白い閃光が視界に走ったかと思うと、全てが終わっていた。
轟轟と燃え上がる街中。
さっきまで生きていた。確かに生きていたはずの人だった者達が炎に巻かれ、その形を崩していく。
鼻を貫く、人の焼けた臭気。
肌を這う炎が四肢を焼き、何かの灰が口を開く度に舌をひりつかせる。
親切にしてくれた近所のおじさんも、宿屋の売り子だった可愛い女の子も、鍛冶屋の偏屈なおじいさんも、みんな、みんな、みんな、光に呑まれて消えてしまった。
「誰か…誰か…居ないのか……?」
喉から漏れるのは嗄れ、霞んだ声。
肌に付着するパチパチと弾ける人だった者たちの油。
遥か天空何度も衝突してはその輝きを強める白き恒星と黒き龍。
炎に巻かれ、崩れていく建造物。
「誰でも良い……誰か……誰か……」
どれだけ歩いても、うめき声一つ聞こえて来ない街並み。
炎だけがパチパチと音を立てて死体を焼いていく。
誰一人として生きている者は居ない。
死んだ。
みーんな死んだのだ。
「グルルアアアアアアアアッッ‼」
天地に轟く龍の怒号。
地に落ちる雷靂の嵐。
グツグツと赤く煮え、溶けゆく大地。
噴火する火山。
火山灰が太陽を黒々と隠し、世界を闇のとばりにおろしていく。
世界の終末を連想させる地獄の中を、水瀬 結城は一本の槍を背に呆然と歩いていく。
こんな地獄で普通の人間が生き延びれるはずがない。
今も結城が生き残れているのは背にある神槍の加護による効果が大きい。
もし、この地獄の中で一度槍を手放せばたちまち煉獄の炎に焼かれ、結城は灰と化すだろう。
しかし、結城は神槍の加護の事も、神槍のお陰で生きている事にも気付いていない。こんな地獄でも諦めきれず、生きている人を必死で探している結城には、その事に気が付く余裕すら無い。
歩いても、歩いても、見えるのは死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体……。
炎に巻かれ黒く炭のように焦げた死体。
守るように子供だった者を抱いた、黒い人の形をしたもの。
ごろりと路面に転がる人の手足らしき、黒い塊。
「もう……嫌だ!見たくない。考えたく無い!!こんなの……こんなのが、現実なはずが……」
認められない。
認めたくない。
こんな世界何て見たくない。
夢だ。これは夢なんだ。
「グルルゥゥウウウウアアアアアア!!」
空間を轟かせた、龍の咆哮が結城の意識を叩き、夢から無惨に引きずり出す。
激しく衝突しながら流星の如く地へと堕ちる黒き龍と白の恒星。
刹那、吹雪く氷嵐。
先程まで熱く煮えたぎっていた大地が、炎に巻かれていた街並みが、松明の如くパチパチと燃えていた死体が、一瞬にして極寒に閉ざされた。
氷の世界は絶対零度を突破。
風に吹かれ、形あるもの全てが氷の華と散っていく。
「ハハハハハハははははは」
自分の口から漏れる笑い声が吹きすさぶ氷雪の嵐に消えた。
何が可笑しいのか自分でも分からない。
前触れも無く襲う天変地異に人は抗えない。
耐え忍び、過ぎ去っていくのを待つしか無い。
そう分かっているのに………結城の足は天変地異の中心へと歩いていく…‼
狂ったのか?
そうかもしれない。
結城がしている事は自分から死に向かっていく事にほかならないのだから。
一個人が嵐、太陽、荒れ狂う海、自然に勝てるはずが無い。
分かっている。
それでも、結城は止まらない。
ひたすら前へ、前へ、前へ、前へッッ‼
何も考えずに進み続ける。
神槍の加護を突破し、凍りついていく手足。
近くに堕ちた雷電が地を這い、足元から脳天までを焼いていく。
内蔵を焼かれ、沸騰する血液。
身を走る激痛と苦しみ。
それでも、それでも、結城は止まらない。
歩くことしか出来ない木偶人形のように愚直なまでに前へと進み続ける。
「ガアアアアアアアアアアッッッ‼」
空間に響く龍の悲鳴と共に不自然な氷雪が突然、ピタリと止んだ。
大気を叩くこれまでとは明らかに違う暖かい大気。
晴れ渡る世界を前に出現したのは巨大な龍。
しかし、その瞳に意志は無い。
その強靭な龍躰は血に沈み、空っぽのガラス玉のような眼が虚空を見つめている。
そんな事はどうでも良い。
身長185cmほどの長身、青白い髪の気品がある白皙の少年が悠然と少し刀身の歪んだ剣を片手に携え、龍の屍の横に立っている。
そして――携えている剣に灯っているのは、世界を焼き尽くした閃光と同じ白光…………‼
それを認識した瞬間、脳が弾けた。
「お前か!お前なんだな‼ラァァアアーーーマァァアアーーーーーッッ!!」
身を溢れる憤怒と殺意。
天元突破した激情がボロボロの身体を突き動かした。
獣の如く駆け出し、突き出される神槍。
その鋼の刃を当然のこととしてラーマは受け入れた。
だが、ラーマの意思に反し、独りでに動いた神剣。
次瞬、真っ直ぐ槍を突き出している、全く反応出来ていない結城の心臓をラーマの剣が刺し貫いた。
衝撃で潰れひしゃげる内蔵。
ラーマを影ながら護衛する分身にして従属神であるラクシュマナがラーマの剣に宿り、操作した。
「なッッ‼」
驚愕に染まりながらも、剣を通してラーマの手に伝わる感触が確かに結城の命を断ったと告げた。
私が、私が殺したのだ。
ラーマの胸に広がる形容しがたい虚しさ。
ここで終わるのか?
否、否、否ッッ!!
致命傷を叩き込まれた?内蔵が全てぐちゃぐちゃに潰れた?
だから、なんだ。
「あああああああアアアアッッ‼」
殺意を原動力に肉体が限界を越え、駆動。極至近距離で槍を投擲した。
結城が命全てを振り絞った全力全開の投擲が流星の如く空を駆け抜ける。
(………あ…兄上ぇぇええええええ‼)
ラクシュマナの宿る神刀が空間を跳躍。
必中の神槍を何とか受け止めた。
ぶつかり合い、衝撃をまき散らす歪んだ神剣と神槍。
神剣がその刀身の歪みを強くし、くの字にねじ曲がっていく。が、足りない。最後の最後で一押し分の力が足りない。
勢いを緩め、力を無くしていく神槍。
「まだだああああああああ‼」
胸を焼く激情が命を燃料に、更に限界を引きちぎり、拳が槍の石突を叩き込んだ。
衝撃を推進力に直進する槍は遂に神剣を宿っていたラクシュマナごと粉砕———ラーマの胸を貫き、心臓を穿った。
不死の象徴であり、分身でもある神刀は破壊され木端微塵に砕け散った今、心臓を穿たれたラーマは地上の命と同様に滅びへと向かっていく。
倒れ伏す結城の肉体。
けれど、誰かに支えられた?
誰に……?
霞んだ視界が口から血を流すラーマの姿を捉えた。
何で…お前が……………‼
後悔、怒り、悲しみぐちゃぐちゃに入り交じった感情が、結城の口を開いた。
「何で……何で……こうなったんだろうな……」
元々結城はこの世界の人間では無い。
21世紀の普通の日本に生きていた人間なのだ。
それなのに、どうしてこんな事になったのだろうか………?
黒い穴に呑まれて、いつの間にか魔術なんてものが存在する古代風の大地で目覚めた。
改めて振り返ってみると、自分の不運さに、どうしようもない愚かな行動に、もはや呆れしか湧いてこない。
最大の幸運は転移して間もない頃に言葉の通じる人、ラーマと偶然出会い、共に旅を始めただろう。
ああ…………楽しかったなぁ……皆で笑って…………騒いで……ドンチャン騒ぎして………。
「本当に…どうして………だろうね………」
今にも泣きそうな顔のラーマが疲れきった笑みを浮かべ、どこか諦めた瞳で此方を見つめる。
今さら、何で……!
どうして、お前がそんな顔を……!
「でも、この結末に、僕は満足している。もう…疲れてたんだ…生きるのも……闘うのも……全て終わりにしたかった……旅を終わらせてくれる者が欲しかった……。だから……君は僕なんかの為に後悔なんてしなくて良いんだ…街を滅ぼしたのも僕なんだよ………そんな僕なんかの為に……泣かなくて良いんだ……」
後悔なんてしてない!
泣いてなんかいないッ!
そう言葉に出そうとして、口から漏れる空気。
霞んでいた視界が急激に闇に閉ざされていく。
寒い。寒い。寒い。
冷たい無慈悲な闇が忍び寄ってくる。
死ぬんだ。もうすぐ。
……ああ…でも……最後に…最後に……一つだけ……。
「また、な……」
しっかり言えたかな?
もう何も見えない。
何も聞こえない。
感覚が暗闇の中に消えていった。
「君は……もう一度僕なんかと……」
ラーマは静かに目を瞑った。
「まさかラーマ様が破れるなんて」
虚空から現れた童女が微笑みを浮かべながらラーマに話しかける。
十代前半程の歳ほどの幼い見た目。
だが、その顔立ちは何処か蠱惑的な容姿であり、人を魅了する怪しい魔性を秘めている。
「パンドラ、そんなに僕が人に破れたのが嬉しいかい」
「ええ勿論。今までずっとしてやられて来たんですもの。少し位嬉しがっても良いでしょう」
「そう言われてしまえば僕の立つ瀬も無いか」
ラーマがパンドラの子供達を幾度と無く、殺し尽くしたのは事実なのだから。
その程度の事は仕方ないだろう。
「ふふっ。さあ、そろそろ新しい私の息子に憎悪と祝福を与えて頂戴」
「君は僕の———幾度となく魔王を滅ぼしてきた英雄、ラーマの権能を簒奪する最初の神殺しだ。運命に、これから君を襲う試練に、決して負けるな‼どんな汚い手を使っても生き延びろ!そして、生きて、生きて、その先の………運命の日に………また……会おう…結城……」
霧散し、虚空へと消えるラーマ。
それと同時に、猛威を奮っていた火山が鎮まり、熱く煮えたぎっていた大地がゆっくりと冷えていく。
かくして魔王殲滅の英雄は道半場で倒れ付し、一匹の獣が生まれた。
後に残るのは水瀬 結城、ただ一人。
地面に倒れ伏し、眠っている男は外見こそ人のものを保てているが、中身はもはや肉袋と言っても良いほど滅茶苦茶。
肉体の大半の骨はへし折れ内蔵は全てひしゃげてミンチ、四肢は凍傷で腐り果て、何度も至近距離で堕ちた雷による火傷で全身が爛れている。最後に神槍の石突を叩いた拳は砕けて潰れ、赤い肉の塊と化し、胸の心臓部には大きな風穴が空いている。
そんな惨状でも、死んでいない。
ラーマから簒奪した権能と神力、神殺しとしての生命力と治癒力が、結城を生かし、肉体を再生させていく。
暫くして、行商から故郷である都市へと帰って来た商人が見たのは更地。
建物一つの形跡すら残っておらず、灰と塵だけが大地に積もるだけ。
周辺を探してようやく見つけたのは、血みどろの一人の少年のみ。
自身の故郷が消滅していた事に茫然自失とするも、血みどろのまま眠っている小さな少年の顔を見て、気を取り直し、馬車を走らせる。
一人の少年と商人を乗せた馬車はコトコトと音を立てて、地平線の向こうへと消えて行った。