ブラッドボーンー永遠の狩人ー   作:ローリングデブ

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 毒を滴らせ、血に渇いた獣が爪を振り上げる。

 そして繰り出されるのは隙の大きな振り下ろし。

 後ろ足を浮かせ、倒れ込むような勢いで爪を振るう。

 

 ××××はそれを慎重に見極める。

 

 一撃でどれだけの痛手を受けるかは全くの未知数なのだ。

 ひとかすりで致死量を超える毒をねじ込まれるということもあるやもしれぬのだから最大限気を張らねばならない。

 

 血に渇いた獣の左、斜め前に出てすれ違うようにして爪をかわす。

 すると獣の爪は空を裂き、しかし一瞬で反転した敵がさらに連撃を重ねてきた。

 

「…………っ」

 

 思わず息を漏らす。

 動きこそ粗雑とはいえその敏捷には恐ろしいものがある。

 読み間違えれば最悪毒がなくても死ぬ。

 

 右、続けて左からも横薙ぎ。

 それから幾度か縦横に腕を振り回し、不意に構えたかと思うと飛び込むと同時にかき寄せるようにして両手で掴もうとしてきた。

 

 無秩序に繰り出される連撃をかわしながらも常に危機感は拭えない。

 飛び散る毒液の行方を無意識に目で追い、背筋にだらりと冷や汗を流す。

 

「クソ……!」

 

 だがこのままかわし続けていてもいずれ集まってきた獣たちに嬲られる未来しか待ってはいない。

 

 ならばと銃を構え、✕✕✕✕は己を奮い立たせる。

 そして爪を振るおうとする獣に向けて発砲した。

 だが防御の構えを取られ、頭部などの急所は銃弾から守られる。

 ✕✕✕✕はのこぎりで弾丸に怯んだ獣を二度引き裂いた。

 けれどそれも、削れたのは前に出た腕のみだ。

 

 それとて痛手には違いないが、もっと見極める必要があると思った。

 獣は目が悪いらしいが、反射神経だけはどうも図抜けていて撃った後でも反応して防御の構えを取ってくる。

 

「…………」

 

 ただ撃っても有用な攻撃の機会を得ることはできない。

 無駄撃ちに終わるだけだ。

 であればどうするべきかと考えたその時、つい先ほど銃弾に崩れ落ちた獣の姿が思い出させる。

 

 あの時獣は攻撃しようとしていて、銃弾を防御することはできなかったのだった。

 

「なるほど」

 

 反応されるのならば反応しても間に合わない瞬間を狙えばいいのだ。

 すなわち攻撃に注力し、防御不可になった刹那にこそ至近から散弾を叩き込めばいい。

 

「…………」

 

 負傷はできない。

 まともにやり合うことは難しい。

 ならば銃弾で隙を作り、血に渇いた獣を殺す。

 そう決めて✕✕✕✕は後方に飛び退(すさ)った。

 

「――――!!!」

 

 叫んだ獣が追撃を仕掛けてくる。

 それが分かる。

 距離を離したなら、突進を仕掛けてくるか。

 

 獣の挙動を注視する。

 すると数拍置いて、思い違わず腕を振りかぶり立ち上がる。

 それはもう二度も見た突進の予兆だった。

 

「……!」

 

 ✕✕✕✕にはあの疾走の軌道が見えない。

 そしてまた当たれば今度こそ致命傷になりかねない。

 

 故に恐れはあったが退かずに引き金を引く。

 するとぶれるほどの速さで駆動した獣が、目の前で銃撃にくずおれた。

 あと一瞬遅ければ倒れていたのは✕✕✕✕だっただろうが。

 

「死ね」

 

 緊張に干上がった口でそう呟いて、渾身の振りを首根に叩き込む。

 刃は首を叩き折るようにして深く埋まり、けれど切断には至らない。

 刃の先の感触、強い筋繊維が鋼を押し返すのを感じて✕✕✕✕はのこぎりを引く。

 

 そしてすぐに下がると紙一重で反撃の爪が振るわれた。

 それは狩装束に毒液が散るほどの距離を通り過ぎ、鼻先をかすめた死の存在を意識させる。

 この装束もあの鋭さの前には無力だろう。

 

 気を引き締め直したところで、血に渇いた獣はまた咆哮と共に毒の血を吹き出す。

 

「――――!!!!!」

 

 それから血に渇いた獣は動き出した。

 さらに毒液の量を増したその体は、さきほどまでよりもまだ速く攻撃を仕掛けてくる。

 

「なっ」

 

 彼我の距離を消し飛ばすような踏み込みから、鋭利無比の爪が振るわれる。

 ✕✕✕✕はそれを転がるようにしてかわし、攻撃ではなく防御のために銃弾を放つ。

 

 タイミングが合わずに弾丸は防御されるが、離脱の隙だけはなんとか稼げた。

 立ち上がり、柱の裏に逃れて束の間時を稼ぐ。

 

「はぁっ……!」

 

 心拍が乱れ、荒い息が漏れた。

 あんなもの、いつまでもかわせるわけが……。

 

 混乱しきった頭で策を巡らせるが、うまい考えは出てこない。

 そしてそうしている間に、隔てる柱の裏、✕✕✕✕の横へと容易に回り込んだ獣はさらなる追撃を重ねてくる。

 

 爆発的に速度を増した踏み込みと、一層激しく振り乱す布により隠れる初動。

 避け難く迫る嵐のような爪の一振りに、✕✕✕✕はついに皮一枚引き裂かれる。

 

「ぐっ……!」

 

 声を漏らす。

 だがまだ戦えるようだった。

 この狩装束はどうもよく血を吸うようで、毒もそれなりに吸い取ってくれたらしい。

 だが深い一撃をもらったのならこうもいかないはずだ。

 

 そんな危惧を噛みしめる間もなく、血に渇いた獣は苛烈な攻め手で✕✕✕✕を追い立てる。

 苦し紛れの銃撃で攻勢に隙間を作りつつも紙一重でかわす。

 

 しかしこれでは勝ち目などあろうはずもなく、一か八か全力で攻勢に出てみるべきかと考え始める。

 

 毒といえど一瞬で殺すことができるはずもなく、相手だって急所に全力の攻撃を叩き込まれているのだ。

 殺されても、それまでに首を落とせればあるいは……。

 

 そんなことを思って、けれど我に返った✕✕✕✕は即座に否定する。

 

 自暴自棄になってどうする。

 それで✕✕✕✕はガスコインに負けたのだろう。

 

 今度こそ確実に、冷静に、間違いなく息の根を止めるのだ。

 

 改めて決意すると、一度曇った頭の中が再び澄み渡り始める。

 そして巡らせた思考の中に、一つの記憶が割り込んできた。

 

『時限式の火炎瓶で酒に火をつけた! このあたりの獣は火を恐れるし、引火させてしまえば血の匂いも長くは残らんからな!』

 

 ああ。

 そうか、こいつらは火を恐れるのだったか。

 

 炎を利用する方法を考え、すぐに方針を固めた✕✕✕✕は銃を連射する。

 

「――――!!!!」

 

 暴れる散弾の反動を抑え込み、四連続で撃って血に渇いた獣を一旦退かせた。

 

 そしてポーチから一つ油壺を取り出し、それをのこぎりに叩きつける。

 それからさらにもう一つ取り出し、今度は足元の地面に叩きつけた。

 

「…………」

 

 じわりと油が広がる。

 ぼろぼろの石畳の上。

 時に土が露出しそこかしこに枯れ草が生える大地の上に、今しがた叩き割った壺のものとのこぎりから滴る油がじわじわと浸すようにして広がっていく。

 

 そこで、血に渇いた獣が駆けてきた。

 その速度はやはり目を剥くほどのものだが、あの疾走ではなかったのは僥倖(ぎょうこう)だろう。

 ✕✕✕✕は血に渇いた獣の動きを見つめ、その巨躯が目前に迫った瞬間に火炎瓶を地面へと叩きつけた。

 

「――――!!!!!」

 

 刹那大きな炎が吹き上がり、目論見通り血に渇いた獣は混乱し足を止める。

 驚いたのか、あるいは恐れているのか。

 そんなことはどうでもいい。

 

 ✕✕✕✕は一瞬の炎上の後火勢を緩めた炎を突っ切り、ノーガードのその胴を深く斬り裂いた。

 だが図に乗ることはせず堅実に横へと退避する。

 すると思い違わず先程まで立っていた場所に苦し紛れの爪が振られて、それを横目に✕✕✕✕は銃を背に吊り油壺を手に取る。

 

 そしてそれを割ることはせず蓋を外し、中身の油を燃え盛る火の縁へと振りまいた。

 すると炎は再び勢いを増し、枯れ草を媒介してさらに炎を広げる。

 

「――――!!!! ――――――――!!!!!!」

 

 血に渇いた獣が叫ぶ。

 それはこれまでにない死にものぐるいの恐れる声で、血に渇いた獣の恐怖を明確に察知した✕✕✕✕は口の端をわずかに吊り上げた。

 

 攻撃は仕掛けず、血に渇いた獣から逃げつつもさらに炎を広げる。

 炎の縁、枯れ草の近く。

 狙って油をばらまき、時に火炎瓶を投げて効率的に炎を広げた。

 そのうち空になった油壺を捨て、何度かそれを繰り返し、✕✕✕✕は血に渇いた獣に向き直る。

 

「…………」

 

 量だけはそこそこだが、しょせんは丈の短い枯れ草だ。

 今でこそ草をたどり迷路のように炎が広ってはいるが、そう時を待たずに炎は消える。

 そう踏んだ✕✕✕✕は最後の油壺を血に渇いた獣へ投げつけるのと同時、狩装束の防火性をあてにして炎を踏み越え走り出す。

 

「――――!!」

 

 炎に巻かれ、我を失っていた獣が✕✕✕✕に気がついた。

 肉薄したところで爪を振るが、なけなしの理性が吹き飛んだのか完全にタイミングが狂っている。

 ✕✕✕✕が来る前に空振って、それにより生まれた致命的な隙を縫い懐に潜り込む。

 

「…………」

 

 のこぎりをなたにしつつ振るう。

 そして伸びた刃を斜め下から振り上げ、その過程ですぐ近くの炎に刃をくぐらせた。

 すると油を垂らしていたのこぎりは炎を纏い、血に渇いた獣の肉を引き裂いてみせる。

 

「――――!!!!」

 

 再びつんざくような声で叫ぶ。

 先程ぶつけられた油のせいでその体表にも炎が燃え移り、燻る体で後ろに下がり逃げようとする。

 しかしそこで炎を踏んだのか硬直し、さらに生まれた隙をついて✕✕✕✕は畳み掛ける。

 

 その肉を斬ると、熱を恐れるようにして血に渇いた獣は退いた。

 しかし不規則に広がる炎により上手く逃げることはできず、また攻勢に出た際も自慢の速度を発揮することができない。

 燃え盛るのこぎりに斬り裂かれ、またそこかしこの炎に激突することによっても油に濡れた体は熱傷を負い続ける。

 

 勝てると、✕✕✕✕はそんなことを思う。

 

 燃えるのこぎりとそこかしこの炎を恐れてもはや血に渇いた獣は体を丸めるばかりだ。

 まるで暴力に耐える幼子のように腕を前に出し、よろよろと退きながら✕✕✕✕の攻撃を凌いでいた。

 

 そんな有様では死に至るのも時間の問題で、すでに勝利は目前にあると言える。

 しかしその一歩が存外に遠かった。

 

 なたの斬撃が堅い骨に食い止められる。

 のこぎりの一撃が獣毛により減衰される。

 

 血に渇いた獣自身防御に徹していることもあり中々仕留められず、そうしている内に段々と炎が弱まって。

 

「……!」

 

 いや、早すぎる。

 

 異様な鎮火の早さに✕✕✕✕は気がつく。

 血に渇いた獣の体液が、もはや弁が壊れたポンプのように血を噴き出すその体が、周囲の火勢を弱めているのだと。

 

「クソッ……」

 

 気づけばのこぎりの炎も消えていて、だから一旦下がることにする。

 

 奥の方ではまだ炎が燃えていた。

 なんとかそこまでおびき寄せて短期決戦を挑もうと考えた……その時。

 

「――――――――!!!!!!!!」

 

 血に渇いた獣の叫びと共に目の前が爆発した。

 衝撃により吹き飛ばされ、小さな炎が燻る地面に叩きつけられる。

 しかし飛ばされただけで大したダメージはなかったようで、即座に立ち上がり火の粉を払った。

 

 そして改めてのこぎりを構えた時、✕✕✕✕は戦慄する。

 狩装束にべっとりと灰色の血が付着していたからだ。

 

 どっぷりと濡れたそれは恐らく返り血ではない。

 血に渇いた獣が今吹き出したものだと思い当たる。

 

 つまりはなんということもない、あの爆発そのものが体液の噴射だったのだ。

 

 意味もなく躊躇って、視線を腕から血に渇いた獣へと向ける。

 すると立ち上がって咆哮したらしいかの獣は、今や全身に霧のような毒液を纏っていた。

 あの有様ではもはや、背後の残り火などなんの意味もなさないに違いない。

 

 傷つけたのにも関わらず……いや、だからこそか。

 鋭さを増した機動で血に渇いた獣が駆けてくる。

 そしてその爪をもはや盾となる火もない✕✕✕✕に向けた。

 

 瞬く間に目の前に来た獣が爪を振り上げて、それに銃を撃ち全力で距離を取る。

 皮肉にも道中で弾丸を消費していなかったことがこの局面で命を繋いだ。

 

「…………」

 

 だが当然速度で劣る✕✕✕✕は距離を詰められるが、そこには一拍の猶予がある。

 また振るわれる爪の動きを見極め、正確に銃撃を叩き込もうと構えたその時。

 

 不意に視界が滲んだ。

 そして指の力が抜け銃を取り落とす。

 

 そこでようやく✕✕✕✕は気がついた。

 あの霧を吸ったことによって毒に侵されてしまっていたのだと。

 

「ごほっ……かはっ……」

 

 身を折って咳き込み、だからといって獣は待ってはくれない。

 深々と腹を裂かれて吹き飛ばされる。

 それからまたさらに毒が入ったらしく、三秒と待たずに全身が痛みに締め付けられる。

 血に渇いた獣の毒は、以前受けた毒とは比べ物にならないほどの苦痛をもたらした。

 

「う……うあ……ああああ!!」

 

 立つことすらできずに悶え苦しんで、温存など考える暇もなく丸薬を取り出し飲み下す。

 そうすると多少マシにはなったがまだ痛みは抜けない。

 早く効き目が回るのを祈りつつ立ち上がった。

 

「はぁっ……!」

 

 血に渇いた獣が接近してくる。

 反射的に息を止め、しかし直後息苦しさに大きく息を吸う。

 すると治りかけていた痛みが少し増した気がした。

 

 さらに避けることすらできず肩口に爪が突き立てられる。

 

「クソッ……」

 

 何度目になるか分からない悪態をつく。

 肩口に深々と埋まった右の爪は✕✕✕✕の体に毒を送り込むだろう。

 やがて訪れる痛みが戦意をかき消す前に、のこぎりに渾身の力を込め突き立つ腕の肉を削り落とした。

 

「――――!!!!」

 

 血に渇いた獣が叫び、腕を離す。

 そもそも炎に巻かれていた時、散々に傷つけた腕だ。

 切断にこそ至らなかったがもはや以前のようには使うことなどできないだろうし、四つ足で歩く以上はある程度機動性も奪えただろう。

 

 しかしだ。

 

「…………」

 

 毒の痛みに、もはや✕✕✕✕は動くことすらできなかった。

 痛くて痛くて仕方がなくて、指先に力を入れようとするだけで頭が真っ白になるほどの苦痛が走る。

 

 死を予感して、なんとか血を入れる。

 するとほんの少しだけ苦痛が和らいだ。

 

 なるほど、やはり血に渇くとはよく言ったものだ…………。

 

 そんなことをぼんやりと思うと、衝撃に吹き飛ばされた。

 また毒液を撒き散らしたらしい。

 

「…………」

 

 仰向けに転がったまま、✕✕✕✕はなすすべなく死の時を待つ。

 

 体は痛むばかりで動いてはくれない。

 結局✕✕✕✕はなにもできなかった。

 もうどこにも薬はない。

 あったところで勝てる気がしない。

 

 諦めかけた、その時。

 ふと幻聴が聞こえた。

 

『そ、それ絶対飲まない方がいいわ』

 

 聞こえたのは少し慌てたような少女の声。

 どこか懐かしいような気がする声。

 しかしそれがなんに対しての言葉で、会話がいつのことだったか、死にかけの頭では思い出せない。

 

『何故?』

 

 そうだ。

 何故と自分は返したのだ。

 

 少しだけ、思考が確かさを取り戻す。

 

『……なんとなく。きっとお腹壊しちゃうもの』

 

 思い出した。

 そして無意識に指が動いていた。

 

「……ありがとう」

 

 実際それでどうなるかは分からない。

 何も起こらず、このまま死ぬのかもしれない。

 

 だが少女の声で思い立ったからこそ、✕✕✕✕はそれこそが最後の希望のように思えていた。

 故にもう一度、奮い立つことができた。

 

 薄暗い視界の中、指が目的のものを探り当てる。

 それは丸薬だった。

 白い丸薬ではなく、黒い丸薬だが。

 

「…………」

 

 躊躇いもせず、少しばかり大きなそれを無理矢理に口に入れる。

 その丸薬は弱りきった顎でも砕けるほどに柔らかく、噛むとじわりと異様に生臭い血の味が広がった。

 

 体にいいものだとは思えないが、血の味がする以上はきっと血の医療の産物なのだろう。

 それにどうせ死ぬのならこれがどんな代物であっても知ったことではない。

 一息に飲み下した。

 

「――――!!!!」

 

 そこで腕の痛みに悶えていたらしい血に渇いた獣が咆哮する。

 そして右腕を庇うようにしながらこちらへと駆け寄ってきた。

 

 速度は落ちていたものの十分に早く、死にかけの狩人を殺すには十分な余力があることを伺わせる。

 それを見て✕✕✕✕は……力が抜けて立てないはずの✕✕✕✕は、自分でも意識する前に立ち上がって地を蹴った。

 

「!」

 

 すると蹴り抜いた石畳が粉砕され、夢想だにしなかった速度で景色が後ろに流れていく。

 そして血に渇いた獣の背後に回り込んだ✕✕✕✕は、注射器を取り出し血を入れた。

 

 視界の悪化や息苦しさは改善されておらず、恐らく毒は消えていない。

 だが不思議と痛みが消えていて、おかしな高揚が精神を蝕んでいた。

 

「ぐっ……うぅ……」

 

 漏らした唸り声が、獣の声のように聞こえた気がした。

 気のせいだと切り捨ててまた血を入れる。

 どれだけ毒に体を破壊されようが、痛みがないのなら血で命を繋ぎつつ戦闘を続けられるだろう。

 

 血に渇いた獣が腕を振り上げた。

 そして例の疾走により爪を立てようと迫ってくるが、今はその動きがよく見えた。

 

「…………」

 

 横に跳んでなんなくかわし、通り過ぎた敵に追いついて背後から一撃を叩き込む。

 すると血に渇いた獣は大きく怯み、崩れ落ちたその背中にまた追撃をねじ込んだ。

 

「――――!!!!」

 

 獣が絶叫した。

 それを聞いていると全身をぞくぞくするような快感が走り抜ける。

 おかしいと思うが、なにがおかしいのかはもう分からなかった。

 

 振り向いた血に渇いた獣が右の爪を振り上げる。

 しかし負傷しているが故かその動きは間抜けなほどに遅く見えた。

 

 攻撃の隙をついて銃を撃とうとするが、さきほど落としてもう手元にはないのだと気がつく。

 仕方がないから左腕で掴んで止めて、その腹へと殴るようにしてのこぎりを叩きつけた。

 

 皮が破れ、血に渇いた獣が叫ぶ。

 もっと聞きたいと思って今度は胸にのこぎりを叩きつける。

 すると深々と埋まった刃が肋(あばら)を叩き折るような音がして、何故だか今度は獣が叫ばなかった。

 不満だからまた振り下ろそうとすると、腕がうまく動かないことに気がつく。

 面倒だと思いながら視線を向ければ、獣の左爪が右腕の肉を根こそぎに抉り取っているのが分かった。

 

「…………」

 

 仕方がないから左手に持ち変える。

 なたにしつつ肩口から腹にかけてを深々と切り裂くと、血に渇いた獣はかすれた叫びを上げて後退した。

 逃がすものかと地を蹴ろうとするが、今度は足がうまく動かない。

 確認すらせずに血を入れて、治癒を待てずに走り出す。

 すぐ前に立つと獣は毒液を撒き散らしたものの、それを跳躍で突っ切りのこぎりで首を斬った。

 

「――――!!!!」

 

 すると獣がまた叫ぶ。

 まだ叫べるじゃないかと驚いた。

 叫べないフリをして騙すとは。

 

 血に渇いた獣が両手を広げ、飛びかかってきた。

 真っ黒に染まった視界の中で動き自体はなんとか見えたが、唐突に体が動かなくなって口から血がこぼれてくる。

 

「…………」

 

 隙をつかれて地に押さえつけられて、髑髏の口が噛み付こうと迫ってきた。

 さらに掴まれた体には深く爪が突き立つ。

 

 ✕✕✕✕は即座にのこぎりを捨て、右腕で獣の喉を掴みその攻撃を押し止めた。

 そして空いた左手で血を入れたあと、少しだけ回復した視界の中でそのまま両手で喉を握る。

 

「あ、ああ……がああぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 咆哮し、両手に渾身の力を込めて強靭な喉を握り潰した。

 すると噴き出した返り血で体の傷が塞がっていき、獣は逃れるようにして後ずさった。

 

 その隙を逃さず✕✕✕✕は立ち上がる。

 そしてのこぎりを拾う間も惜しんで右腕を振りかぶり、いつの間にか鋭い爪を得ていたそれを腹の傷へとねじ込んだ。

 

「――――――――!!!!!」

 

 それは絶叫だったが、耳で小さく弾けるような音がして何も聞こえなくなった。

 突き込んだ右手が臓物に触れているのが分かって、✕✕✕✕は温かいそれを少しでも多く掴むために慎重に慎重にゆっくりと握る。

 

「死ね……死ね、死ねッッ!!」

 

 衝動のままに叫んで✕✕✕✕は血に渇いた獣の臓物を引き抜いた。

 すると反動により血に渇いた獣は吹き飛び、もう起き上がることはなかった。

 

「う、あ……」

 

 その死体を眺めていると不意に痛みが帰ってきて、✕✕✕✕もくずおれる。

 冷たい床に身を横たえて、もう指一本動かせなかった。

 

 戻ってきたはずの毒の痛みすらもはや遠く、少しずつ意識は闇へと沈んでいった。

 

 ―――

 

 

 

 

 

 

 

 ……嫌な夢を見た。

 人を殺す夢だった。

 

 最初は小さなナイフが得物だった。

 だが成長を重ねるにつれて武器は変わっていった。

 ある時は刃物を片手に、ある時は銃器を頼りに。

 一度や二度ではなく、何度も何度も殺しを行っていた。

 理由は分からないが、恐らく身寄りのない孤児が生き残るには悪に染まるしかなかったのだろう。

 

 しかし今にして✕✕✕✕は思うのだ。

 果たして自分に、何人も他人を殺してまで生きる価値があったのだろうかと。

 

 

 

 

 

 

 ―――

 

「起きたかね?」

 

 そんな声で目を覚ます。

 かすかに光が見えていた旧市街も今は陽が落ちて、暗い夜の空が仰向けの視界に見えた。

 

「……デュラ」

 

 身を起こすと、デュラが隣に座っていた。

 そして安堵したような表情で✕✕✕✕を見下ろしていた。

 

「俺を殺さないのか?」

「……馬鹿を言うな」

 

 そう言って、デュラは顔を歪めた。

 なんとなく後ろめたくて視線を逸らし、✕✕✕✕は話題を変える。

 

「ここは?」

「旧市街にあるいくつかの隠れ家の一つだよ。見ての通り、屋根が壊れているので寝泊まりには使わないが」

「そうか」

 

 自然治癒によるものか、それとも他に理由があるのかは分からなかったが毒はもう抜けているようだった。

 ヤーナムらしからぬ涼しい夜風が頬を撫でて、✕✕✕✕は何故だか胸が締め付けられるような気がした。

 

 たとえ本人の意思を無視したエゴの結果でしかないにせよ、誰かを救えたのだという事実が嬉しかったのかもしれない。

 

 夜風に吹かれて空を見上げていると、デュラが唐突に問いを投げかけてくる。

 

「ところで貴公、先の戦いで獣血の丸薬を飲んだか?」

「……それは?」

「一時的に獣に近づく薬だ」

「…………」

 

 戦いの中で感じた狂気じみた熱を思い返す。

 確かにあの異様な感覚は人間らしからぬもので、獣のものだと言われればなんだか納得できる気がした。

 それに実際得体のしれないものは飲み下したし、恐らく✕✕✕✕はそれを飲んだのだろう。

 

「多分、そうかもしれない」

 

 ✕✕✕✕がそう答えると、デュラは怒りを押し殺すように言葉を吐き捨てた。

 

「馬鹿なことを……!」

「?」

「貴公、あれは禁忌なのだ。もう二度と口にすべきではない。いつか獣に成り果てるぞ」

「…………」

 

 その言葉に✕✕✕✕は黙り込む。

 獣になるなど御免だったし、狩人の獣……殺しても死なない獣など悪夢以外の何物でもない。

 だからできれば口にしたくはないが、あの丸薬が手元にあって、それから必要に迫られたならまた飲むかもしれないと思った。

 

 あの丸薬は攻撃性の増大と痛覚の遮断により防御力を落とすが、その欠点を補ってなお余りある力を与えてくれるのだから。

 

 しかしそれを言うのは躊躇われて、代わりにずっと気になっていたことを尋ねてみることにする。

 

「なぁ、デュラ」

「なんだ?」

「あんたは俺のことを優しいと言っていたが、どうしてなんだ?」

 

 ✕✕✕✕には分からなかった。

 さっき見た夢の中で、✕✕✕✕はまともなままで獣と同じことをしていた。

 そんな獣もどきの人間が……デュラがそれを知らないとはいえ、どうして優しく見えるのかが分からなかった。

 

「俺はこの街に来る前悪人だったんだ。どうしようもないクズだったんだ。優しくなんてないんだよ、俺は」

 

 ✕✕✕✕がそう言うと、デュラは黙り込む。

 そしてしばらくしていっそ意外なくらい優しく語りかけてきた。

 

「私は、貴公を殺しただろう?」

「ああ」

 

 確かに殺された。

 あの時はわからなかったが、恐らくは杭打ち機で頭を粉砕されたのだろう。

 とても痛かった。

 

「だが貴公はそれに痛みをもって報いることはしなかった。殺したくないから話を聞いてくれと言ったんだ」

「…………」

「妙な話だが、貴公は分かっていたのだろうな。私が死ねばもう取り返しがつかなくて、自分の死は取り返しがつくものなのだと。……自分の痛みを差し引いて他者の命を愛おしむことができる人間など、この世界にそうはいないさ」

 

 その言葉はあまりに真っ直ぐだった。

 それが何故だか申し訳なくて仕方がなくて、✕✕✕✕は拳を握りしめる。

 

「違う。俺は多分……人殺しもしたことがある。俺は……」

「なぁ、貴公」

 

 不意に言葉を遮られて、それからデュラがあまりに真剣な表情をしていて、それで✕✕✕✕は何も言えなくなる。

 

「私は貴公の過去など知らない。……しかし、それでも一つだけ言えることがある」

「…………」

「貴公は自分で思っているより、ずっといい人間だよ」

 

 もうなにも言い返す気がしなかった。

 握りしめていた拳から力が抜けて、小さなため息が一つ漏れる。

 

「帰ろう」

 

 そう言って立ち上がると、デュラも何も言わずに腰を上げた。

 ✕✕✕✕はそばに置かれていたのこぎりと銃を拾い、隠れ家の外へと歩き始める。

 

 ―――

 

 アルフレートと合流した後、旧市街の出口までデュラたちは見送りに来てくれた。

 旧市街の入り口の大きな門の前、別れの前に束の間言葉を交わす。

 

「獣を守るために残るなど、教会は認めないと思いますが」

「まぁ、監視とでも言うさ。駄目だったらまた考えるよ」

「……そうですか」

 

 まだ少し棘が残る態度で上に来るようにアルフレートが言う。

 しかし彼らは断って、二人してここに残るつもりのようだった。

 

「本当に残るのか?」

「ああ」

 

 ✕✕✕✕の問いにもそう答えて、デュラはわずかに微笑んだ。

 

「私は戻らない。……だがここにいて、それで貴公をいつでも歓迎する。夜が明けたら今度は貴公が私に食事を振る舞ってくれ」

「……俺が?」

 

 料理などろくにした覚えもないが。

 

 ……だがまぁ立ち寄ってみるのはいいかもしれない。

 無論夜が明けて、お互い生きていたらの話だが。

 

「ああ、分かった」

「楽しみにしている」

 

 今度こそ満面の笑顔を浮かべてデュラは楽しみにしていると口にした。

 

「……行きましょう」

「ああ」

 

 アルフレートの言葉を受けて、✕✕✕✕ももう行くことにする。

 すると別れを察したのかデュラがまた口を開いた。

 

「血族狩りアルフレート、使命を果たしたまえよ」

「言われるまでもありませんが、お気遣いには感謝します」

 

 親しげな色こそない声だが、もうそこには突き放すような気配はなかった。

 アルフレートも少しは彼らのことを許すことができたのかもしれない。

 夢を見ない身では、殺されたことを完全に許すのは中々難しいのかもしれなかったが。

 

「それから、貴公」

「…………」

 

 次に✕✕✕✕へと視線を向けて、デュラが語りかけてくる。

 そしてなにやら先端に布を巻き付けた棒のようなものを差し出してきた。

 

「これは?」

「これは獣狩りの松明。後輩への餞別さ。いずれにしろ、私にはもう不要なものだからな」

 

 受け取って、つぶさにその様子を確かめてみる。

 夜の狩りの中で、松明は確かに役立つものだろう。

 背中の銃を吊るベルトに挟んでおいて礼を言った。

 

「ありがとう」

「気にすることはない。貴公には二つ分の命の借りがあるのだからな」

 

 そう言ってひとしきり笑った後、おもむろにデュラは✕✕✕✕の背後を指さした。

 

「どうした? 狩人に繰言は不要だろう。……さあ、もう行きたまえ。夢見るは一夜だ。悔いのないようにな」

「…………」

 

 それには答えず、アルフレートと✕✕✕✕は踵を返す。

 そして二人並んで旧市街の外へと歩き始めた。

 

 

 




一段落つきました、お読みいただいてありがとうございました。
次は短めの墓地街になって、その次にエミーリアで月夜になります。
主人公の過去は村の生き残りベースで暴力的過去の側面もあるのかもしれません。
ステータスもそれに準じる形になるのでしょうか。 

もう気づけば連載も一年超えということで、改めてお付き合いいただいてありがとうございました。
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