ルイズとエレオノールによる不毛な姉妹口喧嘩の直後、エレオノールとカトレアはヴァーユ号へと移送された。
もちろん緊急用簡易ポッドに入れられ隔離された状態での移動となったので、二人とも外の様子を見る事は叶わなかった。
ヴァーユ号に到着後、彼女達は船内の医療区画へと移され、そこで簡単な検査を受ける事になったのだが、ここでも一悶着あったのだ。
「な、なななによ、その変な器具と針は! まさか、そそそそれを刺す、とかじゃないでしょうね?」
どもりながら裏返った声を出しているのはエレオノールだ。本人は気丈に振る舞っているつもりなのだが、いわゆる〝ビビっている〟のが丸分かりな状態だ。
「あら、姉さま。少し血を採られるくらいで怖がってるんですか? あたしなんか何回も採られたのに」
顔色を悪くしているエレオノールに対して、子供サイズの宇宙服を防護服代わりに着込んだルイズが勝ち誇った様に言う。
彼女がこの場に居るのは、スクリーン越しで通訳するよりも、その場で直接応対して貰った方が良いだろうと言う意見が通った事と、彼女自身が望んだ事のよる。
姉に対してルイズの気が大きくなっているのは、宇宙服を着ている事で件の〝ほっぺたつねつね〟攻撃を防げているからに他ならない。
「血なんか採ってどうするのよ。まさか……」
エレオノールの脳裏にアカデミーで知ったある事柄が浮かぶ。スキルニル。小さな人形の形をしているが血をかける事で、その血を持つ人物そっくりに化けるマジック・アイテムである。
「姉さま。先生が言うには、血を採って調べる事ができなければ、帰るまでずーっと閉じ込められたままで、美味しい物も食べられない、だそうです。ちいねえさまは、もうとっくに済ませましたよ?」
そう言われてエレオノールはカトレアの方を見ると、彼女は既に採血を済ませて肘の内側を押さえながら、ヴィザーを通して採決を担当した看護師と何やら雑談をしている。
それを見てエレオノールは諦めたらしく、渋面になって黙って腕を差し出した。
採血中、彼女は目を固く閉じて「私は長女、私は長女なんだから」とブツブツと呟いていたが、採血を終えた時に涙目になっていたのはご愛敬。
そんなエレオノールを見て、ルイズは幼い事から抱いていた一番上の姉に対するイメージが変わって行くのを感じていた。
エレオノールとカトレアは、血液検査の前にTNMRIによる画像診断を受けており、その結果カトレアには心臓の異常が有る事が判明していた。
ヴァーユ号には複数の診療科目を
余程の事が無い限りは殆どの
また乗船している医師達では判断が出来ない事例については、i-スペースによるh-リンクを通じ、地球に居る専門医に相談して指示を仰ぐ事も出来る。
カトレアの持つ異常についての診断が早かったのはこの為である。
カトレアが患っている病は〝ファロー
これは先天的な心臓の奇形で、右心室と左心室の間にある壁に穴が開いている心室中隔欠損、大動脈の先天的な転位(本来とは違う場所に繋がっている)による静脈血の動脈への流入、肺動脈弁の
地球に於いては、患者の殆どが乳幼児期に手術を受ける事で完治してしまう物だが、彼女の病状は、特に一番目と二番目について酷い状態である事が確認された。
現状、破損した超立方振動干渉装置の復旧の目処が立っておらず、カトレアが帰還出来る様になる時まで、彼女の生命を保障するには手術を含めての治療は必須だろう、と医師達は判断している。
そしてその治療方針について、地球に居る医工研の宝条とヴァーユ号の担当医が打合せを行なっていた時、カトレアについて新たに問題が見つかったとの報告が入る。血液検査の結果、カトレアに自己免疫疾患を示す幾つかの抗体異常が見付かったのだ。
それを聞いた宝条は、地球にある高度医療施設でないと治療は難しいと考え、素早く行動に移った。カトレアを出来るだけ速く地球に連れて来て治療を開始するには、すぐにでもヴァーユ号を地球に向けて出発させるのが、時間的に最短でベストな方法だ。
しかし、どれ程のダメージを受けているか分からないヤヌスの被害状況を、多くの研究者や技術者が調査している現状で、彼等の避難先であり宿舎でもあるヴァーユ号をカトレア一人の為に動かす事は出来ない。
そこで宝条はヤヌスに居る平賀教授に連絡を取り、彼の
地球とヤヌスの軌道は三光日ほど離れており、光速で航行する宇宙船で往復に六日を要する。重力制御による人口ブラックホールを利用して航行する宇宙船では、通常のアインシュタイン時空から分離された状態になるので相対性理論は適用されず、船内での経過時間は数時間ほどとなる。
乗船する者にとっては、この時間と宇宙船がヤヌスに到着するまでの日数が、正味の待ち時間となるのだ。
その間、カトレアに対症療法的な処置を行う事になるのだが、問題は手術や治療の事を含め、これらの事をカトレア本人とその姉であるエレオノールにどう説明するかであった。
例え別の宇宙からの来訪者であってもインフォームド・コンセントは行われるべきだと医師達は考えていたのだ。
「つまり、
宝条と話をしていた平賀が確認の為に問い直す。二人は現在、パーセプトロンによるニューロ・カップリングを使い、ヴィザーが作り出す仮想現実内で顔を合わせて話をしている。
「語彙の収集に関しては、今までルイズ嬢しか居なかったからね。年齢を考えると圧倒的に少ないんだよ」
宝条はどうしようも無い、と言う風に両手を上げ話を続ける。
「手っ取り早く語彙を増やすには、ヴィザーから提案された方法を使うしか無いと思うけど、これについては長女の、たしかエレオノール君だったか、彼女の協力が不可欠になる」
「ああ、その方法は俺もヴィザーから聞いている。技術的にもテューリアン、いやヴィザーにとっては枯れた物だから危険性は無いだろうが、果たしてあのお嬢さんが了承してくれるか、だな」
平賀の懸念に宝条は「その辺りは君の息子さんとルイズ嬢に任せればなんとかなるんじゃないかと思うが、どうかな?」と軽い調子で返した。
二人が話していたヴィザーから提案された方法とは、エレオノールの表層意識領域からニューロ・カップリングを使って直接的に言葉やその概念に関する部分を読み取り、彼女達が使っている言語の翻訳ライブラリを一気に増やそうと言うものだ。勿論プライバシーの問題があるので、意識領域の読み取り範囲は慎重に選択される。
BIAMを使ったルイズの脳内活動パターンの解析結果から、彼女の大脳の活動パターンが地球人類と大差無かった事から、エレオノールをヴィザーの仮想現実に接続する事は復変調系の微調整を行えばそう難しい問題では無いと予想されている。
では何故ルイズで実証しなかったのかと言えば、単に日本で〝十五歳未満の者の、ニューロ・カプラによるヴィザーへの接続を禁止する〟という法律が存在していたからだ。
さて、宝条からの無茶振りによってエレオノールの説得(?)を任されたルイズと才人であるが、ヴァーユ号の食堂でお菓子を摘まみながら、どう話をしたものかと二人して悩んでいた。
「なあ、ルイズ。お前の一番上の姉ちゃんってさ、どんな人なんだ?」
才人に問われたルイズは暫く瞑目して考える。
「んー。キツイ性格? でも今はよくわかんない。なんかヘタレっぽくなってるし」
「何だよそれ。まあ二年も会ってないんだから、しょうがないか。他に何か無いか? 好きな事とか趣味とかさ、何でも良いから」
「好きな事ねぇ。あ! そう言えば何か珍しい道具を見付けると、必ず父さまにおねだりしてたわ。それで買ってもらうと、ご飯も忘れて夢中になって部屋から出てこなかったり」
それを聞いた才人は暫く腕を組んで考えると、あちら側との何回かのやり取りでエレオノールに関して耳にしていた事を才人は思い出してルイズに聞いてみる。
「そういやビデオレターの返事で、こっちの色々な本が欲しいとか何とか言ってたんだよな?」
「うん、言ってたわ。姉さまのあの感じ、父さまにおねだりしてた時と一緒」
「ほう、面白そうな話をしてるじゃないか」
突然、背後から彼等の話に才人の父親が割り込んで来た。いつの間にか食堂に来て才人達の話を聞いていたらしい。
「父さん、いつの間に来てたんだよ。ほんと心臓に悪いから」
文句を言う才人に、父親は「すまんな」と笑いながら彼の息子の隣、ルイズから見て斜め前に座る。
「ルイズのお姉さんは凝り性で好奇心が強いみたいだな。なんだっけ、あちらで言う〝アカデミー〟とかに在籍しているんだって?」
「あたしが居なくなった後に入ったんだって。アカデミーで何をしてるか聞いてないから分かんないけど」
そう応えるルイズの言葉に堅苦しさは全く無い。平賀家に於いてルイズが家族同然の扱いを受けていた為だろう。
蛇足だが、地球での生活でルイズには仲の良い友達が出来ていたりするが、その話はまた別の機会に。
「なあ、才人。確か小難しい事でも、お前が理解できれば、ルイズもそれを憶えられるんだよなぁ」
何か考えがあるらしく平賀教授が才人に確認する。
「うん。憶えると言うかなんと言うか……」
そう言いながら才人がルイズの方を見て「どうなんだろな?」と話を振ると、ルイズは「えーっと、分かっちゃうのよね。頭の中に、ぱぱっと浮かぶの」と何でもない事の様に応える。
平賀教授は何かを納得した様に一人頷くと、冷めてしまった飲みかけのコーヒーを一息に飲み干した。
「よし、そんじゃ二人とも、今から俺と一緒にルイズのお姉さんを説得しに行くか。それとルイズ、大事な話がある。歩きながら話そう」
彼は子供達にそう声をかけて立ち上がる。すると才人が「ちょ、父さん。いきなり訳わかんないよ」と抗議の声を上げるが、彼の父は「いいから付いて来い」と無理矢理に二人を連れて食堂を出たのだった。
食堂で才人達の所に平賀教授が乱入する少し前、エレオノールとカトレアは、医療区画の隔離エリアにある病室に案内され、そこで寛いでいた。
ヤヌスで押し込められていた部屋同様に窓も装飾も無い殺風景な所だが、姉妹二人きりになれた事で、
どうやらカトレアも感じているらしく、首を傾げながらエレオノールに聞いて来る。
「姉さま、何かおかしく感じませんか?」
「そうね。こちらに来てから色々有って、深く考える間も無かったけど、こうやって落ち着いてみると確かに変な感じがするわね」
どうにも上手く説明が出来ない、漠然と感じる違和感。その正体が分からずエレオノールの心中は少し穏やかで無い。考え込む姉の姿を見ながら、その心情を汲み取ったかの様にカトレアが呟く。
「何かが抜けてしまった不安感と言いますか。はっきりと分かりませんが、わたしにはそんな風に感じられます。姉さまは、どうかしら?」
妹にそう言われて、エレオノールは〝感じない〟のだと気が付く。
彼女は優秀な土メイジであるが故に、普段から触れる物に関しての性質を、土メイジ特有の感覚で無意識の内に感じ取り認識している。
ところが、こちらに来てからの事を思い起こしてみると、初めて手にした物で溢れているのに、その性質を感じ取っていない、いや感じ取れていない。
まさかと思いエレオノールは目の前にあるテーブルに手を置き、意識を集中してみるが、予想通り何も感じ取れなかった。
「姉さま?」
カトレアはエレオノールの様子に不安を感じ声を掛けたが、姉はそれには応えず、今度は黙って杖を取り出すと、テーブルの上にあるカップに対して練金の
「……そんな!」
魔法が発動せず、ルーンを唱えた時に必ず感じる魔力の流れが全く無かった事に、エレオノールは絶句する。
「どういう事なの? 確か〝扉〟はルイズの魔法で」
そこまで言ってエレオノールはルイズの魔法が失敗ばかりだった事を思い出した。そして彼女の小さな妹が、今回どうやって〝扉〟を現出させていたのか、詳細を聞いていない事に思い至る。
その時、エレオノールの思考を遮る用にカトレアが「姉さま、あれを」と部屋の壁の方を指差しながら声をかけた。
壁はいつの間にか無くなっており、その向こう側にルイズと見知らぬ少年、そして少年によく似た壮年の男性が立っているのが見える。
エレオノールとカトレアが呆気にとられて見ていると、真剣な表情のルイズが口を開く。
「姉さま、ちいねえさま。今からお二人に大事なお話があります。その前に紹介しておきますね。こちらの方がチキュウであたしがお世話になってるヒラガのおじさま。隣に居るのがおじさまの息子さんでサイト」
ルイズの紹介で男性と少年が各々に挨拶をする。言葉と口の動きが合わない事に違和感を感じながら、エレオノールは彼等の声をぼんやりと聞いていた。
お互いの挨拶が済むと、平賀教授に促されたルイズが、この部屋へ向かう途中に聞かされた事を悲痛な面持ちで彼女の姉達に伝えた。
「ちいねえさま、このままだと私達と一緒に帰れない、そうです」
怪訝な表情をするエレオノールからの「どういう事?」と言う問いにルイズは何かを耐えるように両手を握り締めながら答える。
「病気を根っこから治さないと、ちいねえさまは、ちいねえさまは……」
「わたしが、どうなるの?」
カトレアが、どこか寂しそうな笑顔を浮かべ促すと、ルイズはその瞳を涙で潤ませ、俯きながら言葉を続ける。
「……三ヶ月、らしい、です」
「三ヶ月? それはどういう事? ルイズ!」
エレオノールが声を荒げてルイズに詰め寄るが、スクリーンに阻まれてしまう。ルイズは、スクリーン越しに猛烈な剣幕で捲し立てる姉を真っ直ぐ見つめ「帰れないんです! ちいねさま、死んじゃうんです!」と押さえていた感情が溢れ出し、大声を上げて泣き崩れる。その様子をカトレアは、どこか諦観したような微笑みで見つめていた。
* * *
ルイズ達三人によるエレオノールの説得が行われた。平賀教授から才人へ、才人からルイズへ、そしてルイズが少ない語彙を駆使してエレオノールに話すのだから、手間と時間が掛かるのは仕方がない。
「カトレアが
人間から特定の記憶のみを取り出すなんて、とエレオノールは信じられないでいた。
とは言え、多くの水メイジが診てもその原因が分からず、魔法や秘薬による対症療法的しか出来なったカトレアの病が治療出来ると言うのだから、その方法を詳しく知りたいとも思う。
更に平賀教授から交換条件として、エレオノールが欲したチキュウの様々な書籍文献について、彼女達が使っている言語に翻訳して提供するとの申し出もあった。
どうしようかと考え込むエレオノールに、今まで黙って聞いていたカトレアが珍しく真剣な顔で突然、懇願を始めた。
「姉さま、わたしのは知りたいの。わたしの病が何なのか、どうすれば治るのか。だから……。姉さま、どうかお願いします。わたしに、わたしの病の事を教えて下さい。お願いします」
そう言い終えたカトレアは俯くと、まるで何かに叩き付ける様に言葉を続ける。
「わたしだって、姉さまやルイズの様に外に出て走ったり、舞踏会で踊ったりしたい。姉さまみたいに魔法学院に入学して、同い年くらいのお友達を作りたい。わたしだけ何でこんな病気なの? どうして姉さま達と同じにできないの? 小さい頃からずっと姉さまやルイズが羨ましいと思い続けてたの! でも、わたしは籠の鳥と諦めて……」
床を濡らす涙とともにカトレアは自身の心を吐露する。その言葉の最後は消え入る様にして終わり、啜り泣く声だけが残った。
「カトレア」
「ちいねえさま」
姉と妹それぞれが彼女に声をかけるが、それ以上言葉が続かない。病を抱えながらも、いつも穏やかなカトレアが抱えていた思いを初めて知り、それに対しての言葉が見つからない。そんなカトレアの啜り泣きだけが聞こえる場の沈黙を破ったのはエレオノールだった。
「分かったわ。どの道このまま言葉が通じなきゃ不便だし、カトレアの為にもやってやろうじゃないの。それに、どうしてここでは魔法が使えないのかも聞きたいし。ねえ? ルイズ」
低い声でそう言った彼女の目は据わっていた。
* * *
エレオノールが承諾すると、直ぐに彼女はニューロ・カプラが設置されている部屋に連れて行かれる事になった。平賀教授の指示で部屋の滅菌処置が予め済ませられていたのだ。
またも簡易ポッドに押し込められての移動だが、エレオノールは隔離される意味を教えて貰い、また三回目でもある事から移動中ポッドの中で落ち着いていられた。
ポッドに入れられると彼女は、自分の体の重さを感じなくなる奇妙な感覚を味わった。最初はレビテーションかと思ったが、上も下も感じない全く違う感覚に戸惑いながら、暫く考えた彼女はこれに覚えがある事に気付いた。
それは子供の頃に物を壊した罰として、杖を持たされないままルネードで母親に空高く放り上げられた後で地面に向かって落下して行く時のものに似ている。あの時、もし風を感じていなかったらこんな感じだったのだろうとエレオノールは母から受けた仕置きとその理由を思い出しながら苦笑した。その理由と言うのが、父から母へプレゼントされた高名な職人の手による機械式懐中時計を、エレオノールが興味津々で分解してしまったからだ。
「嫌な事を思い出してしまったわ。しかし不思議よね。ルイズもあの人達も『こちらには魔法が無い』って言ってたのにレビテーションみたいなものを使っているみたいだし。まさか先住魔法とかじゃないでしょうね……」
後でエレオノールは知る事になるのだが、彼女の移動には移動経路の重力場カットと重力ビームによる牽引が行われていた為、彼女の周囲は自由落下状態になっていたのだ。
エレオノールが思索に耽っていると急に体の重さが戻って来る。どうやら目的地に着いたらしく、暫くして彼女は窮屈なポッドから解放されると辺りを見回した。
連れて来られた部屋は五メイル四方程でそう広くはない。その部屋の中央寄りに簡易寝台のような物が等間隔に三つ並んでいる。その傍らに宇宙服を着込んだルイズと平賀父子と思われる二人が立っている。
「さあ、どうすれば良いのかしら?」
「そこのベッドに適当に横になって目を閉じて下さい。すぐに終わりますよ」
エレオノールの問いに応えたのはヴィザーだった。
「ありがとう。確かヴィザーだったわね。貴方、ずっと姿を現さないけど何者なの?」
「姉さま、それは後で分かりますよ。あー、姉さまが羨ましい。あたしなんか二年もこっちに居るのにニューロ・カプラ使ったこと無いのに、いいなー」
半分やっかみを込めて答えたのはルイズだった。そんな妹にエレオノールは「全く、人の気も知らないで」と呟くとベッドに腰を掛け、そして横たわる。
「あら?」
仰向けになったエレオノールは思わず声を上げた。ベッドの表面が変化して体が楽になる様に支えられ、その今まで経験した事の無い寝心地に驚く。
「では姉さま、終わるまであたし達は別室に居ますから」
無意識に目を閉じたエレオノールに、妹の声はどこか遠くから響いているように感じられる。その後は彼女は暫く
「今、あなたの心を世界の網に繋げる準備をしています。少し気持ち悪くなるかも知れませんが、怖がらないで。次は少し暖かくなったり、目の前がちかちかしたりしますが何も心配する事はありませんよ」
世界の網? 何の事かしらと考えているうちに、ヴィザーの言う通りの事が彼女の身に起こった。ぬるりと身体を包む物が無くなったと思ったら、まるで暖炉の前に居るかの様に全身が温かくなり、瞼は閉じたままなのに火花が散る様に白い光が網膜を射す様に明滅する。
「もうすぐ準備が終わります」
そうヴィザーが告げると、エレオノールは急に身体が軽くなるのを感じた。恐る恐る目を開けると、自分はあの不思議な感覚を味わう前と変わらず寝台の上に仰向けに寝たままだった。彼女は上半身を起こすと、両手を見つめながら手を開いたり閉じたりする。どうやら体に異常が無いらしいと確認すると、今度は辺りを見回す。ルイズ達は別室に移動したのか姿は無く、自分一人だけが部屋に居る。
「終わったのかしら?」
「ええ、準備は終わりました。今、言葉について取り込んでいます」
一人誰に問うでもなく呟いたエレオノールにヴィザーの声が答えた。
「どういう事?」
「説明するのに言葉が足りません。もう少し待って頂けますか? それまで寛いでいてください」
何の事か理解できず問い返すエレオノールに、ヴィザーがそう答えると部屋の様子ががらりと変わった。それまで三つの寝台以外何も無かった狭い部屋が、いきなりその十倍はあろうかという豪華な応接の間に変化したのだ。床には精緻な図案のペルシャ絨毯が敷き詰められ、家具調度類はロココ調のアンティークで統一されている。壁にはモネの『睡蓮』の連作が掛けられ、高い天井からはシャンデリアが下がる。
そしてエレオノールは大きな一枚ガラスで出来た窓の外を見て、驚きに息を飲む。そこには彼女が見た事も無い雄大な景色、ゴルナグラート展望台から望むマッターホルンの姿が広がっていたからだ。
「ヴィザー、これは一体どういう事なの?」
まさか魔法? でもこんなに精緻で大規模な練金なんて見た事も聞いた事も無いと、理解を超える出来事にエレオノールは目が眩みそうになる。そんなエレオノールの目の前に給仕用ワゴンが突然現れた。
「取り敢えずはこれでも飲んで落ち着いて下さい。地球産のワインですが味は保証しますよ。実際に酔いはしませんけど」
ヴィザーの促されてワゴンの上のを見ると、明るいルビー色をした液体が注がれているグラスが置かれている。エレオノールはそれを恐る恐る手に取ると鼻に近づけて香りを確かめ、少しだけ口に含んだ。さわやかでフルーティーな口当たりと花の様な香りが鼻腔をくすぐりながら抜けて行く。
「なにこれ……。まるで果実酒みたいなワインね。でも飲みやすくて美味しいわ」
エレオノールが出されたワインを気に入り、一口、二口と味わいながら飲んでいるとヴィザーが作業の完了を告げた。
「全ての作業が終わりました。妹さんの病気について説明する前に、まずは今の状態についての種明かしをしましょう。睡蓮の絵で真ん中にある物を見て頂けますか?」
そう言われてエレオノールはワイングラスをワゴンの上に置き、壁に掛かった一連の『睡蓮』の中央にある物を注視すると、絵が消えてそこには宇宙服を着込んだルイズ達が映しだされた。おや? とエレオノールは思った。映しだされた部屋には見覚えがある。確か自分が寝台で横になった部屋にそっくりだ。もし視覚化するならエレオノールの頭上には盛大にクエスチョンマークが出現している事だろう。そんな姉に手を振っていたルイズがにやにやしながら話しかける。
「姉さま、どうですか?」
「どうですかって……。何が何だか訳が分からないわ。いきなり部屋の様子が変わるし、ワインは現れるし、それに……」
そこまで言ってエレオノールはルイズ達の後ろあるものを見て絶句する。そこにあるのは眠っているかの様に目を閉じて寝台に寝ている彼女自身の姿。
「え? その部屋に居るのは私? でも私はここに居るわよね? 何が起こっているの?」
混乱しながら確かめる様に両腕で自分の体を抱き締めるエレオノールに「何も起きてはいないよ」とヴィザーが声をかける。それと同時に彼女の目の前に現れたのは全体が光っている見覚えのある天井。どうやら自分は先ほど横になった寝台の上にいるのだと気付き、混乱しながらも上体を起こして傍らを見ると、そこには変わらず宇宙服を着て笑みを浮かべ自分を見つめるルイズ達が立っていた。なにがどうなっているのか訳が分からず目を白黒させているエレオノールにヴィザーが「ほうらね。何も起きていないでしょう?」と言う。
「ちょっと驚かせ過ぎたみたいだな。ルイズ、これをお姉さんに着けてやってくれ」
平賀教授がルイズにイヤーセットを渡すと、ルイズは「姉さま、ちょっと失礼」と言って呆然としているエレオノールの片方の耳にそれを装着する。
「さて、お嬢さん。これで十分な意思疎通が出来る様になったはず。先程よりは言葉が
目の前で平賀教授が未知の言葉で話すと、同じ声で流暢な公用語がイヤーセットから聞こえて来た事にエレオノールは戸惑いながらも頷き、そして平賀教授に対して疑問を口にした。
「先程のあれは、一体何事ですか?」
「簡単に言ってしまうと“強制的に夢を見させてる”ってとこかな。そうしないとヴィザーがお嬢さんから言語記憶を引き出せなかったのでね。“ニューロ・カップリング”の仕組みについての詳しい事は追々教えてあげる事として、まずは妹さんの病気の件が先。そうだろ?」
それを聞いてエレオノールは「はい」と肯定しながらも「ただ今日は少し休ませて頂けますか? 色々とありすぎて……」と憔悴した表情で訴えた。
* * *
ニューロ・カップリングをエレオノールが体験した当日は、彼女が精神的に疲れてしまた事と、時間の関係で地球に居る宝条の都合がつかなかった為に、カトレアの病気と治療についての説明は翌日に行われた。
その説明にもエレオノールは驚きを隠せなかった。スクリーンにはカトレアの心臓が立体的に表示され、問題のある箇所が見て分かる様になっている。人体の内部を切開せずに見るなんて水メイジでも難しいのに、それを複数の人間が目で見えるようにするなんて信じられないと思った。何か騙されているのではと疑ってはみたものの、宝条の説明は一々納得せざるを得ないものだった。
「それで、カトレアのこの病を治すには心臓に手を加えて、血管の繋がりを正常な位置にしたり、穴を塞いだりしないければ治らないのですね。でも、どうやったらそんな事が出来るのですか?」
エレオノールが質問すると宝条は「それじゃあ」と言って人体の模式図をスクリーンに出した。
「この図を使って手順を分かり易く説明して行こう。まず、カトレア嬢には“全身麻酔”を施す事になる。ああ、何と言うかな。薬品を使って切られても痛みを感じない程の深い眠りに入ってもらうと考えて良いだろう。勿論、専門医がコントロールするので覚めなくなる様な事は無い」
切る、と言う言葉にカトレアとエレオノールは不安を顕わにしたが、それに構わず宝条は続ける。
「まずこの様に胸部を切開して心臓を露出させる」
模式図で胸の中央が開かれていき略図で表された心臓が現れるとエレオノールは青ざめた。生きたまま身体を切り開いて心臓を切り張りするなんて、そんな事をしてカトレアは無事なんだろうか? そう思ってカトレアを見ると彼女は驚きながらも真剣に宝条の話を聞いている。更にスクリーンの向こうに居るルイズを見ると彼女には全く動じた様子が見られない。
「心臓を露出させたら“大静脈”と“上行大動脈”、これは血の流れの要になる太い血管の事だ。そこにに“人工心肺装置”を接続する。手術は心臓を止めて行うから、手術中はこの装置に心臓と肺の代わりをさせる訳だ。今のタイプは長時間使用しても生体にダメージを与えないから後遺症の心配は全く無い」
それを聞いたエレオノールは思わず立ち上がった。
「心臓を止めるですって? それではカトレアが死んじゃうじゃない!」
感情を剥き出しに宝条に激しく抗議するエレオノール。見るとカトレアも胸元で手を組み不安げな表情を浮かべている。そんな姉妹を見て頭を掻きながら宝条は宥める様に語りかける。
「なるほど。君達の所では心臓が止まるイコール死と言う生死感なのだね。こりゃ寄り道してその辺りを説明しないと納得できないか……」
やれやれと言った表情で、宝条は心臓は血液を全身に送るポンプである事、そのポンプの代わりの機械を手術中に動かしているので全身の血流は確保される事、手術が終わればまた心臓を動かす事が出来る事、手術の失敗例が千分の一未満である事等を説明した。
「例えその時に手術が失敗しても、一時的に人工心臓に置き換えておいて後で再手術も可能だから、実質の失敗はゼロと言って良い。地球に於いての“人の肉体的な死”はね、国や民族の宗教観で多少は違って来るけど、概ね脳の機能が完全に失われた状態を指す様になっているんだ。逆に脳さえ死んでいなければ、他の臓器は一時的に機械で代替えさせておいて、後で本人の細胞から作った再生臓器を移植する事で賄う事が出来る。かく言う僕もそんな再生臓器の移植手術を受けた身でね。生まれ付き重い心臓病だった僕は五歳まで体外に補助人工心臓を付けてたんだよ。それで五歳の時に自分の細胞から再生した心臓を移植、まあ悪い心臓と交換したんだけど、その手術で一時的にだけど僕の体には“心臓が無かった”んだよ。それでも僕は生きている」
そう言うと宝条は上着をたくし上げて自身の胸元を見せる。
「殆ど残っていないけど、胸の真ん中にうっすらと手術で切開した痕が有るのが分かるかな? 信じられないなら僕のも含めて手術と治療に関する映像資料を見て貰う事も可能だが、刺激が強いのでお薦めは出来ないね」
宝条の話が途方もなさ過ぎてエレオノールもカトレアも付いて行けなくなっている。特にエレオノールは下っ端とは言えアカデミーの研究員であり知識もそれなりにあると自負していた。しかし、その彼女の知識も常識も通用しない。果たしてカトレアの治療を任せていいのだろうかとエレオノールが考えていると、それまで黙って聞いていたカトレアが口を開いた。
「宝条先生、あの、質問よろしいでしょうか……?」
「ああ、何でも聞いてくれたまえ。出来る限り答えるよ」
真面目な表情で応えた宝条だが、カトレアの様子がおかしい事に気付く。彼女は何やらもじもじしながら頬を赤らめて恥ずかしそうにしているのだ。その様子に全員が気付き、何だろうと首を傾げる。そんな全員を見回して蚊の鳴く様な声でカトレアが何事かを言ったが聞き取れない。
「カトレア、何を言ってるか分からないわよ。普通に話しなさいよ」
エレオノールに言われてカトレアは耳まで赤くして俯いた。
「あの、“手術”の時って、その……ね……を……せる……すか?」
「何よ、うじうじしないで、はっきり言いなさい」
姉にそう言われたカトレアが顔を上げると、恥ずかしそうな困り顔で涙目になっている。
「しゅ、しゅじちゅの時は、む、胸を見せなきゃダメなんでしゅか?」
羞恥に身悶えしつつ噛みながらカトレアがそう言った次の瞬間、緊張に満ちていたその場の雰囲気が盛大に消し飛んだのは言うまでも無い。