虚無を継ぐもの(旧)   作:片玉宗叱

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プレイアデス・オペレーション 7

 カトレアの一言にエレオノールは眼鏡を外して人差し指と親指で目頭を押さえた。

 命の危険よりも何でそっちの事を心配するのよ。そりゃあなたはまだ十六歳だし見られたら嬉し恥ずかしの立派なモノを持ってるわよ。私なんか二十歳にもなったのに未だぺたん子で殿方からは憐憫の眼差しを向けられてばかりだし、いやいやいやいやそうじゃなくて! とエレオノールは思考が暴走するのを抑え込むとカトレアに強い口調で諭す。

「カトレア、心配するのはそっちじゃないでしょう! 生きたまま胸元を切られて開かれるのよ。しかも心臓まで止められてしまうのに、あなた恐ろしくはないの?」

 そうやって怒る彼女の顔は半分泣き顔で、妹の事を心底心配しているのが現れている。しかし当の妹はいつもの、のほほんとした調子で姉に言葉を返す。勘の鋭いカトレアは、妹と平賀父子の様子から宝条が話いている手術と言うものに危険は無いと感じている。

「あら姉さま、わたしは恐ろしくなんかありませんわ。だってほら、ルイズは平気な顔をして聞いてるじゃありませんか。心配なんかしなくても大丈夫よねえ? ルイズ」

 彼女は微笑みながら妹に話を振ると、振られたルイズは「ええっ、なんであたしに?」と、手を上下にわたわたと振りながら慌てふためく。そんな妹の様子が可笑しくてコロコロと笑うカトレア。緊張感の無い妹達を見ながらエレオノールは「確かに落ち着いてたわよね」とルイズを睨み付ける。

「ねえルイズ、あなたは私達の知らない何かを知ってるのかしら?」

 眼鏡を掛け直しながら問う姉に、ルイズは両手を組合わせ人差し指だけ伸ばすと、指先を閉じたり開いたりしながら上目遣いで返事をする。

「姉さま、そんな大したことじゃ無いです。ただ、前にドキュメンタリー番組で見た事があって、こっちだと、その、心臓の手術なんて普通の事だと思ってたし」

 一番下の幼い妹が何の抵抗も無く手術と言う行為を受け入れている事に「普通の事ですって?」と驚く姉。そんなエレオノールとルイズのやり取りを聞いていた宝条は「その手が有ったか」と手を叩く。

「ルイズ嬢の言う通り、年間に何万人も受けている至極普通の手術なんだよ。そうか、ドキュメンタリーなら一般向けで刺激も少ないし説明にはもってこいだったね。いや、盲点だったよ」

 一人納得して頷く宝条を見ながら、“どきゅめんたりぃ”って何かしら、また聞く事が一つ増えたわね、とエレオノールが考えていると、カトレアの「あの、先生。先程のお答えを……」と恥ずかしそうに言う声がした。

「ああ、済まない。やはり年頃の娘さんだもの恥ずかしいだろう。大丈夫、手術の時に切開する部位以外は特殊なシートで覆う事になっている。それでも恥ずかしいなら執刀医を含めスタッフ全員を女性にする事も出来るよ」

 宝条からの答えと約束を聞いてカトレアはやっと安心した様で、ほうっと息を吐いた。

「うん、実際の手術の手順や術後の処置については、医療ドキュメンタリーの映像を用意して後で見られる様にしておこう。心臓手術については下手にここで話すより、そちらを見て貰った方が遥かに良いだろう。さて……」

 宝条が言葉を区切り皆の注意を自分に向けさせる。その表情はどこか厳しい物が有る。

「実は、もう一つの病気の方が治療に関しては厄介なんだ。地球に着いてからの精密検査をしないと確定は出来ないが、自己免疫性疾患である事はほぼ間違いない」

 聞き慣れない言葉にエレオノールもカトレアも首を傾げる。

「分かりやすく説明してみようか。ヒトの体は異物が侵入して来ると、これを攻撃して排除しようとする免疫と言う仕組みを持っている。この仕組みに異常が発生して、本来なら守るべき自分の体、例えば特定の内臓や筋肉を攻撃してしまう事態がカトレア嬢の体の中で起こっている」

 ここまでは良いかなと言う様に宝条はエレオノールとカトレアを交互に見やる。

「体内に侵入した特定の異物を攻撃する武器として抗体と言う物質が体内で作られているのだが、カトレア嬢から二種類ばかり自分の体を攻撃してしまう異常な抗体が見付かった。今まで頻繁に手足が痛んだり腫れたり、お腹が痛くなったりしなかったかね?」

 そう問われたカトレアは肯定を表して深く頷き、エレオノールも痛みを訴えては水メイジの治療を受ける妹の姿を思い出した。

「ちょっと難しい話になるが、こいつの治療方法は遺伝子治療、ああ『遺伝子』については後でヴィザーに詳しい事を聞いて貰うとして今は話を進めよう。で、この遺伝子をベクターと呼ぶ特殊なウイルス、ええと非常に小さな遺伝子を運ぶ入れ物だね、そいつを使って自身への攻撃因子が発現しないように修正するのと同時に、特殊な酵素……んと、薬で免疫を形作る仕組みを初期化する。そうしないと既に獲得している自分を攻撃する抗体作りを止めさせる事が出来ないんだ。それと同時に今までに獲得した様々な病気に対する耐性を失うから、それまで何でも無かった病気、例えば普通なら軽い風邪程度で済むものでも罹ったら命に関わる程に重症化する事も有り得る。その為に治療中は病気に感染しない様に無菌室で過ごす必要がある。免疫系の再構築速度は個人差があるから一ヶ月から二ヶ月は部屋に閉じ籠もりっきりになると考えておいて欲しい。ただ、ルイズ嬢とエレオノール嬢の二人から、免疫情報の移植が可能ならば期間は少し短く出来るね」

 宝条がそこまで言った時に、今まで黙っていた平賀が口を挟んだ。

「治療の順番はどうなるんだ? 素人考えだが免疫系に異常がある状態で手術はやばいんじゃないか?」

「それについては患者のDNAを含めて精密検査が必要だし、カトレア嬢が地球に来てから医療チームと相談だね」

 そう言うと宝条はカトレアに向き直り「それよりも重要なのは、治療を受けるかどうか、カトレア君の意思だ。正直に言うとリスクは全く無いと言い切れない。この二つの病気に関しては、ここ半世紀の治療実績についてほぼ百パーセントの完治を示している。だが、人間のやる事に『絶対』は無いからね」と告げた。

 カトレアはにこやかに「それでも先生達はそこを目指そうとなさるんでしょ?」と事も無げ返すとエレオノールに「姉さま、わたしは此方(こちら)の方々が持つ医術を信じたいと思います」と告げる。

 そんな妹を見つめながら何かを言おうとしたがエレオノールは言葉を見付からなかった。

 

 

 宝条からの説明があった翌日に観せられた心臓手術や遺伝子治療、免疫等ついてのドキュメンタリーや教育用映像に、エレオノールとカトレアは驚きを隠せなかった。手術については目で見てのインパクトが大きかったが、遺伝子治療や免疫について説明される中で語られた生命の進化や、細胞の微細な構造、目に見えないほど小さな微生物の事などは、学者肌であるエレオノールの知的好奇心をいたく刺激した。そしてこれ等の知識を得た手段に魔法が全く使われていない事、そもそもこちらの世界には彼女達の言う魔法が存在しないと、はっきり知らされ彼女達は、やはりそうなのかと納得した。

 ハルケギニアの、特にエレオノール達の祖国であるトリステインの貴族は「まず魔法在りき」の風潮が強い。但し(いくさ)以外での魔法の実践的な使用や研究は、表向きには下賎なものであるとされ、為に魔法技術については大国であるガリアや新興国(とは言っても千年以上の歴史があるのだが)のゲルマニアに大きく後れを取っている。

 教条的な研究に終始しているアカデミーに(いささ)かうんざりしていたエレオノールは、魔法を使わずにそれでいてハルケギニアでは考えられない様な事を成し遂げているハルケギニアとは異なる『こちらの世界』についてもっと知りたいと思い始めていた。

 

* * *

 

 エレオノール達がドキュメンタリー映像を見せられてから三日後、宝条が手配していた宇宙船がヴァーユ号に到着した。エレオノールとカトレアは勿論の事、平賀家の面々とオブザーバーとして来ていた南武とテューリアンのエイドレフが地球への帰路に就く。クラークを筆頭としたプレイアデス・オペレーション第二グループの研究者達と技術者達は引き続きヤヌスでの被害調査を行うが、友永と数名は地球に戻り筑波の実験施設を使って三姉妹の両親へ彼女達が無事である事を伝える試みを行う事になった。

 地球帰還組を乗せる宇宙船は太陽系内の連絡用に使われる小型船(とは言え全長は二百メートル強もある)でヴァーユ号のドッキング・ポートに接舷できるタイプだ。わざわざこのタイプを選んだのは、シャトルでの乗り継ぎを無くす事で病気を患っているカトレアに掛かる負担を軽くする為だ。

 滑らかな流線型をした機体がゆっくりと、だが確実にヴァーユ号のドッキング・ポートへと近付いて来る。その様子をエレオノールとカトレアはルイズと一緒に展望室で見学していた。三人とも宇宙服や防護服は着用しておらずUNSA標準船内着である青を基調としたポロシャツの様なデザインの半袖シャツと、ゆったりしたズボンを着せられている。彼女達は大事を取って隔離されていたが、検査の結果からルイズと同じく細菌やウイルスに対する耐性を獲得している事が明らかになった事で窮屈な生活から解放されたのだ。但しこれは滅菌室と同じ宇宙船内の環境だから許可されたのであり、彼女達は地球に到着すると直ぐに隔離されたまま国立生物医科学・生物工学研究所へと移送され精密検査とワクチン等の接種を受ける事が決められていた。カトレアは治療の為にそのまま留め置かれる事になるが、エレオノールはルイズと一緒に平賀家の世話になる事が決まっている。

「凄いわね。空海軍の戦列艦を見た事あるけど倍以上あるじゃない。これが光の速さで飛んで来たなんて信じられないわ」

 事前に大きさを知ってはいたが宇宙船のコックピットに乗員の姿が見えた事でその大きさを実感したエレオノールは感嘆の声を上げる。何もない宇宙空間が背景だと比較物が無い為に見た目での大きさが分かり難いのだ。

「今わたし達が居るヴァーユ号はこれよりもっと大きい船なんですよね……」

 姉の言葉にカトレアが応えた。彼女の声は低酸素発作を予防する為に着けられた酸素カニューレ(両鼻腔に短いチューブを挿入して耳に掛けて固定した状態で酸素を送る医療器具)のお陰で若干鼻声になっている。最初カトレアは見た目が恥ずかしいと酸素カニューレの装着を嫌がっていたが、医師から本来なら薬剤を使って発作を予防するのだが精密検査を行うまでは下手に使う訳にもいかないからと丁寧に説明され、彼女は渋々と装着に同意したのだ。

「ルイズ、ごめんなさいね。ミスタ・ヒラガから聞いたわ」

 唐突にエレオノールは一番下の妹に対する謝罪を口にした。彼女は平賀教授からヤヌスの役割と彼等が言う『プレイアデス・オペレーション』の目的を聞かされていた。こちら世界の人々の努力により、あと少しでルイズはハルケギニアに、自分達の所に帰れたはずが、それを自分の不注意により台無しにしたのだ。自分があの時に無用な好奇心を抑えていれば……。そんな姉の心情を知ってか知らずか、ルイズは謝罪する姉を驚きの目で見るとすぐに微笑みを返した。

「姉さま、あたしは……気にしてませんよ?」

 何よその間と疑問形は! と言うエレオノールのツッコミを華麗に受け流し、ルイズはカトレアの方を見て弾んだ声で言葉を続ける。

「姉さまのドジのお陰で、ちいねえさまの病気が治せる事になったんですもの。あたしは嬉しいですわ」

 何気なく酷い事をルイズに言われて落ち込むエレオノール。そんな姉の珍しい姿を見ながらカトレアが苦笑混じりに言う。

「ルイズ、宝条先生がおっしゃってた様に、まだ治ると決まったわけじゃないわよ」

 それを聞いたルイズは、とんでもないと言わんばかりに首をぶんぶんと横に振りながら訴える。

「そんな事無いです! ちいねえさまは宝条先生達が必ず治してくれます! みんな、あたしを帰してくれる事を諦めないでくれました。だから、ちいねえさまの事も必ず治してくれます!」

「そうね。迷い込んだあなたを帰す為だけに、これだけの事をする人達ですものね。わたしも信じるわ」

 妹たちのそんな会話を聞きながらエレオノールはヴィザーの解説付きで見せられた『こちらの世界』の事について思い出していた。彼女にとっての世界とはハルケギニアの大地とそれを取り巻く海、太陽や双月が廻る空が全てだった。そんな彼女はヤヌスとヴァーユ号について自分の知識の範囲内で知り得る建物と桟橋に係留されて浮いている大型のフネを想像していたのだが、漆黒の虚空に浮かぶヤヌスとヴァーユ号の映像を見せられた時、彼女は自分の想像の範囲外の光景に絶句した。

 真っ暗なのは夜だからなのだろうか? 月はどこなのだろうか? 背後に瞬きもせずに輝いているのは星で間違い無いのだろうか? それよりもヤヌスは『建造物』ではなかったのか? 何故、浮いているのだろうか? 地面はどこにあるのか?

 様々な疑問で思考が埋められて行く。そんなエレオノール達にヴィザーは丁寧な解説で理解を促した。とはいえ全てが理解出来た訳では無い。取り敢えずここから地球までは、彼女の知る単位で約七百七十億リーグという事と途方もない距離にある事と、宇宙空間と呼ばれるこの場所には上も下も無いと言う事くらいだった。

 そして見せられた地球。白と青のマーブル模様の円盤に見えたそれは直径一万二千リーグの球形をした世界だった。白く見えるのは雲、青く見えるのは海。所々に緑や茶色の陸地が見える。「貴女達の住むハルケギニアも宇宙から見たら、きっとこう見えるでしょう」と言うヴィザーの言葉が印象に残っている。魔法が無くても人間はとてつもない事が出来る力を持っている。エレオノールはそんな事をぼんやり考えながらドッキング作業を眺めていると、ルイズが心配そうに声をかけてきた。

「姉さま?」

「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてたわ」

「どんなことですか?」

「こっちに来てから驚かされる事ばかり。なんかアカデミーでの魔法研究が馬鹿らしくなっちゃって」

 エレオノールは砕けた口調でそう言うと口元に笑みを浮かべながら肩を竦める。いつもと違う長姉の仕草と口調に信じられない物を見たと言った様子でカトレアとルイズは目を丸くする。

「姉さま、熱でもあるんですか?」

 そう言いながらルイズは背伸びをして姉の額に手を当てた。

「こら! ちびルイズ! さっきは黙っていたけど、あなたさり気なく失礼な事を言う様になったわね? どの口が言・っ・て・い・る・の・か・し・ら?」

 久しぶりにエレオノールの対ルイズ必殺技が発動、油断していたルイズはエレオノールに頬を抓り上げられる。

「あだあ! やべで(やめて)! ねべざば(ねえさま)! ほっへほびぶ(ほっぺのびる)! ほっへばいだいでふ(ほっぺがいたいです)!」

 勿論カトレアはその様子を微笑みながら「あらあらまあまあ」と生暖かい眼差しで見つめるだけだ。ひとしきり姉妹のスキンシップ(?)が繰り広げられた後、涙目になったルイズを解放したエレオノールは真面目な顔になり話し始める。

「まだこっちに来て日が浅いけど色々と考えさせられたのよ。私達からしてみれば魔法が存在しないこちらは平民だけの世界でしょ? そんな世界の方が六千年も魔法を至上としてきたハルケギニアより遙か先を行っているなんてね。魔法に頼らないでも人間が為し得る可能性って言うのかしら、少しだけそれが見えた気がするの。もっとこの世界の事を色々と知りたいけど、私達が帰る時まで、どれだけ知る事が出来るのかしらってね」

「ヤヌスの機能回復には現状で二ヶ月以上後かかると報告を受けているよ。カトレア嬢の治療の件もあるから三ヶ月以上は確実だね」

 誰に言うでも無しに言ったエレオノールの問いに対し、不意にイヤーセットを通して声が聞こえた。翻訳音声が流れる少し前に同じ声色の話し声が後ろから聞こえていた事からエレオノールは振り返る。そこには地球人の平賀とテューリアンのエィドレフが立っていた。既にエレオノールにエィドレフを含めたテューリアン達の事は紹介済みだ。最初はトロール鬼程では無いがその巨躯に驚き、彼等テューリアンが二千五百万年以上の歴史を有し、技術的にも彼等から地球人が学んでいる事を聞かされるに及んで、今では畏敬の念さえ抱いている。

「ミスタ・ヒラガ、ミスタ・エィドレフ、わざわざこちらに?」

 エレオノールは目上に対する礼儀をもって平賀とエィドレフに接している。もし彼等の接触がハルケギニアで行われていたなら、エレオノールの地球人とテューリアンに対する認識や態度は「平民と亜人」と言うような物になっていたかも知れない。

「君達がこちらでドッキングを見学していると管制室に向かう途中で聞いたから、ちょっと寄ってみたんだが、何やらお悩みの様じゃないか。良ければ相談に乗るが」

 平賀の申し出にエレオノールは一も二も無く即断でお願いする事にした。

 

* * *

 

 ストレス・フィールドによって覆われ通常空間から分離した状態で光速に近い速度で航行する宇宙船には外部の通常空間との相対論的複合時差を生じる。ヴァーユ号を発って地球軌道上に到着した小型船は、地球時間で三日間を宇宙空間の航行に費やしていたが船内では僅か三時間しか経過していない。エレオノールは事前に説明を受けていたが実際に体験しても航行中の宇宙船からの景色をその目で見ていないので、本当に七百七十億リーグも移動したのかと疑いを持つ。彼女達を乗せた小型船には窓が無く、例え窓が有ったとしてもストレス・フィールドを展開して通常空間から切り離された状態なのだから、窓が有ったとしても視認しようが無い。

 ヤヌスからの引き上げ組と新たな来訪者二人を乗せた小型船は、地球軌道上にある重力制御衛星による制御降下を使い宇宙港の指定された駐機場へと無事に着陸した。駐機スペースにある昇降機が迫り上がってエアロックに接続されると、平賀はエレオノールとカトレアに「出発前に言った通りエレオノール嬢とカトレア嬢は俺と一緒に迎えのVTOLで宝条の所へ直接向かってもらう」と告げる。昇降機の窓からは、彼等が乗ってきた小型船の傍らに一機のVTOL機が待機しているのが見えた。

 エレオノールとカトレアは防護用のフェイス・マスクを着用させられ、更にカトレアには体の負担を考えて車椅子が用意されていた。カトレアは大丈夫だと言って固辞したのだが、エレオノールに窘められて結局は車椅子に座る事になる。そのカトレアの車椅子を押しながら昇降機に乗り込む平賀に付いていきながらエレオノールは話しかける。

「ミスタ・ヒラガ、あの件ですがミスタ・ホウジョウには?」

「大丈夫、話は通してあるよ。但し最初に話した通り、あまり期待はしないでくれよ? 適性が無いと無理な事なんでね」

「ええ、その時は潔く諦めますわ。それじゃあルイズ、また後でね」

 平賀との短いやり取りの後、エレオノールは船内を振り返りながら小さな妹に声を掛けた。

「はい、姉さま、ちいねえさま。後で研究所に会いに行きますから」

「ルイズ、来る時にはおみやげ忘れないでね。あなたが言ってたケーキでも良いわよ」 

 笑顔で言うとカトレアに、複雑な表情を見せながらルイズは平賀教授を見やる。カトレアが心臓病と自己免疫性疾患の治療で暫くは外に出られない事をルイズは知っている。それを思ってどうした物かと考えた表情と行動だったのだが、そんな妹を見てカトレアは柔らかく笑う。

「ふふ。ルイズ、冗談よ、冗談。わたしだって分かっているわ。でもね、治ったらその時は必ず食べに連れて行ってね。約束よ」

「はい、ちいねえさま。必ず元気になれますから、だから……」

「ルイズ、あなたが言ったのよ。ミスタ・ホウジョウ達なら必ず治せるって。だから信じるわ」

 言葉に詰まり目にうっすらと涙を浮かべた妹に、カトレアは優しく話した後で、平賀に「あまりお待たせするのも失礼ですよね」と声を掛けると、平賀は「ああ、そうだな。それじゃ二人を送ってくる」と彼の妻と才人に言う。

「ルイズ、私は一週間くらいで出られるらしいから、あなたのお気に入りのケーキ、まずは私が味見させてもらうわよ」

「姉さま、ずるいですわ。ルイズ、姉さまと一緒に時々会いに来てね」

「はい。姉さま、ちいねえさま」

 笑顔で返事をするルイズ。それを確認したエレオノールは「では、参りましょうか」と促した。平賀の合図で昇降機のハッチが閉まると三人は地上へと運ばれ、エレオノールとカトレアは文字通り『異世界の大地』に初めて足を降ろした事を実感しながら駐機しているVTOL機へと歩みを進めた。

 

 

「これが空を飛ぶんですか?」

 しげしげとVTOL機を見たエレオノールが平賀に聞く。ずんぐりとした胴体、高翼式で長スパン直線翼の主翼。その翼端には樽の様にも見える水素ターボファンエンジンが付いており、現在それの角度は地面に対して垂直になっている。胴体後方にある水平尾翼の翼端それぞれに垂直尾翼が取り付けられており真後ろから見るとH字に見えた。端的に言えばV-22オスプレイを一回り小さくして、両翼端にある回転翼付きターボシャフトエンジンを高バイパス比を持つターボファンジェットエンジンに換装した様な機体を想像して頂ければしっくり来るだろう。空を飛ぶモノと言えば鳥やフネ、竜くらいしか知らないエレオノール達の目にその機体は奇異な物として映っていた。

「ああ、近距離の連絡用によく使われる機体だよ。取り敢えず乗った乗った。百聞は一見にしかずだ」

 平賀は笑いながらエレオノールを促すと、カトレアを乗せた車椅子を操りVTOL機の後部ゲートのスロープから搭乗する。彼は機体中央付近で窓際の座席にカトレアを座らせるとシートベルトを締めさせ、エレオノールにも着席してシートベルトをする様に指示すると自らも座席に座る。程なくしてコクピットからはエンジン始動を知らせるアナウンスが入ると微かに甲高い音が聞こえて来る。

「ではお嬢様方、これより短い時間ではありますが遊覧飛行も兼ねた空の旅をお楽しみ下さい」

 平賀の芝居がかった口上と共にVTOL機は上昇し始め、見る見るうちに高度を上げる。一定の高度の達するとエンジンの角度が徐々に水平に近づき、上昇しながら速度が上がって行くが、機内は驚くほど静かで揺れも殆ど無い。

「こ、この機械は、どれ位の速さで飛べるのですか?」

 味わった事のない加速に戸惑いながらも窓の外を見たままエレオノールは平賀に質問した。

「時速八百キロメートル以上だったかな。機長、教えてくれないか?」

「高度八千メートルで最大巡航速度が時速八百二十キロメートルですね。今回は目的地が近いのと低高度で遊覧飛行もするのでそこまで出しませんが」

 彼等の使っているメートル及びキロメートルは、エレオノール達にはそれぞれメイルとリーグに翻訳されて伝えられている。

「時速八百二十リーグですか? しかもそんなに高い所を飛べる乗り物だなんて」

 エレオノールは風竜ですら届かない速度と高度に驚きつつ感心し、カトレアはカトレアで始めて乗ったにも拘わらず「姉さま、この乗り物は竜籠よりもずっと乗り心地が良いですわ。帰る時に一つ頂けないかしら」と曰っている。

 そんなこんなを話している内にもVTOLは旋回しながら高度と速度を上げて行き、宇宙港に駐機している小型宇宙船やシャトルが見る見る小さくなって行く。そうして宇宙港全体が見渡せる高度になると窓の外を見ていたエレオノールは息を呑んで目を見張った。

 彼女は山並みが見えない事から宇宙港があるのは平原の真ん中ではと思っていた。だがその推測は外れた。上空から見て海原が広がっている事から海上にある事が分かる。遠くに見えるのは陸地なのだろう。だが窓の外に見えるモノは果たして何なのだろうか? そう思ってしまう程それは余りにも平坦で整然としていて幾何学的だった。

「ミスタ・ヒラガ、私達が降りた宇宙港と言うのは……」

「ああ、説明してなかったか。人工の浮島だよ。よく見ると正六角形が集まっているのが見えるだろ? あの正六角形一つ一つが一辺三百メートルの浮島で、それが千個程繋げられて約十キロメートル四方の宇宙港を構築しているんだよ」

 宇宙港は房総半島館山湾西方沖四十キロメートルに所謂メガフロートとして建造されていた。構成要素一個一個の浮体そのものは海中にあり上部構造は海面から二十メートルになるように、また繋げられている各々が全体で水平を保つように制御されている。

 平賀の説明を聞きながらエレオノールはヤヌスやヴァーユ号の説明を受けた時よりも大きな衝撃を受けていた。宇宙空間と違って比較出来る物があり実感できるからに他ならない。これが人の力で作られたモノだと彼女は(にわか)には信じられなかった。

「凄いですね……」

 そう言ったきりエレオノールは言葉を失う。カトレアも只驚き黙ったままだ。

「例の適性が有れば直ぐにでも理解できる様になるさ。もし駄目でも帰る時に一生をかけても読み切れない程の文献や資料を渡すから期待しといてくれ」

 平賀の言葉に何台もの荷馬車に堆く本が積まれている様子を想像して顔を青ざめさせたエレオノールと、何やら嬉しそうな笑みを浮かべるカトレア達を乗せたVTOL機は予定高度に達すると水平飛行に移り、国立生物医科学・生物工学研究所が在る東京へと機首を向けた。

 


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