長い黒髪。すこし垂れ目で大きくパッチリした黒い瞳。
巫女服に包まれた身体は細身でスラッとしており、うららよりわずかに低い身長を除けば、似たりよったりの体型だ。一見すればおっとりとした雰囲気の和風美少女だが、その眼差しからはたしかな芯の強さを感じさせる。表情こそ澄ましているが、瞳の奥には敵対心がありありと。
「……あなた、お名前は?」
「人に名をたずねるときは、さきに名乗るのが礼儀というものではありませんか?」
まったくそのとおりだ。己らしからぬミスにうららは自分が動揺していることを悟る。あまりにもらしくない。いつでも堂々と、それが華咲うららだ。気持ち胸を張る。
「……華咲うららですわ」
「華咲……。
「ええ、その華咲うららですわ」
華咲という名に対する反応をうかがったが、まったく気にした様子もない。すくなくともそんな看板に怯むほどやわな女ではないようだ。うららの警戒心がむくむくと膨らむ一方、長い黒髪の少女は澄ました表情で自己紹介する。
「妾は多祇しずく。この多祇神社の跡取りです」
やはり、としかおもわない。
あの立ち振る舞いをみていれば自分と同じ、なにかを背負うために生まれ育った人物だと容易に想像がついた。そして――、同じ男に恋した女。無意識にぎゅっと拳を握っていることにふと気がつく。内心の感情を悟られないように、さり気なく腰に手を当てた。
「……あなたとるいさまは、いったいどのようなご関係ですの?」
「どのような……と聞かれましても。そもそもいまさっきしりあったばかりのあなたに話す筋合いがありますか?」
にべもない。が、これもまったくそのとおりだ。
しかしそれでも己が上っ面だけでもフレンドリーな態度を示していれば、すこしは相手の対応も変わったかもしれない。しかしそうする気はなかった。
「それでも答えろというのなら、そうですね。親しくおつきあいをさせていただいてる"唯一"の殿方。そういった関係ですよ」
"唯一"の部分をこころなし強調させる。同時に冷え冷えとした目。しずくもまたこの会話の中でなにもかも理解したようだった。そう――、こいつは敵だ。決して交わり合うことのできない不倶戴天の敵だと、本能が訴えている。ぶつかり合う視線。にわかにしずくが言葉を発した。
「ぎゃくに、質問をさせていただいても?」
「……ええ、どうぞ」
「あなたと畑野さまは、いったいどのようなご関係なのです?」
「るいさまからはなにも聞いていないのですか?」
「ええ、まったくなにもこれっぽっちもあなたのことなんか聞いてはいませんね。ええ。まったくこれっぽっちも」
るいが自分のことを話していない。地味にダメージを受けるうららだったが、気を取り直してこの女に改めて教えてやることにする。胸元に左手を添えて胸を張る。
「ならば教えてさしあげましょう! わたくしとるいさまは……」
力強く答えようとして言葉が出てこない。友人? これはちがう。なぜならわたくしとるいさまは恋人……でもない。いいなづけ? これも正確にはちがう。強いて形容するならば婚約者候補。だがそれすらうららが一方的に目しているだけの関係にすぎない。
「いえない、のですか。なら、畑野さまと妾が仲をふかめることに、あなたからとやかくいわれる筋合いはないとおもいますが?」
「い、いえないわけではありませんわ! わたくしとるいさまは! おなじ学校にかよっている同級生ですわ! とーーーっても親しいんですのよ!」
とにかく現状に当てはまる表現を口にしてみた。なにもまちがったことは口にしていないのだが、締まらない。両手を振り上げて必死なうららに、しずくは口元を袖で隠して鼻で笑う。
「その口ぶりでは親しいというのもあやしいですね。おおかた――、あなたがいっぽうてきに畑野さまにつきまとっているだけなのでは?」
「ち、ちがいますわよ! わたくしとるいさまはすくなくとも……ええ! すくなくともひじょうに親しい関係ですわ! だいたいわたくしとるいさまの関係をあれこれいえるほど、どうせあなただって深い関係ではないでしょうに!」
そうだ、深い関係であるならそれこそるいが自分に隠す理由がない。せいぜい仲のいい神社の巫女さん程度の存在だろう。認めるのは業腹だが己としずくの立場は現状としてはたいして変わらないはずだ。しずくもその辺はしっかり自覚しているらしく、むぐぐっと詰まる。だがすぐに澄ました表情に戻るあたり、やはり一筋縄ではいかない相手か。
「それでは、あなたの申告したとおり親しい関係だと仮定しておいてあげましょう」
口の減らない女である。本質的に負けず嫌いなのかもしれない。
「ですが、それがほんとうにあなたひとりの力で築いた関係だと、まさかおもってはいませんよね?」
「……どういう意味ですの?」
「ずっと出てこないのですよ。畑野さまとお話をしていても、ご学友のお話が」
ご学友のお話――。るいはクラスに友だちがいないという話を思い出す。よもやいじめかと憤ったが、当人は気にしていない様子だったし、ならば己がしゃしゃり出る筋合いではないとあの時は引き下がった。その後はこれといって話題になることもない。るいのことだから、きっと問題を解決していまはもうちゃんと友だちがいるのだとばかりおもっていた。
そんな過ぎ去った話がどうしたのだと目で答えれば、しずくは呆れたといわんばかりにやれやれと頭を振る。そしてまるで教えさとすように言葉を紡ぎはじめる。
「聖英は華咲のために用意された温室。そんなことはこの地域の人はだれだって知っています」
「それが?」
「あなたが畑野さまに目をつけたと察すれば、まわりの人々はもちろん忖度することでしょうね。たとえばそう――、"畑野るいとは会話をするな"と同調圧力をかけたり」
はっとする。まさか、とおもいながらも否定できない。ありえるかありえないかでいうならば、十二分に"ありえる"話だからだ。そして彼女の人生経験からいえば、想定していてあたり前の事態だった。言葉に詰まってしまううららに、冷めきった視線を送るしずく。
「どうやら、心当たりくらいはちゃんとあるようですね? すこし安心しました。無自覚な痴れものより、自覚的な痴れもののほうがまだ救いがありますから」
「そんなの、すべてあなたの推測ですわ!」
しかし現段階ではただの勘ぐりにすぎない。抗弁するが、心が揺らいでいる人間の言葉に力があるわけもなく。しずくは涼しい顔で流す。
「そうでしょうか? あなたと畑野さまが近づきやすくなるよう"お膳立て"するために、畑野さまを学校ぐるみで孤立させる意図が働いたことはまずまちがいないとおもいますよ」
「まちがいない……? そこまでいえる根拠はなんですの!」
「入学式のとき、畑野さまの教室へ顔を出したそうですね」
「! あなた、るいさまからわたくしの話をちゃんと聞いていたんじゃありませんの!」
「そんなことはどうだっていいのですよ。教室へ顔を出したそうですね?」
「ぬぐぐ……」
なんと腹の立つ女か。自分を棚に上げるわ。わざと知らないふりをして煽るわ。だがいまはどうでもいい話であることも事実。釈然としないものを抱きながらも、つづきをうながした。
「ええ、出しましたけれど……それがどうかして?」
「わかりませんか? そんなことをしてしまえば周囲がどうおもい、どう行動するか、まさか想像もしなかったと?」
「周囲がどう……っ!」
瞬間、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。聖英は華咲のために用意された温室。教職員は華咲の世継ぎにとって居心地がよい環境を作るためだけにいる。それは誇張でも何でもなく単なる事実だ。ならば、なぜいまのいままで"そうなること"に気がつかなかったのか。
「てっきり計算ずくだとおもっていましたが……。とんだお世継ぎがいたものですね」
しずくは心底あきれた様子だった。ぐうの音も出ない。"お膳立て"されることのない関係を望みながら、結局"お膳立て"されていることをあたり前のこととして受け入れていた。
いい方は悪いが忖度されるのはしかたのないことだ。大事なのはそれを一体どうやって捌くか。そこに上に立つ者としての器量が出るのだ。なのに自分は気づきもせず、あまつさえ乗っかかっていた――。うららがしずくと同じ立場なら当然あきれるだろう。無自覚な痴れもの。まさにその通りだ。打ちのめされるうららに、しずくは容赦なく追い打ちの言葉をかける。
「さて、こうして孤立させられた畑野さま。そんな状態でひとたび好意をむけられれば拒むことはむずかしい……。かんたんな話でしょう?」
ならば。自分とるいがこれまで積み重ねてきた。積み重ねてきたとおもっていた時間は。その正体は。一体なんだったというのか。
「つまりあなたがいう親しい関係とやらは、畑野さまからすればたんなる妥協の産物にすぎなかった、ということですよ」
否定したかった。だが華咲として生きた十余年のそれこそ"積み重ね"が否定を許さない。
どうして今の今までその可能性を考えなかったのか。簡単だ、夢に溺れていたのだ。だから現実のるいの人間関係が、自分のせいでメチャクチャになっていることにすら考えが及ばなかった。母は祖母の話をすることで自覚をうながしたのだといまならわかる。自分には必死さというものがきっと感じられなかったのだ。当事者意識と言い換えても良い。
「もっとも畑野さま自身は、おおむね事情をご理解されているのでしょうね。華咲に捧げるための供物にされたのだと。あの方のおだやかな性格をおもえば、おとなしくあなたを受け入れようとしたことは想像にむずかしくありません。ああ、おかわいそうな畑野さま……」
袖で目元をぬぐうしずく。わざとらしい仕草だが気にする余裕もなかった。
そう、畑野るいという少年はどんなにつらいことでも黙って受け入れてしまう強さを持っている。うららはだれよりもそのことを理解しているつもりだった。
うららの人生は大いなる予定で成り立っている。望む望まずに関わらず粛々とそれを消化していくことが華咲の女の義務でもある。大いなるがゆえに、その過程で振り回される、言葉は悪いが犠牲とされる人の数も少なくはないだろう。謂わば背負うべき"華咲の業"だ。
はたと気がつく。華咲の女は運命の人を本能で見つけられる。だが"華咲の業"を粛々と受け入れる性質が運命の人の条件だというなら――、そんな残酷なことはないだろう。
「……うらら?」
「る、るいさま……」
ひょこっと出てきたるい。いつまでもしずくが戻ってこないからやってきたのだろう。表情こそキョトンとしているが、まとっている雰囲気はいつもどおり超然としたもので、安心と同時にやるせない気持ちになる。そこにしずくが澄ました様子でるいに問いかけた。
「畑野さま」
「ん?」
「あなたにとって、この方はどういったご関係の人物ですか?」
このままここで白黒つけてしまおうという魂胆らしい。
同時に恐怖心が襲いかかる。うららはるいを信じている。きっとひどいことはいわないだろう。だからこそ、いまのうららはるいの口から放たれる言葉がたまらなく恐ろしい。畑野るいという少年はどんなにつらいことも黙って受け入れてしまう強さを持っている。けれど心はしっかりと傷つき、痛みを人知れず抱えてしまう繊細な少年なのだ。そんな彼の心を癒やしてあげたいとおもった。癒せているとおもった。なのにそんな己が、己の存在そのものが、理解者気取りでずっとるいの心を傷つけ続けていたのだとしたら? 胸が苦しい。頭がズキンズキンと痛む。
るいは片眉を上げて怪訝の意を示すが、それでも問われたことをすなおに答えようとする。
「うららは僕にとって――」
――気がつけばうららは駆け出していた。しずくにのみならず、るいにまで背を向けて、石段を駆け下りていく。さめてしまった夢から逃避するように。