7話 畑野るいはストライクを決める
私立聖英中学校の裏庭には洋風庭園がある。
物を知らぬるいの目から見ても、実に手入れの行き届いた立派なものだった。
そこにちいさな花壇がある。
隅っこの方にポツンと置かれた、ほんとうにちっぽけで安っぽい、プラスチック製の花壇。
手入れの行き届いた洋風庭園において、ともすれば調和を乱すような存在。
だが、聖英中学校内においてそれは何人たりとも触れてはならないタブーであった。
なぜなら――、華咲うららが持ち込んだものだからだ。
「るいさま! そろそろお花が咲きそうですわ!」
「ほんとうだ」
ジョウロを持ったうららにうながされ、るいは隣から花壇を覗き込む。
そこには薄紅色のコスモスの花が咲きかけている。ちっぽけな花壇のなかで懸命に咲こうとするその姿が、るいにはなぜだか無性に健気に感じられた。
「……なんだか、がらにもなく感傷的な気分になっちゃったな」
「しかたありませんわ。だって10月ですもの!」
「そうだね。10月だからしょうがないか」
うららの言葉にるいは納得する。
10月。うららと知り合ってから早半年が経過していた。
畑野るい。中学1年生の秋。
***
そろそろ肌寒い10月の空の下、今日も今日とて裏庭にシートを敷いて昼食タイムだった。
るいとうららが隣り合い、気もち離れた位置にケイが座っている。
ルキはいない。理由は本人も定かにはしないが参加したりしなかったりしていた。
「はい、るいさまあーん、ですわ!」
「あーん」
うらら手ずからサンドイッチを口に運んでもらう。
自分で食べたほうが圧倒的に楽で早いのだが、うららの楽しみに水を差す気もなかった。
「おいしいですか?」
「おいしい」
「よかったですわ! 今日のランチはわたくしが作ったんですのよ! ところでケイ」
「なにかな?」
「あなた、また胸が大きくなってません?」
出し抜けにうららからそんなことをいわれて盛大に咽るケイ。
「るいさまもわかりますわよね?」
「いわれてみればたしかに」
「せ、セクハラだよ!?」
るいの視線にケイはバッと胸元を隠す。
夏休み、華咲家の別荘にいつもの4人で行ったことをふと思い出す。
プライベートビーチ付きどころか、南国の孤島が丸々別荘というスケールの大きさに謎の安心感すら覚えたものだ。ビーチで遊ぼうという話になるのは自然の成り行きで、うららとルキはためらうことなくるいの前でも水着姿になっていた。けれどケイだけは、うらら以上ルキ未満の大きい胸を今のように恥ずかしがって隠そうとしていたのだ。
実は胸をさらしで相当に締め付けていることを知り、それ以来うらら共々ケイと会うたびに胸のサイズを確かめるようになっていた。相手が隠そうとすればするほど、逆にそれが気になってしまうのだからわれながら下世話なものだとおもう。
などと考えていたら、うららが珍しくケイに対して怒っているではないか。
「だーかーらー! 毎日さらしをつけるのはいい加減におやめなさいといってるでしょう!」
「で、でもそうしないと目立っちゃうじゃないか……」
「女にとって出るところが出て目立つもなにもないですわ! それで型崩れしていつか困るのはあなたですのよ!」
「困ることなんてないよ……たぶん……」
うららの言にも一理あるのだろうが、ケイ本人も好きでそういう格好をしているのだからあまり責めてやることもないだろう。
というわけで、るいはここらで困ってるケイに助け舟を出すことにした。
「うらら、そんなに厳しくいってやらなくてもいいじゃないか」
「甘やかしてはいけませんわるいさま! おそかれはやかれ現実とは向き合うことになるのですから、早いうちに釘を差しておいてあげませんと!」
おや、とるいはおもった。友人の趣味に苦言を呈している程度の話だとおもっていたが、なにやら入り組んだニュアンスが感じられる。
「ついでだからこれもバラしちゃいますわ! ケイはほんとうはひらがなで"ほたる"って名前ですのよ!」
「ちょ、ついででバラさないでよ!?」
あわてるケイを横にるいは脳内で文字変換していく。
「ほたる……蛍……ケイ……ああ、なるほど」
瀬良ほたる。
「かわいい名前だね」
「ほら、るいさまもこういってますわ!」
「だからイヤなんじゃないか……せっかくうららに付き従う男装の麗人系キャラとして振る舞ってきたのに……」
「苦労人キャラのまちがいでは?」とおもったが、それを口にしない分別をるいは持っていた。
ケイというキャラは狙って作っていたものだったらしい。客観的に見てそれは成功しているといえるだろう。遠巻きに見ている分には見事な人あしらいをするうららのナイトだ。そう、遠巻きに見ている分には。うららは腕を組むと、思案げな表情を浮かべる。
「わたくしが"ケイ"になにかと助けられてきたことはわすれていませんし、そこはしっかりと感謝しておりますわ」
るいにしても、初めてケイを見た時は一瞬男だとおもったものだ。そのギャップを利用して、うまいこと人あしらいに活用してきたことも想像に難しくない。
「それでも」とうららは続ける。真剣な表情だった。
「るいさまには"ほたる"を知っておいてもらうべきでしょう? いずれあなただってるいさまとは深い関係になるのですから」
「う、うん……まあそうなんだけど、さ……」
なにやら意味深な会話。その後は妙に重苦しい雰囲気のなかでランチを終えたのだった。
***
るいが暮らしている籤引市は地方中核都市だ。
商業施設が立ち並び、地域経済はこの市を中心に回っているといっても過言ではないだろう。
なお私立聖英中学校は郊外の富籤市に位置しており、るいは毎日電車に20分ほど揺られながら通っていた。聖英に限らずここらの学生が遊ぶとなればまず籤引市であり、るいもその例に漏れず暇な休日はショッピングモールをよくぶらついている。
普段ならウィンドウショッピングで店を冷やかすだけなのだが、その日はたまたま割引券を持っていたので映画を見ることにした。シネコンに入ってチケットを買うと、第5スクリーンの指定された座席に腰を下ろす。すると隣から「おや」と聞き覚えのある声。
「るい君じゃないか。ひとりかい?」
視線をやれば、ぶかっとしたシャツにズボンという出で立ちのケイが座っていた。
「うん、ケイも?」
「そうだよ。うららもルキも用事があってね。自分でいうのもなんだけど、めずらしくひとりさ」
「ふーん」
「それでやることがないから暇つぶしにテキトーな映画を見つくろ……、いやごめん。ちょっと軽率だったね」
謝るケイ。どうやらるいがこれから上映する映画を楽しみにしていると勘違いしたようだ。
「僕も暇つぶしに来たんだ。この映画のことなんていまさっき初めて知ったよ」
「そっか……うん、それならよかったよ」
るいのその言葉にケイはホッとした表情を浮かべる。
いささか気を使いすぎだとおもうが、こういう繊細さを持つのがケイという少女だった。
「気をつかいすぎ、だとおもったかい?」
そんなるいの考えもあっさり察せられた。ほんとうに気をつかう少女だとおもう。
「うん」
「ははは、キミはいつだって正直だね。だからかなぁ……。キミの前ではついつい気を緩めてしまうのは……」
ケイはそういっておだやかにほほ笑んだ。
映画を見終わると、そのままなんとはなしに連れ立って行動をした。ウィンドウショッピングというのも味気ないので、エンターテイメント施設に足を運んでみる。施設内のボウリングフロアに入れば、ケイはいつになくウキウキした様子だ。
「うわー、ボーリングなんて生まれて初めてやるよ」
「うららとはやったことないの?」
「テレビゲームでならあるよ。でも実物はうららもやったことはないんじゃないかな?」
るいにしてみれば意外な話だった。うららなら自宅にボウリングレーンくらい持ってると思っていたからだ。
「じゃあ今度はうららもさそってみようか」
「うららも喜ぶとおもうよ。まあ、るい君から誘われればなんでも喜ぶとおもうけど……。それで、ここからボールを選ぶわけだね」
「そうだよ」
並べられた色とりどりのボール。その中からケイが手に取ろうとしたのは上から2番目に重たいボールだった。るいはあれを持ち上げるだけで一苦労だったことを思い出す。細腕のケイもきっとそうなるだろう。なので止めに入る。
「あ、ケイ。こっちにもっと軽いのが」
「よっと。ボーリングの玉っておもったより重くないんだね。でないと家族連れも楽しめないか。……ん? どうかしたかい?」
「いや、なんでもない」
るいは所在なさげに伸ばした右手で、そのまま上から5番目に重たいボールを掴んだ。
***
「ストライクというのはなかなか出ないものなんだね。ちゃんとまっすぐ投げてるのに……」
「十分だしてるとおもうよ」
スコアを見れば、ケイの欄にはXがいくつも並んでいる。
「いやでも……いや、うん、そうだね……」
気まずげに顔をそむけるケイ。
るいのスコア欄には1ゲームも終わりに至ってひとつもXがないから気を使ったのだろう。
余計な配慮といわざるをえなかった。くやしくなんかない。
「その……よかったらだけど……、投げ方をレクチャーしようか?」
「遠慮しておく」
「いや、でも……」
「いいってば」
るいはボールを手に取るとレーンの前に移動する。今度こそストライクを出す。そんな意気込みと共に力強くリリース。ボールはキレイに真っ直ぐに進み、右端のピンを一本だけ跳ね飛ばしたのだった。憮然とボールリターンの前でボールが戻ってくるのを待っていると、背後からぷっと吹き出す音。振り向けばケイがくすくすと笑っていた。
「……ケイさん?」
るいの剣呑な視線に気がついて、あわてたように弁解する。
「いやいやいやいや、決してバカにしたとか、そういう意図はないよ? ただ……」
「ただ?」
「うららそっくりだな、と思ってさ」
るいの追求に対するケイの目は、依然としてほほ笑ましいを見るものだった。
「あの娘もできないことがあるとすぐムキになってね……、いやまさかキミもそうだとは……、ははは……」
楽しそうに笑ってるケイに背を向けて、るいはようやく流れてきたボールを手に取る。
今度こそストライクをお見舞いせんとレーンの前に立とうとしたら、背後からひょいとボールを取り上げられた。
「……ケイ?」
「まずはフォームを矯正しないとね。いまのままじゃ何度なげてもいい結果は出せないよ?」
ケイはボールリターンにボールを置くと、背後からるいの両肩を掴んだ。
「さ、まずはボールなしでボールを投げてみようか。その動きを見ながら、ひとつずつボクがフォームを修正していくから」
「……そんなのいらないんだけど?」
「ほら、意地なんか張らないで」
「……張ってないけど?」
「張ってるじゃないか。キミのそんな不機嫌そうな声、初めて聞いたよ。さ、もうちょっと足を開いて」
ほほ笑みながらるいの足に手を這わすケイ。抵抗を試みてもケイの力には敵わなかった。なので、やむなくケイに動かされるまま手足の位置を調整していく。そうしてボールを振り抜いた姿勢まで終える。ボールを持ってないといささか間抜けな姿だ。
「うん、あとはこのフォームを繰り返してみてごらん。もちろん目はまっすぐ真ん中のピンに焦点を向けてね」
そして「はい、ボールだよ」とケイから差し出されたボールを受け取る。釈然としないものは残っているが、なんにせよ好意を受けたことにちがいはないのだ。るいは先ほど矯正されたとおりに身体を動かし、ボールを投げる。ボールはレーンを真っすぐ転がっていき真ん中のピンに命中、そのままほかのピンも蹴散らしていった。
「……やった!」
念願のストライク。喜びのあまり、思わずぴょんと飛び跳ねる。
「やったよケイ! ほら!」
「よかったね」
「ありがとう、ケイのおかげだよ」
笑顔と共に感謝の言葉を送れば、「あっ……」とちいさくつぶやいて、お腹にそっと手を当てた。
「かわい……うん、いや、うん。どういたしまして……」
頬を赤く染めて目をそらすケイの態度に疑問を抱いたが、すぐにどうでもよくなる。
人生初ストライク。その喜びに浸るのだった。