優しい空気に包まれた庭園。
いつも変わらぬ唐突さで、景色は移り変わる。
「おかえりなさい、狩人様」
いつもの挨拶を投げ人形が深々と頭を下げる。
「ああ」
それにそう答えて、××××はふと白んだ空を見上げた。
……ここには、時間の流れがないのだろうか?
けれどすぐにそんな疑問を振り捨て階段を上がる。
それは考えても詮無いことだからだ。
「…………」
そして屋敷の中に入り、向かうのはいつもの作業台だ。
武器を直し、また強化するためのもの。
そこにのこぎりをおいて、××××はポーチから例の工具を取り出した。
錨(いかり)を翻した形。
失われた工具、きっとその一つであるそれを手に取り、それからどうしたものかと考える。
これをどう使えばいいのか、××××は知らない。
「なにか、お困りかな?」
耳に届いたのは、穏やかな老年の声だった。
つまりは狩人の助言者、ゲールマンの声だ。
いつのまにか車椅子の車輪を回し、背後に来ていた彼はどうも××××を助けてくれるようだった。
「あんたか。これはどう使えばいい?」
「ああ、それは……」
振り返り、工具を見せた××××を前にゲールマンは柔らかな息を漏らす。
「それは、血晶石の工房道具。君の刃に血晶石を取り付けるためのもの。そのネジを回せば武器へ石をはめ込めるだろう」
「血晶石? なんなんだ、それは……」
また放たれた聞き慣れぬ言葉に、××××は顔をしかめる。
この老人は助言者と言う割に、どうも不親切だ。
その内分かるだのなんだのとちっともまともにモノを教えてくれはしない。
そんな不満を知ってか知らずか、ゲールマンは穏やかに言葉を継いだ。
「血晶石とは……そう、血そのものだ。内側にあって生物の在り方を規定する、まさに血と変わりないものだよ」
「血、そのものだと?」
「その通り。血晶石とは、血石とは違う。本当に血なんだ、あれは」
「…………」
その言葉に、××××はしばし考える。
理解はできなかったが、またすぐに聞き返しては××××が間抜けのようだったからだ。
血石とは武器に擦り込むことで血と同じく遺志を宿す器となるもの。
では、血晶石とは……血そのものとはなんだろうか。
生物の在り方を規定するというその言葉は、何を意味しているのだろうか?
「ああ、分からないか。……では例えば君、強く恐ろしい敵に出会ったりはしなかったかね?」
「……した」
ゲールマンは、どうも××××の内心を見透かしていたらしい。
分かっていないことを見て取ってか、さらなる説明を続ける。
「血晶石というものは、なんであれ強い力の現れなんだ。力を高めるもの、神秘を与えるもの、雷光を纏うもの……数えればきりもないが、その敵の在り方を刻まれた存在の具現とも言えるものなのだよ」
「……それは、敵の特徴を反映した力が手に入る石だということか?」
面倒になった××××がそう尋ねると、ゲールマンは深く頷く。
「その通り。血が雷光の力を持つように規定していたのならば、その力は血晶石により君のものになる。……けれど血が生物を規定するように、器もまたそれに合った血を求めるだろう。その武器にどんな血晶石をも組み込めるわけではないということは、覚えておくといい」
「よく分かった、助かる」
つまりは敵によってもたらす効果の違う血晶石を落とし、また武器にははめ込めない石もあるということだ。
それくらいシンプルな話なら、最初からそう伝えてほしいものだが。
「その血晶石とはどこで手に入るんだ?」
「獣……いや、あらゆる君の敵、そのすべての死体に血晶石は遺されている可能性がある。……だがより強いものを求めるというのなら、やはり聖杯に繋がる地下遺跡だろう」
「地下……。じゃあ聖杯とやらはどこで?」
力が手に入るのなら、知っておいて損はないはずだ。
だから問いを重ねると、ゲールマンは何かを思い出すように目を細めた。
「……その行方は多くが忘れられたが、懐かしい狩人たちの話が今もそのままであれば、聖杯の一つは旧市街にあるだろう」
返されたその言葉に、××××は思わず息を呑む。
それはまさに、これから赴こうという場所であったからだ。
「聖堂外の地下に通じる谷あいの市街。だが、今やそこは……獣の病が蔓延し、棄てられ焼かれた廃墟、獣の街であると聞く。……狩人に相応しいじゃあないかね」
そう口にする声はやはり穏やかで、その言葉の剣呑さにはいかにもそぐわない様子だった。
調子を崩されて頭をかき、聖杯とやらの使い道を聞こうと××××は口を開く。
しかしそれは、ゲールマンのゆったりとした声に遮られてしまった。
「まぁ、今はいいじゃあないか。聖杯を手に入れたらまた来るといい」
「……それもそうだな」
確かに××××は、今聞いたことすら消化しかねている。
無為に言葉ばかり重ねてもそれは全くの無駄であろう。
「もう行く」
「ああ、何かあればまた声をかけてくれ。……私は君の、助言者なのだからね」
一つ頷いて、それから背を向ける。
すると背後からゲールマンの気配が消えて、それはやはり不思議なことだと思う。
振り向いて確認することこそしなかったが、もうゲールマンの姿はそこにないのだろう。
屋敷を出て、水盆の使者の元へ行く。
そして輸血液などを仕入れるが、どうも妙だと思った。
「少し値が上がったか?」
「…………」
××××の問いに使者は気持ちの悪い笑い声を返すのみだったが、それでもなんとなく彼らの言わんとすることが分かるようになってきていた。
なにしろ取引するのが遺志と言う曖昧なものなので、どれほど上がっているのかは分からない。
しかし使者たちは、どうも××××の問いに頷いているらしい。
「稼げるようになったから?」
「…………」
「ならこれからも上げるのか?」
「…………」
「……いい商売だな、まったく」
受け取った輸血液をポーチに入れて、それからいくらかの血を保管庫に入れておくように頼む。
またいつ値を上げられるか知れたものではないので、なるべく買い溜めることにしたのだ。
「狩人様。彼らの言葉がお分かりになるのですか?」
「まぁ、なんとなくだが」
買い物を終えた××××に、不意に歩み寄ってきた人形が声をかけてくる。
このように彼女が話しかけてくるのは珍しいことだったので少したじろぐ。
「これも啓蒙とやらの効果なのか?」
真実を見る力は、使者の真意までをも明らかにしたのかと。
そういう意味で××××は人形に問いかける。
だが彼女は首を横に振り、それを否定した。
「狩人様の啓蒙は狩人様のもの。そしてそれが見せるものもまたそうなのです。ですから私には、それを推し量ることなどできません」
「そうか」
そう答えて、それから何を言っていいか分からなくなった××××は空を見た。
「ここは不思議な場所だな」
「そうでしょうか?」
墓石の群れの向こう。
天地を貫く柱が遠くそびえ、雲に覆われ果てしなく広がる空。
優しい色のそれを二人並んで眺めていると、人形が呟くように声を漏らした。
「私は、この場所の他には何も知りません」
「…………」
「気がつくとここに立って、幾人もの狩人様を迎え、また見送っていました」
ほんの少し寂しそうな色を滲ませた彼女を、××××は慰めようとしたのかも知れない。
本当のところそれは分からないが、ともかく意識するよりも先に口を開いていた。
「だがここはいい場所だ。俺も、ずっとここにいるのもいいかもしれないと、そんなことを思ったこともある」
「そう、ですか」
けれど返ったのは沈んだ声。
しかしそれもそうかも知れない。
××××は『思った』だけなのだから。
今もそう思ってはいないのだから。
「……もう行く」
それからしばらく空を見つめて、××××は人形に声をかける。
「はい」
そう答えた人形は、墓石に向かう××××の後についてくる。
そしてそれに触れて夢を去るその時に、いつもの言葉が背に投げられた。
「いってらっしゃい、狩人様。あなたの目覚めが、有意なものでありますように」
聖杯編は予定しておりません。