ボーリングを4ゲーム終えて店から出ると、外はすっかり真っ暗だった。
「ごらんよるい君、まだ17時なのに星がまたたいてるじゃないか」
「10月は日が沈むのも早いね」
暗いし時間も時間だし、ここらでお開きにしようかということで意見は一致した。
「そういえばケイの家ってどこにあるの?」
「ボクの家はすぐそこさ。もしよかったら夕飯を食べていかないかい?」
「いいの?」
「うん。どうせボクしか住んでないからね」
「一人暮らしなんだ」
「うん、まあね。……ただ、家を見たらちょっとびっくりするかもしれないな」
「びっくり?」
「そのあたりは実物を見てもらえればいろいろとわかってもらえるかな」
意味深な笑みを浮かべるケイ。それにクエスチョンマークを浮かべつつもついていくるい。
ショッピングモールに続く大通りをしばらく歩くと、路地裏に入った。さらにしばらく人気のない道を歩いて行けば、鬱蒼とした木々に左右を挟まれていく。やがて門が見え、奥にはくすんだ色合いの時代がかった西洋屋敷が見えた。怪奇事件でも起きそうな雰囲気だ。
門柱には"学校法人聖英学園寮"と書かれた看板が掲げられている。
「あの学校、寮があったんだ」
「そして今住んでるのはボクひとりというわけさ」
「寮母さんとかは」
「いないよ。正真正銘ボクひとりだけ。おどろいたかい?」
「うん」
たしかにおどろいた。
聖英に寮があったいうことにも。こんなお屋敷にたったひとりで暮らしているということにも。
そんなるいのリアクションに満足したのか、ケイはほがらかに笑う。
「ははは、るい君は正直だね。じゃ、中に入ろうか」
門を抜けて敷地内に入り、鍵を取り出して扉を開ければ暗闇が広がっている。
窓から射し込む月明かりは窓辺をかすかに照らすだけだった。
「電気をつけるよ」
ぼんやりとしたオレンジの明かりがつけば、玄関ロビーが露となる。ソファーやテーブルが置かれており、ほかにも人が住んでいるのならここが憩いの場になったのだろう。カチャリと音がしたのですぐ横に視線をやれば、ケイが壁に唯一かけられている細長い板をひっくり返していた。
「出欠ボードってやつさ。ほら、ここにボクの名前が書かれてるだろ? 出かける時は名前を裏にして、帰ってきたらこうやって表にするのさ」
「それ、毎回ひっくり返してるの?」
「出入りの業者さんが来たり、学校の先生がたまに見回りに来るからね。こうやって在否をちゃんと示しておく必要があるのさ」
「じゃ、ボクの部屋に行こうか」と先導するケイについていく。なお室内は土足だ。玄関から右手の廊下に入る。明かりのついてない暗闇にいくつもの扉が浮かんで見えた。そのなかでも玄関に近い扉がケイの部屋だという。
「もともとは寮母さんの宿直室さ。ここなら用事があればすぐに屋敷から出られるからべんりなんだ。さ、どうぞ」
「おじゃまします」
ワンルームの細長い部屋。るいはケイにうながされるままカーペットの敷かれた床に座った。
「キッチンは共同のが一階にあるんだ。ちょっと夕飯を作ってくるからまっててね」
「あ、手伝うよ」
「お気もちだけ受けとっておくよ。ボクから招いておいてゲストのお手をわずらわせるわけにはいかないだろう? テキトーに部屋の本でも読んでまっててよ」
そういってウインクと共に部屋を出ていくケイ。
ひとりになったるいは室内を見回す。勉強机。ベッド。タンス。ドレッサー。眼前には丸テーブル。タンスの上に数冊の本が並んでいるのが見えたので、一冊取ろうと立ち上がる。
その際、勉強机の上に置かれた写真立てが目に入った。興味を惹かれたるいは本より先に手にとって見てみる。写真には幼い少女が三人。赤・青・黄の髪色から察するに、ここに写っているのはうらら達なのだろう。
「着てるのは……幼稚舎の制服かな」
順当に考えれば聖英の幼稚舎に通っていたはずだ。三人ともセーラー服をそのまま小さくしたような同じ服を着て、それはそれは無邪気な笑顔を浮かべていた。
***
食事を終え、ゆったりとした空気が室内に流れる。
ケイはベッドに背中をあずけて座り、長い脚を伸ばしてくつろいでいた。
「ボクの料理はお口にあったかな?」
丸テーブルの向こう側からの問いかけに、るいはうなずく。
「うん」
「それはよかった。うららの料理に比べると薄味だったかなって、すこし不安だったんだよね」
「やさしい味付けでたべやすかったよ」
「ははは、そういってもらえるとうれしいな」
うれしそうにほほ笑むケイ。
「ケイはきっと良いお嫁さんになるとおもうよ」
るいが軽い気持ちでそんなことをいえば、なぜだか微妙な空気が流れる。
「お嫁さんか……」
が、それも一瞬のことだった。
ケイはすぐにいつもどおりの微笑を口元に浮かべる。
「今日はたのしかったね、るい君」
「そうだね。まあ、ボーリングには負けたけど……」
「い、いがいと尾を引くんだね……」
ムスッとしたるいに、「ははは……」と苦笑を浮かべるケイ。
「ほんとうに、今日はたのしかったよ。キミの意外な一面を見ることもできたし」
ケイはそうしみじみとつぶやく。
そこからどことなく神妙な雰囲気が漂い、室内に沈黙が落ちた。
「初めて会ったとき……、うららの幼なじみであるボクらは選別された存在だと話したことをおぼえてるかい?」
「うん」
「その理由――、うららはキミに話したかな?」
「ううん」
そもそもそんな話をうららとしたことすらない。
ケイたちが選別された存在だからといって、それでなにが変わるかといえばなにも変わらないからだ。今現在こうして良好な関係を築けているのならなにも問題はないだろう。だいたいうららがだれと友だちであろうとるいには関係ない。とまでいってしまえば薄情に聞こえるだろうか。
「端的……いや、ハッキリいえばボクらはキミの側室なのさ」
「え?」
ぽかんとするるいを見て、ケイは楽しそうに笑う。
「ははは、さすがのキミもぽかんとしてるね。ちなみに、冗談じゃないからね?」
「側室って……昔あった、あれ?」
「そう、あれ」
「……なんでそんなものが」
「よりかくじつに世継ぎを作るなら、種はなるべく多くばら撒かれたほうがいい。自然の摂理にのっとった合理的な話だろう?」
"十月十日"という言葉くらいはるいも知っている。
それは決して短い期間ではないし、さまざまな可能性を考慮するならばたしかに複数の女性を用意するべきなのだろう。
「しかしキミの困惑した顔は新鮮だね。まあ……、あっさり納得されたら、それはそれでボクのほうが複雑な気もちになるところだったけど」
ケイがいうとおり、さすがのるいもこれを飲み込むのには苦労しそうだった。あまりにも前時代的な価値観だからだ。
「もちろん直系の血は尊ばれる。けれど、最終的になにがあっても残すひつようがあるのは華咲の家なんだ。世継ぎを作るための優秀な母胎として選ばれたのがボクとルキなのさ」
"優秀"の部分に皮肉げな響きが乗せられたのをるいは感じ取る。
「いつ、どこで、どのような試験があったのか。また具体的になにを基準に選ばれたのか。詳細なことはなにひとつ教えてもらってない。これで優秀だといわれてもピンとこないとおもわないかい?」
いずれにせよ華咲における待遇は、さすがにうららと同格とまではいかないが、ほぼ準じた丁重なものだという。
「それでもハッキリしている選定の条件は次の3つ。家を割るような野心を持たないであろうこと。本来の直系うららと仲良くやれる性格であること。そして――、華咲から離れることができない立場にあること」
「……最初のふたつはわかる。けど、最後のは?」
「ボクの母方の先祖はね。江戸時代なら大名家で、太平洋戦争前なら子爵家。爵位をもらうまえには事業も成功させてて、たいそう羽振りがよかったそうだよ」
しかし華族廃止に加えて財閥解体の対象にも入ってしまい、ものの見事に没落。
「それ以来、お家の再興が代々の悲願だったそうさ。身分制度は廃止されたし、そうなると経済的な再成功が最初の目的だった。でも残念ながら商才に恵まれた跡取りは生まれず、やがてあきらめたわけさ」
そのまま全部あきらめればよかったんだ、とケイ。地元ではたとえ没落しても瀬良のお殿様として遇される程度には名士扱いだったそうだ。しかし両親はそれだけで満足しなかった。
「最初の目的はあきらめた……、じゃあ次はどうしたの?」
「ずばり政界入りさ。……あとはどういうことかわかるよね?」
「華咲が支援をもちかけた。ケイの身柄と引き換えに」
「正解」
笑って答えるケイ。だがそれはひどくさびしげな笑いだった。
お家の存続のために側室を求めた華咲。お家の再興のために娘を差し出す瀬良。とても現代日本の話とはおもえない。
「……ご両親や華咲にうらみはある?」
「これはまた直球だね」
苦笑するケイ。るいも自分で口にしてからいきなり突っ込みすぎたとおもったが、ケイは答えた。
「さて……、うらもうとおもえばいくらでもうらめるんだろう。でもね、何もかもを知ったときには、うららとルキはすでにかけがえのない親友だったんだよ」
含みのある響き。きっと恨んでいるのだろう。だが恨みの感情に塗りつぶされるにはケイの情は深すぎたのか。なるほど――、華咲の選別は正しかったということになる。
「聖英が幼稚舎からあるのはキミも知ってるだろう? うららとボクたちは同じ幼稚舎に通ってた。1クラス30人編成が2つ。それとはべつに専用のクラスが用意されててね。そこにはボクたち3人しかいなかったんだ。自分たちがどれだけ特別な扱いをされているのかも自覚せず、ただ毎日を楽しく過ごしていた。なつかしい日々さ」
遠い目をするケイ。やはりあの写真は幼稚舎時代のものだったようだ。
よほどケイにとって思い出深い時代だったことは伝わってきた。
「……その頃にもどりたい?」
「いや……、そういうわけじゃないんだ。ボクは現状に不満なんかないし、このままうららたちといっしょに成長していくなら、それでいい、はずだったんだ」
「はず?」
逡巡するケイだったが、それでもゆっくりと話し始める。
「……小5で初潮がきてね。鏡に映る自分の身体が日に日に女らしくなっていくんだ。そうするとね……、なんだか急にこわくなってきたんだ」
シャツにズボン。男っぽい身なりだが、それでも豊かに育った身体は隠し切れない。
「……知らない男の種をもらって、華咲の後継者予備になる子どもをつくって、それでボクの人生は終わりなのかな、って」
内心の不安を押し隠すようにぎゅっと膝をかかえる、胸が潰れたことで逆に大きさを強調させた。
「……この寮に入ったのは中学に入ってからなんだ。つい最近までボクは実家で暮らしていたんだよ」
「それがどうして?」
「……やさしい両親だったんだ。ちいさい頃はほんとうにやさしい……。それが成長するにつれて、日に日にボクを見る目が変わっていってね……。ある日、お風呂上がりにバスタオル一枚で部屋に向かってたら、お父さんとすれちがったんだ。……それで、頭の上からつま先まで舐めるように見られてね。いままで見たことのないようなねっとりとした目で……。それで……『その身体ならご亭主殿もさぞ喜ばれるだろうな』って、にやりと、そういわれたんだ。……それでもう、限界だった」
膝に顔を埋めて、ケイは肩を小きざみに震わせる。顔を上げれば無理に微笑を浮かべた顔。
泣いていたのかとおもったが、胸にこみ上げた情動をこらえていたのだろう。
「……だから男装してケイと名乗ってるの?」
「……そうすることで、うららを守ろうとおもった気持ちは決してウソじゃない。でもそれと同じくらい……、せめて灰色でいたかったんだ」
男でも女でもない、灰色の存在。時は進み、環境は変化し、成長する身体に対して精一杯の抵抗――いや、現実逃避だったのかもしれない。それが悪いことだとるいはおもわない。どうせ現実は嫌でも向かってくるのなら、なにも正面から立ち向かうだけが人生じゃないだろうとおもう。
おもうが――、なんだかたまらなく嫌だった。
「ほたる」
「そ、その名前では呼ばないでほしいって……」
「僕にとっての瀬良ほたるは、身長が高くてスタイルもいい、魅力的な美少女だよ」
人生とは一瞬の積み重ねだとなにかで聞いた気がする。
だれもが大なり小なりたった一瞬の過去に縛られながら紡いでいくのが人生なのだろう。
けれどそれは主観的なものであって、客観的には"今"しかないのだ。
「……キミは残酷だね。この話を聞いてそんな言葉が出てくるのかい?」
「でも事実だよ。僕は僕の知ってるケイを――、ほたるを否定したくないだけだ」
「……残酷な上に、卑怯だ」
ポロポロとケイの切れ長の目から涙がこぼれ落ちる。
「うららから求婚されてるキミにそんなことをいわれてしまったら、もうなにもかも受け入れるしかないじゃないか……!」
とうとう我慢しきれず、今度こそ膝を抱えて泣き出してしまった。
(きっと――)
――るいにケイが抱えているものを本当に理解することはできないのだろう。
けれど、いつまでも後ろを向いている姿を見ていたくはなかった。だから今の容姿を肯定した。変わりゆく自分を拒絶したがってる少女に向かって、今の容姿を肯定すれば泣かせてしまうことになるとわかっていても。
(……ああ、そうか)
あの夜、うららがるいの独白を聞いてどんな気持ちでいたのか、なんとなくわかった。そしてうららが自分にしてくれたことを振り返る。
るいは立ち上がってケイの隣に座ると、そっと肩と肩をくっつけた。触れた瞬間にビクリとケイの肩が跳ねたが、やがてそのままるいの胸にすがりついて泣き出す。ただただ、るいはケイが泣き止むまで寄り添うのだった。
***
「ほんとうに泊まっていかなくていいのかい?」
寮の玄関。そう問いかけるケイはすっかりいつも通りの態度だった。
これで泣き腫らした目がなければ、ついさっきまで泣いていた気配などみじんもない。
「うん」
「でもだいぶ遅いし……」
泣き止んで落ち着いた頃には夜も23時。
自分のせいで遅くなったことを気にしたのか、ケイからは泊まっていきなよと提案されたがるいは断っていた。この調子だといつまでも問答が続きそうなので話を切り替える。
「それより、タクシーなんが呼ばなくても歩いて帰ったのに」
「それは絶対にダメだ」
「どうして?」
「こんな夜遅くにるい君みたいなかわいい男の子が歩いてたら、悪い大人に拉致されちゃうじゃないか」
されねぇよ。おもわず心のなかで伝法な口調になってしまったが、ケイの目は本気だった。あれはうららが頑としてるいのいうことを聞かないときの目でもある。さらりとかわいい男の子といわれたが、ルキといい彼女らの目にはいったい何が映っているのだろうか。
「はい、タクシーチケット。いうまでもなく華咲が発行したものだから遠慮しないでつかうんだよ」
「……うん」
差し出されたチケットを受け取る。なんにせよこの好意は甘んじて受ける以外の道はないということだ。
「また初めて話したときの話になるんだけど……」
タクシーチケットをポケットに入れていると、ケイはためらいがちに話しかけてくる。
「キミとうららの逢引に水を差すことを遠慮していた、といったよね?」
「うん」
「ボクはあの時、キミと会わなかったことについてあれこれ理屈をつけてたけど、全部ウソだったとおもってくれていい」
「うん、そうだろうね」
あの話を聞いたあとならわかる。自分の種馬候補となんて会いたくもなかったのだろう。
「最初はキミの話を聞くことすらもイヤだった。だけどキミの話をするたびに、うららはほんとうにうれしそうな顔をするんだ。そんな風に話を聞いていくうちに、ボクもキミにあってみたくなってね」
「初対面の印象はどうだった?」
「悪くない……いや、悪いどころか、好感すらいだいたものさ」
「ならよかった」
「うららからキミに対して好意的な話ばかり聞いていたから、単にその影響かなとおもってた時期もあったんだ。でもね、それだけじゃないって、だんだんとわかるようになってきてね。それで……」
ふいに目を泳がせるケイ。なにか言葉を懸命に探しているといった様子だった。
「だからね、その……」
窓を光が照らした。タクシーが来てしまったようだ。にわかに意識がそちらに向いた瞬間、ふいに肩を掴まれた。
「るい君!」
「ん? ……っ! ……っ!?」
覆いかぶさるようにケイの顔が近づいてきたとおもったら唇にやわらかな感触がした。口の中になにかが入り込んできたことに驚いて反射的に突き飛ばそうとしたが、ケイはしっかりと肩を掴んで離そうとしない。かき回される口内。
嵐のようなひと時は過ぎ、ようやく肩から手を離してゆっくり離れていく。一体なにをされたのか。混乱するるいの口元を自分の袖で拭うと、ケイは改めた様子でつづける。
「キミがうららに求婚されてから、まだ1年目だ。時間をかけて、しっかり答えを出してくれればいいとおもってる。でもね、華咲をうけいれるということはその業もうけいれることだということだけは、早いうちに知っておいてほしかったんだ。その上でキミに華咲を選んでほしいというのは……、ボクの……、瀬良ほたるのわがままさ」
そうしていままで見たことのないような艶然としたほほ笑みを浮かべる――、ほたる。
甲高い音が鳴り響く。タクシーのクラクション。
「さ、タクシーを待たせちゃいけないよ」
依然として混乱していたるいだったが、ケイはすっかりいつも通りのほほ笑みを浮かべるばかりだ。その視線にうながされるようにるいは扉に手をかけて外に出る。
走り出したタクシーのバックミラーには、いつまでもケイが手を振っていた。