「……なぁ、貴公。貴公はなにか獣に勝るものを我らが持っていると思うかね?」
不意に、デュラが潜めた声でそんなことを言った。
薄暗い通路の入り口、物陰から数体の布を被った獣の様子をうかがっている時だった。
「…………」
声を出したくはなかったので、××××は黙って首を横に振る。
腕力もなにもかも、人は獣に及べない。
ヤーナムの市街の獣は基本的にのろまだったが、この街の連中にはそんな弱点すら存在しない。
だから否定したのだが、少し考え直す。
考え直して、××××は自分の頭をナタを握る人差し指で軽く叩いた。
するとデュラは歯を見せて笑った。
「知恵か。なるほど、それもそうだろう。だがもっと分かりやすい例がある」
「?」
「目、だな」
そう言ってデュラは物陰から出て平然と歩き始める。
まだ距離が遠いとはいえこちらに視線を向けている獣もいて、だから××××は言葉を失う。
しかし何事もなく歩き、彼は通路の右側へとその姿を消した。
「…………」
生唾を呑み下し、××××もおそるおそる足を踏み出す。
するとやはり、獣はこちらに気がつくことはなかった。
アレはもしかすると、あまり遠くは見えないのだろうか。
デュラの歩いた道をたどると、××××はなにやら奇妙な場所に行き着いた。
そこはこの建物の屋根の梁(はり)のようだった。
「獣の病に罹患(りかん)した者は瞳孔がとろけるのだよ。だからか獣化が進んだ者ほど目がしっかりと働かなくなる。故に最も気をつけるべきは獣がどちらを向いているかではなく、獣とどれだけ離れているかだ」
追いついた××××に、デュラが得意げにそう言った。
××××が目の前の獣がそっぽを向かないかと目を凝らしていた間、彼は近くに潜んだ敵がいないかを探していたのだろう。
素直に感心したので何度か頷き、××××は称賛する。
「それは知らなかった。ありがとう」
「いいや、気にすることはない。後輩に教えを伝えるのは先達(せんだつ)の義務なのだから」
しかし特別に目がいいような類の獣もいるので気をつけるようにと、そう言ってデュラは梁の上を歩き始める。
やはり彼は、ここを通って行くつもりらしかった。
「…………」
不安定な足場を行きながら、××××はつい眼下の光景を見てしまう。
かなり高いのは分かっていたからやめた方がいいのだろうが、思わず視線をやってしまった。
すると××××は、高さよりもむしろ目に写った光景の奇妙に気を取られる。
眼下にあるのは……薄暗くて定かではなかったが、祭壇のようなものもあるので恐らく聖堂なのだろう。
だが聖堂とはいえ集うのは人ではなく獣であるはずなのに、確かに祈る者たちがいるのだ。
鎖で縛られ吊り下げられた巨大な獣の死体。
それに向かって、数え切れないほどの獣が祈っている。
「……あまり深く考えない方がいい。貴公がまだ狩人で在りたいのならな」
「…………」
こういった光景に惑わされて、デュラは狩人ではいられなくなったのか。
××××はふとそんなことを思う。
だが祈る獣たちになど、××××は人間性を見出だせなかった。
なにしろこれまで見てきた獣たちはどいつもこいつもそんなものだったからだ。
腐るほどいた人間を相手に狩りごっこをする者たち。
そして今ここにいるのは、死体を相手にお祈りごっこに興じる汚物だ。
そんな××××の考えがどこかで察せられたのかもしれない。
デュラはただ悲しげに頷いて、それから梁から粗末な板の足場に飛び移った。
そしてそれに続くと、デュラが穏やかな声で語りかけてきた。
「さて貴公、ここを降りるぞ」
「……どうやって?」
粗末なテラスのような板の間。
眼下の獣がよく見える、危険な道の半ば。
はしごのような気の利いた物もなく、また降りても獣の餌食になりかねない。
無抵抗を徹するというのならなおさらだろう。
だからそう返すと、デュラは笑って荷物をまさぐった。
「縄ばしごだ」
そう言って足場の手すりに手際よく縄のはしごを結びつけ、デュラはそれを投げる。
そしてまた荷物を探り、何かを取り出した。
「それから、目と耳を奪う」
そう言って手に取ったのは無骨な黒い筒のように見えた。
五本あるそれは見たことのない狩り道具で、恐らくは手製なのだろう。
マッチを擦り火をつけて彼は眼下の獣のもとにそれを投げる。
すると数秒の空白の後に、広場を白い光と燃焼の音が埋め尽くした。
「さ、行くぞ」
マッチを踏み消しつつそう言って、デュラはさっさと縄ばしごを降り始める。
その手際は慣れたもので××××は光と音の洪水に戸惑いつつも、目を細めそれに続いた。
「…………」
漂白された礼拝堂の中。
目を抑えたり倒れ込んだりする獣を横目に、××××たちは通り抜けてしまう。
「あれは?」
礼拝堂を出て、××××はようやっとそれを問う。
するとデュラは周囲を軽快するように見渡しつつ語った。
「光と音を放つ爆弾の一種だ。獣の優れた聴覚を潰し、弱点の視覚を突く」
「そんなものが……」
「流通はしていないがね。そもそも油でもまいて火をかけたほうが余程早くて手頃だ」
つまりそれは、不殺を貫く上で編み出した工夫の産物なのだろう。
××××が一つ頷くと、デュラはまた歩き始める。
「獣の最も優れた感覚は嗅覚だが、血に対して過敏になったせいか他の匂いにはあまり気が付かない。だからこそ獣から身を隠すなら、聴覚や視覚の側面から手を講じるのが良いだろうな」
「…………」
なんとなく返事はしなかったし、それでいい気がした。
デュラも特に気を悪くした様子もなく、きょろきょろと警戒しつつ街を歩いている。
と、そこで。
生き物を焼いた匂いのする煙が充満した、酷く視界の悪い広場に出た。
恐らくひび割れた石畳の上に、獣を焼いた残り火が燻っているためだろう。
「……進むな」
慎重に一歩を踏み出そうとした××××をデュラが手で制する。
だから立ち止まると、彼は何やら耳を澄ましているようだった。
「……さて」
そう呟いて、デュラは懐から何かを取り出す。
見ればそれは、どうやらただの石のようだった。
「なにをするつもりだ?」
「聞けば分かる」
そう言ってデュラは白い煙の中に石を投げる。
すると何か金属に当たったのか甲高い音がして、それからいくつかの足跡がした。
「聞こえたな?」
「ああ。……足音だ。獣がいくらかいるらしい」
××××がそう言うと、デュラは嬉しそうに目を細める。
それはどこか後輩を褒めるような色を纏っていて、何故だか××××は居心地が悪かった。
「その通り。獣の最も警戒すべき感覚は聴覚だが、先程貴公の言った通り獣は少し抜けている。であれば逆手にも取りやすいということだ」
なにか音がしたらすぐに駆け寄ってくるからな。
付け足すようにそう言ってデュラはなにやら思案し始める。
××××はしばらくそれを見守っていたが、痺れを切らして問いかけた。
「どうするんだ?」
「ああ。……それが、中々難しいのだよ」
それは理解できた。
なにしろこの視界の悪さだ。
敵との遭遇を避けるのも一苦労だし、相手には聴覚と嗅覚のアドバンテージも存在する。
「さっきの爆弾は?」
「使えない」
「何故?」
××××の問いに、デュラは淡々と答える。
「煙で光は減衰する。となると、いたずらに音だけを立てれば獣を刺激するのみになる」
「…………」
それは全くの正論だった。
だから黙り込むと、やがて長く考え込んだデュラは隠れ家でも目にしたあの酒を取り出す。
「これを投げる。獣は血の香(ちのか)には異常な反応を見せるからな。血の酒で気を引いて、その間に通り抜けよう」
「…………」
デュラが血の酒を投げる。
すると煙の奥で瓶が割れた音がして、その座標におびただしい足音が殺到するのが分かった。
「行くぞ……」
どこか余裕のない声でデュラがそう言って、すぐに走り出す。
××××もそれに合わせるが、それでも引き離されんばかりに彼は一心に走っていた。
「……はぁ」
煙に巻かれた広場を抜けて、それからまだ走ってようやくデュラは立ち止まる。
結局引き離されてしまった××××も少しして追いついて、それから肩で息をするデュラへと語りかけた。
「……あの酒、便利だな」
「ああ」
一つ息を吐いて、デュラは顔を上げ微笑む。
その表情を見つめつつ、ふと一つ気になったので問いかける。
「あんたは何故酒を使うのを迷ったんだ?」
デュラは酷く長く考え込んでいたが、彼ほどの狩人が酒の使用を真っ先に思い浮かべなかったはずもない。
だからきっと迷っていたのだと断じて××××はそう言った。
「貴重なのか?」
「それもある……が」
デュラがそう言ったところで、ちょうど走り抜けた広場の方から大気を震わすような音量の奇妙な叫びが聞こえてきた。
甲高いそれは獣のものなのだろうが、咆哮というよりはまさに叫びとしか言いようがないもので、××××には聞き覚えがない。
「…………」
凄まじい声量、理性を失った獣が故の喉を破る叫びに××××は耳を塞ぐ。
すると同じく耳を塞いでいたデュラが苦々しい表情でこちらに視線を送ってきた。
それから近くの物陰を顎で指し、どうやらそこに行こうと示しているらしい。
意図を察した××××はデュラと共に建物の物陰に隠れる。
そしてその影から油断なく周囲の様子を警戒する背中を眺めていると、彼は重く沈んだ声でぽつりと呟いた。
「この街で血の酒を使うことは、場合によっては最も哀れな獣を呼び寄せる愚行になりかねない。……だから躊躇ったのだよ、貴公」
強い、でもなくまた恐ろしいでもない。
哀れと言い表したその意図がわからず、××××は言葉を返す。
「その……哀れな獣とは?」
するとデュラはゆっくりとこちらへ振り向き、その獣の名を口にした。
「血に渇いた獣だ」
今冒険している旧市街は基本的な構造は同じですし、本編にあるものは大体全部あると思います。
でも少しだけ面積が広いのをイメージしています。
次に目云々は瞳孔がとろけている事(散瞳という病気に似ている気がしました)とゲーム内での挙動からの妄想です。
公式的根拠はありません。
また最も優れているのが嗅覚だとしたのは、血の酒に凄まじく引き寄せられるからです。
こちらも根拠はありません。