虚無を継ぐもの(旧)   作:片玉宗叱

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オムニプレックス・ウーマン 3

 カーリシは眉根を寄せた険しい表情で、いつでも通力を打ち出せる様に腕を交差させ油断無く構える。対して、それまでとは打って変わって剣呑な雰囲気になった案内役と対峙している二人のエレオノールは、自身でも状況が飲み込めずにきょとんとしていた。

「何者、と言われても……ねぇ?」

 エレオノールの分身達は困惑気味にそう言うと全く同じタイミングで顔を見合わせ、これまた同じタイミングでカーリシへと顔を向ける。

「見ての通り、エレオノールよ」

「増えたけどね」

「ひょっとして誰も彼女に私の出自を話してないのかしら?」

「顔合わせの時にミスタ・ホウジョウは“件の”って紹介してたわよ」

「そうだったわね。ああ、でも魔法の事は話していないかも知れないわ」

「あちらでは発現しない事を伝えてたし」

「それで言わなかったんじゃない?」

 (はた)から見たら出来の悪い双子漫才の様な(ぬる)い遣り取りを始める分身達を、カーリシは胡乱な目付きで注視していた。まずは距離を取るべきだとカーリシが考えたその時、彼女の頭の中にヴィザー経由でセファウからの声が響く。

「どんな原因で増えたのか分からないけど二人とも正真正銘エレオノールさんの分身、彼女達に害意は無いわ。今こちらのエレオノールさんに事情を聞いているから」

 それを聞いてカーリシは構えを解いて緊張を解くと安堵の息を漏らす。俯き加減になり一瞬だけ彼女の注意が分身達から外れたその時に「ひぃぃいゃやぁあああああ!」と見事なユニゾンで分身達が叫び声を上げた。

 それは一瞬の出来事。カーリシの視線が外れた瞬間に何処に潜んでいたのか、彼女の祖父にして破戒(エロ)導師のエシキス爺がエレオノールの分身達の後ろに忽然と現れ、()しからん事に彼女達のお尻を、それも中指を尻の割れ目に添える様にして撫でくり回したのだ。全く以て怪しからん。

 エレオノールは某白髭老人のセクハラ行為を目撃した事はあっても、その被害者になった事は一度も無い。また恋仲になった男性など皆無なので“そういう事”は話に聞くだけで経験も無い。

 これが後十年も経って十分に(とう)が立った彼女であれば、無言のうちに裏拳で相手の鼻っ柱を砕いて怯ませ、振り向き様に鳩尾に肘打ちを叩き込むや、頸部を押さえ込んでの膝蹴りで更に顔面に追い打ちをかける位の三連コンボは平気でこなせたかも知れない。或いは乗馬鞭を取り出して問答無用、全力の乱れ打ちであろうか。

 しかし今のエレオノールは未だ二十歳(だがハルケギニア基準だと崖っぷち)の“おぼこい”娘さんである。そんな事をされれば堪ったものでは無い。

 真っ赤な顔で涙目になり、チェニック風衣装の前を押さえアヒル座りで道にへたり込みながら、器用にもカーリシの方へずりずりと後退るエレオノールの分身達。

「お、おおおお、おおおし、おしりををを、ななななで、ななでてて、わ、わわわ、われ、わわれ……」

「さささささ、さささわ、ささわらられれれ。ゆゆゆ、ゆゆび、ゆびが……」

 (ども)りながら必死に抗議をしようとする彼女達の視線の先に居るのは、先達て直接に“お礼”を申し上げようとしていた導師エシキス。

「エレオノール殿の御胸は些か物足りぬ物であったが、腰つきはすこぶる善き物にして真に絶品。形善し張り善し締まり善しで必ずや良い赤子を産すであろうの」

 彼は満足そうな顔でそう言うと呵々大笑するが、そうは問屋が卸さない。彼の弟子にして孫娘のカーリシが通力で導師の足下を捏泥に変える。しかし導師も然る者、泥を固められる前に中空に舞い上がり拘束を免れる。その機動を読んだカーリシが雷光の様な通力を発するが導師は余裕の表情で掌を翳し上空へと往なす。

「隙有り!」と叫ぶカーリシの声とともに五つの炎柱が導師を囲み巻き込んで行くが「なんの」と導師は余裕の表情で手を払うや、次の瞬間に彼を取り囲む様に氷の円柱が地面より現れ、広がりながら炎柱を全て薙ぎ払う。氷の円柱はその勢いのまま氷壁へと姿を変え猛烈な速度でカーリシへ迫り、そして彼女を弾き飛ばした。

 こうして腰を抜かしたエレオノール達の目前で師弟の戦いの火蓋は切って落とされたのだ。

 

 そんな過激極まる祖父孫娘喧嘩がウォロス(エントヴァース)はナゼロソ山の麓で始まった頃。

「どうしたの?」

 医科工研のコミュニケーション室で宝条達からの連絡を待っていたセファウは、ニューロ・カプラの上でヴィザーのスキャンを受けながらも顔を赤らめて嫌そうに顔を顰めるエレオノールに話しかけた。

 モニターにはエントヴァースで何が起きているのか映しだされているのだが、エレオノールは分身と記憶を共有しているので、その様を自身の記憶として認識する事が出来る。

「いえ、少し感触の記憶が生々しかったので……」

 そう言うとエレオノールの内に沸々と怒りが湧き起こってくる。

 お嫁に行く前なのに、い、今まで、ととと殿方に、ささささ触られた事も無い、むむ胸どころか、今度は、おし、お尻をささささ触るなんて! しかも、ああんな、あんないいいい嫌らしいささ触り方をするなんて!

 と、それはもう乾燥した草原に拡がる野火の如く怒りが拡がって行く。本人が、否、本体が直接に触られた訳では無いのだがそれでも赦せない。

 怒りで熱くなりながらも頭の片隅は冷静なエレオノールは分身達がヴィザーによって通力が使える様になっているのを思い出した。

 

 医科工研(エクソヴァース)に居る本体の意識が流れ込む事で、分身達は見る見るうちに冷静さを取り戻した。

「カーリシ! 加勢するわ!」

 彼女達は見事なユニゾンで叫ぶ。

 分身の一人が「女の敵は滅すべきね」と言うや、通力で風を起こし空中を舞うエロ導師を牽制し始める。

 もう一人の方は杖を構え呪文を唱え始めた。自分では使えないはずの“風の遍在”と同じ様な『魔法』がエントヴァースで発現したのだから、ひょっとしたら自身の系統である土の、それもゴーレムが使えるかも知れないと考えたからだ。

 しかし彼女の目論見はすぐに外れる事となる。呪文を唱えていたエレオノールの分身は、それを中断して呟いた。

「駄目だわ……」

 遍在の呪文を唱えた時みたいな流れが感じられない。彼女は電撃と旋風が猛威を振るっている場所を険しい目つきで睨むと「仕方がないわねっ! もう!」と悪態を吐きながら道端の枝で作った杖を捨て、通力で自身に炎を纏うとカーリシともう一人の分身が牽制する破戒導師(エロジジイ)を殲滅すべく駆けだした。

 

* * *

 

「まったく無茶をする」

 ホロスクリーンの向こうでは憮然とした顔で平賀が睨んでいる。その視線を受けてエレオノールは小さくなっていた。宝条とエィドレフはどうしても席を外せず不参加であり、エレオノールの隣にはセファウ、その後方にはエントヴァースでのドタバタに一段落を付けて晴れ晴れとした顔のカーリシが立っている。その表情から件の導師エシキス(エロジジイ)に対して一定の成果を上げたようだ。

「申し訳ありません。私の認識不足でした」

 平賀は謝罪を続けようとするセファウに手を挙げながら「いや、君に非はないよ」と制止する。

「今回の件で責を負うべきは最終的に許可を出した私だ。それにしても……」

 再び平賀の鋭い視線がエレオノールへ向くと、彼女は悪戯が見付かり叱られる事を恐れる子供のように身を竦め、俯き加減のまま上目遣いで平賀を見ながら続く言葉を待つ。

「今回の件と言い、端点いや君には『扉』と言った方が通りが良いのかな、それを潜った事故の原因と言い、君は自殺志願者かね? 冒険家や探検家だって君みたいな無茶はしない。親御さんから君達を預かっている身としてはもう少し慎み深く行動して欲しいんだがね」

「はい……。返す言葉もありません……」

 エレオノールは小さな声で神妙な態度を取りながら謝罪の言葉を口にする。その語尾は今にも消え入りそうだ。そこには先日来の女王様然とした姿は無く、とんでもない悪戯をしでかして叱られている子供の様にも見える。

 そんな彼女を見ながら、平賀は小さく息を漏らすと口元を弛めると、いつもの“気さくな親父(おやじ)”の表情になる。

「とは言え、やっちまったもんは仕方がない。今回は結果オーライと言う事もあるが、十分に反省している様だしな、これに懲りて以後は慎むようにしろよ? そうそう、そちらにルイズ達が面会で着いているはずだから行ってあげると良い」

 平賀にそう言われたエレオノールは安堵の表情を浮かべると「はい」と一言小さく返事をし、背中を丸めながらそそくさと退室して行った。彼女が退室するのを待っていたかのように「さて、何か分かったのかな?」と不意に平賀からセファウに話が振られると、彼女は「いいえ」と力無く答える。

「なぜ彼女のエントヴァースでの分身が増えたのか、なぜ記憶の共有が起こるのか原因は不明のままです。しかし幾つかの興味深い物が得られました」

 彼女はそこで言葉を区切るとヴィザーに対しスクリーン上にデーターを表示する様に指示を出した。

「エレオノールさんの脳内神経細胞の活動と分身達の意識構造内で起きていた事象を関連付けて視覚的に表した物です。x軸が時間、y軸とz軸が彼女自身の脳内活動領域及びそれに対応する意識構造の領域で、破線は見易くする為のエリア分けです。色調の変化ですが、これは分身側との意識レベルの相関によって変化させています。相関が高いほど赤く低いほど青く、また明度は活動レベルに比例して明るくなる様にしてあります」

 セファウが中空を指でなぞるような動きをすると、それに従ってスクリーンに表示されているデーターが変化して行く。

「ここはエレオノールさんが意識して分身から記憶を呼び出した時の相関の変化部分です。まず通常の記憶を呼び出すシーケンスが脳内で起こるのですが、この後に注目して下さい」

 彼女が言った直後、実線で強調されたエリアの色調と濃淡が目まぐるしい変化をし始める。

「まず脳内にある例の松果体様器官の活動が活発になります。その後、分身が保有する記憶データーが地球人類の俗に言うワーキングメモリー領域に突然現れます。この前後について精査したのですがワーキングメモリー周辺の神経組織には何の兆候も認められませんでした。勿論この時点で彼女は既に覚醒している状態でありヴィザーにも接続していません。そしてこのワーキングメモリーに現れたデーターが(あたか)もエピソード記憶であるかの様に組み換えられると、別なワーキングメモリー領域へと移送された後に海馬を経て記憶として認識されています。彼女が明晰夢みたいだと認識するのはこれが原因の様ですね。これは平賀先生のご子息とルイズ嬢との間に起きた記憶の転写とは全く異なった動きとなっていて、またこの時に共通余剰空間で超立方振動が発生しているのをヴィザーが確認し記録しています。データーの相関関係について、以前の事と併せて現在エィドレフのチームが解析と比較を行なっていますのでかなり詳細な関係性が見出せるかもしれませんね。ただ、分身間で起きていた記憶共有についてなのですが……」

「何か問題があったのかね?」

「モニターの結果から、それぞれに相関があるのは分かったのですが、その……何と言うか奇妙なのです」

「君が、いやガニメアンがそんな物言いをするなんて珍しいな」

 平賀が指摘する通り、率直な事が知られているガニメアンが(勿論その子孫であるテューリアンもだが)奥歯に物が詰まった様な言い方をするのは非常に稀な事だ。そこを指摘されたセファウは地球人の首肯の仕草を真似る。

「観測された現象が事実である事を理解は出来ているのですが、どうにも……。これを見て下さい。彼女の分身二体の意識構造の状態を先程の様に脳の領域に対応させマッピングしたデーターです」

 促されたセファウはヴィザーに指示を出してデーターを表示させた。

「分身同士にも、分身とエレオノールさん本体との間に生じた様な記憶の伝達が行われています。ですが決定的な違いがあります」

 一度言葉を切ると彼女は「変化点でのデーターを」とヴィザーに指示をする。

「本体と分身間と違って、分身同士では海馬を介した記憶プロセスが行われずに意識構造の全く同じ記憶領域が同時に変化を起こします。しかし決定的な違いは例の松果体様器官に相当する部分での活動が全く認められない事です。更にヴィザーからの報告では該当する座標系での超立方振動も起きていません。彼女達の言う“魔法”に類する現象が起きているにも拘わらずです」

 そこまで言ったセファウからの視線を受けてカーリシが補足する。

「エント人の私から見て彼女の分身達の間に何らかの交感を見る事は出来ませんでした。それどころか彼女達の霊気、いえ意識構造ですか、それが私には終始“全く同じ者”として見えていました。同一人物の分身が二体でも、時間経過で差違が生じて必ず見分ける事が出来るのですが、こんな事は普通有り得ません。それに彼女達は個別に判断して行動していました」

 カーリシの補足を受けてセファウは続ける。

「同一の意識構造と記憶を持ちながら、まるで個別に判断して行動をする存在なんて前代未聞です」

「彼女の分身達は全く同一(・・・・)でありながら個別の意識を持つ様に振る舞い、且つ物理宇宙(エクソヴァース)でも情報量子宇宙(エントヴァース)に於いても彼女達を関連付けさせる様な現象が認められなかった、と言う事か」

 平賀はそう言うと眉間に手を当てて俯きながら何事かを考えはじめた。そんな彼の様子をセファウとカーリシは黙って見詰めている。ややあって平賀はやおら目を開け「記憶統合での問題は?」とセファウに問うと、彼女は「分身同士は全く同一なので統合の必要が有りませんでしたし本人への統合も全く問題ありませんでした。ですが……。ですが、その統合処理後も不可解な事が起こりました。ヴィザーが行う統合処理は本体と分身の記憶の差分をストレス波を使って脳内の神経ネットワークへ反映する比較的単純な物です。それで前回は統合時に彼女の脳内活動についてモニターしていなかったのですが、今回の件で改めてBIAMによるモニターを実施しながら統合処置を行いました。その時の結果がこれです」

 セファウはBIAMのモニター結果を表示させた。

「これが反映させた直後のエレオノールさんの脳内活動状況です。地球人(テラン)とジェヴレン人は、この状態から記憶領域を意識構造上で整合性させる為の変化は時間を掛けて行われます。ですが彼女の場合は僅か一ミリ秒にも満たない間に劇的な変化を起こします。それも差分として反映された物が彼女と分身間で行われた記憶の共有と同様のプロセスを経てエピソード記憶として固定されています。そしてこの時、超立方振動は起きていないのです」

 そこまで言うと彼女は地球人が肩を竦める仕草を真似しながら「現象面しか観測出来ないのがもどかしいですね」と呟くと「エィドレフから聞いた、平賀先生が仰ったと言う“与太話”が現実味を持って感じられます」と心情を吐露した。

「ああ、我々が認識している精神や意識と言う物が観測不可能な物理的実体を持つんじゃないかと言ったアレか」

 平賀の言葉にセファウは肯定の意を示す。

「はい。今回の件で検討してみるだけの価値はあると私は思っています。それに『既知宇宙(オムニヴァース)に生存する知的生命の意識構造に認められる互換性』に対する答えがそこに有るのではないかと」

 ジェヴェックスが内在する情報量子宇宙(エントヴァース)。その発生原因も概ね解明されているのだが未解明な事も幾つか存在する。その最たるものが言語による意思の疎通である。過去に於いてジェヴレン人に憑依したエント人は何の教育も無しに例外無くジェヴレン語を話せたのだ。その逆も然りで、ヴィザーによって作られた地球人やジェヴレン人、テューリアンの分身(サーロゲイト)も、特にヴィザーが処理をせずともエントヴァースに於いてエント人と“会話”が出来るのである。前者は人格部位のみの上書きとして説明出来なくもないが、後者については全く解明されていない。

 この意識構造の互換性問題についてはエントヴァースの発見以来多くの者が研究に携わっておりセファウもその中の一人であるのだが、今以(いまもっ)てそれに対する明確な解答が得られていない。

「謎は増えるばかりですが、もしかしたら彼女達の宇宙へ行けばその答えが見付かるのかも知れませんね」

 平賀を見つめる彼女の表情からは読み取れないが、その呟きには何処か期待に満ちた感情が込められていた。

 

 

 その後の宝条とセファウらによる検討の結果、エレオノールの分身(サーロゲイト)による学習が許可される事になった。分身はその在り方から物質的な制約が無く、故に食事や睡眠を必要とせず疲労も蓄積しない。活動の全てを学習に割り当てる事が可能なのだ。但し分身と言えども人間の意識構造を複写しているので飽きたりもするので息抜きは必要なのだが、それを含めても生身に比べて時間効率は非常に高い。

 エントヴァースに於けるエレオノールの分身数は当初二体だった。だが分身間で起こる謎の記憶共有のお陰で記憶統合処理の際にエレオノールが受ける負担が極端に少なかった事から、程なくして分身の数は十体にまで増やされる。これによって彼女は、ざっくり計算して一日が二十日前後になったのと同じ恩恵を得る事になった。

 さて、その結果として本体(エレオノール)はどうしているかと言うと――。

 

 平賀家の居間にあるソファーに座り「はぁ、暇だわね」と彼女は呟く。ブロンドの髪をクリップ型の髪留めで後頭部に纏め、こちらに来てから作って貰った黒縁のお洒落な黒縁眼鏡から覗くその瞳はやや物憂げでもある。その(かんばせ)だけ見れば流石は公爵家令嬢、一部の隙も無い様に見える。

 だがしかし、少し引いて見れば彼女が着ている物は、何の変哲もないややくたびれた感のある灰色スウェットの上下。その手に持つ筆文字で『草加煎餅』と大きく書かれた袋をガサゴソとまさぐると、艶やかな焼き色が着いた香ばしい醤油が香る丸い物体を取り出してポリポリと囓りはじめた。なんかもう色々と台無しな公爵令嬢である。

「ふう。後を引くのよね、これ」

 煎餅を一枚食べ終えたエレオノールはそう言うと、テーブルに置いてあるマグカップに入った煎茶を一口飲む。壁の時計を見ると時刻は九時を少し回ったところだった。

「出掛けるまでまだ少し間があるわね。どうしようかしら?」

 平賀家の面々だがそれぞれ才人の母親は近所の友達と買い物に、父親と才人、そしてルイズは筑波へと既に出掛けており、家に残るのはエレオノールだけだった。そのエレオノールも十一時に、医科工研に勤務し本日は非番である(胸のサイズ的な意味での)同志看護師である十六夜千早(いざよいちはや)と出掛ける約束をしている。それにしても分かる人には分かる酷い名前である。

 さて、どうしようかと暫く考えたエレオノールはハウス・コンピューターに指示を出した。

 

* * *

 

「大分顔色が良くなったわね。体調はどうかしら?」

 エレオノールが話しかけるスクリーンの向こう側、カトレアは若草色のチェック柄に襟元にレースがあしらわれたパジャマを着て、肩から薄いクリーム色のカーディガンを羽織っている。

 カトレアは地球に移送されてから程なくして、酸素吸入をしていても頻繁に低酸素発作を起こすようになってしまった。その顔色はチアノーゼに因って青ざめ唇は紫色のまま、何時しかその表情も暗く辛そうな物へと変わっていった。

 しかし今スクリーンに映る彼女の唇は艶やかな桜色で、その頬は仄かに紅を差した様な十代乙女の健康的な血色を取り戻し、以前よりも幾らか健康的にふっくらした印象も受ける。

 何故なら自己免疫性疾患の治療を行う前に身体に負担が掛からない様にと、血管カテーテルによる心室中隔欠損孔閉塞と肺動脈狭窄部の拡張を目的とした姑息手術(所謂応急的な緊急手術)が行われたからだ。

 これによって動脈血と静脈血の混合が防止されて、肺動脈への血流が増加する事でカトレアのチアノーゼは解消され、低酸素発作からも解放された。但しこの処置はあくまでも一時的な物であり、自己免疫性疾患の根治的治療が完了した後に根治手術が行われる事になっている。

 そんなカトレアは現在医科工研の無菌病室で自己免疫性疾患の治療を受けている最中なのだった。

「お陰様で治療は順調だそうです。でも姉さま、心配してくださるのは嬉しいのですが……」

 朝の読書時間を邪魔されたカトレアが恨めしそうに言う。

「だってねえ、暇だったし」

 行儀悪く煎餅を囓りながら返すエレオノールの姿を見ながら、カトレアは少し息を吐いた後に輝く様な微笑みを浮かべた。

「姉さまのそのお姿を録画しておいて帰った後でお母様にお見せしょうか?」

「な、何を言うのカトレア! それだけは止めて、お願い! ね?」

 そんな空恐ろしい事をされては堪ったものでは無い、とエレオノールは真っ青になり慌てて居住まいを正した。慌てふためく姉の姿を見ながら、そう言えばとカトレアは思い出す。

「今日はお父様達に手紙を送る日でしたわね。姉さまはルイズ達と一緒にツクバに行かなかったのですか?」

「ほら、私が行っても役立たずだし」

 そう言うとエレオノールは僅かに目を泳がせる。

「それだけですか?」

 にこにこと微笑みながらエレオノールを見つめるカトレア。

「それに行く途中で人混みとか多いし」

「それだけですか?」

「ええと、行く時に乗る列車で窓際に席が取れない事もあるし」

「それだけですか?」

「そうそう、研究所の食堂ってご飯が美味しくないし」

 ちなみにルイズ達と一緒に筑波の研究所に行った時は、エレオノールも蝦蟇屋で昼食を食べていたりする。

「それだけですか?」

 カトレアの「それだけですか?」が繰り返される度に、その笑顔に何か黒い物が加わって行く錯覚をエレオノールは覚えた。

 あれ、この子ってこんなに黒かったかしら? 病弱だけど明るくて少し短慮なところもあるけど慎ましやかだった気がするけど。あ、でも勘の鋭さは前から変わっていないわ。もうルイズと言いもカトレアと言い、揃いも揃って地球(こっち)に来てから変わったんじゃないかしら。それとも今の状態がこの子達の素なのかしら?

 とエレオノールが自分の事を棚に上げてつらつら考えていると怪訝な顔をしてカトレアが声を掛けて来る。

「姉さま、何か良からぬ事を考えてません?」

「そんな事、微塵も考えて無いわよ。あーっと、実は出掛ける約束していて、それまで暇だったからあなたの様子を」

 エレオノールが誤魔化すようにそこまで言うと、カトレアが口を尖らせて拗ねた様子を見せながらその言葉を遮る。

「ヒラガの小母(おば)さまとお出かけですか。羨ましい事ですわね」

「違うわ。ほら私達を世話してくれた看護師で私の担当だった子が居たじゃない。やたらお喋りで小動物っぽい感じの少しつり目気味で線が細い」

 そこまで聞いてカトレアは「ああ」と思い出す。ちなみに同志看護師は二十四歳でエレオノールより年上なのだが、見た目的に年下と認識されたらしい。

「姉さまと同じむ……」

 胸の薄いと言いかけてカトレアは言葉を濁し、慌てて誤魔化す様に続けた。

「ええと確かイザヨイさんでしたか。いつの間にか仲良くなられたんですね。その方とお出掛けですか?」

 妹が酷い事を言いそうになった事にエレオノールは気が付いていない様だ。

「そう。ちょっとした買い物に彼女から誘われたのよ」

 彼女達が常々話していた内容を知っているカトレアは、強調して「彼女から」を言うエレオノールに内心“絶対に姉さまから連れって行ってくれと言い出したんでしょうね”と思いながらも、姉のその薄い胸板を更に抉る様な事は口に出来なかった。勿論どんな物を買いに行くのかも承知している。

「それで姉さま、わたしにも何か買ってきて頂けるんでしょ?」

「買って来ても、あなたの病室には物を持ち込めないじゃない」

「大丈夫ですよ。食べ物以外なら大方の物は滅菌処理が出来るそうですから。ほら、このパジャマとカーディガンだってヒラガの小母さまからの差し入れですのよ」

「あら、そうなの。それじゃ何か欲しい物があって?」

「そうですね……」

 唇に人差し指を当てて暫く考え込んでいたカトレアは「そうだわ」と、ぽんと手を叩いて輝くような笑顔を浮かべた。

「ついでに私にも(・・)新しい【ぶらじゃあ】を買って来てくださいませんか? 今着けている物、窮屈になって来ましたので」

 恐るべきカトレアの天然体質により、エレオノールは一瞬で石化されガラガラと崩れ落ちたのだった。勿論、精神的な意味で。

 その日の午後、とある喫茶店で血涙を流しそうな勢いで愚痴を言い合いながら、ケーキを貪り食うスレンダーなブロンド美女と童顔幼児体型の日本人女性の姿が見られたとか見られなかったとか。

 どっとはらい。




色々とあって未完となってます。

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