GBF-L_ガンダムビルドファイターズ Lost 作:杉村 祐介
人気のないリビングを抜けて、キッチンにある冷蔵庫から食パンを取り出し、無造作にバターを塗ってトースターで焼く。その間に牛乳をコップ一杯。テレビはつけず、毎朝静けさを噛み締めている。これが日課だった。
父親は朝早くに仕事に出ては、夜遅くに帰ってくる毎日。兄は塾に忙しくしているようだけど、最近やっと会話が増えてきて、素直に嬉しいと感じている。母親は交通事故にあってから、長い長い入院生活を送っている。
「行ってきます」
誰もいない家にポツリとつぶやく。これも日課だった。
夏休みに離れ小島のように与えられた登校日である。久々の学校に、ガツンと降り注ぐ真夏の日差しの力強さとは相反して、遊は鬱々とのしかかる湿度の高い空気のように陰気だった。
──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──
~ 第二十一話 映された機影 ~
小さくなったランドセルを背負って学校へ行くのも久々だ。半月前に通っていた通学路は早くも懐かしい気さえするほど。でも、懐かしいと思うことは、それが欲しかったということではない。思い返されるのはいじめを受けていた学校生活の日々。また嫌がらせを受けることになると思うと、今すぐにでも引き返して家に閉じこもっていたいほどだった。それに加えて夏休み初日と次の日、武田くんとの喧嘩をしてガンプラを壊してから一度も会っていない。謝るべきだと自分の頭は言うが、とてもそんなことはできないと心が叫ぶ。答えが出ないまま彼と会わなければならないことが苦痛だったし、復讐と称して何をされるかわからないのが不安で仕方がなかった。
それでもズル休みしようと思わなかったのは、親の教育の賜物か、それともただの傀儡として動くしかできない彼そのものが原因か。
「はぁー、かったりぃ」
「朝から何言ってんのさ」
「夏休みの途中に学校とかマジ面倒じゃん!」
遊の背後から武田、川根、日野の声が聞こえて、遊は震え上がった。今日も仲良く登校しているのだろう三人組は、駆け足でこちらに近づいてくるようだ。全身が強張って、自分の歩く速度も早くなっているのがよく分かる。不自然に走るような素振りをしたら逃げたと思われてまたいじめを正当化させる理由を作ってしまう。遊はそうならないように、ギリギリ自然な早足くらいの感覚で歩いた。
心臓は音を立てて鳴り響くし、汗は止まらない。きっとこの汗は暑さのせいだ。早歩きなのは遅刻しそうだからだ。そうやって、何かを聞かれた時の言い訳ばかりが頭をめぐった。
独り登校する少年を、走っている三人組が追い越していく。
「……あっ」
三人の中で一番小柄で、メガネをかけた少年が振り返った。彼は遊に気づいて声をかけ、
「長谷川、おはよー。あのさ……」
「おい日野、いくぞ!」
何かを言おうとしたのだろうか、日野と呼ばれた眼鏡の少年は、遊のまえで少しだけ止まった。向こうから武田と川根が呼んでいる。遊に近づくな、という無言の圧力を発しながら。
「……じゃあね」
結局、日野は武田と川根の方へと走っていく。
今日は何もしてこなかった。それどころか、武田たちは自分のことを避けているようだし、日野だけは何かを言おうとしていた。そのことが不思議で、遊は声が出なかった。
◇ ◇ ◇
登校日という行事は淡々と進められた。授業があるわけでもなく、先生のありがたい話を聞いて、すでに終わっている宿題があればそれを提出して、夏休みの注意事項をもう一度聞かされて、解散。本当になんでこれだけのために学校まで来なきゃいけないのか、疑問に思うほど中身のない時間を過ごした気がする。
早々に解散となったクラスにはまだ大勢のクラスメイトが残っていた。みんな自分と同じように物足りなさを感じていたのだろう、そして久々に会った友達もいて、夏休みに体験したこともあって話が弾むんだろう。日に焼けていた同級生もいたし、もうどこかに出かけたと自慢げに話す子もいた。宿題を全部終わらせたと言う子がいれば、あえて全く手を付けていないなんて言ってみせる子もいる。なんでそういう子に限って自信満々なのかは不思議だったが、かくいう自分もほとんど終わっていない。けれど焦りはしていなかった。去年もなんだかんだで終わらせることができたし大丈夫だろう……そんな漠然とした感覚がどこかにあった。
それよりも、魁斗に奪われたロストフリーダムのことを思い返してしまう。あれを取り戻すためにはもう一度戦わなければならない、それでもあれを傷つけたくはない。そもそも、自分はあれに勝てるのか? あの暴走しきった悪魔のようなガンプラに――
「長谷川っ」
声をかけられて、ぐいと現実に引っ張り戻された気がした。振り向けばそこには眼鏡の少年、日野が一人で立っていて。いつも一緒に居るイメージのある武田と川根は先に帰ったのだろうか、珍しいな。そう思いつつも、もしかしたらどこかに隠れて何か企んでいるんじゃないかと、つい身構える。
「なに?」
「あのさ。長谷川って、ガンプラバトルいつからやってたの?」
「……なに?」
必要以上に警戒していた遊は、彼の質問がよく理解できなかった。ガンプラバトルをやっていたのはいつからですか?という単純な質問すら、言葉がつまり、まともな返事ができない。
「長谷川があんなに強いって知らなかったよ。ガンプラバトル。ねぇ、こんど一緒にやろうよ」
驚いて声が出ない。同級生から遊びに誘われることが久々で、嬉しいという気持ちが湧いたのも事実だけれど、それをもみ消すほどの嫌悪感と不信感が溢れ出す。だって彼は一学期にあれだけ嫌がらせをしてきた一人で、それを謝ったり許したりということもなく、単に同じ趣味だったから一緒にあそぼうと誘うその無神経さは、遊がこれまで受けた感情を踏みにじる行為そのものだったから。
「ほらこれ、長谷川のガンプラでしょ。なんでYoutuberの動画に出れたのか知らないけど、初めて見たときはびっくりしたよ!」
そんな遊の心境をいざしらず、日野は学校へ隠し持ってきていたスマートフォンを取り出して幾度か操作したあと、その端末の小さな画面をこちらへ見せてくる。
『桃井アイのバトルチャンネル! この闘技場でもかつてない死闘、接戦の末に勝利したのは――』
手のひらに収まるスマホのモニターに映っていたのは、バンシィと戦う黒いストライクフリーダムの姿だった。
画面の向こう側には、ピンク色を主体としたフリルの多い派手めな服装の、ポニーテールとリストバンドがチャームポイントの少女が笑顔を振りまいていた。彼女がスポーツの実況中継のような解説をはさみながら、二機の黒いガンプラが混じり合いぶつかり合う姿が映し出されている。ファイターの姿は一切見えない、声もカットされている。聞こえるのは桃井アイという少女の聞き慣れた声とビームライフルやサーベル、機械音。けれど、その黒いストライクフリーダムが遊のそれだということは、本人にはすぐに理解できた。
「これ、なんで……いつ知ったの」
「ついこの間だよ。びっくりしたなー、だってけっこう再生数出てる動画に、知ってる人が居たんだもん!」
自分のロストフリーダムは画面のなかでバンシィと激しく戦闘を繰り広げていた。劣勢かと思いきや、ドラグーンを展開してから一転攻勢に出るロストフリーダム。朱い粒子が渦を巻き、残光のように流線を描く。その機体からは端末の画面越しですら殺意を感じるほど、目の前の相手を破壊することだけに集中しているようだった。
「長谷川、めっちゃ強いじゃん。ねぇ今度さ、僕にもガンプラバトルのコツとか教えてよ。対戦とかやってさ!」
興奮する日野の言葉なんて聞こえてこない。遊はただ、見せられた動画の中で暴れまわる自分のロストフリーダムという存在から目が離せなかった。これは本当に自分なのか。まるで昨日戦った魁斗と同じ……想像以上に悪魔的で、破壊的な姿。朱い粒子をなびかせて黒いユニコーンガンダムを猛追する自分の愛機。両者譲らず、その姿がボロボロになってもなお、お互いがお互いを傷つけることを厭わず、止めようとしない。
こんなガンプラバトル、ぜったい楽しいものじゃない。自分がやりたかったのは兄のように、バトル中もバトル後も笑って対戦相手と握手ができるような、そんな楽しいガンプラバトルだったはずだ。けれど画面の中では死闘が巻き起こり、誰も幸せにならない殺し合いが映されている。
自分はすでに、楽しいガンプラバトルなんて求めちゃいけないほど、この手は汚れきっていたんだ。
「で、強くなったら僕も闘技場につれてってよ。動画出てみたいんだ! 武田くんや川根くんに内緒でさ。そしたらあいつらのこと見返してやれるんじゃないかって! だからさ――」
「いやだ」
日野の言葉に、明確な拒否を返す。
「いやだよ。協力できないし、日野くんとガンプラバトルをするつもりもない。もちろん闘技場にも連れていかない」
「なんで?」
「なんでって」
「――おい、日野ぉ!」
クラスメイトの中でも大柄な武田の、太い声が響く。彼はいつもの三人組で帰ろうと思ったらしいが、気づいたら日野が居なくなっていて、下駄箱の前で待っていたらしい。いつまで経っても日野が戻ってこないので、しびれを切らして戻ってきたということらしい。
「……へぇ、これからは長谷川と仲良くすんのか?」
「でも、あの動画見たでしょ! 長谷川とバトルやったら僕たちだってもっと上手く――」
「うっせぇな!」
武田に突き飛ばされた日野が、隣の机を大きくずらすほど勢い良くぶつかった。それには遊も驚いたが、同時に、今までさんざん自分がされてきたことが返っているようで、いい気味だと感じていた。だから日野のことを助けようともしないし、助けたいとも思わない。さっき友好的に話しかけてくれたクラスメイトに冷めた目線を送るだけ。
小学生から言えば巨体の武田は、座り込んでいる日野からくるりと向きを変えて遊を睨む。
「長谷川よぉ、お前俺のエクシアよくもぶっ壊してくれたよな」
やはり夏休み初日のことを恨んでいるらしい。当然だ。好きなものを壊されて怒らない人なんて、傷つかない人なんていない。
「忘れちゃいないよな!?」
「……そんなこともあったね」
ああそうか、今さっき日野が突き飛ばされたときに感じた気持ちが、エクシアを壊した時にもあったんだ。だからあの日家に帰った時、鏡の中の僕は変に笑っていたんだ。あの日、目の前の大きくて強そうな武田が泣くほど傷ついたってことが、僕自身にとってはとても気持ちがよかったんだ。
僕は誰も幸せにできないし、誰とも楽しく遊べない。目の前の相手を傷つけることが楽しいって知ってしまったから。
「正直、ざまぁみろって思ったよ。クラスで調子乗って、僕のことをいじめてたキミが、あんなに大声で泣くなんて思わなかったもん」
「――っ!」
遊は直後「黙っておくべきだったことを言ってしまった」と冷静になったが、覆水盆に帰らず、武田はその顔を真っ赤にして、頭のてっぺんまで血を遡らせて激昂した。言葉が先か身体が先か、怒りくるった彼がその手を強く握りしめて遊を殴るまでは一瞬もかからなかった。
「ちょっと、何をやってるの!」
タイミングが良いか悪いか、担任の先生が戻ってきて二人の間に割って入った。
「騒がしいと思ったら、何が原因?」
こういう時の先生、というより大人というのはいつも高圧的で、子供の目線で見るんだと言いながら、何もできない存在なんだと遊は知っていた。こういう時に正直に話しても助けてもらえないし、嘘を言えば余計に立場が悪くなる。黙っていれば、面倒になった大人は諦めて離れていくことを経験していた。
武田も同じように思ったのか、しばらく沈黙が流れる。
「……何も話したく無いってことね。わかった。今日はもう下校しなさい」
予想通り、先生は何をするわけでもなく、何を正すわけでもなく。ただこれ以上武田が暴れないように監視しながら、生徒たちを追い出すように帰宅させた。遊もその流れに乗って、武田に追いかけられないようにそそくさと学校から出ていく。
殴られた頭部にはたんこぶができていた。けれどそんなに痛みはない。痛さなんてどうでも良かった。やっぱり登校日なんてズル休みすればよかったんだ、と囁く声が聞こえた気がしたけれど、それが誰の言葉なのかは分からない。
遊の心は淀み、黒と白が混ざり合って、モノクロのマーブル模様を描き出していた。この黒く濁った気持ちをどんな言葉で伝えたらいいのだろう。どんな言葉が正しいのだろう。きっと辞書を引いても、小説家の人に聞いても、正しい答えなんてないと思う。
ただ、はっきりとわかったことがある。動画に映っていたあのロストフリーダムは自分が思っていた以上に化け物みたいな強さで、壊さずに取り戻そうなんて考えが甘かったんだ。あれは壊してでも取り戻さなきゃいけない。他人の手に渡しちゃいけなかった。あれは僕の力だ。僕が、すべての破壊を――