GBF-L_ガンダムビルドファイターズ Lost   作:杉村 祐介

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GBF-L #004「見失った光」

 洗濯物を取り込む母の、長い黒髪が風に揺れる。帰宅した遊がランドセルも降ろさないまま、その柔らかで優しい背中に飛びつく。

 温かく眩しさを感じる世界。幽体離脱したような第三者の視点、おぼろげな霧のように包まれた視界から遊はそれを眺めていた。

 夢の中だとはっきりわかる。だって彼女は、今は洗濯どころか立つことさえできないのだから。

 

「おかえり。どうしたの遊」

「今日のテスト、100点だったんだ!」

「すごい! やったねー!」

 

 夢の中だとはっきりわかる。だって彼女は今、誰の声にも返事ができないのだから。

 そしてこれが、自分にとっての夢なのだと、普段無意識に自分にすらひた隠しにしている欲求なのだとわかった時、我慢しつづけていた涙が、限界を超えて溢れ出る。

 

「ほら、あなたが欲しがってた物よ」

「ガンプラ!」

 

 母がどこからともなく出してきた箱。遊の視界に映る、それを満面の笑みで受け取った遊。小学生にはいささか大きいサイズの、それでいて見た目よりも軽い箱。だがその中に入っているものは、少年にとっては重く、とても憧れていた輝かしいものだ。

 ストライクフリーダム。パッケージには正しくこう記されている。

 

 

 

── ガンダムビルドファイターズ ロスト ──

 〜 第四話 見失った光 〜

 

 

 

 遊は目を開けた。頭が痛い。頭だけでなく、身体もこわばっていたのかギシギシといいそうなほどだ。ベッドに横たえていた身体をもぞもぞと動かして、血の回らない重たい頭部を起こす。枕元にある時計の針は六時を過ぎたあたりを差していた。

 窓から赤い陽の光が入ってくる。暑苦しい感じと、どこからか聞こえる「また明日なー」という子供の声から、今は夕方なんだろう。昼寝をしてしまったようだ。目やにが気になって手をやると、ほほがざらざらしてることに気がついた。

 温かくて懐かしくて、すべてを包み込んでくれる優しい夢。もう叶うことのない悲しい夢。心の芯をぐっと強く握られたような苦しみが、また瞳を潤わせる。だが今は、この涙は我慢できる。

 扇風機が首を振って室内にわずかな気流を作ったのも虚しく、部屋は重く暑苦しい空気で占領されていた。

 

「……遊」

 

 聞き慣れた声に、遊はビクンと身体を飛び上がらせた。

 

「いるのか、遊。返事をしなさい」

 

 遊の父、長谷川卓也(タクヤ)その声だ。

 今日は平日で、こんな時間には帰ってこれるような仕事ではないはずなのに、なぜか今日は家にいる。そして自分を呼んでいる。普段起こりえない事態に身体が硬直してしまう。

 

「あ……は、はい。います」

「こんな時間まで昼寝でもしてたのか」

「ごめんなさい」

 

 自室の扉は開けられてこそいないが、それでもその向こうで立っている父親の姿が透けて見えるかのように頭にうかぶ。背がスラっと高くて、細いフレームの銀縁メガネの向こうから、いつも淀んだ瞳で自分を見下していて。とても怒っているようで、それでいて冷酷で、言葉を上から投げつけるように話しかけるその姿が。

 扉の向こうでため息がひとつ。

 

「まぁいい。それより晩ごはんの準備、手伝ってくれないか」

「……はい」

 

 言葉尻は「お願い」でしか無いそれは、遊にとって――実の子にとってそれは「強制」「義務」に近い重さを感じるもので、「はい」と返事をする他に選択肢はなかった。そうやって素直に従わなければ、その後どんなふうにして怒られるのか、想像は易い。

 スリッパが擦れる音がする。扉の前から人の気配がなくなって、やっと遊の肩に入っていた緊張が解けた。ふぅ、呼吸さえも忘れかけていたみたいだ。

 いつから父親はあんなふうになってしまったんだろう。少なくとも去年は、もっと穏やかで優しくて、多少のことなら笑って流してくれるような人だった。今ではちょっと反抗する素振りを見せたらすぐ怒る。それもやっぱり、母さんが入院したことが負担になってるんだろう。仕事だって大変そうだし、やはり自分が、ちょっとでも手伝って支えていかなければ。母さんが帰ってくる日までの辛抱だ。

 

「さぁお手伝い頑張ろう!」

 

 自分に言い聞かせるように、母親の口癖だった言葉を出す。母の笑顔が浮かんで消え──ふと、勉強机の上に立っているガンプラを見た。母から貰ったストライクフリーダム。落書きされたストライクフリーダム。自分で黒く塗りつぶした、ストライクフリーダム。

 

 ロストフリーダム。確かにあれはそう名乗った。いや、あれに名前をつけたのは自分自身だったか。純白の装甲を、黒く──まるで自分の心の闇のように──黒く塗りつぶして。流れ出るのは赤い血の涙か。溢れ出るのは求めた金の輝きか。しかしこのガンプラにそんなたいそうな理由をつけた覚えはない。単に身体が、心が勝手に赴くままに手にしたガンダムマーカーで、落書きをただ上から隠しただけ。白い機体に戻したかったのではなくて、汚されたのを覆い隠すように、本心を他人にミられないように、上から色を重ねただけ。それでも無意識に手にとったマーカーで彩られたそれは、幼稚園児のぬりえのように下手で、それでいて禍々しく、惹きつけられる何かを発していた。

 兄と同じように戦いたいというのは単なる夢で、兄が使う純白のモビルスーツに憧れつつも、結局のところ自分は兄にはなれないし、認められもせず、肩を並べるどころか、目を見て話すことすらできない臆病者で──。

 

「あー……だめ、だめ。ご飯の準備しなきゃ」

 

 一人で被害妄想する悪い癖がまたでちゃったなぁ、なんて頭で反芻しながら、遊は寝ぐせのついた髪の毛を手櫛で整えながら部屋を出た。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 いつもの食卓。いつもの風景。食事中はテレビもスマホも禁止なので、わずかに食器のぶつかる音以外はとても静かだ。ごはんの準備中に帰ってきた兄が横に、斜め前に父が座っている。一つだけ、目の前にある空白の席を見てしまうと、夏だというのに部屋がすこし寒く感じる。辛くしてもいいといつも言っているのに「お前はまだ子供だろう」と父親が煮込んだ甘口カレーも、いつも以上に刺激がたりないように思えた。

 父親の食器と兄の食器が空になる。自分はまだもう少しだけ残ったカレーを、ちょっと食欲がないながらも口に運んでいるところだ。

 

「遊」

 

 いつもは黙ってご飯を済ませ、そのまま風呂に入って寝るだけの父親が珍しく口を開いた。その異様さに、遊も兄の卓も食事の手が止まる。

 

「お前今日、何をやった?」

 

 何をやった。その一言で、忘れかけていた今日の記憶が脳裏を駆ける。漆黒のストライクフリーダム、純白のエクシア、泣いている同級生、投げ捨てたガンプラの足。そして帰宅した時に鏡に映った自分の顔。

 この質問をされるということは、父親は今日何をやったか知っているということだ。知っている上で、本人の口から言わせようとしているのだ。そこに自由はない、逃げ場もない。あるのは服従と、質問に答える義務だけだ。

 それでも遊は、そうだからこそ遊はこういう時に口を閉じてしまい、何も話せなくなってしまう。

 

「武田くんのお母さんから電話があったぞ。お前、友達のおもちゃを壊したらしいな。どんな理由があっても他人の物を壊して、その上謝らずにいるなんて許されることじゃないだろ。わかっているのか?」

 

 返事もせず黙っていたら、父親が口撃を始めるのはいつものことだ。

 

「お前は勉強も運動も苦手なんだから、せめて友達付き合いくらいは上手になりなさいと昔から言ってきたつもりだったが。明日武田さんのとこに謝りに行くからちゃんと反省して、仲直りする準備をしておきなさい」

 

 他人の物を壊しちゃいけない。その一文に異論はない。けれど、武田からいじめられ、何度も自分の物を隠されたり壊されたりしてきたのが許されている現実と、たった1回エクシアを壊した自分が叱られている現実が、遊には受け入れがたい差を感じて飲み込めない。反省? 何を反省すればいいんだ。仲直り? 直る仲なんて無い相手とどうやればいいんだ。そう、悪いのは自分じゃない。あっちが先に仕掛けてきたんじゃないか。僕は悪くない。悪くない。

 言葉にできない感情が、頭から心臓へ黒い血液を送り返し、それが逃げ場を求めて全身に循環する。言葉にしようにも出口は固く閉ざされている。あふれた思いが汗になって固く握った手を濡らすし、涙になって溢れそうになるのをぐっとこらえる。

 

「いつも言ってるだろう、『遊ぶ前に勉強をしなさい』。夏休みも始まったばかりだし、宿題山ほど出されているんだろう。お前は去年もろくに計画建てずにダラダラと過ごして、8月末に泣きついてたじゃないか。去年とおなじようにまたダラダラと過ごすつもりだったのか? 卓は毎年ちゃんとやっていたのに。遊、お前ときたら──」

「父さん」

 

 父の言葉を遮ったのは、隣にいた兄、卓だった。胃液が登ってきて吐きそうだったのが、間一髪のところで止まった遊は、助け舟を出してくれるのだと期待して、潤んだ目で彼の方を向いた。

 

「食器、下げるよ」

「あ……あぁ、ありがとう」

 

 違う。今日の食器洗い当番は卓で、それがいつまで立っても終わりそうになかったのを見かねて声をかけただけだったんだ。希望を持っただけ持ち上げた気持ちが、その高さから地面にたたきつけられる感覚に襲われる。ちっぽけなプライドで作られた殻は簡単に割れ、中の生卵が床に散らばるような。

 調子を崩された父は一度わざとらしい咳払いをして、端的にわかりやすい言葉を選んで、遊に投げつけた。

 

「いいか遊、明日はちゃんと仲直りするんだぞ」

 

 かろうじて形を保っていた卵黄を、足で踏みにじられた。そんな感覚。ギリギリで耐えていた心も、必死にこらえていた涙も、すべてが決壊する。

 

 

 

「なんで仲直りしなきゃいけないんだ」

 

 「えっ」という、意外さを隠せない言葉が漏れた。それは目の前にいる眉間にシワを寄せた父の声か。それとも食器を片付けていた兄の声か。

 

「遊、お前何を言って」

「なんで、なんで僕だけ? 剛くんだって悪いのに、なんで僕が謝らなきゃいけないんだ。ずっと我慢してきたのに、誰も助けてくれなかったのに、なんで僕だけ!」

「落ち着け遊、お前──」

「うるさい!」

 

 兄の静止を振り払うよに手を振った。それが置いてあったプラスチックのコップを跳ね飛ばし、中の水を盛大にぶちまけた。濡れたフローリングの上に、カランと軽い音を立ててころがるコップに、3人共言葉を失っていた。

 コップが当たった手の甲が痛いのと、自分の心が痛い。どっちの痛みが原因か自分自身でもはっきりと分からないままに、こぼれる涙の量がさらに増えた。目の前の父親は怒りと困惑の表情でこちらを見ている。その視線が耐えられなくなって、自分の皿に残ったカレーをたいらげることも、ぶちまけたコップの水を掃除することもせず、一目散にリビングを飛び出した。それが精一杯だった。

 

「おい遊!」

「待って父さん」

「卓は黙ってなさい!」

 

 リビングから廊下を抜けて自分の部屋に入るまでに聞こえた父親の声が、恐怖でしかなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 まっくろな海の中を、頭を下にしてゆっくりと沈むような。足元に太陽の光がおぼろげに映っていて、それもだんだんと闇に消されるような。人間は身体の力を抜くと浮くというけれど、そんな気配はなく。ただただ闇に沈んでいく。

 水面が、光が、遠のいていくのを感じながらも、自分の心は焦りも怖さもなかった。冷め切っていた。周りの水もさして温度が高くはないが、身体が冷えきっている錯覚で温かささえ感じる。海流のないこの黒い海でさえも、自分の心ほど冷たくない。

 手足はぴくりとも動かない。ただおぼろげに開く瞳で遠ざかる光を見送りながら、ただ重たい首をもたげて近づいていく深淵を眺める。届かない光を求めるのは疲れてしまった。それよりも遊には、このまま沈んだ先にある闇にこそ興味が湧いたのだ。落ちていく、沈んでいく、動かない身体でたどり着いた先に何があるのか。何もないのかもしれない。いや、きっと何もないだろう。

 それでも遊は何かを求めていた。その何かが、自分自身ですらわかっていないというのに。

 

 

 

 暑い真夏日。空調機がごうごうと動く音すら、賑やかなBGMでかき消される空間。中で子どもたちが入れ替わり立ち替わり、ぎゃあぎゃあという叫び声と電子音が不協和音を奏でる部屋。最寄りの場所よりちょっとだけ遠くてちょっとだけ広いゲームセンターは、夏休みの子どもたちで盛大に賑わっていた。当然人気のゲームセンターにはどこにでもある、あの独特な六角形のバトルシステムが2機も設置されていて、すでに1機は子どもたちに囲まれて賑わっていた。もう1機は遊が一人で、黒いストライクフリーダムを動かして遊んでいた。時折周囲の小学生や中学生が、まるで盗み見るかのようにその戦いを眺めては、気づかれる前に逃げるように視線をそらす。

 バトル上は山積みにされた残骸と、焼き払われた市街地。黒い影が縦横無尽に飛び回り、空から降りてくる緑の量産機をサーベルでなぎ払い、ビームで焼き、死体の山を築いていく。バトルフィールドに降下され、地上に降りた瞬間を狙われたハイモックが爆散した時、遊のディスプレイに映る数字が92に増えた。その残骸、足元に落ちた腕。ストライクフリーダムはそれを踏み潰し、装甲を大きくひしゃげさせた。

 

「すげぇ、100撃破まであと8だぜ」

「俺こんなプレイ初めて見たぜ」

 

 ひっそりとバレないように会話する。本人は全く気に留めていなかったが、このゲームで100撃破など、普通の学生プレイヤーができる芸当ではない。だからこそ、異質に見えて誰も近づこうとしなかった。

 武器を構えたハイモック相手に一瞬で懐に飛び込むと、身体をかがめて下からサーベルを振り上げ、その手に握るライフルだけを両断する。そのまま振りおろし緑のまるまる太った左腕をバターのように切り落としたと思えば、寸分狂わず右肘と左膝に突きをお見舞いし、活かしたまま行動不能まで追い込む。そして最後に二振り目のサーベルを抜き、左右で挟むように横薙ぎにして二分した。撃墜数が93になる。それでもまだ執拗に、ストライクフリーダムは地面に転がった緑のだるまに剣を突き立てた。

 

「違う……こんなんじゃない」

 

 遊は撃墜数なんて眼中になかった。ただ、あの時の興奮を求めていた。デルタプラスを、ジムスナイパーⅡを、エクシアを破壊した時のような、なんとも言われぬ快感を求めていた。自分の心にぽっかりと空いてしまった大きな黒穴を、ガンプラバトルなら埋められるだろうと思っていた。だがいくらハイモックを倒しても、その穴が埋まるどころか、どんどんと広がっていくようにも感じた。

 

 

 

「何が違うの?」

 

 遊はゲームに夢中になりすぎて、すぐ隣に誰かが立っていることにすら気づかなかったので、身を飛び上がらせて硬直した。その一瞬で、ストライクフリーダムはビームの嵐に飲み込まれ、あっという間にゲージがゼロにされてしまう。ゲームオーバーだ。

 青白いプラフスキー粒子は終了のアラートと同時に開放されていき空気に溶け込んでいく。手元にあったコンソールも消えて、コックピットを模した壁も徐々に消滅する。

 

「……誰」

 

 遊はテンポを乱された相手にイラッとした態度をとろうと、眉間にシワをよせながら視線を向けた。しかしその姿を見て、なぜか戦意が氷のように溶けていく。

 Tシャツにショートパンツ。長い髪を結った大きめのシュシュとウエストポーチ、桃色のリストバンドが目を引く活発そうな女の子。遊よりもすこし背が高く、おそらく中学生だろう。だけど遊は彼女のことを見たこともないし、そもそもこのゲームセンターも遊の通っている小学校の校区外で、ここに来たことも、この付近に友達がいることもありえない。

 この雰囲気の中で堂々と話しかけてきた彼女は、初対面であるはずの遊に話しかけてきたというのだ。

 

「さっきからずっと戦ってるの見てたよ。きみ、ガンプラバトル強いね! 中学生?……だったら大会出ててもおかしくないし、あたしが知らないはずないんだけど」

 

 よくしゃべる人。遊の自分の苦手なタイプだ。

 

「小6です」

「そっかぁ、将来有望ってやつだね! 家はどこ?近いの?あたしもすぐそこでねー!」

「あの、えっと……その」

 

 彼女の質問攻めに遊が返事に困ってしまい、結局何に答えていいかわからなくなって。こうなると遊は何も言えなくなって、ただ黙ってうつむいてしまうのだった。

 返事がないことに数秒遅れて気がついた彼女が、ひと呼吸開けて、もうひとつ質問を投げてくる。

 

「よかったらあたしとバトルしない?」

「うん……え?」

「ガンプラバトル。言っとくけどあたしも強いよ!」

 

 彼女の腰にある四角くかさばったウエストポーチから箱がとり出され、その箱から大事そうに白色のガンプラが取り出される。それは花のような台座がついている、普通のより一回り小さくて女性らしい曲線が使われたシルエットのガンプラ。遊のいる場所から反対側のユニットへ、対面するように移動してそれをバトルシステムにセットする。

 

「きみ、名前は!?」

「あ……は、長谷川遊、です」

「あたしは山田アイ。よろしくね!」

 

 小6の夏休み、2日目。風のように彼女は現れた。

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