あれから、どれほどの死を積んだだろう。
死因は犬、銃、火炎瓶、大男の獣、果ては槍を持った奇妙な姿の獣に、松明と鉈を持った異形。
死んで死んで死に続けて、××××はいつしか朦朧とした意識の中で漠然と獣を狩るようになった。
死んだら、それまでだ。
またやり直す。
またあの灯りで目覚めて、××××は獣を狩る。
その動きは鋭さを増しているが、絶望の中で最早生を渇望する意思は薄れ始めている。
捨て鉢な特攻は、高まった練度を差し引いても十分な死亡要因になる。
しかしそんな死を繰り返す地獄の中でかすかに××××を支えたのは、大橋にたどり着くという目的だった。
幾度も迷いながらも道を探り、遥か遠くの聖職者たちの街を仰ぐ。
そうして、ようやく大橋の始まりへと辿り着いたその時。
××××は、診療所で倒したあの獣が二体橋の上に陣取っているのを見た。
「…………」
今でさえ、相手が万全なら勝てるかは分からない敵だ。
それが、二体。
××××は濁った目でうろうろとそのあたりを歩き回る獣を見据え、それから勝つための算段を立て始める。
まず、こちらの手札。
獣共が時折落とす火炎瓶五つと、それから弾丸を十八発残した銃とのこぎり。
これだけだ。
そして、これだけを駆使して××××はあの二体に勝たなければならない。
「…………」
大橋、目的地はすぐそこだ。
そして、あの二体を打倒すれば橋を渡ることができる。
全てを使い果たすつもりで、××××はまず火炎瓶を一つ投げる。
それは、若干逸れながらも確かに獣へと命中。
瞬間炎上し、炎に包まれる怪物。
だが同時に、××××の存在にも気が付かれた。
もう一つ、火炎瓶を投げる。
突進してくるそれには容易く命中し、その体をまたさらに激しく焦がした。
××××はそこで踵を返し、今しがた登った大橋にかかる階段へと足を向ける。
そこは狭く、追いかけてくるのであればあの巨体なら動くのに不自由することだろう。
それに、その狭さ故に敵は数の利を活かすことができない。
火を燻らせながら、半狂乱になって怪物が突っ込んでくる。
だが、階段の段差と狭さに足を取られて上手く動けない。
頭部にのこぎりの一撃。
そして反撃を許さぬよう、斬撃の隙間に散弾を差し込む。
大きく怯んだそこでまた斬撃を放ち、命を刈り取った。
だが、まだ終わらない。
煤けた死体を踏み越えて、もう一体の怪物。
足場が悪いのは向こうだけではなく、こちらもそれは同じだ。
だから予想の上を行く勢いの爪に肩を抉られ、腕の肉を大きく噛みちぎられる。
舌打ちを一つ、階段の中の曲がり角まで引き、追いかけてきた怪物に渾身の一振りを浴びせる。
すると返り血により傷が塞がり、怪物が大きく怯んだので一旦引いて輸血液を打ち込む。
それからまた追いかけてくるが、その突進を予想して火炎瓶を投擲。
モロに喰らって焦げたところで懐に潜り込み連撃を浴びせ、そのまま斬り殺す。
のこぎりに貼りついた肉と血を払い、××××は死体を踏み越えて歩き出す。
そして大橋を半ばまで渡ったところで、左に脇道があるのに気がついた。
「…………」
暗い、その建物の中へと足を踏み入れる。
すると闇に紛れるようにして立っていた刀を持った獣が刺突を繰り出してきて、××××はそれを胸に受ける。
「がっ……」
痛みが刺すようにして広がり、口の端から血が漏れる。
だが、これくらいでは死にはしない。
幾度もの死を乗り越えてそれを理解していた××××はあえてその刃を抜かずに突き通し、深々と刺さったそれが引かれる前にのこぎりの刃を獣へと当てる。
返り血でわずかに傷は塞がるが、突き刺さった刃が阻害する。
動かなくなった獣を無造作に地に投げて、輸血液を一つ使う。
それから獣の持ち物を探ると、輸血液を二つ見つけた。
それから暗い家の階段を降り、二体ほど獣を処理して外に出るとどこか見覚えのある場所に出た。
ここは、ギルバートの家の近くか。
松明を持った獣を処理して、それから目についた階段を駆け上がる。
そして、例によってまた配置されていたレバーを引くと、目の前に高くそびえていた鉄の門がゆっくりと開く。
ギルバートの家の前の灯りで目覚めるのなら、ここを通ればまたすぐに大橋へと行くことができる。
どうやらこれで、死ぬ度にあの広場をくぐり抜ける必要がなくなったらしい。
久々に安堵して、それから登ってきた階段を下りる。
そして暗い家の中をまた通り大橋へ戻った、その時。
異様な気配を感じて、××××は弾かれたように左へと視線を向ける。
「…………」
薄い、霧のような暗闇の向こう。
淡々とした足音が聞こえる。
「……どこもかしこも、獣ばかりだ……」
ざらつくような音を含んだ、低い声。
闇の向こう。徐々に露わになるその姿。
屈強を伺わせる長身に、どこかヤーナムとは馴染まない黒衣と帽子。
包帯に隠された瞳。帽子の下から覗く無造作に伸ばされた白い髪。
そして右手には大ぶりの斧を握り、左手には××××のものとは違う、短銃の銃身を長くしたようなものを握っている。
獣たちが持っていた斧とは比べ物にならない、明らかに洗練された武器であるそれを握り直し、その男は深く息を吐いた。
「……貴様も、どうせそうなるのだろう?」
「…………」
明らかに、この男は『違う』。
それが分かった。
だから、問いかけに答えず××××は逃げ出していた。
大橋への近道も見つけた。
獣も排除した。
焦る必要などない。
また改めて機を見い出せばよいのだ。
「逃げるか」
せせら笑うようにして、声が漏らされる。
発砲。
「!」
脚を食い破った弾丸の感触に、痛みも忘れて驚愕する。
この距離で、散弾がこの威力とは。
男は銃を叩くようにして弾丸を装填し、またこちらへゆらりと近寄ってくる。
その装填の動作は××××の銃にはないもので、恐らくは何かあの男の手で手が加えられた結果なのだろう。
転がりつつ血を打ち込み、数秒後には逃走を再開する。
だが、すでに距離を大きく縮められていた。
飛びかかるようにして、斧の叩きつけ。
一見隙だらけに見えるそれだが、男が放つ威圧感が反撃を許さない。
そして、それは正解だったと分かった。
ほとんど目で追えないような速度で刃が跳ね上がり、斬り上げへと繋がる。
恐ろしいほどの伸びをもって迫るそれは××××の上半身を斜めに斬り裂いた。
反撃など考えていれば、上半身を飛ばされていただろう。
逃げ腰だったことが功を奏して、その一撃に遠く吹き飛ばされた××××は追撃を逃れる。
……いや、逃れるとは正確な表現ではないだろう。
何故なら××××の目前にすでに男は迫っていて、刃を横薙ごうとしているからだ。
左肩越しに大きく振り上げられたその刃が、霞む。
××××はなんとか刃を合わせたが、容易く跳ね飛ばされた。
だが体勢を崩しつつも防ぐことには成功し、男が二の太刀を放つ前に××××は銃撃で威嚇する。
しかし、男の体が信じがたい速度で横にずれて弾丸はかわされる。
「クハハッ……」
いや、かわしただけではない。
同じ動きで踏み込み、男は××××へと肉薄していた。
そして恐怖に駆られて引き金を引いたことを見透かしたように、男は××××の目の前で鼻を鳴らす。
「!」
放たれる斬り下げ。
無様に横に転んでかわす。
しかし立ち上がろうとしたその時斧の柄で頭を強打され、怯んだ瞬間を逃さず男は××××の脇腹に刃をねじ込んだ。
「がっ……!」
せめてもの抵抗として刃を振るが、男はそれをかわしそれから二撃目は手に持つ銃の銃身で弾き飛ばす。
しかし抵抗を興がるようにその唇が歪み、刃を引き抜かれて××××は地面に倒れ込む。
それから転がりつつ立ち上がり、湧き上がるなにかに身を任せて脇目も振らず逃げては血を入れた。
ああ。
じりじりと、心を焼くようなその感情。
それは恐怖だ。
久しく忘れていた、恐怖だった。
「ぁ……!」
この男は、恐ろしい。
獣とは違うのだ。
××××をどう殺すかを、緻密に、冷酷に、したたかに考えている。
一度死んだくらいでは逃してはくれない。
そんな予感があった。
決して勝つことは叶わず、延々と殺され続ける。
そんな未来を幻視し、瞳を凍らせた。
逃げなければ。
背を向けて走る。
しかしいたぶるように斧が背を撫でて、腰を抜かした××××を男が蹴り飛ばす。
「つまらん狩りだ」
腹を蹴られ、咳き込んだ。
男は××××を踏みつけて、それから刃を振り上げる。
そして、それをなんの躊躇もなく肩に向かって振り下ろした。
「っ……!」
武器を取り落として、それは男によって遠くに蹴り飛ばされる。
「獣には過ぎた玩具だろう」
言いつつ踏みつけられ、左足を撃たれる。
ふくらはぎから下がぐちゃぐちゃになって、だらだらととめどなく血が流れた。
荒い息の中、荷物を漁り注射器を取り出そうとする。
すると男の昏い視線が泳ぎ、××××の手の左手の先で止まる。
「それもだ」
腰につけた小物入れが踏み砕かれ、ポーチの中にじわりと血が広がる。
ああ。
恐怖に目を閉じた、そこで。
不意に目の前から重圧が消えた。
「みっともないねぇ、酔っ払いが。獣みたいに無様な姿を晒して……」
からん、と音がして××××の前にのこぎりが投げられる。
そして、目の前に現れたのは漆黒の羽が数え切れないほど覆う、まるで烏の翼か何かのような装束を纏った誰か。
「あんた、立てるかい?」
「…………っ」
重ねた年月を感じさせるが、それでもなおその声は老いからは程遠い張りを漲らせている。
どこか凄味を潜ませた、けれど静かな老婆の声が××××に背を向けたまま言葉を紡ぐ。
「しっかりするんだよ。もう誰も人じゃあない。自分の身は自分で守るしかないんだ」
その言葉に我を取り戻して、××××はようやくのこぎりへと手を伸ばす。
腕はうまく動かないが、それでもなんとか握ってよろめきつつも立ち上がる。
左足が熱くて熱くてたまらないが、それでもなんとか立ち上がる。
「…………」
ちらと振り返って、烏羽の女が××××を見やった。
その、くちばしのマスクに覆われた表情は当然読み取れることはない。
だがほんの一瞬、マスク越しに烏羽と視線がぶつかった気がした。
それから次の瞬間には、烏羽は××××から視線を外す。
そしてその右手に持った歪んだ短刀を軽く振り、左手に持った短銃をだらりと下げてガスコインに相対する。
「……誰かと思えばアイリーンか。狩人狩りが獣になるとはな」
低く笑って、男が言う。
アイリーンと呼ばれた老婆は、それにくつくつと笑いを返す。
「あたしに狩られるやつはみんな同じことを言うよ、ガスコイン。もっとも、喋れる内に狩られた奴は、だけどね」
男――ガスコインは、獰猛に笑い砂埃を巻き上げるような力強い踏み込みでアイリーンへと迫る。
そして手に持つ斧により地を削るような軌道で斬り上げを放った。
だが。
風に羽が舞うように音もなく飛び退き、アイリーンはそれをかわす。
ガスコインはなおも連撃を繰り出すがその全てを流麗な身体操作で回避し、突如鋭さを増した動きでアイリーンはガスコインに肉薄。
そして右手に持った短刀が青白く閃き、夜の中まるで星のような光を煌めかせる。
澄んだ音と共に刃が振られ、そして鮮血。
あのガスコインが、血を流した。
「ぐっ……!」
痛みをものともせずガスコインは至近距離で散弾銃を放つ。
しかしその一撃もかわして、アイリーンは一旦距離を取って××××の前まで戻ってくる。
「あんた、逃げな。新入りだろう。それによそ者だ」
「……………」
しかし逃げていいものかと、そう思って立ち尽くしていると叱責するような声が××××へとかけられる。
「自分で動ける内に消えろって言ってるんだよ。……それに、おかしくなった狩人を狩るのはあたしの仕事さね」
顎をくいと動かして、アイリーンは短銃を腰に下げて手放してしまう。
それから何をするのかと見ていると、二本の刃が絡み合うその歪んだ短剣が二つに分かれて両手に握られた。
「なにしてる? 早く行きな」
「…………」
××××は踵を返し、左足を引きずりながらも橋から離れるために階段を下りる。
するとすぐに背後からは銃と刃による戦闘の音が聞こえ始めた。
「はぁ……っ」
しかし、逃げたはいいものの。
入れる血がないので、傷が塞がらない。
階段を降り、自分の手で始末した獣の死体が転がる小さな広場を通り抜ける。
そしてまた階段を降り、十字路を右に。
目立たないところに行って少し休むつもりだったが、これはどうも無理かもしれない。
石造りの民家の壁に背をもたれて、××××は座り込む。
それから段々と意識が遠のくのを感じながら、××××はそういえば初めてだなと、そんなことを思う。
ここに来てからというもの何度も死を経験したが、突き殺されることもすり潰されることもなくまどろむようにして死ぬことができるのは初めてだった。
そう、まどろむように。
全て悪夢であったかのように。
眠りにつくように。
……ああ。
✕✕✕✕は息をつく。
そして目をつむり、絶望を噛み締めた。
一体どうして、自分はこんな場所に来てしまったというのだろうか……。
こんな目に遭うくらいなら、大人しく病で死んだ方がきっと安らかだったはずなのに。