GBF-L_ガンダムビルドファイターズ Lost 作:杉村 祐介
陽はまだ高くアスファルトをジリジリと焼いている。冷房の効いたゲームセンターから帰ってくるだけですっかり蒸し焼きになった遊は、早く帰って冷たい麦茶を飲みたいと喉を鳴らした。
家の前にたどり着く。ふと「事前連絡もなしに一晩外泊した」ということが急に後ろめたくなって、帰るのが億劫に感じられた。慣れ親しんだ玄関のドアもやけに重たく感じられて、油の刺されてない金具がギイと音を立てることも気になるほどだった。
「ただいま……」
そっと扉の裏から顔を覗かせれば、靴箱の上に置いてある時計は午後三時を過ぎたところだと告げている。ああ、大丈夫だ。この時間なら父は仕事に、兄は塾に出ていて留守だろう。遊はホッと胸をなでおろす。でも、鍵が開いていた事、つまり家に誰かが居ることにすぐ気がついて。
「帰って下さい!」
「そう言わずに、何か手伝わせて下さいな」
リビングから聞こえてきた声に必要以上にびっくりした。声の主は父親と女性のそれだ。
「卓也さんは背負いすぎなんですよ、もっと頼ってくれて良いのですから」
「美代子さんの気持ちも有り難いですが、うちはうちでやれますし、急に来られても……」
ふと足元を見れば、父親の大きな靴の隣に、見慣れない女性の靴が綺麗に並べられている。この持ち主には覚えがあるし、玄関まで届く大きな声にも聞き覚えがある。それはとても優しくて柔らかな記憶の──
「あら、遊ちゃん!」
玄関にいた遊の気配に気づいたのか、リビングから顔だけ覗かせた声の主が、シワは目立つものの屈託のない笑顔を向けてくる。
「遊ちゃんお帰り〜! また突然だけど会いたくなって来ちゃったわ!」
「いらっしゃい、美代子おばあちゃん」
彼女は杉原美代子。遊の母親である遊美の母。つまるところ遊の祖母だ。
「外暑かったでしょう、おばあちゃんがアイス買ってきたから食べましょ!」
「う、うん。アイス食べたい」
相変わらず押しが強い。玄関に入る直前までどうやって父親に言い訳しようかなんて落ち込んでいた気持ちと、この底抜けに明るくて元気な祖母のテンションに、加えて普段は仕事で居ないはずの父もすでに家に居ることもあって、遊は戸惑って靴を脱ぐことすらもたついた。
そうこうしてるうちに、父が祖母の背中越しにこちらを見ながら言う。
「遊。卓が二階にいるから呼んできてくれ」
「わかった」
心なしか声のトーンが柔らかく感じられたのは、きっと祖母の前だったからだろう。母遊美の代わりをきちんとやっていると見せたいのかな、そうやって普段出来ていないことを取り繕って見せかけるのは大人の常套手段だけれど、なんだか卑怯だな……なんてことを思いながら、脱いだ靴を靴箱にしまってから二階へと上がる。
自分の部屋の隣、兄の部屋は扉が少しだけ開いていて、中に人の気配を感じられた。遊はつい気が緩んでノックもせずにドアノブに手をかける。
「兄ちゃん、おばあちゃんがアイス買ってきてくれたって──」
部屋に居た卓は、声も出さずに驚いて硬直していた。遊はその光景に驚いて固まった。
開け放たれた窓、そこから不自然に外へと向けられていた扇風機、鼻にツンとくる独特の匂い、新聞紙が敷かれた床。その中央に座っていた兄の手元には絵筆が、そして普段は机に飾られていた白いガンプラが握られていて。
「……遊」
「はい」
「扉を閉めて」
「はい」
いけないものを見てしまったような気がした。身体が硬直してぎこちない受け答えをしてしまう。変な緊張なのか、それとも部屋が蒸し暑かったからなのか、汗で滲んでいた手を震えさせたまま部屋に入って、なるべく静かに扉を閉める。卓はその間に、いくつか並べられたカラフルなキャップのガラス瓶を一つ一つ丁寧に、かつ手際よく片付けていく。
呼吸も忘れていた卓が、大きくため息を吐いて。
「遊」
「はい」
「呼んでくれてありがとな。アイス、食べに降りようか」
「は……うん」
それは怒るでもなく、悲しむでもなく、いつもの優しい兄の表情だった。
──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──
~ 第十七話 溶けかけた感傷 ~
溶けかけたアイスを片手に、無断で外泊していたことなんてすっかり忘れてしまうほど、兄が模型を手にしていたことが頭に焼き付いて離れなかった。
「遊ちゃん、ボーッとしてどうしたの。夏バテ?」
「あ……うん、何でも無いよ!」
祖母の気遣いに不意を突かれる。「そう、体調には気をつけてね」と軽く返されたけれど、本当は全部見抜いてるんじゃないかと思う何かが感じられて、ちょっと心の距離を取ってしまう。
さっき見たことは誰にも話すまいと心に決めていたのだけれど、変に意識しすぎて逆に苦しくなってきた。遊がアイスの味も半分くらい分からないほどに考えてしまってると言うのに、当事者である卓は父にも祖母にも普段と同じように接している。なんだろうか、このモヤモヤした感情は。ズルい、という言葉は間違ってると思うのだけれど、それ以外の言葉が出てこない。
どうしていいやら、と思案していたら、しびれを切らした父親が口を開いた。
「美代子さん。二人をお願いできますか? 用事で少し出てきます」
「出てくるって……もしかして遊美の御見舞かしら」
図星だ、とツバを飲む父卓也。
「相変わらず鋭いですね……昨日行く予定だったんですが、残業で行けずじまいで。振り替えで今日仕事の休みを取って行くことにしていたんです」
バツの悪そうに返事をする父の言葉から、御見舞の単語が重なってイメージが膨らんでいく。
今病院で意識が戻らず寝たきりの母。もう半年以上目を覚まさない母のことは、思い出そうとすると頭がギシギシと痛む。なぜだろう、御見舞に行きたいという欲求と、行きたくないという感情が自分の中でぶつかり合ってしまう。
そんな遊の事を悟ったのか、それとも単にお人好しなだけなのか。美代子は考える素振りもなく返事をした。
「いってらっしゃいな。二人の面倒は私がしっかり見ておくわ」
「すみません。今日だけはお言葉に甘えさせてもらいます」
父は祖母に礼をしたあと、濁った瞳を遊と卓に向けて、その後そそくさと出ていってしまう。本当に、あの人は何を考えているんだろうか。
暑さで溶けたアイスは甘ったるいミルク風味だ。
「さあて! 卓ちゃんも遊ちゃんもアイス食べ終わったら出かける準備してちょうだい」
父が玄関から出ていったのを確認して、これまたにこやかな笑顔の美代子が言い放つ。思い立ったが吉日、という言葉が彼女にはピッタリだ。
「出かけるってどこへ?」
卓は二階に置いてきた作業途中の模型が気になっていたので、少しばかり嫌そうな声のトーンだったが。
「おもちゃ屋さんよ。今日はお父さんに内緒でお婆ちゃんが買ってあげますからね」
「ほ、本当に!?」
唖然とした二人。色々と良くしてくれる祖母だったけれど、普段はお菓子やアイスなんかを買ってくれることはあっても、ここまでダイレクトにしてくれることは誕生日くらいなもので、それも卓が中学生に上がってからパタと止まっていたことだった。だからこそ驚いたし、嬉しくもあった。
「さあ準備ができたら車に乗ってちょうだい」
そう言いつつも、準備なぞさせるつもりも無いくらいに背中をグイグイ押してくる祖母。溶けたアイスを喉に流し込むように食べ終えてから、遊はナップサックを手にしたまま祖母の車に乗り込んだ。遅れて卓も飛び乗ってくる。二人並んで後部座席に座ったのを確認して、運転席の祖母が車のキーを回した。
「ほんっと、お婆ちゃんはいつも突然だなぁ」
「そうね。でも人生って突然ビックリすることが沢山ある方が嬉しいじゃない?」
鼻歌交じりの祖母と二人の孫を乗せて黄色ナンバーの車が軽快に走る。
「ねぇ兄ちゃん、さっきやってたのって」
「ちょっと前に友達に誘われてな……ああ、父さんには内緒だぞ。期末テストの調子が悪かったのに、遊んでるのがバレたら大変だからな」
「うん」
遊にとって兄は勉強も運動もできてルールも守る完璧な人だというイメージがあったけれど、それは自分の勝手なイメージだったんだと気付かされた。小学校の頃は一緒に遊ぶこともあったけれど、兄が進学してからはすっかり勉強漬けで、こうやって隣りに座ることもほとんど無くなって。そんな兄が、今自分がハマっているガンプラバトルに復帰する。その事実がとても嬉しくて、憧れだった兄の横で戦える日が来るかもしれないと想像するだけでワクワクして。
ふと手に持っていたナップサックのことを、その中にあるガンプラ──壊れたMk-2──のことを思い出す。
「もしかして兄ちゃん、これ直せる?」
兄はガンプラバトルを嫌いになったんじゃなかった。だとしたら、これを見せても問題ない。そう思った。
「へえ、エゥーゴカラーのMk-2か、渋いチョイスだな。それで」
「友達に借りてたんだけど、ガンプラバトルしてたら壊れちゃって」
「なるほどな……接続軸が折れてるけど、それ以外は大丈夫そうだな。これくらいなら、家に帰ったら直してやれるよ」
「本当? 良かった!」
さすが頼りになるお兄ちゃんだ。
「で、遊が最近ソワソワしてたのは、勉強そっちのけでガンプラバトルしてたんだな」
ギクリ。思わずツバを飲み込んだ。夏休みの初日に喧嘩したことはバレていたけど、それからずっとガンプラバトルをしていたことは、父にも兄にも隠してきたことだった。いろんなことがありすぎて、黙って遊んでいたことがバレるということもうっかり忘れていた。
「もしかして俺のGPベースが無くなったのは」
「ごめんなさい」
「ダンボールにしまってた工具とかガンダムマーカーももしかして」
「ごめんなさい」
全部バレてる。これほど恥ずかしいことはない。
「……まぁ、使ってなかったし別に困ってないから良いけどさ」
「えっ」
もっと怒られるかと思ったが、想像以上に優しい対応で拍子抜けだ。
「遊びに必要だろ。しばらく貸してやるよ」
「ほんと!?」
「ただし、父さんには絶対に見つかるなよ。取り上げられて困るのは俺なんだから」
遊はそれに何度も深く頷いた。
「あなた達、本当に仲が良いのねぇ」
「美代子お婆ちゃんも、このこと父さんには内緒にしててくださいね」
「ええ、ええ。もちろんですよ。子供なんて親に内緒の一つや二つ持っておくものですから。おばあちゃんも小さい頃はよくお菓子をつまみ食いして、それをネズミのせいにしてたもの!」
◇ ◇ ◇
「はい、分かってるわ。パパの言うとおりにする、だって私はパパの子だもの。週末楽しみにしてるから。じゃあ、またね」
薄暗い部屋を照らすのは小さな照明と複数並べられたパソコンのモニターだけ。そんな部屋に少女が一人。スマホを片手に誰かと会話していたかと思えば、それを投げ捨てるようにデスクに置いてキーボードを叩く。モニターには当然のようにガンプラバトルのリプレイ動画が並んでいる。
カタン、とキーの音が響いて、彼女は深くため息を吐いた。
「お嬢ちゃん、あんまり無理すると美容に悪いですよっと」
彼女の孤独を割って入ってきたのは、闘技場の門番代わりに毎日居座っている細身の成人男性だ。彼にとってみれば年齢が半分くらいの子供相手になるのだが、それでも「お嬢ちゃん」と呼ぶのがお決まりだ。
「自販機のだけど、アップルティー好きだったよな」
「ヒロシにしては気が利くじゃん」
ヒロシ、と彼女が呼び捨てにするのも彼等のコミュニケーション。そこには年上への敬意や年功序列なんてものは無く、彼女と彼の見た目からはとても似つかわしくない言葉だがビジネスライク的な関係性というのがピッタリ合うほどである。
「あたし、明日からしばらく来れないから。留守の間は任せたわ」
「ご帰還はいつ頃で?」
ヒロシは調子に乗っているときほど、かしこまった言い回しを好んで使う。それは奴隷や召使いという関係性ではなく、雇い主と従業員のそれに近い。半分はごっこ遊びで、半分は本当のことだ。
「もう八月だし、お盆が終わるまでは来れない」
「こんなに熱心に動画編集してたのは、不在の間に動画サイトを更新するための種作りですかい」
「そこまで分かってて全く手伝おうとしないのって、ヒロシらしい」
手伝わないことは、同時にこちらの領域へ不用意に踏み込んでこないことでもある。そういう分別がついているのは大人だからか、それとも個人的な性格なのか。そういうサバサバした関係を持てるのは、アイにとっては好都合だった。
けれど。
「俺が『お父様』から任されたのはここの管理だけですからねえ」
お父様、という言葉は地雷のスイッチだ。
ヒロシがアイの様子から自分の失言に気づいて、あわてて取り繕おうとした結果なのか、手が自然とろくろを回すポーズになっている。
「悪かった、別に煽ったわけじゃあないんだが」
「別にいいわよ」
そう、今は別に良い。怒るより先に考えなきゃいけないことが沢山あるから、気にしてられない。
「その『お父様』が、とうとう行動するって」
「……へえ、つまり」
「一年半くらい続けたここも、この夏が最後ってこと」
シャットダウンを実行していたパソコンがその責務を全うし、モニターが一斉に消灯される。部屋は小さな電球と、ヒロシがもたれかかっている扉の外にある非常灯の灯りだけとなり、あとは闇に沈んだ。
ヒロシはスマホの画面を眺めながら、どこか他人事のように呟いて。
「バイトとしては美味しかっただけに、ここが無くなるのは残念だなあ」
お父様が計画を実行するまではもう少しだけ時間がかかると聞いた。具体的に考えれば、手続きも含めて八月末ごろになるだろう。それまでが、この夏休みが最後のチャンスだ。過去に見た光を求めてずっと戦いを続けてきたこの闘技場も、面倒な動画編集も、猫かぶりキャラをやることも最後。
そう考えると、ちょっとは先が見えてホッとした、気持ちが楽になった。
「ありがとねヒロシ。こんなだけど、あんたのおかげで助かったわ」
「そりゃどーも」
「じゃあ、あたし帰るから戸締まりよろしく」
自分に余裕ができたからなのか。普段は考えもしないことを言っているな……と思いながら立ち上がる。
「日が長いとはいえ気をつけてお帰りをー」
ポニーテールを揺らして歩く少女の小さな背中が出口を抜けて見えなくなるのを確認してから、ヒロシはもう一度スマホを叩いた。
「ほんと、このバイトが無くなるのは惜しいな……っと」
手際の良いフリック操作で打ち込んだ『ターゲットが帰宅、以降一週間は不在。抽出作業は十分に可能』というメッセージを電波に乗せて依頼主へ送る。いつものことだが、返信は秒速だった。
『試験機を送る。今までどおり記録を続けろ』
『抽出は』
『まだ時期ではない』
それ以上の返信は送らず、黙ってスマホをポケットにしまう。
ヒロシにはターゲットの目的も、お父様の計画も、依頼主の目的も知らぬままだった。だが知ろうとも思わなかった。ただ言われる通り監視して、データを送れば金が手に入る。良いバイトだ。今後も続くのならダラダラとやっていたかったが、それもこの夏で終わるらしい。つぎのバイトでも探すかな、と考えてみるも、自分のようなぐーたらな奴にマトモな仕事なんてできっこないだろうと打ち消す。こんな残念人間だからこそあぶれた仕事が舞い込んでくる、とも言えるが。
ヒロシの手によって残されていた電気は完全に消され、部屋の鍵は閉められた。
「ま、やばくなったらトンズラすっかな」
暗闇に沈み黙した闘技場のバトルシステムは、次に現れるファイターが誰であろうと迎え入れるのだろう。だがその上で広げられるバトルは、システムが望むものであるとは限らない。