GBF-L_ガンダムビルドファイターズ Lost 作:杉村 祐介
GBF-L #001「失われた自由」
「父さん、兄ちゃん!」
少年、と呼ぶには幼過ぎる風貌の、まだ短パンが似合う年頃の男の子は、冷たいコンクリート張りの床のような異質な地面を、小さな足で一生懸命に駆けながら叫んだ。地平線の先は夕闇から夜へと変わる時刻のそれに近く、見渡す限り青から黒へのグラデーションが上空を覆っている。背後には太陽があったであろう赤を残しつつも、すぐにそれさえも闇へと消えていくだろう。
グラデーションの中に2つ、親子と思われる影がある。その影は少年に背を向けて闇へ闇へと歩いていく。少年は2人を追いかけようと必死で足掻くが、足を動かせど動かせど、彼らとの距離が狭まることはなかった。
「待ってよ兄ちゃん! ねぇ、父さんも──」
踏み出すたびに重くなる足、酸素不足で痛みが走る脳、視界はだんだんと潤んでいく中で、少年は喉が裂けても良いと思わされるほどに声を出し続けていた。それでも、地平線の先にいる2人は並んで歩き続けている。
そのうち疲れ、足がもつれた。冷たく固い地面に顔面から倒れ込みクラクラとめまいを起こす。ハッと顔をあげると、そこにあったはずの父と兄の姿はすでに無く。
ただ夜を迎えた空と、冷たい床だけの世界に、少年は独りになっていた。
「ひとりに、しないでよ……」
涙をこらえて震えた声が、反響する物のない闇の世界に、無慈悲に広がるだけだった。
「遊(ユウ)」
ふと誰かの声がする。いや、誰かではない、はっきりと分かる。暖かく優しい柔らかな、身を包むような声の主は、少年、遊の背後にはっきりと存在していた。
「……母さん!」
身体を起こし、手を伸ばして歩き出した。そのぬくもりを再び感じたくて。
「母さん──」
しかし残酷にも、突然現れた大型トラックが、母の姿を掻き消して。
息を荒げ、ねっとりとした汗をぬぐい、時計を見る。針は六時半を刺していた。朝日はカーテンに遮られ部屋はまだ暗い。水分を含んで重たくなったタオルケットを押しのけてベッドから降りた遊は、部屋の電気をパチリとつけた。ベッドと勉強机と、少しの本棚があるだけの質素な部屋が、遊の安心できる数少ない居場所。父親の教育によって玩具のたぐいはほとんど見当たらない、小学六年生の部屋とは思えない殺風景な部屋だった。そこにたった一つだけ置いてある遊び道具。母から貰った大切なガンダムのプラモデル──ハイグレード ストライクフリーダム──
「おはよう、母さん」
遊はそれを大事そうに、だが物寂しげに見つめて言った。
◇ ◇ ◇
人気のないリビングを抜けて、キッチンにある冷蔵庫から食パンを取りだし、無造作にバターを塗ってトースターで焼く。その間に牛乳をコップ一杯。テレビはつけず、毎朝静けさを噛み締めている。これが日課だ。
父親は朝早く仕事に出ては、夜遅くに帰ってくる生活を続けていた。たまに晩御飯だけは一緒に食べることができたが、そのときもほとんど会話することもなく、兄とばかり話していた。中学二年生の兄は父親に愛されていた。だが愛されるが故に、良い高校へ入るための勉強を強いられ、学校に塾にと忙しい毎日を送っていた。母は今年の二月ごろ、交通事故で意識不明になった。もう半年になるか。
「行ってきます」
誰もいない家にぽつりとつぶやく。これも日課。
小さくなったランドセルを背負い学校へ行く毎日。いつもと同じ朝。いつもと同じ通学路。誰と話すわけでもなく、ポツンと独り登校する。朝日は輝いていたが、その反面、遊の心は今日もまた何をされるのだろうかと暗く沈んでいた。
途中、唐突にドンと背中を押され、遊はよろめいた。
「おぅ!おはよー長谷川ぁ!」
「何ぼーっとしてんだよ!」
「おっさきぃ〜」
遊の後ろから駆け抜けていったのは、背高のっぽな川根、遊より小柄な日野、そして大柄で力の強い武田。クラスメイトの中でも元気の有り余るやんちゃな三人組だった。少年らしい笑顔をこちらに一瞬向けたあと、学校へ駆けていく。
だが、彼らは遊の友達ではない。
今日は上履きがなくなっていた。
きっと下校時には戻されてるだろう。安い挑発に乗る幼さも気力も、遊にはなくなっていた。ただ淡々と、目の前の事実を受け入れるだけが、遊が自身を守るための行動だった。
職員室へ行き、担任に報告する。
「先生、上履き忘れました」
「"忘れた"って、今日は木曜日よ?」
「すみません、汚れたのを洗おうと持って帰っちゃって……」
「しょうがないわね。貸出用のがあるから、今日はそれでいい?」
担任の緑先生は新米教師で、遊がちょっと無理を言えば大抵の事を流してくれる気の弱さがあった。遊は根掘り葉掘り聞かれることもなく気楽でよかったと思いつつ、自分にはちょっと大きいサイズの上履きを借りて、パカパカと変な音を立てながら職員室を後にした。
教室に戻っても、遊が上履きを借りていることに気づく人はいるだろうし、聞き耳立てている人もいる。そして裏でこそこそ笑っているのだ。だが遊はじっとこの時を待っていた。そう、明日はとうとう終業式……夏休みが始まる。
── ガンダムビルドファイターズ ロスト ──
〜 第一話 失われた自由 〜
「なぁ知ってるか? ロストフリーダムって奴……また出たんだって!!」
「えーなにそれ」
「ガンプラバトルのあれだろ!『お前は何を望む〜!』って戦いにくるやつ!」
「そんなのネットでしか見たことねぇよー」
クラスメイトの喧騒の中からちょっと興味のある話題が耳に入ってきた。投げ返される会話に聞き耳を立てながらも、決して交わろうとするつもりはない。
ガンプラバトル、今流行りの模型を戦わせるゲームだ。どういう技術なのかは小学生の遊にとっては全く理解に及ばなかったが、兄である卓(スグル)は昨年まではすごくハマっていて、めずらしく親に頼んでバトル用のデバイス、GPベースを買ってもらっていたっけ。自分はまだ早いとデバイスを買ってもらえなくて悔しかったのは昨日のことのようだ。
「お前は何を望む、か……」
ふわふわと思考してみたが、今の遊には何かを望むような欲も、希望も、ぱっと出てくるものがなかった。自分用のGPベースだって今手に入れたところで、誰か遊び相手がいるわけでもない。教えてくれる師もいない。一人遊びほど面白くないものはないと、遊は知っていた。けれど本当に望みが叶うのなら──
「はーいそこまで! みんな、夏休みの宿題配りますよー!」
緑先生がドタバタと大量のテキスト抱えて教室に入ってくるなり、場を沈めるために大きな声で統制をとった。その声に、遊の頭のなかに広がっていたイメージがザーッと流されて消えていってしまった。
「はい、これが夏休みの宿題。あとでちゃーんと保護者の方にも渡しておいてね!」
"夏休みのしおり"と書かれた20ページ前後のテキストに、わら半紙の学級だよりが1枚。そこには漢字の書き取りから理科の研究まで、宿題の項目がぎっしりだ。これにはどんな小学生も落胆してため息が出る。
「みんな夏休みだからってゲームなんかに夢中にならずに、計画的に宿題やってくるように!」
ゲームか、そういえばガンプラバトルって近所で出来たっけ。などと遊は上の空で考え事をしていたものだから、目の前に先生がやってくるのも気づかなかった。
「長谷川くん、先生の話ちゃんと聞いてましたか?」
「あっ、はい……すみません」
「もう。先生の話も授業も、ちゃんと聞いておかないと、二学期から大変ですよ!」
「すみません」
もともと小柄な身体をさらに縮こませて謝罪の意思を見せる遊。緑先生は「分かれば良いです」と言わんばかりに満足気に次の生徒の元へ歩いていった。だが、遊の頭のなかはすでにガンプラバトルのことでいっぱいだった。兄が戦っていた姿を思い出し、そこに自分を重ねて夢見る。この瞬間だけは、遊の心は年相応に子供になっていた。
◇ ◇ ◇
次の日。終業式も普段通り、別段何があったということもなく無事に終わった。全国の小学生たちが待ちに待った夏休みが始まったのだ。この日ばかりは遊も浮かれ気分で家に帰った。小学生最後の夏休み。少しくらい悪いことをしたって、神様だって怒りはしないよ。そう自分に言い聞かせて、遊は昨日からずっと計画していた事を実行に移すべく、兄の部屋へと忍び込んだ。
兄、卓の部屋はとても鬱蒼としていた。壁を埋める本棚にぎっしりとつまった紙の束。中学校の参考書だったり、辞書だったり、推奨図書のシールが貼られた文庫本だったり。漫画やゲームの攻略本なんて見当たらない、純粋に文字だらけの本で埋め尽くされていた。その一角に置かれた勉強机には、必要最低限のペン類と教科書、そしてこれだけ父親に許された、一体の白いガンダムのプラモデルが飾られている。
ユニコーンガンダム。神話のユニコーンのような一本角、彫りの深い純白の装甲、ガンダムという作品では珍しい緑のライン状のセンサーアイ。ただ立っているだけなのに、優雅さと逞しさを感じる風貌。遊は自然と見惚れていた。
ハッと我に帰った時、何秒、何分経ったかわからないくらいの時間が過ぎていた。あまりモタモタしていると部屋の主が帰ってきてしまう。自分はこれを眺めにわざわざ来たのではないと言い聞かせて、目的の物があるだろう場所を開けた。
右下の引き出しの一番奥の箱の中。兄はいつもここに大事なものを隠す癖がある。今回も、父親に没収されないように大事に片付けてあった物。ガンプラバトルに必須のデバイス、GPベースもそこにあった。
「ほんのちょっと、借りるだけだから……」
遊は誰に言うわけでもなく消えそうな声で呟きながら、それを抜き取った後で引き出しを元通りにした。
ガンプラバトルに必要なガンプラは自分のストライクフリーダムが、そしてGPベースも手に入った。これでゲームセンターに行けばガンプラバトルができるようになった! 高鳴る気持ちを抑えながらも、遊はスキップしそうな足をなんとかコントロールしながら部屋を飛び出した。靴を履き、扉を開けて
「……行ってきます!」
誰もいない家に、普段よりちょっと元気な声をかけた。
◇ ◇ ◇
近所のゲームセンターはいつも小中学生で賑わっていた。さらに言えば、今日から夏休み。浮かれた学生がたくさん集まって大繁盛だ。あまり雰囲気に馴染みのない遊はその熱量に圧倒されながらも、念願のガンプラバトルをするために、バトルシステムのあるコーナーへ足を運んだ。
三台あるうちの二台はすでにバトルが行われていて、その青白い幻想的な粒子が宇宙や地上を型取り、そのフィールドをガンプラが縦横無尽に駆け回る様は端から見ているだけで満足できるほどの輝きを放っていた。だが今日の目的はガンプラバトルをプレイすること。昔のように、眺めているだけの自分とは別れを告げて、己の力でバトルを楽しむのだ。
起動していない三台目にGPベースをセットすると、瞬く間に粒子が散布される。
『Begining Plavsky particle dispersal. Field 00 "Tutorial". Please set your Gun-Pla.』
小学生の遊にとって耳に流れてくる英語は聞きなれないものだらけで、何をすればよいか数秒頭が停止したが、ただなんとなく、ガンプラを台に置けば良いということだけは感覚で理解した。
母から貰ったストライクフリーダム。これでバトルをすれば、現実世界さえも変えられる。そんな気がしていた。
『Welcome! New fighter!』
眼前に広がる世界が色を変え形を変え、小さなフィールドを創り出した。空は作られたような青、大地は無機質なコンクリートに覆われ、かまぼこ型のドームが整然と並んでいる。宇宙に作られた人口都市・コロニーの内部のようだ。
モニターのちょうど中央に、緑色の球体からなるロボット──モビルスーツが現れた。名はハイモック。ガンプラバトルにおいてプラフスキー粒子で生成されるダミーターゲットだ。
『Shoot an enemy. 撃ち落とせ!』
とてもチュートリアルらしいガイドだ。手元の操縦桿の一部が光り、モニターにも操作方法が事細かに表示される。遊は右手をひねり武器スロットを表示させると、2番めのスロット「MA-M21KF 高エネルギービームライフル」を選択する。それに呼応して画面上のストライクフリーダムが二丁拳銃を構え、射撃の姿勢に入った。
「目標を視界に入れて……こうか!」
ゆっくりと、確実な動作でカーソルを合わせての射撃。よほど実践には程遠いが、それでも遊のストライクフリーダムが放ったビームは、ハイモックの胸部を確実に貫いて、輝かしい爆発と耳に響く爆音を残して四散した。
遊は初めての敵機撃墜に喜びの声を上げた。しかしそれもつかの間、今度は二機のハイモックが頭上から現れ、ストライクフリーダムを取り囲むように円を描いて近づいてきた。
『Slash an enemy. 斬り倒せ!』
チュートリアルのガイド音声が変わった。言われる通り、次の敵はぐるぐると渦を描きろくに射撃の照準が合わない。遊は右のスロットをもう一つ回した。シュペールラケルタビームサーベル、これだ!
ビームライフルを腰にマウントし、取り出したるは二振りの光の剣。
敵が間合いに入ったタイミングで、ライフルと同じように操作する。たったそれだけで近づいてくる二つの影を華麗に切り捨てた。
爆炎で画面が埋まり、そして晴れる。空は青く、地面に立つのはストライクフリーダムただ一人。
一つ一つ、確実にできることが増えていくことに、遊は快感を覚えていた。
『Fight against an enemy. Survvviiivvvveeee……』
おかしい。次のチュートリアルの音声がふいにノイズを発し、プツンと途切れた。さっきまで鳴っていた明るいBGMも止み、ストライクフリーダムの駆動音だけがコクピットに反響する。
──お前は──
突然、声が聞こえた。その声はとても低く、心に刺さるような深さを持ち、心臓を鷲掴みにされるような恐怖感を煽ってくる、そんな声が。
──お前は 何を望む──
スピーカーから鳴る音ではない気がした。もっと直接、頭の中に語りかけてくるような。
──私は 全てを──
『Danger! New fighter field in.』
警告アラートと共にシステムアナウンスが鳴り響いた。円状のレーダーには敵を示す赤い点が一つ。そちらへ視点を動かすと、そこにはさっきまでのハイモックとは全く違うシルエットの、赤と黒の片翼を持ち、大振りの大剣を二振りもかついだ、異形ともよべる"黒いストライクフリーダム"が空中に浮かんでいる。
──私は 全ての破壊を──
奴の名前を、遊は知っている。
「ロスト……フリー、ダム?」
宙を漂い、こちらを見下ろしているロストフリーダムは、無機物でありながら、不敵な笑みを浮かべているように、遊には見えた。