"特別な人"とは一体なんだろう。
るいは夕飯のカップラーメンをリビングのテーブルに置くと、その上に本を乗せた。
ソファーに腰掛けると、ラーメンが出来上がるまでの暇つぶしにリモコンでテレビをつける。もう何十年もやってる歌番組。サングラスをかけたベテラン司会者。彼はまちがいなく特別な人だろう。それに対して媚びた態度を見せる新人アイドル。10年後のことはわからないが、今この瞬間においてはまちがいなく競争を勝ち残った特別な人だ。
チャンネルを変える。バラエティ番組。ひな壇に座った芸能人たちに司会のベテラン芸人が話題を振っていくよくあるスタイルの番組。司会はもとよりひな壇に座っている芸能人たちの芸歴は軽く10年を超えている。頓珍漢な発言で笑いを取る芸人。
「あれは素なのか演技なのか……。どうでもいいか」
好感度は低いとどこかのニュースで見た気がする。だがそもそも誰にも認知されずに消えていった芸人は星の数ほどいる。そう考えれば彼もまた特別な人。番組はふつうにつまらなかったのでチャンネルを変える。ニュース。バラエティ。バラエティ。通販。バラエティ。テレビを消す。
るいはリモコンをテーブルに放り出すとゴロンとソファーに横たわった。
だいたいテレビに出ている時点で熾烈な競争を勝ち抜いた一握りの人たちなのだ。特別な人しか出てこないのがテレビといっても過言ではない。
けど特別な人とはそれだけなのだろうか。熾烈な競争を勝ち抜かなければ特別な人ではない? それはちがうはずだと思う。
生まれたときから特別な人として遇されている存在は世界どころか日本にもたくさんいる。2世。貴種。名家の跡取り。どこかのだれかに傅かれて育った特別な人。
熾烈な競争を勝ち抜いたアイドル。名家の跡取り。その両方を満たす華咲うららは文句なしに"特別な人"なのだと改めて気づかされた。
「特別な人、か……」
目をつむる。手をひかれる幼い自分。顔を見ようと見上げれば黒塗りになって目元が見えない。けれどさびしそうな口元だけはハッキリ見えて。
ピピピピピピという音と共に目を開いた。上半身を起こすと毛布がかけられていることに気がつく。テーブルに視線をやるとカップラーメンではなく自室にあるはずの目覚まし時計が置かれており、けたたましく鳴っている。デジタル時計にはAM6:00と示されており、どうやら軽く目をつむったつもりがそのまま眠ってしまったようだ。
目覚まし時計を止めると、その下に敷かれていたメモ紙を引き出して文章を読む。
『帰ってきたら気持ちよさそうに眠っていたので毛布をかけて目覚まし時計を置いておきました。
カップラーメンは捨てておきました。朝食はパスタを作って冷蔵庫に入れておいたのでそれをレンジで温めて食べてください。
今日も帰りは遅くなるので夕飯は自分で用意してね。 母より』
どうやら昨日は珍しく母が家に帰ってこれたらしい。
『今日も帰りは遅くなる』と書かれているが、十中八九仕事が忙しくて帰ってこれないだろう。
こうして母が女手一つで稼いでくれている学費を無駄にしないためにも、るいは学校に行く用意をはじめるのだった。
***
華咲うららは"特別な人"だ。
だからといってうららに対する態度が変わるわけでもないのだが。
ただひとつ疑問を抱いたのでそれだけは訊いてみた。
「うらら」
「! な、なんですかしらですの!?」
えらく動揺した様子のうらら。
そういえば初めて名前を呼んだ気がするが、そんなことくらいで動揺するような少女とも思えない。
「な、名前で呼ばれましたわ……これはもう夫婦の契りを結んだもどうぜ……」
「どうして僕を夫にしようなんておもったの?」
「ずばり勘ですわ!」
いつものベンチではなく、芝生に広げられたシートの上で力強く答えるうらら。
「なるほど」
かくして疑問は解消された。
弁当箱に詰めた朝食のパスタをフォークで巻いて口に運ぶるい。
冷蔵庫を開けたらどう考えても4人前くらい盛られたパスタに絶句した今朝のことを思い出す。
「ほーっほっほ! これでまたひとつ、わたくしたちの仲は深まりましわね! ほかにもなにか質問はありますかしら?」
「ないです」
「そうですか……、それは残念ですわね。ちなみにわたくしの3サイズとか知りたくありません? 腰回りとかなかなか引き締まってると自負してますわ!」
「ないです」
そんなことは数字を聞くまでもなく見るだけでわかる。
「そうですか……、それは残念ですわね。なら! わたくしの胸のサイズとか興味ありません? 最近ちょっと大きくなったのですわ! 具体的にいえばAからBに……」
「ないです」
だいたいサイズなんか聞かされても困る。これもまた目に見えるものがすべてだろう。
引き下がるうらら。るいがすげないせいかなんだか不満気な様子だ。しかし興味がないのだからしょうがない。
「そうですか……、それは残念ですわね。な、なら……! わたくしがその……、しょ……処女かどうかお知りになりたくはありません!?」
ブフッとむせる声が聞こえてきたが、るいは特に気にせず答える。
「ないです。っていうか処女ってなに?」
「るいさまがお望みならここにちょうど華咲不動産が経営する高級ホテルのスイートルームのチケットが2枚あって……って、え?」
「処女ってなに?」
少女の聞き間違えかともおもったが、少女かどうかなんてそれこそ見ればわかることだ。
純粋に疑問の眼差しを向けると、うららは頬を赤く染め、目を泳がせながらもじもじと語り始める。
「そ……、それはですね。女性が愛する殿方に捧げるもので要するにるいさまに捧げるもので……」
「捧げるって? どうやって?」
「それは……」
「それは?」
救いを求めるようにうららは視線をさまよわせるが、るいはその態度が解せない。
どんどん顔をうつむかせていく。気づけば首まで真っ赤になっている。
「は、はだかに……」
「はだか? はだかになってどうするの?」
じれったくなってうららの顔を下から覗き込むと、「ひぅっ」とちいさく悲鳴をあげた。
「……ちょ、ちょっとお花をつんでまいりますわーっ!」
ぴゃー! とまるで逃げるようにお手洗いへ駆けていくうらら。るいは頭上にクエスチョンマークを浮かべるばかりだ。
とりあえずうららが処女ということだけはわかったが、それが一体なんだというのか。
「うららは……いや君たちはその……いつもこんな風なのかい?」
「そうだけど?」
「そっか……うん……なるほど……」
弁当箱を脇に置いて、腕を組んで複雑な表情を浮かべている青髪のボブヘアの少女。
端正な顔立ちに、切れ長の瞳、ついさっきまでは涼しげな笑みを口元にたたえており、背丈は155センチのるいよりも頭ひとつは高い。ファッションモデルのようなスレンダーな体型で遠巻きにみれば実身長よりも大きく見える。余談だがるいはクラスの男子の中で一番背が低い。さらに余談だがうららはるいよりすこし高めの157センチだ。畑野るい12歳。声変わりもまだの彼は、成長期の到来を今か今かと待ちわびている。
話がずれてしまったが――、目の前にいる少女は同性受けのよさそうな美形だった。ちなみに男子の制服を着ている。いわゆる男装の麗人というやつだろう。
「一体なにをやってるんだいうららは……。男性を誘うにしてもあれはないだろ……。一歩まちがえればただの変態じゃないか……。だいたいボクらまだ中学1年生だよ? なにやって……」
その美形がじょじょにうつむき、とうとう頭を抱えて何やらぶつぶつとつぶやきはじめたと思えば、すぐにハッとした様子で顔を上げる。
「いきなりぶつくさ言い出してごめんね? その、幼なじみのあまりに意外な姿におどろいてしまったというか、色ボケにもほどがあるだろっていうか……」
この調子だといつまでもぶつぶついってそうなので、るいはこちらから話をふることにする。
「瀬良ケイさん」
「ケイでいいよ。さんもいらない。気軽に呼んでくれるとうれしいな」
るいに話しかけられればケイは涼しげなほほ笑みを浮かべる。どうやら何事もなく会話できそうだ。
「今日はどうしてここに?」
「うららに誘われてね。もしかして、お邪魔だったかな?」
「いや別に」
「それはよかった」
「むしろいままでいなかったほうが不思議かな。いつもうららの側に控えて人あしらいしてるのに、いつまで悪い虫を放置してるんだろうって」
るいの率直な感想に意外そうな表情を浮かべるケイ。
「おもっていたより周りを見ているんだね。キミはもっと他人に興味がないイメージだったよ。それとも……、"うららのこと"だからしっかり観察していたのかな?」
何故かケイはいたずらっぽくいうが、るいはさらっと応じる。
「うん、それもあるかな」
観察というほどでもないが、うららのことを遠目に見る機会は少なくない。いつも周囲に人が侍っているからそれはもう目立つのだ。自然と視線が吸い寄せられていき、そうなるといつもすぐ側にいるケイが気になるのは道理だった。
「あれ、あっさり認めるんだ……。それも、ってことはほかにも?」
「ケイも美人だから目立つんだ。目が離せないくらいに」
加えて日本人女性としては高身長だし、スタイルもハッキリいって女子中学生離れしている。かといってうららの華やかさを覆い隠すようなタイプの美ではない。うららがホットな華やかさを秘めた美少女ならば、ケイはクールな華やかさを秘めた美少女といったところか。
隣り合えば華やかさが相乗効果をもたらし互いの魅力を際限なく高め合うふたりだった。
「うえっ? え……その……どうもありがとう……?」
という意味を込めて目をじっと見つめながらそういったら、なぜだかケイは顔を真赤にして目を泳がせていた。うららといっしょにいるからか動揺した時の仕草までそっくりだ。というか何を動揺しているのかるいにはさっぱりわからない、美人と呼ばれたからか?
ケイほどの美人なら面といわれたことなんて腐るほどあると思っていたが、意外とそうでもないのかもしれない。
「それで」
「ふぇ!?」
「いや、それでどうしていままで来なかったの? いつもいっしょにいるのに」
「あ、ああ、うん、そうだね。そんな話だったね……。えーっと……ナマ臭い話になってしまうけどね。華咲家のお嬢様ともなれば、つきあう人間も本人の意思だけでは決まらないところがあるんだよ。キミたちの関係には華咲家の意向がかかわっている……なんて考えている人たちがいることは覚えておいてもいいんじゃないかな」
ともすれば陰謀論めいた発想である。
こんなことを村井に話したら「考えすぎ」で一蹴されるだろう。世の中は個人と個人の直接的な打算によって成り立っていると考えるのが庶民なのだから。つまりはケイが住み慣れた名家の集まる世界ではそのような発想がまかり通るだけの下地があるということだ。
「名家の集まりにはそれなりのしがらみがある、と」
「そういうことだね。実際、うららの幼なじみはボクともうひとりの二人だけさ。ならその伴侶となる相手はさらに厳しく選別される……。と考えるのは自然じゃないかな? だからキミのことを悪い虫だとおもったことは一度もないよ」
そこがるいにとっては信じがたいのだ。ほんとうに畑野家のことを厳しく調べたのなら、むしろ撥ねられる気しかしない。脳裏をよぎる。赤信号。大きな影。赤。赤。赤。赤。赤。黒。
「けれどうらら自身が気に入るかどうかはやっぱり別問題だろ? だからまあ……、ボクが見定めてやろうだなんて偉そうなことを、ちょっとは考えてなかったといえばウソになる、なんて……」
冗談めかした調子で言葉を続けていたケイがふいに眉をひそめた。
「……ごめん、気を悪くしたかい?」
「いや……、そんなことはないよ。続けて」
「キミがそういうなら続けるけど……。見定めてやるはいい過ぎたね。けれど、うらら本人の気が進まないようなら、場合によってはボクが間を取り持つことも考えてたのは本当。それも結局は余計なお世話だったみたいだけど、ね」
ふたたび片目を閉じていたずらっぽく笑うケイ。
どういうことかと、今度はるいのほうが眉をひそめる番だったが、ケイは話を変える。
「それとね。実はうららのほうからずっと昼食に誘われてはいたんだよ。それを断っていたのはボクのほうで、遠慮してたのさ」
「遠慮?」
「キミがいったんだろう? まずは"ふたりきりの時間をつくってお互いを知り合うべき"だって」
「ああ……そんなようなこともいったね」
得体の知れない女に対するその場しのぎつもりだったが、うららはガチだった。
「道理だとおもったね。だからしばらくはふたりきりにしておこうとおもったんだ。どうだい、ボクが作ってあげた時間で、お互いのことをしっかり知り合えたかい?」
「さあ、よくわからないな。たった1ヶ月だし」
「即答……。キミは本当にストレートというか正直だね。そこは『よくわかったよ。時間を作ってくれてありがとう』っていう場面じゃないのかな?」
笑いながら肩をすくめるケイ。丁度そこにうららが帰ってきた。
「た、ただいま戻ってまいりましたわ……。って、あら? ずいぶんと打ち解けたようですのね」
「そう見える?」
「ええ。とても良いことですわ」
ほほ笑むうらら。本気でるいとケイが仲良くなったことを喜んでいるようだ。
膝を折って元の位置に品よくすわるうらら。そういった所作のひとつひとつにお嬢様なのだと思い知らされる。
「ところで処女って」
「あーあー! きこえませんわー! それよりも早く食べてしまわないと昼食の時間がおわってしまいますわよ! あーサンドイッチおいしいですわー!」
サンドイッチをガツガツと貪るうらら。とてもお嬢様とはおもえない豪快な食べっぷりである。
なんにせよ、うららがそこまでして話したくないということだけはしっかり理解した。
しょうがないのでるいも昼食を食べようとしたら、いつの間にやら横に移動していたケイがこそっと声をかけてきた。
「……いちおう訊いておくけど、ほんとうはその……女の意味、知ってたりしないよね?」
「ケイは知ってるの?」
「うぇ!? ま……まあ、いずれうららがふたりきりで教えてくれるさ。そのときを楽しみにしてるといいんじゃない……、かな? ……うん、たぶんまちがったことはいってないはず……だよね?」