目覚めは墓地。
薄く目を開き、いまだ破壊の痕跡が残るそこを××××は見渡す。
そして遠く見える少女の墓に一度目をやると、そこにはなにやら瓶が置いてあった。
酒のように見えるそれは、ガスコインの嗜好の品だったのかもしれず、供えたのは恐らくはアイリーンだろう。
「…………」
感傷を振り切り、××××は歩き出す。
ここより先はただ死を積む道のりなのだと、すでに心に決めていたから。
どれほど思い悩んでも少女が帰ってくることはない。
××××が欲しかった幸せはもうどこにもありはしないのだから。
墓地の外につながっていると思しき階段を登る。
そして物々しい門の前でアイリーンから貰い受けた鍵を使い、その奥へと足を踏み入れる。
すると薄く水に浸された細道に入り、その果てにはどこかに繋がっていると思しきはしごがあった。
××××はそれに手をかけて登り、それからこぢんまりとした書庫と思しき本棚が連なる部屋にたどり着く。
無学なもので生憎本などには大して興味もない。
だから一度だけ周囲を見回してなにもせずに通り抜けようとした……その時。
そしてそれに何故か心を惹かれて、××××は手に取る。
「…………」
いくつかの道具は失われているとゲールマンは口にしていて、これはきっとそうなのだろうという確信めいたものが××××の中にはあった。
そしてこれが役に立つものならば、この夜だけでも借りてもいいだろうかと誘惑めいた思いが芽生える。
××××はしばし悩むが、結局はその道具を懐に入れる。
役に立たないのならば返すし、役に立つものでも夜が終わればきっと返そう。
もっとも。
××××が無事に夜明けを迎えられる保証など、どこにもなかったが。
ささやかな
そして続く長階段を登りきり、細かな装飾が描かれた大扉に手をかける。
そしてそれを押し開き進むと、××××は奇妙な建物の中にいた。
「…………」
まず、鼻をついた不思議な香り。
あちらこちらに大量に置かれた壺が、その発生源だろうか。
それから外の世界ではあまり見ない不気味な偶像をかたちどる彫像に、天井近くから垂れる天幕。
しかしそれでいて片隅には折れた柱のようなものも放置されていて、がらんどうの風景も相まってそこは廃墟のような、そんな雰囲気も纏っていた。
「ん……あんた……もしかして、獣狩りの……狩人さんか?」
不意に声がかけられる。
それに身構えつつも声の主に振り向くと、そこには異様な風体の男がいた。
痩せさばらえた体には薄汚い赤布を纏い……いや、被り、と形容するべきだろう。
それは全くもって、まともな服には見えなかったからだ。
そして布から覗くかさつきしわがれ黒ずんだ肌は不健康を伺わせ、その目は白く濁り焦点が合っていない。
「すまない、香のせいで、匂いが分からなかったよ」
「…………」
匂いもなにも、××××は目の前にいる。
だのにそう口にしたということは、この男は目が見えていないのだろう。
「でも、よかった。あんたが狩人なら、頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと?」
名乗りもせず、男は××××に頼み事を持ちかけてきた。
市街で民家の戸を叩いた際に受けた冷徹な仕打ちを思い返し、××××はこの街の人間はみな常識がないのかと流石に呆れる。
だがこの男が家主ならば、住居に勝手に足を踏み入れ、さらには工具を盗んだ負い目もある。
聞けるものならば聞いてやろうと××××は先を促す。
「言ってくれ」
「あ、ああ」
××××の返答に安堵したかのように息を漏らし、男は続ける。
「……獣狩りの夜が始まって、まともなのは皆閉じこもってる。昔のように、いつものように、全てが終わるのを待っているんだ」
そこまで言って、男の声が恐怖にかわずかに潜められた。
「……でも、今回は異常だよ。実際閉じこもった連中にも犠牲がではじめてる。さっきから女の悲鳴と、獣臭い呻きばかりが増えてるんだ」
「獣なら、言われなくても殺す」
××××がそう答えると、男は首を横に振る。
「いや、そうじゃないんだ。もしあんたがまだまともな生き残りを見つけたら、この『オドン教会』を教えてやってほしいんだ。ここは獣狩りの香もたっぷりあるし、夜が長引いても安全なんだって。だからなんとかして……ここに逃げて来いって……」
「…………」
××××は改めて教会……なのだという建物の中を見渡してみる。
たしかに壺はいくらでもあって、香が絶えることはなさそうだった。
「できる範囲で、協力しよう」
工具を盗んだ負い目と、それからギルバートのことを思い××××はそう言う。
彼をここに保護できるなら、××××にとっても悪い話ではない。
すると男は醜い顔に
「ほ、ほんとうか? それならあとは、まともな生き残りがいてくれれば……。ああ、楽しみだなぁ……ヒヒッ……」
あまり耳触りのよくない甲高い声で男は豚のひきつけのように薄気味悪く笑う。
あまり快く(こころよく)ない様子の男だったが、悪人にも見えない。
だから狩りの片手間にその願いを聞くことにして、××××は男のそばから歩き去る。
そして道中にある灯りに触れ、火を点けた後に教会を後にした。
―――
来た道を引き返し、墓地に戻る。
獣を殺すための時間が失われるのは惜しかったが、ギルバートは××××にとり恩人なのだ。
彼を救うために時間を割くことは、決して無益ではない。
地下道の前の橋の獣を殺し、それから手前のはしごに引き返す。
そして街に戻るために下水道の中を進んでいた、その時。
「あなた、あぶないですよ!」
「!」
優しげな、けれど芯のある声。
緊張に張り詰めた男のそれが耳を打ち、それから××××は不意に横から現れた男に突き飛ばされる。
すると先程まで××××がいた場所を、巨大な豚の突進が横切った。
そうだった。
ここは、あの豚の縄張りだったか。
突進した先で上半身のみで這いずる獣の群れに突っ込み、豚はそれらと争っている。
既視感のある光景から目をそらし、××××は自らの身を助けた相手に視線をやる。
「……あんた、夢は見るのか?」
その彼は、どうも狩人らしかった。
柔らかそうな金髪に、整った顔つき。
浮かべる表情も優しく、××××のことを人懐こい目で見ている。
そして手に持つのはショートソードと金色の長銃。
狩装束は灰色のマントがついた、同じ色の美しい装飾の法衣。
それから、不思議なのだが。
背中には用途不明の岩……のような巨大な何かを背負っていた。
「いいえ。今はもう夢見ることもありません。……それよりあなたは獣の狩人とお見受けしますが?」
誰に任じられた訳でもなく、認められた訳でもない。
だが××××は、獣を狩る者だ。
その言葉に頷いても構わないだろう。
「そうだ」
「ああ、そうですよね。私もかつてはそうでした。……申し遅れましたが、私はアルフレート。今はローゲリウス師の教えに従い、穢れた血族を……」
「豚が、来ているぞ」
「!!」
××××の言葉に、古狩人……アルフレートが身を翻す。
背後に飛びのき、そして同じく下がった××××とアルフレートの間を埋めるようにして豚が突っ込んできた。
「私は血族狩りなれど、獣狩りは貴い業だと思っています! どうです? ここは協力しませんか?!」
「ああ、そうだな!」
狭い下水道に豚の叫びが反響する。
その大音響を捻じ伏せるようにして言葉を交わし、×××とアルフレートは動き出した。
まず、豚がその上体を浮かせる。
そして汚水を撒き散らしながら叩きつけを放ち、地を揺るがすそれを××××は回避する。
そして自重による反動で束の間動きを止めたその顔を切り裂き、また振られる顔の薙ぎ払いを避ける。
すると豚は突進を仕掛けてきて、しかし助走がないために大した勢いのないそれを跳躍でかわしその頭部に飛び乗る。
壁に激突して止まったところでなたの柄を豚の右目に突き刺そうと……した、ところで。
「――――――――!!!!!!!」
豚が、凄まじい声を上げた。
××××は思わず耳を塞ぎ、頭から飛び下り距離を取る。
すると、豚の肛門に右腕を突っ込んだアルフレートの姿が見えた。
「この豚がァ!!」
見たくもない、あまりに凄惨な諸々を掴み出しつつアルフレートが豚の尻から腕を引き抜く。
するとさらに激しく断末魔を上げて、豚は数秒
「素晴らしい動きでした。あなたは腕の立つ狩人のようだ」
「…………」
アルフレートは内臓攻撃のために地に突き立て手放していた剣を拾い、赤黒く濡れ染まったその右手を軽く振った。
「……? ああ、失礼。癖のようなものでしてね。この豚を見るとどうも、これをやらずにはいられない」
「…………」
「とはいえ悪癖ですね。臭いますし。……これをやると師にもよくロスマリヌスを浴びせられたものです」
「……いや、参考になった」
アルフレートは懐かしげに目を細めて笑う。
××××が言葉を返すと彼はまた笑い、それからショートソードを背に吊った石の塊のくぼみに刺し、刀身を接続した。
「この豚は生命力が高いので。徹底的にやりましょう」
剣は重々しい石鎚となり、刹那それを引きずったアルフレートは金色の銃を腰にしまう。
そして乾いた血がこびりついたそれを軽々と持ち上げ肩に乗せて豚に向けて歩き出した。
「……! ……! ……!!」
どしゃり、ぐしゃり、と。
凄惨な音を立てて声もなくアルフレートは豚の頭部に石鎚を振り下ろす。
そしてその音がべちゃりと、水っぽいものに変わった頃ようやくそれをやめた。
「……このくらいですかね」
「いい武器だな」
剣の軽さと石鎚の重さ。
その双方を、無論卓越した筋力なくして成立するものではないとしても両立させる。
実に汎用性の高そうな、いい武器だった。
「ええ、これは教会の石鎚。あなたにも差し上げたいのですが、夜が明けてからになるでしょうね」
「そうだな」
軽く言葉を交わしたところで、アルフレートは剣と銃を腰に吊って手放した。
それを見やり××××が歩き始めると、どうやら彼もついてくるようだった。
「さっきは助かった。だが、夢を見ないならあまり無茶はしないでくれ」
いかに××××が力を得たとはいえ、あの豚の突進を喰らってはひとたまりもなかっただろう。
しかし、××××は死んでも蘇る狩人だ。
いくらでも死ねるその命は、古狩人の命とは比べ物にならないほどに軽い。
だからそう言うと、アルフレートは快活に表情を崩す。
「いえ、狩人とは助け、また助けられるもの。『狩人は、一人じゃない』。有名な言葉ですよ」
「そうか」
「そうですとも。そしてあなたは、やはり優しい方のようだ。……どうです? 対象は違えど、お互い狩人です。これから協力し、情報を交換し合うというのは?」
「それは、助かる。……だが、俺にはあんたに教えられることは何もないぞ」
「いえ、そんなことはありませんよ。……では、そうですね。お名前でも伺えますか?」
「…………」
××××は親切な彼に顔を向けて、それから束の間立ち止まる。
「名前は、覚えていない」
「えっ?」
「俺は自分のことさえ何もわからない。……気がついたら、獣を殺していた」
「おお……」
面食らったらしい彼はしばし考え込む。
脳喰らいだとかなんだとかぼそぼそと呟いたあと、顔を上げたアルフレートに一瞥をやり××××はまた歩き出す。
「しかし、それならさぞお困りでしょう。私の知っていることなら何でもお伝えします」
「……助かる」
「いえ、お気になさらず。では何からお答えしましょうか?」
「医療教会と。そう呼ばれているものについて興味がある。……話によると、血の医療を扱っているとか」
「医療教会ですか」
そう聞くと、アルフレートはまた顎をさする。
もしかすると、癖なのかもしれない。
「そうですね。あなたの知る通り、医療教会は血の救いの担い手です。ただ、私のような狩人は、教会の内情に詳しくはないのですが……」
「詳しくない?」
××××が問い返すと、アルフレートは頷く。
「ええ、その通りです。教会を取り仕切るのは医療者。とりわけ、白衣を纏う上位医療者たちです。黒衣の下級医療者や私のような狩人は、彼らの指となり働くのみです」
とはいえ偉大なる教会の一員であることには変わりませんよ、と。
そう言い足してアルフレートは背中のマントを××××の方に向けて微笑む。
マントには繊細な装飾が施してあって、もしかするとそれは教会の一員の印なのかもしれない。
そんなことを考えていると、アルフレートは更に続ける。
「血の救い、その源となる聖体は、大聖堂に祀られていると聞いています。また、聖堂街の上層は、古い教会の指導者たちの住まいです。あなたが血の救いを求め、そして許されるのであれば、訪れるのも良いと思いますよ」
「大聖堂……。上層? それはどこにある?」
よく分からないが、教会について知りたければそこに向かえばいいのだろうか。
獣の病を防ぐ、という目的もあるが……今の××××にとっては『青ざめた血を求めよ。狩りを全うするために』、という例のメモ。
あの意味を知りたいという気持ちが強くあった。
狩りを全うする、その意味が獣狩りの夜の終焉だというのならそれはなおさらだ。
「え? ……上層に向かいたいのですか? では我々の利害は一致しますね! 共に道を切り開くといたしましょう!」
××××の問いに対して不意に興奮を覗かせたアルフレート。
そんな彼に、××××は困惑する。
「……? いや、まだそんなこと」
「今、聖堂街への道はそのことごとくが閉ざされています。しかし旧市街には、上層と聖堂街に続く抜け道を開く鍵があるのです! かの地は獣がとても多く、厄介な住人も住み着いています。ですから私も難儀していたのですが、あなたがいれば安心です。ぜひこれからすぐに……」
「待て、落ち着いてくれ」
そう言うと、アルフレートは首を傾げつつ口を閉じた。
「どうかしたのですか?」
「俺はまだ、その旧市街というやつに行くつもりはない」
「え? 何故です?」
「やることがあるんだ」
××××がそう言うと、アルフレートは合点したように小刻みに頷く。
「なるほど、道理でどこかに向かっている訳ですね」
「ああ、一度市街に戻るつもりだ」
「市街に? そこであなたは何をなさるつもりなんです?」
「今回の獣狩りの夜は少し様子が違うので、まだ無事な人間を保護してきてくれと。とある教会の主にそう頼まれた」
「ああ……。それは素晴らしいことです!」
なにやら感銘を受けたらしいアルフレートは、なたを握る××××の手をがしりと掴む。
「諸人の盾となる狩人の模範とも言える在り方です! ……あなたはやはり素晴らしいお方だ。ぜひとも、私にも手助けさせていただきたい!」
「…………それは、助かる」
猛烈な勢いに押し切られるようにしてそう答えると、アルフレートは勇ましく胸を張り歩き始める。
「では参りましょうか!」
「ああ」
それからアルフレートと二人ではしごを登って、獣が徘徊する建物の入り口へとたどり着く。
そこは市街に入るためには通らなければならず、そしてそのために獣の群れを蹴散らそうとする直前。
物陰から獣の動向を探っていた××××は、なんとなくアルフレートに声をかける。
「そう言えばあんた、どうして聖堂街に行きたいんだ?」
××××がそう問いかけると、刹那アルフレートの優しげな瞳に影が差し込む。
隠しようのない酷薄と修羅が覗いたその瞳は、けれど一瞬で元の柔和を取り戻す。
「……追っている人物がいるのです。奴は医療教会の異端者で、忌まわしい人体実験を繰り返し……なにより、血族と関わりを持っている疑いがある」
「…………」
血族。
そう言えば、先程も聞いたような言葉だ。
だがその意味について××××が問いを重ねる間もなく、アルフレートは剣に手をかけて建物の中へと駆けていく。
「では参りましょう!」
「ああ」
××××もそれに続きながら、なたを握り直し殺すべき獣へと視線を向けた。
この小説の中には意図的に誤釈している概念が時たまあります。
たとえばリゲイン。
こちらインタビューによると、「やり返している」という実感による狩人の意志の回復だということです。
しかしそれがよく分からないのと、難解になりそうだったので勝手に返り血によるものだと解釈しました。
すみません。