GBF-L_ガンダムビルドファイターズ Lost 作:杉村 祐介
楽しい。そんな大事な感情を、遊はすっかり忘れてしまっていたように思った。
眩しいほどの白に包まれた世界。その光に目が慣れると、次第にあたりの景色がぼんやりと見えてくる。
母さんと父さんが談笑している。その横で卓がガンプラバトルをしている。対戦相手はあの闘技場でバンシィを使っていた涼介で、その試合を魁斗が眺めている。それを遮るように駆け抜けていったのは武田たち三人組。他のクラスメイトや知っている人、知らない人もいて、誰もが幸せそうに笑っていて。
楽しそうな景色が目の前に広がっていた。事実、そこでは誰もが笑っていて、朗らかでいて、自分もそこへ混ざりたいなと自然と伸びた黒い手。
「……なんだ!?」
ぎょっとして手を引っ込めた。よくよく見れば手だけでなく腕や足、身体全体が黒いモヤにかかったように見える。手で払っても落ちないそれは気持ち悪く、眼前の人々と自分を隔てる何かに感じられて身体が震えた。
白い空間に黒い自分という、場違いな立場に冷や汗が流れる。まるで世界から否定されたかのように思える。疎外感、孤独感、楽しいことを楽しめない自分というイレギュラーな存在を、誰もが疎んでいるように感じた。さっきまで笑っていた人々がこちらを真顔で見ている。「笑えもしない、楽しめもしない、そんなお前がなぜここに居る」という声が響く。
遊は「違う」と言いたかった。だが息が吸えなくて声が出ない。足は震え身体が強張る。違う、そうじゃないんだ、楽しいって何だっけ、分からなくなっちゃっただけだ、お願いだから話を聞いてくれ、僕を捨てないで──
「遊」
名前を呼ばれて、うつむいた顔を上げて振り返った。
「アイ、ちゃん?」
声の主もまた、自分と同じモヤを身にまとっていた。
「遊」
彼女が手を伸ばして、遊を求めた。遊もこの世界で同じ黒い影を抱えた存在を求め、手を伸ばした。真白な世界に二人の黒い影が交差する。しかし、
「遊」
まばたきをした直後、目の前に居たのは鏡に写ったかのような自分で──
◇ ◇ ◇
うだるような暑さに目を覚ました。時刻は6時、窓の外ではいつものように朝日が昇り鳥が鳴く。7月のカレンダーはその役目を終えて破り捨てられそうな日付、きっと8月に入っても、同じように蒸し暑い毎日が続くのだろう。
頭が痛い。とても嫌な夢を見ていた気がするが、もうすでに内容が思い出せない。確か皆が幸せそうで、自分は誰かと手を繋いで、誰かって誰だろう。そんな曖昧な思考の残滓は、きっと寝ぼけた思考のせいだ。
「起きなきゃ」
自分に言いきかせるように、遊は独り言をつぶやいて身体を起こした。今日も闘技場に行ってアイちゃんのために戦わなければ。そう思ってふと相棒を見る。昨日の戦いで壊されてしまったロストフリーダムは、机の上に力なく横たわっているだけで。
「……もう、絶対に壊されないようにしなきゃ」
遊は落胆と、再び立ち上がるための決意を胸にする。
──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──
〜 第十話 忘れられた楽しさ 〜
父は仕事に、兄は塾に。家に残されるのはいつも遊一人。父は「勉強をしっかりやっておくように」と口うるさくいうものだから、今日は家に残って宿題を片付けていく。遊が目の前に並べたのは国語の、さらに的を絞って漢字ドリルのみ。算数や理科社会と違って、漢字はノートに延々と同じ文字を書くだけという、何を考えていても手を動かせば終わる宿題としては好きだった。逆を言えば、何か別のことを考えでもしなければ退屈で退屈で死にそうなほど嫌なのが漢字ドリルだ。
やや窮屈じみてきた小学生向けの勉強机に向かって、冷房の効いた部屋で同じ字を何度も何度も繰り返す。右手はもう小指のあたりまで鉛筆で汚れてしまっていた。
「意義、意義、意義、意義……」
六年生にもなると画数の多い漢字ばかりで、すぐに鉛筆の先が丸くなってしまう。そのたびに鉛筆削りをゴリゴリと回さなきゃいけなくて、これもめんどうだ。『勉強中はクーラーをつけても良い』という家のルールがあるから暑さにバテることはないけれど、これでは暑くなくても精神的にまいってしまう。
そうやって集中力が散漫になると、やはり思い浮かぶのはガンプラのことで。
早川魁斗に勝つためにも、闘技場に戻るためにも、ストライクフリーダムを改造しなければならない。けれどガンプラ初心者の遊にとって、改造するなんてことは全く想像も及ばないところだった。今は壊れたパーツを取り除いて胴体に腰と足がついているような情けない姿で立たされている相棒の姿を、どうやって直してやればよいものか。モヤモヤとしたイメージはあるけれど、そのイメージを具体的な形にする方法が思いつかない。
「意義、意義、意義、義……あっ」
考えすぎて手元が乱れた。遊は間違えた文字を修正するために消しゴムを──机の上にあるはずの消しゴムが無い。ふと脇をみれば、座っているイスの足元にころがり落ちているではないか。横着してイスに座ったまま手を伸ばしてみるも微妙に届かない。もう、といらだちを小声で吐き出しながら、乱暴に立ち上がってイスを引いた。
ふと目を奪われる。転がり落ちた消しゴムの横、物で隠すように置かれた箱。角が白く禿げ、折れや湿気でまがった紙の、凛々しいストライクフリーダムが描かれたその箱。今ではすっかり闘技場の戦利品入れになっていたそれを、消しゴムの代わりに拾い上げて漢字ノートの上に置いた。
昨日行ったバンシィとの戦いが、闘技場で戦ってきた数々の試合が脳裏に蘇る。そういえば、その中でもひときわ焼き付いているガンプラがいた。そうだ、確か青いメタリックカラーの──
「ジム、だっけ。これ」
思わず声が出た。
肩に大型のビーム砲を二門、腰の両脇にシールドが一枚づつ搭載されているパワードジムは、確かに他のガンプラとは異質な雰囲気をだしている。アイちゃんも言っていたように、これはジムに他のガンプラを混ぜた物だ。具体的な名前はわからなかったが、少なくとも両腕は違うキットから持ってきたものだろうということは、塗装が禿げて見えた下地の、パーツ本来の色が違っていたことから、初心者の遊でも簡単に想像できた。
腕を引っこ抜いてみれば、ゴム質の穴にプラスチック製の棒が刺さっているだけで、なんの加工もされていないように見える。
「これは、腕の軸を使って……別の腕をつけてるのか」
壊されたストライクフリーダム。特徴的な異形の両腕。点と点が輝いて一つの線で結ばれた、そんなイメージが頭を駆け巡った。ああ、気づいてしまえばなんと単純なことか。足りない頭部も同じ発想で、箱の中から探しだしたふさわしいパーツをあてがう。それらはまるで、最初からそうであったかのように、遊の心の中にしかなかった空想を具現化して──
普段過ごしている遊の部屋の隣。兄の部屋は同じ間取りのはずなのに、彼にとっては別世界のようにに感じられる空間だった。自分も他の同級生に比べたら趣味は少ないほうだけれど、それ以上に、おもちゃや遊びの感じられない大人な雰囲気の部屋、本棚には教科書や塾のテキストと少しの文庫本が並んでいるだけで、その1段上は腕時計やスマホが適当に置かれている空白だらけのスペース。
この空間には去年までいくつかのガンプラが並んでいたことを、遊は知っていた。それを片付けてしまった理由はきっと父だろう。あの厳格な人がそれを許さなくなってしまった。そのころから、卓という存在は変わってしまったように思える。それまでは優しく接してくれる親しみやすい兄だったはずなのに、今ではすっかり交わす言葉も減ってしまった毎日で。
再び持ち主に無断で侵入し、押入れからガンダムマーカーを数本頂戴する。
「……ごめんなさい」
誰に言うわけでもない、本人に届くはずもない。けれど無意識に遊の口からこぼれでた言葉を聞いていたのは、部屋に唯一飾られていた純白のガンプラだけだろう。
フルアーマー・ユニコーンガンダム。兄のお気に入りだったガンプラ。関節はくたびれていて腕は自重に耐え切れず力なく下がりっぱなし、首もすわっていない赤ちゃんのように斜めに傾いている。股関節を支えるアームでなんとか立ち姿をキープしているだけで、ボディのあちこちは擦り傷やパーツの欠けている箇所が見れた。そのどれもが、ガンプラバトルのせいで受けた傷だった。
兄はユニコーンで戦っている時、心の底から楽しんでいるように思っていた。けれど今ではすっかりバトルもやらず、飾るだけで。本当に楽しかったのだろうか。今兄は別のことを楽しんでいるのだろうか。ガンプラバトルはもう楽しめなくなってしまったのか。自分は楽しいとは思えていない、けれどアイちゃんのために、誰か他人のために戦っている自分のことは正しいと思っている。人助けだから自分は間違っていない。楽しいだけが人生じゃないと父は言っていた。だからこれで良いんだろう。きっとこれで良いんだろう。
他人から見ればねじ曲がっていたとしても、遊にとってその肯定感は、守られるべき大事なものだった。
◇ ◇ ◇
昨日の激しい戦闘を繰り広げた英雄たちを失った闘技場は、心なしか静かさを感じるほど落ち着いていた。だが静かとはいえバトルシステムが動いていないわけではなく、今も二台のシステムが青白い光を放ち、激しい戦場を彩っている。
その部屋の裏、扉をあけてもう一枚壁を隔てたところ。液晶のモニターが六枚並んでいるデスクと、メインとなるタワー型のパソコンに囲まれた少女が一人。
「ねぇアイ、僕とバトルをしないかい?」
四角い画面に食いつくようにしているアイの脇で、手持ち無沙汰にペン回しをする少年、魁斗が声をかける。
「昨日の戦いであれだけ傷つけ合ったんだ、今日は黒田も君のお気に入りも来やしないよ。だから今日の目玉ってことで、ね?」
「イヤよ。動画の編集で忙しいの」
通算何度目になるだろうか、こうして戦いの誘いを繰り返しても、アイは魁斗の言葉に乗ることは一度もなかった。それどころか闘技場のNo.2でありながら、二ヶ月以上にわたって他の誰ともガンプラバトルを交えたことがない。それは毎日積み重ねられるバトルの動画をアップロードするための編集に忙しいのが一つの理由だが、魁斗はそれを「自分に再び負けることが怖いのだ」と勝手に曲解していた。だからこそ今日もまた彼女を誘った。結果は玉砕、なにも面白みがない。
「……いつまで意地を張ってるんだよ、一度僕に負けたくせに」
そんな悪態混じりに吐き捨てた言葉にさえ、彼女からの返事はない。
つまらない、つまらない、つまらない。相手にされないという最高の屈辱を受けて、魁斗は苛立ちを隠せずに扉をくぐって、力任せに閉めた。
「僕は強い、この闘技場で一番だ。なのになんでアイは僕を無視するっ!」
早川魁斗は中学一年生にしてこの闘技場のトップに君臨していた。中学生以下しか入れないこの闘技場でも、一年生と三年生の差は大きく広がってしかるべきだというのに、彼はそれでも一位の座を持ち続けていた。そこらへんのファイターとは違うガンプラへの情熱、ガンダムの知識を持ち合わせていた彼は、場所が場所ならば大きく羽ばたいていたことだろう。
だがこの闘技場は都心から少し離れた地域の地下、隠されているかのような場所にある。さながら狭い籠の中。それでも彼は望んでここに来た。自分の力を示すために、望んでここに留まり続けている。
自分の苛立ちを抑えきれない魁斗は、戦いの輝きを放っているバトルシステム前へツカツカと早足で赴き、GPベースと愛機をねじ込む。
『New Fighter Field In』
ローズレッドに彩られたガンプラの表面をプラフスキー粒子が駆けた。その造形は深く、他のファイター達とは一線を画す。各所に散りばめられたコーションデカールと、丁寧に塗り分けられた塗装、細かいモールドはまるでそれが現実に落とし込まれたモビルスーツという兵器として実在するかのような。
「早川魁斗、ジャスティス。出撃する! 僕は正義を執行する者だ!」
眼前に広がる宇宙を切り裂くように翔ぶ、正義の名を冠したガンダム。
「何が『正義を執行する者』よ」
壁の向こう、戦闘をモニターしていたアイがつぶやく。
「ここに正義なんてないし、私があんたと戦わないのは、まだあんたを潰したくないってだけよ。それを調子に乗って──」
マウスを軽快に叩く。並んだモニターの左側では、二機の改造ガンプラを相手に一方的な戦闘を広げる魁斗のジャスティスがライブ映像で流れる。右側には、昨日の試合でボロボロになりながらも立ち上がるロストフリーダムの姿が映る。作品的にも因縁浅からぬ二機の姿は、とても似ていて、とても遠い存在に見える。ガンダムという作品を愛するがゆえに固執する魁斗と、作品を知らないが故に逸脱する遊の姿がそう思わせるのだろうか。
どちらにせよ、次に戦うのはこの二人。この二機であることは誰しもが思っていたことだろう。
「魁斗じゃダメだった、遊に勝ってもらわなきゃ私は──」
改造されたガンプラを矢継ぎ早にジャスティスが射抜き、右側のモニターに映る試合は終幕を迎えた。時を同じくして、左側の試合もまた、終了を告げるメッセージが表示されていた。
◇ ◇ ◇
ガンダムマーカーのインクがしっかり乾いたことを手で触って確認してから、遊は小さなパーツたちをあるべき姿に一つ一つ組み上げていく。暑さで手汗が酷いのを、ガンプラにつかないように逐一タオルで拭いながら、丁寧に慎重に組み立てる。
「これが──」
完成したそれは、今までのストライクフリーダムそのままの姿よりも強そうで、誰にも負けなさそうなシルエット。黒いガンプラが机の上にどっしりと仁王立ちする。
足と胴、背中はストライクフリーダムそのものであるはずなのに、その姿はそれとは逸脱している。やや細い足腰に対して無骨な両腕。右手には大型の並行板からなるビーム兵器が、左手には大きな鉤爪が。頭部に搭載されたハイメガキャノンはガンダムZZの物だ。残されていたストライクフリーダムの武装である複相ビーム砲とレールガン、ドラグーンも含め、そのどれもが前面に立ちはだかる敵を屠ることだけを考えているかのような必殺の武装。
デザイナーも登場作品も違うガンプラのパーツを使っているから、当然のように異物感がにじみ出ている。それでも、それだからこそ遊は、その異形感に心をくすぐられ、惹かれた。
「これが、僕のロストフリーダム」
全ての破壊を可能とする、遊のロストフリーダムがそこにあった。
これならば必ず闘技場で一番になれるだろう。これならば早川魁斗に勝てるだろう。そう思わせる何かを、新たなロストフリーダムから感じた。そう、最初に出会った影のような片翼のストライクフリーダムに似た何かを、このガンプラからも感じられる。直接的な強さではない。根拠はないが、それはこのガンプラを「怖い」と思う心なのかもしれない。
「これなら勝てる、勝ってアイちゃんの願いを……」
──お前は 何を望む──
ふと、最初に出会ったロストフリーダムの言葉が聞こえてきたような気がした。あの時は遊も答えられなかったが、今なら言える。
「彼女の願いを叶えることが、今の僕の望みだ」
その望みを叶えるための武器が、完成した。
◇ ◇ ◇
昼間の喧騒とセミの鳴き声も遠く、月と静寂があたりを包み込んだ熱帯夜。ミックスベジタブルと細切れのウインナーをスーパーで市販されているチャーハンの素と混ぜた簡素な晩ごはんを、料理した卓が皿に盛りつけていく。
「遊、お茶を用意して」
「わかった」
母が入院してからというもの、家事の分担は残された家族3人で当番制と決めていた。食事の分担だけはまだ小学生だった遊にガスを扱うのは任せられないと、父と卓の二人が交代でやっていた。やっていた、と言ってもカレーや麺類などの簡単なレシピを少し作るだけで、あとはだいたいスーパーの惣菜が並ぶ毎日。
そんな遊にとっては、兄が作るチャーハンは数少ないごちそうだった。
「今日はチャーハンで済ませてしまった、ごめんな」
「全然、大丈夫」
大好きな兄の作ったチャーハンを、パクパクと早いペースで口に運ぶ。今日はちょっとだけ胡椒がきいてるなと思った以外は、いつもの美味しいチャーハンだ。
「なんか遊、変わったな」
卓が思い立ったことをそのまま口に出す。遊にとって、こんなふうに言葉をかけられるのが久しかったせいか、少し言葉にとまどいが出てしまった。
「そう、かな……?」
「なんていうか、楽しそうだ。最近毎日でかけているみたいだが、何をしてるんだ?」
卓に褒められることは、遊にとって嬉しいこと以外のなにものでもない。けれど本当のことを話すことはできない。『兄ちゃんのGPベースを勝手に使ってガンプラバトルをやっています』なんて言えるはずもないのだ。嬉しさと焦りとで、一瞬だけ頭が固まるのを遊は感じた。
「友達の家に、遊びに行ってるんだ」
「毎日おなじ子のところに?」
「うん、あ、違う違う。数人のグループで遊んでるから、日によって別の子の家に行くんだ」
「それじゃウチにも呼んでるのか?」
「それはお父さんが許してくれないだろうし、子供だけの家で何かあったら大変だと思うし、無理言って断ってるんだ」
遊はそこまで言いながら、自分がこんなにも嘘が上手になっていることに驚いていた。言葉には出していないけど、もうすでに架空の友達と遊んでいる自分の姿が映しだされていて──
「……そうか。楽しいならいいことだな」
卓はにこやかに微笑んだ表情で、話題を終わらせた。
ごまかせたようでホッとした。と思いつつ遊も笑顔を返して、残っていたチャーハンを口に運ぶ。やはりちょっと胡椒辛い。けれどそれを口に運ぶスピードは、最初よりさらに上がっていた。
「ところで、俺のGPベースを見なかったか?」
チャーハンを食べる手が止まった。
遊は脳裏で思考を巡らせる。さっきの会話で気づかれたのか? それとも、最初から知っていて話を振ってきたのか? 今もなお優しそうな兄の表情が逆に信じられなくなっていく。
「……GPベースって、ガンプラの?」
とぼけた素振りで言葉を返す。
「そうそう。俺も友達からガンプラバトルに誘われてたんだが、あれが見当たらなくて」
「僕は知らないよ」
頬を伝った水滴は、冷や汗ではなくただ夏の暑さのせいだと思いたい。それか、このチャーハンが辛いせいだ。きっとそう。
遊は皿の上に残っていたものを手早く口に掻きこんで、コップのお茶を飲み干した。逃げるように食器をまとめて流し台に置いてキッチンを後にする。
「今日の食器洗いは遊が当番だろう」
「あとでやる、置いといて!」
階段を駆け上がる音が反響して、卓のため息をかき消した。
独り静かになったキッチンに、ピロロンとスマホの電子音が響く。塾で単独行動が増えた卓の身を案じて父が彼に持たせた物だ。今では父親の想像以上に使いこなし、電話とメールだけでなくネット検索からSNS、動画サイトの閲覧、ゲームアプリまでかなりのことは使いこなせるほどになっている。だが卓はそんな話題を共有できるほどの相手を作らなかったから、そのほとんどに興味を示さなかった。これを使うのは父親との連絡と、勉強で分からなくなった時の辞書代わり、そしてスケジュール帳としての役割くらいだ。
そんなスマホからの通知を、卓はご飯をそっちのけで食いついた。
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「桃井アイのバトルチャンネル!」
「この闘技場でもかつてない死闘、接戦の末に勝利したのは──」
明るいピンク系の服をまとった快活そうな少女が、ポニーテールを揺らしながらMCをつとめる動画。それは最近流行りの日々のガンプラバトルを実況するタイプのものだった。
熟練ファイターの動きは学生ファイターたちにとっては芸術のようであり、手本とする先生のようでもあり、憧れと尊敬と勉強ができる動画がカテゴリとして人気を博すのは自然なことだろう。だがこのチャンネルはそれらとは違う。どちらかといえば下手の集まりだ。小中学生同士のありふれたバトルを流している平凡なチャンネル。
「本日のバトルは、黒いストライクフリーダムVSバンシィ!」
だが卓にとっては重要な、興味深い動画チャンネルだった。