虚無を継ぐもの(旧)   作:片玉宗叱

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オムニプレックス・ウーマン 1

 エレオノールとカトレアを乗せたVTOLは東京湾上空を北上した後に進路を西に変え、反時計回りで都心部上空を遊覧飛行しながら医科工研へと無事到着した。高さ数百メートルの摩天楼が林立する有様は、エレオノールが「事前に映像で見せられて説明を受けていたにも拘わらず、自分の目に映る光景が人の手に因る物だとは俄には信じられなかった」と後に述懐した様に、彼女達にとって驚きに満ちた光景だった事は間違い無い。

 そんな驚異の余韻に浸る間も無く二人は医科工研に入所するとすぐに処置室に通され、防護服を纏った女性看護師達の手によってあれよあれよと言う間に全身洗浄処置をされて寝間着に着替えをさせられた後、ルイズと才人が以前に収容されていた海が見える無菌病室へと連れて来られたのだった。

 ちなみに、この金貧長女(えれおのーる)桃巨次女(かとれあ)の姉妹が剥かれた後に隅から隅まで泡まみれで洗われて着替えに至るまでの『きゃっきゃうふふ』な描写については読者各人の妄想力にお任せした方が良かろうとの判断から、敢えて描写しない事にさせて頂いた。それにこのご時世で、物語のこの時点に於いて二十歳である金貧長女(えれおのーる)の方は良いとして、未だ一八歳未満である桃巨次女(かとれあ)について描写するのもまあ憚れると言う事で。いや、そのですね、そう言う事にしといて下さい。ええと、あの、実はですね。本当は途中まで書いたんですよ。でも書いてるうちに何と言いますか。読み直したら恥ずかしさで首筋とか背中とかがむず痒くなって、気が付いたら何時の間にかごっそり消しておりまして。あー。えー。その。一応謝っておきます。ごめんなさい。

 

閑話休題(それはさておき)

 

 無菌病室に連れて来られたエレオノールは室内を一瞥すると「予想はしていたけど“うちゅうせん”の時と同じで、本当に何も無い部屋ね」と言うなり、ほうっと溜息を吐く。

 エレオノールはワクチン等の接種をした後に一週間程で病室の外に出られる。だが妹のカトレアは自己免疫性疾患と心臓疾患の治療の為に長ければ二ヶ月以上をこの部屋で一人過ごす事になる、その事を思っての嘆息だった。

 そんな姉の気持ちを知ってか知らずか窓辺に近付いたカトレアは感嘆の声を上げた。

「まあまあまあまあ。姉さま見てくださいな。なんて素敵な眺めなんでしょう! これなら退屈しないで済みますわね」

「ほんと、あなたの脳天気っぷりには敵わないわね」

 窓辺ではしゃぐカトレアに、エレオノールは内心では“本当は誰よりも不安で押し潰されそうなのに無理してるんじゃないのかしら”と思いながらも努めて明るく言葉を続ける。

「景色ばかりじゃないわ。ルイズから聞いたけどヤヌスで経験したみたいに映像や音楽、それに読み物を何時でも好きなだけ楽しめる上に、“こんぴゅうたあ”を使った大勢の人で参加出来る遊びもあるらしいから退屈する暇も無いと思うわよ」

 姉の言葉に振り返りながら「そうですわね。それに病気が治ったらルイズが言っていた“てーまぱーく”とか言う場所にも行けるでしょうし、楽しみですわ」

 カトレアはその時が待ち遠しいと笑うが、反対にエレオノールはルイズがお気に入りのアトラクションだと言う事で見せられたジェットコースターの、それも先頭車両からの乗車視点の映像を思い出して身震いをした。

 なんであんな恐ろしい事を末の妹(ルイズ)は『楽しい』と感じるのだろうか? 映像を見せられただけで胃の辺りが締め付けられる様に感じる自分に、幾ら安全が保障されていると言っても、あんな物に乗る事なんてとても耐えられないし御免被る(ごめんこうむる)わと思いつつ、年長者の見栄でそれを隠して彼女は相槌を打ちながら応える。

「そうね。あなたとルイズ達で楽しんでらっしゃいな。私はきっと色々と忙しいと思うから遠慮しておくわ」

「まあ、わたしの快気祝いに姉さまはご一緒してくださらないの?」

 姉が内心怖がっているのを分かっていながら、カトレアはいかにも悲しそうな表情をしながら聞き返す。そんな妹の企みに気が付いていないエレオノールは慌てた様に言い訳を始める。

「ち、違うわよ。お祝いするなら、ほ、ほら、やっぱり静かな場所で、お、おお落ち着いてした方が良いでしょう? それに、あなたの快気祝いなんだもの。家に帰ってから、そうよ。ヴァリエール領に帰ってからお父様とお母様からもお祝いして頂いた方が良いと思うのよ。うん、そうしましょう。そうすべきだわ」

「うふふ、姉さま目が泳いでますわよ。ルイズが好きそうな物は刺激の強い出し物ばかりみたいですから、無理もありませんわね」

 人の悪いを笑みを浮かべたカトレアを見て“ああ、この子ったらこんな顔も出来るのね”とエレオノールは少し感心しながら、ならばと芝居掛かった口調で応えた。

「カトレアっ! 私を謀った(たばかった)わね? はぁ、あなたは勘が良いって事を失念していたわ……」

 がっくりと(わざ)とらしく項垂(うなだ)れるエレオノールに、カトレアが小さく舌を出して「エレ姉さま、ごめんなさい」と謝る。お互い、目と目が合うと暫くして二人とも同時に声を上げて笑い出した。一頻り笑うとエレオノールは笑い過ぎて目尻に溜まった涙を指先で拭いながら話し始めた。

「あー、おかしい。カトレア、あなたがそんな風に心の底から楽しそうに笑うのを見るのは本当に久しぶりな気がするわ。トリステインから遠く離れた場所に来てしまったのに、こんなに気分になるなんて何か不思議な感じね。やっぱり身内が一緒に居るからかしら」

「姉さま、わたしもそう思います。でも、二年前にたった一人で迷い込んだルイズは本当に心細かった事でしょうね……」

 迷い込んだ当時の妹の心情を思ったカトレアは語尾を濁しながら視線を伏せた。そんな妹にエレオノールは「確かにそうね」と返すが、「それにしても……」と続ける。

「あの子、変わったわね。ヤヌスでは詰め寄られた挙げ句に恨み言と愚痴を聞かされたりしたけど、何と言うか行方不明になる前よりも明るくなっている。いいえ、寧ろ図々しい、図太いと言った方が正しいかしら? 辛い思いをしてたなんて感じられない位に」

 首を傾げる姉を見ながらカトレアは楽しそうに「それはそうよ。今のルイズには彼女だけの騎士様が付いているんですもの」と言うと、それを聞いたエレオノールは「騎士様? 誰よそれ」と怪訝な表情を浮かべる。

「ふふふ。鈍い姉さまでもそのうち直ぐに分かりますわ」

 そう言われて更に首を傾げて悩む素振(そぶ)りのエレオノールをカトレアは微笑みながら見つめるのだった。

 

 

 エレオノールとカトレアが東京の医科工研で病室に落ち着いたその頃、友永を始めとする第二チームの分遣隊は、筑波の高次物理学研究所に到着すると休憩もそこそこに超立方振動干渉装置の基礎実験で使っていた機器のチェックを始めていた。

 彼等の目的は三姉妹の両親に娘達の無事を知らせる事。ヤヌスのシステムが使い物にならない今、ここ筑波に在る装置だけで何とか目的を達成しなければならない。装置そのものは基礎実験で使用していた為に十分に機能はするのだが、マクロサイズの世界間ブリッジを生成するには如何せん出力が足りない。

「……開口部の限界値は五ミリメートルか。元々ここの位相変調機構はそこまで考えて設計されてないからしょうがないか」

 確認をしながら誰に言うでもなく呟いた友永に技術者の一人がと返す。

「解析しやすい様に共振器のQ値を高く設定してあるから自ずと開口部は小さくなりますからね。大きくしようとしてパラメータを変えると最悪、変調器の作り直しですよ」

「あちらに送ってある端末関係はセンチメートル波を使う民生品だからなぁ。波長より小さな開口部じゃあ、ワイヤレスで送るってのは無理かな?」

「不可能では無いですが、電波が拡散し難いのと減衰が大きくなるので端末を端点の直ぐ傍に置いて貰う必要がありますね。それとヤヌスで観測された光子放出による擾乱の影響も考慮するとかなり辛いですよ。その前に『その事をどうやって先方に知らせるか』ですが……」

 受け答えをしていた技術者が言葉を濁す。

「白山羊さんから手紙を送るのに事前に知らせないと黒山羊さんが受け取れない。卵が先か鶏が先かにも等しいですねぇ。伝書鳩でも使えれば良いのに」

 誰かが冗談めかして言うと、それを聞いた友永の手が止まる。彼は瞑目して「伝書鳩か……」と、ぶつぶつ何事か呟き始めると「そうか! そうだよ!」と唐突に声を上げた。

「友永さん、どうしたんです。まさか本気で伝書鳩を使う気ですか?」

 伝書鳩発言をした本人が驚いて尋ねると、友永は真剣な表情で続ける。

「いや、そうじゃないよ。電波を使うだけが通信じゃないって事さ」

 それを聞き、その場に居た者達全員が一瞬だけ怪訝な表情をする。だが暫くすると各々が「なるほど」とか「そうか」と言い始め、どうやら彼等も友永が言わんとしている事に気付き始める。

「開口部が五ミリでも、出力を上げて適正な制御が出来ればブリッジを使った質量移動が可能になる」

「そう、何も手紙をコード化して電波で送信する必要は無い。文字通り『手紙』をそのまま送れば良いんだよ。紙でも何でも良い。シート状の物に文字を書いて、丸めようが短冊にしようが兎にも角にも幅を五ミリ以下に収めてブリッジを通過させるんだ。但し、そんな小さな質量の物を送るにしても筑波のシステムでは決定的に出力が不足している」

 その発言を切っ掛けに、堰を切った様に全員が自分のアイデアを述べ始め場が騒然とし始める。

「その代わりに変調器の位相制御範囲はヤヌスのシステムよりも余裕がありますよ。維持制御に関しては問題無いでしょう」「予備部品を並列に繋げて稼働が出来るようにすれば出力段の増強は在り合わせの機材でなんとかなるかな」「転位完了までに掛かるエネルギーは、エネルギーセンターから優先で回して貰えるように上と掛け合って来ます」等々、既に具体的に動き始めようとする者まで居る始末だ。

「まあ落ち着いて! まずはチェックリストだ。何をすべきか何が有るのか何が足りないのか、その他諸々を明確にして確実に実行して行かないとね。装置の改造を含めて全てを三日で仕上げたいが良いかな?」

 各々が「おう」や「はい」と応える中「友永さん、ここを何処(どこ)だと思っているんですか? かの有名な『筑波の不夜城』ですよ」と一人が言うが「それ、ご近所と一部関係者にしか認知されていない渾名だろう」と誰かが笑いながら混ぜ返す。

「ここが不夜城だからと言って完全徹夜は効率が下がるから原則禁止で。平賀先生からの受け売りだけど『無茶は承知だ無理するな。慌てず急いで正確に』で行こう」

 笑みを浮かべながらも目には強い意志を宿しながら言う友永に、プレイアデス・オペレーション第二チーム分遣隊の全員が強く頷いた。友永は彼等を見渡すと、ふっと息を抜きながら頼もしい仲間達に宣言する。

「よし。それじゃあ白山羊さんから黒山羊さんへ手紙を渡す為に、伝書鳩は仕事始めようじゃないか」

 

* * *

 

 ヴァリエール領の城にあるルイズの部屋、そこは城の主である公爵の命によって彼と公爵夫人以外は出入り禁止とされていた。その使用人達の間で『開かずの間』などと影で言われ始めた娘の部屋で、公爵夫人が細く巻かれた手紙と思われる物を見付けたのはエレオノール達が光り輝く『扉』の向こうに消えてから十日も経ってからの事。その小さな手紙は謝罪と無事を告げる言葉で始まっていた。

『お父様、お母様。私の勝手な行動でご心配をおかけしている事と思います。お詫びの申し上げようもありません。私とカトレア、二人ともこちらで無事に過ごしております。勿論ルイズが元気でいる事もこの目で確かめております』

 見た事もない様な薄さと手触りの紙に、長女が書いた見慣れた文字の文をそこまで読むとヴァリエール公爵は自分の妻を見る。その視線を受けて妻のカリーヌは続きを促す様に頷いた。

『私達が来てしまった此方の世界には驚くべき事に魔法が存在しておりません。私自身、此方では魔法が使えないのです。砂漠(サハラ)の果てロバ・アル・カリイエ(東方)でも何処でもない、ハルケギニアとは全く違う“異なる世界”です。どんなに時間を掛けようとフネや馬車では到達出来ない場所で、トリステイン、いえハルケギニアでは見た事も聞いた事も無い物で溢れ驚愕してばかりいます。此方の方々に“異なる世界”とハルケギニアの関係について説明を受けましたが、恥ずかしながら難しすぎて言われた事の半分も理解できませんでした。この世界からハルケギニアへ渡るには特別な機械(カラクリ)で件の扉を作らなければならないのですが、私とカトレアの二人が同時に扉を潜った事で機械に予期せぬ大きな負荷がかかってしまい、酷く壊れてしまったそうです。私の不注意でルイズの帰還を遅らせ、また、こちらの方々にも大変な迷惑をかけてしまいました。機械の修理にはどんなに急いでも二月(ふたつき)以上、その後の検査や試験に一月(ひとつき)以上かかるとの事で、私達がそちらに戻る事が出来るのは少なくとも三月(みつき)以上は後になるだろうと聞かされております。それまで何の連絡も出来なくてはお父様お母様が心配なさるだろうと、こちらの学者の方々が基礎実験で使っていた機械を無理矢理改造して手紙を送る事が出来るようにして下さいました』

 夫がそこまで読むと公爵夫人は「帰ってきたらエレオノールには仕置きが必要ですわね」と厳しい目つきで言い放つが、全体はどこか安堵した雰囲気を浮かべていた。

 そんな妻に公爵は苦笑しながら「程々にな」と言うと続きを読み進める。

『私達がこちらに来て非常に喜ばしい事がありました。カトレアの病がこちらの医学で治療が出来るものだと判ったのです』

 そこまで読んで公爵は思わず「なんと!」と声を上げる。カリーヌも驚きの表情を顕わにして「あなた、続きを」と夫を急かした。

数多(あまた)の水メイジが匙を投げたカトレアの病を、魔法が無いこちら世界の医学だと治せるのです。俄には信じられませんでしたが治療に関わる様々な事を見せていただき私は信じるに値すると思いました。それにカトレアも治療を受ける決心をし、今はその準備をしております。治療の関係で二月(ふたつき)は部屋の外に出られない為にカトレアには不自由をかけますが、順調に治療が進めば私達が帰る迄に完治させる事が出来るだろうと主治医の先生は仰りました』

 そこまで読むとヴァリエール公爵は「本当にカトレアの病が治るのか……? あれに人並みの生き方をさせてやる事が出来るのか……」と声を詰まらせながら誰に問うでもなく言う。公爵夫人は俯きながら両手で顔を覆っている。微かに嗚咽が聞こえてくる事から泣いているのだろうか、烈風の二つ名を持ち苛烈な事で知られた元マンティコア隊隊長の彼女も、結局は娘の為に心を痛める普通の母親だった。

『嗚呼、本当はもっと詳しく色々とお伝えしたいのですが、改造した機械の都合とかで送る事が出来る手紙の大きさはこれが限界らしいのです。またこれを送った後で機械が壊れて使えなくなる可能性もあるとの事で、帰る直前まで連絡を差し上げられる事が出来なくなるかも知れません。ですが、こちらの方々は私達を帰すと約束して下さいましたし、私達もそれを信じます。必ず三人揃ってお父様お母様の元へと戻りますので、この後に手紙が届かなくても、どうかお心を痛めないで下さい。―親愛なるお父様お母様へ、エレオノールより―』

 長女からの手紙を読み終えた公爵と夫人は娘達の無事を知り、その顔には安堵の表情が浮かんでいる。

「彼等には恩を受けてばかりで心苦しいな」

 ぽつりとヴァリエール公爵が呟く。ルイズの保護ばかりか、不始末を冒したエレオノールを(とが)めるでも無く、(あまつさ)えカトレアの病までをも治すと言う彼等“異郷の民”に何ら報いる事が出来ず、且つ事態を傍観する事しか出来ない自分に歯痒い思いを抱いている事を、公爵は妻に打ち明ける。

「歯痒いのは私も同じです。でもエレオノールが書いてある様に“異なる世界”であるなら私共(わたくしども)ではどうする事も出来ませんわ。それに彼等の行いを見ていると見返りを求めての事とも思えませんし」

「確かに。子供一人を家に帰すと言うだけで何百人という人員が働いているとの事だ。その様な人々に金銀宝石の類を贈っても喜ぶとは思えんな。こちら(ハルケギニア)では考えられない程のお人好しなのかね、異界の民は」

「そうですわね……。もしカトレアの病も治るのなら彼等には感謝しても感謝しきれません。それはそうと、あなた。これから三月もの間どうやって事を公にしないかを考えませんと。エレオノールとカトレアの姿が見えない事で、使用人達の間に“また”良からぬ噂が広がっておりますし……」

 悔しそうに唇を噛み俯く公爵夫人。そんな感情を顕わにする彼女を見ながら公爵は「ふむ」と考え込むと「信頼に価する家臣はジェローム一人だけだな」とカリーヌに問うと「残念ながら」と応えが返って来る。

「やれやれ。ルイズの失踪から変わらず忠節を保っているのは彼奴(あいつ)だけになってしまったか。居た仕方ない。カリーヌ、ジェロームを此処へ。彼奴に事の次第を話して三人で対策を練ろうではないか」

 そう言う公爵の顔は、若い頃に戻ったかの様に生気に満ち溢れたものになっていた。

 

* * *

 

 ウォロス、“高次の異境(ハイペリア)”ではエントヴァースと呼ばれる世界にある惑星上に彼女は居た。走馬灯幻想世界(ファンタズマゴリア)とも呼称されていた世界で、彼女はヤヌスや地球で経験した以上の衝撃を味わっていた。彼女の隣には赤毛の女性が見守るように佇んでいる。

 建前上、惑星ジェヴレンに様々なサービスを提供するヴィザーと同等のアーキティクチャーで作られたコンピュータ“ジェヴェックス”。ヴィザーが惑星は疎かi-スペース情報通信網によって大規模な分散システムを構築されているのに対し、ジェヴェックスは過去にジェヴレン人がヴィザーを凌駕すべく、秘密裏にジェヴレン星系にあるアッタンの地下を惑星規模で刳り抜いて設置した集中型の超大規模データ処理マトリックスで構築されている。

 その結果、情報マトリクスを構成する素子の励起状態が仮想的な“情報量子”を構成し、膨大な数の素子が存在する事による情報量子の相互作用によって実在としてのマトリックス宇宙『エントヴァース』は誕生した。そのエントヴァースに存在する惑星ウォロスでは生命が進化し知性を持つに至った。その知的存在はエント人と呼ばれている。

 ヴァリエール家の長女エレオノールは、いや、正確に言うならヴィザーによってエントヴァースに適合した存在としての彼女の分身(サーロゲイト)が、このウォロスに降り立っているのだ。

「なんて事なのかしら。世界が世界を内包するだなんて……」

 エレオノールがエントヴァースを訪れる事になった切っ掛けを説明するには、少し時を遡る必要がある。

 

 

 

「それじゃカトレア、がんばってね」

「はい、姉さま。でも、いつでもお話が出来るのですから改まって言う必要も無いんじゃないですか?」

 ワクチン等の接種が終わり、エレオノールには室外での活動許可が出た。今の彼女は支給されていた寝間着ではなく、医科工研の女性看護師が見立てた簡素ながらも動きやすいようにとブラウスと膝丈のスカートに身を包んでいる。

 全くの余談だが、着替えの時にサイズの合った地球製ブラを着けさせられ、見た目で胸の膨らみが増した事で感涙に(むせ)んでいると、それを見た(胸のサイズ的な意味で)同志の看護師から「矯正ブラやパッドというのもありますよ」と耳打ちされ、帰る時には是非ともそれ等を持てるだけ持たせてもらおう、と密かに決意するエレ姉さまだった。

 さて、これから自由に行動出来るようになるエレオノールとは逆に、カトレアは本格的な検査と治療が始まる。まだ検討段階ではあるが、自己免疫性疾患の遺伝子治療と心臓疾患の手術を並行して行う方向で話が進められていた。

「ふふふ、確かにね。出来るだけ連絡を入れる様にするわ。けど、あなたの治療の都合もあるだろうし、毎日とはいかないかもね」

「そうですわね。でもルイズはそんな事お構い無しの様な気がしますわ。あの子、今でも毎日連絡して来ますもの」

 用も無いのに専用回線を使い、他愛のない話しをしてくる彼女達の小さな妹の事を思い出してカトレアはくすくすと笑う。それに釣られてエレオノールも思わず「あの子ったら、こちらに順応しすぎよね」と笑みを浮かべる。その時、着用しているイヤーセットからヴィザーの「もうすぐ時間だよ」との声が聞こえた。

「あら大変! お待たせしちゃ悪いからそろそろ行くわね、カトレア。また後で連絡するから」

「はい、お話し楽しみにしてますわ。姉さま、いってらっしゃい」

 手を振るカトレアに見送られ、エレオノールは二重扉になっているエア・シャワー室を抜け、病室手前にある緩衝室を通り廊下へと出ると、ヴィザーに案内されながら目的の場所へと向かう。向かった先は医科工研の所長室。扉の前に立ちノックしようとすると「ああ、待っていたよ」とイヤーセットから宝条の声が聞こえドアが自動で開く。どうにも慣れないわね、と思いながらも彼女は「失礼します」と言い入室した。

 そこには宝条と二人のテューリアン、一人はエィドレフだろうとエレオノールは思うが、もう一人は彼に比べて肌の色が少し明るい。エィドレフとはまた違ったデザインをした桜色の衣装を着ておりどことなく柔和な印象を与えている。そしてその隣には始めて見る顔の地球人と思しき女性。こちらは赤毛の白人女性で髪を後ろで纏めてカチっとしたスーツに身を包んでいる。

「紹介しよう。エィドレフ君の隣に居るのがセファウ君、ガニメアンの女性だよ。そちらはエント人の“アヤトラ”でカーリシ君。セファウ君、カーリシ君。こちらは件のお客様でエレオノール女史だ」

 宝条にそう紹介された二人は立ち上がると「<シャピアロン>号第三世代ガニメアンのセファウです」「アヤトラのカーリシよ。よろしく」と軽く自己紹介をした。

「初めまして。トリステイン王国ラ・ヴァリエールが長女、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールと申します。以後お見知り置きを」

 エレオノールが二人に向かい、ハルケギニア貴族の嗜みとしての優雅な礼をしながら初対面の二人に挨拶をすると全員が目を丸くした。

「いやはや、君のフルネームはそんなに長い物だったのかね? 驚いたよ」と呆れた様に言う宝条に対してエレオノールが内心“え? 驚くところはそっちなの?”と思いつつも何食わぬ顔で「今まで通り、エレオノールで構いませんわ」と返す。

「ところで宝条先生、お二方の人種、いえ種族ですか? は始めて耳に致しました。宜しければどのような方々なのか御教示をお願いしたいのですが」

「それじゃ最初にそっちを掻い摘んで話をするとしようか。その後に君の希望を実現する為の方法についてを説明する、で宜しいかな?」

 そう言うと宝条は、一世紀以上前に起こった出来事をエレオノールに語り始めた。

 

 

 ガニメアンとは、その存在の痕跡が木星の衛星ガニメデで派遣された事から地球人にそう呼ばれる事になった種族であり、太陽系にあった惑星ミネルヴァで草食動物から進化し、二千五百万年前には恒星間航行が可能なまでに文明を進歩させた知的種族である。ガニメデでの彼等の痕跡の発見直後、地球人の前に生きたガニメアンが姿を現す事になる。

 二千五百万年前、彼等<シャピアロン>号のガニメアン達は、恒星イスカリスで行った実験が失敗し、主星が新星(ノヴァ)化するイスカリス星系から命からがら脱出した。

 その脱出の際、不幸な事に宇宙船の減速機構がオーバーホール中であった為に彼等は故郷である太陽系に到着しても、メインドライブであるブラックホールのトロイド運動を減速する事が出来ずに、それが発生する時空の泡に閉じこめられたままとなってしまったのだ。

 宇宙船が減速するまで船内時間では十数年、しかし外部世界では二千五百万年の時が経過して漸く<シャピアロン>号は通常空間へと浮上する。そして彼等は地球人と邂逅し自身の故郷ミネルヴァが失われている事を知る。地球人と友誼を交わした後、遙か過去に彼等の同胞が旅立った先、そしてその子孫が暮らすテュリオスへ紆余曲折を経て到着を果たしたのだ。ガニメアンは遙か過去からの来訪者でありテューリアンの直接の祖先。セファウはその<シャピアロン>号の初代乗組員であるガルース達から数えて三世代目の子供達の一人だ。

 一方、カーリシはジェヴェックスの中にある情報量子によって構成された内宇宙(エントヴァース)の出身者でエント人だ。その昔、彼等の一部は修行によって“解脱”しハイペリアへ至る事を望んだ。ハイペリアとは実は惑星ジェヴレンの事であり“解脱”とはジェヴェックスにニューロ・カップリングしているジェブレン人への“憑依”であった。“憑依”が行われると、その対象となった者の精神は抹殺されエント人の精神によって上書きされてしまう。“憑依”の犠牲者は周囲から見ると人格が変わったり精神に異常をきたした様に見え、この事はジェヴレン社会では長い間の謎とされて来た。

 この“憑依”された者を“アヤトラ”と称したのはルナリアンの起源やガニメアンとの邂逅、テューリアンとの接触などに多大な貢献をし歴史にその名を残す科学者ヴィクター・ハント。彼はテューリアンやガニメアンに協力し、エント人のジェヴレニーズへの大量憑依を目論んだ光軸教の<救済主(デリヴァラー)>ユーベリアスの野望を阻止した事でも有名である。彼に対する後世での評価は「科学者と言う肩書きの冒険者」となっている。閑話休題。

 光軸教事件の後、ハイペリアへと“解脱”を望むエント人の声に応える為に、テューリアンとジェヴレニーズの研究者達によってエント人の精神構造に適合した人造の肉体が遺伝子工学を駆使する事で完成する。エント人の修験者で“解脱”を希望し且つ資格があると認められた者は、その存在を外宇宙(エクソヴァース)にある造られた肉体へと宿らせる事が可能になった。そうして新たに“解脱”した者達も、過去からの慣習で“アヤトラ”と呼ばれている。

 

 

 説明を聞き終えたエレオノールは呆然としていた。正直、あまりにも途方もなさ過ぎて信じられないと言った風である。とは言え彼女も研究者の端くれ、暫くすると驚愕よりも好奇心の方が上回って来る。それにハルケギニアにも翼人や韻竜、エルフ等の人語を解する種族が居るではないか。と気を取り直したエレオノールに宝条が言う。

「この二人を呼んだのは他でもない。セファウ君は走馬灯幻想世界(エントヴァース)関連の専門家でね、カーリシ君にはナビゲータをお願いする事になっている」

 はて? と首を傾げるエレオノールを見て、宝条はクスクスと笑う。

「三ヶ月で実時間三年以上に匹敵する学習を行うという裏技に必要不可欠な人材だよ。では本題であるこの事についての説明を始めるか。まあ、乱暴な言い方をするとだね、君の分身を幾つも作って別々な授業を受けさせた上で、最後に本人に記憶を統合すると、まあ、そう言う事だ」

 エレオノールはそれを聞いて目を丸くした。分身? どういう事? 彼女がそこまで考えた時、エィドレフが宝条の後を引き継いで説明を始めたので大人しくそれを聞く事にする。

「ヤヌスで体験した様に、ヴィザーは人の記憶を読み取る事が可能なのはご存じですね。しかしヴィザーは許可さえ貰えれば記憶どころか無意識も含めて、その人の人格そのものを複製する事が可能なのです。簡単に言うと貴女がニューロ・カップラでヴィザーに接続して許可さえ出せば、貴女と全く同じ意識構造をそっくりそのまま“情報の塊”として複写します」

 そこまで良いですか? とエィドレフはエレオノールの確認すると話を続けた。

「さて、このままでは“情報の塊”は只のデーター、言い換えると写本みたいな物で貴女の分身足り得ません。これに意識活動をさせるには、実はそれなりにヴィザーのリソースを使う事になります。貴女の分身を活動させると、局所的にですがヴィザーの処理に遅延が生じるので、ヴィザーの運用には余裕を持たせたい我々としては極力避けたい処理でもあります」

 エィドレフはセファウへと視線を向けると、彼女が説明を引き継ぐ。

「そこで貴女からコピーした“情報の塊”を、先程の話に出てきたエントヴァースに適合する様に再構成し、そこに送り込む事で独立した意識体として活動させます。エントヴァースはジェヴェックスの情報素子が構成する情報量子世界ですので、貴女の分身(サーロゲイト)が活動する事でヴィザー及びジェヴェックスの負荷が増加する事はありません。視覚を始めとする各種感覚についてはヴィザーが実行する置換ルーチンでラッピングする必要がありますが、負荷レベルは一人をニューロ・カップリングするのと同じで済みます。この方法なら、貴女の分身を増やしてもヴィザーに掛かる負荷は増えた分身の置換ルーチンの処理分だけ。さて、その分身がエントヴァースで活動している間ですが、貴女自身がヴィザーに接続している必要はありません。そうですね、週に一回、記憶統合処理を行えば事足ります」

 セファウはそこで一旦言葉を句切る。

「ところが、この記憶統合処理で問題が発生する場合があるのです。テューリアンは平気なのですが、地球人やジェヴレン人の多くは記憶統合後の“同時に進行する複数の記憶が混在する状態”に激しい違和感を覚えます。この違和感は時間の経過と共に小さくなり、個人差もありますが一週間から一ヶ月の間には解消します。しかし、この違和感への耐性が低い場合に繰り返し記憶統合処理を行うと、意識の恒常的な混濁を起こして植物状態になる恐れもあります。統合される意識の数が多ければ多いほど、そのリスクは指数関数的に大きくなります」

 そこまで聞いて顔色を悪くしているエレオノールを見た宝条は「そう心配しなくても大丈夫。だからこその適性検査だしね」と話しかけた。

「それで、どんな検査をするのですか?」

 おずおずと尋ねるエレオノールにセファウが応える。

「まずヴィザーに貴女の分身(サーロゲイト)を作らせて、その分身にエントヴァースへ行って貰います。カーリシがナビゲート役として付いて行きますので安心してくださいね。その後、こちらの貴女は覚醒した状態でエントヴァースに居る分身の様子を、ヴィザーを通して観察して頂きます。その後で貴女と分身の記憶統合処理を行いますが、その時の貴女の精神にかかったストレスその他の状態をヴィザーが読み取り、解析して可・不可の結果をすぐに提示します。但し全て貴女の承諾が得られなければヴィザーは何もしませんし出来ませんので、ね?」

 そう言うとセファウは地球人の微笑みを真似てエレオノールを見たのだった。

 

 

 

 エレオノールの分身(サーロゲイト)がカーリシを伴いウォロスに降り立ったその時に時間を戻そう。

 エレオノールが目を閉じて横たわるニューロ・カプラの傍で、宝条達はヴィザーから思いがけない報告を受けていた。

 戸惑いながら「それは間違い無いの? 彼女は昏睡状態のはずよね?」と問うセファウに、ヴィザーは「間違いありません。エレオノール女史の脳内にウォロス上に居る分身と同一の思考・記憶のパターンが現れています」と答える。

「君がアップデートしている訳ではないよね?」

「それはありません。彼女の本体と分身は完全にセパレートされている状態です。置換ルーチンからのデーターリークは認められず、ニューロ・カプラとh-リンクノードについての独立診断ルーチンの実行結果は問題無しです」

 それを聞いてセファウは驚きの表情を浮かべて宝条を見る。宝条は腕を組み暫し考えると「エレオノール女史の分身を一時的に“活動停止”にしても問題は無いかね?」とセファウに質問した。

「それは問題無いと思います。ヴィザー、局所的な情報量子の活動停止は問題無しよね?」

「はい、周囲に影響は出ませんし、あの世界でのルール違反は過去に行っていますから問題ありませんよ」

 そう言うヴィザーの声は心なしか懐かしさを含んでいるようでもある。その時、エィドレフが何事かに気付いたらしく「宝条先生、活動停止はちょっと待って頂けますか。それとルイズ嬢をモニターするのに使っていた機器はまだ撤去していませんよね」と尋ねると、宝条は「ああ、そっくりそのまま残っているが」と答えた。

「ヴィザー、ここに設置してあるCS2DAV(共通余剰空間次元軸振動モード共鳴検知装置)を今から稼働状態に持っていけるか?」

「エージングに十五分かかりますが問題ありません」

「分かった、起動してくれ。それと平賀先生達にも連絡を頼む。データーはリアルタイムで送ってくれ」

 何事かと問いかける宝条とセファウ。エィドレフは横たわるエレオノールと、モニターに映る彼女の分身を交互に見る。

「すっかり忘れてましたよ。彼女もルイズ嬢と同じ魔法世界の住人だと言う事です」

 


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