ブラッドボーンー永遠の狩人ー   作:ローリングデブ

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 ひどい雨の夜だった。

 街外れの路地裏の陰で、傘もささずに立ち尽くしていた。

 そうして人を待っているのだ。

 命を奪う相手を。

 

 雇い主が標的が乗る貸馬車の御者を買収しているので、じきにこの路地裏に来るだろう。

 

「…………」

 

 どこか遠くから楽しげな音楽が聞こえてくる。

 今日は祭りかなにかをやっていただろうか。

 ……こんな雨の中?

 しかしいずれにせよ自分の人生には関係のない話だった。

 

 近頃酷くなった病の咳に背を揺らしながらそう思う。

 息をするだけでぜいぜいと音がする。

 生きていると息苦しくてたまらなかった。

 

「ここで止まるだと?! どうなっている!」

「すみません、お客さん。馬の足の具合が良くないみたいでして。代わりの馬をやりますんでちょっと待っててくださいな」

「……まったく! 代金は払わんからな!!」

 

 足を引きずる馬を連れて御者が雨の中遠ざかっていく。

 馬は足を引きずっているが、その足は隙を見て御者が傷つけたものだろう。

 

 放置された馬車を見ていると、恰幅のいい背広の紳士とドレスを着た少女が出てきた。

 まだ小さな女の子だった。

 随分とはしゃいでいる。

 この世の不幸の味など何一つ知らないように見えた。

 

「パパ、外に出たいわ! こういうとこ初めて見るの!」

「路地裏なんぞ卑しい連中が住む場所だぞ。……だがまぁ、見たいと言うなら傘を開くから少し待ってくれ」

 

 幸せそうな親子だ。

 父親は金のある商人で、国に委託されて専売の品を売りさばく者たちの一人だった。

 だが国の許諾を振りかざして、富のために過剰に闇取引を取り締まるものだから死ぬことになった。

 

 見せしめに酷(むご)く殺すよう言われている。

 

 手の中に折りたたみナイフを隠して歩き始める。

 

「どうだい、お姫様。この場所は気に入ったかね。気に入ったなら引っ越そうか」

「ひどい。パパの意地悪」

 

 傘をさして寄り添った親子は路地裏の汚い家々を物珍しそうに見て回っている。

 背後につけて、足音を殺した。

 

「でもなんだか怖くなってきちゃった。早くお馬さんが来てくれないかな」

「大丈夫だよ。いざとなったらパパはピストルを持っているからね」

 

 楽しそうに笑っている。

 もしかすると祭りにでも向かうつもりだったのかもしれない。

 こうして近づくととても着飾っていることが分かる。

 

 踏み込んだ。

 

「ぐっ……」

「パパ!」

 

 背後から肝臓を突き刺す。

 

「貴様……!」

 

 傘が落ちた。

 手が懐に伸びる。

 ピストルを持っていることは分かっていた。

 撃たれる前に首をへし折る。

 銃が落ちた。

 

「パパ! パパ!! いやっ! やめて!!」

 

 少女の悲鳴が聞こえる。

 人払いは済ませてあるので問題はない。

 力なく倒れた死体にナイフを突き立てた。

 何度も突き刺す。

 とはいえ渾身の力で突き立てる訳ではない。

 

 首などの太い血管がある場所を目立つように簡単に傷つけるだけだ。

 そうすれば大した手間もなく、見た目に恐ろしい惨殺死体ができあがる。

 

「パパ!!  やめて! やめてよ!!」

 

 少女の声が聞こえる。

 構わず作業を続けた。

 もしピストルを拾おうとするようなら殺さなければならないが。

 

「やめて……! お願い、やめて……やめてよぅ……」

 

 背後から聞こえる声は泣き声に変わっていた。

 しゃくり上げる声が壊れたようにやめてと繰り返す。

 

 しかし。

 

「……もうやめて。狩人さん」

 

 その声にはっとして刃を振り下ろす先を見る。

 紳士はガスコインの姿に変わっていた。

 振り向くと、少女の姿は見知ったあの子のものだった。

 

 そして彼女の瞳に映る殺人者の姿は、肉が肥大した醜い獣の異形だった。

 

「…………!」

 

 動揺して隙を晒す。

 少女が泣きながら飛びつくようにピストルを拾った。

 雨の音がする。

 震える手が、小さな手がたどたどしく獣の頭に照準を合わせてくる。

 涙に濡れた目が幼い殺意をぶつけた。

 

 爪の間合いだったから、撃たれるより先に振り下ろした。

 

 ──―

 

「しっかりしな!! くたばっちゃいないんだろう!」

 

 意識が戻った。

 随分荒々しく起こされたようだった。

 壁に寄りかかって座らされていた✕✕✕✕は、化け物に掴まれていた首を軽く擦る。

 

 まだ違和感があるが、血を入れてくれたのか随分マシになっていた。

 頭を振ってはっきりさせる。

 あれは一体なんだったのか。

 

「ああ、起きたね。揺さぶってやった甲斐があったよ」

 

 珍しくほっとしたようにアイリーンが言った。

 ✕✕✕✕は鼻を鳴らす。

 

「優しく起こしてもらったようだ。おかげでいい夢を見た」

「軽口を叩けるなら大丈夫さね。さぁ、立つんだよ」

 

 急かされたから立ち上がる。

 尻を叩かれたから走ることにする。

 随分急いでいるようだった。

 

 ……それもそうか。

 ✕✕✕✕のせいで遅れたのだから。

 

「すまない、アイリーン」

「……いいんだよ、明らかに普通じゃなかった」

 

 走りながら彼女はそう答えた。

 ✕✕✕✕は目をそらす。

 

 すると一瞬の間をおいてまた話し始めた。

 

「昔、若い頃にね。狩人が突然浮き上がって死んだ話を聞いたことがある」

「なんだそれは。笑えばいいのか?」

 

 冗談だとしか思えなかった。

 だからそう言うと、アイリーンはくつくつと喉を鳴らした。

 

「そうじゃない。でも死体にはなにかに掴まれた跡が残っていたらしい。だからそいつも案外、見えない何かに掴みあげられたのかもっていう話さ」

「……そうか」

 

 聞くともなく話を聞きながら先に進む。

 話の着地点が見えないからあまり取り合わず周囲を見ていた。

 

 やはり目に入るのは殺された獣ばかりだったが。

 

「まぁ、つまり。見えない何かはいるってことさね」

 

 アイリーンに目を向ける。

 彼女もこちらを見ていた。

 マスクをつけているのに息も切らさず走りながら、彼女は笑いの息を漏らして話を続けた。

 

「私には見えないが、斬ってやることはできるかもしれない。次見かけたらなんとかしてあげるよ」

「……ありがとう」

 

 そんな風に言葉を交わして先に進む。

 街を抜け、頼りない板の橋を渡って一軒の家の中に入る。

 

「道は合っているのか?」

 

 いくらなんでもこんな獣道をわざわざ通るか疑問だった。

 

「死体がある限りは通ったってことだろうさ」

「……なるほど、確かに」

 

 そう答えて家の中のはしごを登る。

 そうして二階にたどりつくと、またあの悪寒が背を撫でた。

 

「アイリーン」

「またかい?」

「ああ」

 

 異形が這い出してくる。

 

『啓蒙が高まれば、見るべきでなくして世界から隠れているものが見えることもあるでしょう』

 

 思い出したのは人形の言葉だった。

 もしこれが啓蒙により映し出された真実だというのなら恐ろしいと思った。

 

 この世界の表面の薄皮一枚下。

 見えないだけでずっとこのような存在がいるのだと思うと漠然とした恐怖に襲われる。

 

 気がつかないだけであの白い視線はいつも✕✕✕✕を覗き込んでいたのかもしれない。

 

「腰が引けてるよ。どこだい?」

 

 知らず怯えを見せていたらしい。

 はっとして✕✕✕✕は異形がいる場所を指さす。

 薄暗い家屋の中、血のように赤い光はひたすらに異質だった。

 

「すぐ前だ。机のそばにいる」

 

 家の中の机のそばから現れた。

 ✕✕✕✕にその姿が見えていることに気がつけばすぐにでも襲いかかってくるだろう。

 

 そんな風に思っていると、アイリーンは示した場所に火炎瓶を投げた。

 今にも飛びかかって来そうだった異形に、広がった炎が命中した。

 苦痛にか暴れた拍子に、いくつかの家具が音を立てて倒れる。

 

 すると彼女はその場所に一瞬で踏み込み、虚空に向けて刃を振った。

 空振りだ。

 だがもう一度刃が振るわれる。

 流星のような残像を残して、美しい隕鉄の刃が異形を斬り裂いた。

 

「手応えありだ。……なんだ、案外やれるもんだね」

 

 異形が崩れ落ちる。

 アイリーンが笑った。

 思わずほっとして息を吐いた自分を恥じた。

 

 本当なら見える✕✕✕✕が仕留めなければならないのに。

 

「……すまない。次は自分で倒す」

「ああ。でもあたしにも倒せるのが分かってよかった。……行くよ」

 

 そう言って残り火をまたいで歩き始める。

 慌ててその背を追いかけた。

 また走り出している。

 

 家を抜けて外に出た。

 どうやら崖の上に出たようだった。

 切り立つ断崖の横を見ると、遥か下に大きな湖が見える。

 落ちれば命はないだろう。

 

「……ここもやられてる」

「ああ」

 

 アイリーンの言葉に答える。

 獣たちは屍を晒していた。

 あるものは斬殺され、あるものは弾丸に穿たれて。

 

 全く歯が立たずに殺されたように見えた。

 

「行くよ。急ごう」

 

 さらに走る。

 そうして小さな塔を下っていると、階段の下には狩人の姿があった。

 塔の壁に背を預け座り込んでいる。

 

「……ヘンリエット。一人で追ってたのか」

 

 アイリーンが呟いた。

 彼女の名はそういうらしい。

 そしてヘンリエットは血にまみれて倒れている。

 狩装束を身に着けて、紳士が身につけるようなハットを被った女だった。

 武器と思しき石鎚が傍らに転がされている。

 

「あんた、しっかりしな!」

 

 アイリーンが駆け寄る。

 だが狩人の息は絶え絶えだった。

 腹を斬り裂かれて内臓が露出している。

 銃撃を受けたか左腕と右の太ももが破裂していた。

 

 しかし奇妙なのは彼女のそばに注射器がいくつも散らばっていることだった。

 傷が塞がった様子もないのだ。

 

「今助けてやる。まだ血を入れれば間に合う。気を確かに持つんだよ!」

 

 ヘンリエットの腕を取り血の注射器を手に持つ。

 そして針を突き刺すが、やはり回復には至らないようだった。

 

「だめ、霧……血は……効か、ない……」

 

 切れ切れの息で。

 かぶりを振りつつヘンリエットがそう言った。

 見上げる右目は刃により抉られていた。

 

「逃げ……つよ、すぎる……勝てない」

 

 なんらかの要因により血が効果を発揮しない。

 それを分かっていてもなお何もしないわけにはいかなかった。

 

「アイリーン。なにかできることはないのか?」

「止血……」

 

 しかし言いかけてやめる。

 これほどに傷つけられているのに今さら止血もなにもあるものか。

 無念にか歯を食いしばる音が聞こえた。

 注射器を持っていた腕が下がる。

 力なく首が横に振られた。

 

 すると突然ヘンリエットが苦しげな悲鳴を上げる。

 

「どうしたんだい? ヘンリエット!」

 

 焦りをにじませた声でアイリーンが膝をつき寄り添う。

 すると声を震わせながらヘンリエットが涙を流した。

 

「劇毒で……体が。あいつは、逃げて、何度も血を入れる私を……ずっと、ずっと……そこで、見てた……」

 

 笑いながら。

 

 本当に悔しそうにそう言ってまた苦痛に呻く。

 ✕✕✕✕は丸薬を取り出した。

 毒というのならだ。

 たとえ効かなくても苦痛を和らげることはできるかもしれないと思ったのだ。

 

「これを」

「………」

 

 言葉を発する気力も、自分で受け取る余裕もないようだった。

 なので口に丸薬を入れてやると弱々しく嚥下する。

 そうすると少し落ち着いたようだったが、傷が塞がる訳ではない。

 

 死の定めは変えられないのだ。

 

「狩人狩り。どうか楽にして……。疑って……悪かった」

 

 細く目を開いてそう言った。

 アイリーンに詫びているようだった。

 目撃談を信じ込んでいたのかもしれない。

 

「あなたがあんな……化け物で、あるはずも……ない、のに……」

 

 ぼろぼろと涙をこぼす。

 苦痛ではなく無念なのだろう。

 瞳に宿る怒りがよく伝わる。

 

「お願い……もう、殺して……気が狂いそうなの……」

 

 アイリーンが俯いた。

 刃に手をかける。

 

 そして次の瞬間、星の輝きが閃いた。

 一拍遅れて滑り落ちるようにして首が転がる。

 ごとりと音を立てて地面に落ちた。

 

 アイリーンはその首を拾い上げる。

 残忍な手法に見えるが、あれ程の切れ味の刃だ。

 一瞬の殺害に痛みはなかったと信じたい。

 

「…………」

 

 血を流す首なしの死体を見据えたあと。

 アイリーンはその首を屍の腕に抱かせる。

 そして狩装束の羽を一枚ちぎり亡骸のそばに添え置いた。

 

「許さない」

「…………」

 

 低く抑えた声で言うアイリーンを見てふと思う。

 今追っている殺人者は本当に彼女の標的なのだろうかと。

 

「なぁ」

「……なんだい?」

 

 怒りを抑えきれていない声だった。

 口に出すのを一瞬ためらうが、結局言うことにする。

 

「俺たちが追っている相手は獣なのか? それか獣になりかけたやつなのか?」

 

 いくらなんでも信じがたい。

 霧……と言っていたか。

 ✕✕✕✕たちの知らない道具を操る知性と、苦しむ様を鑑賞するような歪みを獣が持っているのかと。

 

 ガスコインも✕✕✕✕をなぶったが、あれは狩りに酔っていたのだ。

 決して抵抗も何もしない人間の苦痛を見て浸っていた訳ではない。

 

「人だとしたら? 追うのをやめろって言いたいのかい」

「そうじゃない。でも……」

 

 言いかけた✕✕✕✕の声を遮ったのはアイリーンの怒声だった。

 

「だからなんだって言うんだ! 人を殺してるんだ。獣となにも変わらないだろう!」

 

 珍しく激したような声に気圧される。

 だがそれ以上に心に突き刺さったのは、はっとさせられたのは人殺しを獣だと言ったその言葉だった。

 

「…………」

 

 先ほどの夢が……あるいは過去の殺しの記憶が蘇る。

 あの時涙を流しながら銃を向ける少女をどうしたのだったか。

 

 思い出せない。

 しかしここにこうして生きているということは……きっとそうなのだろう。

 

 償わずにこんなところまで逃げてきた。

 自分だけ幸せになろうなどと世迷いごとを抱いて、結局また人を不幸にした。

 ✕✕✕✕はヘンリエットを殺した者と同じ許しがたい罪人であるように思えた。

 

 拳を握りしめる。

 

「……そうだな。すまない」

 

 うなだれて謝るとアイリーンは口籠った。

 こちらの様子になにかを感じたのかもしれない。

 だが結局、もう何も言わずに塔の外へと駆けていく。

 

 ✕✕✕✕は最後に一度だけヘンリエットの亡骸に目をやった。

 自分が殺したわけではないのに罪悪感に蝕まれる。

 

 もしまたここに戻れたのなら、せめて土の下に埋めてやろうと思った。

 

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