再び訪れた大橋には、死屍累々の光景が溢れていた。
「ああ、あんたかい。来ると思ってたよ」
大橋に溢れていた獣はその尽(ことごと)くがその身を斬り刻まれ、無惨な死体を晒していた。
そしてそれを為したのは、恐らく目の前の烏羽の狩人――アイリーンだろう。
大橋の壁に背中をもたれさせ、どうやら彼女は××××を待っていたらしい。
ガスコインのことも気になったが、それを聞くのも躊躇われて××××は口ごもる。
すると血の滴る例の短剣をだらりと下げて、壁から腰を浮かせたアイリーンは××××の方へと歩み寄ってきた。
「この先に用があるようだったから一つ忠告をしておきたかったのさ。……この先には大物がいる。あんたには無理だから、引き返しな」
「…………」
引き返せと、この先には行けないのだと、そう言ったアイリーンを××××は無言の意思を込めて見返す。
「……なんだい、あんた。いい目をするようになったじゃないか」
クククと喉に引っかかるような笑い方をして、アイリーンがそう言う。
「引けないって言うのかい? あたしもまぁ、その心意気は買ってやりたいけど、何しろ得物がこれだからねぇ。大物を狩るのには向いてない」
アイリーンが血に濡れ、けれど曇りからは程遠い星の閃きを宿す刃を掲げる。
確かにそれは、ただ人を殺すために研ぎ澄まされたような気配を纏う武器だった。
ひたすらに怜悧なその光に目を奪われた××××に、不意にアイリーンが問いを投げる。
「ところであんた、夢は見るのかい?」
「夢?」
××××がそう聞き返すと、アイリーンは頷いた。
「そうさ。夢を忘れたあたしらは古狩人。それで、死してなおそれを夢とするのが狩人。……分かるかい?」
「…………」
それなら分かる気がした。
××××は幾度も死に、それでも目覚めてきたのだ。
全てを夢として。
まるで悪夢から覚めるように。
「夢、かは分からないが」
そう前置きして、××××は語る。
「確かに死んでも目覚める。そして、なにか庭園のような場所にも行ったことがある」
「なら間違いない、あんたは本当の意味で狩人だよ。死んで目覚め、遺志を力にする一夜の主役(えいゆう)って訳だ」
遺志を力に、その意味は分からないし、そもそも死んでも死なないという事実を確認しただけで××××には何も分かっていない。
だが、自分がアイリーンの予想した通りの人物だということは間違いなさそうだった。
「それでそんなあんたならもしかしたらあの化物……【聖職者の獣】も倒せるかもしれない」
「聖職者の獣?」
聞き返した××××に、アイリーンは頷く。
「そう。そいつはそこら中にいる獣の中でもいっとうたちの悪いやつさ。この間はあれのせいでガスコインと痛み分けたし、多分まだ近くにいるだろうね」
「…………」
「無闇に体が大きくて力も強くて……おまけにやつらは中々死なない。医療教会の聖職者はそういう獣になるんだ」
だから聖職者の獣という訳か。
納得して、××××はアイリーンに問いかける。
「俺にそれを倒せるか?」
「…………」
その問いには答えず、アイリーンはただ××××の体を上から下まで舐めるように見回す。
それから、そっけなく口を開く。
「今のあんたには、無理だろうね」
なるほど。
今の、というところがこの話のキモなのだろう。
なんとなくそれが分かって、だから××××は聞き返す。
「なら俺はどうすればいい?」
「ああ、死んできな」
「…………は?」
余りに素早く返されたその答えに、流石に××××は絶句する。
「類稀れな強敵と出会った時、狩人は真実を見る力を手に入れる。……そうすれば、あんたにも全てが分かるはずだ」
「そのために、死ねと」
「要は出会えばいいわけだからね。そのまま倒せるならそれもいいけど、あんたには無理だ」
くつくつとまた笑って、アイリーンはどこかにふらりと歩き始める。
「あたしはこれからガスコインを追う。でもまぁ、使者にあんたのことを頼んでおくさ。……【鐘】を手に入れたら鳴らしな、力になってやるから」
そう言って背を向けて、アイリーンは歩き去る。
その背中を呆然と見つめて、××××も進むことにする。
「…………」
大橋の奥へ。
聖堂街へ。
死ぬのには慣れている。
必要だと言うのなら、死んで見せよう。
そうしなければ自分も少女も、獣になるのだから。
「…………?」
しかし、いつまで歩いてもアイリーンの言った聖職者の獣と思しき影は見えてこない。
門をくぐり橋の終わりが見えてきた頃。
もしやこのまま聖堂街に行けるのではないかと××××が首を傾げたその時。
「っ!」
甲高い、耳をつんざくような人ならぬ叫び声が聞こえて、頭上を影が覆い尽くす。
そして不意に暗くなった視界に視線を上げた。
するとそこにはなにか巨大な腕のようなものが見えて、刹那の後耳の奥にぐしゃりと、肉が潰れるような音が響いた。
××××は一瞬の激痛と衝撃に溺れる。
そして粉々にすり潰されていく感覚の中、確かに頭の中で何かが蠢くのを感じた。
―――
目覚めた時、見えた光景は夜ではなかった。
優しげに白んだ空。
かすかに鼻をつく土と花の香り。
そして。
「…………」
前に来た時には人形が捨て置かれていた、屋敷に繋がる階段の脇。
そこに、人形の代わりのようにして一人の女が立っていた。
白い、あまりに白いその肌と、花の飾りがついた帽子から覗く絹糸のような灰の髪。
それに不気味なほどに整った顔立ちがどうしても造り物を思わせる、それはそんな女だった。
柔らかさを伺わせる赤の肩掛けに、黒を基調にしたスカートとドレス。
なにか愛のような温かささえ感じるほどにごく丁寧な作りのそれらを身に纏い、静謐(せいひつ)な気配を漂わせる彼女はこちらを見ていた。
「はじめまして。狩人様。私は人形。この夢で、あなたのお世話をするものです」
どこか聞いたような気がする、優しく穏やかな声。
そっと彼女へと歩み寄った××××に、女――人形が深々とお辞儀をする。
それを一瞥して、××××は聞き返した。
「世話?」
「そうです、狩人様。どうか血の遺志を求めてください。そうすれば私がそれを、普く(あまねく)遺志を、あなたの力といたしましょう。獣を狩り……そして何よりも、あなたの意志のためにどうか私をお使いください」
アイリーンも口にしていた遺志というやつが、××××の力になるというのか。
そしてそれは、恐らく聖職者の獣を倒すために必要なのだろう。
「今の俺にその……遺志というものはあるのか?」
××××がそう聞くと、人形は残念そうに首を横に振る。
「そうか。ならどうすれば遺志が手に入るんだ?」
「ただ獣を、あなたを害するものを、退けてください。そうすれば、彼らの遺志はあなたに宿ります」
「…………」
「ですが」
否定により言葉を区切った人形へと、××××は改めて視線を投げる。
「遺志は狩人様が命を落とせば、同時に失われます。けれどそれは、しばらくの間はあなたが流した血の中に留まっていることでしょう」
「なるほど」
「はい。遺志は血に宿り……そしてこれも、そうしたものの一つです」
「?」
人形が手を開いてこちらに見せる。
そしてその上には、小さな血の雫があった。
「これはかつてこの夢を訪れた方のものです。保管庫、と狩人様たちがそう呼ぶ場所に遺されていた小さな血の雫、ごくわずかな遺志ですが……」
何をするのかと××××が見ていると、人形が言葉を続ける。
「お手を貸してください」
「……ああ」
武器を置き、手を差し出し人形の手に触れる。
その人ならぬ肌の感触に驚くが、不思議とそれ以上の感情は湧かなかった。
この夢にあるものは、その全てが××××にとって好ましいのだから。
「では、遺志をあなたの力としましょう。少し近づきます。目を閉じていてくださいね」
人形が××××ににじり寄り、押されるようにして自然と跪く形になる。
それから人形の方を見上げると、彼女はきょとんとして首を傾げた。
「目を閉じていてくださいね?」
「あ、ああ」
目を閉じると、当然ながら暗闇が訪れる。
そしてその向こうで人形の穏やかな声が語りかけてきた。
「意志とは進むためのもの。そして遺志とはその名残です。……狩人様、どうかご自分に何が必要なのかを思い浮かべてください。なりたい自分を願えば、宿った遺志が先へ進むあなたの意志の助けとなるでしょう」
その言葉を耳に入れると、××××はほとんど反射的に願っていた。
××××は……生きていたい。
より強い命が欲しい。
この夜を生き抜きたい。
刹那、まぶたの裏で光が迸(ほとばし)った。
そして全身を熱い血潮が駆け巡るような気配がした。
それでなんとなくもう良いような気がしたので目を開くと、人形が見つめ返してきていた。
「遺志は確かにあなたの力になりました。……もう私から差し上げることのできるものはありませんが、これからもあなたに遺志が宿ればそれを力とすることができるでしょう」
「…………」
正直なところ、あまり違いは分からない。
だが、これはわずかな遺志だと人形は言っていた。
もっと強くなるためには、獣を殺す必要があるのか。
「助かった、ありがとう」
××××が礼を言うと、少しだけ驚いたように目を見開いて人形が首を振る。
「いえ、お礼など」
それから彼女は何かを思いついたようにして語りかけてきた。
「狩人様」
「なんだ?」
「よろしければこの夢を案内させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
あくまでへりくだった、まるで召使いか何かのような語り口だった。
だが、××××にとってそれはありがたいことこの上ない。
この場所は嫌いではないが、それでも右も左も分からないのだ。
案内は助かる。
「よろしく頼む」
「はい。……では、こちらへ」
そう口にすると、人形は××××から見て左に歩を進める。
そして、なにがしかの水盆らしき物の前に……。
「!」
突然、水盆の中から使者の群れが飛び出してきたのだ。
その手には注射器だの武器だのなんだのがそれぞれ雑多に握られていた。
「彼らは水盆の使者。狩人様に宿る血の遺志と引き換えに、様々なものを用立ててくださることでしょう。……狩人様?」
「…………」
使者が握る注射器に伸ばした手が、やんわりと人形の手で握られ、もとい押し止められる。
「狩人様、申し上げてもよろしいでしょうか?」
「あ、ああ」
不思議な気迫を纏う人形に気圧されながらも答えると、ほんの少し咎めるような色を含んだ声が返ってくる。
「彼らは血の遺志を引き換えに物を用立てるのです。無闇に奪えば、きっと姿を現さなくなるでしょう」
「…………」
「ですので、それは狩人様にとってあまり良いこととは思えません。お分かりになりますね?」
「……すまない」
××××は人形に謝罪する。
すると、彼女は深々と礼をした。
「狩人様、謝られることなどありません。私の方こそ出すぎたことを申しました。どうかお許しください。……それでは、次はこちらへ」
導かれるままに、今度はいくつもの墓石にも似た祭壇がある道を行く。
「あの、使者というものはどういうものなんだ?」
××××が尋ねると、人形はクスリと笑う。
「ああ、小さな彼らは、この夢の住人です」
「住人?」
「はい。あなたのような狩人様を見つけ、慕い、従う……。言葉は分かりませんが、かわいらしいものですね」
「…………」
かわいい、のだろうか。
それに彼らについても結局よく分からなかったが、そういうものなのだろう。
理解はせずとも納得はできたので××××は口を噤(つぐ)む。
そしてそれから少し歩いて坂を登りきると、屋敷の前にたどり着いた。
だがそこには入らず、人形は入り口から右に行きまた一つある水盆の前に立った。
だが、こちらには先程のような使者の群れはいないらしかったが。
「…………」
「…………」
水盆を覗き込む人形。
彼女はどうやら、使者が姿を現さないのが不思議らしい。
「これは?」
××××がそう尋ねると、人形は申し訳なさそうに眉を下げる。
「これは本来、使者が宿る水盆なのです。けれど今は……姿が見えませんね」
「ここの使者も、血の遺志とやらを求めるのか?」
××××が問いを重ねる。
すると、人形はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、狩人様。この水盆に宿る使者は、あなたの真実を見る力……とある狩人様は啓蒙と呼んだそれを求めます」
「啓蒙?」
「はい。蒙(もう)を啓(ひら)く。故に見えないものを見えるようにするそれは啓蒙と呼ぶのだと、そのお方は仰っておりました」
真実を見る力、か。
アイリーンも似たようなことを口にしていた。
だが、それを手放すのは果たして良いことなのだろうか?
「その啓蒙とやらはなくなってもいいものなのか?」
「事によりけりだと存じます」
「事によりけり?」
「はい」
人形は頷き、続ける。
「啓蒙が高まれば、見るべきでなくして世界から隠れているものが見えることもあるでしょう。その真実が狩人様の手に余るようならば、私は手放すべきかと」
「…………」
その言葉の意味は、やはりよく分からない。
だが、その言葉には何故かぞっとするような重みがあった。
例えばそう、ここが異形の腹の中だとしたら?
その真実が分かるとして、それを自分は喜ぶだろうか?
「狩人様?」
「……なんでもない、気にしないでくれ」
「…………? そうですか。では狩人様、これを」
その言葉に誘われ、××××は人形の方に向き直る。
すると、彼女の手には古びた……言葉を選ばないのなら汚らしく錆びついた鐘が握られていた。
美しい人形の手にはいかにもそぐわないそれを××××が見ていると、鐘はこちらへと差し出される。
「この水盆に潜む使者たちが、狩人様へと。……決して意地悪をしている訳ではないと思うのですが、今はまだ姿を見せたくはないようです」
「そうか。……ありがとう」
鐘を受け取って、ポーチにしまう。
そしてその時、ポーチについていたはずの血の染みが消えているのに気がついた。
……やはりここは、不思議な場所だ。
「狩人様、次はこちらへ」
「ああ」
水盆のすぐ横にある家の入り口から、人形は家の中に入る。
××××もそれに続くが、どうも以前いた老人はここにいないようだった。
「……ここに、老人がいたと思うんだが」
「ゲールマン様のことですか?」
「そうだ」
××××はそうだと認める。
確かに彼はゲールマンと名乗っていたから。
すると人形は周囲を見回して、それから答えた。
「あの方は古い狩人、そして狩人の助言者です。今はもう曖昧で、お姿が見えることもありませんが……それでも、この夢にいらっしゃるでしょう。……それが、あの方のお役目ですから……」
その言葉には何故か、どこか悲しげな影があるように感じた。
けれど××××がそれを確信し、追求する間もなく人形はいくつもの工具が並ぶ机の前に歩いていった。
「こちらは工房の作業台です。ゲールマン様もきっと言っておられたでしょうが、今はいくつかの道具は失われています。ですが今もあなたの武器を鍛え、また修理することはできるはずです」
「……鍛冶の心得はないが」
××××は自分のとを覚えてはいないが、それでも鍛冶職人ではないことは確かだ。
だからそう口にすると、人形は頷く。
「ご心配には及びません。……狩人様、失礼ながら武器が少し傷まれているようですね」
「……ああ」
なにしろ、あのガスコインに散々に痛めつけられたのだ。
少しは武器も痛むだろう。
「であるならば、どうか血の遺志をお持ちください。血の遺志を狩人様の武器に宿らせれば、その損傷を塞ぐことができます。それに血の石の欠片のようなものがあればより多くの遺志を武器に宿らせ、固定し、その力を高めることも」
「なんでも血の遺志なんだな」
××××がそう口にすると、人形は少し戸惑ったようだった。
その様子にもしかすると嫌味のように聞こえたのかもしれないと思い当たり、××××は謝罪する。
「……すまない。ただ外で言う金のようだと、そう思っただけだ」
金と、その言葉を耳に入れて人形はほんの少し表情を緩ませる。
「お金ですか。……昔、狩人様から聞いたことがあります」
「その狩人様というのは、俺のことではないだろう?」
先ほどからちらほらと他にも狩人がいたような台詞はあったので、いい機会だと思い聞いてみる。
すると、人形は楽しげな表情を薄れさせ、ふと寂しそうな顔になる。
「その通りです。過去、多くの狩人様がこの悪夢を訪れました。ここにある墓石は、すべて彼らの……名残です。もうずっと前の話ばかりに思えますが」
「名残り? 彼らは死んだのか?」
「いえ、目覚めたのです」
「目覚めた?」
またよく分からないことを言われ、××××は混乱する。
「はい。ここは狩人の夢。そして、夢とは覚めるもの。悪夢に囚われ、けれど強く在った彼らはみな目覚めて行かれました」
「…………」
夢は覚める。
それは至極当然のことだ。
だが……。
「狩人様、次は保管庫にご案内します」
「……分かった」
人形の声に思考を打ち切り、××××は歩を進める。
すると人形は、なにやら棺のような物の前に立っていた。
「これは保管庫だと、多くの狩人様は呼ばれていました」
「保管庫、か。あまり広くないようだが」
「そうですが、ある程度は何でも入ります。私にも詳しいことは分かりませんが」
人形はそう言うと、棺の中に手を差し入れる。
「……何を?」
「いえ、かつて狩人様が遺されて行かれたものがないかと。……ああ」
声を漏らした人形は、どうやら棺の中で何かを手に取ったらしい。
棺から手を抜いて、××××へとなにかの欠片を渡した。
それは小さく、そして薄赤く、なにやら不思議と美しい紋様を描いていた。
「血の石の欠片です。これを使えば、武器の力を高めることができます。どうかあなたのためにお使いください、狩人様」
「ありがとう」
礼を言い、美しい石をポーチの中に収める。
そして人形の方に向き直ると、彼女はまた一つ礼をした。
「私の方から狩人様にできる案内は、これだけです。これからも何か分からないことがあればなんなりとお申し付け下さい」
なるほど、案内は終わりか。
ならばと××××は人形に問いかける。
「外に出るためにはどうすればいい?」
「ああ……。それは、こちらへ」
人形は保管庫のそば、初めて来た時に××××が通ってきた入り口から外に出る。
そして階段を降りて行き、立ち並ぶ墓石の、その一番奥にある物の前に立った。
「どうか墓石に触れ、祈ってください。狩人様が目覚める灯火たちを思い浮かべれば、その場所に下りることができます」
「分かった、ありがとう」
そう口にして、それから××××は跪き墓石に触れる。
すると、人形が声をかけてきた。
「行かれるのですか?」
「ああ」
「……そうですか」
目を閉じて、思い浮かべるのはギルバートの家の前の灯火だ。
すると意識がどこかに吸われるような気がして、好ましい気配が遠のき始める。
そして思考が途絶えそうになるその前に、遠く人形の声が聞こえてきた。
「……いってらっしゃい、狩人様。あなたの目覚めが、有意なものでありますように」