルに呼ばれていたんだったかしら?」
「……ぁ、はい……」
とても簡単な問いかけ。挨拶代わりの様なものだろう。
けれど、とてもそれに答えられない。
出る直前にぶつかったのは、僕の肩と同じ位の高さだった。そしてレア博士の身長は僕より少し高い。
つまり。
今、ぶつかったのは……。
「す、すすすすみませんっ!」
博士が体勢を戻したのを確認してすぐさま離れる。そのまま顔を見ないように頭を下げた。
そのまま顔を上げられない僕の上から、軽やかな笑い声が聞こえた。下がったままの視界に白衣が翻る。
そのまま通り過ぎてエレベーターに入ると思われた時、頬にさらりとした感触があって、その後軽く頭に手が乗せられた。
頬の感触も布のものじゃない。もっと、きめ細やかな……。
「……っ」
いや、何を動揺してるんだ。手を挙げたときに手の甲が掠っただけ。ただそれだけだ。
そんな事頭では解っているのに、どうしてこんなに動悸がするんだろう。
きっと顔が赤い。けど、いつまでもここでこうしている訳にもいかない。そろそろ検診の時間だ。
何とか表情だけは落ち着いてから入ろうと、頬を叩く。
深呼吸してから入ると、何時もの様に微笑んだラケル博士が出迎えてくれた。
「何度も足を運ばせて、ごめんなさいね。近い内に、極東のお医者様にも看ていただけるようになると思うわ」
「そうですか……」
少し、安心した。
それは詰まり、博士が現状安定している、と判断したということだし、何より多忙な博士の時間を割いて貰ってるのが申し訳ないから。
「少し、顔が赤いようだけれど……また走って来たのかしら?」
「え?ぁ、これは……その」
鈴を転がすような、とでも言えばいいのだろうか。レア博士とはまた違った調子で軽やかに笑う博士。
本当の事を言うのは何となくはばかられて、曖昧に言葉を濁した。
幸い、博士もそれ以上は追求してこなかったので、直ぐ検診に入る。
何時も通り固い診察台に横になると、上からアームが降りてきて腕輪から薬を投与した。
*****
_____
*
誰かの呼ぶ声で目が覚めた。
眩しさに目を細めながら周りを確認すると、金属に覆われた部屋で仰向けに寝ていた。
一瞬、自分がドコに居るのか解らなくなる。
『デイト?……まだ、薬の効果が抜けないのかしら……』
先ほどから僕を呼んでいた声が、困った様子も見せずにそう一人ごちる。
その声に反論する為、ではないけれど、軽く頭を振って上半身を起こした。
けれど、夢見が悪かったせいか頭がぼんやりと働かない。
「……大丈夫だよ……」
それは、自分の物と一瞬解らないような声だった。
ぞんざいで、ぶっきらぼうな。少なくとも、ラケル博士に向けるような言葉遣いじゃない。
「あ、す、すみませんっ!大丈夫です、問題ありませんっ!」
慌てて謝罪すると、博士は変わらない態度で『お早う、デイト』と言ってくれた。
お早う、の部分はきっと、寝ぼけていた僕への冗談なんだろう。恥ずかしい所を人に見られてばかりだ。
「お早うございます……」と答えながら検査室を出る。
「良く眠っていたようね。疲れてが出てきたのかしら?」
「はい……、すみません……」
口元に手を当てて小さく笑う博士。なんとも情けない思いだ。
「けれど、表に現れている分には安心だわ。誰にも気づかれないままというのが、一番危ないものだから」
その言葉になるほど、と頷いた。
体調不良も、気づいて対処しなければ悪化する。見えないまま気づかないで放置しておくよりは、という事だろう。
「ナナやシエルも言っていたわ。貴方が無理をしている様に見える、と」
「そんな事を……」
「ええ。まだ新人だった貴方に、副隊長という責務を負わせる事になってしまって……ごめんなさいね」
博士のその言葉に、自然と首を横に振っていた。
「いいえ。確かに、驚きましたし、大変じゃないなんて事はありませんけど。でも、皆さんが助けてくれてますから。だから、大丈夫です」
「そう……それなら良かったわ。やっぱり、あなたに任せて正解だったようですね。これからもその力で、仲間たちの目覚めを助けてあげてくださいねデイト」
その言葉に、少しばかり疑問を抱いた。
僕を副隊長に、と考えたのは隊長ではないのだろうか。もちろん、そこにラケル博士の考えが全く入っていないという事はないのだろうけれど、だからといって改めてこう言われる事だろうか、と。
けれど、それを僕から聞くことも失礼に思えて、結局そのまま部屋を出る事にした。
「ああ、ちょっと待って。……これを、クジョウ博士に渡して貰えるかしら?」
そう言って渡されたのは、上質な紙で丁寧に作られた封筒だった。縁に描かれた繊細な模様からもそれが伺える。
一体どんな内容なのか。気にはなるけれどそれを訪ねるのはそれこそマナー違反だろう。
「解りました。お預かりします」
「ええ、お願いね」
一つ頷いて今度こそ部屋を出る。
薄い手触りからは、当然その内容を推し量る事はできなかった。
丁度エントランスで考え事をしていたクジョウ博士にラケル博士からの手紙を渡す。
とても嬉しそうだったから、何か研究に必要な情報の公開でもお願いしていたのだろうか。
何にせよ、嬉しそうでなによりだ。
そのまま極東支部へ戻ろうとしたとき、フランさんに呼び止められた。
「デイトさん、レア博士からの言づてで、検診が終わったら庭園に来て欲しい、との事です」
「レア博士が、ですか?解りました」
極東へ向かっていた足を戻して、またエレベーターに乗り込む。
一体、僕になんの用なんだろうか。
ともかく、焦るような気持ちで移動する階表示を見ていた。
扉が開くと一面の植物が目に入る。
一歩踏み出しただけで噎せかえるように感じる植物の匂い。
そんな中で、東屋に座るレア博士の周りからは、花以外の華やかさが感じられた。
「検診で疲れている所を、ごめんなさいね?」
「いえ。それで、お話とはなんでしょうか?」
緊張しながらそう訪ねると、レア博士は口元に艶やかな笑みを浮かべた。
その表情に心臓が跳ねる。
「そう急がないで、まずは楽にしてちょうだい」
そう言われて、進められるままに腰を下ろす。体をずらすようにして場所を空けてくれた博士の動きのせいか、花とも違ういい匂いが広がった。香水だろうか。
「ふふ、そう固くならないで。少し、お話でもしましょう?」
「お、お話、ですか?」
緊張してか固くなるばかりの僕。その至近距離でレア博士が笑って頷いた。
「そう。お互いの事を、もっと良く知るために……ね?」
「---っ」
一瞬、頭が真っ白になった。……んだと思う。
とにかく、思考が空白状態になった。
ただ微笑まれただけなのに一体どうしたというのか。
「あの……ですが、僕にお話できる事なんて、そう多くは無いと……」
「あら、そう決めつけた物でもないでしょう?貴方には何でもない事でも、私にとっては違うかもしれない……そうでしょう?」
そう言われては、確かに、と頷くしかない。
戦々恐々……というよりは、純粋に緊張で固くなりつつ、博士とのお喋りが始まった。
結論から言ってしまうなら、それは本当に単純なお喋りだった。
覚えている範囲での僕の事をなどを含めた話をしたり、レア博士から昔の皆の話なんかを聞いている内に、随分時間が経っていたらしい。
傾き初めて色を濃くした太陽から時間を知り端末を見ると、予想通り夕暮れと言って良い時間になっていた。
「もうこんな時間だったんですね……すみません。つい、話し込んでしまって……」
「気にしないで。誘ったのは私だもの」
そう言って、親しげに微笑むレア博士。
何となく、最初の方で向けられた迫力のあるというか、艶のある笑みよりはこちらの方が素に近いんだろうなと、思わされた。
お互いに立ち上がってエレベーターに向かう途中、真剣な様子でレア博士が「最後に、聞きたいことがあるのだけれど」と言った。
それまでとの差を明らかに感じる態度に、僕も何事かと無言で博士の顔を見る。
少し高い位置にある深みのある青い瞳に微かな逡巡がよぎり、労力を必要とした動作で口を動かした。
それまでの印象とは真逆の動きに、どうかしたのかと無謀にも心配を覚える。
「……あなた、極東に保護される前の記憶は、全く無いのよね?」
「……?はい。アラキさん達……再編前の極東支部第一部隊に保護されるより前の記憶はありません。……ひょっとしたらそうなのかも、という物事を夢に見たりはしますけど……夢ですから起きた後ははっきりと覚えている訳でもありませんし……」
「……そう」
歯切れの良くない僕の答えに、それでもレア博士は少しばかりほっとした様子になった。
一体何を危惧していたのかは解らないけれど、僕の言葉で少しでも楽になれたなら良かったと思う。
「変な事を聞いてごめんなさい。ラケルから聞いてはいたのだけれど……」
「いえ。そもそも、記憶喪失なんてそう身近にある様なことじゃないですし。それに、人に話すことでひょっとしたら僕じゃ気づかない様な事に気づいてくれて、記憶が戻ったり、その手がかりになったりするかもしれないですし」
丁度着いたエレベーターの扉を内側から押さえて博士が乗るのを待つ。
足取り重く乗り込んだ博士は、扉が閉まると想像していなかった事を聞いてきた。
「……やっぱり、記憶を思い出せるならそうしたいと思うもの?」
真剣を通り越して、深刻な表情だ。
何かを思い詰めているようにも見える。
どうして博士がそんな表情をするのか。
それは解らないけれど、僕の答えは今では一つだ。
「いいえ。記憶は、もういいかなって、思ってます」
予想外だったのだろうか。とても簡単に、驚いた事が解った。
けれど、直ぐにまた暗い表情に戻ってしまう。
「そう、よね。ひょっとしたら、辛い物かもしれないものね」
「あ、いえ。そうではなくてですね。前までは確かに、戻るものならそうなった方がいいと思ってたんです」
家族や親類。それでなくても、知り合いが心配しているだろうと言われていたから、少なくともその人たちの事を思うならそうした方がいいのだろうと思っていた。
「でも……僕は僕として、死んだ訳でもなくここで生きているから……今まで僕が会ってきた人たちと作ってきた僕がいるから、このままでもいいかなって思うようになったんです」
あれ?しかしその場合、"元の僕"という存在は居なくなっている訳だから、やっぱりそう言う意味ではその僕は死んでしまっている事と同じなのだろうか?
はたと気づいて考え込んでしまう僕。隣で博士が動いた気配に顔を上げれば、何故か今度はほっとした様子で僕を見ていた。