「じゃあ今日は前回のおさらいから行くか」
「えぇ。お願いするわ」
社長との一件から数日。俺達は本格的に活動するため、練習を始めた。
場所は俺の家。最初はRoseliaが使うから駄目だと言ったが、友希那が珍しく譲ってくれた。
今日は白鷺一人だ。丸山と若宮はバイトで、日菜と大和が仕事だ。白鷺は女優の為、一番時間が欲しい人物。あまり無駄には使いたくない。
練習を始めて二時間以上が経過していた。夏が近づいているのもあり、一応冷房は付けているが、真剣にやっている白鷺は汗をかいていた。
「一旦休憩するか」
「えぇ、そうね」
俺はスポーツドリンクを白鷺に渡す。白鷺はそれを受け取り、口に含む。
「どうだ? 感覚は掴めたか?」
「えぇ。何とかね。貴方の教え方が分かりやすくて助かるわ」
「お褒めに預かり光栄です」
「それにしても、自宅にスタジオがあるなんて凄いわね」
「まぁ、今となってはRoseliaの練習場所だけどな」
「ホント、申し訳ないことをしたわ」
「友希那からも許可得てるんだし、気にすんなよ。そんな事より自分の心配しろよ。ただでさえ多忙な女優さんなんだから」
「分かってるわ。一秒たりとも無駄に出来ないから。始めましょう」
スポドリを俺に渡すと、ベースを手に取って再び弾き始める。
こうして白鷺の練習が数日続いて、今日は全体練習の日だ。
マネージャーの話によると、披露する曲は一曲、「しゅわりん☆どりーみん」らしい。一曲だけなら良かった。流石にニ、三曲は一ヶ月では無理だからだ。
「最初はミスしても構わない。一通り通しでやるぞ」
全員が頷き、演奏を始める。
最初は酷いとしか言いようがなかった。日菜は余計なアドリブを加え、白鷺は遅れ、逆に大和は早まり、若宮は音を外す。問題なのは丸山だった。体力が無さすぎる。後半にはハァハァ息を切らしていた。
──これは一からメニューを変えないといけないな……
俺はすぐさまメモ用紙とペンを取り出し、一人一人のメニューを書いていく。
「ここに今後のメニューを書いた。次の全体練習まで、このメニューをこなしてくれ」
メニューの内容は、日菜には一先ずアドリブ禁止に基礎定着。白鷺は今までと変わらず基本から。大和はスピードを合わせる事。若宮は速弾きの練習。丸山は──
「ら、ランニング十キロ!?」
「当たり前だ。お前は歌って踊る。強いて言うなら一番体力を使う。けど今のお前は体力無さすぎだ。なら体力付けるしかないだろう」
「そ、そうだけど……」
「一人が辛いなら、俺も一緒に走る。勿論ペースはお前に合わせる。それでどうだ?」
俺がそう言うと、丸山はそれなら……と渋々了承した。
俺のメニューに日菜はつまらなさそうに、大和と若宮は張り切っていた。その中で一人だけ、俺のメニューをじっと見つめている人物がいた。
「……」
白鷺だ。
「どうした白鷺? お前も何か不服か?」
「い、いえ。何でもないわ。ありがとう」
そう言ってメモをしまう。すると白鷺は次の仕事があるのか、時間だと言ってスタジオを後にした。
俺はそんな白鷺を見る事しか出来なかった。
それから一週間が経ち、再び全体練習の日が来た。今日は先日出した課題の見直しみたいなものだ。
丸山も何とか体力をつけ、一曲は難なく踊れる体力を持った。
日菜にもアドリブは極力抑えるよう言っているし、大和はペースを合わせるだけだから大丈夫だろう。若宮も速弾きの成果が出ている。問題は──
「大丈夫か? 白鷺」
「え、えぇ。大丈夫よ」
そう。白鷺だった。
白鷺の表情は何処か焦っている様な、不安げな顔をしていた。
この一週間、白鷺は練習に来ていない。撮影で忙しかったからだ。
「じゃあ先週同様、一曲通しでやってみるか」
全員が頷き、準備を始める。準備を終えると、丸山が歌い始めた。
──出だしは好調。全員課題を何とかクリアしているようだな……ん?
その時、一つの音に異変を感じた。ベースの音が震えているのだ。
俺は白鷺を見る。何故か苦痛な表情を浮かべていたのだ。すると、一ヶ所に気になる部分があった。
──アイツの右手、震えてる……?
極僅かだが、右手が痙攣している様に見えた。次第に音の震えが大きくなる。不安定なのだ。
「……ちょっと待て」
俺はそう言って演奏を中止した。みんなは何が起きたか分からないような表情を俺に向ける。
だが、これ以上は危険だ。俺は白鷺の下に行く。
「ど、どうしたのかしら」
俺は黙って、白鷺の右手を掴み上げる。その手を見ると、赤く腫れていた。
──オーバーペースか……
「いつからだ? 少なくとも先週は何ともなかったはずだ。あるとしたら、この一週間の中しかないが」
ベースはエレキと違い、基本指弾きが主流である。つまり、指に掛かる負担が大きいのだ。リサも通って来た道だろう。
指弾きに慣れてない人間がいきなりやりすぎると、指がそれについてこれなくなる。
「……私には時間が無いの。女優の仕事もやって、バンドもやって。休んでいる暇なんてない。だからこの一週間。何とかみんなに付いて行こうと一人で黙々とやったわ」
「その結果がこれか……」
「あの社長を見返したいの! こんなことで躓いてなんかいられないわ! 練習を続けましょう」
白鷺は俺の手を放そうとするが、俺は放さなかった。
「悪いが、それは無理だ」
「何で?」
「これ以上やると、お前自身が潰れる」
「私なら大丈夫だわ! だから早く──!」
パァン!
その時、渇いた音がスタジオに響いた。白鷺は何が起こったか分からない表情をする。俺も何が起こったか分からない。気付いたら白鷺の手を放していた。俺はその音を起こした張本人──丸山を見る。
丸山が白鷺の頬をぶったのだ。
「いい加減にしてよ千聖ちゃん! そんなの自分勝手すぎるよ!」
「ま、丸山……?」
「自分勝手ですって……? 早く練習しないといけないと思っている私のどこが自分勝手なのよ!」
「そういう所だよ! 焦って練習して、千聖ちゃんが潰れたら、誰がパスパレのベースやるのさ! パスパレのベースは、千聖ちゃんしかいないんだよ!?」
丸山は涙目で言ってくる。
「社長を見返したいのは千聖ちゃんだけじゃない! 私達もだよ! それなのに、千聖ちゃんは自分の事だけ……もっと私達を頼ってよ!」
「彩ちゃん……」
「千聖ちゃんは焦りすぎだよ。もっと楽にいかないと」
「日菜ちゃん……」
「時には休憩も必要ですよ、千聖さん」
「麻耶ちゃん……」
「一蓮托生です! チサトさん」
「イヴちゃん……」
全員が千聖の下に寄り、声を掛ける。
「みんな、ごめんなさい。目が覚めたわ」
「ううん。私こそごめんね。叩いちゃって」
「いいえ。そのおかげで目が覚めたもの。だから今度彩ちゃんに何かあったら、私が殴ってあげるわ」
「なぐっ!? 千聖ちゃんが怖いよぉ……」
いつの間にか辛気臭い雰囲気は無くなり、いつも通りのパスパレに戻ったようだ。
「……俺がお前に基本をやるよう言ったのは、お前に指弾きを慣れてもらう為だったんだ。だが、それが逆に不安にさせちまったのかもな。すまん」
「内田君も悪くないわ。むしろ、私を思ってやってくれているもの。内田君に文句をいうなんて、お門違いだわ」
「そう言ってもらえると助かる」
「でも、今日の練習どうしよっか……千聖ちゃん、今日は弾けないし……」
丸山が言うと、周りの表情が暗くなる。おいおい、一人忘れてないか?
すると日菜が思い出しかなの様に、俺を見る。
「かー君がいるじゃん!」
「確か、内田さんは全ての楽器を弾けるんでしたね」
「なら一安心です!」
「奏君、良いかな?」
丸山が不安そうに聞いてくる。
「まぁ、白鷺がこうなった以上、弾くのは俺しかないって分かってたしな。良いよ」
俺は白鷺からベースを受け取る。
「ごめんなさい。教えて貰って、更には私の代わりまで」
「気にすんな。そんな事より、お前は座って聞いとけ。今から聞かせるのは、完成した「しゅわりん☆どりーみん」だ」
「完成した……?」
「そう。お前が完全に復活し、ここまで弾けるようにしてもらう。だからその耳でよーく聞いておけ」
「分かったわ」
そう言うと白鷺は椅子に座り、俺達を見る。
俺はアップがてら、速弾きして、指を慣らす。その様子に、全員が驚いていた。
「よし。俺の準備は良いぞ……どうした?」
「改めてみると、奏君ってホント凄いよね」
丸山の言葉に、全員が頷く。
「褒め言葉としてとっておくぜ。早速始めようか」
全員定位置に着き、一呼吸置いた所で丸山が歌い始めた。
「しゅわしゅわ はじけたキモチの名前 教えてよ きみは知ってる? (しゅわしゅわ! どり☆どり~みん yeah!)」
そして俺は白鷺のパートを弾き始める。俺の能力、コピーを使って。
すると周りは音に乗って来たのか、一体感が生まれた。
「凄い……」
白鷺が呟く。
こんな感じで一曲終える。全員が肩で息をし、お互いを見る。
「どうだった?」
「なんか凄くるんっ♪ てきた!」
「なんだかベースの音に乗せられて凄く気持ちよかった!」
「気分爽快です!」
「ドラムやってても、凄く気持ちよかったっす」
各々が感想を言ってくる。
「白鷺は聴いててどうだった?」
「そうね。聴いていてとても楽しい気分になったわ」
それを聞いて安心した。
「それが本来の完成形だ」
「本来?」
「お前達の仕事、コンセプトは先程白鷺が言っていたように、聴いている人を楽しい気分にさせるんだ。お前達はアイドルバンド。激しい曲もなければ、暗い曲もない。だから客を魅了するには、楽しい気分にさせるしかないんだよ」
「じゃあRoseliaは?」
「Roseliaはどちらかと言うと、客を圧倒させる魅了かな」
アイツらはそんな事考えてないと思うけど。
「つまり私がここまで弾けるようになれば……」
「あぁ。「しゅわりん☆どりーみん」の完成だ。だからって焦るなよ。今は休養だライブまであと二週間。その程度の腫れだったら、二日で治まる。そこからでも十分間に合うさ」
「分かったわ」
こうして俺達の練習は続き、いよいよ、本番の日がやって来たのだった。