うららたちとの昼食がない日は、教室で机を並べて村井と差し向かいで弁当を食べる。
ほかのクラスメイトは寄ってこないので、ただひとりの友人ということになるのだろうか。
弁当の用意がめんどうくさかったのでパックごはんと梅干しで作った日の丸弁当を突いていた。わりとひどい食生活だなとおもわないでもないが、かといって気にしてもいない。むしろうららの方が見かねたらしく「よろしければこちらでお弁当をご用意いたしましょうか?」と提案されたが断っていた。うららの弁当から察するにすごい量の物を渡されそうなのだ。余談はさておき――、さきほどの光景を何度もおもい返しているが、やはり信じられない。
「ねえ村井、お願いがあるんだけど」
「お? おまえが俺にお願いとか初めてだな。なんだよ?」
「うららの幼なじみがいるんだけど……って、なにその顔?」
「あのなぁ……。華咲さんにかかわる話は俺にふらないでくれってお願いしてただろ?」
学校法人聖英が元禄に作られた私塾に端を発していることは以前にも述べた。
そしてその聖英を私塾時代よりずっと支援しているのが、元禄にはすでに大商家としてその名を轟かせていた華咲だったという。すなわち学校法人聖英にとってみれば華咲うららは神の子であり、将来の現人神ということである。教職員による強烈な監視の目があり、うららに対してうかつなことをいえばなにをされるかわからないと、村井は心の底からビビっていた。
「その幼なじみのことをちょっと見てきてほしいんだけど」
「いやあの畑野さん? ふらないでくれっていまさっきいったばかりですよね?」
「ほんとうに見るだけでいいから、3組までお願い」
「3組か」
村井の目がビクビクしたものから平常にもどった。
「1・2組を見てこいといわれたのかとおもって焦ったけど……、3組ならいいぞ」
1組と2組が幼稚舎から通ってる御曹司と御令嬢、及び庶子で構成されているのは今さらいうまでもない。そして3組から下は小中学部から入った、すなわちるいたち生粋の庶民で構成されたクラスとなる。実際はそこそこ名士の子弟も混じっていたりするのだが、聖英カーストにおいては幼稚舎から通っていなければ十把一絡げの扱いだ。うららを除く1・2組の生徒たちもまた学校では特別の待遇であり、同じ学校に通っていても一切の接点がなかった。
逆にいえば3組から下のクラスであれば、村井も気軽に応じる。
「でもなんでだ? それに華咲さんの幼なじみなのに3組って……。いや、細かい事情はいいわ。見るだけでいいんだよな?」
「うん。見たまんまの感想をお願い」
「じゃあ、ちょっくら見に行ってみるか」
「いってらっしゃい。金髪の娘で、ひとりしかいないからすぐにわかるとおもうよ」
「おまえは来ないのか?」
「さっき行ったとき視線をチラチラ感じたんだよね。また行ったら悪目立ちしそうだからやめとく」
「あー……、そういやお前って学内でも有名人だったな……。俺も感覚が麻痺ってきたなー……。じゃあ行ってくる」
村井が教室から去っていくのを横目に、手持ち無沙汰になったるいはぼんやりと思考に浸る。
改めて考えれば、ルキを拒絶したという1組の保護者たちの気もちを理解出来なくもない。1組は貴種のなかでもさらに選抜に選抜を重ねた生徒たちで編成されている。成績や素行などによっては2組に落とされることもあるそうだから、るいには想像もできない影の努力があるのだろう。そこに6年も不在だった少女がうららの幼なじみというだけで(それだけの存在ではないのだが)いきなり編入してくる。反発のひとつくらいしたくもなるだろう。
しかし、それでも華咲うららの幼なじみの編入を阻止しようとするなんて、なかなか肝の座った保護者もいたものだ。実質的には華咲家の人間も同然なのだから、華咲における影響力は今後大きくなることはあっても小さくなることはないだろうに。
(……ほんとうにいたのか? そんな保護者?)
ふいに脳裏を過ぎった考え。深く考えるよりさきに村井が教室に帰ってきたのだが――、なにやら様子がおかしい。ふらふらとるいの前の席に戻ると、そのまま机に突っ伏した。
「いた?」
「いた……。ひとりで席にすわってた……。ありゃあ、クラスに友だちはいなさそうな雰囲気だな……」
村井の見立てもるいと同じものだった。あの光景は何かの見間違いでもなんでもなかったのだ。
「いかんな……。しかし……あれはいかん……」
いかんいかんとブツブツ呟く村井。るいの気が付かないなにかに気がついたのかと問いかけてみる。
「なにがいかん?」
「美少女すぎる」
「まあたしかに、天使みたいな美少女だよね。それのなにがいかん?」
「なにがって……おまえはわかんないのか!?」
バン! と村井はとつじょ机を叩いて立ち上がると、力強く叫んだ。
「あの娘とくらべたら学内の女どもなんざ猿にしか見えねえんだよ! 次元がちがいすぎてだれも近づけねえよ!」
昼休みでさわがしかった教室がシーンと静まり返った。
間もなく教室はさわがしさを取り戻し、村井は顔を青ざめさせながら椅子に座り直す。
「ちかづけない? どうして?」
「こ、この空気で平常運転かよ……。俺いま女子たちから横目で睨まれまくってるんだけど……?」
るいが視線をやればクラスメイトのだれもが顔を背けた。
「気のせいじゃない?」
「……うん、気のせいだった。女なら比較されるのが嫌だし、男なら美少女過ぎて腰が引けるんだよ。……そういうのわかんないか?」
「わかんない」
「そっかわかんないかぁ……。あ、そっか。だから華咲さんとつきあってられるんだなぁ……。そっかそっか……」
勝手に納得したようすの村井。なんだかやけに老け込んで見えるのは気のせいだろうか。
「まあとにかく……。なにごとも突出しすぎると人が近寄らなくなるんだな。特にこの学校の生徒は危機回避センサーが過敏になってるから、余計に」
ルキが美少女すぎて敬遠されているというのはしっくりこないが、後者については理解できた。遠くを見つめる村井。
「俺、卒業するまでに女子に殺されるんじゃねえかなぁ……」
「よくわかんないけど、せいぜい卒業まで無視されるだけじゃない?」
「生々しい答えやめろよ……。中学卒業までで済むといいなぁ……」
しかしすぐに夢見るような眼差しになった。
「……にしてもほんと美少女だったなぁ……。制服もラフに着こなしててそれがまた似合ってるんだよな……。胸元がちょっとゆるめられてて、うえからのぞきこんだら見えちゃうんじゃないか? いつでも間近で見られる3組のやつらがうらやましいぜ……」
***
ルキのことはうららに見たままを報告すればいい。あとは収まるところに収まるだろう。依頼されたことはそれで達成されるし、るいがほかにやることはない。
ないのだが、なんだかスッキリしない。これで終わりにしていいのか。なにかやれることはないのか。ケイに寄り添ったことといい、自分らしからぬ行動がさいきん目立つ気がする。
他人に無関心なのが自分という人間の持ち味ではなかったのか。だがうららなら――。困惑しつつもるいの足は動いていた。或いは、ルキのさびしそう横顔と、父のさびしそうな横顔が重なって見えたからそうおもったのかもしれない。
「……るいるい?」
「放課後、どこか遊びに行かない?」
なんにせよ対外的な事実はただひとつ。
放課後。華咲うららの婚約者候補と目されている畑野るいが教室にやってきて、金髪碧眼の女子生徒を遊びに誘ったということだ。
ざわつく教室。盗み見るような生徒たちの視線。それらを気にせず机の側に立つるいを見上げながら、ルキはただただ碧い眼をまんまるさせていた。
***
ルキとうららは同じ家で暮らしているが、その帰りは別々だという。
うららは所属している硬式テニス部での活動があるからだ。いうまでもなく部活動でも1~2組とその他クラスメイトが交わることはないが、もうどうでもいいだろう。
学校を裏門から出て、人気がない道を肩を並べて歩いていくるいとルキ。
「ルキは部活やらないの?」
「転校の時期がわるかったでしょ? 入ろうとしたんだけど、入れる部活がなかったの!」
「そうなんだ」
「るいるいは? 部活はやってないの?」
「入学前はやる気だったんだけどね。運が悪いことに、僕が行くタイミングでどこの部活も定員に達してムリだったんだ」
「おたがい運が悪かったんだね!」
そう、おたがい体よくあしらわれたのだ。
楽しそうに世間話をするルキに相槌を打ちながら、通学路を抜けて駅に入る。
「ルキ、定期はもってる?」
「もってないけど、ICカードならもってるよ! 華咲のお家からもたされてるの!」
電車を使って籤引市に向かう。ここらの地域で遊ぶとすればあそこ以外にはない。
いつもつかっているはずの電車だが、いつにない空気だった。
周囲から浴びせられる不躾な視線。聖英の生徒のみならず、車内の乗客たちからチラチラジロジロとルキは見られていた。逆にるいもまた彼ら彼女らを観察してみれば、村井の言葉がおぼろげながら理解できてしまう。ごぼう。じゃがいも。翻ってルキ。目鼻の整った小さな顔。スラリと伸びた長い手足。たったそれだけのことが希少なものであることをるいは思い知った。
タイがゆるめられたルキの胸元を覗き込もうとする男を視線で牽制したりしつつ、籤引駅に到着すると、併設されたショッピングモール内をぶらつきはじめる。遊びに誘ったはいいものの、なにをやるかまったく考えていなかった。どうしようかとにわかに逡巡するるい。
「ねえ、るいるい」
「ん?」
「ルキ、カラオケがやりたいな!」
というわけでカラオケをやることになった。
受付で手続きを済ませ、ルキと連れ立って個室に入るとるいは興味深げに室内を見回す。
「こうなってるんだ」
「るいるいも初めてなの?」
「うん。ちょっと大人の遊び場って感じで、じつはあこがれてたんだ」
もっとも、いまさっき思い出したことだった。
るいがこれまで転校してきた先では、どこもカラオケは小学生だけの入店を禁じていたのだ。
「制服姿のお兄さんお姉さんたちがわいわいしながら入っていくのを見て、そんなにおもしろいところなのかな、って」
テーブルを囲むようにソファー。モニター。選曲用のタブレット端末。マイク。タンバリンなんかもあった。あくまでも歌をうたうための施設であり、ここ自体がおもしろい場所ではないのだろう。ちょっと考えればわかることだが、長く培ってきたあこがれの感情はそれでもなんだか気分を高揚させるのだった。
「ふふふ……、るいるいもそんな顔するんだね! かわいい!」
ルキはそういってほっこりした表情を浮かべると、テンション高めに右腕を天に突き上げた。動きに合わせてゆっさと揺れるケイより豊かな胸元。
「るいるいがたのしそうにしたらルキもたのしくなってきたよ! きょうはいーっぱい歌おうね!」
「うん」
***
歌うという行為がこんなにも体力をつかうものだと、るいは知らなかった。
挟んだ小休止。注文したコーラで喉を潤わせつつ、隣に座って選曲用のタブレット端末をいじってるルキに話を振る。
「そういえば、ルキはケイのほんとうの名前ってしってる?」
「ほたるでしょ? もちろん知ってるよ!」
笑顔で答えるルキ。一瞬もし『知らない』といわれたらどうしようかと思ったが、もちろんそんなことはなかった。
「幼なじみだから知ってて当然か。僕はさいきん知ったんだよ」
「ふふふーん……。じつはルキにもほんとうの名前があるのだよ!」
「そうなの?」
「そうなの! いまおしえてあげるね!」
ずいっと肩を寄せるルキ。やわらかな感触と共に甘い匂いが鼻腔をくすぐる。制服のポケットからスマホを取り出してメモアプリを起動すると、手書きモードにして人差し指でスラスラっと書き上げた。竹上月姫。
「竹上……つきひめ?」
「これでルキって読むんだよ! 名前書くときはいつもカタカナだから、はじめて知ったでしょ?」
「うん」
月姫。ルキにこれ以上ないほどぴったりな漢字である。
「月の姫でルキ……。うん、ルキにぴったりだと思う」
「えへへ! ありがと!」
くったくのない笑顔。ルキのご両親は見事な采配をしたといえるが、しかし名前負けする可能性をみじんも考えたりしなかったのだろうか。仮にうららやケイとの間に子どもができたとして、この名前をつけたら――、なんだか普通に似合いそうだ。子どもにやたらキラキラした名前をつける親の気もちが若干12歳にしてわかってしまったるいであった。