1話 華咲うららは求婚する
"特別な人"になりたかったのだと、あの人はいった。
***
「もし、そこのあなた」
中学校入学式の朝。余裕を持って朝早く出すぎたせいか、だれもいない通学路を歩いていると背後から声をかけられた。振り向けば腰に手を当てた少女がひとり。
着ている制服を見るにどうやら同じ中学のようだ。先端をロールさせた赤髪のツインテールが特徴的な、ちょっとこれまでお目にかかったことのないレベルの美少女だった。パッチリした大きな瞳からは強い親しみを感じる。そしてそんなものを向けられる覚えはない。
はてどこかでお会いしましたかと問いかけるよりも先に、少女が口を開いた。
「お名前はなんといいますの?」
あまりにも不躾な質問。
けれど不思議とすなおに答えてしまう上位者の――或いはセレブなオーラが少女にはあった。
「畑野るいですけど……なにか?」
「ふむふむ……るい……華咲るい……悪くはありませんわね」
うつむいてぶつぶつ呟く少女に怪訝な表情を浮かべるるい。
先端をロールさせた赤髪のツインテールを翻し、左手を差し出した。口元には不敵な笑み。
「畑野るい! さん!」
「……はい?」
「あなたには――わたくしの夫になるという特別の栄誉にあずからせてさしあげますわ!」
一瞬あっけにとられる、るい。
夫だとか栄誉だとか普段聞き慣れない単語にすこし固まったが、どうやら自分は白昼堂々告白――求婚されたらしい。少女の顔はまぶしいほどの自信に満ち満ちている。望む答えが確実に返ってくると疑ってもいない様子だ。
それに対してるいは両手を胸の高さに掲げる。
「No Thank You」
とっさに出た言葉はなぜか英語だった。自分でもどうしてそうなったのかわからない。
それに対する少女のリアクションは劇的なものだ。
「ぬ、ぬわんですってー!」
のけぞって驚愕の声をあげる少女。
実に大仰なリアクションを披露したとおもえば、すぐさま身を乗り出してまくしたてる。
「人気ミーチャンアイドルにして華咲家の長女! 経歴も家柄もパーフェクツであるわたくしの一体全体どーこーに不満があるんですの!? わたくしをなっとくさせるだけの理由があって!?」
「いや、だってまだお互いのことをまったく知らないし……。結婚するにしても、まずはお互いを知るところからスタートするのがスジなんじゃないかな?」
「す、すごくごもっともな理由ですわ……! やはりわたくしが見込んだだけのことはありますわね! よろしいですわ! ならば早速お見合いのセッティングを……」
「おなじ学校なんだから日常生活のなかでふたりの時間を作ってお互いを知っていけばいいんじゃ? お見合いっていうのは接点のない男女がやるものだと思うんだけど」
「これまたごもっともな理由ですわ……! ならばよろしいですわ! このわたくしの魅力で骨抜きにしてさしあげますからお覚悟なさい! ほーっほっほっほ!」
高笑いをしながら去っていくセレブなオーラを身にまとった少女。学校とは反対方向だがいいのだろうか。
「……なんだったのだろうあれは。……まあ、どうでもいいか」
謎の少女よりも、これから始まる新生活に向けて意識を切り替えるべきだろう。
やがて中学校の入学式はつつがなく終わり、教室に移動する。窓際の席から室内を見回して一応確認してみるが、クラスメイトの中に今朝の少女は見当たらない。というか今朝の出来事は本当に現実だったのだろうか。白昼夢の類だったのではないか。
そんなことを考えているうちに教壇に立った担任のあいさつが終わり、今日は解散ということになった。るいが帰ろうとすると、ふいに出入り口から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「しつれい。お邪魔させていただきますわ」
セレブオーラを発する少女の襲来にざわつく教室。
だが彼女はまったく意に介する様子もなく教室内を見回す。目が合った。満面の笑みを浮かべるとるいが座っている窓際の席まで一直線にやってくる。さながらモーゼのごとく左右に避けて道を作る同級生たち。彼らの態度はまるで少女に触れることすら恐れているようだった。
「さきほどはどうも失礼しましたわ。このわたくしとしたことが名乗りを忘れるだなんて……」
ほんとうに悔しそうにかぶりを振る少女。
すぐに気を取り直した様子でほほ笑みと共に薄い胸を張る。
「あらためまして、わたくしの名前は華咲うらら。どうぞ末永くよろしくおねがいいたしますわ! ――るいさま!」
強い親しみにあふれた瞳。
今朝の出来事は決して白昼夢の類などではなかったといまさらのように理解した。
「はあ……、どうぞよろしく」
周囲からまるで信じられないものを見たかのような視線を浴びながら、るいは気の抜けた返事をするのだった。
***
私立聖英中学校。
古くは元禄時代に作られた私塾に端を発するという、由緒正しき幼小中高大一貫の名門校。
そんな名門校に畑野るいが入学してから、早三週間が経過した。
レクリエーション期間は終わり、何事もなく授業をやるようになり、現在はお昼休み。
まったく人気はないが、よく手入れされた洋風庭園の裏庭。
設置されたベンチに腰掛けると、るいはいつもどおりひとりで昼食を食べ始める。
冷凍食品のピラフを弁当箱に詰め込んだだけの弁当をもさもさ食べていると、ひとりの影。
「るいさま! おとなりに座らせていただきますわ!」
うららは返事も待たずるいの隣に座ると、脇に置いたバスケットを開いた。
横目で中を見るとあい変わらず手の混んだ品々がぎっしり詰まっている。
ほそい指でサンドイッチを手に取るとるいに差し出してきた。
「華咲家お抱えの一流シェフが作った特製のサンドイッチですわ! るいさまもいかが?」
「遠慮しておくよ」
「むー……。そうですの? お気をつかわずともよろしいですのに……」
気を使っているわけでなく単純にそんな食べられないのだ。
運動部に所属しているわけでもなく小柄なるいの食は非常に細いのである。
むしろ5人前くらいありそうな弁当をぺろりと平らげるうららの食欲に驚きだった。
「よく食べるね」
「なにをするにもまずは身体が資本! 身体をつくるには一に食事ですわ! さあ! るいさまも!」
「遠慮しておくよ」
「んもう、つれないですわねぇ……」
日差しもろくにない薄暗い裏庭だが、うららがいるだけで華やいだ雰囲気になるのは彼女の生まれ持った資質なのだろう。なにやらうららに用事があって来れない日を除き、毎日のようにこうやってふたりで昼食をとるようになっていた。
「そういえばるいさま」
「なに?」
「どうしてこのようなところでお食事なさるようになったんですの? いぜんのように教室でお食べになればよろしいですのに」
うららの質問にるいはさらりと答える。
「友だちがいないからだよ」
「そ、そうなんですの? まさかいじめ? いじめなんですの!? そのような不届き者どもはこのわたくしが粛清を!」
「いやいやいやいやウソだから。ちゃんといるから」
激昂して立ち上がるうららをなだめるるい。
不承不承といった様子でうららはふたたびベンチに座ると、うかがうような視線。
「……ほんとうですの?」
「ほんとうだよ」
もちろんウソである。
中学入学と同時に遠く引っ越してきたから小学校時代の友だちもいない。
「……ならなんでひとりで食べてますの?」
「うーん……、なんかクラスで浮いちゃっててね。教室にいると気まずいんだよね」
「やっぱりいじめじゃないですの! こうしちゃいられませんわ!」
「だからちがうって」
遠巻きにされている。異物として認識されている。それだけだった。
幸いにしてるいはこれまでの人生でいじめに加担したこともなければ現場を見たこともない。
が、いじめる側の人間があんなビクビクした目をこちらに向けることはないだろう。それくらいはわかる。しかしそういって納得させるのは難しそうだった。
「……それより早く昼食を食べよう? 貴重なふたりの時間なんだから大事にしないと」
「え? ……ええ! たしかにそうですわよね! 貴重なわたくしたちふたりの時間なんですもの!」
クラスで浮いてる理由はとっくに見当がついている。
最初るいは教室で昼食をとっていた。そこにうららがやってきた瞬間クラスの空気が張り詰めたのだ。るいが彼らに気を使って裏庭で食べるようになったのはそれからのことだった。
隣で機嫌よくサンドイッチを頬張る赤髪の少女にチラリと視線をやる。
華咲うらら。どうやら彼女は予想以上に大物だったらしい。
***
ミーチャン。要するに動画配信サイトである。
だれでも自由に動画を配信出来てお気軽にアイドル気分が味わえる、元々はそれだけのサイトだった。だがインターネットの本格的な普及に合わせてミーチャンの視聴者数は激増。さらにはスマートフォンの普及により、だれでもどこでも簡単に動画を配信できるようになったことで動画数も激増。人が集まればそこにビジネスチャンスありとばかりに企業が集まり始める。
運営会社の社長が「まるで夢を見ているようだった」と語るほどの速度で知名度と規模が急拡大。あっという間に「ミーチャンでの人気アイドル=社会的な成功者」と見做されるようになった。これがおよそ50年前の話。いまやミーチャンは身近な存在として数多の人々に親しまれている……らしい。
以上はインターネット辞典に書かれた情報だ。
(……学校のパソコンはミーチャンへのアクセスが規制されてるんだもんな)
スマホは持っているものの連絡用途以外はガチガチにフィルターがかけられているし、パソコンはない。よって学校のパソコンルームでミーチャンを見ようとしたがその目論見はあっさり潰えた。身近な存在として数多の人々に親しまれているそうだが、るいにとってはいまのところまったく接点がない存在か。
手持ち無沙汰になったので、そのままインターネット辞典で華咲うららについて調べてみる。さすがに個別の項目はないようだ。ホーム画面にもどって検索をかけてみれば、今度はズラッとニュースサイトやらwikiのリンクやらが出てきた。クリックしてみたもののことごとく「ブロックしました」の文字が表示される。
あまり詳しい情報は得られなかったが、ミーチャンで人気アイドルとして確たる地位を築いていることだけはなんとなくわかった。そう、なんとなく、なのだ。そもそもミーチャンを見たことがないるいには、実際それがどれだけのものかわからない。
ほかに華咲といえば華咲グループを連想するが、関係性は不明。ただしその華咲家のお嬢様である可能性は高い。母親にいわれるがまま受験して入った私立中学校だが、幼稚舎から通っているともなれば良家の子弟だらけという特色があるからだ。
ぶっちゃけ本人に訊けば考察するまでもなくすべて教えてくれそうだが、あまり人の家のことを詮索したくなかった。
(……そろそろ教室にもどろうかな)
るいはパソコンの電源を落とすと、パソコンルームから出る。
2階廊下を歩いていると、窓の向こうにうららの姿。
体育館から校舎につながる渡り廊下を、毛並みの良さそうな女子生徒たちに囲まれながら歩いている。容姿もまた整っている女子生徒たちに囲まれながら、その中でもうららはひときわ目立った。むしろ比較対象がなまじ優れた容姿であるが故に、うららの容姿がプロポーションを含めていかに完成されているのかがわかってしまう。
小柄で華奢、けれど健康的なやわらかさも感じさせる肢体は、とても繊細なバランスで構成されていて――。『お人形さんのような』という形容詞は、きっと彼女のために存在するのだろう。
まるでうららを主役にした映画のワンシーンのような光景。
うららの姿が見えなくなるまでその光景を眺めると、るいはふたたび教室へ向かって歩き出す。わからないことだらけだが、この学校でうららが突出した存在であることは確かだった。
しかしそういった疑問は、明くる日あっさりと氷解することになる。
***
カーン! と軽快な音ともに見事な曲線を描いてボールが空に吸い込まれていく。
体育の授業で見事なホームランを決めた華咲うららはホームを駆ける。
「やりましたわー!」
ブンブン両手を振ってこちらにアピールするうらら。
なんともよく通る声だと感心しつつ、るいも教室3階の窓際席から校庭に向けてひらひらと手を振り返す。こちらは教師が急病で自習だった。
「な……、なあ」
「はい?」
その日るいはクラスメイトの男子から初めて話しかけられた。入学式から実に1ヶ月目のことだ。なにかをさぐりさぐりといった会話だったが、るいが特に気にすることなく応対することで気が楽になったらしい。浮きまくってるるいにわざわざ話しかけてくるような男子だけあり、あっさりと親しげな態度になった。
「こっちは中学から? またずいぶん遠いところから引っ越してきたんだなー。俺の爺さんが暮らしてるところだよ、そこ」
「へー、どのあたり?」
「えーっとな……」
名前は村井というらしい。良くも悪くも磊落な人柄がうかがえたので、おもいきって踏み込んでみる。
「なんで僕のことを警戒してたの?」
と訊けば、複雑な表情を見せつつも期待通りに答えてくれた。
「だってよ……」
華咲うららは日本――、いや世界一の巨大企業グループと目される華咲グループを統べる華咲家のご令嬢だった。それも一人娘。これがなにを意味するかといえば、華咲グループの会長職は代々長女が継承することになっており、ゆくゆくは次代の華咲グループ会長ということである。加えてミーチャンではトップランカーの有名アイドルとその才覚も証明済み。近づくことすらおそれ多い――というのが彼を始めとしたクラスメイトたちの共通認識だったらしい。
「で、華咲さんが畑野に親しげだったから警戒してたんだよ。……なんつーかごめん」
「気にしなくていいよ」
気まずげに謝る村井にそう返事をする。
それでもるいをハブったことを気に病んでいるようだったが、実際どうでもいい。クラスメイトと打ち解ける間もなく転校した経験は何度もあり、遠巻きにされるのは慣れっこだ。
むしろ"あの時"のような悪意と好奇の混ざった瞳がないだけ気楽ともいえた。
けれど村井はよほど後ろめたかったらしい。これまでの空白を埋めようとするかのように話しかけてくるのに付き合いつつ、るいは考える。期せずうららの出自が明らかとなり、ミーチャンでの人気も具体的に知ることが出来てしまった。事ここに至れば理解するしかない。
つまり華咲うららは――、"特別な人"だということを。